森村泰昌:エゴオブスクラ東京2020―さまよえるニッポンの私 @ 原美術館

実は行く気はなかったんだけどレクチャーパフォーマンスなるものにお誘いいただいて観に行ったらめっちゃよかったパターンでした。
2016年に国立国際美術館で開催された展覧会で、もう森村のエゴに飲み込まれる感じで見ててしんどかったったトラウマがあったんですが、これぐらいの規模だとしっかりキュレーションが収まってる感じがして素晴らしかった。
今回はバルトの「表徴の帝国」に出てくる、「真ん中が空虚である」という日本人観から出発して、森村自身の「真理や価値や思想というものは(中略)いくらでも自由に着替えることができるのだ。」という思想、個人史から日本人とは何たるやという大きなテーマに挑んだ展覧会。
この「エゴオブスクラ」という展覧会自体は2018年にニューヨークのジャパンソサイエティでやったみたいなんだけど、そこから少しアレンジを加えての開催。
作品は新旧入り乱れてて、改めてセルフキュレーションの上手い人やなぁと唸りました。
もう全部今回のために作られたんじゃないの?ってぐらい新作と旧作の差がない、どころかむしろ新旧が絡み合って複雑なポリフォニーを形成してる。
例えば森村作品の中でも有名なマネの「オランピア」を模した1988年に発表した「肖像・双子」は「モデルヌ・オランピア 2018」へと再製作されていて、これはベッドに寝そべる女性が蝶々婦人としての日本人で、黒人の部分が白人の男性に換えられています。

会場には撮影した実際のセットも。超アナログw

三島とマリリンの対比も素晴らしかった。
三島=男装した女性、マリリン=女装した男性という解釈はとても面白い対比。
さらにそれが女性としての日本と男性としてのアメリカの対比にもなってる。
その対比は昭和天皇とマッカーサーを写した写真に模した作品「なにものかへのレクイエム(思わぬ来客/1945年日本)」(2010)でも顕著。
この男性←→女性のトランスも森村作品に通底するテーマ。
今回森村自身によるレクチャーパフォーマンスを拝見させていただいたわけですが、その映像の中で出てくる黒いドレスを着たマリリンが、ドレスを脱ぐと赤ふんどしを巻いてて、そこから三島に変身し、かの有名な市ヶ谷駐屯地で起きた三島の自決の際に発せられた演説が始まる様は圧巻。
このレクチャーパフォーマンスでの最大の見せ場がこの演説で、なんと三島に扮した森村の演説の映像を前に生身の森村がアフレコするという、幾重にも重なる自己を目の当たりにした感じがして衝撃でした。
このレクチャーパフォーマンス、ぜひ参加すべき!、と言いたいところなんですが、今HP見たら全回予約で満席となってました。。。
映像自体は会期中見られます。
会場中所々に見られるパチンコ玉の正体もこの映像見たらわかるかと。
この映像内のセットは展覧会の最初の部屋に展示されてます。

ところで展示されてる肖像がマリリンではなくなぜか原節子なんだけど、なんでだろと友達と話してて、それって「原美術館」と「原節子」をかけてるのでは説が出たんだけどどうなんだろう笑
それにしてもこの展覧会入れてあと4回で原美術館が終わっちゃう。。。悲しい。
前回の加藤泉さんの作品もさりげなく残ってたし、この建物だけでもぜひ残して欲しいなぁ。。。
森村展は4/12まで。こちら。


森村のこと調べてたらこんなHP見つけちゃった。。。
「森村泰昌」芸術研究所
DOMANI・明日2020 傷ついた風景の向こうに @ 国立新美術館

逆に期待しすぎてあまりのれなかった展覧会。
なんだろう、「傷ついた風景」というテーマも抜群にいいし、作家陣も最高だし、実際個々の作品も素晴らしいんだけど、展覧会として見たら全然取り止めがなかった。
空間なんだろうか?なんなんだろう。
冒頭の石内都の実際の傷跡の写真と米田知子のかつて傷を負った風景の写真も良かったし、広島や長崎、そして福島へと続く導線も良かった。
特に見たかった佐藤雅治の「福島尾行」が観られのは良かった。
鳴らないピアノがひたすら鍵盤を叩いて必死に音を奏でようとしてる様にグッときた。
日高理恵子の展示もこれまで見た彼女の展示の中で最も良かったし、宮永愛子、畠山直哉と申し分なかった。
なのに!なのに!
僕の中でのいいグループ展というのは、作品同士がまるでバトンを渡すようにして流れていく感覚があるんだけど、今回その連鎖が全くと言っていいほど感じられなかった。
作品同士がぶつ切り状態。
うーん、本当に謎。やっぱり空間な気がする。
考えたら過去国立新美術館で心から良かったと思える展示って見たことないかも。。。
黒川紀章の展示室、やっぱり辛いです。ここを突破する展覧会が今後出てくるのだろうか。。。
展覧会は2/16まで。

増田信吾+大坪克亘の個展「それは本当に必要か。」 @ TOTOギャラリー・間

国立新美術館行ったので同じ乃木坂にあるTOTOがやってる建築のギャラリー間へ。
ギャラ間めっちゃ久々。いつ以来だろう。。。って調べたら2010年のデイヴィッド・アジャイ展以来だった。。。
そして、今回の増田信吾+大坪克亘を知ったのも2010年のU-30。
10年!怖い。。。
そんなこんなで増田信吾+大坪克亘展です。
展示は地下1階、3階、4階となってるんですが、地下では写真、3階では模型、4階では土地の模型となってます。
この展示の面白いところは、まるでGoogleマップのようにスケールを行き来することができるということ。
地下の写真の展示で建築のディテールや色味などを知り、3階の模型で建物全体を知り、4階でどういう場所に建ってるのかを知ることができます。こういう建築の展示ってありそうでなかったかも。
特に4階の土地の模型はめっちゃ面白かった。
建築模型だと縮尺がまちまちなので、どういう風に建ってるのかってイマイチ想像しにくいんだけど、すごくわかりやすくイメージできました。
そしてこの二人の建築の実直さがすごい。
屋根と階段だけの建築とか唖然とする。しかもその屋根を支えるための構造も面白い。
U-30の頃は結構幻想的なイメージだったけど、この十年でこういう風に歩んできたのかと思って感慨深かった。
展覧会は2/16まで。DOMANIとセットでどうぞ。
今年のギャラ間はこの後もSANAAにアンサンブルに久々に通うことになりそう。





白髪一雄展 @ 東京オペラシティアートギャラリー

年々具体作家の作品の値段が高騰していて、どんどん国外に流出していく中、今具体作家の展覧会をやるのは中々苦労することなのではないかと思うんですがどうなんだろう。
というわけで、今回の白髪一雄展はとっても貴重な機会だと思います。
考えたら単発で見たことはあってもこれだけまとめて見たことってなかった。
初期の作品はこんなだったんだ、とか、有名な足で描いた作品もディテールこんなだったんだ、とか、途中こんな作品やってたんだとか色々発見はあったんですが、最大の作品は、これリヒターやん!となったところ。
これまで白髪一雄とリヒターを同じ軸で観たことってなかったんですが、今回の展覧会を観てる最中ずっとリヒターのアブストラクトがずっと頭に浮かんできて仕方がなかった。
絵の具を「こする」という動作がまさにリヒターの創作に通じていて驚きの発見。
あと、一作だけ床置きで展示してる作品があってこの展示はめっちゃいいなと。
彼の場合足で描くので、制作中は画面は床置きなわけです。
その制作状態と展示状態が一致してるってのはとても自然なことだと思う。
以前豊田市美術館でイヴ・クラインの作品を床置きしてるのを観たことがあるけれど、本当に素晴らしかった。
ポロックなんかも床置きで観てみたい。
床置き展示、これからも増えるといいな。
それにしても、昔から不思議なんですが、どうして白髪一雄は作品に足跡を残さなかったんだろう。
足で描いてる割に、言われないとわからないんですよね。
もちろん足跡を残すなんてダサいし説明的すぎるんだけど、画面に足の存在が浮き上がってこないのは本当に不思議。
そんなこんな、色んな発見があった展覧会でした。3/22まで。




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