あいちトリエンナーレ2019 ③ 田中功起、小泉明朗



田中功起「抽象・家族」。
僕の中でこの作品は今回のあいちトリエンナーレのベスト作品。
この作品観られただけでも愛知に来た甲斐がありました。
正直田中さんは前の水戸芸術館の展示で相当失望しちゃったし、今回の展示ボイコットもかなり疑問で、それはそのことで最も被害を被るのが観客だからです。
なのに田中さんはそれに追い打ちをかけるような発言をTwitterでしていました。
展示を閉鎖して二週間ぐらいが過ぎたけど、何事もなかったようなRTや感想を目にするたびに不思議に感じる。閉鎖された空間は多いし、それをなかったことにして、いい展覧会だった、と言えるのだろうか。
— 田中功起 koki tanaka (@kktnk) September 18, 2019
この発言を観た時、なんて傲慢なんだろうと思いました。
ただでも観客は「観る機会」を奪われてるのに、そこをさらに責めるの?まじで?
責めるべきは他にたくさんいるだろう。
観客が責められる筋合いはこれっぽっちもないだろう。
と。
エキソニモの発言が個人的には最もしっくりきます。
あいトリの問題でいろいろ考えてるけど、僕らが作品を取り下げたり、変更をしないと決めたのは、作品自体が今回の出来事の核心にある、情報社会と感情の関係に対する警笛のような意味も含んでいて、それを掲げ続ける事が返答になると思うから。作品自体にこそ示されていると信じてる
— Sembo / センボー (@1000b) September 20, 2019
そう、作家なら態度じゃなくて、作品で示せよと思う。
いい作品というのは総じて作家の態度がそのまま作品に反映されてる。
僕は「態度が形になるとき」が観たいんです。
それを「観せない」というのは如何なものかと。
なので最後の最後に皆が展示再開に至ったことは本当に良かった。
そして、もし展示が閉ざされていて、田中さんの作品が観れなかったとしたら、僕の中でこのトリエンナーレの印象は大きく損なわれていたと思う。
それほどに今回の田中さんの作品は素晴らしかった。
あのヴェニスの感動が再び蘇りました。
そう、あの時のタイトルにも「抽象」が入っていました。
田中さんの作品においてこの「抽象」というのが重要な気がします。
以前の水戸の作品はあまりに「具体」すぎました。あれでは田中さんの魅力が発揮できない。
そして今回大きく扱われてるのが「家族」です。
これまで田中さんが描いてきた「関係」の究極という感じがして震えました。
そして実際見事なインスタレーション。
このインスタレーションは三つの映像を軸としています。
この映像には4人の「ハーフ」と呼ばれる人たちが登場して、彼らが共同生活を送りながら、その成果物として4人で抽象画を描いてもらうという過程が映されています。
会場にはその抽象画がたくさん展示されていて、その中を観客が自由に過ごすんですが、この観客たちの開放感がとってもいいんですよね。
流石に展示がうまいなぁと思うんですが、本当に自由度の高い空間に仕上がってる。
映像の前には座り心地のいい椅子が置かれていて、ゆっくり観ることもできるし、映像の間をすり抜けることもできる、非常に緩い空間構成。
全ての行動がここでは肯定されていて、本当に清々しかったし、いつまでもここにいたいと思わせてくれました。
そして映像。
その4人の生い立ちや「ハーフ」だからこそ背負ってきた苦労が共有されていき、まるで家族のように過ごすんですが、もうこの感覚って坂元裕二のドラマ好きには堪らないと思います。
家族も故郷も自分で獲得していくものだと思うんですよね。
血の繋がりだけが家族じゃないし、生まれ育った場所が無条件に故郷になるわけじゃない。
田中功起自身が語る家族観に「たまたまそこに空いてる席があったから座っただけ」みたいな言葉があったけど、もうわかり過ぎて辛い。
自分も親と確執とかほとんどないけど、子供の頃から「たまたま居合わせた他人」以上に思えなくて。
昔「世にも奇妙な物語」でやってた「レンタル家族」って話があって、実は本当の親は物心つく前に事故で死んでて、その遺言と遺産に従って、息子が20歳になるまでの契約で「レンタル家族」を雇って、20歳の誕生日に家に帰ったらバースデーケーキと契約満了の紙が置かれてるっていうめっちゃ怖い話なんだけど、僕はそれを信じちゃったんですよね笑
今もその感覚が消えなくて、大人になったら家族なんて解散するものだと思ってた。
その感覚がまさにこの作品に落とし込まれていて、沁み方がどうしようもなかった。
こんなこと思っててもいいんだ、と肯定してもらえた気がして本当に感動しました。
あとちょうどポール・オースターの「孤独の発明」を読んでいて、そこには彼のお父さんが亡くなった時の話が書かれていて、結局最後までわからない人だったことが延々と綴られるんだけど、本当に家族って近くて遠い他人だよなぁとつくづく思ってしまう。
この作品は本当に色んな広がりがあって、生涯忘れられない作品だと思います。
本当に観られて良かった。
あと、この日は小泉明朗さんの新作「縛られたプロメテウス」を鑑賞しました。
毎回15人程度の定員制で、VRを使った作品。
これは先日無人島プロダクションで見たようなものを想像しいたのだけどちょっと違った。
もう終わったのでネタバレしてしまうけれど、最初の30分はVR装置を装着して、ナレーションを聞きながら抽象的な映像を味わうんだけど、後半はバックヤードみたいなところに移動して、目の前にあるテレビを観ていたらALSの車椅子に乗った男性が現れ、彼がALSになった経緯を話すんだけど、それはさっきまで聞いてたナレーション通りで、そのナレーションは彼の発言をなぞっていただけのことがわかる。
そして、カーテンが開くと、その後に入ったグループがVR装置を付けながら彷徨う様が現れる。
僕らのグループもその前のグループに見られていたというわけ。
僕らは知らない間にパフォーマーになっていたということ、なんだけど、なんか安易だなぁと思ってしまいました。
僕はてっきり無人島で見た「サクリファイス」のようなものを期待していたので、VR体験も普通の不思議体験になっちゃってたし、僕は「サクリファイス」を体験した時に、小泉さんが今まで映像の中で人々にさせていた「憑依」を自然な形で観客にさせてしまったということに衝撃を受け、感動したのだけど、今回はまた今までの小泉さんの作品の領域を出てない感じで少しがっかりでした。
この表と裏みたいなのって前にも森美術館でやってたしね。
とはいえこの作品を体験するために最終日にしたので、そのおかげで全ての再開した作品も観れたので感謝といえば感謝。
今後の小泉さんの作品、期待してます!
つづく。