1968年 激動の時代の芸術 @ 千葉市美術館

千葉・・・馴れない京成線に乗ったら乗り過ごしたりして行き帰り右往左往しつつ到着。
そこまでして観に来たのが「1968年激動の時代の芸術」展。
いっそこの後の巡回先の静岡で観ようかとも思いましたが、やはり観れる時に観ておこうと。
1968年。
パリの五月革命、プラハの春、ベトナム戦争。。。
この年は枚挙に遑がないほど世界中で事件が勃発していました。
戦後、皆が復興し理想郷に向けて走り出したはいいものの、理想郷のメッキが剥がれ始めたのがこの辺りなのでしょう。いわばパラダイムシフトの時期がこの1968年に当たります。
日本では全共闘が大学をバリ封したり、新宿騒乱もこの年にあったり荒れ狂った時代なのです。
この「熱狂」を知らない僕にとって、少し憧れの年でもあります。
もちろん当時にいたらいたで辟易した可能性大だけど、それでも少しは味わってみたかった。
そんな時代の「味見」をさせてもらえるのがこの展覧会です。
実際想像以上にボリューミーで大満足の展覧会でした!!
ちなみに内容的には1968年のみならず、1966年から1970年までの芸術の流れを示しています。
まず初っ端の東松照明や森山大道の白黒写真からやられた。
これは1968年10月21日に勃発した新宿騒乱を捉えた粒子の荒い写真たち。
この時代の新宿は本当に熱かった。
西口には西口広場があり、東口にはグリーンハウス。
花園神社では唐十郎の状況劇場、風月堂は文化人の坩堝。
あぁ、新宿。
今ではすっかり変わってしまったけれど、そんな地霊の息づく新宿が大好きだし、お店をこの地に出したいと思ったのもこれが理由。
歌舞伎町、ゴールデン街、新宿二丁目、紀伊国屋書店。
今だって十分カオスなんだけどね。
ちなみにこの展覧会にはなぜか出てませんでしたが、当時の新宿を知る資料として大島渚の「新宿泥棒日記」(1969) があります。映画としてはどうなのって感じですが、冒頭から唐十郎が出てきたり、主演が横尾忠則だったり(!)、状況劇場や新宿騒乱の様子、当時の紀伊国屋などかつての新宿がたくさん登場します。
それから1969年に公開された松本俊夫の「薔薇の葬列」。
ピーターのデビュー作でも知られますが、何気にゼロ次元や粟津潔も出てきます。
あと脱線だけど、最近三橋順子さんが出した「新宿 「性なる街」の歴史地理」が最高に面白かった!
江戸時代の内藤新宿の様子から新宿遊郭、赤線、新宿二丁目へと移り変わる流れが緻密な調査により浮かび上がってくる名著。新宿好きにはたまらない一冊です!
ちなみに前述の「薔薇の葬列」に出てくるバーの名前が「ジュネ」で、三橋先生が昔働いておられたお店もジュネなんだけどたまたまかな?

閑話休題。
それにしてもこの時代の日本のカルチャーは凄まじい。
美術にはハイレッドセンターがいたし、デザインには粟津潔に横尾忠則、演劇には唐十郎に寺山修司、文学には三島由紀夫に安部公房がいて、建築は磯崎新らメタボリズム運動真っ只中。
美術批評も瀧口修造もいれば御三家(中原佑介、針生一郎、東野芳明)がいて、石子順造や宮川淳まで。
さらにこれらの人たちがジャンルを横断しながらコラボしまくっていた時代。
椹木野衣は各ジャンルの未熟さ(悪い場所)故というけれど、とは言えこの交配は刺激的。
「空間から環境へ」(1966)、「トリックス・アンド・ヴィジョン」(1968)、「人間と物質」(1970)等伝説的展覧会も開催。
他にも読売アンデパンダン、千円札裁判に美共闘など、国家(社会)と美術が繋がっていた時代。(好む好まざる関わらず)
本当にこの時代に生まれてなかったのが悔やまれる。
とは言え、こうして後から客観的に見ることでまとまってるけど実際はもっとカオスだったんだろうなぁ。
このカオスは1970年の万博で終わってしまいます。
前衛を葬り去った万博。
しかしこの万博さえも、やはりこの「熱狂」の頂点として今から見れば美しいのです。
実際この万博は言わずもがな国家総動員で練り上げた壮大な祭であり、そこには岡本太郎に丹下健三、実験工房に具体他一流の芸術家までも動員され、この時代の極点として相応しい祭典となりました。行きたかったなぁ。。。
そんな中、前衛外に現れたのが「もの派」。
1968年の10月、神戸須磨離宮公園現代彫刻展で、関根伸夫が「位相ー大地」を発表したことをきっかけに、ものそのもの、手の否定を主軸にした作品が増殖します。
これらが万博後も隆盛を極めたのは、皮肉なことに美術というジャンル内に留まったことが大きいのかもしれません。
「前衛」は、その言葉通り、社会や国家に対してのカウンターたる使命を帯びているのに対して、もの派にはそういう十字架がないのです。
ここから美術は、他ジャンルとあまり交わることなく独立化していくのですが、やっぱり刺激が足りない。。。
こうして展覧会を一望していて思うのが二人の人物の絶大なる存在感。
赤瀬川原平と高松次郎です。
最初から最後まで必ず登場する二人はやっぱり他の作家とは一線を画しているように思います。
赤瀬川さんは一人インターメディアやっちゃってるのでまさに「前衛」を体現するような人ですが、高松さんはずーーっと美術をやってるのがすごい。ハイレッドセンターは確かに赤瀬川色が強いけれど、読売アンデパンダンから影の絵画まで、ひたすら「虚」と向かい合って制作してる姿がかっこよすぎる。長生きしてたらどうなってんたんだろうと想像せずにはいられません。展覧会途中に出てくる自身が壁画を担当した新宿二丁目にあった「サパークラブ・カッサドール」でグラス片手にソファーに腰掛ける高松さんがイケメンすぎます!
そんなこんなで本当に素晴らしい展覧会でした。
千葉市美術館での展示は終わってしまいましたが、今後北九州市美術館(2018.12.01-2019.01.27)と静岡県立美術館(2019.02.10-03.24)に巡回するのでまだの方は是非!
ちなみに静岡では来年1月5日から「起点としての80年代」展も静岡市美術館でやるのでセットで観るのがいいかと。僕は年明けにこっちだけでも観に行けたらなという感じ。
カタログも2000円で凄まじいボリューム。資料的価値はもちろん冒頭の水沼啓和氏の文章や、ゼロ次元やハイレッドセンターの記録写真でも知られる羽永光利氏のご子息羽永太郎さんの文章もグッときます。
惜しむらくは英語訳がないこと。。。英語はやっぱり必要です。

ところで、この展示でもキーパーソンになってた赤瀬川原平の未発表作品が国分寺にある丘の上APT/兒嶋画廊というところで12月9日まで開催中です。
ここ、よく知らなかったんですが、元々洋画家の児島善三郎氏のアトリエ跡地に建てられたそうで、建築家は赤瀬川さんとも所縁の深い藤森照信氏。
住宅地の中に突然現れる様子のおかしい建物笑
展覧会の内容は、1971年に限定200部だけ出版した本「あいまいな海」の原画が展示されてます。
赤瀬川さんってすごく不思議で、彼の作るものってどこかオリジナリティを避けてる感があって、実際作品見てもピンとこないんですよね。
そもそも「千円札」の頃からも、「模型作り」と言っていたように、トマソンにせよカメラのデッサンにせよ、ひたすら何かを模してる印象。
今回の原画も、1968年展に出てた漫画もどこかで見たことあるようなタッチ。
内容としては確かに赤瀬川原平なんだけど、パッと見て赤瀬川さんと言えるタッチって中々ない気がする。
とはいえ場所としてもとても気持ちいいしオススメです。こちら。




その他の展示。
「田根剛 未来の記憶」@ オペラシティギャラリー
今最も注目されてる建築家といっても過言ではないけれど、どうも好きになれない建築家…前半にあるエストニア博物館の藤井光による映像見てたらわかるけど、内部が綺麗すぎる。考古学といいながら、それが反映されてるのはせいぜい外部のみで内部に及んでいない。
主観主義写真における後藤敬一郎 @ スタジオ35分
この写真ギャラリーは隣にバーも併設されててとっても好きな場所。特に主観主義写真の再発見に力を入れてて、今回もその一環。主観主義写真は主に50年代に起こった写真の動きなんだけど、あまり顧みられることもなくきてしまっていて、実際当時のフィルムがなくなってたりして、再評価されるのは急務。今後美術館での展示やまとまった写真集の出版など動きが気になるところです。
川辺ナホ『Save for the Noon / 昼のために』 @ WAITINGROOM
元々川辺さんの作品って政治的だったっけ?って思うほど今回は政治的。
ベルリンの壁の崩壊以前の東西ドイツの話が背景にあるみたい。
とはいえ見た目がポップなので見ただけではわからないかも。その背景必要なのかな?
加納俊輔「ピンク・シャドウ」@ Maki Fine Arts
単調な展示。それを目指してるとは思うけどもう数シリーズ欲しかった。
齋木克裕|朝食の前に夢を語るように @ Sprout Curation
すいません、何のこっちゃわからず感想すら出ません。。。
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