「自画像の思想史」 by 木下長宏

久々の本の紹介です。
木下長宏氏による「自画像の思想史」。
以前から自画像という存在が気になっていて、もう興味ドンピシャな本で一気に読んじゃいました。
木下氏は近年ゴッホ、ミケランジェロ、岡倉覺三と、一人一人の個人史をあくまで彼らの作品を通して丁寧に再発見していくような仕事を立て続けに発表してらっしゃったけど、僕は個人的にこういう全体的な大きな歴史を取り扱った作品が好き。木下氏としては2009年に発表された「美を生きるための26章」以来ですね。
続きは以下。長いです。
冒頭に現れるのは、自画像を語る上でやっぱり欠かせないナルキッソスです。
水面に映る自分を美しい他者として認識するナルキッソスと、鏡に映った自分を他者として描く画家。
しかしそこには大きな落とし穴が潜んでいる。
それは自分を他者として認識することは決してできないという不可能性。
自画像は<自分>を<他者>として眺めるところからしか始められない。しかし、人間は、自分の顔を、他人の顔を見るように直接見ることはできない。他人の顔を見るようには見えない<他者>の顔が鏡に映った<自分>の顔なのである。そこでナルキッソスの錯誤も起こる。<他人>ではない<他者>たる<自分>。しかし<他者>である限り<自分>ではない存在。<他人>も<他者>として現れているが、ナルキッソスが恋した<他者>は<他人>ではなかった。<他者>はいろいろな現れかたをする。そして<自分>のことを考えようとするときには、自分を<他者>に対象化しなければならない。これは、人間の思考の根本にある意識の原理(はたらき)である。自画像は、そういう人間が人間として生きていくために働かなせる根源的な意識と繋がった絵画表現なのだ。
長々と引用してしまいましたが、まさにこれは重要な指摘ですね。
幽体離脱でもしない限り、完璧に他者として自分を外から眺めることは不可能であるということ。
それでも最も近しいであるはずの自分をもっと知りたいという欲求が自画像を描かせてるのかもしれません。
ドンキホーテよろしく、勝てないはずの大きな相手に果敢に勝負を挑んでしまう人間の性のようなものは特に芸術というものに現れている気がして、そういう芸術を通して人間の摂理のようなものが透けて見えると思うんです。
まさにこの本はそこを的確に描いていて本当に面白い。
木下氏は、この人類が挑んてきた<芸術知>とも呼べるその歴史を三段階に分けて説明しています。
古代=「自画像以前の時代」
近代=「自画像の時代」
現代=「自画像以降の時代」
さらにヨーロッパにおける自画像の展開を木下氏は12の段階に分けています。
[-2] 顔の造形に無関心(古代)
[-1] 肖像・人体をなぞる(古代)
[1] 署名代わりの自画像登場(近代)
[2] 横顔の自画像を描くようになる(近代)
[3] 鏡像/胸像の自画像を描くようになる(近代)
[4] 自己証明としての自画像を描く(確信として)(近代)
[5] 自己証明としての自画像を描き続ける(懐疑の眼の下)(近代)
[6] 仮装する自己像を描く(近代)
[7] 自己探求としての自画像を描く(近代)
[8] 鏡像否定の自画像を描く(現代)
[9] 自己拡散・自己分裂を描く(現代)
[10] 自画像を無意味と考える自画像を描く(現代)
まず古代の代表的な作品はというとやはりラスコー。
ラスコーといえば、躍動感溢れる馬やバッファローのイメージがありますが、そこには人も描かれています。
ただし、馬などに比べると人は相当簡略化されて描かれています。
そこには顔の表情というものはありません。
ラスコーだけでなく、エジプトの壁画や日本の土偶など、そこには個人を表すような特徴ある顔は表現されてません。
木下氏は、古代というのは<自分>を<他者>と調和させていた時代だと言います。
つまりそこには普遍的な顔立ちというものがあり、それさえ描かれていれば個人差などというものはさして問題ではなかったということです。
そしてこの時代が人類史において長く続きます。
この古代では技術(ギリシャのtechne)と芸術(ローマのars)が分けて考えられていませんでした。
未分化であるということが古代の大きな特徴です。
日本語の「わかる」という言葉は「解る」「別る」「分かる」「判る」などと書きますが、これは全て動物を切り分ける行為を表していて、東アジアの漢字文化では「分解すること」がわかるということ。
ヨーロッパでは、例えばフランス語だと「わかる」はconprendreで、conは「共通」を意味して、prendreは「取る」を意味します。
東アジアでは「解体すること」、ヨーロッパでは「共に取る」ことが「わかる」の語源ですが、共に「分ける」ことが共通しています。つまり「わかる」=「わける」ことが近代の出発点だということが言葉からも見えてきます。
表現の話だけでいえば、例えば叙事詩が詩と物語に分かれ、詩は歌と分かれ、物語はフィクションとノンフィクションに分かれていくといった具合。
そこで自画像も個人差が分かれる時代、つまり「自画像の時代」に突入します。
「自画像の時代」とは具体的に西洋では15世紀から16世紀のルネサンスに始まります。
それまで他者とは神や自然を指していたものが、宗教改革を経てあらゆる価値観が揺らいだ時代。
それまで建築の一部としてでしかなかった絵画が、絵具技術の発達などにより、タブローといった持ち運び可能な作品へと変化していきます。
タブローは壁画などと違って、公共性よりも個人性の強いものです。
そこに画家たちはより個人的な「世界」を反映していくのは自然の成り行きかもしれません。
「世界」はただそこにあるものではなく、人間が掌握していくものへと変化していきます。
画家たちはそれをタブローにすることで「世界」を掌握していったのです。
そして画家はその画面の中であらゆる自由を手にします。
古代の人々が求めたのは「幸福」であり、近代の人々が求めたのは「自由」。
「幸福」は他者から与えられるものですが、「自由」は自分から求めなければなりません。
このことがさらに「人間の本質とはなにか」という問いにつながっていきます。
「本質」を神から与えられた時代は終わり、理性で獲得しなければいけない時代に突入したのです。
自画像はまさにその「本質」の追求にうってつけの画題だったのかもしれません。
そしてその時代になってようやく名前を持った「天才」たちが現れ始めます。
まずはデューラー。特に1500年に描かれた自画像は、真正面を向き威風堂々としています。
画家であることが神の思し召しであるかのような自信に満ち満ちた姿。
それに対してダ・ヴィンチは鏡に映った自分をつぶさに観察する科学者のような態度で自身を描いています。
「これは<私>という一人の人間だ」、the manだという態度で描いています。
さらに進むとレンブラントは、「これは<私>だが、どこにでもいる一人の人間だ」、a manだという態度で描きます。
さらにさらに時代は進み、20世紀にもなると、主体と客体との関係に亀裂が入り(印象派)、主体は分裂し(セザンヌ)、ついに亀裂の入った関係しか取れない客体自身が分解せざるをえなくなる(立体派)という段階まで進みます。
自画像を描くというのがほとんど困難な時代、現代に突入するのです。
実際カンディンスキーなんかは一枚の自画像も描いていないと言います。
写真の登場も画家たちに自画像を描くモチベーションを確実に削ぎ取りました。
絵画が世界の再現だった時代は終わり、心に映った幻想こそが絵画のリアルになっていきます。
現代はその「純粋」さこそが大きな価値を持つ時代なのです。
その極北がミニマリズムだと木下氏も言います。もはや作者としての主体すら消え失せます。
一見これは、作者というものがアノニマスであった古代への先祖帰りのようにも思えますが、自画像を描く必然性を持たなかった<古代>と、持てなくなった<現代>では、その落差は途方もなく大きいのです。
本の中ではこの次に日本の自画像が来ますが、この流れでその次のさらなるヨーロッパ自画像の三つの系について。
三つの系とは、自画像の時代に突入した時代に、もっとも特徴的な自画像を描いた三人の画家にちなみ、それぞれ<デューラー系(D系)>、<レオナルド系(L系)>、<ミケランジェロ系(M系)>に分けられます。
<D系>の自画像は、すべてを<自己>から見つめ考える「独我論」に基づくもの。
<L系>は懐疑的に<自己>を見つめ、観察する醒めた目を持った自画像。
<M系>は<他者>になりきることで<自己>を見つめる離れた目を持つ自画像。
このM系は後に出てくる日本の自画像文化にも共通する部分があるかもしれません。
ただ、日本のそれと大きく違うのは、日本の場合、<自己>と<他者>を一致させて演じ、自分の目を一旦<他者>に預けてしまうのだけど、実際は<他者>になりきったまま、<他者>の眼で<自分>を見て楽しんでいるのです。
一方M系は、<他者>になったとしても、自分を完全に<他者>に預けることはせず、あくまで<自分>の位置から<他者>を処理していて、決して<自分>を捨てることはありません。
しかしミケランジェロの場合は、その瀬戸際まで行ってて、システィーナ礼拝堂の「最後の審判」でのあの剥がれた皮に扮していると言われている彼の自画像は、そこに<自分>がいるんだろうかと思えるほど空っぽな自画像なのです。
この章ではいろんな作家をこの三つの系に振り分けていくんだけど、さすがにそこは乱暴な気がしたので割愛。
この本の醍醐味は、さらに東アジア、特に日本の自画像の歴史を追っているところ。
日本の自画像?と思うかもしれないけど、実は結構あるらしい。
ヨーロッパとの大きな違いは、何と言っても<古代>が長いこと。西洋の文化が到来する江戸末期の19世紀までその時代は続きます。
<古代>の絵画表現において、最も大事なことは、描かれる対象の<図>の奥・背後に隠れている<神(しん)>を描き出すこと。
<神>を描くためには、現実の生ま生ましい表情を写し取ってはならず、むしろ顔に仮面を着せる必要がありました。
<仮面>は<影(えい)>と呼ばれ、人々の分身としての<影>は、すなわち<神=魂(こん)>を引き連れている存在として尊重されていたそうです。
形のあるものは移ろいますが、影には形がなく、夜ともなれば闇とも同化し、異界(死の国)に通じていると考えられていました。
高貴な人びとの肖像を<御影(みえい)>と呼ぶようになりますが、それは肖像画がその人物の<聖なる>姿(異界に生きる姿)を写したものであると考えられていたからだそうです。
<影>は<神>と渾然一体となって、さらには人びとの<心>も映し出していたのです。
ここで日本の自画像の展開に行く前に、そもそも前提が違うという話を。
ヨーロッパの芸術の歴史は、いかに対象を客体化し、どうアウトプットしたかの<表現>の結果です。
対して、日本や東アジアのそれは、対象といかにコンタクトを取り合ってきたかの<扱いかた>の結果。
画家とモチーフの関係が一方的ではなく、モチーフからも見つめられているという意識です。
物の<心/神>に応じる、古代中国にある「画の六法」中にある第三の法<応物象形>。
仏師が、木の中から仏を掬い出すと言った表現をしますが、まさにそれですね。
その<応物象形>に図らずも通じたヨーロッパの巨匠がミケランジェロかもしれません。
彼も石の中の像を「掘り出す」という表現を使っていますね。
日本の自画像を<わける>とヨーロッパのそれとは大きく違います。
まず、6つの類型と6つの系統に木下氏は分けます。
類型には、まず「群像」と「単独像」があり、その下に「落款思考」・「寿像」・「見立て」・「現在像」が来ます。
系統には、「供養者像系」・「御影系」・「見立絵系」があり、その下に「頂相系」・「歌仙系」・「俳画系」。
この中でも日本では「見立」が重要なキーワードになります。
ヨーロッパにも群像に紛れさせて自身を描く「見立」に近いスタイルはあるにはあったけれど、そこには確実に作者だとわかるサインがありました。(一人だけ画面の外を見てるなど)
しかし日本のそれは非常にわかりにくいのです。なぜなら日本の見立てはあくまで<遊び>であり、そこに作者性を主張することは野暮になり<遊び>にならない。だから現代の私たちは、それが作者だと推測することしかできなくて、記述に重きを置く美術史の方法ではそれらの<遊び>はポロポロとこぼれ落としてしまうという結果になってしまうのです。
中でもその<遊び>の名人はなんと言っても北斎。
自身をここまで戯画化して遊び尽くした人は古今東西中々お目にかかれないかもしれません。
あの西洋の真面目くさった態度とは180度違う、本当にふざけた自画像群。
本にもたくさんの北斎の図像が載ってますが、本当にすごい人です。
この何かに「見立て」て描くという行為は、西洋の寓意画に似ている点もありますが、決定的に違うのは、後者が観る者に対してメッセージがあるのに対して、日本の見立てにはそれがなく、画面にあるものが全てであるという点。
寓意画において、<他者>になりきってる<自己>はどこまで言っても<自己>。
見立絵の<他者>はそのまま<他者>になりきっていて、<自己>という主体は柔らかく消去されている。
その絵を見る側もその<遊び>を知っていて見ているという、とても洒落た関係が築かれているのです。
戯画化するということ、<自分>を茶化すということは、<自分>を<他者>の眼で観るということであり、<自己>を<客観>化しているということである。しかし、江戸中期の日本列島の知識人は、同時代の西ヨーロッパの人たちのように、<自己>を合理的理性的な論理で<他者>に仕立てようとしない。<自己>と<他者=自己を取り巻く世界>とつねに<調和>関係にあろうとする≪古代≫的感覚を大切にしながら、<自分>を見直そうとするのである。<自分>自身を<茶化し><笑い飛ばす>というのは、<自分>と<他者>の関係を論理的分析的には徹底して追い詰めないが、しかし、きちんと<他者>として扱っていくという姿勢である。そこでつねに<遊び>を忘れないことでもある。
論理で追い詰めることをしない分、感情的に(人情として)は、優しい関係を保っている。≪古代≫的調和意識が遺っている所以でもある。そして<遊び>であるという心構えによって、<自分>と<他者=世界>の関係のとりかたにいつも余裕が保たれる。
さらに日本の自画像には背姿の自画像もいくつかあります。
木下氏はそこに世阿弥の説いた「離見の見」を見るのです。
それは、「目を前に見て心を後に置け」という教えです。
昔の日本人にはこの大きな目を持っていたんですね。
自分を他者に見立てて、その目を使って世界を見て、まだ自分に戻ってくる。
日本の俳句には「わたし」や「我」という字は全く登場しません。
それは、誰もが「わたし」になれるし、どんなものにでも「わたし」は変化できるという思想が反映されているのかもしれません。
しかしそんな目は、明治以降の西洋化の波によって一気に失われていきます。
1887年、国立美術学校がアーネスト・フェノロサと岡田覚三によって開校し、その後1896年に西洋画科が開設。フランス帰りの黒田清輝と久米桂一郎が教授に就任し、1903年から卒業制作に自画像の提出が義務化されます。
その後一時期の中断を挟んで現在も継続してこの課題はで続けてるそうな。
西洋の「自画像の時代」がそのまま日本にやってきました。
そんなお仕着せのような自画像がいきなり開花するはずもなく、この時期に描かれた自画像の多くは、ただ西洋のモノマネか、一線を越えられない駄作ばかりです。
それまで日本人が大切にしてきた<遊び>はすっかり忘れ去られ、クソ真面目でつまらない自画像が増殖します。
日本の自画像が再び息を吹き返すのは戦後の前衛美術を待たなければなりません。
例えばこの本で挙げられているのは中村正義と柏原えつとむ。
特に柏原は近代的自我によって支えられた<私>というものを徹底的に否定します。
「Mr.Xとは何か?」という作品では、柏原、前川、小泉の三人がそれぞれ自分の写真を用意し、それを数値化し平均化することで同じような顔が出来上がり、その第四の顔を「Mr.X」と名付け、三人が別々に同じ作品を自分の作品として出品するのです。
こういったラディカルな問いかけは、自画像を無意味化させるカウンターになりました。
その後、さらに江戸に根付いた<遊び>を復活させたのが森村泰昌と言えるかもしれません。
彼は西洋美術の作品になりきることで、自身を戯画化させ茶化して作品にしていきます。
ただ、彼の場合、皮肉にも世界に認められたことで、D系の独我論をその作品から感じざるを得ません。
自分がなりきることによってその絵が再び蘇るといった自信が鼻についてしまいます。
エピローグの章ではまず「ナルキッソスの呪い」が語られます。
<自画像>は、結局のところ<他者>となる<自分>の肖像なのだが、<他者>になってしまって<自己>には戻れない存在なのに、いっぽうそうかんたんに<自分>から離れてはくれない。それはどこまでも、絵画という枠のなかでの<他者>だからだ。<絵画>という枠のなかでしかいきられない<他なる自我>。それは、身体を持った他者(他人)としては決して現れない<自分>である。そこで、その枠のなかで、その<他なる自己>を水仙(美的像=美術作品)に仕上げたいと願うのが、自画像を作る者と観る者がそれぞれに持つ願い(自画像に対する欲望)である。しかも<水仙>への願いは、作る者と観る者とのあいだで決して一致しない。<自画像>ほどそれを制作した者とそれを観る者とのあいだに距離がある「絵画」はない、と言ってもいい。
この章にはたくさんの美しい文章が登場しますが、とりあえず上に挙げたこの部分は特に自画像というものの本質を掴んでいると思います。
自画像を観る時に感じるなんとも言えない哀愁は、この不可能性に依っているのかもしれません。
そして現代の私たちは、この「何にもなれない私」を受け入れていくことしかできないんじゃないでしょうか。
(現代は)「自分探し」のような方法で、喪われた<自己>を取り戻すことも虚構でしかない。<自分>を探そうとしても、みつけたつもりの<自己>は、たちまち虚構の<自分>に変換し裏切られ続けるしかない。むしろ、絶えざる様々な<他者>となっていくその変わりように眼を配り、<他者>となった<自分>と<他者>の<関係>を確かめていくことこそ、大切な作業となるだろう。<自分>が誰であるかを問うことは、<自分>が<他者>に見られ聞かれていることのなかに現れることを知ることにほかならない。
どこまで言っても辿り着けない<自分>という存在。
この「ナルキッソスの呪い」を解く鍵は、もう一つの絵画の起源とも呼ばれている、プリニウスの「博物誌」に出てくる影の物語にヒントがあるのではと木下氏は言います。
一人の娘が愛する人の旅立ちを悲しんで、その影をなぞって描いて、それを愛撫したという話。
これが絵画のもう一つの起源と言われているのです。
以前の日本人が、影を見つめ神を呼び出したように、僕たちはまた影を見つめなおさなければならないのではないでしょうか。
奇しくも先日村上春樹がアンデルセン文学賞を受賞し、そのスピーチで影について話しました。
「僕自身は小説を書くとき、物語の暗いトンネルを通りながら、まったく思いもしない僕自身の幻と出会います。それは僕自身の影に違いない。
そこで僕に必要とされるのは、この影をできるだけ正確に、正直に描くことです。影から逃げることなく。論理的に分析することなく。そうではなくて、僕自身の一部としてそれを受け入れる。
でも、それは影の力に屈することではない。人としてのアイデンティティを失うことなく、影を受け入れ、自分の一部の何かのように、内部に取り込まなければならない。
読み手とともに、この過程を経験する。そしてこの感覚を彼らと共有する。これが小説家にとって決定的に重要な役割です。
(中略)
自らの影に対峙しなくてはならないのは、個々人だけではありません。社会や国にも必要な行為です。ちょうど、すべての人に影があるように、どんな社会や国にも影があります。
明るく輝く面があれば、例外なく、拮抗する暗い面があるでしょう。ポジティブなことがあれば、反対側にネガティブなことが必ずあるでしょう。
ときには、影、こうしたネガティブな部分から目をそむけがちです。あるいは、こうした面を無理やり取り除こうとしがちです。というのも、人は自らの暗い側面、ネガティブな性質を見つめることをできるだけ避けたいからです。
影を排除してしまえば、薄っぺらな幻想しか残りません。影をつくらない光は本物の光ではありません。
侵入者たちを締め出そうとどんなに高い壁を作ろうとも、よそ者たちをどんなに厳しく排除しようとも、自らに合うように歴史をどんなに書き換えようとも、僕たち自身を傷つけ、苦しませるだけです。
自らの影とともに生きることを辛抱強く学ばねばなりません。そして内に宿る暗闇を注意深く観察しなければなりません。ときには、暗いトンネルで、自らの暗い面と対決しなければならない。
そうしなければ、やがて、影はとても強大になり、ある夜、戻ってきて、あなたの家の扉をノックするでしょう。「帰ってきたよ」とささやくでしょう。」
長々と引用しましたが、今の時代はあまりに光に照らされすぎてる気がします。
言うまでもなく、インターネットの情報は、今まで知る由もなかったことまで明るみに出しました。
SNSの繁栄は、個人の営みをこれでもかと晒しすぎてる気がして僕は全くやっていません。
そこまで見えなくてもいいのにと言う思いが常にあって、影が足りない時代だと個人的に思います。
日本の「鏡」の語源は「影見」と言う説があります。
日本人は影に真実を見て、それを描写しようと試みました。
その心を個人個人で少しずつ取り戻せればなと思います。
長くなりましたが、この本を通して色んな思いを思い出すことができました。
またストイキツァの「影の歴史」も再読したくなっちゃった。
自画像から、現代の生き方を逆照射できるとても充実した一冊だと思います。
合わせてタッシェンから出てる「500の自画像」という本も図像をカラーで見るのにオススメです。
水面に映る自分を美しい他者として認識するナルキッソスと、鏡に映った自分を他者として描く画家。
しかしそこには大きな落とし穴が潜んでいる。
それは自分を他者として認識することは決してできないという不可能性。
自画像は<自分>を<他者>として眺めるところからしか始められない。しかし、人間は、自分の顔を、他人の顔を見るように直接見ることはできない。他人の顔を見るようには見えない<他者>の顔が鏡に映った<自分>の顔なのである。そこでナルキッソスの錯誤も起こる。<他人>ではない<他者>たる<自分>。しかし<他者>である限り<自分>ではない存在。<他人>も<他者>として現れているが、ナルキッソスが恋した<他者>は<他人>ではなかった。<他者>はいろいろな現れかたをする。そして<自分>のことを考えようとするときには、自分を<他者>に対象化しなければならない。これは、人間の思考の根本にある意識の原理(はたらき)である。自画像は、そういう人間が人間として生きていくために働かなせる根源的な意識と繋がった絵画表現なのだ。
長々と引用してしまいましたが、まさにこれは重要な指摘ですね。
幽体離脱でもしない限り、完璧に他者として自分を外から眺めることは不可能であるということ。
それでも最も近しいであるはずの自分をもっと知りたいという欲求が自画像を描かせてるのかもしれません。
ドンキホーテよろしく、勝てないはずの大きな相手に果敢に勝負を挑んでしまう人間の性のようなものは特に芸術というものに現れている気がして、そういう芸術を通して人間の摂理のようなものが透けて見えると思うんです。
まさにこの本はそこを的確に描いていて本当に面白い。
木下氏は、この人類が挑んてきた<芸術知>とも呼べるその歴史を三段階に分けて説明しています。
古代=「自画像以前の時代」
近代=「自画像の時代」
現代=「自画像以降の時代」
さらにヨーロッパにおける自画像の展開を木下氏は12の段階に分けています。
[-2] 顔の造形に無関心(古代)
[-1] 肖像・人体をなぞる(古代)
[1] 署名代わりの自画像登場(近代)
[2] 横顔の自画像を描くようになる(近代)
[3] 鏡像/胸像の自画像を描くようになる(近代)
[4] 自己証明としての自画像を描く(確信として)(近代)
[5] 自己証明としての自画像を描き続ける(懐疑の眼の下)(近代)
[6] 仮装する自己像を描く(近代)
[7] 自己探求としての自画像を描く(近代)
[8] 鏡像否定の自画像を描く(現代)
[9] 自己拡散・自己分裂を描く(現代)
[10] 自画像を無意味と考える自画像を描く(現代)
まず古代の代表的な作品はというとやはりラスコー。
ラスコーといえば、躍動感溢れる馬やバッファローのイメージがありますが、そこには人も描かれています。
ただし、馬などに比べると人は相当簡略化されて描かれています。
そこには顔の表情というものはありません。
ラスコーだけでなく、エジプトの壁画や日本の土偶など、そこには個人を表すような特徴ある顔は表現されてません。
木下氏は、古代というのは<自分>を<他者>と調和させていた時代だと言います。
つまりそこには普遍的な顔立ちというものがあり、それさえ描かれていれば個人差などというものはさして問題ではなかったということです。
そしてこの時代が人類史において長く続きます。
この古代では技術(ギリシャのtechne)と芸術(ローマのars)が分けて考えられていませんでした。
未分化であるということが古代の大きな特徴です。
日本語の「わかる」という言葉は「解る」「別る」「分かる」「判る」などと書きますが、これは全て動物を切り分ける行為を表していて、東アジアの漢字文化では「分解すること」がわかるということ。
ヨーロッパでは、例えばフランス語だと「わかる」はconprendreで、conは「共通」を意味して、prendreは「取る」を意味します。
東アジアでは「解体すること」、ヨーロッパでは「共に取る」ことが「わかる」の語源ですが、共に「分ける」ことが共通しています。つまり「わかる」=「わける」ことが近代の出発点だということが言葉からも見えてきます。
表現の話だけでいえば、例えば叙事詩が詩と物語に分かれ、詩は歌と分かれ、物語はフィクションとノンフィクションに分かれていくといった具合。
そこで自画像も個人差が分かれる時代、つまり「自画像の時代」に突入します。
「自画像の時代」とは具体的に西洋では15世紀から16世紀のルネサンスに始まります。
それまで他者とは神や自然を指していたものが、宗教改革を経てあらゆる価値観が揺らいだ時代。
それまで建築の一部としてでしかなかった絵画が、絵具技術の発達などにより、タブローといった持ち運び可能な作品へと変化していきます。
タブローは壁画などと違って、公共性よりも個人性の強いものです。
そこに画家たちはより個人的な「世界」を反映していくのは自然の成り行きかもしれません。
「世界」はただそこにあるものではなく、人間が掌握していくものへと変化していきます。
画家たちはそれをタブローにすることで「世界」を掌握していったのです。
そして画家はその画面の中であらゆる自由を手にします。
古代の人々が求めたのは「幸福」であり、近代の人々が求めたのは「自由」。
「幸福」は他者から与えられるものですが、「自由」は自分から求めなければなりません。
このことがさらに「人間の本質とはなにか」という問いにつながっていきます。
「本質」を神から与えられた時代は終わり、理性で獲得しなければいけない時代に突入したのです。
自画像はまさにその「本質」の追求にうってつけの画題だったのかもしれません。
そしてその時代になってようやく名前を持った「天才」たちが現れ始めます。
まずはデューラー。特に1500年に描かれた自画像は、真正面を向き威風堂々としています。
画家であることが神の思し召しであるかのような自信に満ち満ちた姿。
それに対してダ・ヴィンチは鏡に映った自分をつぶさに観察する科学者のような態度で自身を描いています。
「これは<私>という一人の人間だ」、the manだという態度で描いています。
さらに進むとレンブラントは、「これは<私>だが、どこにでもいる一人の人間だ」、a manだという態度で描きます。
さらにさらに時代は進み、20世紀にもなると、主体と客体との関係に亀裂が入り(印象派)、主体は分裂し(セザンヌ)、ついに亀裂の入った関係しか取れない客体自身が分解せざるをえなくなる(立体派)という段階まで進みます。
自画像を描くというのがほとんど困難な時代、現代に突入するのです。
実際カンディンスキーなんかは一枚の自画像も描いていないと言います。
写真の登場も画家たちに自画像を描くモチベーションを確実に削ぎ取りました。
絵画が世界の再現だった時代は終わり、心に映った幻想こそが絵画のリアルになっていきます。
現代はその「純粋」さこそが大きな価値を持つ時代なのです。
その極北がミニマリズムだと木下氏も言います。もはや作者としての主体すら消え失せます。
一見これは、作者というものがアノニマスであった古代への先祖帰りのようにも思えますが、自画像を描く必然性を持たなかった<古代>と、持てなくなった<現代>では、その落差は途方もなく大きいのです。
本の中ではこの次に日本の自画像が来ますが、この流れでその次のさらなるヨーロッパ自画像の三つの系について。
三つの系とは、自画像の時代に突入した時代に、もっとも特徴的な自画像を描いた三人の画家にちなみ、それぞれ<デューラー系(D系)>、<レオナルド系(L系)>、<ミケランジェロ系(M系)>に分けられます。
<D系>の自画像は、すべてを<自己>から見つめ考える「独我論」に基づくもの。
<L系>は懐疑的に<自己>を見つめ、観察する醒めた目を持った自画像。
<M系>は<他者>になりきることで<自己>を見つめる離れた目を持つ自画像。
このM系は後に出てくる日本の自画像文化にも共通する部分があるかもしれません。
ただ、日本のそれと大きく違うのは、日本の場合、<自己>と<他者>を一致させて演じ、自分の目を一旦<他者>に預けてしまうのだけど、実際は<他者>になりきったまま、<他者>の眼で<自分>を見て楽しんでいるのです。
一方M系は、<他者>になったとしても、自分を完全に<他者>に預けることはせず、あくまで<自分>の位置から<他者>を処理していて、決して<自分>を捨てることはありません。
しかしミケランジェロの場合は、その瀬戸際まで行ってて、システィーナ礼拝堂の「最後の審判」でのあの剥がれた皮に扮していると言われている彼の自画像は、そこに<自分>がいるんだろうかと思えるほど空っぽな自画像なのです。
この章ではいろんな作家をこの三つの系に振り分けていくんだけど、さすがにそこは乱暴な気がしたので割愛。
この本の醍醐味は、さらに東アジア、特に日本の自画像の歴史を追っているところ。
日本の自画像?と思うかもしれないけど、実は結構あるらしい。
ヨーロッパとの大きな違いは、何と言っても<古代>が長いこと。西洋の文化が到来する江戸末期の19世紀までその時代は続きます。
<古代>の絵画表現において、最も大事なことは、描かれる対象の<図>の奥・背後に隠れている<神(しん)>を描き出すこと。
<神>を描くためには、現実の生ま生ましい表情を写し取ってはならず、むしろ顔に仮面を着せる必要がありました。
<仮面>は<影(えい)>と呼ばれ、人々の分身としての<影>は、すなわち<神=魂(こん)>を引き連れている存在として尊重されていたそうです。
形のあるものは移ろいますが、影には形がなく、夜ともなれば闇とも同化し、異界(死の国)に通じていると考えられていました。
高貴な人びとの肖像を<御影(みえい)>と呼ぶようになりますが、それは肖像画がその人物の<聖なる>姿(異界に生きる姿)を写したものであると考えられていたからだそうです。
<影>は<神>と渾然一体となって、さらには人びとの<心>も映し出していたのです。
ここで日本の自画像の展開に行く前に、そもそも前提が違うという話を。
ヨーロッパの芸術の歴史は、いかに対象を客体化し、どうアウトプットしたかの<表現>の結果です。
対して、日本や東アジアのそれは、対象といかにコンタクトを取り合ってきたかの<扱いかた>の結果。
画家とモチーフの関係が一方的ではなく、モチーフからも見つめられているという意識です。
物の<心/神>に応じる、古代中国にある「画の六法」中にある第三の法<応物象形>。
仏師が、木の中から仏を掬い出すと言った表現をしますが、まさにそれですね。
その<応物象形>に図らずも通じたヨーロッパの巨匠がミケランジェロかもしれません。
彼も石の中の像を「掘り出す」という表現を使っていますね。
日本の自画像を<わける>とヨーロッパのそれとは大きく違います。
まず、6つの類型と6つの系統に木下氏は分けます。
類型には、まず「群像」と「単独像」があり、その下に「落款思考」・「寿像」・「見立て」・「現在像」が来ます。
系統には、「供養者像系」・「御影系」・「見立絵系」があり、その下に「頂相系」・「歌仙系」・「俳画系」。
この中でも日本では「見立」が重要なキーワードになります。
ヨーロッパにも群像に紛れさせて自身を描く「見立」に近いスタイルはあるにはあったけれど、そこには確実に作者だとわかるサインがありました。(一人だけ画面の外を見てるなど)
しかし日本のそれは非常にわかりにくいのです。なぜなら日本の見立てはあくまで<遊び>であり、そこに作者性を主張することは野暮になり<遊び>にならない。だから現代の私たちは、それが作者だと推測することしかできなくて、記述に重きを置く美術史の方法ではそれらの<遊び>はポロポロとこぼれ落としてしまうという結果になってしまうのです。
中でもその<遊び>の名人はなんと言っても北斎。
自身をここまで戯画化して遊び尽くした人は古今東西中々お目にかかれないかもしれません。
あの西洋の真面目くさった態度とは180度違う、本当にふざけた自画像群。
本にもたくさんの北斎の図像が載ってますが、本当にすごい人です。
この何かに「見立て」て描くという行為は、西洋の寓意画に似ている点もありますが、決定的に違うのは、後者が観る者に対してメッセージがあるのに対して、日本の見立てにはそれがなく、画面にあるものが全てであるという点。
寓意画において、<他者>になりきってる<自己>はどこまで言っても<自己>。
見立絵の<他者>はそのまま<他者>になりきっていて、<自己>という主体は柔らかく消去されている。
その絵を見る側もその<遊び>を知っていて見ているという、とても洒落た関係が築かれているのです。
戯画化するということ、<自分>を茶化すということは、<自分>を<他者>の眼で観るということであり、<自己>を<客観>化しているということである。しかし、江戸中期の日本列島の知識人は、同時代の西ヨーロッパの人たちのように、<自己>を合理的理性的な論理で<他者>に仕立てようとしない。<自己>と<他者=自己を取り巻く世界>とつねに<調和>関係にあろうとする≪古代≫的感覚を大切にしながら、<自分>を見直そうとするのである。<自分>自身を<茶化し><笑い飛ばす>というのは、<自分>と<他者>の関係を論理的分析的には徹底して追い詰めないが、しかし、きちんと<他者>として扱っていくという姿勢である。そこでつねに<遊び>を忘れないことでもある。
論理で追い詰めることをしない分、感情的に(人情として)は、優しい関係を保っている。≪古代≫的調和意識が遺っている所以でもある。そして<遊び>であるという心構えによって、<自分>と<他者=世界>の関係のとりかたにいつも余裕が保たれる。
さらに日本の自画像には背姿の自画像もいくつかあります。
木下氏はそこに世阿弥の説いた「離見の見」を見るのです。
それは、「目を前に見て心を後に置け」という教えです。
昔の日本人にはこの大きな目を持っていたんですね。
自分を他者に見立てて、その目を使って世界を見て、まだ自分に戻ってくる。
日本の俳句には「わたし」や「我」という字は全く登場しません。
それは、誰もが「わたし」になれるし、どんなものにでも「わたし」は変化できるという思想が反映されているのかもしれません。
しかしそんな目は、明治以降の西洋化の波によって一気に失われていきます。
1887年、国立美術学校がアーネスト・フェノロサと岡田覚三によって開校し、その後1896年に西洋画科が開設。フランス帰りの黒田清輝と久米桂一郎が教授に就任し、1903年から卒業制作に自画像の提出が義務化されます。
その後一時期の中断を挟んで現在も継続してこの課題はで続けてるそうな。
西洋の「自画像の時代」がそのまま日本にやってきました。
そんなお仕着せのような自画像がいきなり開花するはずもなく、この時期に描かれた自画像の多くは、ただ西洋のモノマネか、一線を越えられない駄作ばかりです。
それまで日本人が大切にしてきた<遊び>はすっかり忘れ去られ、クソ真面目でつまらない自画像が増殖します。
日本の自画像が再び息を吹き返すのは戦後の前衛美術を待たなければなりません。
例えばこの本で挙げられているのは中村正義と柏原えつとむ。
特に柏原は近代的自我によって支えられた<私>というものを徹底的に否定します。
「Mr.Xとは何か?」という作品では、柏原、前川、小泉の三人がそれぞれ自分の写真を用意し、それを数値化し平均化することで同じような顔が出来上がり、その第四の顔を「Mr.X」と名付け、三人が別々に同じ作品を自分の作品として出品するのです。
こういったラディカルな問いかけは、自画像を無意味化させるカウンターになりました。
その後、さらに江戸に根付いた<遊び>を復活させたのが森村泰昌と言えるかもしれません。
彼は西洋美術の作品になりきることで、自身を戯画化させ茶化して作品にしていきます。
ただ、彼の場合、皮肉にも世界に認められたことで、D系の独我論をその作品から感じざるを得ません。
自分がなりきることによってその絵が再び蘇るといった自信が鼻についてしまいます。
エピローグの章ではまず「ナルキッソスの呪い」が語られます。
<自画像>は、結局のところ<他者>となる<自分>の肖像なのだが、<他者>になってしまって<自己>には戻れない存在なのに、いっぽうそうかんたんに<自分>から離れてはくれない。それはどこまでも、絵画という枠のなかでの<他者>だからだ。<絵画>という枠のなかでしかいきられない<他なる自我>。それは、身体を持った他者(他人)としては決して現れない<自分>である。そこで、その枠のなかで、その<他なる自己>を水仙(美的像=美術作品)に仕上げたいと願うのが、自画像を作る者と観る者がそれぞれに持つ願い(自画像に対する欲望)である。しかも<水仙>への願いは、作る者と観る者とのあいだで決して一致しない。<自画像>ほどそれを制作した者とそれを観る者とのあいだに距離がある「絵画」はない、と言ってもいい。
この章にはたくさんの美しい文章が登場しますが、とりあえず上に挙げたこの部分は特に自画像というものの本質を掴んでいると思います。
自画像を観る時に感じるなんとも言えない哀愁は、この不可能性に依っているのかもしれません。
そして現代の私たちは、この「何にもなれない私」を受け入れていくことしかできないんじゃないでしょうか。
(現代は)「自分探し」のような方法で、喪われた<自己>を取り戻すことも虚構でしかない。<自分>を探そうとしても、みつけたつもりの<自己>は、たちまち虚構の<自分>に変換し裏切られ続けるしかない。むしろ、絶えざる様々な<他者>となっていくその変わりように眼を配り、<他者>となった<自分>と<他者>の<関係>を確かめていくことこそ、大切な作業となるだろう。<自分>が誰であるかを問うことは、<自分>が<他者>に見られ聞かれていることのなかに現れることを知ることにほかならない。
どこまで言っても辿り着けない<自分>という存在。
この「ナルキッソスの呪い」を解く鍵は、もう一つの絵画の起源とも呼ばれている、プリニウスの「博物誌」に出てくる影の物語にヒントがあるのではと木下氏は言います。
一人の娘が愛する人の旅立ちを悲しんで、その影をなぞって描いて、それを愛撫したという話。
これが絵画のもう一つの起源と言われているのです。
以前の日本人が、影を見つめ神を呼び出したように、僕たちはまた影を見つめなおさなければならないのではないでしょうか。
奇しくも先日村上春樹がアンデルセン文学賞を受賞し、そのスピーチで影について話しました。
「僕自身は小説を書くとき、物語の暗いトンネルを通りながら、まったく思いもしない僕自身の幻と出会います。それは僕自身の影に違いない。
そこで僕に必要とされるのは、この影をできるだけ正確に、正直に描くことです。影から逃げることなく。論理的に分析することなく。そうではなくて、僕自身の一部としてそれを受け入れる。
でも、それは影の力に屈することではない。人としてのアイデンティティを失うことなく、影を受け入れ、自分の一部の何かのように、内部に取り込まなければならない。
読み手とともに、この過程を経験する。そしてこの感覚を彼らと共有する。これが小説家にとって決定的に重要な役割です。
(中略)
自らの影に対峙しなくてはならないのは、個々人だけではありません。社会や国にも必要な行為です。ちょうど、すべての人に影があるように、どんな社会や国にも影があります。
明るく輝く面があれば、例外なく、拮抗する暗い面があるでしょう。ポジティブなことがあれば、反対側にネガティブなことが必ずあるでしょう。
ときには、影、こうしたネガティブな部分から目をそむけがちです。あるいは、こうした面を無理やり取り除こうとしがちです。というのも、人は自らの暗い側面、ネガティブな性質を見つめることをできるだけ避けたいからです。
影を排除してしまえば、薄っぺらな幻想しか残りません。影をつくらない光は本物の光ではありません。
侵入者たちを締め出そうとどんなに高い壁を作ろうとも、よそ者たちをどんなに厳しく排除しようとも、自らに合うように歴史をどんなに書き換えようとも、僕たち自身を傷つけ、苦しませるだけです。
自らの影とともに生きることを辛抱強く学ばねばなりません。そして内に宿る暗闇を注意深く観察しなければなりません。ときには、暗いトンネルで、自らの暗い面と対決しなければならない。
そうしなければ、やがて、影はとても強大になり、ある夜、戻ってきて、あなたの家の扉をノックするでしょう。「帰ってきたよ」とささやくでしょう。」
長々と引用しましたが、今の時代はあまりに光に照らされすぎてる気がします。
言うまでもなく、インターネットの情報は、今まで知る由もなかったことまで明るみに出しました。
SNSの繁栄は、個人の営みをこれでもかと晒しすぎてる気がして僕は全くやっていません。
そこまで見えなくてもいいのにと言う思いが常にあって、影が足りない時代だと個人的に思います。
日本の「鏡」の語源は「影見」と言う説があります。
日本人は影に真実を見て、それを描写しようと試みました。
その心を個人個人で少しずつ取り戻せればなと思います。
長くなりましたが、この本を通して色んな思いを思い出すことができました。
またストイキツァの「影の歴史」も再読したくなっちゃった。
自画像から、現代の生き方を逆照射できるとても充実した一冊だと思います。
合わせてタッシェンから出てる「500の自画像」という本も図像をカラーで見るのにオススメです。