薬師川千晴「絵画に捧げる引力」@Gallery PARC

もう終わってしまったけれど、Gallery PARCでやってた薬師川千晴展がものすごくよかった。
彼女は精華大学の後輩にあたるんだけど、学年的にかぶった時期はなく、とはいえいろんな機会で縁があって、近年の彼女の仕事は興味深く見ていました。
彼女は昨年僕もキュレーションで参加したGallery PARCのコンペ入選者3組のうちの一人で、彼女としてはそれが初個展。それからこの夏京都芸術センターで開催されたグループ展「ハイパートニック・エイジ」にも参加。今回の展覧会は、彼女としては2度目の個展。
彼女の作品の魅力の一つは、作品が持ってる「重さ」だと思う。
作品と言わず、この際「絵画」と言い切ってしまった方がいいかもしれない。
彼女は絵画という最も古い美術のメディアに圧倒的な危機感を負って制作している。
それは今回の彼女のステートメントの冒頭にも顕れている。
「あらゆるものから質量が失われつつあるこの世界で、今、絵画を通して、質量ある物質特有の〝引力〟という力について考えてみる。」
しかし、これだけ「絵画」というものにこだわりながら、彼女の絵画は所謂絵画と聞いて思い浮かべるものとは一線を画している。
確かに壁にかかってはいるものの、矩形の形をしたものはほとんどない。
さらに言うと、彼女の制作には筆が一切介入していない。
彼女はデカルコマニーという、オートマティズムの手法で像と形を生み出している。
デカルコマニーという手法自体は、シュールレアリズムあたりから発明されたもので、それ自体近代の産物ではあるものの、この筆の不在は、どこか原始的なものを感じる。
さらに彼女の「絵画」には自分で土を混ぜたテンペラ技法を使用したり、火で炙ったりと画面の中に様々な要素が介入している。
まるで絵画の起源に還るかのような仕事である。
彼女の持つこの絵画に対する熱情は、画面から痛いほど伝わって来る。
ただ、共有するにはあまりにも重過ぎる感も否めない。
観客にもこの重さを共有してもらおうという一方的なパラノイアを感じてしまって、観客は息苦しさすら感じてしまう。
特に去年の同ギャラリーの個展に出してた、作品に矢が刺さった作品なんかは、状態としての気持ちよさはあるんだけど、儀式的な要素として観客との間に一つの壁を作っていたように思う。
矢は刺さってはいなかったものの、夏の芸術センターの作品も息苦しさは拭えなかった。
それが今回、全くの新作を発表していて、これまでの作品になかった「軽さ」に驚いてしまった。
芸術センターからそんなに日も経っていないので、てっきり以前のような作品が並んでいると思っていたら、階段の横から始まる新作群に戸惑いを隠せなかった。
しかしその戸惑いはいよいよ悦びに代わる。目から入ってくる情報が至福。
今回の新作はこれまで同様デカルコマニーで制作されているものの、これまでと違って支持体が紙。
紙で制作することによってもたらされた効果は何といっても柔らかさである。
これまで支持体には木を使っていたのだけど、何ともいえない「硬さ」があった。
これが余計観るものに対する圧迫感や息苦しさを与えていた感は否めない。
しかし今回の新作群はこれまでには見られなかった柔らかさが存在している。
新作群のうち多数を占める、「絵具の引力」は、まるで標本で見る蝶のような形をしている。
彼女から直接話を聞くと、これまで同様デカルコマニーで制作してはいるものの、その「閉じて開く」というプロセスごと見せられないかという発想に至り、開いた本の状態から着想を得、今回のような形になったそう。
これが本当に美しくて思わず見入ってしまう。
作家には「色の作家」と「形の作家」がいる。分かりやすい例ではマティスとピカソ。
としたら彼女は圧倒的に前者である。
以前カプーアの考察でも書いたけれど、色と聞いて思い出すのが、大学の恩師が言っていた「絵描き殺すにゃ刃物はいらぬ。色をけなせばそれでいい」という言葉。 (元は「大工殺すにゃ刃物はいらぬ。雨の三日も降ればいい」)
色っていうのは何と言ってもセンス。努力ではほとんど身につかない。残念ながら。
この色のセンスを彼女は憎たらしいほど持っていて、それが遺憾なく発揮されてる。
今回の作品群は、極彩色とも言える複数の色を使用していて、ともすればケバケバしくなるところを絶妙に抑えている。
どの作品も見ていて本当に気持ちが良かった。
現代の作家で、これだけ大胆に色を使いこなせる作家はめずらしい。
色を使っても、ほとんどが単色モノクローム。精々くすんだような色味。
以前ロンドンのバービカンで「COLOUR AFTER KLEIN」という展覧会があって、タイトル通り、現代美術におけるイヴ・クライン以降の色の表現を集めた素晴らしい展覧会があったのだけど、そこに出ていた作家も今思えばほとんどが単色だった気がする。
色だけでなく、「一対の絵画碑」という作品群は形にも挑戦している。
今までと違って、オリジナルは矩形の紙ではあるものの、それを弛ませることで生まれる独特の浮遊感が面白い。
ただしこちらはまだ発展途上のように思えた。
それだけにまだこの人にはのびしろがあるのかという将来の楽しみにつながった。
あと全体の作品のサイズが良かった。
これまでの作品って大きすぎたり小さすぎたり、中々絶妙なサイズに辿り着けてない感があったんだけど、今回のは小さいものでも十分周囲の空気を震わすことができてたと思う。
いい作品というのは、空間が鳴るというか、空気が振動しているように感じる。
逆に作品だけで完結していると、空間が全く鳴らない。
ああ、いい展示やなぁと感じるのは、もう作品見る前に会場入った段階でこの空気の鳴りでわかる。
今までの彼女の作品ってやっぱり作品が閉じてるように思えたのが、今回は一気に開放された感がある。
彼女の負っている絵画への重さは失わず、同時にその引力に束縛されない強さを持った作品が見られて本当にいい展覧会だったと思う。
ちょっと褒めすぎかもしれませんが、後輩云々抜きで、これからも楽しみな作家です。
最後に彼女の今回のステートメントも美しかったので勝手に引用させてもらいます。
「そもそも、人はなぜ祈る際、手を合わせるのだろう。思うに、手を合わせる事により、人は〝何も持てなくなる〟事が重要なのではないだろうか。それはつまり、何かを抱える手段である手を天へ差し出し、物質世界とは離れた位置から〝祈り〟という非物質的な行為へと移行する、ある種の儀式のようなものなのだろう。
そして、1つに合わさった手をひらくと、そこには右手と左手が現れる。つなぎ合う力を〝両者〟に分かれさせることで、双方の関係が生じ、そこには、ものとものとの間に生じる引力が生まれる。つまり、引力とは物質単体では存在し得ない、ものとものとの関係性にのみ生じる〝互い〟の力なのだろう。
私は、この質量ある物質にそなわる互いに求め合う引力を作品に託す。そして、この絵具の紡ぐかすかな引力を絵画へと捧げようと思う。」





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