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「存在と無」by ジャン=ポール・サルトル

久々の読書コーナー。
展示作業も終わり、平穏な日々の中コツコツ読み始めました。
ということでサルトルの「存在と無」。実存主義です。
以下読みたい人だけどうぞ。

実存という言葉自体はハイデガーの本にも出てきますが、実存主義を世に知らしめたのがこの人。
とはいえ、彼のこの主著「存在と無」には「実存」という言葉はそんなに出てきません。
多分「人間存在」や「対自」がそれに当たるんでしょうね。とくに後者。

対自とは英語でいうとbeing for itself。それに対して即自がbeing in itself。
後者がただただ存在している物であるのに対して、対自は何かに向かう「志向性」がある存在。
この志向性はフッサールの現象学からの影響が強いです。
で、なんで何かに向かわなきゃならんのか。それは対自が常に欠如を所有しているから。
この欠如っていうのがポイントですね。
以下抜粋。

「人間存在は、まず欠如として、自分が欠いている全体との直接的綜合的な結びつきにおいて存在する。それゆえ、人間存在が世界への厳然として出現するときの純粋な出来事は、自己が自己自身の欠如として、人間存在そのものをとらえることである。人間存在は、その存在の到来において、自己を不完全な存在としてとらえる。人間存在が欠いているこの独特な全体の現前で、自己を「あらぬかぎりにおいてあるもの」として、とらえる。人間存在はそれであらぬという形でこの全体であるのであるが、この全体は、それがあるところのものである。人間存在は自己との一致へ向かってのたえざる超出であるが、かかる一致は永久に与えられない。」

この欠如を感じられるのは人間だけ。なぜなら人間は自由だから。
その自由の中で、人は選択を余儀なくされる。
選択によって、一歩一歩欠如という穴を埋めていくのが人生といっても過言ではないでしょう。
その選択を見て見ぬ振りをするのは自己欺瞞だとサルトルは批判します。
ハイデガーも「ひと」という言葉を使って批判していましたがほぼ同じですね。

ここまではまあわかりますよね。
欠如をコンプレックスととってもいいかもしれない。
コンプレックスがある意味モチベーションになったりもする。
で、そのコンプレックスはどこから発生するかというと、わかりやすいのがやはり他人との関係。
サルトルの理論の中で最も批判されやすいのがこの対他存在。
サルトルは他者を「私であらぬ私」として捉えて、私も同時に他者にとってはその否定的な存在。
この相克(ぶつかりあい)が他者との関係であり、羞恥/傲慢、マゾヒズム/サディズムという二元論に陥ってしまいます。
でもまあ、他者との関係がぶつかりあいだけだなんてやっぱり虚しいですよね。
とりあえず以下抜粋。

「われわれは決して平等の次元に、具体的に身を置くことはできない。他者の自由の承認が、他者によるわれわれの自由の承認を必然的に伴うような次元に、われわれは具体的に身を置くことはできない。他者は原理的に、とらえられないものである。他者は私が彼を追い求めるときに、私から逃れ去り、私が彼から逃れようとする時に私を所有する。」
「われわれの出現は、他人の自由に対する自由な制限である。」
「原罪とは、他人の存在している一つの世界のなかへの私の出現である。」


なにはともあれ、人間は他人を含めた状況のなかでのみ自由だということがわかってきます。
これをサルトルは「状況ー内ー存在」と言います。
そこには「場所」や「過去」、「環境」、そして「死」まで含まれてきます。
ただし「死」に関しては、我々の企図の外のことであって、「おまけ」でしかないというのがポイント。
ハイデガーは死までも目的の中に組み込もうとしましたが、それは無茶だろうと。
とにかく人は「生」のなかで、期待をし、選択をし、ひたすら欠如という穴を埋めていく。
神というのは、欠如のない状態のことを言い、人間の人生はその神に近づいていく道程である。

「あらゆる人間存在は、彼が、存在を根拠づけるために、また同時に、それ自身の根拠であることによって偶然性から脱れ出ているような即自すなわち宗教では神と名付けられている自己原因的存在者を、構成するために、あえて自己を失うことを企てるという点で、一つの受難である。それゆえ、人間の受難は、キリストの受難の逆である。けれども、神の観念は矛盾している。われわれはむなしく自己を失う。人間は一つの無益な受難である。」

個人的にはハイデガーよりサルトルの方が実感としてありますね。
ハイデガーの「本来性」を目指しひたすら自分を自分で満たしていくような生き方はちょっとしんどい。
たしかにサルトルの欠如としての生き方も中々虚しいけれど、自分を失っていくという考え方は好きです。
最後におもしろいなぁと思ったので抜粋。

「滑るとは、根をおろすことの反対である。根は、すでに、それを養う土になかば同化させられている。根は、いわば土の生ける凝結である。根は、自己を土たらしめることによってしか、土を利用することができない。いいかえれば、或る意味で、根は、自分の利用しようとする素材に、みずから服従することによってしか、土を利用することができない。それとは反対に、滑走は、服従してもらうために強調したり声を荒げたりすることを必要としない恐るべき主人のごとくである。権力のおどろくべき似姿がそこにある。そこからして、<滑ることだ。人間よ。もたれてはいけない。>という有名な忠言が由来する。この忠言の意味は、<どこまでも表面的であれ。深くはいってはいけない>というのではなく、むしろ反対に、<深い綜合を実現せよ。だが、巻き添えをくってはいけない>ということである。」
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