「この人を見よ」by フリードリヒ・ニーチェ
ニーチェの最後の著。
続きは以下で。
続きは以下で。
1988年10月、彼の44歳の誕生日に書き始め、一ヶ月ほどで脱稿した作品。
そして、脱稿から1ヶ月ちょっとの1989年1月3日、彼はトリノの広場で鞭打たれる馬に駆け寄り抱きしめ鳴き狂いました。タル・ベーラの映画の主題にもなった「ニーチェの馬」です。
彼はその日から完全に精神が壊れてしまい、1900年8月、55歳でに逝去するまでの10年余りを精神患者として過ごしました。
この本は、まるでそのことを予期していたかのように、これまでの彼の作業をまとめるような自伝となってます。
それだけに、この本はとても怖い。
なんだか物凄く躁状態で書かれたような筆勢があって、読んでて相当気味が悪いです。
内容はひたすら自画自賛。
章題も「なぜわたしはこんなに賢明なのか」「なぜわたしはこんなに利発なのか」「なぜわたしはこんなによい本を書くのか」…。怖すぎます。
書いてる時点で半分壊れていたのかもしれませんね。
彼の業績は生前ほとんど認められることなく、世間からほぼ黙殺状態でした。
「ツァラトゥストラ」ですら、最後の第4部は自費出版で親戚に配る程度しか刷られていません。
そのためか、彼のキリスト教批判の「ルサンチマン」を彼自身が体現しているかのよう。
特に、同じドイツ国民に対する攻撃がすごい。
「ドイツ人には底というものがないのだ。それだけのことだ。しかし、だからといって浅いというわけではない。ードイツで「深い」といわれていることは、ほかでもない、ちょうどいまわたしが述べている、自己に対するこの本能的不潔のことだ。自分のことは自分にははっきりとさせたがらないのだ。「ドイツ的」という語を、このような心理的腐敗をあらわす国際通貨として提案してはいけないだろうか?」
「ドイツ人には足なんてものはないのだ…すねがあるだけだ…ドイツ人は、自分たちがドイツ人にほかならないことを、かれらが恥ずかしいとさえ思ってないことだ」
とまあ、枚挙に暇の無い程紙片を埋め尽くす呪いの言葉たち。
そして、「悲劇の誕生」では褒めちぎっていたワーグナーすら批判の対象に。
「あわれなワーグナー!なんというところへ落ち込んでしまったのだ!ーせめて豚の群の中へ走りこんだのであればよかったのに!ところがドイツ人どもの中へはまりこんだのだ!」
そして最後の章「なぜわたしは一個の運命であるのか」において、彼が否定し続けてきた宗教のにおいすら感じてしまうのは僕だけでしょうか。
「わたしは、いつの日か人から聖者と呼ばれることがあるのではなかろうと、ひどい恐怖をもっている。」
という、謂わば思い上がりのような文章まで登場する始末。
しかし彼はもう自分の中で散々否定していた神々になっていたのかもしれません。
この本のタイトル「この人を見よ」は聖書に出てくるイエスの受難を示すEcce homo。
なんでこんなタイトルなんやろうと思ってたら、最後の解説で「ニーチェは自分のになう運命を、イエスのような受難と犠牲の運命と解することによって、はじめてそれに納得することがあったのであろう」とあって、他でも触れられてますが、彼はキリスト教を批判しつつも、キリストその人を否定したことはないんですね。
茨の道を敢えて選んでしまう自分を神々になぞらえてしまうのは無理もありません。
実際、「ニーチェの馬」の直前にワーグナーの妻コジマに宛てた手紙が物語っています。
「私が人間であるというのは偏見です。…私はインドに居たころは仏陀でしたし、ギリシアではディオニュソスでした。…アレクサンドロス大王とカエサルは私の化身ですし、ヴォルテールとナポレオンだったこともあります。…リヒャルト・ヴァーグナーだったことがあるような気もしないではありません。…十字架にかけられたこともあります。…愛しのアリアドネへ、ディオニュソスより」
こんな手紙もらったらドン引きでしょうね。。。
彼は、作品と作者は切り離されなければならないと語りましたが、この作品は彼自身があまりに濃すぎて純粋に読めませんでした。何度も彼の晩年を思いながら苦しくなりました。
で、「なぜわたしはこんなよい本を書くのか」という章で、これまでの作品を振り返っているわけですが、自分は岩波文庫で出てる分しか持ってないので、全体はカバーできてません。
そのうち、「善悪の彼岸」と「道徳の系譜」を続けて読んだのでまとめます。
まず1886年に出版された「善悪の彼岸」。
これはあまりに散文的で、読んでて相当疲れました。。。
「この人を見よ」に、この本を書かれた動機について、「否を言い、否を行う半面が日程に上ってきたのだ。」とあります。つまり、この本は、否であふれています。
もう最初の方なんか、とりあえず否定ばかりで疲れました。ほぼ流し読み。
第3章の最後なんか痛烈です。
「キリスト教はこれまで自己慢心の最も宿業的な性質のものであった。芸術家として人間についてけいせいしうるほどに高くも厳しくもない人間、崇高な自己抑制をもって千能万様の出来損ないや破滅の目立った法則を意のままにしうるほどに強くもなく先見もない人間、人と人との間を深淵のように隔てる種々の位階や等級の懸絶を見抜くほどに高貴でない人間、ーこのような人間たちが、彼らの『神の前における平等』を振りかざして、これまでヨーロッパの運命を左右して来た。その挙句、ついに一つの矮小な、ほとんど笑うべき種族が、一つの畜群が、善良で、病弱で、凡庸な存在が育て上げられた。すなわち、今日のヨーロッパ人が…。」
ニーチェは、「人間は平等である」という思想を嫌います。
人間には高貴な人間と卑俗な人間に分けられると。支配者と奴隷の関係です。
ところどころ、この思想の芽がこの後ドイツをナチスに向かう方向に育ってしまったのではないかという箇所が何点か見受けられて怖かったです。
「平均して現今では誰でも一種の形式的良心として、(中略)『なんじ為すべし』と命じるものに対する欲求を生まれつきにもっている。この欲求は満足を求め、その形式を内容で充たそうとする。それはその際、強さと性急さと焦燥とのために、さながら粗々しい食欲のように、殆ど選り好みなしに手を伸ばし、誰か命令する者ー両親でも教師でも法律でも階級的先入見でも世論でもーからその耳に叫び込まれさえすれば、それを受け入れる。人間の発展が稀しく制限されており、遅滞したり、冗長だったり、しばしば逆行したり、転回したりするのは、服従という畜群本能が最もよく、かつ命令の技術を犠牲にして遺伝されることに基づいている。」
「生そのものは本質上、他者や弱者をわがものにすることであり、侵害することであり、圧迫することであり、抑圧・峻酷であり、自らの形式を他に押しつけることであり、摂取することであり、少なくとも、最も穏やかに見ても搾取である。」
「私はユダヤ人に対して好意的な考えを抱いていたようなドイツ人にいまだ会ったことがない。」
ユダヤ人発言はともかく、ニーチェは近代に至って、平等という病で皆が奴隷になってしまったと言います。
これは今の日本見てても、身をつまされるような言葉ですね。
もう、誰も責任をとれない。おかしなことがあっても見て見ぬふりをして、ただただついていく。
ニーチェの言う畜群が、まさに今の日本人だと思います。
支配者とは自ら価値を創造していく人。日本にそんな人いるでしょうか。なんだかニーチェに引っ張られてどんどん厭世的になっていきます。。。
そして次の著書「道徳の系譜」は冒頭に、「最近に公にした『善悪の彼岸』を補説し解説するために」とあるように、こちらは大分まとまっています。
ここでも引き続き、高貴な人間と卑俗な人間について書かれています。
特に第一論文の「『善と悪』・『よいとわるい』」は重要。
「ルサンチマン(Ressentiment)」の概念もここで登場します。
「すべての貴族道徳は勝ち誇った自己肯定から生ずるが、奴隷道徳は『外のもの』、『他のもの』、『自己でないもの』を頭から否定する。そしてこの否定こそ奴隷道徳の創造的行為なのだ。評価眼のこの逆転ー自己自身へ帰るかわりに外へ向かうこの必然的な方向ーこれこそはまさしく<ルサンチマン>の本性である。(中略)奴隷道徳の行動は根本的に反動である。貴族的評価様式においては事情はその逆である。それは自発的に行動し、成長する。それが対立物を求めるのは、自己肯定に一層の感謝と歓喜とを伴わせるためにほかならない。」
「彼ら(貴族)は、充ち足りた、有り余る力をもった、従って必然的に能動的な人間として、幸福から行動を分離するすべを知らなかった。ー彼らにあっては、活動しているということは必然的に幸福の一部なのだ。(中略)これらの後輩(奴隷)にあっては、幸福は受動的なものとして現れる。貴族的人間が自分自身に対する信頼と公明とをもって生きるのに引き換え、<ルサンチマン>をもった人間は、正直でもなければ無邪気でもなく、また自分自身に対する誠実さも率直さももたない。(中略)貴族的人間自身の<ルサンチマン>は、もし現れても、その直後に続く反動の中で霽され、また消されてしまうから、従って害毒を及ぼさない。」
「『よい(gut)』という根本概念を予め自発的にー考想し、そこから初めて「わるい(schlecht)」という観念を創り出すあの貴族的人間の遣り方とは、まさしく逆なわけだ!貴族的起源をもつこの「わるい(schlecht)」と、不満な憎悪の醸造釜から出たあの「悪い(böse)」とー前者が模造品であり、付録であり、補色であるのに対し、後者は現物であり、始原であり、奴隷道徳の考想における本来の行為である。」
この辺りは凄まじく説得力がありますね。
ニーチェにとって、貴族とはギリシア人たちであり、ゲルマン民族であり、奴隷とはユダヤ人です。
「あのユダヤ人たちこそは、恐るべき整合性をもって貴族的価値方程式(よい=高貴な=強力な=美しい=幸福な=神に愛される)に対する逆倒を敢行し、最も深刻な憎悪の歯軋りをしながらこの逆転を固持したのだった。曰く、「惨めなる者のみが善き者である。貧しき者、力なき者、卑しき者のみが善き者であって、彼らのために至福はある。ーこれに反して汝らは、汝ら高貴にして強大なる者よ、汝らは永劫に悪しき者、淫逸なる者、飽くことを知らざる者、神を無みする者である。汝らはまた永遠に救われざる者、呪われたる者、罰せられる者であろう!」と…」
まさに、<ルサンチマン>により支えられたユダヤ人たちの思想が、キリスト教の根幹でもあるとニーチェは説きます。そこに「良心の疚しさ」や「負い目」を利用し膨れ上がったと。
これ以降の議論はまた否のリフレインなので、あまり響かなくなってしまいました。
こうして、この2冊で主に道徳、すなわちキリスト教的道徳をルサンチマンという概念を用いて、徹底的に批判しました。
この後、亡くなった後に刊行された「力への意志」など、ニーチェにはまだまだ重要な著がたくさんあるのですが、とりあえず持ってきたのはこれだけなのでニーチェ終了。
ニーチェは他の哲学者とは違って、文章があまりに人間的すぎます。
ゆえに、近年「ニーチェの言葉」など、名言として取り上げられがちなのかも。
晩年のことを思うと悲しくなりますが、やはり一人の人間がここまでのニヒリズムでもって世界と対峙したという事実は筆舌に尽くしがたいものがあります。しかもたった44歳でここまでの業績。カントが還暦間近になってようやくあの批判哲学をスタートさせたことを思うと早熟すぎましたね。
ちなみに彼のお父さんはなんと神父さんで、36歳で亡くなられています。
日本に帰ったら他の著作も読み漁りたいです。
そして、脱稿から1ヶ月ちょっとの1989年1月3日、彼はトリノの広場で鞭打たれる馬に駆け寄り抱きしめ鳴き狂いました。タル・ベーラの映画の主題にもなった「ニーチェの馬」です。
彼はその日から完全に精神が壊れてしまい、1900年8月、55歳でに逝去するまでの10年余りを精神患者として過ごしました。
この本は、まるでそのことを予期していたかのように、これまでの彼の作業をまとめるような自伝となってます。
それだけに、この本はとても怖い。
なんだか物凄く躁状態で書かれたような筆勢があって、読んでて相当気味が悪いです。
内容はひたすら自画自賛。
章題も「なぜわたしはこんなに賢明なのか」「なぜわたしはこんなに利発なのか」「なぜわたしはこんなによい本を書くのか」…。怖すぎます。
書いてる時点で半分壊れていたのかもしれませんね。
彼の業績は生前ほとんど認められることなく、世間からほぼ黙殺状態でした。
「ツァラトゥストラ」ですら、最後の第4部は自費出版で親戚に配る程度しか刷られていません。
そのためか、彼のキリスト教批判の「ルサンチマン」を彼自身が体現しているかのよう。
特に、同じドイツ国民に対する攻撃がすごい。
「ドイツ人には底というものがないのだ。それだけのことだ。しかし、だからといって浅いというわけではない。ードイツで「深い」といわれていることは、ほかでもない、ちょうどいまわたしが述べている、自己に対するこの本能的不潔のことだ。自分のことは自分にははっきりとさせたがらないのだ。「ドイツ的」という語を、このような心理的腐敗をあらわす国際通貨として提案してはいけないだろうか?」
「ドイツ人には足なんてものはないのだ…すねがあるだけだ…ドイツ人は、自分たちがドイツ人にほかならないことを、かれらが恥ずかしいとさえ思ってないことだ」
とまあ、枚挙に暇の無い程紙片を埋め尽くす呪いの言葉たち。
そして、「悲劇の誕生」では褒めちぎっていたワーグナーすら批判の対象に。
「あわれなワーグナー!なんというところへ落ち込んでしまったのだ!ーせめて豚の群の中へ走りこんだのであればよかったのに!ところがドイツ人どもの中へはまりこんだのだ!」
そして最後の章「なぜわたしは一個の運命であるのか」において、彼が否定し続けてきた宗教のにおいすら感じてしまうのは僕だけでしょうか。
「わたしは、いつの日か人から聖者と呼ばれることがあるのではなかろうと、ひどい恐怖をもっている。」
という、謂わば思い上がりのような文章まで登場する始末。
しかし彼はもう自分の中で散々否定していた神々になっていたのかもしれません。
この本のタイトル「この人を見よ」は聖書に出てくるイエスの受難を示すEcce homo。
なんでこんなタイトルなんやろうと思ってたら、最後の解説で「ニーチェは自分のになう運命を、イエスのような受難と犠牲の運命と解することによって、はじめてそれに納得することがあったのであろう」とあって、他でも触れられてますが、彼はキリスト教を批判しつつも、キリストその人を否定したことはないんですね。
茨の道を敢えて選んでしまう自分を神々になぞらえてしまうのは無理もありません。
実際、「ニーチェの馬」の直前にワーグナーの妻コジマに宛てた手紙が物語っています。
「私が人間であるというのは偏見です。…私はインドに居たころは仏陀でしたし、ギリシアではディオニュソスでした。…アレクサンドロス大王とカエサルは私の化身ですし、ヴォルテールとナポレオンだったこともあります。…リヒャルト・ヴァーグナーだったことがあるような気もしないではありません。…十字架にかけられたこともあります。…愛しのアリアドネへ、ディオニュソスより」
こんな手紙もらったらドン引きでしょうね。。。
彼は、作品と作者は切り離されなければならないと語りましたが、この作品は彼自身があまりに濃すぎて純粋に読めませんでした。何度も彼の晩年を思いながら苦しくなりました。
で、「なぜわたしはこんなよい本を書くのか」という章で、これまでの作品を振り返っているわけですが、自分は岩波文庫で出てる分しか持ってないので、全体はカバーできてません。
そのうち、「善悪の彼岸」と「道徳の系譜」を続けて読んだのでまとめます。
まず1886年に出版された「善悪の彼岸」。
これはあまりに散文的で、読んでて相当疲れました。。。
「この人を見よ」に、この本を書かれた動機について、「否を言い、否を行う半面が日程に上ってきたのだ。」とあります。つまり、この本は、否であふれています。
もう最初の方なんか、とりあえず否定ばかりで疲れました。ほぼ流し読み。
第3章の最後なんか痛烈です。
「キリスト教はこれまで自己慢心の最も宿業的な性質のものであった。芸術家として人間についてけいせいしうるほどに高くも厳しくもない人間、崇高な自己抑制をもって千能万様の出来損ないや破滅の目立った法則を意のままにしうるほどに強くもなく先見もない人間、人と人との間を深淵のように隔てる種々の位階や等級の懸絶を見抜くほどに高貴でない人間、ーこのような人間たちが、彼らの『神の前における平等』を振りかざして、これまでヨーロッパの運命を左右して来た。その挙句、ついに一つの矮小な、ほとんど笑うべき種族が、一つの畜群が、善良で、病弱で、凡庸な存在が育て上げられた。すなわち、今日のヨーロッパ人が…。」
ニーチェは、「人間は平等である」という思想を嫌います。
人間には高貴な人間と卑俗な人間に分けられると。支配者と奴隷の関係です。
ところどころ、この思想の芽がこの後ドイツをナチスに向かう方向に育ってしまったのではないかという箇所が何点か見受けられて怖かったです。
「平均して現今では誰でも一種の形式的良心として、(中略)『なんじ為すべし』と命じるものに対する欲求を生まれつきにもっている。この欲求は満足を求め、その形式を内容で充たそうとする。それはその際、強さと性急さと焦燥とのために、さながら粗々しい食欲のように、殆ど選り好みなしに手を伸ばし、誰か命令する者ー両親でも教師でも法律でも階級的先入見でも世論でもーからその耳に叫び込まれさえすれば、それを受け入れる。人間の発展が稀しく制限されており、遅滞したり、冗長だったり、しばしば逆行したり、転回したりするのは、服従という畜群本能が最もよく、かつ命令の技術を犠牲にして遺伝されることに基づいている。」
「生そのものは本質上、他者や弱者をわがものにすることであり、侵害することであり、圧迫することであり、抑圧・峻酷であり、自らの形式を他に押しつけることであり、摂取することであり、少なくとも、最も穏やかに見ても搾取である。」
「私はユダヤ人に対して好意的な考えを抱いていたようなドイツ人にいまだ会ったことがない。」
ユダヤ人発言はともかく、ニーチェは近代に至って、平等という病で皆が奴隷になってしまったと言います。
これは今の日本見てても、身をつまされるような言葉ですね。
もう、誰も責任をとれない。おかしなことがあっても見て見ぬふりをして、ただただついていく。
ニーチェの言う畜群が、まさに今の日本人だと思います。
支配者とは自ら価値を創造していく人。日本にそんな人いるでしょうか。なんだかニーチェに引っ張られてどんどん厭世的になっていきます。。。
そして次の著書「道徳の系譜」は冒頭に、「最近に公にした『善悪の彼岸』を補説し解説するために」とあるように、こちらは大分まとまっています。
ここでも引き続き、高貴な人間と卑俗な人間について書かれています。
特に第一論文の「『善と悪』・『よいとわるい』」は重要。
「ルサンチマン(Ressentiment)」の概念もここで登場します。
「すべての貴族道徳は勝ち誇った自己肯定から生ずるが、奴隷道徳は『外のもの』、『他のもの』、『自己でないもの』を頭から否定する。そしてこの否定こそ奴隷道徳の創造的行為なのだ。評価眼のこの逆転ー自己自身へ帰るかわりに外へ向かうこの必然的な方向ーこれこそはまさしく<ルサンチマン>の本性である。(中略)奴隷道徳の行動は根本的に反動である。貴族的評価様式においては事情はその逆である。それは自発的に行動し、成長する。それが対立物を求めるのは、自己肯定に一層の感謝と歓喜とを伴わせるためにほかならない。」
「彼ら(貴族)は、充ち足りた、有り余る力をもった、従って必然的に能動的な人間として、幸福から行動を分離するすべを知らなかった。ー彼らにあっては、活動しているということは必然的に幸福の一部なのだ。(中略)これらの後輩(奴隷)にあっては、幸福は受動的なものとして現れる。貴族的人間が自分自身に対する信頼と公明とをもって生きるのに引き換え、<ルサンチマン>をもった人間は、正直でもなければ無邪気でもなく、また自分自身に対する誠実さも率直さももたない。(中略)貴族的人間自身の<ルサンチマン>は、もし現れても、その直後に続く反動の中で霽され、また消されてしまうから、従って害毒を及ぼさない。」
「『よい(gut)』という根本概念を予め自発的にー考想し、そこから初めて「わるい(schlecht)」という観念を創り出すあの貴族的人間の遣り方とは、まさしく逆なわけだ!貴族的起源をもつこの「わるい(schlecht)」と、不満な憎悪の醸造釜から出たあの「悪い(böse)」とー前者が模造品であり、付録であり、補色であるのに対し、後者は現物であり、始原であり、奴隷道徳の考想における本来の行為である。」
この辺りは凄まじく説得力がありますね。
ニーチェにとって、貴族とはギリシア人たちであり、ゲルマン民族であり、奴隷とはユダヤ人です。
「あのユダヤ人たちこそは、恐るべき整合性をもって貴族的価値方程式(よい=高貴な=強力な=美しい=幸福な=神に愛される)に対する逆倒を敢行し、最も深刻な憎悪の歯軋りをしながらこの逆転を固持したのだった。曰く、「惨めなる者のみが善き者である。貧しき者、力なき者、卑しき者のみが善き者であって、彼らのために至福はある。ーこれに反して汝らは、汝ら高貴にして強大なる者よ、汝らは永劫に悪しき者、淫逸なる者、飽くことを知らざる者、神を無みする者である。汝らはまた永遠に救われざる者、呪われたる者、罰せられる者であろう!」と…」
まさに、<ルサンチマン>により支えられたユダヤ人たちの思想が、キリスト教の根幹でもあるとニーチェは説きます。そこに「良心の疚しさ」や「負い目」を利用し膨れ上がったと。
これ以降の議論はまた否のリフレインなので、あまり響かなくなってしまいました。
こうして、この2冊で主に道徳、すなわちキリスト教的道徳をルサンチマンという概念を用いて、徹底的に批判しました。
この後、亡くなった後に刊行された「力への意志」など、ニーチェにはまだまだ重要な著がたくさんあるのですが、とりあえず持ってきたのはこれだけなのでニーチェ終了。
ニーチェは他の哲学者とは違って、文章があまりに人間的すぎます。
ゆえに、近年「ニーチェの言葉」など、名言として取り上げられがちなのかも。
晩年のことを思うと悲しくなりますが、やはり一人の人間がここまでのニヒリズムでもって世界と対峙したという事実は筆舌に尽くしがたいものがあります。しかもたった44歳でここまでの業績。カントが還暦間近になってようやくあの批判哲学をスタートさせたことを思うと早熟すぎましたね。
ちなみに彼のお父さんはなんと神父さんで、36歳で亡くなられています。
日本に帰ったら他の著作も読み漁りたいです。
- 関連記事
-
- 「暇と退屈の論理学」by 國分功一郎 (2015/03/01)
- 「精神現象学」by G.W.F.ヘーゲル (2015/02/25)
- 「この人を見よ」by フリードリヒ・ニーチェ (2015/01/29)
- 「ツァラトゥストラはこう言った」by フリードリヒ・ニーチェ (2015/01/23)
- 「悲劇の誕生」by フリードリヒ・ニーチェ (2015/01/17)