「悲劇の誕生」by フリードリヒ・ニーチェ
哲学第二弾。もう何のブログかわからない。
ということで、これも興味のある人だけどうぞ。
ということで、これも興味のある人だけどうぞ。
ドイツ哲学カントに続いてニーチェです。
その前にヘーゲルやマルクスがいるだろとのツッコミはごもっとも。
単純に持ってきてなかったのです。ヘーゲルは来月届くので後日。マルクスは未定。
ニーチェ、読み始めるとハマります。
文章がうまいですね。カントと大違い。言ってることも過激なので痛快。すごいです。
この「悲劇の誕生」は彼の28歳の時のデビュー作。
冒頭の序文「自己批評の試み」はそれから14年後、42歳の時に書かれたもので、当時の文章を反省しているけれど、この文章もまた面白い。(むしろ本文より?)
冒頭で、この文章が書かれた動機が書かれているわけですが、それは当時のギリシア芸術が「明朗」と言われてることに対する疑問からだったと。
もっと暗いもの、すなわちペシミズムこそがギリシア芸術の真髄なのではと。
このあたりの文章がすごく好きです。
「強さのペシミズムというものがあるのではないか?生存の過酷なもの・戦慓的なもの・邪悪なもの・問題的なものに知的偏愛を抱くということが、幸福やあふれるばかりの健康、生存の充実からくる場合があるのではないか?過剰そのものに悩むということが、ひょっとしたらあるのではなかろうか?きわめてするどい眼差しが、自分から恐ろしいものを求めるといった、当たって砕けろ式な勇敢さをそなえている場合が、ひょっとしたらあるのではなかろうか?」
「悲劇は快感から生まれたのではないか?力から、みちあふれるような健康から、ありあまる充実から発生したのではなかったか?(中略)ひょっとしたら健康からくるノイローゼというものがあったのではかなろうか?」
「他面また逆に、解体と弱体化の時においてこそ、ギリシア人はいよいよ楽天的に、皮相に浅薄化し、いよいよ俳優的となり、論理に執着し、世界の論理化を熱望し、つまり『明朗』になると同時にますます『科学的』になっていったとすればどうであろうか?楽天主義が勝利をおさめ、合理性がはばをきかすようになり、実践的ならびに理論的な功利主義があらわれてくるということは、(中略)低下する力・近づく老齢・生理学的疲労の一徴候かもしれないというのはどうだろう?」
「強さのペシミズム」や「健康からくるノイローゼ」というのはすごく言い得て妙ですね。
若者が死に惹かれるようなもので、人間は自分から遠いものを追ってしまう生き物なのかもしれません。
なので、逆に衰退する文明には悲劇ではなく喜劇が求められるのでしょう。
そして、本文ではあまり触れられない、神の否定へと行き着きます。
「人間の心に形而上学的な活動は芸術であってー道徳ではない。」
「純粋に美的な世界解釈と世界の是認に対しては、キリスト教の教え以上に大きく対立するものはない。キリスト教の教えは、ひたすら道徳的であり、道徳的であることを欲している。それは、その絶対の尺度をふりまわして、(中略)どの芸術もすべて、虚偽の世界へ追放してしまう、ーつまり、否定し、弾劾し、断罪するのである。」
「私はかねてからこういう考え方の背後に、生に敵対するもの、生そのものに対する深いうらみのこもった、復讐に燃えた嫌悪をかぎつけていた。(中略)キリスト教は始めから、本質的に、また根本的に、生が生に対しておぼえる嘔吐であり倦怠であった。この嘔吐・倦怠が、『もうひとつの』生、あるいは『よりよい』生の信仰のもとに仮装し、正体をかくし、化粧していたにすぎないのである。」
「道徳のまえでは、生はもともと何か本質的に非道徳的なものであるために、生はいつでも、不可避的に、間違ったものとされざるをえず、ーついには生は、軽悔と永遠の否定の重圧のもとに押しつぶされて、渇望に値しないもの、それ自体価値のないものと感じられざるをえなくなるからである。(中略)道徳は『生を否定する意志』であり、ひそかな破壊本能であり、頽廃の、卑小化の、誹謗の原理であり、終わりの始まりではなかろうか?従って危険のなかの危険ではなかろうか?」
「アンティクリストのほんとうの名前を誰が知ろうか?ーそれにギリシアのある神の名を借って洗礼名をつけたのである。私はそれをディオニュソス的な教えと呼んだのだ。」
引用が多くなってしまいましたが、すさまじい痛烈さ。痛快です。
カントから百年。時代は進んだもんです。キリスト教大否定。
ということで、本文にやっと到達ですが、ぶっちゃけこの序文の方が本文より強烈です。
20ページにも満たない文章ですが、すごいですね。友達いなかったんじゃないかしら。
本文はギリシア悲劇の真髄から語り始めます。
すなわち「芸術の発展というものは、アポロ的なものとディオニュソス的なものという二重性に結びついている」ということです。
アポロ的とは、造形的な芸術、ここからドーリス式芸術が生まれます。
ディオニュソス的とは、非造形的、すなわち音楽です。デュオニソスはバッカス、お酒の神様としても知られ、カラヴァッジョの作品にも登場しますね。
それぞれ「夢の形象世界」と「陶酔的現実」の対立項としてニーチェは使っていますが、この対立の共存こそが、ギリシアの悲劇(アッティカ悲劇)の誕生だと説きます。
そしてここからは具体的な検証(?)に入りますが、具体的に作品を知らないので、ふーんそうなんや、ぐらいの気持ちで読み進めていくしかないのが悲しいところ。
でもまあ、なんとなくわかるのは、ギリシア悲劇にとってコーラス(サチュロス合唱団)がいかに重要か、というか、合唱こそが悲劇の母胎だということ。
シーラは、合唱団を「悲劇が現実の世界ときっぱり隔絶できるように、そして悲劇特有の理想的領域とその詩的自由を確保するために、悲劇のまわりに引きめぐらされた生きた城壁」と言った。
ニーチェはこの合唱団の存在をギリシア芸術にとっての「形而上的慰め」と言った。
多分、つまりは、観客は悲劇に対して、過剰な感情移入や没入をしてはならない。経験ではなく、あくまで芸術としての美的感銘を享受しなければならない。その為の「城壁」が合唱団だということ。ありあまるギリシア人の感受性から身を守り、慰める存在。これなくして悲劇は成立しないということ、かな。
じゃあ、悲劇なんて見なきゃいいじゃんとなるが、これは冒頭の「強さのペシミズム」であり、「健康からくるノイローゼ」なので仕方ないんですね。
そして具体的に、ギリシア悲劇ですばらしいのは、ソフォクレス(「オイディプス王」等)とアイスキュロス(「プロメテウス」等)であり、逆にギリシア悲劇を殺したのはエウリピデスだと続きます。
ソフォクレスとアイスキュロスは割愛して、エウリピデスがなぜ悪いのか。
その理由として、悲劇からディオニュソス的な苦悩を取り去り、劇のプロローグとエピローグで神なる人物が主人公の行く末をすべて説明してしまうという。「おばあさんとおじいさんは幸せにくらしました」的な。
これをニーチェは「美的ソクラテス主義」と呼ぶ。
「美であるためには、すべてが理知的でなくてはならない」という思想。
ニーチェはソクラテスを理知主義、合理主義の「怪物」と称して、徹底的に弾劾します。
この「美的ソクラテス主義」こそ、ギリシア芸術の「明朗さ」の根源だと。
前のページでニーチェは「芸術のどんな種類においても、われわれが何をおいても真先に要求するのは、主観的なものの克服・「自我」からの解放・すべての個人的な意思や情欲の沈黙であり、それどころか、客観性なしには、純粋で利害を離れた直感なしには、われわれはとうてい真に芸術的な政策など信じることができない」とし、エピキュロスはこれと全く逆。「彼は純粋な芸術家ではない」と言い放ちます。
プラトンもまた「詩人というものは、悟性が彼の中に住まなくなって無意識になるまでは、詩をつくることがえきないではないか」と言っていたそうですが、対してエピキュロスは「美であるためには、すべては意識的でなければならぬ」という美学を貫きます。
「アポロ的直感にかわるものとしての冷たい逆説的な思想と、ディオニュソス的恍惚にかわるものとしての火のような激情とが、こうした刺戟の手段になるのであり、しかもこの思想や激情は、高度に写実的に模倣されているとはいっても、芸術のエーテルにはいっこうひたされてはいないのだ。」
こうして悲劇は「美的ソクラテス主義」のエピキュロスによって殺害されるのです。
現代はこのソクラテス主義に毒された時代だと、ニーチェは近代科学も否定しますが、しかしギリシア悲劇は再び再生するとも主張します。
どこにか。ドイツに。
何によってか。ドイツ音楽(バッハーベートーベンーワーグナー)とドイツ哲学(カントーショーペンハウアー)によって。
なんや、結局愛国精神ですかと思っちゃいますが続けます。
ニーチェが大尊敬するショーペンハウアーはその「ベートーベン論」で「音楽は(中略)意志の対応的客観性の模写ではなくて、直接に意志そのものの模写であるということ、したがって世界のすべての形而下的なものに対しては形而上的なものを、すべての現象に対しては物それ自体を表現するという点で、他のすべての芸術と違っている」や「概念はuniversalia post rem(事物以降の普遍)であるけれども、音楽はuniversalia ante rem(事物以前の普遍)をあらわすものであり、現実はuniversalia in re(事物の中の普遍)をあらわすものである」とし、ニーチェはそこにディオニュソス的合唱を聞き取るのです。
また、同じ音楽劇でも、オペラは大否定のニーチェさん。
「オペラの前提になっているのは、芸術の過程についてのひとつの誤った信念である。しかもそれは、多感な人間であれば誰でももともと芸術家になれるというあの牧歌的信念なのだ。こういう信念の意味でオペラは、芸術における素人趣味の表現なのだ。彼ら素人は理論的人間のほがらかな楽天主義で、その法則を口授するわけだ。」
と辛辣なんですが、ここでワーグナー礼賛が始まるんやけど、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」ってオペラじゃないの?と普通に疑問なんですが。。。
とにかくワーグナーはこの本を捧げると冒頭に書くぐらい尊敬してるし、ショーペンハウアーは好きすぎて引用がやたら出てくる。
カントとショーペンハウアーの偉業は、ソクラテスが築いた理知主義という理想に限界を示したところだと。
カントがdisってた音楽を礼賛してるのはおもしろいです。
こうして、ギリシア悲劇は、ドイツにおいて再生し、ソクラテス主義から発展したラテン文化を否定することでドイツ文化はギリシア以来の発展を遂げるだろうといった内容。(多分)
なんか最後はギリシア悲劇を通してドイツ礼賛になっちゃった感があって、個人的にがっかりだったんですが、でもまあ、ニーチェの文章は読ませる文章でやはりおもしろいです。印象的な言葉がたくさん出てきてある種の文学としても楽しめました。
次はいよいよ「ツァラトゥストラはこう言った」(=「神は死んだ」)に挑戦です。
ちなみにハイデガーも確かギリシアへの憧れがあった気がする。
そういう意味では次のドクメンタがドイツとギリシアで行われるのは意義深いですね。
その前にヘーゲルやマルクスがいるだろとのツッコミはごもっとも。
単純に持ってきてなかったのです。ヘーゲルは来月届くので後日。マルクスは未定。
ニーチェ、読み始めるとハマります。
文章がうまいですね。カントと大違い。言ってることも過激なので痛快。すごいです。
この「悲劇の誕生」は彼の28歳の時のデビュー作。
冒頭の序文「自己批評の試み」はそれから14年後、42歳の時に書かれたもので、当時の文章を反省しているけれど、この文章もまた面白い。(むしろ本文より?)
冒頭で、この文章が書かれた動機が書かれているわけですが、それは当時のギリシア芸術が「明朗」と言われてることに対する疑問からだったと。
もっと暗いもの、すなわちペシミズムこそがギリシア芸術の真髄なのではと。
このあたりの文章がすごく好きです。
「強さのペシミズムというものがあるのではないか?生存の過酷なもの・戦慓的なもの・邪悪なもの・問題的なものに知的偏愛を抱くということが、幸福やあふれるばかりの健康、生存の充実からくる場合があるのではないか?過剰そのものに悩むということが、ひょっとしたらあるのではなかろうか?きわめてするどい眼差しが、自分から恐ろしいものを求めるといった、当たって砕けろ式な勇敢さをそなえている場合が、ひょっとしたらあるのではなかろうか?」
「悲劇は快感から生まれたのではないか?力から、みちあふれるような健康から、ありあまる充実から発生したのではなかったか?(中略)ひょっとしたら健康からくるノイローゼというものがあったのではかなろうか?」
「他面また逆に、解体と弱体化の時においてこそ、ギリシア人はいよいよ楽天的に、皮相に浅薄化し、いよいよ俳優的となり、論理に執着し、世界の論理化を熱望し、つまり『明朗』になると同時にますます『科学的』になっていったとすればどうであろうか?楽天主義が勝利をおさめ、合理性がはばをきかすようになり、実践的ならびに理論的な功利主義があらわれてくるということは、(中略)低下する力・近づく老齢・生理学的疲労の一徴候かもしれないというのはどうだろう?」
「強さのペシミズム」や「健康からくるノイローゼ」というのはすごく言い得て妙ですね。
若者が死に惹かれるようなもので、人間は自分から遠いものを追ってしまう生き物なのかもしれません。
なので、逆に衰退する文明には悲劇ではなく喜劇が求められるのでしょう。
そして、本文ではあまり触れられない、神の否定へと行き着きます。
「人間の心に形而上学的な活動は芸術であってー道徳ではない。」
「純粋に美的な世界解釈と世界の是認に対しては、キリスト教の教え以上に大きく対立するものはない。キリスト教の教えは、ひたすら道徳的であり、道徳的であることを欲している。それは、その絶対の尺度をふりまわして、(中略)どの芸術もすべて、虚偽の世界へ追放してしまう、ーつまり、否定し、弾劾し、断罪するのである。」
「私はかねてからこういう考え方の背後に、生に敵対するもの、生そのものに対する深いうらみのこもった、復讐に燃えた嫌悪をかぎつけていた。(中略)キリスト教は始めから、本質的に、また根本的に、生が生に対しておぼえる嘔吐であり倦怠であった。この嘔吐・倦怠が、『もうひとつの』生、あるいは『よりよい』生の信仰のもとに仮装し、正体をかくし、化粧していたにすぎないのである。」
「道徳のまえでは、生はもともと何か本質的に非道徳的なものであるために、生はいつでも、不可避的に、間違ったものとされざるをえず、ーついには生は、軽悔と永遠の否定の重圧のもとに押しつぶされて、渇望に値しないもの、それ自体価値のないものと感じられざるをえなくなるからである。(中略)道徳は『生を否定する意志』であり、ひそかな破壊本能であり、頽廃の、卑小化の、誹謗の原理であり、終わりの始まりではなかろうか?従って危険のなかの危険ではなかろうか?」
「アンティクリストのほんとうの名前を誰が知ろうか?ーそれにギリシアのある神の名を借って洗礼名をつけたのである。私はそれをディオニュソス的な教えと呼んだのだ。」
引用が多くなってしまいましたが、すさまじい痛烈さ。痛快です。
カントから百年。時代は進んだもんです。キリスト教大否定。
ということで、本文にやっと到達ですが、ぶっちゃけこの序文の方が本文より強烈です。
20ページにも満たない文章ですが、すごいですね。友達いなかったんじゃないかしら。
本文はギリシア悲劇の真髄から語り始めます。
すなわち「芸術の発展というものは、アポロ的なものとディオニュソス的なものという二重性に結びついている」ということです。
アポロ的とは、造形的な芸術、ここからドーリス式芸術が生まれます。
ディオニュソス的とは、非造形的、すなわち音楽です。デュオニソスはバッカス、お酒の神様としても知られ、カラヴァッジョの作品にも登場しますね。
それぞれ「夢の形象世界」と「陶酔的現実」の対立項としてニーチェは使っていますが、この対立の共存こそが、ギリシアの悲劇(アッティカ悲劇)の誕生だと説きます。
そしてここからは具体的な検証(?)に入りますが、具体的に作品を知らないので、ふーんそうなんや、ぐらいの気持ちで読み進めていくしかないのが悲しいところ。
でもまあ、なんとなくわかるのは、ギリシア悲劇にとってコーラス(サチュロス合唱団)がいかに重要か、というか、合唱こそが悲劇の母胎だということ。
シーラは、合唱団を「悲劇が現実の世界ときっぱり隔絶できるように、そして悲劇特有の理想的領域とその詩的自由を確保するために、悲劇のまわりに引きめぐらされた生きた城壁」と言った。
ニーチェはこの合唱団の存在をギリシア芸術にとっての「形而上的慰め」と言った。
多分、つまりは、観客は悲劇に対して、過剰な感情移入や没入をしてはならない。経験ではなく、あくまで芸術としての美的感銘を享受しなければならない。その為の「城壁」が合唱団だということ。ありあまるギリシア人の感受性から身を守り、慰める存在。これなくして悲劇は成立しないということ、かな。
じゃあ、悲劇なんて見なきゃいいじゃんとなるが、これは冒頭の「強さのペシミズム」であり、「健康からくるノイローゼ」なので仕方ないんですね。
そして具体的に、ギリシア悲劇ですばらしいのは、ソフォクレス(「オイディプス王」等)とアイスキュロス(「プロメテウス」等)であり、逆にギリシア悲劇を殺したのはエウリピデスだと続きます。
ソフォクレスとアイスキュロスは割愛して、エウリピデスがなぜ悪いのか。
その理由として、悲劇からディオニュソス的な苦悩を取り去り、劇のプロローグとエピローグで神なる人物が主人公の行く末をすべて説明してしまうという。「おばあさんとおじいさんは幸せにくらしました」的な。
これをニーチェは「美的ソクラテス主義」と呼ぶ。
「美であるためには、すべてが理知的でなくてはならない」という思想。
ニーチェはソクラテスを理知主義、合理主義の「怪物」と称して、徹底的に弾劾します。
この「美的ソクラテス主義」こそ、ギリシア芸術の「明朗さ」の根源だと。
前のページでニーチェは「芸術のどんな種類においても、われわれが何をおいても真先に要求するのは、主観的なものの克服・「自我」からの解放・すべての個人的な意思や情欲の沈黙であり、それどころか、客観性なしには、純粋で利害を離れた直感なしには、われわれはとうてい真に芸術的な政策など信じることができない」とし、エピキュロスはこれと全く逆。「彼は純粋な芸術家ではない」と言い放ちます。
プラトンもまた「詩人というものは、悟性が彼の中に住まなくなって無意識になるまでは、詩をつくることがえきないではないか」と言っていたそうですが、対してエピキュロスは「美であるためには、すべては意識的でなければならぬ」という美学を貫きます。
「アポロ的直感にかわるものとしての冷たい逆説的な思想と、ディオニュソス的恍惚にかわるものとしての火のような激情とが、こうした刺戟の手段になるのであり、しかもこの思想や激情は、高度に写実的に模倣されているとはいっても、芸術のエーテルにはいっこうひたされてはいないのだ。」
こうして悲劇は「美的ソクラテス主義」のエピキュロスによって殺害されるのです。
現代はこのソクラテス主義に毒された時代だと、ニーチェは近代科学も否定しますが、しかしギリシア悲劇は再び再生するとも主張します。
どこにか。ドイツに。
何によってか。ドイツ音楽(バッハーベートーベンーワーグナー)とドイツ哲学(カントーショーペンハウアー)によって。
なんや、結局愛国精神ですかと思っちゃいますが続けます。
ニーチェが大尊敬するショーペンハウアーはその「ベートーベン論」で「音楽は(中略)意志の対応的客観性の模写ではなくて、直接に意志そのものの模写であるということ、したがって世界のすべての形而下的なものに対しては形而上的なものを、すべての現象に対しては物それ自体を表現するという点で、他のすべての芸術と違っている」や「概念はuniversalia post rem(事物以降の普遍)であるけれども、音楽はuniversalia ante rem(事物以前の普遍)をあらわすものであり、現実はuniversalia in re(事物の中の普遍)をあらわすものである」とし、ニーチェはそこにディオニュソス的合唱を聞き取るのです。
また、同じ音楽劇でも、オペラは大否定のニーチェさん。
「オペラの前提になっているのは、芸術の過程についてのひとつの誤った信念である。しかもそれは、多感な人間であれば誰でももともと芸術家になれるというあの牧歌的信念なのだ。こういう信念の意味でオペラは、芸術における素人趣味の表現なのだ。彼ら素人は理論的人間のほがらかな楽天主義で、その法則を口授するわけだ。」
と辛辣なんですが、ここでワーグナー礼賛が始まるんやけど、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」ってオペラじゃないの?と普通に疑問なんですが。。。
とにかくワーグナーはこの本を捧げると冒頭に書くぐらい尊敬してるし、ショーペンハウアーは好きすぎて引用がやたら出てくる。
カントとショーペンハウアーの偉業は、ソクラテスが築いた理知主義という理想に限界を示したところだと。
カントがdisってた音楽を礼賛してるのはおもしろいです。
こうして、ギリシア悲劇は、ドイツにおいて再生し、ソクラテス主義から発展したラテン文化を否定することでドイツ文化はギリシア以来の発展を遂げるだろうといった内容。(多分)
なんか最後はギリシア悲劇を通してドイツ礼賛になっちゃった感があって、個人的にがっかりだったんですが、でもまあ、ニーチェの文章は読ませる文章でやはりおもしろいです。印象的な言葉がたくさん出てきてある種の文学としても楽しめました。
次はいよいよ「ツァラトゥストラはこう言った」(=「神は死んだ」)に挑戦です。
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そういう意味では次のドクメンタがドイツとギリシアで行われるのは意義深いですね。
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