今思うこと 2013.10.03

今年二度目の東北。異例のペースです笑
ピーチが今年から仙台まで飛ぶようになって、圧倒的に行きやすくなりました。
往復1万円以内で行けるなんて奇跡ですね。。。
今回のメインはカプーアのARK NOVA。
せっかくなので2泊3日の東北滞在を楽しみました。
憧れのさざえ堂も行けたし、大満足。
本当は岩手の平泉に行こうかとも思っていました。
東北へ行ったらできるだけ「普通に」振る舞っていたかった。
「普通に」観光がしたかった。
でも、やっぱりできなかった。
悔しいけれど、足は被災地の方に向いてしまいました。
「奇跡の一本松」。
陸前高田は高田松原の中で一本だけ津波に堪えたまさに「奇跡」の松。
海水のせいで根は枯れてしまったけれど、復興の希望のモニュメントとして移設されました。
前から見てみたいなと思っていたので、行ってみました。
気仙沼駅からバス。最初BRTと書かれていて、てっきり電車だと思ってたのですが、考えたらあの辺の駅は津波で寸断されてるんですよね。
この一本松の為に特別に「奇跡の一本松駅」というのが用意されています。
バスの中から見える被災地。あれから2年半以上経った今も異様な景色のまま。
辿り着いて、クネクネと用意された道を歩いた先にその松はあります。
ひょろっと佇むその姿はタルコフスキーの「サクリファイス」に出てくる松を思い出しました。
それにしても根のない木ってのはちょっと不気味な感じがしました。
魂がないというのか、宿っているものが感じられない。
春に訪れた三春の滝桜とは全く違いました。
被災者の希望になればいいのですが、僕にはちょっと違和感がありました。
最近特に「根をもつこと」(シモーヌ・ヴェイユじゃないけれど)を考えているせいもあって、やっぱり根がないというのは恐いです。
すくっと立つその姿もまあ美しいと言えば美しいですが、津波に堪えた根こそ希望や強さの象徴として展示されるべきだと思いました。
帰りのバスまで時間があったので、その周囲を歩きました。
復興とはほど遠い風景。
それと同時に失われた風景が再び失われて行くという感覚も覚えました。
今方々で何を遺して何を遺さないのかというのが議論になっています。
この判断は非常に微妙だと思います。
広島の原爆ドームだって最初は取り壊される予定でした。今では世界遺産です。
東浩紀氏を中心にさかんに福島第一原発所を観光地化すべきだと唱えていますが、こういうダークツーリズムはあってしかるべきだとも思います。
実際この一本松も自分のように県外から人が来てお金を落としています。
しかし、被災者の方々にとっては一日でも早く忘れたい風景でもあります。
気仙沼では既に打ち上げられた第18共徳丸(船)の解体が始まっていました。
バス停の前に大きな船がどっしり打ち上げられていて本当に異常な光景でした。
この風景を焼き付けた夜に、昨年ボランティアで知り合った福島の学生とご飯を共にしました。
彼がぽつりぽつりと漏らす言葉に僕はどういう言葉を返していいかわかりませんでした。
彼曰く、「見える被災地=宮城・岩手」と「見えない被災地=福島」で大きな隔たりがあって、一言で「被災地」といっても、前者はやはり目に見えてわかりやすい分同情もされやすいし、義援金も集まる。しかし後者はあまりに抽象的過ぎてイマイチ被災地支援の形が見えてこない。同じ「被災地」であっても抱える問題が全く違って、そこに優劣すら生まれている。前者は自然がやったことだし、目に見えて住めないけれど、後者は人災。見た目は全く変わらないのに住めない。理不尽極まりないです。
彼自身は避難地域の住民ではないけれど、避難住民たちの声は普段から聞こえてきて、住む場所を奪われ、夢を断たれ、どっちに進めばいいのかわからない人をたくさん知っている。
震災以降特に同級生達と福島について語ることが多くなったそうです。
そしてそこで見えて来るのが福島に生まれ育ったことの劣等感だと彼は言いました。
劣等感ってどういうこと?と聞くと、福島はすぐ北には仙台があり、すぐ南には東京があり、昔から都会への憧れやコンプレックスがあって、この土地では何もできないんだろうなーというなんとなく漂う閉塞感があったそうです。それに追い打ちをかけたのがあの原発事故。
大阪に生まれた自分にとって、その感覚って申し訳ない程わからないんです。
今まで大阪に生まれ育って劣等感なんて感じたことないし、大阪人って多分県外から見たら呆れる程自分の土地に自信もってる人多いと思います。
そもそも大阪弁を訛りとも思ってないし、どこいっても平気で大阪弁で喋っちゃう。
一本松見に行った時に、「どこから来たの?」と聞かれて「大阪です」って答えたら、「訛りでわかった」と言われ、はっとしたぐらい大阪弁の訛り感覚ってない。
その訛りに対する劣等感とかも東北の人はあるんだな、って彼の話す「標準語」からも少し感じられました。その点を「あまちゃん」ではうまく表現されてたそうですね。
東京から来た主人公が宮古に来て訛りがうつって、宮古に住む女の子は全く訛ってないみたいな。
「あまちゃん」はやっぱり彼にとってもすごく心の支えになってたみたいで、改めてすごいなぁと思いました。見ておけばよかった。。。再放送希望。
「八重の桜」も楽天の優勝も乗り遅れてる自分はなんかすごく損してる気がしました笑
そんな彼と別れて改めて「根」のことを考えました。
夏のヨーロッパ旅行に行ってズントーの建築を見た時に感じたのがこの「根」の感覚でした。
彼の建築は、その土地に驚く程「根」づいていて、本当に根を張ってるんじゃないかってぐらいその土地に馴染んでいました。
彼が以前世界文化賞を受賞した際の東大で開催された講演会の最後に言ってた「Find out who you are. Be yourself」という言葉を思い出します。
誰になりたいとか、どうありたいかというより、改めて自分は何であるのかを考えるべきだと30になって思います。
今更自分探しかよって自分でも思いますが、10代や20代の時の自分探しとは違って、辿ってきた道よりも辿らなかった道の方に興味があります。別にそれは後悔とか郷愁ではないし、取り戻したいとも全く思わないのだけれど、それを改めて考えることであぶり出される自分のシルエットが今後の人生に大きな影響を与えるんじゃないかって、感覚的に思います。
今回も福島の彼と話すことで、自分が今まで経験したことのないような「劣等感」を知ることができました。このことはもう少し時間をかけて反芻したいと思います。
ちなみにこの彼の言っていた劣等感はもちろん福島の人全員が思っているものではないというのも重々承知しています。しかし彼自身の口から出てきた言葉というのはまぎれもない真実だし、そんなことを他人の僕に話してくれたこと、とても感謝しています。
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