今思うこと 2012.06.18

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先週震災後初めて被災地に入りました。

1年3ヶ月。

僕があそこにたどり着くまでの時間です。

今は色んなものがスピードアップし、情報も交通も様々なものが瞬時に動く時代です。
しかしそんな時代にあっても感情のスピードだけは変わらないと思います。
僕が被災地に足を運ぶまでにこれだけの時間がかかりました。
もちろん震災後間もなく行かれた方も少なくないと思いますしその差は様々です。
とにかく僕にはこれだけの時間がかかりました。

震災後、被災地に行こうという気持ちは中々芽生えませんでした。
それは、なんといっても僕があの日あの揺れを感じなかったことが大きいと思います。
あの日は岡山から大阪に帰る途中で、電車の中で震災のことを知りました。
家に帰ってテレビをつけて観たあの衝撃と恐怖は忘れられません。
ただ、それは情報としての惨劇でした。
まったく僕の身体を介さないまま、情報だけが僕の中に入っていく。
「日本」とひとくくりに言っても、僕はそこに含まれていないんじゃないか。
ましてや海外にいた日本人なんかはもっとそういう違和感を覚えた人が多かったんじゃないでしょうか。
僕の住んでいる場所は至って普通の日常でした。
その後も関西は夜も晃晃とネオンがついてましたし、店から商品がなくなるなんてこともなかった。
本当に気持ちの悪いほどの日常でした。
そんな日常を享受している自分が、東北へ行って、被災者の方々に接すると言うのは、なんだかとても不謹慎なんじゃないか、とか色々考えました。
そして結局被災地に行く決心がつかぬまま2011年は終わろうとしていました。

年末にある人物に会いました。
濱田陽さんという宗教学を専門にやっておられる方です。
彼とは今年最初の展覧会で一緒に作品を作り上げました。
その時、彼は既に被災地に何度も足を運びボランティアもされていて、作品の相談をするのと同時に、ボランティアの様子や、震災後思っていることなど、色んなことをぽつぽつ話しました。
彼は言いました。
「あの日、日本人、もしくは世界中の人々が全員傷を負いました。」
でも僕は言い返しました。
「でも僕はあの日何も傷を負っていなくて、そのことに変な言い方ですが、ある種のコンプレックスのようなものを抱えているんです。」
すると彼は言いました。
「森川さん、それも立派な傷じゃないですか。」
その言葉を聞いた時、ハッとすると同時に、これまで抱えていたものがふっと軽くなったような気がしました。救われたような気がしたんですね。
自分が傷を負っていたこと。それを気づけたことはものすごく大きかったです。
そこでようやく自分も被災地に行ける気持ちが芽生えました。

全員が傷を負った、と一言で言ってもその深さはもちろん違います。
僕みたいにかすり傷程度の人から、家も家族もみんな失った人まで。
それでもやはり、全員が傷を負っているというのは大きいと思います。
ここで変な連帯感、ましてや絆なんて言葉は使いませんが、何かを共有することで、お互いにヒエラルキーを作らないことが重要なんだと思います。
ボランティアというと、どうしても助けに行くというニュアンスがありますが、同時に行く側も助けられるんだということを忘れてはいけません。
助ける側と助けられる側と言うヒエラルキーはとても恐ろしいと思います。
そのヒエラルキーこそが、僕を被災地から遠ざけていた大きな理由でもあったんですが、濱田さんの一言で気づけたこの共有感覚によって、あの日ぐっと被災地に近づけた気がしたんです。

近づけてからまた半年が経ちました。
行くにしても、意気込んで行くのはやめようと思っていました。
変な使命感を持って行くのは危険だと直感的に思ってたんですね。
なので、無理に被災地に直接行くのではなく、あくまで機会があればぐらいに考えていて、先週東京方面まで行く用事ができたので、今だ!と思って用事を終えてそのまま北に上りました。

仙台からバスで1時間ほど行ったところに、そのボランティア施設がありました。
僕が行ったところはDSP災害支援プロジェクトという団体でした。
DSP災害支援プロジェクト>>http://dsproject.org/
今は個人での募集を締め切ってるところや、最低でも何日以上というところが多いんですが、ここは個人で参加できる上、一日でもOKということで申し込みました。
僕はお手伝いできることなら何でもしようと思ってたので、何をするかは当日まで知らなかったのですが、どうやら東松島で、漁師さんたちと海苔養殖に使う筏作りのお手伝いをするとのこと。
車で1時間半ほどかけて現場に行き、一日作業しました。
作業は終止和やかで、被災地に来てるって感じはなかったですが、作業しているその場所もかつては家があり、津波で流され更地になっているところでした。残っている家々もよく見ると爪痕が生々しくとても住める状態ではなかったです。
そして、終わり際ボランティアリーダーの携帯が鳴って、どうやら線香を用意してくれとの話。
実はこの団体は他にも潜水作業をしていて、なんとこの日遺体が発見されたようです。
僕はこの日仙台に戻ってしまったので、潜水士の方たちには会えずお話を聞けませんでしたが、帰ってきてニュースで知りました。
石巻・大川小地区で2遺体発見 「ようやく帰ってこられてよかった」 - MSN産経ニュース
昨年の10月以来の発見だったそうですね。
引き上げに3日もかかったそうですが、本当によかった。

次の日は、仙台で車を借りて、北へ北上しました。
この日の為に車めっちゃ練習しました。。。
なにせ、20歳の時に免許取ったきり全く運転してませんでしたからね。ピカピカのゴールド免許(笑)
このまま一生運転することないんじゃないかとすら思ってましたが、これを機に運転しようと思い立ち、週末だけでしたが4月位から少しずつ練習しました。
でも実際運転してみると、勘みたいなのはかろうじて残ってて思ったほど大丈夫でした。
この日の運転もほぼ問題なかったです!
ただ、被災地に入ると道が通行止めになってたり、ナビ通り行けず焦る場面も。
石巻、女川、南三陸という順路で行きました。
被災地を見て回るというのがこの日の目的で、気仙沼の方も行こうと思いましたが時間が足りず断念。
阪神大震災の時も被災地を見て回りましたが、この被災地はまったく様子が違いました。
車で走っていて、いつの間にか津波が襲った場所に入っているといった感じ。
気づいたら周囲は更地で、残ってる建物もガレージが潰れていたりして人が住んでいない。
その感覚がものすごく恐かったです。
海から結構離れている場所でそうですから、港近くはほぼ壊滅状態。
建物がまるでサイコロのように転がっていたり、あまりに現実感のない光景。
中でも南三陸町はすごくて、鉄やコンクリの塊があっさりと折れ崩れ破壊されている。
車なんかも原型を留めないほどぐちゃぐちゃになっていました。
その惨状とその日のあまりにあっけらかんとした青空のコントラストが忘れられません。
以前アウシュビッツ収容所を訪れた時もこんな青空で、その時のことを思い出してしまいました。

こうして短い間でしたが被災地に入って、ようやく情報が体験化しました。
これだけ情報が錯綜している今だからこそ自分の目で確かめることはより重要なんだと思います。
といっても、1日2日程度しかいられなかったので、知ることのできたものなんてたかが知れていますが、それでもあの震災のことを体ですこしでも知ることができたのは大きかった。
また機会があれば是非行きたいです。今度はもう少し長く滞在したいですね。


それにしても、この国はどうなって行くのでしょう。
この震災で目の当たりにしたこと。政府はまた無駄にしてしまうんでしょうか。
今の日本政府の動きを見ていると怒りが込み上げて来て仕方ありません。
被災地に行く前日に、横浜で木下長宏さんの「土曜の午後のABC」を受けてきました。
これは、大学でもなんでもない、木下さん個人が、様々なテーマを取り上げ、我々近代人が作り上げて来た神話を切り崩して行くというもので、今回は宮沢賢治を取り上げていました。
木下さん曰く、賢治はその一生を通して怒り続けた人間だったそうです。
意外ですよね。
宮沢賢治と言えばなんだか牧歌的な印象があって、もはや神話化している人物。
それは夏目漱石にも言えることですが、彼らの文学は実は怒りに満ちあふれている。
怒りを怒りとして表現するのではなく、それを彼らは文学に昇華して歴史を作り上げて来た。
その怒りを「銀河鉄道の夜」を通して読み解くというものでした。
今回の地震でも、岩手県花巻出身の宮沢賢治を、研究者はこぞって祭り上げ、各地で「雨ニモ負ケズ」の朗読なんかをやっています。
しかし、賢治を怒りの人という観点から見たときに、そういう祭り上げ方は到底正しいものではありません。
彼は近代化というものに対して非常に怒っていた。
それは彼の残した「農民芸術概論綱要」を読むと明らか。
もう怒りで満ちあふれていて、これが宮沢賢治!?という驚きがありました。
いかに我々が聖人として作り替えられた宮沢賢治しか知らないということを思い知らされます。
文学者は、怒りをそのまま表現へと昇華させるのがうまいな、と思います。
村上春樹も、現代では飛び抜けてその怒りの昇華の仕方がうまい文学者の一人と思います。
「1Q84」はまさに怒りの文学。
先日佐々木中さんの「切りとれ、あの祈る手を」を読みましたが、ものを書くということがいかに革命につながるかを知りました。
ドストエフスキーは、当時文盲率90%のロシアで文学を作り上げ、世界に大きな影響を与えました。
サイードもペンを剣になぞらえましたが、それほど文学には力がある。
他の芸術はどうでしょうか?
一表現者として、この怒りをうまく昇華していきたいと思っています。
被災地に入る直前に木下さんの講義が聴けたのはよかったです。
ちなみにこの「土曜の午後のABC」は誰でも参加可能だと思います。
詳しくは木下さんのHPをご覧ください。http://kinoshitan.com/
僕も横浜に住んでたら毎回受けたいです。。。


濱田さんの言葉や、木下さんのABCを受けて感じたのは、ものごとを点で見るのではなく全体でみることの大切さ、だと思います。
誰が当事者で誰が部外者か、なんて議論はナンセンスです。
濱田さんに出会う前の僕は、その議論の中にはまっていたのかもしれません。
だから「がんばろう、日本」とか「がんばろう、東北」とか「がんばろう、石巻」とか、そういうスローガンはまったくもってナンセンスです。
そうやって対象を極小化していくのは大変危険です。
被災地を走っていて、このスローガンをよく目にしましたが、あそこまで繰り返し掲げられると、鬱屈した気持ちになってきます。
言葉はすぐに暴力になりうる。それはこれまで文学者が示してきたことです。
もっと全体として、今回の地震、及び原発問題を考える必要があります。
それなのに日本政府は。。。愚痴はやめましょう。行動しましょう。


以上長々と失礼しました。
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