セザンヌ「パリとプロヴァンス」@国立新美術館
非常に楽しみにしていた展覧会。
これだけセザンヌの絵が一同に会する機会は中々ないと思います。
巡回がないので、今回行けて本当によかった。
セザンヌは非常に難しい画家なので、しっかり勉強もしていきました。
読書リストは以下。
特にユリイカの特集は凄まじかった。。。読んでも読んでも終わらない!笑
各方面から対談も含め21の論考が納められています。
なぜサカナクションのボーカルのインタビューが納められているのかは謎です。美術手○みたい。
ってか美術○帖はポロックやセザンヌの特集もせずになにやってるんでしょうね。
話は逸れましたがユリイカ。
中でも冒頭の林道郎さんと松浦寿夫さんの対談はすごくおもしろかった。
当時の印象主義の画家たちが自己を忘却し、自然に即して描ききる中、セザンヌは記憶の持つ作用力に対して執着した画家だという指摘はおもしろいですね。
彼は写真を使って絵を描いたことでも知られています。
自分が美大生の頃、散々写真を見て描くな、と諭されましたが、セザンヌは堂々とそれをやってのけちゃってたんですね。
また、セザンヌの描く人物にしても、女性との接触を極端に拒む彼が行ったヌードの解決が、ルーブルで模写してきた裸体像を自分の絵の中に嵌め込むという方法。かなり大胆です。
水浴図は生涯通していくつも描いていますが、やはりどれも不自然なんですよね。
さすがにヌードのコピペは中々つらいものがあります。
だからいつまでたってもセザンヌのヌードは下手さが見えちゃう。
それに対して風景や静物、身近な人たちの肖像の豊かさは素晴らしいです。
「セザンヌ論」の作者であり、1910年の「後期印象派展」でセザンヌを広くイギリスに紹介したことで知られるロジャー・フライはセザンヌの静物画をこう評しています。
「彼はドラマティックな表現を狙っているわけではないし、台所のテーブル上の果物皿や野菜籠やりんごについてドラマを云々するのも馬鹿げているけれども、それでも彼の手にかかると、これらの場面は何か厳粛な出来事という印象をわれわれに与える。セザンヌの静物画に対して、悲劇的とか脅威的、高貴あるいは叙情的といった言葉は場違いに思われるけれども、それでもやはり、それらの作品が喚起する感情は奇妙にもそうした心的状態に似ているように思われる。これらの静物画が劇的、叙情的、等々ではないのは、何も感情の欠如のせいではなく、削除と凝縮の結果である。いわばこれらの絵は、すべての劇的時事件を取り去ったドラマなのである。われわれが感嘆せざるをえないセザンヌのジャンルの傑作以上に、かくも厳粛で力強く重厚な感情を喚起した絵がこれまであったろうか。」
すごいですね。でもなんだかわかります。
また、ナビ派の画家ポール・セリジェはこう語ります。
「低俗な画家の描いたりんごを見て、人は、”食べてみたくなる”と言うだろう。しかしセザンヌのりんごの前では”美しい!!”と言うほかはない。人はそのりんごの皮を剥きたいとは思わず、模写したいと思うだろう。そこにセザンヌの精神主義の内実がある。私がそれを理想主義と呼ばないのには理由がある。理想的なりんごは粘膜を刺激するが、セザンヌのりんごは眼を通じて精神に語りかけるからである。」
そうなんですよね。セザンヌの描くりんごは決して美味しそうじゃない。
なのに異常に魅力的なのは、りんごの存在そのものを画面に埋め込んでいるから。
特に彼の塗り残しは見事です。
セザンヌはよく自分の絵を「エチュード」と呼んでいました。
「スケッチ」や「エスキース」と「タブロー」の間のことを「エチュード」と呼ぶそうなんですが、その未完成性こそセザンヌの絵画の魅力のひとつかもしれません。
それにしても、うす塗りの時があったかと思いきや、厚く絵の具を塗り込めたり、同じモチーフに対して色んな方法で立ち向かっていく彼の姿がこの展覧会でも見られますが、とことん読めない画家ですね。
初期=厚塗り、後期=うす塗りというのはほとんど通用しません。
「庭師ヴァリエ」なんて、今回厚塗りバージョンとうす塗りバージョンが出てますが、どちらも1906年ですものね。セザンヌが亡くなる年、最晩年も最晩年です。
こうして未だに彼を表する言葉が中々見つからないわけですが、その奇妙さを味わえるだけでもこの展覧会は非常に価値があると思います。
6月11日まで。http://cezanne.exhn.jp/
さらに国立新美術館では現在エルミタージュ展も同時開催!
GWだし、2つ合わせてどうなることかと思いきや、入場制限もなく予想より人少なめでよかった。
エルミタージュ展では、16世紀ぐらいから20世紀まで一気に駆け巡る展示。
一緒に見ると、セザンヌに至るまでの道筋がよく見える気がします。
特に今回ヤン・ステーンやらの17世紀オランダ絵画をいくつか見られたのがよかった。
先日アルパースの「描写の芸術」読んだとこやったし。
やっぱ勉強しながら見ると楽しいですね。
それにしてもやっぱり今回のメインでもあるマティスの「赤い部屋」は素晴らしかった。
縁が違う色になってるのとか不可解すぎるけど、あの開放感はすごい。
セザンヌ展にはマティスが生前所有していた水浴図が出ていたけれど、マティスは「セザンヌが正しければ、わたしは正しい」といって、セザンヌも自分自身も信じ続けていたそうです。
この絵の中にも、セザンヌが近代絵画の父と呼ばれる所以が見て取れる気がしました。
エルミタージュ展は7月16日まで。http://www.ntv.co.jp/hermitage2012/
国立新美術館は5周年ということもあって、次回の「具体展」(07.04-09.10)といい、「リヒテンシュタイン展」(10.03-12.23)といい攻めますねー。
さわひらき「Lineament」@ SHISEIDO GALLERY

軽井沢から東京に戻ってきて、東京駅から直行で資生堂ギャラリーへ。
気になってたさわさんの展示。
ものすごくよかった!!
特にメインの「Lineament」は18分もあったけど全く飽きさせない。
むしろ延々とループで見ていたい位美しい映像。
どういう意味?とかもはや飛び抜けてる感じがする。これはすごい。
以前水戸で観た映像から、回転するモチーフが現れてたけど、今回の映像でもたくさん回転するモチーフが現れてた。そして珍しく人物がモチーフになってたのも特徴的。
記憶の糸を表す糸の流れ方が本当にきれいでうっとりしました。
音楽も相変わらずすばらしいです。
奥にもふたつの映像作品。さらに外壁、隣のビルと、さわひらきオンパレード。
さわさんファンにはたまらない展示でした。
もうこれ観たら他に余計なもの観なくて結構ってことで、もうひとつ行く予定をキャンセルでした。
6月17日まで。おすすめ。
ゲルダ・シュタイナー&ヨルク・レンツリンガー「力が生まれるところ」@水戸芸術館

もはや覚えさせる気ないやろ、っていうコンビ名。。。覚えたけど。
彼らの作品は、金沢のオープニング展で初めてみてすごく感動したのを思い出します。
海岸から打ち上げられたようなものたちを組み合わせた壮大なインスタレーション。
また新たに彼らの作品が見れるのか!と思って期待して行ってきました。
が、あの日の感動はよみがえることはありませんでした。。。
何やろ、参加型作品たちの安っぽさが鼻について全然純粋に観れなかった。
金沢同様見上げる作品も、さあ寝転んで見よ!って感じになってて興ざめ。
廊下の人を持ち上げて否応無く笑顔になってしまう写真作品と、最後の最後、ウォーターベッドの上で寝転んで、原生生物たちのプロジェクションを観る作品は非常に楽しめたのが救い。あれはよかった。いつまでも眺めていたい心地よさがありました。
うーん。なんか、最近の水戸芸は期待はずれが多いな。。。
以降の展示、「3・11とアーティスト: 進行形の記録」(10.13-12.09)とか、「高嶺 格のクール・ジャパン」(12.22-02.17)とかどうなんやろか。「坂 茂 建築展(仮)」(03.02-05.12)は期待できそう。
ショップで半額になってたタレルのカタログ購入。
これだけセザンヌの絵が一同に会する機会は中々ないと思います。
巡回がないので、今回行けて本当によかった。
セザンヌは非常に難しい画家なので、しっかり勉強もしていきました。
読書リストは以下。
特にユリイカの特集は凄まじかった。。。読んでも読んでも終わらない!笑
各方面から対談も含め21の論考が納められています。
なぜサカナクションのボーカルのインタビューが納められているのかは謎です。美術手○みたい。
ってか美術○帖はポロックやセザンヌの特集もせずになにやってるんでしょうね。
話は逸れましたがユリイカ。
中でも冒頭の林道郎さんと松浦寿夫さんの対談はすごくおもしろかった。
当時の印象主義の画家たちが自己を忘却し、自然に即して描ききる中、セザンヌは記憶の持つ作用力に対して執着した画家だという指摘はおもしろいですね。
彼は写真を使って絵を描いたことでも知られています。
自分が美大生の頃、散々写真を見て描くな、と諭されましたが、セザンヌは堂々とそれをやってのけちゃってたんですね。
また、セザンヌの描く人物にしても、女性との接触を極端に拒む彼が行ったヌードの解決が、ルーブルで模写してきた裸体像を自分の絵の中に嵌め込むという方法。かなり大胆です。
水浴図は生涯通していくつも描いていますが、やはりどれも不自然なんですよね。
さすがにヌードのコピペは中々つらいものがあります。
だからいつまでたってもセザンヌのヌードは下手さが見えちゃう。
それに対して風景や静物、身近な人たちの肖像の豊かさは素晴らしいです。
「セザンヌ論」の作者であり、1910年の「後期印象派展」でセザンヌを広くイギリスに紹介したことで知られるロジャー・フライはセザンヌの静物画をこう評しています。
「彼はドラマティックな表現を狙っているわけではないし、台所のテーブル上の果物皿や野菜籠やりんごについてドラマを云々するのも馬鹿げているけれども、それでも彼の手にかかると、これらの場面は何か厳粛な出来事という印象をわれわれに与える。セザンヌの静物画に対して、悲劇的とか脅威的、高貴あるいは叙情的といった言葉は場違いに思われるけれども、それでもやはり、それらの作品が喚起する感情は奇妙にもそうした心的状態に似ているように思われる。これらの静物画が劇的、叙情的、等々ではないのは、何も感情の欠如のせいではなく、削除と凝縮の結果である。いわばこれらの絵は、すべての劇的時事件を取り去ったドラマなのである。われわれが感嘆せざるをえないセザンヌのジャンルの傑作以上に、かくも厳粛で力強く重厚な感情を喚起した絵がこれまであったろうか。」
すごいですね。でもなんだかわかります。
また、ナビ派の画家ポール・セリジェはこう語ります。
「低俗な画家の描いたりんごを見て、人は、”食べてみたくなる”と言うだろう。しかしセザンヌのりんごの前では”美しい!!”と言うほかはない。人はそのりんごの皮を剥きたいとは思わず、模写したいと思うだろう。そこにセザンヌの精神主義の内実がある。私がそれを理想主義と呼ばないのには理由がある。理想的なりんごは粘膜を刺激するが、セザンヌのりんごは眼を通じて精神に語りかけるからである。」
そうなんですよね。セザンヌの描くりんごは決して美味しそうじゃない。
なのに異常に魅力的なのは、りんごの存在そのものを画面に埋め込んでいるから。
特に彼の塗り残しは見事です。
セザンヌはよく自分の絵を「エチュード」と呼んでいました。
「スケッチ」や「エスキース」と「タブロー」の間のことを「エチュード」と呼ぶそうなんですが、その未完成性こそセザンヌの絵画の魅力のひとつかもしれません。
それにしても、うす塗りの時があったかと思いきや、厚く絵の具を塗り込めたり、同じモチーフに対して色んな方法で立ち向かっていく彼の姿がこの展覧会でも見られますが、とことん読めない画家ですね。
初期=厚塗り、後期=うす塗りというのはほとんど通用しません。
「庭師ヴァリエ」なんて、今回厚塗りバージョンとうす塗りバージョンが出てますが、どちらも1906年ですものね。セザンヌが亡くなる年、最晩年も最晩年です。
こうして未だに彼を表する言葉が中々見つからないわけですが、その奇妙さを味わえるだけでもこの展覧会は非常に価値があると思います。
6月11日まで。http://cezanne.exhn.jp/
さらに国立新美術館では現在エルミタージュ展も同時開催!
GWだし、2つ合わせてどうなることかと思いきや、入場制限もなく予想より人少なめでよかった。
エルミタージュ展では、16世紀ぐらいから20世紀まで一気に駆け巡る展示。
一緒に見ると、セザンヌに至るまでの道筋がよく見える気がします。
特に今回ヤン・ステーンやらの17世紀オランダ絵画をいくつか見られたのがよかった。
先日アルパースの「描写の芸術」読んだとこやったし。
やっぱ勉強しながら見ると楽しいですね。
それにしてもやっぱり今回のメインでもあるマティスの「赤い部屋」は素晴らしかった。
縁が違う色になってるのとか不可解すぎるけど、あの開放感はすごい。
セザンヌ展にはマティスが生前所有していた水浴図が出ていたけれど、マティスは「セザンヌが正しければ、わたしは正しい」といって、セザンヌも自分自身も信じ続けていたそうです。
この絵の中にも、セザンヌが近代絵画の父と呼ばれる所以が見て取れる気がしました。
エルミタージュ展は7月16日まで。http://www.ntv.co.jp/hermitage2012/
国立新美術館は5周年ということもあって、次回の「具体展」(07.04-09.10)といい、「リヒテンシュタイン展」(10.03-12.23)といい攻めますねー。
さわひらき「Lineament」@ SHISEIDO GALLERY

軽井沢から東京に戻ってきて、東京駅から直行で資生堂ギャラリーへ。
気になってたさわさんの展示。
ものすごくよかった!!
特にメインの「Lineament」は18分もあったけど全く飽きさせない。
むしろ延々とループで見ていたい位美しい映像。
どういう意味?とかもはや飛び抜けてる感じがする。これはすごい。
以前水戸で観た映像から、回転するモチーフが現れてたけど、今回の映像でもたくさん回転するモチーフが現れてた。そして珍しく人物がモチーフになってたのも特徴的。
記憶の糸を表す糸の流れ方が本当にきれいでうっとりしました。
音楽も相変わらずすばらしいです。
奥にもふたつの映像作品。さらに外壁、隣のビルと、さわひらきオンパレード。
さわさんファンにはたまらない展示でした。
もうこれ観たら他に余計なもの観なくて結構ってことで、もうひとつ行く予定をキャンセルでした。
6月17日まで。おすすめ。
ゲルダ・シュタイナー&ヨルク・レンツリンガー「力が生まれるところ」@水戸芸術館

もはや覚えさせる気ないやろ、っていうコンビ名。。。覚えたけど。
彼らの作品は、金沢のオープニング展で初めてみてすごく感動したのを思い出します。
海岸から打ち上げられたようなものたちを組み合わせた壮大なインスタレーション。
また新たに彼らの作品が見れるのか!と思って期待して行ってきました。
が、あの日の感動はよみがえることはありませんでした。。。
何やろ、参加型作品たちの安っぽさが鼻について全然純粋に観れなかった。
金沢同様見上げる作品も、さあ寝転んで見よ!って感じになってて興ざめ。
廊下の人を持ち上げて否応無く笑顔になってしまう写真作品と、最後の最後、ウォーターベッドの上で寝転んで、原生生物たちのプロジェクションを観る作品は非常に楽しめたのが救い。あれはよかった。いつまでも眺めていたい心地よさがありました。
うーん。なんか、最近の水戸芸は期待はずれが多いな。。。
以降の展示、「3・11とアーティスト: 進行形の記録」(10.13-12.09)とか、「高嶺 格のクール・ジャパン」(12.22-02.17)とかどうなんやろか。「坂 茂 建築展(仮)」(03.02-05.12)は期待できそう。
ショップで半額になってたタレルのカタログ購入。
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