「ピーター・ブルックの魔笛」@びわ湖ホール
ピーター・ブルック演出による「魔笛」を観てきました。
舞台系久々。見返してみたら1年前のdots以来ご無沙汰でした。
彼の名前を知ったのは昨年、友人のすすめで「なにもない空間」を読んでから。
そしたらちょうど彼の来日公演を見つけて行ってみました。
関西での来日公演は2001年の「ハムレットの悲劇」以来だったようで、ラッキーでした。
「魔笛」は元々18世紀末にモーツァルトが完成させたオペラ。
曲を聴けばわかる方がほとんどだと思います。
元々は3時間を超えるものなんですが、ブルックが手がけたこの「魔笛」は極限まで要素を削り落とし、90分の作品に仕上げました。
2010年にパリで初演され、フランス最高の演劇賞モリエール賞を受賞。
その後、24カ国のワールドツアーを経て今回日本にたどり着きました。
それにしてもその削ぎ落とし方がエグイ。
舞台には、竹が何本か配され、ピアノが一台のみ。オーケストラピットはもちろんなし。
最初から最後までこの舞台で繰り広げられます。
まずピアノ一台というのがすごい。
普通はフルオーケストラですが、一人のピアニストが終止音を奏で続けて、このピアニストも演者の一人のようです。というかむしろ彼がいるのといないのとでは、かなり違うのではないのかというぐらい強い印象を与えていました。
そして舞台美術の唯一の要素である竹が見事で、時に森になり、薮になり、壁になり、扉になり、と様々な表情を見せてくれました。
舞台美術について、「なにもない空間」の中で語られています。
「美術の好きな人々には、舞台美術をなぜ<偉大>な画家や彫刻家が手がけないのか、いくら考えても理解できない。しかし、本当に必要なのは不完全な装置図なのである。つまり、厳格ではなくて明確な装置図ー<閉じた>装置ではなくて<開いた>装置と呼びうるものーなのである。ここに演劇的思考の本質がある。真の舞台美術家は自分の作品をたえず動き行動するものとしてーある場面が進むにつれて俳優がその場面にもたらしてくるものとの関係においてー考えるはずだ。言いかえれば、二次元的な画家や三次元的な彫刻家と違って、舞台美術家は時間の経過という第四次元において思考するのである。」
そして好感を持って観られたのがその配役です。
以前オペラを日本で観た時、個人的に最も違和感を覚えたのが配役。
森公美子とかを思い浮かべればわかるように、オペラ歌手の人たちの貫禄が半端ない笑
そりゃ確かにあれだけの声量で歌うのだから当然なんですが、やはりかよわい役とかやるのにあんな人たちが出てきてもらっても説得力に欠けるわけです。
オペラはそうやって観るもんじゃない、と言われればそれまでですが、やっぱビジュアルって大事。
その点今回のオペラは、ちゃんとビジュアルも考えられてるみたいで、ああいうでかい人たちは一切いませんでした。
その分声量には劣るかもしれませんが、夜の女王の歌う「魔笛」は圧巻でした。
どうしたらあんな声が出るのか。。。やっぱすごいです。
あと、登場人物も少ないのがよかった。
オペラって物語も結構無理矢理展開して行くから、誰が誰なのかわけわからなくなることがあるんですが、今回は人数がピアニスト入れて10人。
あらゆる要素を極限まで削ることで、新しい「魔笛」が誕生し、素晴らしく観やすかったです。
以前観たオペラがあまりにむずかしすぎて、もはやトラウマに近い体験だったので、今回少し苦手が克服できたというか、こういうオペラだったら何回でも観に行きたいと思いました。安いし。
御年今年で87歳のブルック。
現在新たにパリにて「The Suit」という舞台が上演中だそうで、まだまだ現役。
また来日公演とかあれば是非観に行きたいですね。
中には8時間以上の舞台とかあるみたいですが、受けて立ちましょう!
舞台系久々。見返してみたら1年前のdots以来ご無沙汰でした。
彼の名前を知ったのは昨年、友人のすすめで「なにもない空間」を読んでから。
そしたらちょうど彼の来日公演を見つけて行ってみました。
関西での来日公演は2001年の「ハムレットの悲劇」以来だったようで、ラッキーでした。
「魔笛」は元々18世紀末にモーツァルトが完成させたオペラ。
曲を聴けばわかる方がほとんどだと思います。
元々は3時間を超えるものなんですが、ブルックが手がけたこの「魔笛」は極限まで要素を削り落とし、90分の作品に仕上げました。
2010年にパリで初演され、フランス最高の演劇賞モリエール賞を受賞。
その後、24カ国のワールドツアーを経て今回日本にたどり着きました。
それにしてもその削ぎ落とし方がエグイ。
舞台には、竹が何本か配され、ピアノが一台のみ。オーケストラピットはもちろんなし。
最初から最後までこの舞台で繰り広げられます。
まずピアノ一台というのがすごい。
普通はフルオーケストラですが、一人のピアニストが終止音を奏で続けて、このピアニストも演者の一人のようです。というかむしろ彼がいるのといないのとでは、かなり違うのではないのかというぐらい強い印象を与えていました。
そして舞台美術の唯一の要素である竹が見事で、時に森になり、薮になり、壁になり、扉になり、と様々な表情を見せてくれました。
舞台美術について、「なにもない空間」の中で語られています。
「美術の好きな人々には、舞台美術をなぜ<偉大>な画家や彫刻家が手がけないのか、いくら考えても理解できない。しかし、本当に必要なのは不完全な装置図なのである。つまり、厳格ではなくて明確な装置図ー<閉じた>装置ではなくて<開いた>装置と呼びうるものーなのである。ここに演劇的思考の本質がある。真の舞台美術家は自分の作品をたえず動き行動するものとしてーある場面が進むにつれて俳優がその場面にもたらしてくるものとの関係においてー考えるはずだ。言いかえれば、二次元的な画家や三次元的な彫刻家と違って、舞台美術家は時間の経過という第四次元において思考するのである。」
そして好感を持って観られたのがその配役です。
以前オペラを日本で観た時、個人的に最も違和感を覚えたのが配役。
森公美子とかを思い浮かべればわかるように、オペラ歌手の人たちの貫禄が半端ない笑
そりゃ確かにあれだけの声量で歌うのだから当然なんですが、やはりかよわい役とかやるのにあんな人たちが出てきてもらっても説得力に欠けるわけです。
オペラはそうやって観るもんじゃない、と言われればそれまでですが、やっぱビジュアルって大事。
その点今回のオペラは、ちゃんとビジュアルも考えられてるみたいで、ああいうでかい人たちは一切いませんでした。
その分声量には劣るかもしれませんが、夜の女王の歌う「魔笛」は圧巻でした。
どうしたらあんな声が出るのか。。。やっぱすごいです。
あと、登場人物も少ないのがよかった。
オペラって物語も結構無理矢理展開して行くから、誰が誰なのかわけわからなくなることがあるんですが、今回は人数がピアニスト入れて10人。
あらゆる要素を極限まで削ることで、新しい「魔笛」が誕生し、素晴らしく観やすかったです。
以前観たオペラがあまりにむずかしすぎて、もはやトラウマに近い体験だったので、今回少し苦手が克服できたというか、こういうオペラだったら何回でも観に行きたいと思いました。安いし。
御年今年で87歳のブルック。
現在新たにパリにて「The Suit」という舞台が上演中だそうで、まだまだ現役。
また来日公演とかあれば是非観に行きたいですね。
中には8時間以上の舞台とかあるみたいですが、受けて立ちましょう!
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