「影の歴史」by ヴィクトル・I・ストイキツァ

ヴィクトル・I・ストイキツァ著「影の歴史」読了。
「絵画」というものを考える上で、ストイキツァの研究は非常に興味深いものがあります。
第一章の「影像段階」からいきなり引き込まれます。
プリニウスの「博物誌」における絵画の起源、すなわち、絵画とはまず影を写し取ることから始まったという話に始まり、プラトンの有名な洞窟神話における知の起源を結びつける。
そして、「影像段階」とくれば、ラカンの「鏡像段階」。
鏡像は自己の類似であり、影像は他者の類似。
人間の発育段階において、まず鏡像(自己)を認識し、その後影像(他者)を認識する。
しかし西洋の絵画は逆の道を辿る。
最初は影像をなぞっていたものが、いつしか鏡像によって肉付けされていく。
これはナルキッソスの神話につながっていく。
アルベルティもその著書「絵画論」で、絵画の発明者はナルキッソスであると明言している。
影をなぞるだけでは絵画とは呼べない。そこに技芸(華)がなければならない。
己を包容しようとして華と化したナルキッソスは、画家の目的と合致すると説く。
西洋絵画は自己愛から始まるとのっけから解き明かしたこの第一章はこの本の中でも白眉。この章だけで一冊分の内容はあります。
レオナルド・ダ・ヴィンチもその手記で肖像画にはどうしても自分を投影してしまうようなことを書いてたことを思い出しました。「モナリザ」は彼の自画像であるという説もあるぐらいですしね。
それにしても、この影の他者性をシャネルの広告からもってくるのにはびっくりでした。
彼の引いてくる画像はそのひとつひとつ非常におもしろいです。
第1章最後のムリリョの「絵画の起源」は、まさに彼のテキストをそのまま表すような絵画ですし、次章のマザッチョの「影で病者を癒す聖ペテロ」やヤン・ファン・エイクの「受胎告知」なんかも非常におもしろい。
特にマザッチョのフレスコ画は、実際のカルミネ聖堂にある窓から差し込む光を考慮した影の描き方をしているという話は鳥肌物でした。
その後も影に関するエピソードを細かく挙げていきますが、特に第5章の「人間とその分身」で挙げられた「ペーター・シュミレール」の話とその挿絵の紹介はおもしろかったですね。
村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を思い出しました。
そして、絵画の起源から始まったこのお話は、近代芸術における影の台頭、つまり、これまで絵画の主役だった光(鏡像ー自己)から、影(影像ー他者)が表れ始め、ウォーホルにその頂点を見るような展開は、本の展開として非常にスリリングでおもしろかったです。しかもこの本の表紙がまさにそのウォーホルの「影」ってのがよくできてます。
アルベルティの「開かれた窓」は、デュシャンによって閉ざされ(Fresh Widow)、やがてはボイスによって肉付けされていく、という形で終わるのだけれど、最後のボイスの話はちょっと蛇足な感じがしました。
ウォーホルで終わった方が本としてすごく美しかったのだけれど。
それでも本当におもしろい本でした。色々インスパイアされました。
最後に、翻訳の岡田温司氏が書いてましたが、僕はやっぱこの本の原題「A Short History of the Shadow」に基づいて「影の小史」とすべきだったと思います。この「short」に、作者の思いが込められているように思えるのに、それを勝手に「歴史」にしてしまうのは訳者の横暴だと思いました。
他にもストイキツァの本は訳されてるので続々と読んでいきたいと思います。
「絵画の自意識―初期近代におけるタブローの誕生」とかタイトルだけでそそられます。絶版なのが痛い。。。ぜひ復刊を!
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