「朱花の月」 by 河瀬直美

河瀬さんの最新作「朱花の月」を観てきました。
朱花と書いて「はねづ」と読みます。
いつもどこからこんな日本語を持ってくるのか不思議です。
この「朱花」という言葉は、万葉集でよく詠まれた言葉。
朱花の色は、炎や太陽、血を連想させると共に移ろいやすさも表すそうです。
舞台は藤原京の栄えた飛鳥地方。
映画はその藤原京発掘のシーンから始まります。
河瀬さんの映画はいつも静かに始まる印象があるのですが、今回は、土を運ぶベルトコンベアーの轟音からいきなりスタートしてびっくりしました。
以下ネタバレもあるので読みたい人だけどうぞ。
この映画は2人の男が1人の女を愛してしまうという言わゆる三角関係の物語です。
その物語が万葉の歌に被せられますが、まったくドロドロがありません。
「好きな人がいる」
と、ずっと一緒に暮らしてきた男に告白するシーンの男の表情が忘れられません。
2人の男はあまりに優しく、思ったことを中々口にしません。
密かにそのことは感づきながらも口にしてこなかった男の優しさが痛い程伝わりました。
その優しさがよりお互いを苦しめ傷つけていく。
そして最後に男は自らの命を絶ってしまう。
このシーンはかなり難しいところだと思います。
これまでも河瀬さんの作品では、「死」は一貫して扱われてきたテーマだと思います。
ただ、これまでは、その気配を漂わせるだけで、とても間接的に描かれていました。
「萌の朱雀」ではお父さんがいなくなりますが、最後までその行方はわかりません。
「殯の森」では死者はあくまで思い出として登場しました。
しかし今回、死者が実際に現れ、生者と対話すら行われます。
そして、その最後のシーンへ至る。
あの自殺は必要だったのか、ちょっと疑問です。
今回の具体的な「死」の描写郡は好き嫌い分かれるところでしょうね。
僕は正直難しかった。
これまでの独特な「死」の雰囲気が、ビジュアルとして現出してしまったのはどうにも納得がいかず。
主人公が子を宿す、生の物語でもあるのですが、今回はあまりに死が勝ちすぎていたように思います。
また、今回の映画の特徴は映像がより身体感覚が増したというところでしょうか。
特に今回河瀬さん自身がカメラを抱え、俳優や景色を追いかけているからかもしれません。
前半の自転車を漕ぐ主人公を追いかけ木の枝に衝突シーンとか印象的です。
なので、映画館で見ると、普通の映画を見ている時より周りのノイズが気になります。
映画のスクリーンと客席の間の距離がいまいちわからなくなってくるのです。
なので、あっちに引きずり込まれたり、こっちに押し戻されたりを繰り返す感覚があります。
これは中々他の映画では味わえない感覚。
普通はノイズとして消去する音も、河瀬映画の場合は取り入れたりするからかもしれません。
現実を現実としてまっすぐ撮っている眼がそこにはあります。
最後に舞台挨拶があり、監督の河瀬さんと、今回初長編俳優デビューを果たしたこずみとうたさん、そして音楽を担当したハシケンさんが登場しました。
河瀬さんの自然を無理にコントロールすることなく「待つ」という姿勢を大事にしたいという言葉はとても印象的でした。
撮影中の印象的なエピソードとして、家の中にツバメが「たまたま」巣を作ってくれたことで、その雛たちの映像が効果的に描かれたこと。
観ていて、これどうやって巣作りさせたんやろう?と思ってたら、意図してなかったんですね。
まるで恩寵のような話でした。
また、映画の中に現れる飛鳥の美しくも厳しい風景たち。
冒頭の山から大きな月が昇るシーンや、嵐のシーンなど、こういったシーンたちも非常に重要。
セッティング不可能な自然現象だけに、やはり「待つ」ことを尊重した映像作りなんでしょうね。
こずみさんは昨年のなら映画祭の「びおん」という短編でも主演されてました。
元々映画のケイタリングをされてた方で、映画の中でもその包丁さばきを披露しますが、中に出てたそばがうまそう!
河瀬映画は食事シーンもとても特徴的ですね。
彼はこれを機に奈良に移住しとうたりんぐというレストランまで始めました!
今度機会があれば食べに行きたいですね。
また、ハシケンさんのギター演奏で、このこずみさんの歌まで披露。なんてマルチ!w
あ、あと明日香村と高取村と橿原市のマスコット「あたかちゃん」も登場しました笑
最後はサイン会が行われ、僕もちゃっかりパンフレットにサインもらいましたy
また、今年もなら国際映画祭が始まります。
あの3.11から半年になる9月11日には、吉野にある金峯山寺にて、「3.11 A Sense of Home Films」と題したスクリーニングイベントがあります。
これは、河瀬さんの呼びかけで集まった世界中の監督たちが、3分11秒の映像を作り、それを1つにつなぎ1本の映画にするという企画で、昨年カンヌのパルムドールを受賞したアピチャッポン・ウィーラセタクンも参加しています。
観に行きたいけど遠いな。。。
興味のある方はこちら。
この映画は9月18日にならまちセンター市民ホールでも上映予定です。
その物語が万葉の歌に被せられますが、まったくドロドロがありません。
「好きな人がいる」
と、ずっと一緒に暮らしてきた男に告白するシーンの男の表情が忘れられません。
2人の男はあまりに優しく、思ったことを中々口にしません。
密かにそのことは感づきながらも口にしてこなかった男の優しさが痛い程伝わりました。
その優しさがよりお互いを苦しめ傷つけていく。
そして最後に男は自らの命を絶ってしまう。
このシーンはかなり難しいところだと思います。
これまでも河瀬さんの作品では、「死」は一貫して扱われてきたテーマだと思います。
ただ、これまでは、その気配を漂わせるだけで、とても間接的に描かれていました。
「萌の朱雀」ではお父さんがいなくなりますが、最後までその行方はわかりません。
「殯の森」では死者はあくまで思い出として登場しました。
しかし今回、死者が実際に現れ、生者と対話すら行われます。
そして、その最後のシーンへ至る。
あの自殺は必要だったのか、ちょっと疑問です。
今回の具体的な「死」の描写郡は好き嫌い分かれるところでしょうね。
僕は正直難しかった。
これまでの独特な「死」の雰囲気が、ビジュアルとして現出してしまったのはどうにも納得がいかず。
主人公が子を宿す、生の物語でもあるのですが、今回はあまりに死が勝ちすぎていたように思います。
また、今回の映画の特徴は映像がより身体感覚が増したというところでしょうか。
特に今回河瀬さん自身がカメラを抱え、俳優や景色を追いかけているからかもしれません。
前半の自転車を漕ぐ主人公を追いかけ木の枝に衝突シーンとか印象的です。
なので、映画館で見ると、普通の映画を見ている時より周りのノイズが気になります。
映画のスクリーンと客席の間の距離がいまいちわからなくなってくるのです。
なので、あっちに引きずり込まれたり、こっちに押し戻されたりを繰り返す感覚があります。
これは中々他の映画では味わえない感覚。
普通はノイズとして消去する音も、河瀬映画の場合は取り入れたりするからかもしれません。
現実を現実としてまっすぐ撮っている眼がそこにはあります。
最後に舞台挨拶があり、監督の河瀬さんと、今回初長編俳優デビューを果たしたこずみとうたさん、そして音楽を担当したハシケンさんが登場しました。
河瀬さんの自然を無理にコントロールすることなく「待つ」という姿勢を大事にしたいという言葉はとても印象的でした。
撮影中の印象的なエピソードとして、家の中にツバメが「たまたま」巣を作ってくれたことで、その雛たちの映像が効果的に描かれたこと。
観ていて、これどうやって巣作りさせたんやろう?と思ってたら、意図してなかったんですね。
まるで恩寵のような話でした。
また、映画の中に現れる飛鳥の美しくも厳しい風景たち。
冒頭の山から大きな月が昇るシーンや、嵐のシーンなど、こういったシーンたちも非常に重要。
セッティング不可能な自然現象だけに、やはり「待つ」ことを尊重した映像作りなんでしょうね。
こずみさんは昨年のなら映画祭の「びおん」という短編でも主演されてました。
元々映画のケイタリングをされてた方で、映画の中でもその包丁さばきを披露しますが、中に出てたそばがうまそう!
河瀬映画は食事シーンもとても特徴的ですね。
彼はこれを機に奈良に移住しとうたりんぐというレストランまで始めました!
今度機会があれば食べに行きたいですね。
また、ハシケンさんのギター演奏で、このこずみさんの歌まで披露。なんてマルチ!w
あ、あと明日香村と高取村と橿原市のマスコット「あたかちゃん」も登場しました笑
最後はサイン会が行われ、僕もちゃっかりパンフレットにサインもらいましたy
また、今年もなら国際映画祭が始まります。
あの3.11から半年になる9月11日には、吉野にある金峯山寺にて、「3.11 A Sense of Home Films」と題したスクリーニングイベントがあります。
これは、河瀬さんの呼びかけで集まった世界中の監督たちが、3分11秒の映像を作り、それを1つにつなぎ1本の映画にするという企画で、昨年カンヌのパルムドールを受賞したアピチャッポン・ウィーラセタクンも参加しています。
観に行きたいけど遠いな。。。
興味のある方はこちら。
この映画は9月18日にならまちセンター市民ホールでも上映予定です。