今思うこと

あの地震から今日でちょうど一ヶ月が経ちました。
震災直後、僕は全く言葉を紡ぐことも、動き出すことも出来ずにいました。
こういう時に素早く動ける人は本当にすごいと思います。
今こうして一ヶ月という時が過ぎ、少しずつ自分の思っていることを口にすることができてきました。
その「今思うこと」を少し書いてみようと思います。
とは言え未だに行方不明者の数は一万を超え、今日ですら大きな余震がありました。
さらに原発の問題もあります。
被災者の方々は幾重にも厄災を被られていて、その感情は想像を絶します。
阪神や中越の時以上にその被害の規模が凄まじく、どこから手をつけていいのやら。
復興という言葉を口にするには、まだまだ時間がかかりそうです。

そんな中昨日は投票日でした。
地震後における、とてもとても重要な選挙だったと思います。
このままでいくのか、シフトチェンジすべきなのか。
結果としては前者が優勢となってしまいました。残念で仕方ありません。
こんな状況でも投票に行かなかった多くの20代30代の皆様。
僕はあなたたちが恥ずかしい。情けなくて涙が出る。悔しくて言葉が出ない。
正直今はこんな心境です。
別に行ったからえらいとかじゃなくて、これはこの国に生まれた生活する以上果たすべき責務です。
しかもこんな国の緊急時に自分の意見を通さないなんてバカげている。
投票しない人はもうその権利剥奪されるべきです。罰金でもいいけど。

今日本は同情もされてるけど、非難もされています。
各国からの応援は、本当に身に沁みます。
日本が今までやってきたことの恩返しでもあるのだろうけど、これだけ個人レベルで他の国の事のために祈りを捧げられるものかと驚嘆の連続です。日本人にこんなことできるでしょうか?
この島国で生活していると、すっかり国際社会というものを普段の生活の中で忘れがちです。
放射能は空気を伝い、海に流してしまった汚染水は世界に続きます。
もしこれを他の国がやったら、日本はその批判の急先鋒でしょう。
真っ先にその国の輸出を制限し、その国のバッシングを大いに展開します。
この国はとても美しいですが、同時に多くの醜さも持ち合わせています。
改めてこの日本という国を客観的に見つめ直す機会となりました。
海外に住む日本人はすごく肩身の狭い思いをしてるんじゃないかな。
海外に住む友人たちのことを思うととても胸が痛みます。
そんな中、彼らは本当に色んなことをしてくれています。
ロンドンのAASchoolではAA Tohoku Earthquake Action(AATEA)という災害支援活動活動をして、3週間で5000ポンドほど(約70万円ほど)集まったそうです。
これらの活動は友人のブログでも触れられています。よかったらご一読ください。
「僕達はそれで充分か」
また、パリに在住でキュレーターの砂山奏さんは、方方に連絡を取り、チャリティ支援のグループ展を開こうとしています。
集まったメンバーがすごくて、ボルタンスキーやアネット・メサジェ、ジョゼッペ・ペノーネ、川俣正など超豪華メンバー。これだけ集めたのはすごい…。
詳しくはまたリンク張らせていただきます。今週14日から21日まで、パリ15区のgalerie premier regardにて。パリにおられる方、行かれる方、知り合いのおられる方は是非。
東北関東大震災義援金支援 グループ展「Help!」パリ
AAの友人は、いかに多くの外貨を集めることに終始することが、海外にいる日本人にできる唯一の責務だと言います。
日本でいくら義援金が集まったところで、それは結局「経済に回されなかったお金」であって、長い目でみれば、それは日本にとっては-から0に近づいただけであって、決して+に転じないのです。その点外貨は純粋なる+になるのです。


この地震でいろんなことを考えました。
人それぞれ思うところが大いにあったことだろうと思います。
「自分に何ができるのか」
これは多くの人に与えられた命題だったと思います。
僕はアーティストです。
多くのアーティストが「アーティストとして」立ち上がろうとしました。
でも僕はそれは違うな、と思ってました。
少なくとも僕も含め、普段から作品だけで食べてるわけでもない「自称」アーティストたちは、こんな時本当に無力だと思います。
彼らが行うチャリティに大きな違和感を感じざるをえませんでした。
「チャリティ」という名の元に「チャリティ」という付加価値を付けて普段売れない作品を売る。
または、まるでセールのように価格を均一にして買いやすいようなマーケットを創りだす。
もしそれで数百、数千万、或いは数億単位のお金が動くならそれは大いに価値があるでしょう。
だからチャリティをやってもいいのは、やはりそれだけ一流の作家だけだと思います。
彼らの作品には普段動かし得ないようなお金の流れを創りだすマーケットをそこに生み出すことができます。
しかし多くのチャリティはそうでないでしょう。
数万、数十万というお金は、いちいちアートを通過せずとも動くお金です。
わざわざそんな遠回りしなくてもストレートで義援金に回る方が生産的でしょう。
作家がそのために使う制作費や開催費用も義援金に回せたかもしれません。
最もバカげてると思うのは、「制作費を除く」全てのお金を寄付します、というもの。
だったら作るな。そんな作品は社会ゴミだ。と思います。
元ある作品をバッジやTシャツにプリントするとかも、もういいです。
あなたが本当にアーティストなら、普段から全身全霊を込めてる作品を、普段のマーケットで売ったお金を義援金に回しませんか?「アーティストとして」の正義をチャリティで振りかざして悦に入るのはやめましょう。アーティストとしてのプライドを大事にしてください。
僕はそう思います。
僕なんかは、普段から売れる作品すらないので、さらに無力です。
それでもその無力さに対して無力感を抱いたことはありません。
僕は僕なりに生きて、募金箱にお金を入れます。それだけです。立派なことなんて出来ません。

作家の内海聖史さんのTwitterでのツイートが印象的でした。
「制作することの力の無さに少し後ろめたさを感じてしまったりするが、美術が微力であることなんて最初から判っているのだから、そこに力を欲するなんておかしいだろう。僕は微力であることを選んだのです。」
これには強く頷きました。
こんな有事や災害時にアートの必要とされる場はほとんどないでしょう。
だからってアートってやっぱり無力だから必要ないというのは完全に早合点です。
それはその機能の使いどころが違うだけなんです。
物事には、使い時・使いどころというものがあって、アートの場合は、やはり今じゃない。
うまく言えませんが、アートというのは、平常時に置いて、警鐘を鳴らし、感覚を揺さぶり、忘れかけているものを思い出させてくれる機能が備わっています。
しかしこのような非日常事態に置いては、それらは機能停止せざるを得ません。
さらに、アートというのは、色んな意味で遅さを兼ね備えたものです。
この遅さは、何年何十年もかけて文化という人間の思想の奇跡を築きあげてきました。
今回の災害時に必要なのは速さです。
人の心は想像より脆く壊れやすいものです。
それらを救うには、早急な対処が必要なのです。
社会ゴミを作って売ってる場合ではありません。そんな時間はありません。
むしろ、その復興を願うことと作品を作ることを同期させるべきです。
復興したら、たくさんの文化を届ける準備を我々作家はしなければなりません。
この悲劇を文化に昇華させ、無にしないためにも、作家は手を動かし続ける必要があるのです。
なんだかうまく言えないのですが、アートが微力であり、遅いことを悲観すべきではなく、それこそアートの魅力であることを忘れたくないのです。
異論反論は多々あると思いますが、これが僕の今の正直な気持ちです。


今も被災地で苦しむ被災者の皆様。
僕には募金箱に小銭を入れることしかできません。本当に申し訳ないと思っています。
今この状況に対して、はっきり何かすることはできないけれども、時間がかかっても将来必ずこのような災害時に大きな力を発揮できるように今を生きていきます。
今日みたいにいつまでも満開の桜を皆が眺められる日が来ることを強く祈ります。



2011年4月11日晴

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