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豊島美術館 by 内藤礼+西沢立衛

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今思い出すだけで胸のざわめきが止まりません。
この豊島美術館は、この世界に存在する唯一無二の体験だと思います。
建築だとかアートだとかそういうことを飛び越えた「体験」。
そう言い表した方が自然だと思います。
風の音、雲の流れ、鳥のさえずり。
世界が一気に流れこんでくるあの感覚。
あの感動は何を書いても書ききれないと思う。
チケット売り場からスタートする長い小道。
瀬戸内海を眺めながらドキドキしながらあの建物に向かう。
入り口で靴を脱いで飛び込んできたあの感覚。
床からは水が溢れ、それが様々な形になって流れていく。まるで生き物のように。
それをただただ眺める。追いかける。ため息が出る。
何を言えばいいのかわからない。
ただ体験してほしい。そしてこの体験が日本でできることが嬉しい。
また行きたいです。
年内は芸術祭のパスで入れます。
感想にもなってなくてすいません。言葉にならないです。

あと豊島では前回見れなかった森万里子を鑑賞。
池に佇むトムナフーリ。
岩のイミテーション感がいややったけど、美しかったです。
ニュートリノの発生と共に発光する様が見たい。
夜になればもっと見やすくなるんやろうけど、今のところ16時まで。
ナイトツアーも今後検討中だとか。
でもあの険しい道を夜登るのは危険かも。。。
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それとこれまた前回食べれなかった島キッチンの島ランチ。美味!
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他に塩田さんの作品を再見。
今後も恒久作品として見せるかは検討中だとか。
恒久になれば塩田さんとしてはもう一度作り直したいらしい。
ここの受付は寒そう。。。
あとここへ行くシャトルバスが午前中しかないのは厳しい。
歩こうか迷ってたらバスの運転手さんが特別に連れてってくれた!
帰りは歩いたけど、家浦港まで30分ぐらいでした。

他に残ってる作品はボルタンスキーやカーディフなどがあります。
オラファーも恒久になると聞いてたけど残ってる作品群には入ってなかった。
詳しくはこちらでご確認ください。
島に行く前のフェリー乗り場でおばあちゃんに話しかけられた。
なんでも豊島は芸術祭中で直島より多くの人が訪れたんだって。
その顔が嬉しそうで、こっちまで嬉しくなった。
そしてまた来てくれてありがとうと言われた。
こちらこそ部外者を受け入れてくれてありがとうございます。
あの笑顔を見てたら、やっぱり芸術祭は続けて欲しいと思う。
もちろん問題はいっぱいあるんだろうけど。
これからあれらの島々がどうなっていくのか、楽しみです。
また絶対行くぞー!!!

<関連記事>
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直島 再々訪
内藤礼「すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」@神奈川近美鎌倉
内藤礼「母型」@ 発電所美術館
十和田市現代美術館
森山邸 by 西沢立衛

西沢さんといえば、最近出た「美術館をめぐる対話」がすごく豪華。
対談集なんだけど、対談相手がすごい。
青木淳、平野啓一郎、南條史生、オラファー・エリアソン、妹島和世!
以下抜粋。

「東京で建築を設計するときの問題のひとつは、東京では建築の古さが信頼できない、ということです。古い建築は全部壊されていく運命にあるのです。(略) 東京で建築を考えるということは、ヨーロッパの町で考えることとは根本的に違ったものになるのです。」(西沢立衛)

「建築というものには、敷地の中につくられるという基本的なルールがあります。しかし体感的には、むしろ敷地よりも大きいといえます。(略) 見た目は敷地に収まっていても、建築の実感としての影響範囲は、敷地よりもはるかに大きい。それはしばしば、敷地には収まらず、敷地を超えてしまうものなのです。建築はそのサイズの大きさから、敷地単位を超越するような、ある種の環境をつくる。それはつくりたくなくても生まれてきてしまうものなのです。」(西沢立衛)

「このままコンピューターが進歩すると、形のもつ意味が変わってくるというか、どんな形の建物だってできちゃうようになると、逆にどんな形をつくってもたいしたものではなくなるという、一種の相対化が起こるような気がします。そうすると今までの、美術館は内部が美術を見る空間で、外は権威や象徴のための造形という区分もいずれなくなっていくのかなと思うんですね。」(青木淳)

「もっとも、今までの美術館建築のなかで、その権威づけをどこでやっていたかというと、たぶんエントランスホールじゃないかと思います。美術館をつくろう、つくってほしいという側は、顕在的か潜在的かは別としても、権威的な空間、立派な空間がほしいわけですね。そしていっぽう、格好良い人目を惹く空間を思いっきり自由につくりたいという建築家も多い。ところが展示室は、キュレーターの人がこういうふうにしてほしいとか、作家の人がこうしてほしいとかがあって、自由にはいかない。それで、その満たされない欲求がエントランスホールに噴出する。だから玄関ばかり立派で、展示室の空間の質は実にお粗末な美術館がいっぱいできてしまった。」(青木淳)

「音楽ホールで美術をやることはまずないし、劇場で美術をやることもない。だけどその逆は増えてきたように思います。(略) 美術館は、本当の自然とも違うけれど、日常的な町とも違う非日常的な質をもった、でも日常的に行ける都市や町に必要なもうひとつの空間として、もう一度定義しなおさなくてはならない時期に来ているのかもしれません。」(青木淳)

「美術館には、民間であっても公立であっても、ある公共性というものがあって、それはまさに町の一部で、町の人々が共有する財産です。それは道路とか公園が公共物であるのと同じで、経営的に成功しないからといって道路や公園を廃止しないのと同じで、街の財産としての美術館も、お金をつくる目的で存在するのではなくて、僕らの生活を豊かにするためのものですから、経営や商業とは違う角度での評価も必要ですね。」(西沢立衛)

「『陰翳礼讃』は、1933年発表だから、サヴォア邸の竣工の二年遅れ。(谷崎潤一郎の)歳を調べると、ミースと同い年で、コルビュジエのひとつ年上、ライトよりも19歳年下という世代なんです。谷崎はインターナショナル・スタイルの世代の建築家と、まったく同時期に『陰翳礼讃』を書いているんですね。僕はあの本は「陰翳」を建築資材のように具体的に扱っている点で、日本的というより、ユニヴァーサルなものに見えます。(略) 当時谷崎は、非常に敏感に、日本というローカルな場所でモダニズムとは何かを考えていて、問題意識は通底していたんじゃないかという気がします。」(平野啓一郎)

「作品と鑑賞者との関係というのは無色透明なものと思われがちですよね。絵画があって、それを見る人がいると。けど、実際には、そのふたつのあいだで、美術館というものがメディア(媒介)としての役割を果たしている。それは文学でも同じで、小説があって、読者がいるけれど、本当は書物というものがそこに挟まっている。電子書籍化の議論が起こるまで、それは自明すぎて、意識に上りにくかった。光の問題も含めて、場所としての美術館の存在はやっぱり大きいですね。」(平野啓一郎)

「例えば、スタジオジブリ展とかをやると、たくさん人が来ますが、それが美術館として開かれているということになるのかどうか。年間を通して、そういうものをやれば、もっと難解な現代美術をやるということでバランスを取るにしても、それぞれに来る人がぜんぜん違っているとなると、実は閉ざされた世界が、美術館という箱の中で、時系列に並んでいくだけになってしまうのではないか。」(平野啓一郎)

「さらにいえば、美術館というのは、まず「閉じる」という機能が必要だと思うんですね。貴重な作品、歴史的な美術品を維持保存するために、まず閉じている必要がある。しかし、なんで閉じるかというと、それは開くためです。なぜ保存するかというと、未来の人間に対して開く、未来の人間がそれを体験できるようにするために、保存するわけです。だから閉じることと開くことは対立するものではなくて、根本的にはひとつなんですね。ローマの遺跡も、発掘されずに地面の下にある間はいわば永遠なんですが、いったん人間によって発掘されて開放されるやいなや、太陽や空気に晒される時間がスタートする。無限でなく、有限の時間というものが始まって、その時間の一分を未来の人間の鑑賞・研究のために回そうと思うと、今度は保存しないといけなくなる。(略) 「開く」ということは、物を失っていくというだけでなくて、物をつくっていく、ある豊かさを生み出していくことでもあると思うんです。」(西沢立衛)

「今さら戦艦大和をつくるのは、日本の地方都市では無理だし、つくるべきでもないと思うんです。(略)今、ユニークな、国際的にも注目されている日本の美術館というのは、結局は小さくて特徴がある施設で、それが強みになっている。」(南條史生)

「日本はマクロ経済的にはもうだめなんじゃないかと思うんです。つまりアートの経済的な背景を見ると、それを支える力がどんどん弱まっている。特に公立美術館は、きっと仕分けの対象でしょう。私立の美術館を見たって、企業がみんな力を落としてきている。だから今後は、日本の中でどうするかとか、そういう発想でなく、韓国、台湾、中国というものを含めた大きなエリアにおける観客や支持者を見ないとだめになるという危機感があります。」(南條史生)

「どんなに有名な美術館をもってきて、観客がたくさん入っていても、誰もそれをその町の文化とは見てくれない。その町の文化と認めてもらうには、そこがつくり出した文化と文化装置がなければならない。(略) そういう状況(美術館建設ブーム)のなかで、新しくできる美術館に対して、あなたたちがつくる美術館はルーヴルやグッゲンハイムをもってくることじゃないでしょう。どういう美術館をつくればいいかを一緒に考えましょう、というサービスが提供できないかなと思っています。」(南條史生)

「私は、美術館とは幾何学でいう「軌道」だと考えています。過去と現在を有しながら、今まさに動いているもの、ちょうど芸術作品と同じです。来館者にとって美術館とは、建築的な環境、芸術作品、そして鑑賞者、美術館の館長やキュレーター、技術的なチーム、そして教育者といった人たちの複合体です。もし美術館を「成功」させようとするなら、結局のところ、その目に見える姿と方針が、建物の隅々にわたって調和していなければなりません。(略) 私にとって未来的な美術館とは、ただリアリティを収めた入れもので終わるものではなく、リアリティをつくり出すものであり、同時にその作業には責任が付随する、ということを知らしめてくれるものです。」(オラファー・エリアソン)

「成功している美術館とは、自身のあり方について常に懐疑的でありつつ、同時に来館者にも健やかな批評の精神を呼び起こさせるものなのです。アートに尊厳を払いつつ展示を行う建物、というわけです。」(オラファー・エリアソン)

「昔の建築物は、漠然と永遠を目指しているような感じだったのではないかと思います。たぶん彼らには、建物を壊すということはあまりヴィジョンに入っていなかったでしょう。しかしモダニズム以降、建築は何年建っているべきか、つまり建物は何年で償却され、何年くらいの寿命であるべきかが、大きな問題になってきた。すくなくともそれは計画者が考えないといけない課題のひとつになりました。そういう意味で、モダニズム以降、時間や変化の概念を無視できる建築家、計画者はいなくなったと思います。僕にとっても、時間や変化ということはすごく大きなことで、建物が歳をとっていくことは尊いことです。それは、人間の赤ちゃんと老人のどちらもたいへんな魅力があるのと同じで、新築の建物と築後100年の建物は、どちらもお互いに代理できない豊かさをもっている。赤ちゃんがもつ無限の可能性は、言葉に出来ないほど輝かしいものですが、老人の成熟、歴史には、赤ちゃんや子供では決して獲得できない豊かさがあります。特に建築家という職業は、常に赤ちゃんしか、つまり新築しかつくれないので、なおのこと築100年の建築にはえがたい魅力を感じます。そういう意味では、時間や変化というものは、新築の建物がもちえない豊かさをどんどん生み出していく源泉みたいなところがあると思います。」(西沢立衛)

「私は個別の知覚と集団的な知覚とを兼ね備えた(融合させるのではなく)空間をつくり出すことこそが最上なのだと信じています。美術館にいるとき、私たちはとてもパーソナルでくつろいだ気分になりつつも、全体的な共鳴を感じることができます。これは美術館のもつとても深遠な一面だと思います。私たちは「個別に美術館を共有」しているのです。この共有はとても大切なことで、他者を認識することによって、私たちは主題を理解するひとりひとりの知覚の際にも敬意を払うことができるようになるのです。この敬意がやはり批評性の基盤となります。」(オラファー・エリアソン)

「日本人がイメージする建物の重量と、向こうの人が初めからイメージする重量ではぜんぜん違うと思うんです。同じ白い壁でもたぶん、重さが違うんですね。壁一枚からぜんぜん違うのに、それらが連なって建物になるわけだから、その違いは相当なものです。」(妹島和世)

とまあ、こんな感じで、美術館というテーマで、あらゆる分野からの言葉が綴られている。
特に南條さんやオラファーの持つ危機感にはハッとさせられる部分も多々ありました。
最後のあとがきで西沢さんがジョジョ好きだったと判明!笑 是非ご一読を!
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テーマ : アート
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Re: 質問です

memeさんは既に体験済みだったのですね。
あの体験はどんなに言葉を尽くしても語りつくせませんよね・・・。

靴下だけでした。2枚履き用の靴下は用意されてましたがスリッパはなしです。
やっぱあそこでスリッパはないんじゃないでしょうか。
かなり冷たかったですが、冬のピリっとした空気の中で見るのも素晴らしいです。
春夏秋冬色んな場面で体験したいですね。
雨とか降ったらどうなるのか想像するだけでドキドキします。

質問です

ついについにですね。
あの日の感動がよみがえりました。
何というか今でも夢のような信じられない体験です。

ところで、この季節も美術館の中では靴下だけ?
スリッパとかありましたか?
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