石上純也「建築のあたらしい大きさ」@豊田市美術館

お手伝いもさせて頂いた石上純也展に行ってきました。
いやはやあの日々は地獄だった・・・。今では思い出です。こちら。
さて、まずは2階の吹き抜けを使った「雲を積層する」から。
高さ5.5x幅7.6x奥行9.6mという巨大な構造体が居座っている。
その構造は、07mmという極細カーボンで支えられ、不織布によって7層に仕切られている。
何の支えもなくそよ風でも揺らぎそうなその塊。
こんな大きさにも関わらず重さは10kgしかないらしい・・・。
実はこれは石上さんが描く1/2500の模型で、人の大きさが蟻のようなサイズになり、それはまさに積乱雲のような様相を呈するとのこと。
この作品こそ僕が手伝った作品です。思い出いっぱい。
僕は最終日までいられなかったので、完成作品を初めて見ました。
でもやっぱ自分が関わってしまうと、作品を純粋に見れませんね。
なんかアラとかばっかり見ちゃって、ちょっと感動はできませんでした。。。
実際他のところは全く関わってなかったので、とても新鮮に見ることができました。
3階に上がる途中で担当学芸員の能勢さんにばったり。
ちゃんと覚えていてくださったのがうれしかったです。
お次はKAIT工房の模型とそれを実際使ってる人々の映像。
実際に新築として建ってる実作はこれのみなんですよね、石上さん。
その一作で日本建築学会賞とっちゃってるんだからスゴイ話。
これは305本もの柱がランダムにワンルーム内を森のように生えている建築。
それらをどう人々が使っているか。またどのように動いているのか。
なんだか心理学の実験を見ているような映像で、竣工後の建物に関しても実験を続けているよう。
模型に落ちる影がすごく美しかったです。
奥には「地平線を作る」という作品。
これも大学内のカフェテリアのプランの為の1/23模型。
藤棚のような植物の絡みあう屋根が延々と続き、途中に柱が一本もない。
もはやこのスケールで柱がないと、ほとんど大地と言える風景になる。
それにしても模型が細かい。。。
特に天井に絡みつく植物の切り取り作業を考えただけでもめまいがする。
廊下にはドローイングが展示されてたけど、会議室で黙々と描いてらっしゃる姿を思い出す。
1時間で10cmしか進まない!と嘆いてたっけ・・・。
これ考えると「雲を積層する」はまだマシだったかな・・・。
続いて「空に住む」。こちらは1/3000の模型群。
限りなく細いプロポーションを持つスカイスクレーパー。
中には4mを越すのもあって、x3000だから実際は12000m!!!
この模型がこれまた細かい・・・。
黒い人の模型をどうやって作ってるのかも想像がつかない。気が狂いそうだ。
さらに奥にはMotでも見せてた「little garden」。
細かいけど他のに比べるとまだまだマシな感じがあって安心感すらある。
そして最後に「雨を建てる」。
ヴェニスビエンナーレで金獅子賞を射止めた伝説の作品。
そしてヴェニスよろしくこちらも初日間際に崩壊。
ボランティアの子が誤って崩してしまったということだけど、正直自分がその子じゃなくて良かったと心底思う。その子は絶対確実に全く悪くないと思うけど、その子にとっては罪悪感極まりなかったと思う。誰も責めないけどそれが返ってプレッシャーみたいな。ホント罪な作品。
この作品のおもしろいのは、0.9mmx4mという極細柱がまっすぐ建っているということはもちろんだけど、それ以上に、なんだか見えないものまで見えてきそうなあの得も言われぬ感覚だと思う。
この作品は54本の柱が矩形の周りを囲むようにして建ってるのだけれど、最初真ん中にも柱があると思い込んでいて、目を凝らしてそれらの「あるはずのない柱」を探していた。
そのある/ないの境界をこの作品は見せているような気がする。
少し残念だったのが、ヴェニスの時のように横柱がなかったこと。
「雨」と題されていたので縦柱だけにしたのかもしれないけれど、やはり建築として物足りなかった。
とまあ、全体ではこんな感じです。
あらゆる点においてアンビシャスな計画ばかりだけれど、彼の凄さはそれを全く自然に見せていること。
例えば最後の「雨を建てる」なんかだったら、その建ってる様が如何に不思議かを示すために、床や壁を黒くして、もっとその白い線を強調することだってできたはず。
なのにそれをせずに、見えないものまで見せてくれるような建築を超えた何かを提示してくれていた。
また、妹島事務所出身のわりに、曲線がほとんど出てこない。
ほとんどが直線で出来た作品で、形に関してそこまで奇抜なことをしていない。
このさりげなさが彼のすごいところなんだと思う。
これらのプロジェクトは夢物語として一笑にふすことも可能。
だけれど、万博の時代にかつて我々が描いた未来のように、夢を描くことは決して無駄ではなく、それは大きな前進につながるということ。
かつてアーキグラムやフラーの描いた未来予想図は、未だに我々に大きな示唆を与え続けている。
それは彼らがおふざけや子供の遊びとしてではなく、全くもって真面目に取り組んでいたからだと思う。
今や、形にこだわるだけならば、ほとんどの建築が実現可能なレベルに達している。
それ故に、ザハやリベスキンドのような、かつて「アンビルト」と呼ばれた人たちの建築は今や実現可能になり、皮肉なことに彼らの建築の重要性はほとんど失われているように思う。
不可能であるからこそ可能性があるということ。
石上さんの建築を今見れるのは、とても有意義な事だと思う。
とても素晴らしい展覧会だと改めて思いました。
僕が行った日の前日にこの展覧会の図録が発売になりました。
この本に収録されている内容は、真に世界と向き合い続ける石上さんの姿を映しだしています。
また、青木淳さんの「なぜ、それを模型と呼ぶのか?」と題された文章は本当に素晴らしいです。
青木さんの文章力には本当に感動しますね。
ちょっと一部抜粋。
「建築の展覧会というのは、とてもむずかしい。
なぜなら、ぼくたち建築家の多くにとって、作品とはまずはできあがった建築のことだからだ。建築を土地から引きはがして展示の場にもってくることはできない。仮にそれができたとしても、建築というのは、その単体だけで成立しているのではなく、それをとりまく環境との応答を込みにしてできているので、そのまわりまで引きはがしてもってこなければならない、というのがほんとうのところ。でも、それはもっと無理な話。自分が作品と考えているそのものを、展示することはできない。展示できるのは模型や部分の再現や図面や、ともかく、それに付帯するもの、代用品ばかり。もちろん、資料展示と割り切ればいいのかもしれない。しかし、展覧会、とくに美術の場での展覧会は、アーティストたちが切実な思いでつくりあげた作品を展示する場のはず。そんな場に、そのもの自体が作品ではないものを展示することは失礼なこと。やっぱり、そのもの自体が作品であるものを展示しなければならない。しかも、美術館での展示会だからといって、建築としていつもやっていることではなく、なにか別のことをしようとは思わない。」
「すごく荒っぽい話だけれど、建築家は、造形を建築ととらえている人と、そこに孕む空気を建築ととらえている人とに二分できる。建築は、もちろん、物理的環境なので、形をもつし、素材ももつ。つまり、造形物だ。でも、その造形をネガとすれば、そこにポジとして孕んだ空気がある。ポジとネガはセットなので、どちらか一方だけというわけにはいかない。でも、見ているところの比重は、人によって違う。その比重によって、造形派と空気派に分かれる。やっぱり、荒っぽい話だ。
でも、こんなことを言い出すのは、建築を造形としてとらえている人が大多数、と思うからだ。建築家がそういうだけでなく、一般の人もそう。たとえば、《テーブル》に戻れば、少なくともぼくが会って話した人では、その薄さにびっくりした、という人が圧倒的に多い。そういう人は、《テーブル》をモノとして見ている。つまり、造形として見ている。もちろん、それが孕むたゆたう世界に驚いたという人もいる。でも、そんなふうに空気として見る人は、数で言えば、やっぱり少ない。その比率は、《四角いふうせん》でも同じこと。巨大で重い立体が浮いているのに反応する人が造形派だとすれば、そのことによって生まれている隙間の世界に反応する人が空気派。やっぱり造形派の方が圧倒的に多い」
これらの青木さんの言葉は、建築を展覧会で見せることの大きなテーゼを描いている。
今のところ、展覧会として納得したものを見せられる建築家は石上さんしかいない。
それはやはり彼が真摯に建築としてやっていてこその結果だと思う。
模型だからといってそれを2次的なものとして決して捉えていない姿勢が伺える。
だからそれらが作品として成立し、観るものに様々な問いを発することができる。
また、最後の五十嵐さんの文章では石上さんのエピソードが織り込まれている。
青木さんのおっしゃってるように、彼の作品はモノを作ることで空間を作っている。
そのことに関して《四角いふうせん》や《テーブル》のエピソードなどが載ってる。
そしてこれまで建築用語では使われなかった「かわいい」という言葉が使われいること。
これは妹島さんから受け継いでいるらしい笑
いわゆる普通の展覧会図録とは少し違いますが、石上哲学を垣間見れるような本。必見です。
最後の謝辞のところに僕の名前も載せていただいてました。ありがたい。
26日の最終日には対談もあるようなので、まだの方は是非!
石上純也展「建築のあたらしい大きさ」(2010.09.18-12.26)
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