どろどろ、どろん 異界をめぐるアジアの現代美術 @ 広島市現代美術館

もうやめとこうかなぁ、と思ってたんやけど、ギリギリになって、ヤフオクで18切符が安価で手に入ってしまった為に行ってきました、HIROSHIMAへ。
タイトル見ただけですごく気になってたんですよね。
行かずに悔やむより行って悔やめ。
というのが僕の格言なので、気になったら仕方がないのです。
さて、早速全体の感想を言わせてもらうと、惜しい、といった感じ。
昨年のシェルター×サバイバルもそうやけど、こういうテーマ展ってキュレーターと好みがばっちし合えば最高の展覧会になるんやろうけど、そうでない限り諸刃の剣な難しさがある。
例えば作家の選定にしても、会田誠の「おにぎり仮面」をありにしちゃうとなんでもありになっちゃうような感じがしたし、それならば何故松井冬子や町田久美あたりを持ってこなかったのかと疑問。そういえば、今回の出品作家15人中女性は風間サチコ一人だけってのも気になる。
また、途中で民俗学的資料が挟み込まれてたけど、もっとどんどん挟み込んでいった方が、現代美術とそういった異様なもの達の境目が溶け出しておもしろいことになったんじゃないかと想像できちゃうし。
「行って悔やむ」ことにはならなかったものの、ちょっと物足りない感じはしました。
でも、昨年よりは良かったと思います。
こういうテーマは現代美術の原初的な部分を突く鋭いテーマやと思うし、特に日本は古来から八百万の神という数数多ある奇妙な偶像を生み出して来ただけに、これも表現と言ってしまえばそうだし、「よくわからないもの」から創造が始まるというのはとても人間の根源的な部分に触れるようでドキドキする。
それだけに惜しいんですよねー。んー。
ここで見たいな、と思ってた作品にも何点か出会えました。
まず高木正勝さんの作品。京都芸術センターでも昨年末ぐらいにやってたようだけど、それは見逃してて、最近長谷川祐子さんに気に入れられまくってるってんで、どんな作品かいな、と思ってたんですよね。
「Homicevalo」という馬と少女が映し出された映像は美しくもあり、でもその少女の顔が見えそうで見えない感じが言いようもない恐怖を掻き立てるような映像。正直彼の作品の実物みるまで「オシャレな作品」というイメージだったのですが、ちょっとそれだけではない雰囲気を漂わせてたので安心しました。
中原浩大氏の燕を撮り続けた作品も初めて見た。なんか今回のテーマと合わせてみると、ただの燕の群れだけではなく、何かどす黒いものを暗示してるようで異様な雰囲気でした。
八谷和彦の作品は、本当に不思議だった。
円の中に映像が映ってるんやけど、それ自体は何でもない映像で、でもその前にかかってる鏡をのぞくとなんと人魚が映るというもの。どうなってるんやろ・・・。映像にしかけがあるのか鏡にしかけがあるのか・・・。なんか鏡にしか映らないってのがどうにも恐い。
また、その奥にある机には、レンズを通してでしか見えない小人が。
テクノロジーを使って、古典的な恐怖を演出するってのがおもしろかった。
そして、佐藤充さんの作品。この人はすごい経歴の持ち主で、実はまだ22歳!
先日京都造形大学を卒業したばかりなのだけど、実は高校生の頃から束芋氏の紹介で小柳の所属作家になってて、当時テスト用紙とかの裏に描いてたドローイング(?)がアートフェアで売れたりして、卒業を前に既に売れっ子作家さんなのです。そういう人の作品が卒展に出てるってのはなんか変な感じですね。
で、今回初めて見たんですが、凄まじいですね。
今回の展覧会にはもってこいの作品だったように思います。
んー、これからどうなっていくのか。楽しみな作家さんです。
で、僕の好きな加藤泉さんの作品も。この人の作品も今回の展覧会にぴったり。彫刻の作品は今まで何度も見逃してきたのでようやく見れた。いいですねー。
あと、戸谷成雄さんの作品が出てたのは意外でした。今回最年長ではないでしょうか。それにしても全く古くささを感じないのは凄い。
まあ、こんなところでしょうか。
全体として物足りなかったけれど、こういう試みはどんどんやってほしいですね。
年末から始まる「一人快芸術」も気になる。
行けたら行きます。
って、その前に「マーティン・クリード」展ですが。これは必須です。
上記の「どろどろ、どろん」は5月10日まで。
20周年ということで、GWは入場無料だそうですよ!
「高松次郎 コレクション in Hiroshima 点、線、不在のかたち」。
こちらは広島現美のコレクション展。
とはいっても、ここのコレクション展はあなどれない。
メイン展覧会を凌ぐことだってありえる。
昨年のMONEY TALKなんかは好例ですね。
今回も素晴らしいです。普通の美術館ならこっちがメインでもおかしくない!
高松次郎という人の作品を見てると、同じ作り手として胸がきゅんとなる。
その人生を賭して、全力で芸術に注ぎ込んだ人。
もちろんすべての芸術家はそうであるべきなんだけど、この人の場合はよりその芸術家像が当てはまる感じがする。それも轟々と燃える赤い炎ではなく、沸々と燃える青い炎のような。僕にとって高松次郎という人はそういう人です。
そんな彼の探究心を垣間みれるのがこの展覧会。
一人の研究家の一世一代を掲げた研究発表のような、そんな展覧会だった。
点の作品。線の作品。影の作品。
普通1つのシリーズを終えると次といった具合に移り変わっていくのだけれど、この人の場合はすべてが同時並行で進む。
どれだけ深く潜れるか。
人間といはここまで物事にのめり込むことができるのかと感心して言葉も出ない。
なんだかすごく刺激になる静かに深い良質な展覧会だった。
コレクション展でここまで考えさせてくれるのは広島現美以外に知りません。本当これからもどうやってそのコレクションを見せてくれるのか、メイン展と同じくらい期待してしまうのであります。高松次郎展は5月24日まで。
ところで、この美術館これだけいい展覧会をやるんだけど、決定的な弱点がある。
その建物である・・・。
この黒川記章作の建築ははっきりいってどうしようもない。
建築家のエゴで出来上がってしまったような・・・。
中でやるであろう美術展のことを微塵にも考えてなかったのでは?
例えば展覧会の途中でフロアが変わるのは一体どういうことなんだろう?フロアが変わる時に一端展覧会の空気感とかいったものがそこで途切れてしまう。
もちろんフロアが変わること自体他にも色んな美術館がそういうプログラムで出来てたりするんやけど、そういう場合はその数フロアすべてがその展覧会で成り立ってるから大して気にならない。この美術館は、そういうプログラムで出来てるんじゃなくて、わざわざ企画展示室と常設展示室をわけた上で更にフロアまで分けてしまってるんである。
だったら、一階を企画展示室、地階を常設展示室とはっきり分けてしまった方がすっきりするし、展示する方としても、世界観が一定で崩れないので作りやすいと思う。
そして、照明。酷過ぎる。。。メカニックなデザインの照明が至る所に設置されていて、きっとこれも黒川さんのデザインなんやろうけど、美術空間において、照明がここまで目立ってしまったら駄目でしょ。あくまで主役は作品なんだから。。。
ホント企画はいいのにその箱が駄目ってのは残念でならない。
美術館前のムーアの彫刻の周りには見事な桜が!
すでに葉っぱが見え始めてたけど・・・

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