原っぱと遊園地 by 青木淳
白い教会(2006)



青山プロジェクト(2008)


最近本を読み狂ってます。月15冊ぐらいのペース。
というのも、地元の図書館にアートや建築の本が充実してることが判明したため。灯台下暗しでした。
学校卒業して、こういう専門書って買うしかないんかなぁ、と思ってたのですが、意外に公立図書館にもマニアックな本って置いてるんですね。はなから諦めてたのでびっくり。
で、まあ色々読んでるんですが、中でもダントツおもしろかったのが青木淳の「原っぱと遊園地」。
このワクワクするようなタイトル。
前から気になってはいたのですが、図書館で見つけて意気揚々とレンタル。
いやぁ、おもしろい!おもしろすぎて、結局「原っぱと遊園地」「原っぱと遊園地2」も買ってしまいました。
まず、「原っぱ」と「遊園地」という言葉の選び方が絶妙。
「原っぱ」とは目的が失われ、なんでもなくなってしまった空間。
「遊園地」とは目的がガチガチに決められ、いわゆる「至れり尽くせり」な空間。
青木さんは前者の「原っぱ」こそ良しとしてます。
これは明らかにモダニズムへの反発です。
モダニズムでは、ルイス・サリヴァンの有名な言葉「形態は機能に従う」や、コルビュジエの「住宅は住むための機械である」などのように、いかに無駄を省き、その機能のみを反映させられた空間を作り得るかに全力を注ぎ込んでいました。
その究極の形がミースが追い求めていたような形かもしれません。
しかし青木さんはそれに「ノー」を表明するのです。
でもそれが強いノーではなく、本当にさらっとしていて、押し付けがましくないのが素晴らしい。
全体として、とても柔らかいトーンが流れている、文章としてとても「うまい」と思いました。
「○○である」とか、なんか言い切ってしまう文章って、それに共感できたらおもしろいんやけど、1度でも「そうか?」と思ってしまうと途端にしんどくなる。
青木さんの文章は、その中間領域をうまく描いている気がします。
まさに「原っぱ」のような文章。
行間に「あそび」があり、読者は想像力を膨らまして読む事ができる。
それに本当にうまい文章ってやっぱ難解な言葉を使わずして言いたい事を言い得てる文章だと思うんですよ。易しい言葉だけで、こうした専門領域の話を書き進めるのって案外難しくて、逆に難しい言葉を多様した方が楽だったりします。それに易しい言葉で構成すると色んな人が理解できちゃうのでごまかしが効きませんし笑
建築以外の人が読んでも結構納得できちゃうと思います。
最近海外では、日本みたいにスクラップ&ビルドではなく、リノベーションが主流になってきました。そしてそうした建物の方が断然おもしろい。元々その目的用に作られたものではないので、使い勝手は悪そうですが、それでも元の空気を含んだ建物の魂みたいなものまで取り込めるので、昔に思い馳せることもできます。
ルーブルだって元は宮殿だったわけだし、テートモダンなんて典型例ですね。
ここでも何度か紹介してる日本の発電所美術館もすばらしいです。
日本は美術館の数だけは多いですが、本当に面白い美術館ってそうそうない。
「原っぱ」のように1度目的を失い、また別の目的を獲得するような空間こそ今求められてるのかも。
しかし、この理論、多少無理があって、例えば「美術館を建ててください」と頼まれて、「原っぱ」のような建築を一から建てられるのか?という問題。
もう、目的が最初から決められてるので、やっぱり「美術館」を作るしかないわけです。
青木さんがそれに取り組んだのが青森県立美術館だったんでしょうが、あまり成功してるとは思えません。
やはり「原っぱ」の初期要素として「失う」というプロセスが重要なのではないでしょうか。
あくまで、その建物が元々の使われ方をしていたのを、その機能が一端失われて、新しい全く別の機能として生まれ変わるからこそ成立するのが「原っぱ」じゃないかな。
たとえ、工場のような建物を建てて、美術館としてスタートしたのなら何の意味もないのです。
唯一「原っぱ」を作りうる手だてがあるとしたら、もはやそれは作り手ではなく使い手にかかってるのではないでしょうか。使い手が自由な発想で空間を使いこなせれば、そこは「原っぱ」になるのでは。でも一種アナーキーな響きもしないではない。作り手としては、いかに使い手の想像力を刺激できるかにかかっていると言えます。
まあ、「美術館」とか「図書館」って言われちゃうと、目的がはっきりしちゃい過ぎてて難しそうですが。
ちなみにここまで青木さんの文章を褒めちぎってて何なんですが、実際青木さんの建物に、この文章のようなワクワクを感じられないんですよね。
文章に漂う雰囲気をまるまる投影できるような空間が建てられれば大成功と言えるんでしょうが。
上の写真たちはここ最近で見た青木淳建築。なんだかなー。
ちなみに最初の「白い教会」は、教会と言っても「チャーチ」ではなく「チャペル」。
しかも「ウェディングチャペル」
もしかしたらこれこそ「原っぱ」な施設と言えるかもしれません。
完全に教会の元の意味はぎ取られてますからね笑
昔外人さんが、日曜日、本来ミサの日なので、どこか祈れる教会はないかと探していたら、偶然見つけて祈ろうとしたら、「ここはウェディング用なので祈る場所ではありません」と注意されたという話があります。
ほとんどの日本人が無宗教なのに、なんで十字架の前で永遠の愛を誓い合うのか僕にはよくわかりません。
そもそも何に誓ってるんだとつっこみたくなります。
まあ、幸せな2人の前では、っぽいものであれば何でも良いんでしょうね。
それから「磯崎新の都庁」を読んだ。
これは、今新宿にある丹下健三設計の都庁のコンペで起きた事件を小説風に綴った本。
青木さんも磯崎スタッフとして都庁コンペコアスタッフの一員として登場。
まあ、磯崎新には全然興味ないんですが、本屋に並んでて気になったので。
読んでて磯崎さんのことより丹下さんのことが気になった。
なんか丹下さんと磯崎さんの関係って手塚治虫と石ノ森章太郎の関係に似てる。
丹下さんも手塚さんも一分野を開拓した祖であり、もう十分に生きてる間から神のような存在だったのに、弟子に嫉妬しちゃうんですよね笑
手塚さんが石ノ森さんの漫画にいちいち難癖つけながら、画風とか真似たりしてたように、この本でも丹下さんが、後に建てるフジテレビ本社屋のデザインが明らかに磯崎さんの都庁コンペの案そのままだったり。。。
しかも丹下さんは、代々木体育館以降、代表作というものに本当に巡り会えなかった。
都庁だって特におもしろくもないしね。。。
ところで、「現代アート入門の入門」という、まあ、内容が素人すぎて読む価値のない本なんやけど、それに都庁が元あった有楽町に今は都内の端っこにある東京現代美術館を建てる案もあったってホンマやろうか。それがホントなら、悔し過ぎる。。。今の場所不便すぎますからね。有楽町にあったらどれだけ楽だったか!今は有楽町フォーラムが出来てます。余談でした。
同じく丹下さんの弟子で、昨年お亡くなりになった黒川紀章の「共生の思想」も読んだ。
図書館の閉架にあったので頼んで出てきたそれを観て一歩退いた。
だって700ページ以上ある、辞書かよ!ってつっこみたくなる太さなんやもん。
でもまあ、読み切りました。意外と読めるもんです。
でもこれ、完全に建築家の本じゃないですね笑
明らかに政治家のマニフェストですよ。
実際都知事選に出馬したわけですが、ちょっと遅すぎたような気がします。
書いてる内容は大変示唆に富んだ内容で納得できます。
学校の地下に防災グッズを常時保管できる倉庫を造るべきだとか。
さっさと建築なんかやめて政治の道に進んじゃえばよかったのに。
建築は実際全然面白くないですからね。
んで、「コールハースは語る」を立ち読みした。
某書店では椅子が用意されてて、意外と薄かったので全部そこで読んじゃいました。
最近コールハースが気になる。
明らかに伝説が他の建築家に比べてダントツで多いですから笑
有名なのは、家を頼んでた施主の要望が、コールハースの建てようとしていたものと合わなくて、なんとこの人施主をクビにして、そのままの案でポルトガルのコンサートホールに仕立てちゃったり、コンペ案を無理矢理ねじ曲げたり滅茶苦茶です。
前述の磯崎さんの本の中でも、磯崎さんがかつて、パリのラ・ヴィレット公園のコンペ審査員をしていた時に、コールハースも出してきた時のエピソードも載ってます。以下抜粋。
「ラ・ヴィレット公園のコンペで問われたのは、現代の新しい「楽園」のイメージだった。(略) しかし、コールハースはのっけから過激である。「このプログラムを具現化するのはナンセンスだ。単なる提案リストとして受け取ることにする」 いきない主催者の要項に異議を叩きつけると、彼はまるで映画や雑誌でも編集するかのような手つきで、軽快に公園をデザインしてしまった」
んな、アホな笑
結局バーナード・チュミが最優秀を得、実現に至るわけですが、磯崎さんはこの案を最後まで推していたようです。
んー、媚びる事を知らない野犬さながらですね笑
この本で印象的だったのは、建築と都市の関係に関する問への回答。
「建築は制御力を行使しようとする必死の試みであり、アーバニズムはその試みが失敗した姿だ。建築/都市をふたつのコアを持つ単一語としてみなそうとする重力が働いていることは、制御力をなつかしむノスタルジアが、ほぼ禁じられた領域にまで達していることを示している」
まあ、何言ってるかほぼわかんないんですが笑、彼の言葉っていちいち強いんですよね。青木さんとは正反対に、レムはもうばっさばっさ斬りたおします。
この原動力はどこから来るんでしょうか・・・。
五十嵐太郎さんの「現代建築に関する16章」という本では1章まるまるレムに割いてます。やはり彼はモダニズム以降最も重要な建築家の1人なんですね。
でも五十嵐さんがこの本の中で「レムはコルビュジエの最大の継承者」と称してるのは意外でした。コルビュジエとコールハース。名前は何となく似てるけど、全然つながんないんですが。。。まあ、確かに大言壮語を吐いて人々を惑わせる感じは似てるのかもしれませんね。
ちなみにこの五十嵐さんの本は、詰め込むだけ詰め込んだ建築の知識を整理するのに役立ちました。五十嵐さんの文章も中々魅力的です。
ゴシックやバロックについて語ってると思ったら、いきなりエヴァやスーパーフラットまで出てきたり、とても自由な縛られない文章で読んでて楽しかったです。説明に終始してただの教科書になりかねないところをうまくずらしてる感じですね。最近出た「植物と建築」も読んでみたい。
ちなみにここに挙げた人々は文章がやたらにうまいわりに建築は・・・って感じ。
レムは、サーペンタインパビリオンしか生で見た事ないのでなんとも言えませんが、写真で見る限り、これらの発言ほどおもしろいのかな?って思てしまいます。
実際僕の好きな伊東さんやSANAAの建築は、もう言葉を超えっちゃってますからね。 伊東さんの場合、せんだい前までは、言葉に縛られてた感じがありましたが、せんだいで、もうふっ切れて暴発したようになっちゃいましたからね笑
言葉で語り尽くせるなら創造なんて要らないんです。
やっぱ創造の魅力は言葉を超えたところにこそありますから。
まだまだ読んだ本はありますが、折々に触れていきたいと思います。



青山プロジェクト(2008)


最近本を読み狂ってます。月15冊ぐらいのペース。
というのも、地元の図書館にアートや建築の本が充実してることが判明したため。灯台下暗しでした。
学校卒業して、こういう専門書って買うしかないんかなぁ、と思ってたのですが、意外に公立図書館にもマニアックな本って置いてるんですね。はなから諦めてたのでびっくり。
で、まあ色々読んでるんですが、中でもダントツおもしろかったのが青木淳の「原っぱと遊園地」。
このワクワクするようなタイトル。
前から気になってはいたのですが、図書館で見つけて意気揚々とレンタル。
いやぁ、おもしろい!おもしろすぎて、結局「原っぱと遊園地」「原っぱと遊園地2」も買ってしまいました。
まず、「原っぱ」と「遊園地」という言葉の選び方が絶妙。
「原っぱ」とは目的が失われ、なんでもなくなってしまった空間。
「遊園地」とは目的がガチガチに決められ、いわゆる「至れり尽くせり」な空間。
青木さんは前者の「原っぱ」こそ良しとしてます。
これは明らかにモダニズムへの反発です。
モダニズムでは、ルイス・サリヴァンの有名な言葉「形態は機能に従う」や、コルビュジエの「住宅は住むための機械である」などのように、いかに無駄を省き、その機能のみを反映させられた空間を作り得るかに全力を注ぎ込んでいました。
その究極の形がミースが追い求めていたような形かもしれません。
しかし青木さんはそれに「ノー」を表明するのです。
でもそれが強いノーではなく、本当にさらっとしていて、押し付けがましくないのが素晴らしい。
全体として、とても柔らかいトーンが流れている、文章としてとても「うまい」と思いました。
「○○である」とか、なんか言い切ってしまう文章って、それに共感できたらおもしろいんやけど、1度でも「そうか?」と思ってしまうと途端にしんどくなる。
青木さんの文章は、その中間領域をうまく描いている気がします。
まさに「原っぱ」のような文章。
行間に「あそび」があり、読者は想像力を膨らまして読む事ができる。
それに本当にうまい文章ってやっぱ難解な言葉を使わずして言いたい事を言い得てる文章だと思うんですよ。易しい言葉だけで、こうした専門領域の話を書き進めるのって案外難しくて、逆に難しい言葉を多様した方が楽だったりします。それに易しい言葉で構成すると色んな人が理解できちゃうのでごまかしが効きませんし笑
建築以外の人が読んでも結構納得できちゃうと思います。
最近海外では、日本みたいにスクラップ&ビルドではなく、リノベーションが主流になってきました。そしてそうした建物の方が断然おもしろい。元々その目的用に作られたものではないので、使い勝手は悪そうですが、それでも元の空気を含んだ建物の魂みたいなものまで取り込めるので、昔に思い馳せることもできます。
ルーブルだって元は宮殿だったわけだし、テートモダンなんて典型例ですね。
ここでも何度か紹介してる日本の発電所美術館もすばらしいです。
日本は美術館の数だけは多いですが、本当に面白い美術館ってそうそうない。
「原っぱ」のように1度目的を失い、また別の目的を獲得するような空間こそ今求められてるのかも。
しかし、この理論、多少無理があって、例えば「美術館を建ててください」と頼まれて、「原っぱ」のような建築を一から建てられるのか?という問題。
もう、目的が最初から決められてるので、やっぱり「美術館」を作るしかないわけです。
青木さんがそれに取り組んだのが青森県立美術館だったんでしょうが、あまり成功してるとは思えません。
やはり「原っぱ」の初期要素として「失う」というプロセスが重要なのではないでしょうか。
あくまで、その建物が元々の使われ方をしていたのを、その機能が一端失われて、新しい全く別の機能として生まれ変わるからこそ成立するのが「原っぱ」じゃないかな。
たとえ、工場のような建物を建てて、美術館としてスタートしたのなら何の意味もないのです。
唯一「原っぱ」を作りうる手だてがあるとしたら、もはやそれは作り手ではなく使い手にかかってるのではないでしょうか。使い手が自由な発想で空間を使いこなせれば、そこは「原っぱ」になるのでは。でも一種アナーキーな響きもしないではない。作り手としては、いかに使い手の想像力を刺激できるかにかかっていると言えます。
まあ、「美術館」とか「図書館」って言われちゃうと、目的がはっきりしちゃい過ぎてて難しそうですが。
ちなみにここまで青木さんの文章を褒めちぎってて何なんですが、実際青木さんの建物に、この文章のようなワクワクを感じられないんですよね。
文章に漂う雰囲気をまるまる投影できるような空間が建てられれば大成功と言えるんでしょうが。
上の写真たちはここ最近で見た青木淳建築。なんだかなー。
ちなみに最初の「白い教会」は、教会と言っても「チャーチ」ではなく「チャペル」。
しかも「ウェディングチャペル」
もしかしたらこれこそ「原っぱ」な施設と言えるかもしれません。
完全に教会の元の意味はぎ取られてますからね笑
昔外人さんが、日曜日、本来ミサの日なので、どこか祈れる教会はないかと探していたら、偶然見つけて祈ろうとしたら、「ここはウェディング用なので祈る場所ではありません」と注意されたという話があります。
ほとんどの日本人が無宗教なのに、なんで十字架の前で永遠の愛を誓い合うのか僕にはよくわかりません。
そもそも何に誓ってるんだとつっこみたくなります。
まあ、幸せな2人の前では、っぽいものであれば何でも良いんでしょうね。
それから「磯崎新の都庁」を読んだ。
これは、今新宿にある丹下健三設計の都庁のコンペで起きた事件を小説風に綴った本。
青木さんも磯崎スタッフとして都庁コンペコアスタッフの一員として登場。
まあ、磯崎新には全然興味ないんですが、本屋に並んでて気になったので。
読んでて磯崎さんのことより丹下さんのことが気になった。
なんか丹下さんと磯崎さんの関係って手塚治虫と石ノ森章太郎の関係に似てる。
丹下さんも手塚さんも一分野を開拓した祖であり、もう十分に生きてる間から神のような存在だったのに、弟子に嫉妬しちゃうんですよね笑
手塚さんが石ノ森さんの漫画にいちいち難癖つけながら、画風とか真似たりしてたように、この本でも丹下さんが、後に建てるフジテレビ本社屋のデザインが明らかに磯崎さんの都庁コンペの案そのままだったり。。。
しかも丹下さんは、代々木体育館以降、代表作というものに本当に巡り会えなかった。
都庁だって特におもしろくもないしね。。。
ところで、「現代アート入門の入門」という、まあ、内容が素人すぎて読む価値のない本なんやけど、それに都庁が元あった有楽町に今は都内の端っこにある東京現代美術館を建てる案もあったってホンマやろうか。それがホントなら、悔し過ぎる。。。今の場所不便すぎますからね。有楽町にあったらどれだけ楽だったか!今は有楽町フォーラムが出来てます。余談でした。
同じく丹下さんの弟子で、昨年お亡くなりになった黒川紀章の「共生の思想」も読んだ。
図書館の閉架にあったので頼んで出てきたそれを観て一歩退いた。
だって700ページ以上ある、辞書かよ!ってつっこみたくなる太さなんやもん。
でもまあ、読み切りました。意外と読めるもんです。
でもこれ、完全に建築家の本じゃないですね笑
明らかに政治家のマニフェストですよ。
実際都知事選に出馬したわけですが、ちょっと遅すぎたような気がします。
書いてる内容は大変示唆に富んだ内容で納得できます。
学校の地下に防災グッズを常時保管できる倉庫を造るべきだとか。
さっさと建築なんかやめて政治の道に進んじゃえばよかったのに。
建築は実際全然面白くないですからね。
んで、「コールハースは語る」を立ち読みした。
某書店では椅子が用意されてて、意外と薄かったので全部そこで読んじゃいました。
最近コールハースが気になる。
明らかに伝説が他の建築家に比べてダントツで多いですから笑
有名なのは、家を頼んでた施主の要望が、コールハースの建てようとしていたものと合わなくて、なんとこの人施主をクビにして、そのままの案でポルトガルのコンサートホールに仕立てちゃったり、コンペ案を無理矢理ねじ曲げたり滅茶苦茶です。
前述の磯崎さんの本の中でも、磯崎さんがかつて、パリのラ・ヴィレット公園のコンペ審査員をしていた時に、コールハースも出してきた時のエピソードも載ってます。以下抜粋。
「ラ・ヴィレット公園のコンペで問われたのは、現代の新しい「楽園」のイメージだった。(略) しかし、コールハースはのっけから過激である。「このプログラムを具現化するのはナンセンスだ。単なる提案リストとして受け取ることにする」 いきない主催者の要項に異議を叩きつけると、彼はまるで映画や雑誌でも編集するかのような手つきで、軽快に公園をデザインしてしまった」
んな、アホな笑
結局バーナード・チュミが最優秀を得、実現に至るわけですが、磯崎さんはこの案を最後まで推していたようです。
んー、媚びる事を知らない野犬さながらですね笑
この本で印象的だったのは、建築と都市の関係に関する問への回答。
「建築は制御力を行使しようとする必死の試みであり、アーバニズムはその試みが失敗した姿だ。建築/都市をふたつのコアを持つ単一語としてみなそうとする重力が働いていることは、制御力をなつかしむノスタルジアが、ほぼ禁じられた領域にまで達していることを示している」
まあ、何言ってるかほぼわかんないんですが笑、彼の言葉っていちいち強いんですよね。青木さんとは正反対に、レムはもうばっさばっさ斬りたおします。
この原動力はどこから来るんでしょうか・・・。
五十嵐太郎さんの「現代建築に関する16章」という本では1章まるまるレムに割いてます。やはり彼はモダニズム以降最も重要な建築家の1人なんですね。
でも五十嵐さんがこの本の中で「レムはコルビュジエの最大の継承者」と称してるのは意外でした。コルビュジエとコールハース。名前は何となく似てるけど、全然つながんないんですが。。。まあ、確かに大言壮語を吐いて人々を惑わせる感じは似てるのかもしれませんね。
ちなみにこの五十嵐さんの本は、詰め込むだけ詰め込んだ建築の知識を整理するのに役立ちました。五十嵐さんの文章も中々魅力的です。
ゴシックやバロックについて語ってると思ったら、いきなりエヴァやスーパーフラットまで出てきたり、とても自由な縛られない文章で読んでて楽しかったです。説明に終始してただの教科書になりかねないところをうまくずらしてる感じですね。最近出た「植物と建築」も読んでみたい。
ちなみにここに挙げた人々は文章がやたらにうまいわりに建築は・・・って感じ。
レムは、サーペンタインパビリオンしか生で見た事ないのでなんとも言えませんが、写真で見る限り、これらの発言ほどおもしろいのかな?って思てしまいます。
実際僕の好きな伊東さんやSANAAの建築は、もう言葉を超えっちゃってますからね。 伊東さんの場合、せんだい前までは、言葉に縛られてた感じがありましたが、せんだいで、もうふっ切れて暴発したようになっちゃいましたからね笑
言葉で語り尽くせるなら創造なんて要らないんです。
やっぱ創造の魅力は言葉を超えたところにこそありますから。
まだまだ読んだ本はありますが、折々に触れていきたいと思います。
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