「ケイコ 目を澄ませて」by 三宅唱 / 地点「ノー・ライト」 @ KAAT
前作「きみの鳥はうたえる」が最高だったので新作を待ち望んでいたらまさかのボクシング映画でちょっと怯んだんだけど、実際観てみたらボクシングは一側面でしかなくて、本当に素晴らしい映画でした。。。今年一番だったかも。
まず主演の岸井ゆきのがすご過ぎた。。。
「愛がなんだ」で良いな、と思っていた女優さんだったけど、ここまでとは。。。
ろうの役もそうなんだけど、それに加えてボクサーなのでミット打ちの場面や試合の場面凄すぎ。。。
ほとんどノーメイクなのも女優魂魅せてくれてます。
「マイノリティの役は当事者に」というのが映画界で近年議論になってますが、当事者であることと演じることは別だと思うんですよね。役者は何にでもなれてこそだと思うので、僕としては必ずしも当事者が演じなくてはならないとは決して思いません。
その点で今回の岸井ゆきのは本当に役者だなぁと感心しきりでした。
今ドラマの「silent」見てるのもあって、手話の扱い方の違いが顕著すぎて素晴らしかった。
手話を特別なものとして描いていないと言うか、特に浅草での女子会の場面は字幕すらなかったの衝撃だった。
でもなんとなく彼女達が手相見ながら結婚の話で盛り上がってるのが分かっちゃう。
あと弟との手話会話がラフな感じでめちゃくちゃ良かった。
弟との会話がサブタイトルではなくインタータイトルなのもサイレント映画のようで三宅監督のフェティッシュが感じられて良かった。
弟役の佐藤緋美くんってどこかで見たことあるなと思ったら、藤田貴大の「書を捨てよ町へ出よう」の主演やってたんだと後で知りました。ちなみに彼はCHARAと浅野忠信の息子さんです。
三浦友和もさすがとしか言いようがなかった。
三浦友和ってほとんど演技の幅ないんだけど、ぴったりと役にハマっちゃうから凄い。
俳優の名演技を彩る演出はさすが三宅唱。
何と言っても余計なBGMがほとんどないのが良い。
冒頭のケイコが日記を書くペンの走る音や氷を噛む音、ジムの練習する音など、音が鮮明に入ってきます。
エンディングも街の環境音のみで思わず最後まで見入ってしまった。。。
ろう者を主人公にしながら音から始まり音で終わる映画というのも興味深いです。
ここに関して監督もインタビューに答えています。
環境音については、聴者の観客が、普段は当たり前に感じている"音が聞こえる"ということを改めて意識し、またケイコにはこの音が聞こえていないということを意識するような音の設計を考えました。
前提として、聴者の僕には、音のない世界を「想像し直し続ける」ことはできるかもしれないけれど「わかる」なんてことは決してあり得ないと思っています。なので、たとえば、主観ショットで音を消すなどの、いわば観客が追体験するような表現もあり得たかもしれませんが、それではなんだか「わかった気になる」だけのような気がし、選択しませんでした。聴者の僕にできることは、自分の周囲の多くが聴者であることを何度も自覚すること、そうでない人がいることを意識す続けること、そんな点から一つずつ進める必要があるだろうと考えていました。
「わかった気になる」というのは本当に危険。
「人は分かり合えない」を前提に置いて考えることはとても真摯な態度だと思います。
唯一音楽が入る場面、ケイコと弟とその彼女がシャドウボクシングしたり踊ったりしてる場面で何故か涙がこぼれました。。。
さらにこの映画の特徴として上げるとすればロングショットの多さです。
主人公を追うというより、主人公を取り巻く環境ごと撮っているというか。
この物語は実際のろうのボクサーである小笠原恵子さんの実話を元にしているものの、話としては10年ほど前で、もちろん今のコロナの状況はないわけですが、映画内は2020年からスタートしてまさにコロナ禍の日本を描いています。
「きみの鳥はうたえる」でも小説とは違う時代背景で描いていました。
三宅監督は「今」を描くことにとてもこだわりがあるのだろうな、と想像します。
その「今」も将来見たら「昔」になってしまうわけだし、普遍性を考えるととてもリスキーな気もするんですが、三宅監督はあえて「今」を選択するんですよね。
特にコロナ禍のニューノーマルをちゃんと描いてる映画は珍しいし、将来見た時時代が特定されてしまうので忌避する作品がほとんどだと思います。
今回の場合特にニューノーマルが効いていたのは、皆マスクをしてるので、唇を読めないケイコが戸惑うシーン。
聴者では気づけない困難さに何度もハッとさせられました。
映画内でのマスク問題はかなり繊細だと思いますが、この映画ではとても成功していたように思います。
とはいえ、前述のサイレント映画の手法を取り入れたり、そもそも16mmフィルムで撮られていたり、荒川沿いの昭和感漂う場所がメインになっていたりと、「今」を取りつつ普遍的な要素も大事にしているのは三宅監督ならでは。
最後の終わり方も完璧すぎた。
「Life goes on」という終わらせない終わらせ方。
観終わった後も余韻が凄すぎて暫く街を歩き回ってしまいました。。。
本当に素晴らしい映画でした。もう一回観るかも。
他最近観た映画。
「背 吉増剛造x空間現代」
「夜明けまでバス停で」
「岡本太郎の沖縄 完全版」
「ある男」
「はだかのゆめ」
「夜、鳥たちが啼く」
「ホワイト・ノイズ」
「そばかす」
「岡本太郎の沖縄」は、昔のドキュメンタリーかと思ったら2019年の作品の再構成版。
岡本太郎展やってるけどそっちは観ずにこちらを鑑賞。
僕は芸術家としての顔より民俗学の顔の岡本太郎に興味があります。
そんな太郎が切り開いた沖縄への賛美。
当時撮影禁止だった久高島の「イザイホー」の映像や、現在も伝わる芭蕉布の製造場面など貴重なシーンが多くて岡本太郎関係なく見入ってしまいました。
「夜、鳥が啼く」は、前述の「きみの鳥はうたえる」に続く佐藤泰志原作の映画化。
佐藤泰志の映画シリーズは全部好きなので期待してたけどまあ期待通り良かった。
山田裕貴、あまり関心なかったけどめちゃくちゃうまい。
女優が今回あんまりしっくりきてなかったのは残念でした。。。
「そばかす」は「ドライブ・マイ・カー」ですっかりファンになってしまった三浦透子が出てるから観たけどとても良かった。
映画内で言葉としては出てないけど所謂アセクシャルを扱った内容。
決して重くはないんだけど、確かに「恋愛」とか「結婚」とかって避けられない話題すぎてしんどいんだろうなぁと改めて思いました。
三浦透子のぶっきらぼうな感じがめちゃくちゃ役にフィットしてた。
最後北村匠海の役、謎すぎて蛇足だった気がする。。。
「ケイコ 目を澄ませて」と同じくメ〜テレの製作。素晴らしい!
あとはほぼノーコメント。
地点「ノー・ライト」 @ KAAT

2012年、2014年に続くノーベル賞作家、エルフリーデ・イェリネクの「光のない。」の再再演。
とは言っても今回は一味も二味も違う。
なんと演者達がそれぞれ日本語以外の言語で演じるマルチリンガル版!!
ただでも台詞多いのに(特に安倍さん)、それを他の言語でやるなんて狂気過ぎる。。。
それぞれの演者さんがYouTubeでマルチリンガルについて語ってます。
安部聡子×ドイツ語 1 2 3 4
小林洋平×韓国語 1 2 3 4
窪田史恵×ロシア語 1 2 3
石田大×スペイン語 1 2
田中祐気×英語 1 2
小河原康二×沈黙 1 2 3
加えて久々の出演の河野早紀さんはフランス語。
田中さんは今回この演目初出演です。
いやはや本当に途方もない企画だ。。。
さて、マルチリンガル公演というのは「ドライブ・マイ・カー」にも出てきました。
あの映画内演劇と今回の「ノー・ライト」の大きな違いは、演者が母語を演じていないという点です。
地点の演者はもちろん日本語を母語とする日本人。
そんな彼れが別の言語で演じることにどういう意味があるのか興味津々でした。
冒頭は前回同様「わたし」「あなた」「わたしたっち」といった人称代名詞だけは日本語で発語されるのだけど、どんどん台詞が多言語になっていく展開。
幕が開くと木津潤平さんによる舞台装置が現れ、足しか見えてないコーラス隊が三輪眞弘による声楽が奏でられる演出は前回同様で感動が蘇ります。
進んでいく演目を見聞きしながら思ったのは、これまで地点がやってきた「ミス/ディスコミュニケーション」の究極の形かもしれないということでした。
彼らはこれまでも日本語を操りながらも、独特のイントネーションや膨大な台詞量、あるいは外部からの妨害によって遮られる台詞など、あの手この手で言語を無力化してきました。
今回は、それを地でやってるというか、もはや「バベルの塔」。
それぞれの対話を言語という壁によって遮断されています。
そもそも向かい合って対話する場面もなく、ただ皆が各々発語している状態。
観客達はその膨大な仕事量なのに何も伝わらないというディスコミュニケーションを体で感じながら、それでも何かを思わずにはいられないイェリネクのテキストを浴びるという経験をする他ない状況に。
これまでの地点のやってきたことが改めて突きつけられた感覚を得ました。
ただ、1つこれまでと違った点を挙げるとすると声の出し方でした。
興味深いことに、韓国語を発語していた小林さん以外が、なんだかいつもと違う感じがしたのです。
特に安倍さんのドイツ語は明らかにこれまでの日本語の発語とはっきりと違いました。
よくバイリンガルの人が日本語を話す時と例えば英語を話す時で声の高さが変わったりしますが、安倍さんはそれとは違う形で何かが決定的に違ったのです。
次に窪田さんのロシア語もなんだか違った。
構造の似ている韓国語はほとんど違和感なく聞けたのは興味深かったです。
今回はヨーロッパ言語がほとんどでしたが、中国語やアジアの言語が入るとどんな感じなんだろう、と想像しました。
まあ、言うが易しですがw
いやはやそれにしても安倍さんのドイツ語の量がエグすぎてよくこんなことが可能だな、と驚嘆の嵐でした。
田中さんの英語も途中途中で日本語挟まってて可笑しかった。
最後に石田さんがソロでスペイン語のスピーチしてたけど毎回誰かがやってたのかな?
石田さんに関しては本編よりセリフ多かったのではw
これを経て次回作はイェリネクの新作でまさにコロナを題材にした「騒音。見ているのに見えない。見えなくても見ている!」 。
地点が今後どういう変化を起こしてくるのか、本当に楽しみでなりません。
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