イベント終了とブログ17周年と誕生日

本日!9月25日!お陰様で私誕生日を迎えることができました!!
そして同日、このブログも17周年を迎えました!!
22歳の誕生日に始めたこのブログ。。。まさかこんなに続くなんて。。。
いつの間にか20代も過ぎ、30代もラストとなりましたがまだまだ人生味わい尽くします!
今後ともよろしくお願い致します。
そして昨日はとんちピクルスのライブをお店で開催しました。
お陰様で大盛況!
23日と24日は作家で常連の葵ちゃんにお店に立ってもらいました。
僕以外がバータイムに立つのは初めてで、人に教えるのがとても新鮮で勉強になりました。
葵ちゃんは開店当初から来てくれてて、今では大の仲良し。
お店の立ってもらうなら彼女しかないと思ってお願いしてみました。
店内に彼女の絵をたくさん展示してもらって2日では勿体ない個展状態に。
こちらも大盛況過ぎて初日は2人とも酔っ払って死にましたw
たくさんの愛情に包まれた誕生日前夜となりあたしゃ果報者です。。。泣





お店は今日から10月5日まで次回の展示準備の為にお休みです。
誕生日当日はペンキ塗りにあけくれます。。。
次回展もご期待ください!!
第八次椿会 ツバキカイ 8 このあたらしい世界 2nd SEASON “QUEST” @ SHISEIDO GALLERY





















3年毎にメンバーを替えながら続いている資生堂の椿会。
昨年から始まった8次のメンバーは杉戸洋、中村竜治、Nerhol、ミヤギフトシ、宮永愛子、目。
前回の「触発」では、それぞれが資生堂コレクションとのコラボレーションを展開していましたが、今回の「探求」ではそれぞれが侵食し合うようなコラボレーションを展開しています。
観ていてもどれが誰の作品なのか本当にわかりづらくてとても良いです。
特に奥の部屋の机や棚は目が用意したものだけど、そこに載ってるものはそれぞれが持ち寄ったものだったり、その机の上で手紙を書いてる人をミヤギさんが映像作品にしていたりして、パラレルな感じが素晴らしい。
地階エレベーター脇の椅子のコーナーも作家が入り混じってたり、地上階から延々と続くロープが展示会場を往来していたり。。。
観ていてやや混乱しますが面白い試みだと思います。
特に個人的にこういう作家性がなくなるような展示が好きなのでとてもよかった。12/8まで。こちら。
Since 1989 NOMART -アーティスト×工房展- @ 銀座 蔦屋書店 (-9/27)










資生堂の後に近いからとたまたま寄ったらやってた展覧会。
ノマルは関西では有名だけどこちらではそこまでですよね。
全て版画なのでどうかな、と思ったんですが(版画の見方ってよくわからない)、今村源さんの作品がめちゃくちゃよかった。。。
後友人の黒宮菜菜ちゃんもたまたま出してて、版画ではなくがっつり物質感があって面白かった。
名和さんの黒い新作はよくわからなかったけど、学生時の作品があってびっくり。
第2期で入れ替わるみたいなのでそちらもぜひ。
Ginza Curator’s Room #001 山本浩貴「石をさがして」@ 思文閣 (会期終了)








思文閣って京都のイメージがあったんだけど銀座にもあるの知らなかった。
Curator’s Roomと題されたシリーズがスタートして、第一弾は山本浩貴さんキュレーション。
トランスナショナルやポスト人新世等の新しい概念を紹介してる方なので、アカデミックな展示を想像していたんだけど、思いがけず作品の持つ肌触りのようなものがどの作品にも通底していて「石」というテーマがうっすらと流れているような展示だった。
出品作家は浦上玉堂のような江戸の山水画から、熊谷守一を経て現代作家までとバラエティに富む布陣。
特に守一の作品は絵肌の感じが独特でとても面白かった。
今後のキュレーターシリーズも期待。
ANNUAL BRAKE 2022 森山泰地 There may be @ The 5th Floor (会期終了)








根津に行ったので寄ってみた展示。
キュレーターに岩田智哉と髙木遊を迎え、若手や中堅アーティストの過去作を展示する「ANNUAL BRAKE」という企画で年一でやってるらしい。
今回は森山泰地、光岡幸一、松田修の3名が選出されていて、僕が観たのは第一弾の森山泰地。
知らない作家だったけど、過去作が一気に見られるというのは確かにギャラリーでは珍しい。
まあ、正直作品はそこまで響かなかったのだけど、意欲的な展示で企画(キュレーション)としては、さすがThe 5th Floorらしさが光る展示でした。
マシュー・バーニー「クレマスター1−5」@ 東京都写真美術館

私としたことが、クレマスターを実は一度も観たことがなかったのです。。。
タイミングが毎度合わず、今回ようやく観に行くことができました。
1から5まで通し上映だったので、13時からスタートして終わったの21時。。。
もちろん休憩はありましたがヘロヘロ。。。
でもやはり傑作と名高いだけあって3は特に素晴らしかった。
前半のクライスラービルと後半のグッゲンハイムの構成は同じ作品とは思えないけど、最後また戻ってくるの面白かった。
グッゲンハイムの最上階にいるのリチャード・セラだったのびっくり。
4は最強に謎すぎたけど、5は短いながら完成度がめちゃ高かった。
バーニーが珍しくシュッとした格好してるなぁと思ったらマントの下裸で笑ったw
全体通してようやく観られて大満足。
同時上映だった「拘束のドローイング9」と「リダウト」はそれぞれ金沢と北京で中途半端にしか観てないけどまあいいやと思ってパス。
来年は大阪では公開した『リバー・オブ・ファンダメント』を上映予定なのでそれは観たい。それも6時間だけど。。。
装いの力―異性装の日本史 @ 松濤美術館



とても楽しみにしていた展覧会が始まりました!
日本の美術館では前代未聞の「異性装」をテーマにした展覧会です。
さすが同性パートナーシップの先駆け渋谷区。
監修されているのは性社会文化史研究家の三橋順子さん。
三橋さんも自身がトランス女性で、僕は東京出てすぐにご縁がありお会いしました。
それから彼女の講義を拝聴したり、著作を拝読したりして、本当に尊敬する方です。
特に新宿の性にまつわる歴史を紐解いた「新宿 「性なる街」の歴史地理」は名著中の名著!
LGBTQ+がフィーチャーされることも多くなった昨今ですが、彼女ほどの研究者を僕は知りません。
そんな彼女が監修した展覧会。期待しないはずがないのです。
会期中には三橋順子さんのレクチャーはもちろん、関西の伝説のドラァグクイーンであるシモーヌ深雪さんとブブ・ド・ラ・マドレーヌさんを迎えた鼎談もあり、さらにドラァグクイーンによる「女装メイク講座」(初級者コース、テクニカルコースあり)なんかもあってやりたい放題w
中身はというと、まず地下一階ではヤマトタケルから始まり、歌舞伎や能はもちろん、女歌舞伎による男装に蔭間に到るまで日本の歴史といかに「異性装」が切っても切り離せない存在なのかを絵巻や着物、文献等を持ってこれでもかと提示します。
さらに2階では明治以降の西洋式男女二元論により、それらの歴史が一旦否定された後、戦後再び演劇やサブカルチャーの世界で復活遂げていくかが示されています。
特に僕は知らなかった、「違式詿違条例」の存在は印象的でした。
これは明治になり、西洋化を進める上で、これまでの風紀を改めて取り締まる条例で、特に1873年8月12日に追加された「異性装の禁止」は、地下一階で展開されていた豊穣な文化を徹底して無きものにしました。
この条例は実質1880年までの8年間しか存在しなかったのですが、幾人かの逮捕者を出します。
そんな中で印象的だったのが、1874年10月3日発行の東京日日新聞の記事。
早蔵とお乙という夫婦がいたのだけれど、実はお乙は男で結婚は無効にされたという内容。
この2人はお互い男同士ということを同意の元夫婦として仲睦まじく暮らしていたのに、明治になって始まった男女二元論により引き裂かれた悲劇としか言いようがない内容でした。
こうして実は女だった男だったという話が明治以降続々と報告されるわけです。
江戸時代までの日本がいかにおおらかだったかがわかります。
明治以降、大正には宝塚歌劇団が登場し、戦後には「リボンの騎士」や「ベルサイユの薔薇」等の異性装を扱った漫画が一世風靡し、芸能界にも丸山(美和)明宏、カルーセル麻紀、ピーター等が登場。
80年代になってくるとアートの世界でも森村泰昌が女優を演じるシリーズを発表したり、ドラァグクイーンであり、ダムタイプのリーダー古橋悌二が自身のAIDSを告白した伝説的作品「S/N」を発表したりと、アート界にも大きな爪痕を残す作品が現れます。
今回奥の展示室が京都のクィアパーティー「DIAMONDS ARE FOREVER」コーナーがあって、これまたやりたい放題やってるんだけど、そこに古橋さん(グロリアス)が最後のショーでつけた付けまつ毛なんかも展示されててすごい。。。
こんな感じで、これほどまでに異性装の資料が集まる国は日本以外ないと三橋さんは言います。
美術館で展覧会をする以上、文献だけではなくビジュアル資料も重要になってきます。
それらが破棄されずにここまで残っているのは奇跡。
まだまだ差別がないとは言えないけれど、日本ほど伝統的に異性装を受け入れてきた国はないのです。
惜しむらくはここにコム・デ・ギャルソンの服が何着か展示されてたらいう事はなかった。
言うまでもなく川久保玲率いるファッションブランドですが、その名がフランス語で「少年のように」とついているように、性差を超えた服を作り続けてきた世界を代表する日本のブランドです。
特に2019年12月にウィーン国立歌劇場が製作したヴァージニア・ウルフ原作のオペラ『オーランドー』のコスチュームをコム デ ギャルソンが手がけたのはエポック・メイキングな事件でした。
性差を超えるウルフの原作とギャルソンの思想ががっちりと組み合った奇跡の舞台。
これらの衣装が展示されてたらなぁ、と夢想した次第です。
さて、この展覧会は、三橋さんの新著「歴史の中の多様な「性」――日本とアジア 変幻するセクシュアリティ」を読むとより一層理解が深まります。
ここでも「異性装」にまつわる日本の歴史から、世界中で報告されてる男女では分けられない事例など、縦糸と横糸を丁寧に紡ぐような、さすがとしか言えない仕事です。
世界的に見ても、原始からの人類史の中で性別越境を神の力と捉える文化は世界中にあります。
インドの「ヒジュラ」はその代表で、彼らはサード・ジェンダーと呼ばれ、男でも女でもない存在として崇められます。
レオナルド・ダ・ヴィンチも「両性具有」に憧れていました。
また前述のヤマトタケルに見られる「女装」をする事で聖性を得る話など、三橋さんは「双性力」と呼んでいます。
ちなみに江戸時代までは、大人が少年を抱くと言う、現在では犯罪だけれど、ほぼ通過儀礼のようなことが行われていました。
現在のように大人同士の同性愛と呼ばれるものは文献にはほぼ残っていないのですが、著書の中で紹介されてる藤原頼長の「台記」はすごかった。。。是非読んで欲しい内容。ここでは言えませんw
このように実は大人同士でも同性同士の色事はあって然るべきだとは思いますが、まあ記録には残ってないのが自然と考えていいですよね。
特に女性同士の恋愛はほぼ資料がないのです。
彼女たちはゲイに比べると現在でも表舞台に出てくることがほとんどないので理解されないことも多くて、当人たちも、女性として女性が好きなレズビアンなのか、男として好きなトランスジェンダーなのか分からず悩んでしまうケースも多々あるそうです。
特にレズビアンなのにトランスジェンダーと勘違いして男性ホルモン治療を受けてしまった場合などは結構な悲劇です。
まだまだ日本は同性婚も許されておらず、理解も浅い国ですが、三橋さんの著書でも仰ってるように「長い古代・中世・近世社会を通じて、1人の同性間性愛者も処刑しなかった「日本の伝統」を、もっと誇って良い」と僕も思います。
特に弾圧の強かったキリスト教下のヨーロッパが現在ダイバーシティ先進国になってるのはなんだか理不尽だけど、それでもやっぱりヘイトクライムも少ない日本は当事者にとっても生きやすい国だと思います。
お隣韓国も儒教の影響が強くてまだまだ差別が強いし、中国は言わずもがなといった感じ。
まだまだ思うところはたくさんあるけれど、改めて性差を巡って色々考えられた納得の展覧会でした。
後期に一部展示替えもあるそうなのでもう一回行こう。10月30日まで。こちら。
柳宗悦と朝鮮の工芸 陶磁器の美に導かれて @ 日本民藝館 (-11/23)
柳宗悦の心と眼―日本民藝館所蔵 朝鮮関連資料をめぐって― @ 在日韓国文化院ギャラリーMI (-10/1)


前々記事の劇チョコ「追憶のアリラン」の箇所でも触れましたが、現在柳宗悦と朝鮮との関係を示す展覧会が都内2箇所で開催中です。
柳と朝鮮工芸の出会いは、なんと柳が旧制高等学校時代の頃です。
神田の骨董店で李朝の染付の壺を購入すると言う早熟すぎるお坊っちゃま。
その後は「白樺」に参加し、ロダンやセザンヌなど西洋美術に傾倒するも、我孫子に住んでいた柳を、当時韓国の小学校教諭だった浅川伯教が訪問した際にお土産に持ってきた李朝の染付秋草文面取壺との出会いがその後の柳の人生を大きく変えました。
その2年後に柳は朝鮮半島に赴き、その後なんと21回も訪問しています。
朝鮮との繋がりを深くした柳は、日本による朝鮮支配を激しく批判し、1920年には「朝鮮の友に贈る書」という文書を寄せています。
今回その肉筆原稿が、在日韓国文化院ギャラリーMIの方に展示されてて超貴重!
ちなみにここ、何度も通ってたんですが初めて入りました。
さらに1924年にはソウルに「朝鮮民族美術館」を開館させます。
日本民藝館の開館が1936年なので、それよりも12年も早いのです。
このように、柳と朝鮮との関係は切っても切り離せないほど重要。
そんな彼が収集した朝鮮の美しい工芸品が現在ずらりと並んでいます。
特に白磁はどれもため息が出るほど美しい。。。
大展示室に展示されてあった、口が微妙に斜めになってる花器(水差し?)はめちゃくちゃ美しかった。。。
他にも民画が面白くて、「ヘタウマ」なのか「ヘタヘタ」なのか分からない、日本では見られない絵で面白かった。
柳自身も「凡そ稚拙な絵であって、これ以上下手に描けそうにもない。」と言いつつ、「この絵の中に潜む自由さが見るものの心を打つ。」と称してます。
あと、朝鮮のものではないのだけど、装飾品のコレクションの中にあったアイヌの装飾や、台湾のタイヤル族の衣装が美しくて美しくて。。。
柳や世界の民藝に興味ある方は是非両方行くべし。
光島貴之滞在制作・展示 GOING OVER -まちの肌理(きめ)にふれる- @ 東京都渋谷公園通りギャラリー (-09/25)









光島さんは全盲のアーティスト。
彼は僕がまだ学生の頃にワークショップをして頂き、改めて「見る」とは何かと考えさせられました。
今村くんとのご縁もあり、うちの店にも来て頂いたりのご縁で、この度東京都渋谷公園通りギャラリーで展示があると知り行ってきました。
入ってすぐに床にあった作品を踏みかけて、あぶね!ってなったんだけど実際は踏んで鑑賞する作品だったw
壁の作品も触ってよくて、よくある「作品にお手を触れないでください」の逆張りで楽しかった。
観客も積極的に作品に参加してよくて、壁には会期中どんどん付け加えられてました。
イベントのお知らせ。
劇団チョコレートケーキ「ガマ」/「追憶のアリラン」@ シアターイースト/ウエスト
またまた劇チョコがやってくれました。
なんと過去作5本、新作1本を半月かけて(8/17-9/4)上演するというクレイジー過ぎる企画!
そもそも6本も同時にやるなんて人間業とは思えないし、このコロナ禍で一本やり通すのも至難の業なのに。。。
そして実際最後まで走り切った劇チョコは凄い。一生ついていきます!!
芸劇のシアターイーストとウエスト両会場ジャックしてました。かっこよすぎ。。。

この6本上演、「生き残った子孫たちへ 戦争六篇」という恐ろしいタイトルが付いてます笑
『追憶のアリラン』、『無畏』、『帰還不能点』、『〇六〇〇猶二人生存ス』、『その頬、熱線に焼かれ』の再演、そして新作の『ガマ』の六篇です。
そのうち『無畏』と『帰還不能点』は実際観たことあったし、『〇六〇〇猶二人生存ス』と『その頬、熱線に焼かれ』ワークショップで集まった若者でやる短編上演なので、観たことのなかった『追憶のアリラン』と『ガマ』を観ました。
(今思えば若者公演も観とけば良かったとは思います)
まずは何と言っても新作の「ガマ」です。
今年は本土復帰50年という節目の年でもあり、沖縄戦がテーマになるのはしっくりきました。
というか今まで劇チョコが沖縄を扱ってなかったのが意外と思えたぐらいでした。
前記事のマームも同じく沖縄戦を描いてますが、全く違うアプローチで興味深かったです。
冒頭完全な暗闇から始まります。
米兵の「デテキナサーイ」という声と火炎砲の音、そして叫び声。
ものすごい怖い始まり方でした。。。
この暗闇に関しては作家の古川健さんがどうしても表現したかったと公演後のトークで仰ってました。
その後このガマに迷い込んできた学校の先生(西尾友樹)、ひめゆり女学生(清水緑)、負傷した将校(岡本篤)、二等兵と三等兵(青木柳葉魚、浅井伸治)、案内役の地元民(大和田獏)が集います。
終始このガマの中で物語が繰り広げられるのですが、ここで最も考えさせられるのが「日本人とは何か?」という問いだと思いました。
特にひめゆり女学生は、悲しいほどに「日本の臣民」であることを強調します。
この沖縄県民の「日本人コンプレックス」があの沖縄戦の根底にあったことにこの公演を観て気づかされました。
歴史を紐解くと、明治政府による琉球処分により、完全に日本のものとなった琉球王国は、その後徹底的な日本教育を施され、天皇への崇拝を始め、標準語を話すように強いられ、学校によっては方言を話した子供には罰さえ与えられたと聞いています。
「我々は日本人なんだ。その為には一層天皇への忠誠を誓わねばならない。」
そういう教育を骨の髄まで仕込まれたのが学徒たちでした。
子供達まで戦地に駆り出され、たくさんの犠牲を強いられました。
沖縄戦で19万人もの地元民が亡くなったとの報告もあります。
その忠誠心を利用したのが当時の日本国家です。
いわばトカゲの尻尾切りのように、沖縄民を本土と切り離し、彼らを犠牲にすることを厭わず地上戦に持っていった。
そのことがこの演目ではありありと描かれていました。
僕の母方の曽祖母、曽祖父は沖縄の人で、いわゆる「ソテツ地獄」と呼ばれた経済恐慌により島を出て戦前に本土に出稼ぎに来た沖縄人です。
彼らは奇しくも沖縄戦は免れましたが、もしかしたら大阪で差別にあったかもしれません。
そのことを彼らは全く口にしたことはありませんが、祖母ははっきりと言わないまでも、戦後アメリカと化した沖縄の血を引くものとして多少嫌な思いをしたようなことを仄めかします。
彼女は実際沖縄に行きたがりません。
うちの母ぐらいになると、逆に当時手に入らなかったようなお菓子が沖縄から送られてきて嬉しかったというし、僕なんかはむしろ沖縄にいいイメージしかないのですが、世代によってかなり見方が違うのが沖縄という場所です。
そのことをこの舞台を通して垣間見た気がして、途中涙が止まらなくなってしまいました。
この演目は特に「生き残った子孫」としての自分を逆照射された感覚が強くありました。
最後はやや綺麗過ぎる終わり方な気がしたけど、少しでも救いがあってよかった。
ちなみに「慰霊の日」として知られる6月23日は、沖縄戦が終了した日ではなくて牛島中将が降伏するな死ぬまで戦えと沖縄に呪いをかけて自分はとっとと自決した日です。
沖縄戦が終結したのは1945年9月7日と、実際の終戦記念日よりも長く続いていることを知ってほしい。
もう1つ「追憶のアリラン」は、以前最初の緊急事態宣言の自粛生活の時に、無料で過去の作品をYouTubeに流してくれて、その中の1つだったので映像では観たことあったのだけど、実際の観劇は初。
やっぱり目の前で観られるのは全然違う。
これまた途中涙が止まらなかった。。。
ただ、ちょっと綺麗に描かれ過ぎかなぁというきらいはどうしてもあります。
日本の朝鮮への加害を描く本作だけど、出てくる日本人がいい人過ぎてびっくりする。
まあ、実際こういう人たちはいたかもしれないけれど。。。
実在の人物としては、戦地にはいないけど柳宗悦は重要だと思います。
ちょうど今民藝館で「柳宗悦と朝鮮の工芸」(-11/23)という展示が開催中だったり(素晴らしかった!)、14日からは在日韓国大使館で「柳宗悦の心と眼」という展示があったりと、柳と朝鮮の関係を垣間見られます。
実際彼は日韓併合以降の日本の植民地政策を断固として批判した思想家で、1920年に既に「朝鮮の友に贈る書」という文書を寄せています。こちら。
とはいえ、こうした「良い日本人」が多く登場することで、後半の裁判の説得力が弱まってる気がします。
ちなみにこの公演は劇チョコからは浅井さんしか出ておらず、他は客演なんですが、取調官のリヒョサム役の林明寛さんがとてもよかった。
なのでその彼の怒りが空回りしてる感じが見ていてとても辛かったのです。
と、2作でしたが、改めて劇チョコは凄いと思えました。
一人も欠けることなく半月やり切った関係者の皆様に盛大な拍手をおくりたいです。
特に劇チョコの三人の俳優は過去作2本、新作1本それぞれ出ていて、一体どうなってるんだ。。。
実際西尾さんが終演後の舞台挨拶で「半狂乱だった」と仰ってましたが笑
6本同時に演出する日澤さんも相当大変だったとは思います。。。お疲れ様でした。
ちなみに来年の新作は「1990年、バブル景気に沸く日本、特撮ヒーローものを製作する会社の企画室」が舞台ってどういうこと!?
とりあえず劇チョコには信頼しかないのでこれも観ます。
脚本の古川さん、演出の日澤さん、そして素晴らしい演者の皆様と三位一体の素晴らしい集団。最高です。
劇場で観られなかった人は『追憶のアリラン』、『無畏』、『帰還不能点』、『ガマ』の長編4篇が9月17日から有料配信が始まるみたいなので是非チェックを!!こちら。
<関連記事>
劇団チョコレートケーキ「一九一一年」@ シアタートラム
劇団チョコレートケーキ「帰還不能点」@ 東京芸術劇場 シアターイースト
劇団チョコレートケーキ「無畏」 @ 下北沢・駅前劇場
劇団チョコレートケーキ「治天ノ君」 @ 東京芸術劇場 シアターイースト
劇団チョコレートケーキ「遺産」@ すみだパークスタジオ倉
MUM&GYPSY「cocoon」@ 彩の国さいたま芸術劇場 大ホール

2020年に開催される予定だったマームとジプシーの「cocoon」。
コロナにより2年の延期を余儀なくされ、ようやく開幕したと思ったらまた関係者のコロナ感染により芸劇での9公演は2公演やったのみで中止。
僕は4公演目を予約していたので観られず泣きました。。。
そしてまた関東に帰って来た埼玉公演でリベンジ。
祈るように当日を迎え、なんとか観劇が叶いました!
「cocoon」は今日マチ子さん原作のひめゆりの女学生たちを主人公にした漫画で、2013年、2015年とマームとジプシーが舞台化し、マームの中でも代表作との呼び名の高い作品です。
僕は2017年からマームを観始めたので未見で、ずっと観たいと思っていました。
当初再再演が決まった時はめちゃくちゃ嬉しかったのですが、前述のコロナで引き伸ばしまくられた末の観劇。
奇しくも今年は沖縄本土復帰50年、マームも15周年という節目の年での公演となりました。
さて、そんな期待の中開演。
正直同じく沖縄を舞台にした「Light house」は僕の中でイマイチだったので、今回期待が大きい分どうかな、、、という心配もありましたがどうやら杞憂でした。
さすが最高傑作と言われてる作品だけあって、最初から最後まで凄かった。
まず冒頭、お馴染み青柳いずみの「席は用意されてある、そのまえとそのあとはあのとき隔てられた」という言葉から始まります。
「その」は戦争、と捉えることもできるし、今の状況を考えればコロナと捉えることも可能。
また、劇中シェイクスピアの「弱き者、汝の名は女!」という言葉も成田亜佑美の口から発せられます。
これらのセリフは原作にはない、藤田さんの舞台人ならではの言葉だと思います。
後者のセリフに関しては、原作を戦争の話だけに留めない、ジェンダー問題に広げようという意思も伝わります。
これは原作にもある「男の人はみんな白い影法師」というセリフや、重要人物であるマユが、実は徴兵されることを免れるために女の子として育てられた少年の実話を元にしていると今日さんも書いてたり、男性から描かれない戦争を垣間見た気がします。
こうして、これは「あの」沖縄戦だけではなく、現代のロシア・ウクライナやジェンダーの問題へと、ユニバーサルに広げようという意思が読み取れます。
ただ、個人的に、沖縄戦には沖縄戦の独自の物語があると思うので、徒に普遍的な問題へとスライドするのはどうかとも思います。
反対に、この戦争の固有性を描いているのが劇団チョコレートケーキで、同じく沖縄戦を描いた新作「ガマ」に関して後日アップするのですが、その違いも観られて面白かったです。
さて、中身ですが、冒頭は戦況が悪化する前の女学生たちの日常が描かれます。
今の学生と変わらない、女の子たちの何気ない会話がほのぼのと続くんだけど、そのほのぼのさとは裏腹に、舞台上では忙しなく演者たちが舞台装置を動かしたり楽器を演奏したりとめちゃくちゃ動的になってたので、そのコントラストに思わず引き込まれました。
最後まで見てみてもあそこまで舞台が動いてたのはこの場面しかなかった。
そしてこのほのぼのさは、ひめゆりの資料館に展示されてる少女たちのプロフィールと重なりました。
ひめゆり資料館には、一人一人、例えばどんな食べ物が好きだったとか、どういう性格だったとかが細かく描かれてるんです。
僕が以前訪れた時にこのコーナーでボロボロ泣いてしまったのを思い出します。
ただの「戦死者」と一括りにせず、一人のこの世にしっかり生を受けた人間として尊重されていて、彼女たちの死がリアルに伝わってくる凄まじいコーナーでした。
それをこの最初の部分で丁寧に描いています。
おしゃれなタマキ、絵が上手いヒナ、喧嘩ばかりしてる3月生まれの双子、、、
短いかもしれないけれどしっかり生きた証が刻まれます。
1945年の3月になり、いよいよ戦況は悪化の一途を辿ります。
彼女たちも看護隊として、負傷兵の看護に当たります。
その前に青柳さん演じるサンが石鹸の匂いが好きというシーンがあるんですが、そのシーンがあることで、ガマの中での血や死体の臭いが強調されるのが凄い。
負傷兵たちが叫び散らして一気に場面は暗転します。
また、兵士たちによる女学生へのレイプや、慰安婦の存在も仄めかされ、女性視点ならではの戦争の真実が浮き彫りになります。
その後大本営からの突然の学徒解散司令により、ガマを出て行かざるを得なくなる場面へ。
これは実質学生たちを見離した非人道的とも言える司令で、これにより女学生たちの死者は日に日に増えていくことになります。
あんなに仲が良かったみんなが目の前で死んでいくのは本当に壮絶。
ここで冒頭のホノボノ場面のリフレインが入ることで、感情が花火のように暴発していきます。
これはマームでしかやれない表現だなぁと感心しました。
死んでいく様子も、白い布をかけられることで表現されていました。
特に成田さん演じるエッちゃんの最後が壮絶だった。
「もう頑張れない」「……だめな子で……」「おかあさんごめんなさい」というセリフはもう耳を塞ぎたくなるぐらい辛いセリフだった。
初演、再演と、エッちゃんの役は別の人だったらしいけど、成田さんのあの涙声が今でも強烈に耳に残っています。
漫画では最後エピローグとして戦争後のことが描かれているけど舞台ではそれは描かれませんでした。
舞台後に漫画を買ってみて、このエピローグは僕としては結構衝撃で、これは女性にしか描けないかも、と思いました笑
僕も藤田さんも男なので、やっぱりあのエピローグにできなかったのかなぁと勝手に想像。
でもまあ、実際漫画読んでると、今日さんのタッチとマームのタッチが見事に合ってるなぁと思いました。
どちらも戦争とか重いテーマを扱うには軽い気がするんですが、そんな彼らがそういったテーマに挑むことで炙り出される残酷さのようなものがとても似ているなぁと。すごいマッチングだと改めて思いました。
まだ北海道公演2公演あるので走り切ってほしいです!こちら。
<関連記事>
藤田貴大「Light house」@ 東京芸術劇場シアターイースト
藤田貴大「蜷の綿(になのわた)- Nina's Cotton - / まなざし」 @ 彩の国さいたま芸術劇場
藤田貴大「書を捨てよ町へ出よう」 @ 東京芸術劇場
藤田貴大「BOAT」@ 東京芸術劇場
川上未映子×マームとジプシー「みえるわ」 @ 味園ユニバース
MUM&GYPSY『あっこのはなし』『ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと──────』@AI・HALL
ヒアシンスハウス by 立原道造

以前から訪れたかった場所へ。
立原道造。
彼の名前を知る人はそう多くないと思います。
僕も昨年末に観た今村くんの展示でその名を初めて知りました。
彼は東京帝国大学で岸田日出刀の元で建築を学び、在学中にも賞を取りまくっていた優秀な建築学生でしたが、同時に詩人でもあり、2冊の詩集を残しています。
建築に関しては1939年に24歳の若さで亡くなった為生前の実作はありません。
そんな彼が23歳の時に構想した別荘が、没後65年を経て2004年に有志によって建てられました。
それが今回紹介する「ヒアシンスハウス」です。
場所は埼玉県の本浦和駅から10分弱ほど歩いた別所沼の畔にあります。




ちなみに側に立ってるポールは、近くに住んでた友人に来たよと知らせる為の旗だったらしい。
中へ。
いきなり扉じゃなくて奥まったところから。






一人用ということもあり狭いですが、めちゃくちゃ居心地がいいです。
それはこの建物を特徴付けてる大きな開口によるところが大きいかと。
開口からの緑がとても目に心地よくて、風も吹き抜けます。窓は閉めても美しい。



ベッド側の窓からは本来別所沼が見えるはずでしたが、構想していた西側には建てられず東側になった為に実現していません。

そしてディテールも凝ってます。
いくつか出てくる十字モチーフは別にクリスチャンだったわけでもなくただのデザインとのこと。
あとヒアシンスハウスという名前もこの辺りにヒアシンスが生えてるわけでもなく、彼が好きだったギリシャ神話に登場する美少年ヒュアキントス(ヒアシンス)からだそう。
こうしたディテールが再現できてるのも立原が残した緻密な構想メモのおかげ。絵がめちゃかわいい。





この建物を見て思い浮かぶのが、コルビュジエが晩年を過ごしたという「カップ・マルタンの休暇小屋」、通称「キャバノン」。こちら。
そこも相当小さいっぽいけど、言うて二人用なのでここには負けるかな。
ところでこの建物、キッチンやトイレ、浴室という水場が一切ありません。
その辺は近くにいる友人の家に借りに行く予定だったのかな。
あと、日本橋生まれで帝大行ってるし、夏に軽井沢によく滞在してたとか確実にボンボンぽいよね。。。
ここは今や公園になってて、沼も釣り人で賑わう市民の憩いの場でとても気持ちいい場所でした。
お近くの際はぜひ寄ってみてください。
内部見学は水・土・日・祝日の10:00-15:00です。こちら。
この場所を紹介してくれたKさんにも感謝!
彼のnoteでもここよりよっぽど詳しく紹介してくれてるので是非そちらもお読みになってください。こちら。
