あいちトリエンナーレ2019 ④ 豊田市、まとめ

最終日は豊田市。
僕はのんびり名古屋でモーニングを食べたかったのだけど、一緒だった友人が「ホー・ツーニェンの作品が9時から並ばないと観れない」ということで9時から豊田へ。(ちなみにモーニングは6時半に起きて7時から無理やり食べに行きました。美味。)
このツーニェンの作品が展示されているのが「喜楽亭」という元旅館。
着いたらすでに10人ほど並んでいました。ツワモノ。。。
もうずっと喜楽亭がすごいという話を聞いていたのでこの作品は見逃すわけにはいかなかった。
10時になって開場。なんと津田さんも様子を見に来られてました。
後ろを振り向くと長蛇の列。。。朝早く並んでおいて良かった。。。
中では全部で6つの映像を見るんだけど、それぞれ12分ずつなので、終わる度に次に行く感じでよくできた構成だなぁと思いました。
内容はこの旅館に泊まっていた特攻隊の若者から、「神風」という言葉、そして軍歌など、映像ごとに通底したテーマがあるのだけれど、ベースになる映像は小津安二郎と横山隆一。彼らが国家の求めに応じ戦意高揚を目的とした映画やアニメを作ったことが語られ、京都学派の言説なんかも出てくるとても複雑な物語がこの旅館全体で綴られます。
詳しい説明はREAL KYOTOの記事に任せます。こちら。
旅館全体を使って物語化していく様はとてもうまいなぁと思いつつ、期待してたほどではなかったかな。。。
まあ、観られて良かったとは思います。
外に出たらさらにすごい行列で、こんなのに並んでたら他のが観られない。。。
行列を後にして豊田市美術館へ。

豊田市美術館も名古屋市美術館同様あまり観るべきものがなかった。。。
同時にやってるクリムト展の最終日と重なって館内は大混乱でした。
まあ、唯一面白いと思ったのは社会主義彫刻、絵画を扱ったレニエール・レイバ・ノボぐらい。
30分もいなかった気がするけど次へ。。。

高嶺格さんのこれ。もうすごすぎ笑
有無を言わさぬインパクトでやられました。
高嶺さんって美術館の外から出ると急に面白くなるよね。
この旧豊田東高校はこの後取り壊され、坂茂による建築ができるとのこと。
後、街中はいくつかあるけどこれといって感動できるものはなかった。
小田原のどかの作品は少し期待してたけど、ものとしての説得力がない。
今回コンテキストベースの作品が多いけれど、それに見合うビジュアルを獲得できてない作品がいくつか見受けられて少し残念だった。
さてさて、やっとまとめ。ってまとめられないけどつらつらと思うこと。
今回のあいちトリエンナーレ、展覧会として総じてよかった。とても良かった。
騒動抜きにして本当に素晴らしいテーマとキュレーション。
このトリエンナーレ、始まった当初は1回で終わると思ってたけど、もう4回目。
そして今回津田さんがディレクターに決まった時点で絶対面白くなる!と大きく期待してました。
その期待はもうすでに開幕前から叶えられてて、それは何と言ってもまず彼が今回の展覧会をジェンダーフリーにすると宣言して、作家の男女比を半分半分にしたこと。
とっても情けない話だけど、これだけのことが今まで実現できてなかった美術界。
このことで、なんと美術業界から「女に高下駄を履かせるのか」とか「質が落ちる」なんて馬鹿げた発言もあって、それを津田さんは「今まで男が履いてた高下駄を脱いでもらいます」と一蹴。格好良すぎる。
リベラルなはずの美術業界ですら男中心の古すぎる世界。うんざりです。
この一石のおかげで美術手帖でも「ジェンダーフリーは可能か?」という特集も組まれて、今までなんとなくわかってはいたけど、改めて向き合うきっかけになりました。
このことで美術業界から「一生分の罵倒」を浴びたそうですが、美術界の外の人だからこそできたことかもしれません。情けないですが。
しかしその後一生どころか何十生分の罵倒を浴びることになろうとは。。。
開幕後の騒動はいうまでもなく、何と言っても展覧会は終わりましたが、まだ文化庁の助成金不交付問題はまだ終わっていません。
これは本当にまずい事態だと思います。
案の定その後、文化庁は「公益性の観点で不適当なら助成金は不交付」という条件をつけ、映画「宮本から君へ」にピエール瀧が出てたという理由だけで不交付を決定しました。
文科省外郭団体「公益性の観点で不適当なら助成金は不交付」
映画『宮本から君へ』の助成取り消し、交付要綱も改正。プロデューサーは「文化芸術にとって由々しき事態」と怒り
この国は本当に地に堕ちましたね。
これでは文化が死んでしまいます。
国家にとって都合のいい作品だけが残る。
まさにツーニェンの作品の世界。
にしても文化庁長官の宮田良平自身が作家であり元東京藝大の学長ってのがもう皮肉しかない。
まあ、彼の作品観てたら然もありなんで、失望も何もないけど本当にゴミ。
この展覧会は、大きな功罪を残しました。パンドラの箱を開けたという言い方もできましょう。
ここまで社会と美術が激突したのは「千円札裁判」以来かもしれません。事態はさらに深刻ですが。
この「不自由」と闘うためにも是非とも記録に残して欲しい。
今回不交付となったことで、カタログを作れないという話を聞きました。
クラウドファンディングでもなんでもいいから絶対に作って欲しい。見返りはいりません。
それだけ時代のマイルストーンとなる展覧会の枠を超えた出来事として残さなくては。
そして、大村県知事も最後に宣言してくれましたが、なんとしてでも次回のあいちトリエンナーレ2022を実現して欲しい。
課題は山積み。
何ができるか表現に関わる全ての人々が考えなければなりません。
この展覧会を通して、本当にいろんなことを考えました。
ひとまず会期を全うし、最終日には全ての作品を見られる状態に戻してくれたこと、関係者の方々には感謝しかありません。
お疲れ様でした。そしてありがとう。
最後に大村県知事の会見を貼っておきます。素晴らしい演説。一生忘れたくない。
この騒動で唯一の救いでした。
あいちトリエンナーレ2019 ③ 田中功起、小泉明朗



田中功起「抽象・家族」。
僕の中でこの作品は今回のあいちトリエンナーレのベスト作品。
この作品観られただけでも愛知に来た甲斐がありました。
正直田中さんは前の水戸芸術館の展示で相当失望しちゃったし、今回の展示ボイコットもかなり疑問で、それはそのことで最も被害を被るのが観客だからです。
なのに田中さんはそれに追い打ちをかけるような発言をTwitterでしていました。
展示を閉鎖して二週間ぐらいが過ぎたけど、何事もなかったようなRTや感想を目にするたびに不思議に感じる。閉鎖された空間は多いし、それをなかったことにして、いい展覧会だった、と言えるのだろうか。
— 田中功起 koki tanaka (@kktnk) September 18, 2019
この発言を観た時、なんて傲慢なんだろうと思いました。
ただでも観客は「観る機会」を奪われてるのに、そこをさらに責めるの?まじで?
責めるべきは他にたくさんいるだろう。
観客が責められる筋合いはこれっぽっちもないだろう。
と。
エキソニモの発言が個人的には最もしっくりきます。
あいトリの問題でいろいろ考えてるけど、僕らが作品を取り下げたり、変更をしないと決めたのは、作品自体が今回の出来事の核心にある、情報社会と感情の関係に対する警笛のような意味も含んでいて、それを掲げ続ける事が返答になると思うから。作品自体にこそ示されていると信じてる
— Sembo / センボー (@1000b) September 20, 2019
そう、作家なら態度じゃなくて、作品で示せよと思う。
いい作品というのは総じて作家の態度がそのまま作品に反映されてる。
僕は「態度が形になるとき」が観たいんです。
それを「観せない」というのは如何なものかと。
なので最後の最後に皆が展示再開に至ったことは本当に良かった。
そして、もし展示が閉ざされていて、田中さんの作品が観れなかったとしたら、僕の中でこのトリエンナーレの印象は大きく損なわれていたと思う。
それほどに今回の田中さんの作品は素晴らしかった。
あのヴェニスの感動が再び蘇りました。
そう、あの時のタイトルにも「抽象」が入っていました。
田中さんの作品においてこの「抽象」というのが重要な気がします。
以前の水戸の作品はあまりに「具体」すぎました。あれでは田中さんの魅力が発揮できない。
そして今回大きく扱われてるのが「家族」です。
これまで田中さんが描いてきた「関係」の究極という感じがして震えました。
そして実際見事なインスタレーション。
このインスタレーションは三つの映像を軸としています。
この映像には4人の「ハーフ」と呼ばれる人たちが登場して、彼らが共同生活を送りながら、その成果物として4人で抽象画を描いてもらうという過程が映されています。
会場にはその抽象画がたくさん展示されていて、その中を観客が自由に過ごすんですが、この観客たちの開放感がとってもいいんですよね。
流石に展示がうまいなぁと思うんですが、本当に自由度の高い空間に仕上がってる。
映像の前には座り心地のいい椅子が置かれていて、ゆっくり観ることもできるし、映像の間をすり抜けることもできる、非常に緩い空間構成。
全ての行動がここでは肯定されていて、本当に清々しかったし、いつまでもここにいたいと思わせてくれました。
そして映像。
その4人の生い立ちや「ハーフ」だからこそ背負ってきた苦労が共有されていき、まるで家族のように過ごすんですが、もうこの感覚って坂元裕二のドラマ好きには堪らないと思います。
家族も故郷も自分で獲得していくものだと思うんですよね。
血の繋がりだけが家族じゃないし、生まれ育った場所が無条件に故郷になるわけじゃない。
田中功起自身が語る家族観に「たまたまそこに空いてる席があったから座っただけ」みたいな言葉があったけど、もうわかり過ぎて辛い。
自分も親と確執とかほとんどないけど、子供の頃から「たまたま居合わせた他人」以上に思えなくて。
昔「世にも奇妙な物語」でやってた「レンタル家族」って話があって、実は本当の親は物心つく前に事故で死んでて、その遺言と遺産に従って、息子が20歳になるまでの契約で「レンタル家族」を雇って、20歳の誕生日に家に帰ったらバースデーケーキと契約満了の紙が置かれてるっていうめっちゃ怖い話なんだけど、僕はそれを信じちゃったんですよね笑
今もその感覚が消えなくて、大人になったら家族なんて解散するものだと思ってた。
その感覚がまさにこの作品に落とし込まれていて、沁み方がどうしようもなかった。
こんなこと思っててもいいんだ、と肯定してもらえた気がして本当に感動しました。
あとちょうどポール・オースターの「孤独の発明」を読んでいて、そこには彼のお父さんが亡くなった時の話が書かれていて、結局最後までわからない人だったことが延々と綴られるんだけど、本当に家族って近くて遠い他人だよなぁとつくづく思ってしまう。
この作品は本当に色んな広がりがあって、生涯忘れられない作品だと思います。
本当に観られて良かった。
あと、この日は小泉明朗さんの新作「縛られたプロメテウス」を鑑賞しました。
毎回15人程度の定員制で、VRを使った作品。
これは先日無人島プロダクションで見たようなものを想像しいたのだけどちょっと違った。
もう終わったのでネタバレしてしまうけれど、最初の30分はVR装置を装着して、ナレーションを聞きながら抽象的な映像を味わうんだけど、後半はバックヤードみたいなところに移動して、目の前にあるテレビを観ていたらALSの車椅子に乗った男性が現れ、彼がALSになった経緯を話すんだけど、それはさっきまで聞いてたナレーション通りで、そのナレーションは彼の発言をなぞっていただけのことがわかる。
そして、カーテンが開くと、その後に入ったグループがVR装置を付けながら彷徨う様が現れる。
僕らのグループもその前のグループに見られていたというわけ。
僕らは知らない間にパフォーマーになっていたということ、なんだけど、なんか安易だなぁと思ってしまいました。
僕はてっきり無人島で見た「サクリファイス」のようなものを期待していたので、VR体験も普通の不思議体験になっちゃってたし、僕は「サクリファイス」を体験した時に、小泉さんが今まで映像の中で人々にさせていた「憑依」を自然な形で観客にさせてしまったということに衝撃を受け、感動したのだけど、今回はまた今までの小泉さんの作品の領域を出てない感じで少しがっかりでした。
この表と裏みたいなのって前にも森美術館でやってたしね。
とはいえこの作品を体験するために最終日にしたので、そのおかげで全ての再開した作品も観れたので感謝といえば感謝。
今後の小泉さんの作品、期待してます!
つづく。
あいちトリエンナーレ2019 ② 愛知芸術文化センター






愛知芸術文化センター。
何と言ってもウーゴ・ロンディノーネに救われる。
彼も当初不自由展の中止を受けて展示延期を訴えたけど、説得の末なんとか展示継続してもらって、これがあるのとないのとでは全体の雰囲気が大きく変わるぐらいのインパクト。
今回やはり政治的な作品が大きくフィーチャーされがちだけれど、彼のカラフルなピエロたちが各々寛ぐ空間に入るととってもスカッとするんですよね。
もちろんピエロって時点でいろんな意味を含んでるんだけれど、それも含めて今回のテーマ「情の時代」にぴったり合うし、メインビジュアルになるのもわかる。
彼の作品そこまで好きじゃないんだけど、前の横トリの時もそうだけど、メインビジュアルになりやすいキャッチーな形態を取りながら、人間の深い感情にも潜り込んでくる感じはすごいなぁと。
この作品は写真で観るよりすごかった。観客が各々楽しんでる雰囲気もとても良かった。
他にもアンナ・ヴィットの作り笑いを1時間継続させる映像や、dividual inc.の遺書を書いてもらう作品など、「情の時代」というテーマがすんなり染み込んでくる作品群で物凄くよくできたキュレーションだな、と感心しました。
中でもタニア・ブルゲラ。
今回の騒動を受けて、展示ボイコットを早急に訴えた作家の中でも特に強い印象を持ちました。
その理由はこのインタビューを読むとよくわかります。
彼女の国キューバで行われてる「検閲」がいかに酷いものか。僕も衝撃でした。
タニア・ブルゲラ、小泉明郎「「表現の自由を守る」・その後」
そんな彼女の作品も無事展示再開されて、実際体験することができました。
メンソールが充満した部屋で、強制的に涙を流させるという作品で、本当にすごかった。
まあ、フロア全体にかすかにその匂いが充満してたのはどうかと思ったけど笑
彼女の作品は「視覚」に頼ることなく、嗅覚的刺激のみで物凄く深いところまで到達していて本当にすごい。
それまで彼女のことよく知らなかったけど、昨年のテートモダンのタービンホールをやってたんですね。
どこかドリス・サルセドに通づるものがあるなぁと。
次のヒロシマ賞あたりとって個展が観たいなと思いました。
そして途中退場して不自由展。


最後の1週間ほど展示が再開され、毎回抽選で入れる人を決めます。
その際身分証明書の提示と同意書に署名が求められる厳重っぷり。
それにしてもすごい人。。。
一応並びましたがちゃんと落選でした笑
ここまできたら観たかったけど仕方ない。
それにしても本当によく再開できたよなぁと改めて関係者たちの努力に頭が下がる。
正直最終日にはほとんどの作品が観られなくなってるんじゃないかと半分諦めてたんですが。
ところで半分閉じられた不自由展の入り口、めちゃ神秘的笑
ここからは観られなかった負け惜しみでもなんでもないんだけど、この「表現の不自由・その後」、僕は最初から懐疑的でした。
この展示は開幕直前まで周知されてなくて、プレオープン時に僕は確かTwitterか何かで知って、とても不穏な空気を感じたのを覚えています。
正直これトリエンナーレに必要?と思いました。
まずそもそもこれキュレーションというべきものが何もない。
そう、展覧会内展覧会にしても展覧会としての質が全くないんです。
ただ「検閲を受けた作品を集めました」というだけ。
これなら博物館の陳列に近い。
そして問題になった少女像。
ここまで日韓関係が冷え切った中で騒動を巻き起こすことは自明だし、作者の意図なんてその前ではなんの力も無くなるんだろうなぁと。
僕は後にも書くけど、津田さんがディレクターに決まった時点でこのトリエンナーレは今までとは違ったものになると確信していたし、開幕前からとても楽しみにしていただけに、あの少女像を見た時点で、あれ、これ自分が見たかったものじゃないな、と思ってしまったのが正直なところです。
そして案の定あの結果。
僕ですら「炎上商法じゃないの?」と思ってしまいました。
僕は嫌韓なんてこれっぽっちもないけれど、あの少女像はとっても不快なんですよね。
あの像に色んなものを押し付けて背負わせてる感じがとても気味が悪い。
これをもって「表現の自由」って言われてもと思ってしまう。
「表現の自由」と聞いて思い出すのが2015年パリで起きたシャルリ・エブド事件。
アッラーを嘲笑うような風刺画を表紙にした雑誌社がイスラム過激派に襲撃され、「表現の自由」を巡り大きなデモになりました。
でも僕はそんなの「表現の自由」ではなくただの暴力だろうと思いました。
誰かが強く信じているものを揶揄するものを「表現」という名前で呼んでほしくない。
それと今回は少し違うけれど、あの少女像はその表象だけで少なくない人たちを不快にさせる力があるんです。
まあ、不快にさせるだけならいいんだけど、今回そのバイアスを払拭できるだけの力が作品にあったのか。
僕は実際観てないのであまり強くは言えないけれど、でもやっぱりなかったよねぇと。
要は作品の質の問題なんです。
その他にも大浦信行氏の「遠近を抱えてPart2」やChim↑Pom「 気合い100連発」等悪い意味で話題になっちゃったけど、特に後者の「 気合い100連発」は本当に好きな作品なので、個人的に大きな「分断」を感じました。
にしても皆ちゃんと観てもないのによくもまああそこまで好き勝手言えるよなぁと半分感心。
「放射能最高!」を「放射能最高!」ととっちゃうなんて馬鹿丸出し。
リテラシーって言葉も知らないんだろうなぁ。。。だからすぐフェイクニュースにも飛びついちゃうんだよね。
あんなに震災に対する悔しさや苛立ち、悲しみや怒りを表した作品を僕は知らない。
彼らはあの震災直後の反応がすごすぎて、その後の作品がパッとしないけれど、それにしてもあれらの作品たちは本当に一級品です。
再来年、彼らの大きな展覧会が森美術館であるけど、どこまで展示されるんだろう。
また「検閲」が行われそうで、僕らはそこをしっかり見届けなくてなりません。
つづく。
あいちトリエンナーレ2019 ① 名古屋市美術館、四街道・円頓寺エリア

満を持しまくってあいちトリエンナーレへ。
言うまでもなく今年アート界の台風の目となってしまった展覧会です。
その辺は美術手帖さんが会期中に50以上も記事にしてるので詳しく知りたい方はこちら。
あとは津田さん自身のインタビュー。これは長いけど読むべき。衝撃。
あいちトリエンナーレ津田大介芸術監督インタビュー
そして最終日間際になって本物の台風まで来てしまいました。。。
愛知入り、かなり遅くなって全部は見れないだろうなぁと絶望的な気分で眠りについたのが13日深夜。
なぜか3時間ぐらいで目が覚めてしまい、なんとなく交通情報を見るとなんと新幹線朝から動いてる!
と言うことでそのまま起きて名古屋へ!
新宿まで来たらJR在来線は止まってたけど挫けず丸ノ内線で東京駅へ。
新幹線は動いてるのに在来線止まってるの不思議。。。
とはいえなんとか午前中に名古屋入りできて、ホームできしめん食って、まずは名古屋市美術館へ。


正直30分ほどで観終わってしまった。。。
唯一見応えがあったのは藤井光の映像。
戦時中、日本の植民地で行われていた「日本教育」を、今日本に住んでる移民の人々に実践してもらう映像で、観ていて本当に不快なんだけど、今回のトリエンナーレを体現しているように思えて。
「不快なものに税金を使うな」という言論が今回とても印象的で、あぁ、まだ人々は「美」術を信じてるんだなぁと絶望的な気分になったんだけど、まさにその人たちにとってこの映像なんかは格好の標的になり得ただろうなぁと。
でもね、観たいものだけを観てたら本当に視野って狭くなるんですよね。
特に現代アートを観る最大のメリットって不快なものも見せてくれるところにあると思うんですよね。
不快な現実を直視するのは辛いけれど、それを作品に昇華して観せてくれるんだからこれほど親切なことはないと思うし、それで世界は大きく広がるんですよ。
まあ、大半の人には響かないんだろうけど、少なくとも僕はそこに救われたので。
この作品も一時閉鎖になってたそうだけれど、最後になって再開して本当に良かった。
モニカ・メイヤーの作品とか全然好きじゃないけど、「展示再開」の文字を観ると胸が熱くなりました。
この辺の今回明らかになった「分断」はこの記事が一番的を得ているかと。
「あいトリ」騒動は「芸術は自由に見ていい」教育の末路かもしれない
続いて円頓寺エリア、の前に途中の長者町にある大山エンリコイサム。すごかった。

で、円頓寺エリア。



まずは伊藤家住宅。
もう会場がすごすぎる。なんだこの素晴らしすぎる家は。
その中でも蔵を使った岩崎貴宏の作品がすごかった。
このエリアで最も印象に残ったのは葛宇路の作品。
嘘から出た誠とも言うべきドキュメンタリーで、彼の名前「葛宇路」で標識を無許可で名もなき道(北京には無名の道が多いらしい)に掲示したら、マップにこの名前で登録され、当局もしばらく気づかなかったらしい。
この作品確かにすごいけど、彼は今後どんな作品を作るのか興味深いです。
にしても細々と会場が多く、夏に来なくて良かった。。。と思った。
キュンチョメは混みすぎて見れず。
このエリアと愛知芸術文化センターとつなぐシャトルカーが30分おきに出てるんだけど、一回に3人までしか乗れず要予約で、ダメ元で行ってみたら予約してた人が来なくて奇跡的に乗れた!助かったー。。。
そしてメイン会場愛知芸術センターへ。
つづく。
劇団チョコレートケーキ「治天ノ君」 @ 東京芸術劇場 シアターイースト/藤田貴大「蜷の綿(になのわた)- Nina's Cotton - / まなざし」 @ 彩の国さいたま芸術劇場
こんなに泣いた舞台人生で初めてでした。
劇団チョコレートケーキは前回の「遺産」以来2回目。
前回の731部隊に続く今作のテーマは大正天皇。
劇団名とは裏腹に相変わらず重い。
といっても今回の演目は2013年、2016年に続く再再演らしい。
それほど評価された演目なだけあって、本当に素晴らしかった。
まず舞台にはレッドカーペットとそれに続く玉座のみというシンプルな作り。
時代が交錯しながら大正天皇のお妃節子皇后が語り部となり舞台は進む。
大正天皇。はっきり言って全くもってイメージがなかった。
そもそも大正は15年しか歴史がなかったし、人々の忘却の彼方に消えてしまっても仕方ないといえばそうなのだけど、この物語の中ではむしろ積極的に「消された天皇」として描かれている。
というのも、この天皇はお世辞にも優秀なお人ではなかったようで、実際彼は側室の子として生まれ、病弱ゆえ学業も留年し、ついには学習院を中退してしまう。
その後この舞台でも重要な登場人物となる有栖川宮威仁が個人教師となり、彼に大きな影響を与えることになる。
しかしその有栖川も病のために個人教師を退くことになるが、妻節子と仲睦まじく暮らし、彼は一夫一妻を貫いた最初の天皇となる。
彼の元には4人の男の子が生まれ、その長男が後の昭和天皇裕仁。
物語の中で大正天皇嘉仁は父である明治天皇にも息子にも冷たくあしらわれる。
何と言っても肝になるのがこの大正天皇のお人柄。
主演を演じた西尾友樹の演技が素晴らしすぎて、一瞬で虜になってしまった。
先の明治天皇と打って変わって朗らかで友好的。
最後、脳を患いながらも懸命に天皇であろうとする姿には心打たれまくった。
宮内庁はそんな彼を「恥」として、彼の死後、すっかり葬り去ったというのが結末。悲しい。
その姿を見ていて思わず明仁上皇とダブらせてしまった。
この物語がどこまで事実に基づいているのかはわからないけれど、国民のことを慈しむ態度や妻を愛する様子が、ものすごくダブってしまって途中途中で涙が本当に止まらなくて困った。
賛否両論あるだろうけど、僕は明仁上皇と美智子皇太后が本当に好きなんですよね。
あの人達のことを思うだけで涙が溢れてくる。
愛国とか右だとかそういうの関係なく、僕は純粋に天皇というこれまで千年以上も培われてきた制度が好き。
物語の中で、明治天皇と昭和天皇の類似性が垣間見られて、隔世遺伝的に大正と平成がまたリンクしている気がする。
奇しくも明治天皇の誕生日11月3日が文化の日、昭和天皇の誕生日4月29日が昭和の日として祝日なのに対して、大正天皇の誕生日である8月31日は祝日ではなく、平成天皇の誕生日12月23日は今年から祝日ではなくなったこともなんだか色んな思惑があるんじゃないかとすらこの舞台を見ながら思ってしまった。
そもそも「令和」が発表された時にその名に昭和の「和」が入ってることが発表当初から気になっている。
是非令和には大正平成の精神を受け継いで欲しい。
なんだか物凄く考えさせられる内容だし、純粋に悲劇として美しい。
物凄く優れた演目でした。あー泣いた泣いた。
来年は孫文や蒋介石とも親交のあった日本人松井石根がテーマらしい。また重そう笑
藤田貴大「蜷の綿(になのわた)- Nina's Cotton - / まなざし」 @ 彩の国さいたま芸術劇場

藤田貴之が蜷川幸雄の半生を戯曲化した「蜷の綿」。
蜷川の生前本人が藤田に脚本を依頼し、蜷川本人が演出するはずだった舞台。
しかしその上演は叶わぬまま蜷川は帰らぬ人に。
あれから三年半の後、なんとついに実現することに。
正直僕は蜷川幸雄という人物にほとんど関心がない。
昔ロンドンで彼の演出したシェイクスピアの「コリオレイナス」を観て、もう観なくていいなと思った。
しかし今回はあの藤田貴大。
蜷川本人から依頼されるという大役にどう挑んだのか興味があり、行ってみることに。
ところで公演内容に「リーディング公演」と書かれていて、何のこと?と思いながら、蓋を開けたら皆が台本持ちながら演じていてとても新鮮。
舞台には蜷川幸雄が創設したさいたまゴールド・シアターという55歳以上の俳優のみからなる演劇集団と、さいたまネクスト・シアターという若手演劇集団が登場して、総勢40名ほど。中には車椅子のメンバーも。
まず青年期の蜷川の独白から始まり、舞台の奥の奥からぞろぞろとその集団が歩いてくるシーンは圧巻。(最後は同じく去っていく)
そして階段が現れて、ギリシャ劇のコロスよろしくコーラス隊のようにメンバーが並び、ポリフォニーとなって舞台が形成されていく。
この声の重なりが素晴らしくて、ひたすら酔いしれた。
今回演出は蜷川幸雄の演出助手を務めていた井上尊品なんだけど、藤田演劇お馴染みのチャプターごとに話が進んでいくし、同じシーンの繰り返しリフレインも登場する。
前述の通り僕は蜷川幸雄自身にはほとんど興味ないので、内容はそこまで興味ないんだけど、この演出とメンバーたちの熱気に2時間50分もある舞台もあっという間に感じられた。
何より、蜷川幸雄という一人の人物を愛した人々が繰り広げるのだから、もう舞台には愛しかなかった。
そして客席もほとんどが蜷川のファンであろう人たちで埋め尽くされているのでそこにも愛しかない。
こんなに愛に包まれた舞台は初めての経験。
最後は全員スタンディングオーベーションで、メンバーは堪えきれず泣いてる人もいた。
この日は蜷川幸雄の誕生日。
最後はみんなでバースデーソングを歌っておしまい。泣ける。
その後トークがあったんだけど、もう一つの舞台「まなざし」が別会場であるので、ギリギリまで聞いて会場である第稽古場へ。
こちらはマームのメンバーが繰り広げる藤田の舞台。
蜷川の「まなざし」をテーマに作られた新作。
まあ、いつもの通りで正直なんの新鮮味もなくて蛇足だったように思う。
直前の「蜷の綿」が凄すぎただけに少しがっかり。
それにしても悩んだ末来てよかった。
今回3日間のみの舞台だったので、ぜひ再演して欲しいと思う。
蜷川幸雄に興味ない僕でも感動できる凄まじい舞台でした。
次回の藤田貴大演出の舞台はなんと「ねじまき鳥クロニクル」!
僕の大好きな小説をどう料理するのか楽しみしかない!!!
A'holic Selection05 "智 感 情" 開催のお知らせ。

本日10月16日よりA'holic Selection#05を開催します。
第5回は「智 感 情」と題して、日本の表現をテーマに選書します。
展示予定書籍は以下。
椹木野衣「日本・現代・美術」(1998) 新潮社
中ザワヒデユキ「現代美術史 日本編 1945-2014」(2014) アートダイバー
中村ケンゴ「20世紀末・日本の美術ーそれぞれの作家の視点から」(2015) アートダイバー
岡倉覺三「新訳 茶の本」(2013) 明石書店
高橋睦郎「在りし、在りまほしかりし三島由紀夫」(2016) 平凡社
「小鹿田焼 すこやかな民陶の美」(2012) 芸艸堂
矢頭保「裸祭り」(1969) 美術出版社
「ハイレッド・センター: 直接行動の軌跡展」(2013)
東松照明「光る風ー沖縄」(1979)
細江英公「抱擁」(1971) 写真評論社
細江英公「鎌鼬」(2009) 青幻舎
石内都「1906 to the skin」(1994) 河出書房新社
"Kishio Suga Situations" (2016) Mousse Publishing
「村上友晴 ひかり、降りそそぐ」(2018) 目黒区美術館
「メモランダム 古橋悌二」(2000) リトル・モア
石川直樹「Mt. Fuji」(2008) リトル・モア
Rinko Kawauchi "Halo" (2017) aperture
大山エンリコイサム「Viral」(2019) 中村キース・ヘリング美術館
ミヤギフトシ「ディスタント」(2019) 河出書房新社
是非お越しください!
A'holic (エー・ホリック)
東京都新宿区新宿3-11-1 高須ビル3階
*新宿3丁目駅C-6出口より徒歩1分
tel & fax 03-6273-0132
mail info@aholic.com
web http://aholic.tokyo
IG @aholic_artlibrarycafebar
twitter @Aholic_tokyo
19:00-25:00 (月-金) 14:00-25:00 (土・日) 10/30, 31, 11/1. 13休
*急な変更はtwitterをご確認ください。
A'holic営業時間変更のお知らせ

本日10/1でA'holic開店からちょうど半年が経ちました!
わずか半年ですが、数々の出来事や出会いもありめまぐるしい半年でした。
ご来店頂いた皆さま、本当にありがとうございます。
ここで、お店の営業を少し変えたいと思います。
10月15日より営業時間が変更になります。
変更前(-10/14)
月-木 17:00-25:00 金土 17:00-27:00 日曜及び月曜祝日休み
変更後(10/15-)
月-金 19:00-25:00 土日 14:00-25:00 不定休
10月のお休み 6(日) 13(日) 14(月) 15(火) 30(水) 31(木)
という感じです。
半年やってきてわかったのが、17時からやっても人は来ないということ笑
そして、週末でもほとんどの人が終電で帰っちゃうってこと。
てことで平日は19時から、土日はなんと昼間からやっちゃいます。
うちはあくまでカフェバーなので、カフェ感も欲しいのです。
週末の昼下がりにぜひ!という感じ。
こうしたトライ&エラーも純粋に楽しい。
あと定休日を廃止しして不定休にします。
定休にしちゃうとその曜日にどうしても来られない人もいるかと思って。
10月はちょっと休み多めですが11月からはあまり休みなく開けます。頑張ります。
ということで今後とも末長くよろしくお願い申し上げます。
バスキア「MADE IN JAPAN」@ 森アーツセンター

話題のバスキア展へ。
こんなに有名な作家なのにここまで大きな日本の美術館での個展ってそうそうない。
僕も実際にバスキアの絵をちゃんと観るのは初めてでとても楽しみにしてた展覧会。
PENのバスキア特集で予習したりして臨みました。
が、そこまで感動はなかった。。。
以前シュナーベルが撮ったバスキアの映画とかも観てたので、描いてるところがそのまま立ち現れるような臨場感があったのだけど、正直彼の絵とどう向き合っていいのやら。。。
そもそもウォーホルもキースも自分は苦手。
やっぱ僕は抽象的な表現じゃないと入ってこないというのがあると思います。
もちろんバスキアにも抽象性はあるんだけど、どうしても冠やら骸骨やらが邪魔をする。
むしろ最後に展示されてた文字だけのやつとかが一番良かったかも。
彼の文字ってとても人柄が表れてて好きなんですよね。
最近大山エンリコイサムの「アゲインスト・リテラシー」を読んで、そこにグラフィティのことが色々書かれてるんだけど、中でも「識字リテラシー」と「文脈リテラシー」という言葉が印象的で、前者はグラフィティの単純に読み方で後者はその意味するところ。
バスキアの場合はSAMO時代から培った複雑な「文脈リテラシー」が最大限生かされてると思う。
正直ちょっと何言ってるかわからないって感じの文章がそこかしこに書かれていて、それがとてもミステリアスだし、バスキアの「識字リテラシー」の美しさもあってそこは本当に魅力的。
特に100YEN 200YEN 300YEN、、、と書き連ねてるだけの作品がとても良かった。
あと日本語が出てきたりするのも興味深かった。
ただね、やっぱ絵画としてのダイナミズムがそれだけでは弱いんですよねぇ。
文字を使ってるという点でよくサイ・トゥオンブリーの名前が出てくるけど、やっぱトゥオンブリーの絵画画面の強さって異常で、それはあの圧倒的な絵の具の存在感にあると思います。
バスキアはどっちかというとイラストなんですよね。
画集でわかっちゃうというか、実際観てもそこまで印象変わらないというか。
トゥオンブリーの絵画はもう現物の強さがすごすぎて画集では全然伝わらない。
フィラデルフィア美術館で観たトゥオンブリールームはいまだに忘れられない。。。
そんなこんなで、とりあえず現物観れたのは良かった、ぐらいの展覧会でした。
とはいえこんな機会本当にそうそうないので少しでも興味のある人は行った方がいいですよー。
もう作品が高騰しすぎてセキュリティチェックとか中々厳しかったです。
かの前澤さんが123億で買った絵も展示されてます。11/17まで。こちら。
そしてちょうど今六本木のアートコンプレックスがアツいです。
僕が観たのは以下。
ホンマタカシ@ TARO NASU
グレゴール・シュナイダー@ WAKO
シュテファン・バルケンホール@小山登美夫
戸谷成雄@ ShugoArts
法貴信也@タカイシイ
どれも素晴らしかった!
ホンマタカシは特に好きでもないんだけど、今回の作品はコルビュジエの建築の窓を撮った作品で、すごく新鮮な建築の眼差し。そしてとてもリアルな眼差しでもあって、生活者としての視線というか、体温のある建築写真という感じでとても良かった。
グレゴール・シュナイダーは先日お客さんでドクメンタで彼の作品を体験してその体験が忘れられないと聞いてから気になりまくってる作家。名前はなんとなく聞いたことあったけど、そこまで気にしてなかったので今回実際ギャラリーで鑑賞してとても興味深かった。
以下ギャラリーのサイトから直接引用。
本個展は、ナチス・ドイツの国民啓蒙宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッペルスが実際に生まれた生家で、2014年にシュナイダーが行ったプロジェクトを、立体作品や映像作品によるインスタレーション構成で展示する試みです。同年にワルシャワのザヘンタ国立美術館とベルリンのフォルクスビューネ劇場とで『UNSUBSCRIBE』展として公開されましたが、それ以降は展示されることがなく、本個展で5年ぶりに、アジアでは初めて公開いたします。このプロジェクトは、自らの出生地の近隣にかつてゲッペルスが暮らした家があり、かつ現存している事実を知った作家が家を買取り、家財や目録を丁寧に調べ上げ、そして建物の内部を徹底的に破壊し残骸を廃棄するまでを一連の流れとします。ゲッペルスが去った後、この家屋の歴史が公になることは今までに殆どありませんでした。戦後から約75年間、ゲッペルス一族ではない人々が暮らしながら一般の家として街の中に存在し続けています。
内容からもとても不気味な作品群で、一つ一つのピースが具体的にどういう意味を持つのかまではわからなかったんだけど、断片的に伝わってくる不気味さみたいなのがすごかった。
引用にもある元になった展覧会のカタログを買いました。
神戸で今大規模なグレゴール・シュナイダーの展示をしてるので、観に行くつもりなかったけど行く気満々。楽しみ。
バルケンホールと戸谷成雄が同時にやってるのはアツい。
どっちも木を使った作品だけど、表現方法が全然違うけど、どちらも素晴らしい作品群。
バルケンホールは台座と人物が一体となって、アンソニー・カロ以来の彫刻と台座の関係を考えさせられました。
戸谷さんの作品も今までのような森のような作品ではなく、もはや塊といっていいほどぶっきらぼうな彫刻で、ものすごくかっこよかった。前半の大きなのも後半の小さなのも一つ一つの密度が素晴らしいバランスで感動。
法貴さんの作品は、これまでスッキリした印象だったのに、今回はかなりヌメッとしてるというか、正直「汚い」とすら思ってしまって、それもそのはず今回の作品のテーマの一つが「汚れ」だったから。
「汚れ」をテーマに絵画を描くなんて聞いたことないのでとても面白い主題だとは思うのだけど、絵画として全く気分のいいものではないので、もっと改良の余地があって楽しみな作品。
といった感じ。
バルケンホールが明日(10/5)までなので是非この5つは観て欲しいところ!
森美では塩田千春もやってるし、新美では「話しているのは誰?」もやってるので併せたらかなりのボリュームですが、どれも見逃せない展覧会ばかり!