A'holic pop up cAfe vol.05 "空間孝"

ポップアップカフェ企画第五段「beyond the nAture」、無事終了しました。
途中香港旅もあり変則的になってしまいましたが、お越し頂きありがとうございました。
今週11月2日(金)からはvol.05「空間孝」が始まります。
空間に関わる本10冊と映像の作品を展示します。
以下ステートメントです。
空間を考える。
空間とは何か。
場所との違いは。
空間は作りうるのか。
芸術に関わるのは特に最後の問いであろう。
かつて空間の一部だった壁画や彫刻は、作品という名の一個のオブジェとなり、
現代においては再び空間そのものになろうとしている。
但し、空間に取り込まれていたかつてと違い、作品そのものが能動的に空間を巻き込んでいくのである。
その巻き込みの作法とは。
本は以下の10冊。
「installation art」 (1994)

「SPACE FOR YOUR FUTURE アートとデザインの遺伝子を組み替える」(2007) ブログ記事

「Rachel Whiteread house」 (1995)

「Monika Sosnowska Architectonisation’」(2015) ブログ記事

「Richard Wright」(2009)

「OLAFUR ELIASSON THE WEATHER PROJECT」 (2003)

「ジェームズ・タレル 未知の光へ」 (1995)

「大西康明 空洞の彫刻」 (2015)

「O.M.A. Rem Koolhaas and Bruce Mau S,M,L,XL」 (1995)

「El croquis 155 SANAA」 (2010)

作品に関しては後日!
A'holic pop up cAfe
東京都新宿区新宿5-10-5 プログレス新宿5階
http://aholic.tokyo
13:00-18:00(l.o.17:30)
内海聖史「あらゆる時間」@ GALLERIE ANDO

内海聖史さん。ずっと追いかけてる作家さんですが、個展は久々に拝見しました。
そしてその久々の鑑賞はすごい体験だった。。。
なんせ、作品が見えないんだもの!
内海さん、何度かこのギャラリーで展示されてますが、毎度度肝抜くことしますね。
スペースの小ささを逆に利用して実験場にしている感じ。
今回の展示、具体的には、全部の作品がアクリルのボックスに入って展示されてるんです。
これがまた曲者で、アクリルのほとんどが色付きで、中には不透明なものもあり、そんなのに作品が入ってると言われてもなんだか化かされてるみたいな気分。。。
中にどういう作品が入ってるかみたいなファイルが見られるんだけど、本当に??みたいな不思議な感覚になりましたとも。
見えてる作品も、カラーアクリルのおかげで実際の作品の色味と全く違うし。。。
作品を鑑賞するとは何ぞやっていう根源的な問や、これを購入したら箱を開けるんだろうか等々なんだか物凄く色んなことを考えてしまいました。
それはそうと、ファイルを見ていたら表に出てない作品があって、「三千世界」と言われる5cm角の小さな作品を見せていただけることに。
これに関しては値段が手に届く範囲。。。買いました。
ついにギャラリーで作品を買ってしまった!!!
今お店の展示にと友人から作品買ったりしてたけど、ギャラリーでは初。
初の作品が内海さんというのはとても嬉しい。
というか内海作品が家にあるだなんてとっても贅沢!
5cm角でも凄まじい密度なので作品としての強度もあります。大満足。大事にします。

さらに上野駅でも展示されてると聞いたので観にいってきました。
相変わらず絵画の可能性をズンズン拡張している。
内海さんの絵画自体ももちろん好きだけど、その向き合い方がなんといっても好き。
今回の展示のインタビューでのこの答えがすごい好きです。
「僕は表現の中で自分を発信するのではなくて、絵の中で自分をどれだけ消せるかということでやっています。僕のタッチというより人のタッチ、人間の総体の感覚みたいな感じで制作したい。僕には自分が素晴らしいセンスを持って生まれたという思いがなく、凡庸な自分を消していった方がいいものが出来ると何となく考えています。僕だからこの表現が出来たというより、ガラスだからこうなった、絵の具だからこうなったという形にしたい。何なら僕のこと忘れちゃっていいよ、と。僕ではなく絵だけ見てくれればいい、と。」


前述の村上さんも内海さんも網膜では追いつけない程の「超網膜的絵画」だと思います。
絵画って基本的静的なメディアだけど、こんなにも動的になれるんだという可能性を教えてくれます。
最近見た展覧会ギャラリー編。
薬師川千晴展 @ 画廊くにまつ青山
カフェにも展示させてもらった後輩の薬師川さんの東京初個展。展示としては大人し過ぎたかな。
名和晃平「Biomatrix」@ SCAI THE BATHHOUSE
久々にこれぞ名和晃平!という展示。シリコンオイルの作品はさすがですね。人のオブジェはよくわかんないけど、ベルベットの抽象的半立体の作品は面白かった。案の定ベルベット作品二つとも売れてました。
井原信次 「MEYOU」@ KEN NAKAHASHI
笑えるぐらい超写実。現実というより写真寄り。でもリヒターのようなフォトペインティングとも違ってその先の内容が気になってしまう絵画(実際いろんな背景がある)それにしても現代のSNS時代に写真を元に描かれた写実絵画を改めて画像になって見るっていう体験はメタが過ぎて何が何やらわからなくなりますね。
村上友晴展― ひかり、降りそそぐ @ 目黒区美術館

久々に作品の前で涙が出た。
この感覚、本当に久しぶり。。。
村上友晴展、想像の遥か上をいく凄まじい展覧会。
今年の2月に京都で見て以来ですが、美術館で、これほどの作品数が揃うのは奇跡。
いつも美術館の常設などで1点とかで凄まじい存在感放ってますが、これだけ揃うと威力がすごい。
ロスコやニューマンの系譜を見事に継承する「崇高な」絵画たち。
こういう感覚、今のソーシャルエンゲージドアートだのリレーショナルアートだの「先端」から見ると古臭いかもしれんけど、僕はこの「崇高」が大好物。
2階の階段上がってすぐの部屋は、そういった「崇高」なペインティングが並ぶ。
ボコボコした表面も好きですが、僕はむしろマットなんだけど何層にも塗り重ねられた作品が好き。
黒の上の赤とか本当に美しすぎてこの部屋だけで何周もしてしまった。
さらに次の部屋では「イコン」という黒い小さな絵画とそこに集う使徒のように「十字架の道」の白い14枚の作品の織りなす空気は異常。
もう展示がうますぎ。
入り口からその横一列に並んだ様が少しずつ見えていくのが本当に鳥肌もの。
「十字架の道」は版画の技術で真ん中に正方形の窪みを作って、そこをニードルで削るというもはや絵画ではないし、むしろ絵の具を足す作業とは真逆の紙を物理的に削ることでイメージを作り上げていく。
14枚とも表情が少しずつ違う。
網膜をフル活動させないと見えないこれらの画面。
写真では中々再現が難しいんだろうけど、網膜だと一瞬しか切り取れない歯がゆさ。
もう本当に目の奥に焼き付けたいと熱心に見つめるんだけど、中々難しい。
ちょっと監視の人たちが羨ましかった。ずっとずっと作品の前に対峙したかった。
できることなら作品の前に椅子置いて欲しかったなぁ。
椅子あったら何時間でも見ていられたと思う。
今年一番素晴らしい展覧会でした。12/6まで。こちら。
ちなみにカタログは今月末納品だそうです。僕は予約注文してきました。
さて、芸術の秋だからか展覧会が目白押し過ぎて都内中駆け巡りました。
とはいえ、都内に住んでるってやっぱり素晴らしい。。。噛み締めております。
ということで今月観た展示は以下ざっくり。(美術館のみ)
ピエール・ボナール展 @ 国立新美術館
オルセーからの貸し出しなんだけど、正直あんまいいの持ってねぇなぁというのが感想。ロシアで観たボナールは格段に素晴らしかったので、結構良作はフランス国外にありそう。
カタストロフと美術のちから展 @ 森美術館
テーマとしては中々見甲斐があったけれど、なんでこれが?ってのがいくつかあった。(トレスとかルースとか)。逆にチラシにもなってる加藤翼の作品は、構造わかってない人が見たらなんのこっちゃわかんない感じで残念でした。でもわかってたら中々感動しちゃいます。
アジアにめざめたら アートが変わる、世界が変わる 1960-1990 年代 @ 東京国立近代美術館
前述のPara Siteの記事でも触れてますが、全体としては特に面白みはないです。ただ、日本の作品も普段「もの派」だの「具体」だのレッテルでくくられる作品たちが一個の作品として扱われてるのが面白かった。
マルセル・デュシャンと日本美術 @ 東京国立博物館
想像以上に日本のコーナーが蛇足過ぎましたね。。。あとデュシャンって見ても見ても見足りない感じがするんですよね。今回なんてフィラデルフィア美術館から結構いいものほとんど来ちゃってるぐらいのレベルなんだけど、なんだろうこの欠落感は。不思議な作家です。
Crush @ Para Site

前回の香港から約1年半。
この間にリー・キットが運営していたthings that can happenや百呎公園はなくなり、新たにメガギャラリーが軒並み入るH Queen's(後述)ができたり、前述の大館ができたりして、さらに来年にはアジア最大と言われる美術施設M+がオープンしようとしています。
急速に変化を続ける街ですが、1996年から20年以上変わらず独自の企画を通しているインディペンデントの施設があります。
それが今回紹介するPara Siteです。こちら。
前回行ったAsia Art Archiveと並ぶ香港アートシーンの至宝だと思います。
前回は時間がなくて行けなかったので今回ようやく来訪。
それにしてもビルが。。。香港お得意の竹の足場に覆われています。不安。しかも22階。エレベーター途中で止まるんじゃないかと案じながらたどり着きました。。。

中では「Crush」という展覧会がやっており、フリーにしては凝った冊子も製作されてました。
テキストには「愛の闇と頼りない愛」がテーマになっていて、20人弱の作家が参加するグループ展。
中にはリー・キットもいましたが、他は知らない作家。ほとんど中国の作家でした。
正直展示は散漫で、あまりよく飲み込めなかったのですが、今回欲しかった資料があったので、スタッフの方に聞いたら快く探してくださっていただくことができました。めちゃくちゃ親切で感動しました。
それは2013年にPara Siteが企画した「GREAT CRECENT」という展覧会の冊子でした。

この展示は、日本と韓国と台湾の3国の1960年代のアートシーンを辿るというもの。
実はこれ、その後2015年に森美術館がMAMリサーチの第一回として資料を加えて再展示しているんです。こちら。
僕はその時スイスにいたので、展示自体は見ていないのですが、最近カフェのお客さんが、その展示が今年になって本になったよと教えてくれて、先日森美術館に行った際に買い求めました。

それにしても展示から3年も経って書籍化するってすごいですね。
今MAMリサーチはこの第1回と昨年開催された第5回のみが書籍化されています。
後の2、3、4回は書籍化されるかまだ検討中とのことです。
ちなみに今やってる6回は、ダムタイプの古橋悌二が始めた京都でのクィアパーティー「ダイアモンズ・アー・フォーエバー」を取り上げていて、これまた興味深い内容なので是非書籍化して欲しいところです。こちら。
閑話休題。
で、この「グレート・クレセント」。読んだらとっても面白い内容でした。
特に最後の黒ダライ児さんやPara Siteのディレクターコスミン・コスティナスを迎えたディスカッションの記録は素晴らしい。聴きに行きたかった。。。
まずコスティナス氏がなぜここに自身の場所「香港」を含めなかったかの理由に以下を挙げています。
「中華人民共和国成立後の1960年代にあってもなお、一貫した香港の地域アイデンティティーの形成には至らず、それは当時の年における文化的な生活にも色濃く反映されていました。日本、韓国、台湾という他の3つの地域では、国民文化や国民のための場所がつくられていたにも関わらず、香港では公共空間やフォーラム、または文化と言った意識の形成のプロセスが1960年代に始まったものの、60年代の終わりまでに完結したとは言えない状況だったのです。」
「中国本土から香港にきたアーティストや文化人の多くは、次第に香港去るか、香港を一時的な滞在場所としか見ていませんでした。当時の香港には一つの場所としての一体感もなく、人々はそこに帰属する感覚を持ち得なかったのだと思います。興味深いことに、この当時の状況は今の香港の状況と同じであり、アートの分野においてもこの地域のどこと比べても帰属感は希薄なのではないかと思います。」
またこの「グレート・クレセント」をPara Siteと共に企画したのが元MoMAのキュレーターで、現M+チーフキュレーターのドリュン・チョンというのも興味深いです。なぜなら彼はMoMAで「TOKYO 1955-1970」を企画した人でもあるからです。
あの展覧会は、今の世界的な戦後日本美術ブームの先駆けになった展覧会だと思います。
僕自身もポップアップカフェの第二回の展示にこの展覧会カタログを真っ先にあげました。こちら。
その時の来館者アンケートに「なんだかすごくダークな展覧会!」という意見が多かったそうです。
今の村上や奈良のイメージで日本美術を観に来た観覧者にとってはもっともな意見かもしれませんね。
そしてチョン氏の発言で興味深かったのが三国間の距離感の問題です。
「今では香港、日本、韓国、台湾、そして中国本土でさえも、さほどの苦労もなく簡単に行き来できるようになりました。しかし、これらの地域を行き来するのは、私が若い頃ですら難しかったことを覚えています。韓国と日本を行き来するのは簡単ではなかったし、韓国と中国に至っては1990年まではほぼ不可能でした。それほど昔の話ではないんです。この地域はいまよりもっと亀裂が入った状態だったのに、私たちはすでにそう行った歴史を丸ごと忘れているのです。1960年代や70年代に遡るまでもなく、80年代や90年代初頭のことさえも忘れてしまっている。そして、美術界や美術史がグローバル化し、アーティストやキュレーターに限らず、ただのアート好きの人もアートを見に行くためなら簡単に何処へでも行くことができる今の時代、すべての物事をフラットにしすぎているように感じるんです。ですから、これらの地域がかつては非常に希薄な関係にあり、それほど簡単に繋がることができなかったということを、この展覧会で示したかったのです。」
この三国の距離感って、今の感覚ではLCCもあったり文化交流も盛んだったりしてとっても近い国のイメージを互いに持ってますが、ちょっと前、90年までは行き来するのも困難な国同士だったということ。
僕は実は6歳の時、ソウルオリンピック直後ぐらいに家族旅行で韓国を訪れているんですが、今思えばあの時期に韓国行った経験って中々貴重だったのではと思います。幼かったものの、今でも当時の韓国の感じって強烈に覚えてるんですよね。
やはり90年代前半まではこの三国間は「巨大な三日月」だったのかもしれません。
そして僕は今や「アートを見に行くためなら簡単に何処へでも行く」人です笑
さて、こうした接続困難な地域同士「にもかかわらず」、互いの「影響」が見え隠れするのが不思議です。
例えばこの60年代というのは、美術館やアートギャラリーではなく、街中でのパフォーマンスが3国ともで行われています。
日本で言えばもちろんハイ・レッドセンターが有名ですが、韓国でもジョン・ガンジャなどが率先して野外でのパフォーマンスを実行しています。
ちなみに、これらの作品が偶然にも現在東京国立近代美術館で開催中の「アジアにめざめたら」展にいくつか出品されていて、本で読んだ内容がそのまま展示になってる!と勝手に感動しました。
特にゼロ次元の「因幡の白兎」が観れたのは良かった。今となっては稚拙な映像ですが。。。
また、この「グレート・クレセント」に出てる、黄華成(Huang Huacheng)の1966年に海天ギャラリーで開催された個展「大台北画派秋期展覧会」(すごいタイトル)は面白いですね。今のリー・キットに繋がるような。。。
日本の戦後美術の情報は知っていても、韓国台湾となると意外に知らなくて面白いです。
最後に黒ダさんの発言が面白いので抜粋。
「私が東アジアから見出したかったことというのは、さっきから行ってる共鳴でもなく、または影響でもなく、共感です。共感によるネットワーク、そういうようなものを、私は見出したいと思っているんです。(中略)先ずは共鳴と共感の違いをきちんと言う必要がありますね。共鳴というのは要するに、影響関係からはっきり独立した概念として言っています。つまり、お互い知らない所で、同じようなことをやっていたということです。(中略)ただ、私が行っている共感というのは、やはり接触がないといけない。その接触というのは直接の接触でなくても、メディアとか、別に雑誌でも写真でもいいし、ニュースでもいいですけど、そういうものを通して他の地域の人がやっていること、遠くの地域の人がやっていることや人に対して、何か非常に強い共感をする。共感の要は、その人を支持したいと思って、一種同盟というか同士の関係みたいなものを持つようなことであって、私はそういう関係ができればいいなと思っているのです。」
長々と引用だらけになってしまいましたが、この香港の小さなスペースが、これだけ大きな議論のできる展示をしていたというのが本当にすごいことだと思います。
ソフィスティケートされた大きなギャラリーよりこういうオルタナティブの方が断然魅力的。
M+ができたって、ずっと残り続けて欲しいです。
ということで無理矢理メガギャラリーの話。
前回ガゴーシアンは行きましたが、その後H Queen'sという建物が街の真ん中に建ちました。こちら。
ここにはDavid ZwirnerやPace Gallery、Hauser & Wirthといった泣く子も黙るメガギャラリーが詰め込まれています。
エレベーターで一つ一つ降りて行くわけですが、正直全く面白くなかった。。。
なんかホワイトキューブって疲れませんか?それを何個も一気に見るのって気が滅入ります。。。
僕自身がこういうアートマーケットに興味がなくなってるのもあるけど。
なので、特に語ることもありません。
大館はこのビルの山手にありますが、ここも一回行ったらいいかな。。。
ヘルツォーグ&ド・ムーロンの建物では現代美術の企画もやってたり、中には加藤泉やローレンス・ウィナーの公共作品もあったりするんだけど。
とは言えM+できたらまた来ます。香港自体はとっても魅力的な街。
ニューヨークやロンドン、東京もそうだけど、やっぱり街自体にエネルギーがあって元気がもらえる。
できたら毎年訪れたい場所です。
にしても街中の竹の足場、川俣正の作品みたいだ。。。

あと、Para Siteの近くにインスタ映えで有名になってしまったアパートがあります。
あまりに観光客が来るので写真禁止になったと聞いてましたが、行ったらたくさんの観光客が写真撮りまくってました。。。ということで私も便乗して撮りました。映えます。

Wayne McGregor x Olafur Eliasson x Jamie xx "tree of codes" @ 香港文化中心
香港に行ってきました!
2017年3月にピナ・バウシュ観に行って以来一年半ぶりの香港。そして海外もそれ以来。
目的はオラファーが美術を手がけた舞台「tree of codes」です。
この舞台の存在を知ったのは確か1年前ぐらい。
知人がこの舞台をパリのオペラ座で見てめちゃ良かったと自慢されたのです。。。
そもそもその前にその知人が教えてくれた、ウェイン・マクレガーなる人物。この人がすごい。
英国ロイヤル・バレエ団やパリ・オペラ座バレエ団など超がつく一流カンパニーも振付るコレオグラファー。
自身のカンパニーStudio Wayne McGregorもあります。こちら。
彼のすごいところは、そんな「超」がつくカンパニーに対しても、平気でコンテンポラリーな演出を仕掛けてくるところ。
彼らの技術を最大限に活かしながら、伝統に囚われない動きを並行して振付る。
そんな彼が英国ロイヤル・バレエ団を演出した「Woolf Works」が日本の映画館で観られるというので観たのが昨年の4月。
衝撃でした。
この作品はヴァージニア・ウルフの作品を元に構成されていて、3章からなる作品。
音楽がMax Richterという人で、この人の音楽がまたものすごく良くて音源買ってしまったほど。
そしてダンスが本当にすごかった。特に第2章のコンテンポラリーっぷりがすごかった。
まあ、見てください。バレエの動きも技術も備わってるのに完全に新しい動きになってる。。。
美しすぎて泣けます。
そんな彼の作品にオラファーの美術!最強やないか!
観たい。。。どうしても観たい。。。でもヨーロッパまでは行けない。。。
と思っていたらまたその知人がその舞台が香港でやるらしいとの情報をくれたのです。
香港。。。と思ったけどもはやアジアに来てくれるなら観に行かない手はない!
ということでチケットも飛行機も勢いでとりましたとも!
で、ようやく本題です。(あいかわらずの前置きの長さ)
会場は九龍の南端にある香港文化中心。ピナ以来2回目!
当日早朝に起きて飛行機に乗ってやって来たので体調的には万全ではなく、正直始まる手前まで眠気が襲ってきてて、途中寝ちゃうかも。。。と思ってたのですが杞憂でした。
75分間目見開きっぱなし。すごかった。思い出しても鳥肌が立つ。観にきた甲斐がありすぎ。
冒頭のっけからやられました。
暗闇の中で体にいくつかのライトをつけたダンサーが踊るんですが、ダンサー自体の身体が見えない!
まるで蛍が舞ってるようで本当に美しかった。。。すごい演出。。。
そこからオラファーの万華鏡のような作品を持ったダンサーたちがそこに手を差し入れたりして複雑な像を作り出して、その後天井から鏡面の壁が登場し、さらに半鏡面の壁が降りてきて、最後にはさらにカラープラスティックの壁が降りてきます。
このレイヤー構造に、さらに最奥には色の変わる壁があったりで色彩もそこに加わる。
真ん中の半鏡面の壁は途中で傾いて、反射像が動く様もすごい。
そして途中客席にライトが当たる瞬間が何度かあって、客席が舞台の鏡面壁に写ってメタ構造にもなる。
その前や間や後ろでダンサーたちは踊って、鏡面で幾重にも増殖する像でもう何がなんやら。。。
最後はカラープラスティックの真ん中の丸い二つの円が回転して、今まで青い照明で踊ってると思っていたのに、円が開いた奥側は実は真っ赤なライトで照らされてたことがわかった瞬間は本当に鳥肌がたった。
さらにその円にライトが当たって客席を揺らいだ反射光が照らし出す。。。
と、書いても書いても伝わらない感すごい笑
このレイヤー構造は、今作の元になったJonathan Safran Foerの「tree of codes」という本から来てる見たいで、これは本というより彫刻。原作の本を切り抜いて新しい作品に仕上げるという脱構築的な作品。下のインタビュー映像にも出てきます。
そしてなんといってもダンサーの美しさが本当に素晴らしかった。
今回はマクレガーのカンパニーにプラスオペラ座バレエ団という豪華な布陣。
彼らの筋肉が本当にすごいし、技術に裏付けられた動きが見事すぎて素人目でもわかるぐらい。
これまたバレエの技術を使いながらの動きで、最後の全員で踊り狂う様は圧巻。
そして、先日見たフォーサイスの演出バレエ・ロレーヌのように、男女だけじゃなくて、男男、女女の組み合わせのデュオのダンスもあって、それがまた本当に美しいんですよ!
こういうジェンダーを超えた演出って涙が出るぐらい美しい。人間愛を感じる。
正直こないだの横浜はフォーサイス以外消化不良だったので、今回で完全に払拭しました。
そこにJamie xxの音楽がこれまた半端なくかっこいいのです。
言葉では本当に尽くせないのが残念ですが、これはぜひ生で観るべき舞台。
マクレガー演出の舞台全部観たい。。。ほとんどヨーロッパなんだけど。。。
日本でもし万が一やったら絶対観るべき舞台です。
ところでこの日はアフタートークがあったのですが、その中で現在オラファーはベルリン・オペラとのコラボレーションを制作中との情報が!これはこれで観たいけどヨーロッパは遠いぜよ!泣
川北ゆう 「2018.9.29」


現在営業中のポップアップカフェではテーマ毎に関連書籍と作品を展示しています。
基本的に自分が持っているものの中から選ぶのですが、中には作品を新たに依頼することもあります。
今回「beyond the nAture」と題して、自然をテーマにして、誰かに作品を頼めないかと真っ先に浮かんだのが川北ゆうさんでした。
川北さんは僕の大学時代の同級生です。
僕と川北さんは洋画科に属していて、もちろん絵画をベースに制作するのですが、当時の精華大学洋画科は言わば「なんでもあり」で、絵画でなくても作品だったらなんでも見てくれたんです。
なので僕は早々に絵画をやめてインスタレーションになっていってしまいました。(とはいえ自分の中では絵画をやってる意識としては変わらないのだけど)
川北さんは3年生ぐらいまで油絵具で絵を描いていたと記憶しているのですが、4年あたりから水を使って画面に描画する技術を使い始めました。
自身の手ではなく、水の流れで絵画が出来上がる。
完成した作品は、どうやって作られたのかほとんど想像のつかないものでした。
人間の作為では到底辿り着けない表情に驚きました。
もちろん最終的に画面のバランスを見ながら川北さん自身が操作しているのですが、その中には操作不可能な部分もあって、どうなるかは出来上がるまでわかりません。
今回の作品は彼女の説明そのまま載せると
「ガラス板を水に沈めてアクリル絵具を溶かした水を流し入れて絵具だけが沈んだ頃に水を動かしてドローイングしています。」
とのことなんですが、説明聞いても正直「へ?」ってなります笑
この作品を近くで見ると、粒子の荒い写真にも見えるんですよね。
人の頭の中では決して生み出せないような画面構成だし、ディテールもすごく不思議。
これは実際に見てもらわないと伝わらないんですが、とっても「強い」画面です。
以前僕が所属していたstudio90というアトリエギャラリーでも展示してもらったのですが、その時は物凄く大きな画面で今回とは違う技法ながら水を使ってダイナミックな画面を作り出していたのですが、今回のような小さな画面でも繊細さを失わずして強さを発揮しているのはすごいなぁと、改めて思います。
写真見たらお分かりになると思いますが、今のカフェをやらせて頂いてるお店が色んなものが飾られてて、とてもごった返してしてて、正直展示空間としては向かない空間なのです。
でも、この作品はそんなの関係なく凛として空間に負けない姿で在ります。
ぜひ見に来ていらして下さい。
今回の展示は後本日6日と7、12、13、14、26、27日です。
A'holic pop up cAfe
東京都新宿区新宿5-10-5 プログレス新宿5階
http://aholic.tokyo
13:00-18:00(l.o.17:30)
後、前々回展示しさせてもらった薬師川千晴さんの個展が東京青山にある画廊くにまつで始まりました。
こちらもぜひ!
薬師川千晴展
10月4日(木)~14日(日)
月-金12:00-19:00 / 土日祝12:00-18:00 会期中無休
http://www.gka.tokyo

A'holic pop up cAfe vol.04 "beynd the nAture"

ポップアップカフェ企画第三段「良いニュースというのは多くの場合小さな声で語られるのです。」、無事終了しました。
最後は台風でお休みしてしまいましたが、お越し頂いた皆様ありがとうございました。
今週5日(金)からはvol.04「beyond the nAture」が始まります。
ポップアップカフェは年内で終了し、ここから後半戦になります。
営業日及び企画は上の画像をご参照ください。
尚、今月より営業時間が短縮し、18時閉店となります。(ラストオーダー17時半)
さて、今回の企画は会期が少し長く今月いっぱい続きます。(一週スキップして3週間。)
テーマはずばり「自然」。
芸術との対立概念としての自然を10冊と作品でご紹介します。
(ちなみにどうでもいい話ですが、この二つをくっつけた「アートネーチャー」はすごいネーミング)
まずはステートメント。
自然と芸術。
人類史に置いて、これほど対立する概念はあっただろうか。
芸術ほど人間らしい行為はない。
芸術は生命活動に直接的に必要ではないが精神活動に関わる。
自然だけでは満たされない何かを求め人は芸術を築く。
自然と関わりながら。
自然と対立しながら。
自然を超克するために。
自然と調和するために。
本の紹介。まずはベタにランドアートの人たち。あとオラファーの無茶なやつ笑
「LAND AND ENVIRONMENT ART」 (1998)

「ANDY GOLDSWORTHY A Collaboration With Nature」 (1990)

「リチャード・ロング 山行水行」 (1996)

「クリスト展 ヴァレーカーテンの全貌とアンブレラのためのドローイング」 (1992)

「OLAFUR ELIASSON Riverbed」 (2016) 展覧会レポートはこちら。

日本ではあまり知られてないけどこのお二方。好きです。
「ANYA GALLACCIO Chasing Rainbows」 (1999)

「TOMAS SARACENO Cloud Cities」 (2013)

日本からはこの三方。
特に石上さんと加藤さんは震災以降の自然との関わり方に大きな示唆を与えてくれます。
「須田悦弘展」 (2012) 展覧会レポートはこちら。

「石上純也 建築のあたらしい大きさ」 (2010) 展覧会レポートはこちら。

「加藤翼 ホーム、ホテルズ、秀吉、アウェイ」 (2011) 展覧会レポートはこちら。

展示作品に関してはまた後日ご紹介します。