キュレータートーク 蔵屋美香 @ 京都芸術センター講堂
本当は別の記事を用意してましたが先にこちらを。
金曜日に京都芸術センターで開催されたHAPS主催のトークがあまりに面白かったので。
このトークは「Can curatorial attitudes become form?」と題された、キュレーターを招いてトークしてもらうイベントの第七回で、過去には長谷川祐子さんや建畠晢さん、南條史生さんなど錚々たるメンバーがゲストとして来ています。(アーカイブはこちら)
今回は東京国立近代美術館の蔵屋美香さんをゲストに招いてのトークです。
これまでは一人の作家を挙げて、キュレーターと作家との関係が語られてきましたが、今回は違いました。
タイトルが、「”アーティスト”という縦軸よりも、”一見関係さなそうな作品同士のつながり”という横軸に萌えるんですけど、こういうのってどうなんですかね」という長くてゆるいタイトルがついてました笑
これは、HAPSディレクターの遠藤水城さんとのメールのやり取りの中のテキストそのままタイトルになったそうで、要は一人の作家論では語れないということでした。
蔵屋さんは女子美術大学の油画専攻出身で、元々作り手だったそうです。
その後一度就職し、千葉大学の美術史の大学院を出て、今の東京近美に就職したんだとか。
彼女のキャリアの中で、元々作り手だったというのがすごく大きくて、おかげで作家のことを特別視しなくて済んだと彼女は言います。
今回の話も好きな作家で話すとなると、マンテーニャかセザンヌかマティスになってしまうし、いつも作家単体ではなく美術史的に縦軸横軸で俯瞰しているので、作家論は語れないということでこういうタイトルになってしまったとのこと。
こういう視点って、蔵屋さんが現代美術館じゃなくて、明治から現代まで扱う東京近美で働いてるのも大きいんでしょうね。
ざっくり前半は日本近代美術、後半は日本現代美術と分かれていました。
現代美術の話を聞きに来てくれた人にはつまらないかもしれませんが、と話し始めた前半のお話がとてつもなくスリリングなお話でとても興奮しました。
まずロラン・バルトの「作者の死」というテキストが挙げられます。
これは「物語の構造分析」という本の中に所収されてる文学についての短いエッセイですが、作品は完全に作者のものではなく、読者によっても作られるものだということが書かれています。
これはすべてのクリエーションに当てはまっているものだと思います。
つまり、作家は絶対じゃないということ。
次に、日本近代洋画の小出楢重の「裸女結髪」という作品の画像が挙げられます。
さらに続いてマティスの「髪結い」という作品、、、
あれ、どう見ても構図も画題もほぼ一緒!
他にも青木繁とNicolas Régnierの絵や、熊谷守一と、、、(熊谷さんに関しては今年末に開催される蔵屋さんキュレーションの展覧会のカタログに書かれるそうなのでここでは伏せます。にしてもすごい説だったなー)
つまり、作家のオリジナリティにはどこかに裏があるということ。
こんなこと言っちゃって大丈夫なのか?って思うような内容ですが、実はこうして類似作品と改めて比べ、さらにその中にある差異を探ることで、その作家が何をしたかったかが垣間見えてくるということを蔵屋さんは主張していました。
これまで、研究者は、他の畑のことは全く不介入で、まさか小出とマティスが繋がってるなんて夢にも考えていなかったとのこと。(このことは実際蔵屋さんが2011年に発見されるまで誰も見つけてこなかったそう)
それは作家を神格化することの功罪で、そこから零れ落ちてるものがあまりに多いと蔵屋さんは言います。
この態度にはものすごく共鳴しました。
これは決して粗探しや重箱の隅をつつくみたいなことではなくて、そこから見える世界があまりに広いということです。
実際2014年にポンピドゥーセンターで開催された、デュシャン展はそのことを強く証明した素晴らしい展覧会でしたし、イヴ=アラン・ボアの「ピカソとマチス」も同じ画題を描いてもこれだけ豊かな広がりがあるということを教えてくれています。
蔵屋さんは、こういう類似をいくつもいくつも発見していて、それはインターネットでいくつもの画像を簡単に検索できる時代にいるからこそと言います。
アンドレ・マルローやアビ・ヴァールブルクがやろうとしていた空想の美術館が、今やパソコンやスマホのネット環境によって展開されているのです。
続いて後半は現代美術。
前半は作家や作品同士の繋がり、つまり横軸だったのに関して、後半は時代のつながり、つまり縦軸について。
何と言っても蔵屋さんの最近の大きな仕事といえば、2013年に田中功起さんと組んだヴェニス・ビエンナーレ日本館。
この企画の前にも同じタッグで取り組んだ案として、田中功起と高松次郎の作品を一緒に展示するという案があったそうですが、こちらは結果として落選しました。
その後改めて挑んだ時には2011年の震災のあとで、田中さんが以前からやっていた「協働」というテーマで取り組んだのがこのヴェニスのプロジェクトでした。
展示当初は、「協働」することの豊かさのようなものが国内はもとより、世界的にも確かにあったのが、展示期間中のわずか半年かそこらで世界の空気は変わってしまい、結局みんなで協力してたらいつまでたってもどこにもたどり着けず、むしろ一人の強力なリーダーがいた方がもっと潤滑に進むんじゃないの?という風になってしまったそうです。
日本館のメッセージも観客は「協働することの豊かさ」から「協働の限界」を見るようになってしまいました。
しかしこういう空気の流れは全く新しいものではなく、振り返ると1923年の関東大震災後にも起こっていたことに蔵屋さんは気がつきます。
そこで彼女がキュレーションしたのが「何かがおこってるⅡ:1923、1945、そして」という、東京近美のコレクションを使った常設展でした。
関東大震災以降、クリエーターたちも自分たちにもできることをといろんな取り組みを行ったそうですが、その後分裂し、1925年には治安維持法が施行され、1940年には東京オリンピック決定、そして戦争という流れ。
あれ?これってどこかで実際に体験してるような。そう、まさに3.11以降の流れとほぼ被ってるのです。
まあ、戦争になってしまうのかは別として世界の空気は今相当悪いです。
この「歴史は繰り返される」という真理の中から、今の作品の価値ももしかしたら透けて見えるのではないかと蔵屋さんは考えます。
美術館としては、作品をコレクションする時に、その作品が50年後、100年後にも価値を放っているのかということを考えなければなりません。
そこでヒントとなるのが歴史です。
東京近美が開館して60年強。その間に価値がほぼなくなって倉庫で眠ってる作品もあれば、改めて価値を見出される作品もあります。
未来はもちろん読めませんが、過去から類推していくことはかなり大きなヒントなのかもしれません。
また、コレクションに関して、最近赤瀬川原平の作品を収蔵した時の話が面白かったです。
これまで同じハイレッドセンターの中西夏之と高松次郎の作品は1970年代にはコレクションされていたのに、なぜか赤瀬川原平の作品がなかったそう。
しかし改めて彼の作品は日本の戦後美術史にとっては最重要な存在。
そこで彼の作品、例えば彼の印刷されたイラストのガリ版などをコレクションすると、これは一体どこの分類に属するのかを協議していかないといけない。
これは一体版画作品なのか、それともやはり印刷物なのか。
そうすると他のコレクションの位置も改めて再考していかなければならない。
こういう流動性がコレクションにはあるという話を最後にされていました。
あと、椹木野衣さんの「悪い場所」についても少し。
蔵屋さんは、日本は今や決して「悪い場所」じゃないと言います。
むしろ、前述の論考が発表された90年代当時から、「いい場所」なんて、マンハッタンのソーホーの2km圏内でしかなかったし、その時代時代で、ほとんどが「悪い場所」になってしまう。
それが今やアートシーンはそこまで局所化していなくて、世界のあちらこちらで優秀な作家が育っている。
「いい場所」「悪い場所」の二元論で簡単にくぎれる時代ではなくなってきているという話も出ました。
他にも色々お話されていたと思いますが、記憶とメモの限界はここまで。
また何か思い出したら追記するかも。
本当に面白いお話でした。