トーマス・ルフ展@東京国立近代美術館

最近は色々スルー気味ですがこれは見逃すわけにはいくまい、ってことでお江戸へ。
目的は近美で開催中の「トーマス・ルフ」展。
このところデマンド、グルスキー、ティルマンスとドイツ写真の巨人たちの展覧会が相次いでますが、ついにルフです。
ドイツ写真家の中だったら個人的に一番好きかも。
そして実際大満足な展覧会でした。
まずは初期の巨大なポートレート作品からスタート。
その後建築シリーズやインテリアシリーズなどが続きますが、初期の作品ってびっくりするぐらい見るところがない。
いや、これ悪口とかじゃなくて、この「見るべきものは何もない」感じがすごいというか、ものは写ってるのに何も写ってないように感じるこの無の感覚が不気味でついつい気になってしまう。
ストレートフォトとコンセプトフォトの中間に絶妙な感覚で立っちゃってる感じ。
ベッヒャーとか見ると、明らかにコンセプトがあるなってのがわかるんだけど、ルフはそこがわからない。
そしてルフのすごいのは、結構初期の方になって、カメラを放棄しちゃうところ。
1989年の「Sterne」は、ヨーロッパ南天天文台が天体望遠鏡で撮影して天体の写真のイメージを使用していて、この作品から自分が撮ったイメージではなく、すでにどこかにあるイメージを使って写真作品にしてしまっている。
写真のアプロプリエーションを最もラディカルにやってる「写真家」。
特に僕が好きなのは「jpeg」という作品で、タイトル通りインターネット上にあるjpegの画像をでっかく引き伸ばした写真なんだけど、実際物理的に自分がその写真の前に立って、近寄ったり遠ざかったりすることで揺らぐ目の解像度と写真の解像度の往来がとても面白い。そして単純にjpegの荒れが美しい。
さらに今回いいなと思ったのが「ma.r.s」の3Dバージョン。
会場に3Dメガネが用意されてて、観客がそれかけながら見るという、なんともチープな内容なんだけど、実際メガネをかけて3Dになった像を見ると普通にオォ!ってなる。これは火星の表面を撮影したイメージなんだけど、その凹凸の感じが腑に落ちるというか、このイメージじゃないと3Dにした意味ないよなっていう説得力があった。他の作品でこれやられても寒いだけになるけど、誰も行ったことのない火星の表面をイメージを通して簡単に触れた気になれるっていう写真の魔力みたいなのを改めて感じられる作品でした。
ちなみにカタログにも3Dメガネついてますw
あと、「zycles」っていう作品は、三次元ドローイングで説明読んでもちょっと何言ってるかわかんないって感じやったんやけど、これに関しては写真ですらないってのが笑った。元のメディアがキャンバスですからね。
こんな感じで、中には?ってのもあるけど、いかにカメラを使わずに写真の可能性を広げられるかっていう追求が、こうやって一気に見せられると本当に面白い。
無理やり行って本当に良かった。11月13日まで。その後金沢に巡回します。こちら。
後は来年か再来年あたりトーマス・シュトゥルート展でしょうか。
後、観たいのが他になかったので、リニューアルして新しくなった写真美術館(TOP MUSEUM!)へ。
杉本博司展がやってましたが、この人どんどん趣味悪くなっていくな。。。
とりあえず上の階の「世界の終わり」的な展示はほぼ流し見。
下の階の新しい廃墟劇場シリーズは見応えがありました。もう普通に写真やってほしい。
写美(TOP MUSUMなんて恥ずかしくて言えない)は次回アピチャッポン・ウィーラセタクン展てことで気になる。
普通に「トロピカル・マラディ」が観たいんですが。
追伸
ブログ12年目突入しました。
地点「みちゆき」 @愛知県芸術劇場
昨年の「茨姫」に続き、愛知県芸術劇場が主催する戯曲賞の優秀作品を実際に舞台化する企画の第二弾。
今回はなんと、以前地点のアンダースローでレパートリー作品を観てエッセイを書くというカルチベートプログラムに参加した松原俊太郎さんが受賞しました。
自分の書いた戯曲が実際に舞台化されるなんて。しかも演じるのは地点。贅沢な賞です。
たった4日間のみの舞台にはもったいないぐらい素晴らしい内容でした。
今回は映像作家の伊藤高志氏とコラボレート。
舞台上の2つの幕に映される映像。そしてその幕越しに現れる演者の「影」。
そう、実際の演者の姿は舞台中盤まで現れることはありません。すごい。
唯一石田さんだけが「実像」として現れます。
彼が「あっち」と「こっち」を行き来し、「あっち」から「こっち」に出てこようとする「影」を無理やり引き戻します。
しかしいつの間にやらミイラ取りがミイラになるように、影達はいつの間にか「こっち」に出てきて、石田さんは影になってしまいます。
唯一河野さんだけが最初から最後まで影のままでいます。
河野さん以外が全員「こっち」に出てきた場面で、「あっち」では全員分の影が投影されていて(実際は河野さんだけが本物の影)、映像の世界と現実の世界がごっちゃになる様は圧巻。
さらに最後は暗転して全てが影の世界になってしまうという構造があまりに見事で鳥肌が立ちました。
映像が「影像」だった頃の起源にまで抵触しているようで、本当に興味深かった。
プラトン洞窟のように、我々は影を見てそれを真実だと思っているかもしれないけれど、たとえそうで何が悪い。
この虚実が極めて混ぜこぜになっちゃう感覚は凄まじい体験でした。
僕の最近の興味の「光」と「影」があまりにも見事な形で演劇になっていたのでかなり刺激を受けてしまった。
最近見た地点の中でダントツでよかった。もう一回ぐらい見たいけど、これは愛知の戯曲賞作品なので再演はなさそう。
ちなみに相変わらず舞台の内容はほとんど入ってこないんだけど(笑)、それでも見せ切っちゃうのはやっぱりすごい。(いいのか悪いのかわからんけど・・・)
こっからまた地点は新作を立て続けに発表します。
10月に「ブレヒト売り」、11月に「ヘッダ・ガブラー」、そして1月はなんと「ロミオとジュリエット」!
さらにレパートリーも上演したり、毎度ながらその人間離れしたバイタリティに舌を巻いてしまう。
これからもついていきます。
あいちトリエンナーレ2016

3回目となるあいちトリエンナーレ。
前回も行ってないし、今回もパス予定だったのだけど、友達に誘われて行ってきました。
昨今「地域アート」の問題で散々議論されてるけど、もはや国内の芸術祭には食傷気味。
ましてや、地域復興の目的のある地方の芸術祭と違って、すでに満たされてる都市でやる芸術祭にどういう意味があるのか。
もう3回目になるトリエンナーレだけど、名古屋の街に根付いてるようには全く見えない。
確かに告知は街中で多く見るけど、それが何なのか市民の人たちに伝わってるのかしら。
テーマも「虹のキャラヴァンサライ」って一体・・・。
実際全体通して見ても特にまとまりも感じられずって感じでした。
とはいえ、名古屋、豊橋、岡崎と3都市とも回ったので良かったのだけ抜粋。
まずは名古屋。
名古屋はいくつか会場ありますが、僕が好きだったのは愛知県美術館の後半と街中のいくつかだけ。
名古屋市美術館の作品群は一つもピンとこなかったです。
愛知県美術館の作品の中でも飛び抜けて良かったのが三田村光土里のインスタレーション。
ランダムなオブジェが、絶妙なバランスで配置されていて、さらにハッとさせられるような言葉が散りばめられている。
いくら見ても見飽きることのない、いつまでもそこにいたいと感じさせてくれる空間でした。



三田村さんまで、本当にピンとくるのがなかったんだけど、この最後の最後らへんから立て続けにマーク・マンダース、大巻伸嗣、松原慈と好きな作品が続く。
マーク・マンダースは今までで一番良かった。
大巻さんのは踏まれてからも見てみたい。彼は栄の損保ビルや岡崎でも展示してて、このトリエンナーレで最も活躍してる作家かも。
松井さんのはとてもポエティックで繊細な空間。閉館間際だったのでゆっくり見れず残念。



栄会場の旧明治屋栄ビルでは寺田就子の元バレェ教室を使ったインスタレーション。さすがでした。

場所は移動して豊橋。
ここでメインになってたのは開発ビルっていう会場。
10階から数フロアあって、なかなか体力消耗するけど、動線がかなりわかりやすくて良かった。
この中では久門剛史のインスタレーションが気持ち良かった。
窓のようなフレームに薄いカーテン。これにランダムに光や風が当たる。
ビルの窓からの自然光も手伝って、とても爽快な作品でした。

しかし、この豊橋エリアではもう全部持ってっちゃったんじゃないのってぐらい度肝抜かれたのがラウラ・リマ。
なんと4階建てのビルまるごと鳥小屋に変えちゃいました。
中には100匹もいたらしい。これはすごかった。。。





最後に岡崎会場。ここが一番過酷だった。。。
駅でレンタサイクルをトリエンナーレのチケットがあれば無料で貸してくれるので借りましょう。歩くのは無理。
結構な範囲を行くんだけど、良かったのは岡崎シビコの野村在ぐらいかなぁ。
会場の退廃的な空間とものすごくマッチしててかっこ良かった。

以上こんな感じ。行く人の参考になれば。
後半も色々イベントがあるみたいなのでHP等でチェックしましょう。映像プログラムもあるし。10/23まで。こちら。
