寺田就子「ほのめく音色」@ GALLERIE ASHIYA SCHULE

先月のCAPTIONさんに続き寺田さんの個展に初日からお邪魔しました。
こんな立て続けに個展ができるなんてすごいエネルギーですね。驚くばかり。
本人曰く、夏は元気なのでいくらでも頑張れるとのこと。。。僕とは正反対です笑
そんな寺田さんの新たな展示は、ほとんどが新作で、先月の個展とは打って変わって、夏の終わりの放課後の校庭を思わせるような、なんだかノスタルジックな展開でした。
小さな机や楽譜、テキスト、スーパーボール、そしてピアノ。
このピアノはアシヤシューレさんにずっと置かれてるピアノで、前に越野さんの個展に行った時はまったく気づかなかったんですが、すごい存在感です。
それなのに、見事に寺田さんの世界に溶け込んでいる。
もちろんこのピアノのことを意識しながら作ったのもあるんだろうけど、この為にわざわざ持ってきましたと言われてもなるほどと思わせるぐらい展示の中で説得力がありました。
個人的に好きだったのは、新作ではないけれど、指輪ケースに入った貝殻の作品。
寺田さんの作品は、いつも素材の使い方にはっとさせられるけど、この作品は特にいいなぁと感じましたね。
素材の使い方と言えば、芳名録が手作りで、クリアファイルを切って作ったそうでこれも必見。
名前が増えていくとどんどん重なっておもしろいことになりそう。
寺田さんにかかれば、どんなものでも彼女色に染まっていく魔法使いのような人です。
展覧会は9月14日まで。1日にはトークもあります。こちら。
あと先日、本当にひさしぶりのdotsの公演にでかけました。
たまたま、そういえばdotsの舞台久しく観てないなぁと思ってHPチェックしたら、その前日から前作「カカメ」から4年ぶりの新作公演が始まってて、急いでチケットゲット。京都芸術センターでやってた新作「ALTER」です。
dotsの「カカメ」を観た時は本当に衝撃的でした。その前の「KISS」を観てなかったことが悔やまれるぐらい素晴らしい体験をさせてもらいましたね。その後GURAでも実験的な作品を観ましたが、やはり彼らは映像や音を駆使した身体表現こそ魅力だと思うので、今回の公演は待ちに待ったって感じでした。
が、見終えた後の率直な感想としては期待はずれ。
個人的に音、照明、映像、パフォーマンス、ひとつひとつはさすがの質だったけれど、全体として噛み合わず、鑑賞中苛立ちすら覚えてしまった。。。
また次回作期待しています。
dots official website http://dots.jp/ja/
同じく芸術センターで、『dreamscape ─ うたかたの扉』という展覧会も開催されてました。
というか芸術センター来ること自体めっちゃ久々。。。
ギャラリー南では大西康明さんの展示。
大西さんの作りながら進化を続けて邁進していく様は鬼気迫るものがありますね。
今回の作品も力作で、天井からぶら下がった木に尿素(だったか曖昧)の結晶がはりついたもの。
もう一人北では松澤有子さんの葉脈だけの葉っぱが暗闇に浮かぶ、これも力作。
ただ、最近僕の嗜好的に、こういう力技や演出のかかった作品があまり得意ではなく、すごいな、とかきれいな、とかは思えるけれど、そこから入っていけないんですよね。。。
最近はむしろ、一見さらって観れるんだけど、ん?ってとっかかりのある作品が好きです。のどの奥にささった小骨的な感覚。
自身の作品も以前は前者寄りだったけど、後者に傾きたいなと思ってます。
展覧会は9月16日まで。こちら。
地点「CHITENの近未来語」@アンダースロー









この夏オープンしたばかりの地点の稽古場、及び発表の場「アンダースロー」に行ってきました!
京都は北白川にあるビルの地下にそれはあります。
演劇は門外漢なんですが、発表の場を自前で持つカンパニーって結構あるんでしょうか。
地点は演出家の三浦さんと演者5名、スタッフ数名の小さなカンパニーでこれは異例なのでは。
でも確かに毎回毎回稽古場借りて、発表する度に会場アレンジしたりすることを考えれば、もしかしたら自分たちでそういう場を持っちゃう方が時間もお金もかなり効率がいいのかもしれません。
しかし、内装が凄い凝ってて、使われてる材とかもすごく良さそう。
どんなものが飛び出すのか始まる前から期待が高まります。
今回の舞台は新作で、その日の新聞をモチーフにして展開します。
なので毎日内容は変わる、この場所ならではの実験的な舞台。
選ばれる記事は、ほとんどアドリブなのか、隣に演出家の三浦さんが座ってらしたけど、普通に笑ってたし笑
その日は8月9日で、長崎の記念式典のニュースはもちろんのこと、やくざの裁判の記事や、甲子園の記事、広告までくまなく取り上げられ、新聞の見方が変わりそうなぐらいのインパクトでした。
これまで地点は過去の小説や戯曲をテーマに展開していたけれど、こうして所謂詩的ではないものを題材に選ぶことで、より地点らしさが出てる気がしてとても興味深かったです。
テキストというものがこれほどまでに展開されるものなのかと本当に驚きました。
また、タイトルにもあるように地点が現在(今日の新聞)を通して未来にまで馳せてるのは新しかった。
小松左京のSF小説を新聞と絡ませて、果ては宇宙まで展開するんですが、椅子と新聞の小道具のみでここまでダイナミックに見せられるのは本当にすごい。
新聞はまた、どんどん過去になっていくメタファーとしてもおもしろいモチーフですね。
それから、やはり自身のホーム公演ということもあり、これまで以上に演者と観客の距離が近く、見ていてとても心地よい空気ができてました。舞台と観客席に敷居がないのもすごいですよね。
これまで見てきた彼らの舞台の中で最も地点の哲学が凝縮されたものだったように感じました。
この舞台は17、18と21から24日まで上演されます。
アンダースローもとてもおもしろい場所ですし、この演目は相当素晴らしいので是非。
予約は地点公式HPから。こちら。
あと、昨日で終わってしまいましたが、丸太町にあるCafe Montageでも、お盆に併せて、前述の「近未来語」の姉妹版「近現代語」にも行ってきました。
こちらは、日本が明示以降近代に向けて邁進する様を描いたもので、大日本帝国憲法から玉音放送までがモチーフとなり、これも今までとは違い詩的ではないものが選ばれている点で興味深かったですが、これは今まで見た地点の中ではかなり「重い」舞台でした。観ていて恐怖すら感じる程の舞台でしたね。
昨日の8月15日に観たんですが、終戦記念日ということもあって、色々考えさせられました。
最後に「近未来語」の宣伝も兼ねて冒頭だけ演じられたのはおもしろかった。一気に和みました。
観客席の中にやなぎみわさんもいらっしゃいましたが、彼女も近年近代をテーマにした演劇を手がけているだけに何か思うところがあったかもしれませんね。
それにしても今年既に4回も地点の作品を観ていますが全く飽きない!ドはまりしてます。
この3月のKAATの舞台は観ていませんが、この「近未来語」が終わった次の日25日には、三浦さん演出で演者の安部聡子さんと朗読劇がCafe Montageであったり、来月もビューヒナーの「レンツ」を朗読劇にしたり、10月に再びアンダースローで新作「ファッツァー」も発表されるし、と、本当に息つく暇もないスケジュール。三浦さんの凄まじい創作意欲もさることながら、演者の方々はあの台詞量を一体どうやって覚えているのか。。。。
観ていて刺激をもらえるカンパニーです。これからもついて行きます!
<関連記事>
地点「かもめ」@ Cafe Montage
地点「コリオレイナス」@京都府立府民ホールアルティ
地点「――ところでアルトーさん、」@京都芸術センター
「ひろしま 石内都・遺されたものたち」
写真家石内都さんを追ったドキュメンタリーを観てきました。
彼女は2007年から広島平和記念館に寄贈された被爆者の方々の遺品を撮影し続けています。その遺品は毎年増え続けていて、その度に彼女は広島に赴き撮影しています。
2008年の最初の広島市現代美術館で開催された展覧会は僕も行って感銘を受けました。
石内都「ひろしま Strings of Time」@広島市現代美術館
その展覧会が新作も含めてバンクーバーに巡回した際のドキュメンタリーです。
もういいかな、と思いつつ、昨日の広島の平和記念式典を見てたらやはり観たくなって観てきました。
毎年のことですが、8月6日の8時15分は前の晩どんなに夜更かししても起きて黙祷を捧げます。
8月9日の11時2分も同様です。
そして式典の広島市長の挨拶は毎年胸を打ちます。
今年は特に自民党政権に戻ってからの式典。
どうしてあの場に阿部さんがいるのかもはや違和感しかなかったですね。
総理大臣という役目でしかないただの抜け殻。
あの式典を通して、国の不作法を世界に訴える広島市長。もうカオスです。
式典中継冒頭から、日本がこの4月に開かれたNPT(核不拡散条約)準備会議で日本政府が「核の非人道性」を非難する共同声明(80ヵ国が賛同)に署名しなかったことを伝えていてました。
もうこの国はどうなっちゃうんでしょうか。
今年これだけ暑いのに節電要請がありませんね。実際電力は余っているようです。ここでリアルタイム電力需給量がわかりますが笑けます。今日大阪37度もあったらしいのに!(回ってる途中死にかけました。。。)
今現在(2013年8月7日)稼働しているのは大飯原発3号炉、4号炉の2基のみ。これも9月には停止し再び稼働する原発は0に戻ります。それでも10月から電力会社は値上げ断行。矛盾を通り越して言葉も出ません。どこに原発を必要とする根拠があるのですか?
さらに、東電の汚染水漏れのニュース。。。こんなお粗末な技術を輸出する日本。
広島の記念碑に書いてありますね。「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」
僕たちは本当にこの誓いを続けられるのでしょうか。
死んでいった人たちに顔向けできるのでしょうか。
僕は戦争を知りません。でも祖母や祖父が決して語りたがらなかったあの空気を通して僕は戦争を知っています。祖母も祖父も進んで語ろうとはしてくれなかったけれど、それでも僕には伝わっています。言葉ではなく背中で伝えられることもあります。知るレベルに層はあれど、たとえ薄皮一枚でも知っておきたい。それは目の当たりに知っている人からでないと伝えられないもの。その人たちの数は確実に減っています。
先日友人の子供に会いました。平成23年生まれと聞いて頭が回らなかったけど、この子達に自分は何を伝えられるんでしょうか。阪神大震災のこと。地下鉄サリン事件のこと。9.11のこと。3.11のこと。いっぱいいっぱい伝えたいことがありますが、言葉ではうまく伝えられません。あの時の空気は言葉を遥かに超えています。68年後、僕は97歳になっています。死んでいるかもしれません。それでも薄皮一枚彼らに手渡せたらいいな、と思います。
その手渡す作業を作品を通じてやってるのが石内さんですね。
この映画でも、国を超えて様々な人々の心を揺さぶっていました。
これまでのヒロシマという過去から、ひろしまという現在へつなぐ営み。
(ここでカタカナでなくひらがなを採用しているのは大きいですね。フクシマもそうですが、カタカナになった途端に突き放される印象があります。まあ外国では通じないですが)
映画の中で、広島の被爆者の女性と結婚したカナダ人の方のお話は胸を打ちました。
彼は散々アジア人は野蛮で劣った民族だと教育されてきて、実際日本に行ってみて美しい町並みと礼儀正しい人々に出会い、そこで人生の伴侶まで見つけてしまいます。
こういうのを聞くと自分の日本人としての誇りが蘇ります。
また、韓国人の観客の声を聞けたのもよかった。日本人は被害者だけでなく加害者であったことも忘れてはいけません。
とまあ、石内さんの作品に対しては色々思うことがありましたが、この映画自体はドキュメンタリーとして評価はできません。スローモーションの多用、切れ切れのコメント、音楽の入れ方。そのどれもが観ていてノイズにしか感じられませんでした。
なので映画自体はお勧めできませんが、改めて石内さんの作品を考えるきっかけにはなりました。
あと、今日は久々にノマルに行ってきました。
今村君がベルリンから帰ってきて以降初の発表です。
今回出品されてたのは、雨のアニメーションとその版画、それと立体です。
立体は、ソレノイドがオブジェ(塗料缶、すのこ、ブタの蚊遣り器、バケツ、アクリルボックス)を打つもの。これを使ったインスタレーションはここ最近展開していましたが、単体の立体として発表したのは初めてみました。オブジェンになっても、インスタレーションの感覚を損なうことなく存在してたのはさすがでしたね。ひとつ欲しかったですが、残念ながらすでにすべてソールドアウト!
他に、安慶田渉さんと舟田潤子さんの作品も展示されています。9月7日まで。
それと、もういっかと思いつつも堂島リバービエンナーレへ。
始まった時点ですぐ終わるかと思いきや意外に続いていてすでに3回目。
3回目の今回はなんとルディ・ツェンという台湾のキュレーターで、何気に日本のビエンナーレトリエンナーレで外国人ディレクターは初かも。
でもまあ、彼はインディペンデント・キュレーターではあるもののフルタイムのアートコレクター(フルタイムって!w) 展覧会自体、水をテーマに、キュレーションというよりは、集めてきましたって感じのセレクトでしたね。まあ、テーマを一貫させてたのはいいと思いますが、展覧会としてはやはり陳列って感じでした。一個一個のつながりが希薄。これ過去3回ともそんな感じですね。クオリティ落ちも上がりもしない。。。個人的に観たことある作品が多かったのも残念でした。参加作家は毎回やたらに豪華なんですがね。
そんな中でアラヤー・ラートチャムルーンスック(覚えられへん)の「クラス」という作品は衝撃。死体に向かって「死」についての授業をする映像。。。あれホンマに死体やったんかな?B級映画よろしく最後は皆立ち上がって終わるんかと思ったらホンマに寝たままやったし。。。うーん。
堂島リバービエンナーレは8月18日までです。

行脚2013 まとめ

行脚更新ファイナル。気づけば30回も更新しました。常軌を逸しているね。
もうここまでの行脚を人生でやることないと思うけど、また行く時のためのメモ。
皆さんも何かの参考になれば。
まず、行く前にやっておいてよかったことは、持って行ったiPadのマップアプリにすべての目的地(ホテルを含む)を登録しておいたこと。出発前日に思いついてほぼ徹夜作業。
恥ずかしながら、GPSがネットつないでなくても働くのしらなくて、向こうで起動させてみて驚きでした。
おかげで自分の位置と目的地が表示されるので迷うことなくすいすい行けました。
ただ、iPadがgoogleマップ対応じゃないのが惜しい。Macのマップアプリなので、駅が表示されなくて困った。なんで駅を飛ばしてしまったのか。
それはともかく、これはやってて損はないですね。特に僻地に行く場合は。
ちなみに僕が辿った場所はコチラです。ピンがいっぱいです。
前半戦:イタリア

・ヴェネツィアは飯がまずい。うまい飯屋情報求む。
・スクロヴェーニ礼拝堂(ジョット)の予約ページ(完全予約制)
・イタリアの列車はすべて指定席。前日には予約するべし。
・フィレンツェはフィレンツェカードがおすすめ。これでほとんどの施設回れる。€72。こちら。
・フィレンツェカード日本語の詳しい説明はこちら。
・ウィフィツィ美術館、アカデミア美術館は予約かフィレンツェカードないと入場最低1時間待ち。
・ブランカッチ礼拝堂は予約かフィレンツェカードのみ入場可。
・フィレンツェの美術館、教会の開館時間、スケジュール早見表
・フィレンツェカードを使わず気合いで予約入れたい人はこちら。
・少し値は張るが、BUCA MARIOは最高のレストランでした。
・フィレンツェは坂もないのでほとんど徒歩で回れる。
・ローマは坂がきつ過ぎてバスを利用しないと無理。
・微妙にお得なROMA PASS。€34。交通機関乗り放題と2施設無料。使用可能施設は少ない。
・ボルゲーゼ美術館予約ページ(完全予約制。11,13,15,17時から選択)
・ヴァチカン美術館予約ページ。朝を避ければ予約なしでも大丈夫かも。
・Colosseum Night Opening(完全予約制。11月2日まで)
・カラヴァッジョ(カラヴァッジオ)-主要作品の解説と画像・壁紙-
・「最後の晩餐」予約ページ(完全予約制)
・イタリアは完全予約制のところが多いので注意。当日ではほぼ100%入れてくれません。
後半戦:ドイツーオーストリアースイス

・この三国はユーレルセレクトパス3カ国でまわりました。
・よくわからなかったので1等で買ったけど2等で充分座れる。でもサイトからは買えないみたい。
・DB(Deutsch Bahn)公式サイト。乗り換えとか調べられます。
・DBは駅のチケット販売機でも乗り継ぎが調べられてプリントアウトまでしてくれてめちゃ便利。
・Backpackers Dusseldorf (デュッセルドルフの安宿。なぜか日本語ページもあった)
・同じ部屋に3人も芸術家がいた。さすがアカデミーのある街。
・デュッセルドルフはヨーロッパで最も日本人が多い街。ラーメン屋なにわはいつも行列。
・Wombats City Hostel (ミュンヘンの安宿。ド駅前。ベルリン、ブタペスト、ウイーンにも)
・SBB(スイス鉄道)公式サイト。ここでも乗り継ぎ検索可能。DBよりきめ細やか。
・にもかかわらず駅のチケット販売機では検索不可。
・スイス物価激高。駅で水買おうとしたら500円ぐらいしたが、町中スーパーで買ったら150円ぐらい。
・スイス着いたらライゼゲペック利用すべし。1000円ちょっとで目的地まで荷物を配送。こちら。
・自分はバックパックをチューリッヒから最後のジュネーブ空港まで送ってもらいました。
・スイスはやっぱりハイジのイメージのままの国。車窓がいちいち風景画化します。
・スイス鉄道の1等車は窓がさらにでかくて風景を楽しむのには最高でした。
・スイスのバスチケットは、出発地目的地関係なくどこでも購入可能。
・スイスだけ回るならスイスパス。
・segments(スイス建築巡りの参考にさせて頂いたブログ)
・Kuro/agenda(スイス建築巡りの参考にさせて頂いたブログ)
・浜松市自然素材木造住宅大林勇設計事務所ブログ(スイス建築巡りの参考にさせて頂いたブログ)
・スイス・NY現代建築 巡礼2010(スイス建築巡りの参考にさせて頂いたブログ)
・Lausannne GuestHouse & Backpacker (ローザンヌの安宿)
ざっとこんなとこでしょうか。
あとは向こうにいるとやたら炭酸を飲みたくなることぐらいでしょうか。
日本にいるとコカコーラとか全く飲みたいとは思わないのに、ガブガブ飲んでました。
ついに炭酸水を飲むことができました!どうでもいいですね。
イタリアはローマまで旅行社のフリープランです。
下手に自分でアレンジするより安かったりします。
ホテルも駅前で、鉄道の切符も取ってくれるので助かりますね。
ミラノ以降は自分で組みました。
ホテルは全部HOSTEL WORLDで予約。
ミラノはなんと€10という激安宿。さすがに部屋は暑くて蚊がいて散々でしたが。。。
チューリッヒのホテルも中々のひどさ。今度は別のところにしよう。
ミラノーデュッセルドルフ間とジュネーブーローマ間は飛行機。
eDreamsで格安航空会社を検索できます。大体RyanかeasyJetですが。
Ryanはいつの間にか取るのに手順が多過ぎてしんどかったです。昔はこんなんじゃなかった。
チェックインはどちらもオンラインで事前に済ませておく必要がありますが、RyanはEU旅行者以外にはVISAの確認を荷物検査する前に済ませてプリントアウトしたボーディングパスにはんこついてもらわないといけないとか面倒くさい。easyJetがあるならそっちの方が楽でいいなぁ。
持ち込みの荷物は1つのみ。小さなハンドバッグもすべてスーツケースにまとめないといけません。
最後帰国時は、飛行機が7時と早朝のため、ローマの空港に宿泊。(ターミナル3)
ヴァルスのラグジュアリーホテル泊まってた人のすることとは思えません。
ローマはスリが多いので緊張感と、嫌がらせのような冷房でほぼ眠れず。。。
旅行会社には事前に離団届けというものを提出して、5000円追加で、帰りの飛行機先延ばしでとってもらえました。
その代わりまたローマまで戻る必要があったのだけど、仕方ないですね。
おかげで行きはKLMでしたが(kLM嫌い)、帰りはエールフランスで、機内誌がそこいらのアート雑誌より充実したアートな内容で衝撃。マウリッツォ・カテランのインタビューや、ペノーネと巡るトリノ特集など。思わず持って帰ってしまいました。
帰りはパリのシャルルドゴール乗り継ぎだったので、降り立ってSANAAのランスやヴェルサイユでのペノーネ展など行きたかった。。。(ちなみに飛行機後日にできませんか?って旅行社に聞いたら普通に無理ですと一蹴されましたよ)
出発直前に新調したニューバランス。既にぼろぼろです。よくがんばってくれました!

あと、今回ほとんどユースホステルに泊まりましたが(もうユースギリギリアウトやけど)、日本人の若者をほとんど見かけず、韓国人の若者が実に多かったです。ホステルにも日本語はなくても韓国語の表示はあったり。。。
今、日本の若者の海外志向はほとんどなくなってるんだなぁ、と少し寂しかったです。
Boys, be ambitious! 書(マンガ)を捨てよ、町(世界)に出よう。
'Il Palazzo Enciclopedico' by Massimiliano Gioni

今回の行脚を決行させるきっかけになったのは、なんといってもマッシミリアーノ・ジオーニのヴェネツィア・ビエンナーレ総合ディレクター決定でした。
彼は1973年イタリア生まれ。現在はNew Museum of Contemporary ArtのキュレーターとしてNYをベースに活動していますが、世界中から最も熱い視線を浴びているキュレーターの一人でしょう。
ヴェネツィア・ビエンナーレ総合ディレクターとしては最年少。
しかしそれだけの実力を彼は持っています。
これまでも自身の職場ニューミュージアムで2009年に開催された33歳以下の若手作家50名を集めた'Younger Than Jesus’をはじめ、床をぶち抜いて滑り台を投入したCarsten Höllerの回顧展等画期的な展示を実現させ、またMaurizio Cattelanと’Wrong Gallery’なるギャラリーを始めたり、村上隆とカタールでの大規模な個展を成功させたり、アーティストと共犯関係を結ぶような活動も行っています。
そしてなんといっても僕が彼の名を最初に知ったのは2010年の光州ビエンナーレ。
民主化運動によって多大な犠牲を払った光州事件からちょうど30年のこの年に開催されたこのビエンナーレには、その歴史を踏まえ、詩人高銀がその犠牲を嘆き綴った30巻にもわたる叙事詩「一万の命」をタイトルに、一万のイメージが展示されました。
このコンセプトを見た時、これはただ事ではないと思いました。
ビエンナーレというとどうしても祝祭的なムードが漂いますが、このビエンナーレはカタログや会場写真を見るだけでそことは一線を画していることは明らか。
なんせカタログの表紙はアーティストでもない市井の男の写真。この男は毎年自分の誕生日に違う衣装で自分の写真を撮り続けていたという謎の人物。それを正面に据えてきて、一堂に展示している時点で普通の展覧会ではありません。
この展覧会、行かなかったことがこれほどまでに後悔を生むなんて。。。
この後悔を2度も繰り返すわけにはいかないので、はるばるヴェネツィアまで飛んでいきました。
結果からして、本当に素晴らしい展覧会でした。来てよかった。。。
これまでのビエンナーレとは全く違う、ひとつの総体としてのあらゆる知を結集した展覧会。
作家数も100をゆうに超えるこれほど大きな規模でも揺るがないジオーニの美学。
一貫したコンセプトで、最初から最後まで飽きさせません。
そして、これを見れば光州ビエンナーレの後悔は払拭されると思いきや、倍増しました泣
改めてあの展示は見ておくべきだったと思いましたね。
というのも、今回の展示は、ジオーニもインタビューで応えていますが、光州と対をなすものだったからです。
光州との類似を挙げると大きく2点。
まずは、展覧会の契機となる作品の存在。
光州の場合は詩人高銀の詩でしたが、今回はMarino Auritiというイタリアから亡命してアメリカに移った人物が作り上げた、人類の知(タイヤから人工衛星まで)を結集させた博物館、'Il Palazzo Enciclopedico'(Encycropedic Palace/百科事典宮殿)を契機にしています。
彼がこれを制作したのは1955年。そして彼はアーティストでもなんでもなく車の整備士でした。
その再制作された模型からこの展覧会はスタートしますが、もうこの時点でこれまでのビエンナーレとは違うのは明らか。
まず作品が現代の作品ではない。
しかしこの知を結集させるCo-Intelligenceな考え方は、まさに現代の我々の考え方に近い。
Wikipediaとかまさにその考えに基づいて作られてますよね。
そして、展覧会という制度自体も色んなものが1つの場所に集められて、それらひとつひとつに生きる術や発見が備わっている。
考え抜かれたコンセプトには本当舌を巻きますね。
そしてさらにその宮殿の作者が作家ではない。
これは光州の冒頭に置かれた写真群にも共通します。
一気に持って行かれるこの世界感の構築は本当にうまい。
具体的イメージとキャッチーなタイトル。
'Younger Than Jesus’とか'10000 Lives'とか、タイトルだけでドキドキします。
Encyclopedic Palace。何度も唱えてみたくなる言葉の響きです。


そしてここからジオーニワールドに突入です。
誰が作家で誰が作家でないとか、もうその垣根は取っ払われて平地に置かれます。
アウトサイダーとかインサイダーとか、とてもじゃないけど判断できる間を与えず次から次へと現れる奇妙な作品群にただただ圧倒されます。とてもじゃないけど見きれない。
そのオブセッションもどんどんハマっていきます。
あと展示が圧倒的にうまい。
マンガをずらーっと額装して並べてるのとか気持ちよかった。















美術展というより、博物館に来てしまったような印象すら受けます。
すごいな、と思ったのは、確かにどこからアーティストでどこからそうじゃないかという垣根は取っ払っているものの、作品の質、つまり、どこからが作品かどこからがそうじゃないかという垣根はしっかり守られている印象を受けました。
どれも一定の質を備えていて、作品としてしっかりそこに存在している。
ただただアーティストとそうじゃない人たちの作品を並べただけではアンデパンダンになってしまいます。
そうじゃなくて、キュレーターがしっかりひとつひとつに目を配り、その質を見極めた上で、その作品にあった展示がなされている。これは並のことじゃないです。考えるだけで恐ろしい労力。
よくぞここまでリサーチし揃えることができたなと。
そして、さらにジャルディーニにあるイタリア館での展示に移動するわけですが、ここでアルセナーレでのテンションを全く落とさせない為の導入がすごい。
このイタリア館の最初の部屋は、教会のように高い天井で上がドームになっていて、無駄に厳かな空気が流れているんですが、その空気に全く馴染んで、精神学者ユングのドローイングが宗教画のように厳かに展示されていました。この導入でまた移動でほぐれたテンションが一気に戻ります。
中に入ると、今回金獅子賞をとったティノ・セーガルのパフォーマンスが繰り広げられていて、奥には大竹新郎の本がずらっと並べられた展示や、リチャード・セラなど、アルセナーレと比べるとアートっぽくはなってきましたね。



そんなこんなで、圧倒的な量と、圧倒的なリサーチと、圧倒的なコンセプトで見せきったジオーニのビエンナーレ。これは完全にジオーニの「作品」。さすがにキュレーション勝ち過ぎやろ、と思わなくもないけれど、(実際作家の名前とかほとんど覚えられませんでした。。。)これだけ圧倒されるキュレーションも稀です。
この展覧会は間違いなくビエンナーレの歴史に大きな足跡を残しましたね。
彼は今後ますます伝説を作って、ハロルド・ゼーマンやオブリストのような偉大な先輩たちと肩を並べる日も近いことでしょう。てかヴェニスやっちゃったらもうあとドクメンタぐらいしか残ってないけど。。。
そういえば、ヴェニスではそのゼーマンの伝説的な展覧会'When Attitudes Become Form'(態度が形になる時)展が開催中です。こちら。ゼーマンが辞職にまで追いやられた凄まじい展覧会の再現。
僕はギリギリ間に合わず涙をのみました。。。前まで行ったんですがタイムアウト。
ヴェネツィアを1日で回るのが無茶過ぎました。。。Marc Quinの展覧会や、ピノー財団とかもあるし、2日はかけましょう。
ビエンナーレは11月24日まで。無理してでも行く価値はあると思います。
La Biennale di Venezia 2013
カタログはまさに百科事典級の太さと重さで帰り死んでました。。。

最後にビエンナーレに出品中で、先日お亡くなりになったウォルター・デ・マリアの作品。
この作品見た直後にその訃報を聞いてびっくりしました。
ご冥福をお祈りします。


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55th Venice Biennale
52 la Biennale di Venezia ♯1
Koki Tanaka 'abstract speaking -sharing uncertainty and collective acts' @ The Japan Pavilion at Venezia







もう遠い昔のようですが、ヴェニスビエンナーレに行ってきました。
ヴェニスは2005年、2007年と今回で3回目。
確かにアート好きにはたまらなく楽しいイベントではありますが、2回も行けば辟易してきて、わざわざ行くのはもういいやって正直思ってたんですが、今回の総合ディレクターがMassimiliano Gioniと聞いて、これは行かずにはいられまいと思いました。なんせ2010年の光州ビエンナーレを逃してますからね。。。
そしてさらに、日本館代表が田中功起さんと聞いてますます期待は高まりました。
去年のドクメンタ、どんなに評判がよくても我慢してこの行脚の為にお金を貯めていたのです。
ということで、まずはジャルディーニにある日本館から。
日本館は毎年、決して悪くはないものの、良く言えば安定した展示。悪くいえば無難過ぎておもしろみに欠ける展示でした。というかぶっちゃけ完全に後者。おもしろくない。
ヴェニスに行っても、とりあえず寄るだけって感じのテンション。
2005年は石内都、2007年は岡部昌生、2009年はやなぎみわ、2011年は束芋。。。
しかし今年は何かが違いました。
田中功起x蔵屋美香のコンビが選ばれた時はついに日本館も攻めに出たかと驚きました。
田中さんは僕が近年最も注目しているアーティスト。このブログでも何度も取り上げてます。
蔵屋さんは東京近美で「ぬぐ絵画」などラディカルな展示を企画している敏腕キュレーター。
そんな2人がタッグを組んで、どんな展示が展開されるのか非常に楽しみでした。
これはもしかしたら、、、と思っていたらやっぱり特別表彰を受賞。日本館初の快挙!
これまで賞レースなんてひっかかりもしなかったし、こっちも期待してなかったけれど、今回は期待通り!
ますます行く前から楽しみでした。
掲げられたテーマは「abstract speaking -sharing uncertainty and collective acts」。
邦題は「抽象的に話すこと - 不確かなものの共有とコレクティブ・アクト」
僕にとって意外、と言えば意外だったのが、震災をひとつのテーマにしていたことでした。
確かに近年田中さんの作品は、野外で作品を展開し、他人と積極的に関わっていくことで作品に社会性を付与させてきました。
しかし、それはあくまで「抽象的」な社会性であって、震災という具体的なテーマでもって作品を制作されたことはなかったと思います。
こういう自国の災害とかを持ち出しちゃうと、ドメスティックになりすぎて、客観的に見て痛いだけの展示になりかねないところがあります。前回行った2007年のヴェニスビエンナーレがまさにそれで、アメリカの9.11テロが前面に押し出されて、もう同情どころか苛立ちすら覚えました。
なので、少し不安があったのですが、展示を見ると気持ちのいいぐらい腑に落ちる展示で不安は払拭。
今回の会場構成の肝となってるのは、昨年の建築ビエンナーレ日本館の展示をリサイクルしてるところです。(昨年の日本館は伊東豊雄氏をディレクターとして、「ここに、建築は、可能か」をテーマに震災を直接的に扱った展示で金獅子賞を授与されました)
建築展も同じく震災がテーマですが、あちらはかなり「具体的」な提案でもって震災を切り取っていました。
しかし今回はタイトルにもあるように「抽象的」に震災を持ち込むことによって、日本だけでない問題にまで昇華させていたのが本当に感動的でした。
震災の話をするとどうしても出て来るのは「当事者」という言葉です。
以前自分もこのことで震災に触れるのを相当躊躇していた経験があります。
つまり、自分は当事者である/ないの話になると、そこで壁やヒエラルキーが生まれてしまいます。
当事者でもない奴に自分達の気持ちがわかってたまるか、とか、自分は当事者じゃないから、彼らに会って接する資格がないとかそういうことです。
この壁は想像以上に堅牢で、その話になると中々うまくいきません。
僕もそうでしたが、以前その話を比較宗教学者の濱田陽さんという方にしたら、「あの時すべての人間が傷ついたんです」という話をされて、「いや、でもあの時関西にいてなんの揺れも感じなかった僕は傷ついていません。それがうしろめたさみたいなものにつながって中々踏み込めずにいるんです」と返し、そこで濱田さんは、「森川さん、あなたは立派に傷ついてるじゃないですか」と言われ、はっとしたことがありました。
実はそんな壁なんてなかったんだ、と気づけたことで、僕は被災地まで行くことができました。
どこまでが当事者だなんて、本当はいえない問題なんです。
言えるとしたらあの時亡くなられた方々のことを言うのでしょう。
長くなってしまいましたが、その当事者という意識の壁を抽象化する作業として、今回の展示は本当にすばらしいものでした。
田中さんは当時アメリカにいて、彼は日本にすらいませんでした。
関西にいた僕ですら、そんなうしろめたさを感じていたのだから、田中さんのように海外にいた日本人はどういう気持ちだったでしょうか。
そこでできることとして行き着いたのが今回の展示だったそうです。
この展示の凄いところは、だからといって全く無理をしていないというところです。
実際今回いくつか作品が出ていますが、そのすべてが2011年3月11日以降というわけではありません。
これまで田中さんがやってきたことが自然と生きてるのが素晴らしかったんです。
近年やってる、「恊働」というテーマが、美しい程この展示にフィットしている。
それは滑稽にも見えるけれど、どんなに時代が進んでも、人は一人で生きて行けないし、実は人間の営みはこれぐらいかっこわるくて、泥臭いものなのかもしれない。だから美しい。
本来一人でする作業(ヘアカット、ピアノ演奏、作詩、陶芸等)も何人かで一度にやると、そこに衝突や葛藤が生まれて、できあがったものは成功とは言えないものかもしれないけれど、その結果がすべてではないというのが今回の展示で今まで同じ作品を見てきた時以上に伝わってきました。
だから普通に田中さんの個展として見ても、いいんですよね、普通に。
僕が初めて田中さんの作品を見たのは「原因が結果」というタイトルの個展だったのですが、なんかその言葉がすごく効いてきてるな、という印象を受けました。
日本館はこの展示で今回半世紀以上参加し続けて館としては初めて賞を授かりました。(特別表彰)
田中さんはTwitterでこれは僕がもらった賞ではなく、これまで日本館が築き上げてきたものだという言い方をされていたけれど、僕はまぎれもなくこの賞はこの展示に与えられたものだと思います。
海外から多くの観客を呼び寄せるこのビエンナーレで、この展示が実現したことは、日本にとっても大きな功績だと思います。
本当におめでとうございました。
先日京都でも田中さんと蔵屋さんによる報告会があったそうですが、ギリギリ帰国に間に合わず聞きに行けず残念でした。。。って実際観に行けただけで充分ですよね。はい。
ついでなので他の国別の展示も。多過ぎてアルセナーレとジャルディーニ周辺しか回れてませんが。。。(金獅子賞のアンゴラは行けず)
個人的に印象的だったのは、イスラエル、ブラジル、ロシアかな。写真撮ってないけどギリシャも。
Gilad Ratman 'The Workshop' (Israel)

Ferbenza/Mlászho/Clark/Bill/Munari 'Inside/Outside' (Brazil)

Vadin Zakharov 'Danae' (Russia)

国家間コラボ企画としては、リトアニアとキプロス(特別表彰)とドイツフランスのパビリオン交換(どこまで意味あるのかは展示ではよくわからなかった)
'Oo' / 'oO' (Cyprus/Lithuania)

Ai Weiwei, Romuald Karmakar, Santu Mofkeng, Dayanita Singh (Germany)

他。サラ・ジー調整中で中見れずショック!韓国館はひどかった。。。
Sarah Sze 'Triple Point' (USA)

Kimsooja 'To Breathe:Bottari' (Republic of Korea)

Lara Almarcegui (Spain)

Berlinde De Bruyckere 'Kreupelhout-Cripplewood' (Belgium)

Mark Manders 'Room with Broken Sentence' (Netherlands)

Jeremy Deller 'English Magic' (Great Britain)

Konrad Smoleński 'Everything Was Forever, Until It Was No More' (Poland)

Alexandra Pirici/Manuel Pelmus 'An Immaterial Retrospective of the Venice Biennale' (Romania)

Lee Kit 'You(you).' (Hong Kong)

Alfredo Jaar 'Venezia, Venezia' (Chile)

あとアルセナーレの奥が各国の展示になってたけどどれがどの国なのかよくわからないまま見てた。。。バハマ館がなぜか北極の作品展示してたり、木がぶらさがってたり、ヨーン・ボックの作品もあったり、何か色々ありました(テキトー)。





次回はメイン展覧会について。
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