fc2ブログ

「マチスとピカソ」by イヴ=アラン・ボア

IMG_6385.jpg

ずっと積ん読だった「マチスとピカソ」を読了しました。
著者のイヴ=アラン・ボア(以下ボア)は、2010年のニューマン展の時に来日してますね。この時のカタログにもテキストを寄せてます。
また、昨年日本でも発売されたばかりの「アンフォルム」という本は、ロザリンド・クラウスと共同でキュレーションした展覧会のカタログ。
実はこの本読んで、ボアにすごい苦手意識ができてしまってて、故に積ん読。
さらに、直前にクラウスの「ピカソ論」を読んで、これもほとんどピンと来なかったから、読み始めるのは中々腰が重かったです。

しかし!
読み始めたら止まらないぐらいおもしろくて、最後泣きそうになるぐらい感動。
やっぱ僕クラウスが苦手みたいです汗

それにしても今更「マチスとピカソ」って。。。って感じですよね。
もう腐るほど聞かされる二人のエピソード。
ほとんど賞味期限切れみたいなこの話題にどう切り込むんかいなと思ってましたが、めちゃくちゃ刺激的で新鮮な内容でした。

マチスの言葉です。
「私は今まで他人からの影響を避けたことがないのです・・・。他人からの影響を避けたりするのは臆病で自分に誠実ではないからだと考えてきました。私は芸術家の人格というものは、ほかの人格と戦わせられるときに、受けるべき苦闘を通じて発展し、自己を確立するのだと信じています。もしこの戦いが破壊的なもので人格が屈服してしまうとしても、それが運命なのです。」

この本は、ひたすらマチスとピカソのお互いの影響関係を実際の作品から論じていくというもの。
冒頭のマチスによる「石膏像のある静物」(1916)とピカソによる「静物 胸像、鉢、パレット」(1932)の対比からいきなり刺激的です。
本当に構図やモチーフがほとんど同じ!
さらには、表紙のマチスによる「夢」(1940)とピカソによる「黄色い髪の女」(1931)なんてほぼ一緒。
こうして、二人の作品が見事に影響し合ってることが作品から紐解かれていきます。
特にピカソは波乱の人生なだけに、その半生から絵の読解が成されることが多いのですが、こうやって、絵そのものから紐解かれていくのは、とても爽快というか、これが本来のあり方やろ、と思います。
それから、別に二人の絵が似ているから揚げ足を取るようにパクりパクられっていう関係に仕立て上げるのではもちろんなくて、お互いがお互いを常に意識し尊敬し合い必要とし合っていたということがものすごく伝わってきてとても美しい物語を読んでいるようです。
そうした二人の友情エピソードもたくさん盛り込まれていて、改めて「マチスあってのピカソ」、「ピカソあってのマチス」なんやなぁと思い知らされました。
それだけに、マチスが死んだ後のピカソの喪失感たるや想像を絶しますね。
ピカソはショックすぎて葬式にも出席しなかったらしい。
この本の締めくくりに置かれた、マチスの死後に描かれたいくつかのピカソの絵は、明らかに逝ってしまった親友のその不在を埋めるかのように、マチス的要素(うす塗り、のっぺらぼうの顔等)が如実に表れているのには本当泣きそうになってしまう。
アートはオリジナリティがなんぼと思われがちですが、こうやって、正面からお互いの絵画を衝突させてきた二人の姿は見ていてとても気持ちがいいです。
中にはマチスがピカソの絵をそのまま模写してる資料とかもあって驚きでした。
マチスも云うように、他人からの影響は避けるべきではないのですね。

この本では主に、この二人の絵画の類似性を論じていますが、逆に大きな相違点について語る第一章の「異なる言語」はとても興味深かったです。

『事実、マチスは対象やモチーフの全存在、彼を絵画やデッサンへの衝動へかりたてる物質性を必要とする。モチーフに「同化する」ために全感官を巻き込むことを必要とした。雇ったモデルを題材に描くときは、彼の「目はモデルの1メートル以内に、ひざはモデルのひざの範囲まで」とても近づかなければならなかった。聖トマスのように、彼は自分の目しか信じられず、そこから印象主義への不信が生じたのだ。
(中略)
ピカソが重視するのは同化することではなく、解釈することである。何かを描くために、ピカソはそれを別のものとして最初に「見」なければならなかった。この変換の過程がきわめて顕著なのは肖像画である。ピカソが数えきれないぐらいデッサンや絵画に描いたフランソワーズ・ジローは、彼のために二回しかポーズを取っていないことを覚えている。(中略) この隠喩的な「として見る(seeing as)」ことはピカソ芸術の本質である。』

また、同じ章のボアが「マチスシステム」と称するテキストもおもしろいです。

『マチスは「スケールのためにサイズを超越す」べく、拡張し、膨張する芸術を求めた。フランク・ステラがかつて言ったように、マチスの絵というのはいつも実際より大きいものとして思い出される。マチスのスケールは、少数の平坦な平面にもとづいており、実際のカンヴァスのサイズがどんなものであっても、常に大きい。この拡張する感覚は、透視法やモデリングといった空間表現の伝統的な手法はすべて使用できなくする。伝統的な手法では絵画を奥行きによってくり抜くので、スケールの横の広がりを損なう。マチスの絵画の最上のものは、爆発寸前の風船のように最大限まで張り詰められている(ピカソはこのことをよく知っており、「マチスは大声だ」とよく言っていた)。この全体にゆきわたる緊張感のみなぎりは、ピカソ芸術に勝るとも劣らず過激なマチス芸術の経済性によって高められる。(絵の中で有益ではないものはなんでも有害なものだ)。それは絵画平面全体における等質化の、また力の分散の産物である。観者の視線は、どこにおいても絵の特定の部分にとどまることを禁じられている。画面のこのオール・オーヴァーな概念、それ自体が質と量の等式のひとつの機能を果たしているものから、マチスの表現理念が明らかになる。』

この春に見たマチスの「赤い部屋」は確かにものすごく広がりのある絵でした。
以前カプーアの記事でも書いたんですが、色というのは作品にとってとても重要。
最もセンスの試されるところであり、それを考えるとやっぱりマティスを超える芸術家ってどこを探してもいないような気がしてきました。
もちろんイヴ・クラインやニューマン、カプーアなど、卓越した色のセンスを持っている作家が何人かいますが、それでもほとんどが単色であったりしますよね。
フォーブ(野獣)のようだと称されたマティス絵画ほど、たくさんの色を使いながら、色の可能性を最大限まで引き出してる絵画は他にないように思えます。
だから、晩年の切り絵にしても、マチスだからこそできる技なんですよね。
その点でも、カラー図版がたくさん載ってるこの本はすばらしいです。
でも、この本には彼のドローイングも多数収められてますが、鳥肌が立つぐらいすごい。
ピカソかマチスどっちが本当の天才?って聞かれたら間違いなくマチスでしょうね。
もうちょっと、線にしても色にしても人間業とは思えないです。
2004年の上野でやってたマチス展は本当にすばらしいものでした。
僕が今まで見てきたすべての展覧会の中でもかなり上位の展覧会でしたね。
あれ見てからマチスの見え方相当変わりました。
この本読みながらあの展覧会また思い出しちゃいました。
また大規模なマチス展とかやってほしいな。まとめてたくさん見たい。
彼の手がけたヴァンスのロザリオ礼拝堂はいつか必ず行きたいですね。

この本は、キンベル美術館で1999年に行われた「Matisse and Picasso : A Gentle Rivalry」展の為に刊行されたカタログの日本語版だそうです。なんて豪華な!
この展覧会見てこの本読んでたらさらに理解深まったでしょうね。観たかったな。
ていうかキンベル美術館自体ルイス・カーンの代表作なので行ってみたい。
近くには安藤忠雄の美術館もありますね。
とにかくとてもすばらしい本でした。少し値は張りますがおすすめです。

最近出た「マティス: 知られざる生涯」も気になります。
その前に絶賛積ん読中の「マチス 画家のノート」も読まねば。




テーマ : 本の紹介
ジャンル : 学問・文化・芸術

「<私>の解体へ 柏原えつとむの場合」@国立国際美術館

IMG_6323.jpg

約2ヶ月以上ぶりのアート記事です。あわわわ。
まだ夏は終わってないけど、この先特に観ることもないのでこの夏に見た展覧会まとめ。

「<私>の解体へ 柏原えつとむの場合」@国立国際美術館
この夏観た中でやっぱり一番よかった展示。
恩師柏原えつとむ氏の美術館では初となる展覧会です。
これほどのキャリアの作家で初というのは意外かもしれません。
柏原氏は作家至上主義の美術界に常に異を唱え続けてきた人です。
なので、美術館という権威の元、「個展」という形式に対し抗ってきました。
そこでこの展覧会タイトルです。
これはあくまで「柏原えつとむ展」ではありません。
たまたま「柏原えつとむ」という人物が表現したにすぎない、一つのバージョンだという表れです。
なので「場合」という言葉がついているんですね。
デュシャンの「与えられたとせよ」という命題に近いかもしれません。
60年代後半から70年代にかけて発表されてきた作品が一堂に会する貴重な展示でした。
特に「方法のモンロー」はすごい。
画家の持つ「個性」をひたすら否定し続けている。
それでもそこからこぼれ出る、手癖や感性にとても魅力を感じました。
「未熟な箱たち」もおもしろかったですね。
なんか観ていてやっぱり僕はこの人の影響を受けているな、とつくづく思いました。
僕も作家の個性といったものに抵抗があります。
現在柏原氏がその作家の個性というものに戦っていた時代よりも、さらにその作家至上主義は加速しているように思えます。
美術館側もそれに甘んじているような印象すら受けます。
この展示を通じて改めて色々思うところができた気がします。
ちなみにこの展覧会の図録はすごいです。700ページを超える記録。
辞書のような厚さで、装丁は柏原氏の作品「THIS IS A BOOK」を思わせるデザイン。
なんだか企画側の愛をすごく感じました。こういうのはいいなぁ。
ちなみに「THIS IS A BOOK」はショップでも購入可能。
中身はコレクション展でご覧になれます。
展示は9月30日まで。


「リアル・ジャパネスク」@国立国際美術館
柏原さんの下の階ではこの展覧会が開かれています。
この展覧会に出品されてる泉太郎さんのお手伝いをさせていただきました。
泉さんは、神奈川県民ホールの「こねる」展から、面白い作家だな、と思ってて、横浜トリエンナーレでも一番印象に残ってます。
twitterで、手伝い募集の情報が流れてきたので、のっかってみました。
中々大変でしたが、泉さんの制作の仕方が近くで見れてとてもおもしろかったです。
再びデュシャンの「与えられたとせよ」ではないですが、泉さんはその問いをずっと問い続けているような気がします。
もう次から次へとアイディアが湧いてて、没になってもへこたれずに新しい案を出す。
その感じはすごかったですね。
手伝ってる方としては、それらがどう展示に結びつくのか最後まで想像つかなかったですけど笑
最終的に展示を見て、普通に観客として楽しめました。
ちなみに僕は映像にがっつり出てるので探してみてください笑

で、展覧会自体ですが、手伝っといてなんですが、残念ながら僕的評価は相当低いです。
さっきの「作家に甘んじてる」という発言がそっくりそのまま当てはまるような展覧会ですね。
キュレーションが出来てるとは言いがたいです。
まあ、もうタイトル見た時点でえ?って感じなんですが、作家の個展が集まっただけで、全体をとおしてどうとかいうのが全く見えてこない。
いいキュレーションというのは星座のように、展示から展示へどんどん線が結ばれて行って、最終的にひとつになるような印象を受けますが、今回はてんでバラバラ。
この個展形式、「絵画の庭」あたりから国立国際定番みたいになってきてますが、そろそろ気づいた方がいいんじゃないかな。全然有効的じゃないって。
そりゃ運営側としては、やりやすいし、見せやすいんだろうけども。


「隠喩としての宇宙」@ Taka Ishii Kyoto / ANTEROOM
こちらもキュレーションとして機能しているとは言いがたい展示。
森美術館のキュレーターさんが企画してるものらしい。
まあ、2会場に分かれてるし、規模もそこまで大きくないので難しいかもしれないけど。
確かに土屋さんの作品とか「宇宙」を連想させそうなものもあったけど、全体として「宇宙」をまったく感じなかったのは僕だけでしょうか。
でも作品単位ではいいものもあったしいいんだけどね。
大舩さんのロビーの長い絵はすごい。
まるで今回のスペースに併せて作ったかのようにぴったりはまりすぎ。
あとで聞いたら、そこは普段鏡がかかっていて、その鏡の寸法がなんと旧作とほぼ一緒だったとか。
そんなことあるんですか。。。
だから鏡の額縁にはめるだけでよかったそうな。すごい。
あと、アンテルームの方の土屋さんの作品もすごい。
全然見つけられなくて受付の人呼んで見つけたのが。。。やられた感がありました笑
タカイシイは9月1日までですが、アンテルームは10月まで延長されたそう。
このホテル、実はそこまで高くないので京都来る人は泊まってもよさそうですよ。


「杉本博司 はじまりの記憶」
展覧会じゃなくて映画です。
全体を通して「杉本博司ってすごいね」って映画です笑
まあ、すごいのは間違いないんですが、もうすでに食傷気味ですね。
でも、学生時代の頃のことやらのエピソードも盛り込まれてて杉本ファンは必見です。
「トップダウン方式で上から攻めて行った」という、MoMAの作品購入エピソードはすごい。
それで一発でその賭けに勝ったわけですからね。
しばらく杉本さんの作品を自分から観に行くことはないと思うけど、小田原のは楽しみにしてます。

テーマ : アート・デザイン
ジャンル : 学問・文化・芸術

Minoru MORIKAWA Official Website

M.jpg

いつの間にやら前の更新から一ヶ月経ってて、スポンサーの広告がトップに。。。
ご無沙汰しております。
展覧会観てないことはないんですが、また今度まとめて。。。
それよか、自分のサイトをようやく作りました。
今までstudio90があったので作ってませんでしたが、それもなくなることだし。
よろしくお願いします。
サイトには展覧会のお知らせも載せてますが、また追ってお知らせします。
今後ともよろしくお願いします。
http://minorumorikawa.com/



それと、靴デザイナーの友達のサイトも制作しました。
メニューバーをiPhoneやiPad風にしてみました。
こちらはできるけ大きなスクリーン推奨です。
メニューバーが邪魔な場合は消すこともできます。消し方は自分で探してみてくださいw
こちらもよろしくお願いします。
http://www.noshoes.biz/

NO.jpg
カレンダー
07 | 2012/08 | 09
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
最新記事
カテゴリ
検索フォーム
月別アーカイブ
プロフィール

もりかわみのる

森川穣
現代美術作家。
森川穣 website
A'holicオーナー
A'holic website
instagram

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

管理者用
カウンター
To See List
・2023.09.16-11.12
杉本博司 本歌取り 東下り @ 渋谷区立松濤美術館

・2023.09.20-12.11
イヴ・サンローラン展 @ 国立新美術館

・2023.10.03-2024.01.28
パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展―美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ @ 国立西洋美術館

・2023.09.23-11.19
福田美蘭ー美術って、なに? @ 名古屋市美術館

・2023.10.06-11.27
生誕120年 安井仲治 @ 愛知県美術館

・2023.10.07-12.10
さいたま国際芸術祭2023 @ 旧市民会館おおみや等

・2023.10.13-12.24
石川真生展 @ 東京オペラシティアートギャラリー

・2023.11.01-12.25
大巻伸嗣―真空のゆらぎ @ 国立新美術館

・2023.11.03-2024.01.28
「今村源 遅れるものの行方」展 @ 水戸芸術館

・2023.11.18-2024.01.28
倉俣史朗のデザイン――記憶のなかの小宇宙 @ 世田谷美術館

・2023.12.02-2024.02.04
「前衛」写真の精神:なんでもないものの変容 瀧口修造、阿部展也、大辻清司、牛腸茂雄 @ 渋谷区立松濤美術館

・2023.11.09-2024.03.31
第14回上海ビエンナーレ @ 上海当代芸術博物館

・2024.01.11-03.10
フランク・ロイド・ライト世界を結ぶ建築 @ パナソニック汐留美術館

・2024.02.06-04.07
中平卓馬展 @ 東京国立近代美術館

・2024.02.14-05.27
「マティス 自由なフォルム」@ 国立新美術館

・2024.03.15-06.09
横浜トリエンナーレ2023 @ 横浜美術館ほか

・2024.03.30-07.07
ブランクーシ 本質を象る @ アーティゾン美術館

・2024.04.24-09.01
シアスター・ゲイツ展 @ 森美術館

・2024.04.27-08.29
デ・キリコ展 @ 東京都美術館

・2024.09.25-2025.01.19
ルイーズ・ブルジョワ展 @ 森美術館

・2024.11.02-2025.02.09
ジャム・セッション 石橋財団コレクション×毛利悠子 ―ピュシスについて @ アーティゾン美術館

QRコード
QR