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今思うこと 2012.06.18

IMG_6025.jpg

先週震災後初めて被災地に入りました。

1年3ヶ月。

僕があそこにたどり着くまでの時間です。

今は色んなものがスピードアップし、情報も交通も様々なものが瞬時に動く時代です。
しかしそんな時代にあっても感情のスピードだけは変わらないと思います。
僕が被災地に足を運ぶまでにこれだけの時間がかかりました。
もちろん震災後間もなく行かれた方も少なくないと思いますしその差は様々です。
とにかく僕にはこれだけの時間がかかりました。

震災後、被災地に行こうという気持ちは中々芽生えませんでした。
それは、なんといっても僕があの日あの揺れを感じなかったことが大きいと思います。
あの日は岡山から大阪に帰る途中で、電車の中で震災のことを知りました。
家に帰ってテレビをつけて観たあの衝撃と恐怖は忘れられません。
ただ、それは情報としての惨劇でした。
まったく僕の身体を介さないまま、情報だけが僕の中に入っていく。
「日本」とひとくくりに言っても、僕はそこに含まれていないんじゃないか。
ましてや海外にいた日本人なんかはもっとそういう違和感を覚えた人が多かったんじゃないでしょうか。
僕の住んでいる場所は至って普通の日常でした。
その後も関西は夜も晃晃とネオンがついてましたし、店から商品がなくなるなんてこともなかった。
本当に気持ちの悪いほどの日常でした。
そんな日常を享受している自分が、東北へ行って、被災者の方々に接すると言うのは、なんだかとても不謹慎なんじゃないか、とか色々考えました。
そして結局被災地に行く決心がつかぬまま2011年は終わろうとしていました。

年末にある人物に会いました。
濱田陽さんという宗教学を専門にやっておられる方です。
彼とは今年最初の展覧会で一緒に作品を作り上げました。
その時、彼は既に被災地に何度も足を運びボランティアもされていて、作品の相談をするのと同時に、ボランティアの様子や、震災後思っていることなど、色んなことをぽつぽつ話しました。
彼は言いました。
「あの日、日本人、もしくは世界中の人々が全員傷を負いました。」
でも僕は言い返しました。
「でも僕はあの日何も傷を負っていなくて、そのことに変な言い方ですが、ある種のコンプレックスのようなものを抱えているんです。」
すると彼は言いました。
「森川さん、それも立派な傷じゃないですか。」
その言葉を聞いた時、ハッとすると同時に、これまで抱えていたものがふっと軽くなったような気がしました。救われたような気がしたんですね。
自分が傷を負っていたこと。それを気づけたことはものすごく大きかったです。
そこでようやく自分も被災地に行ける気持ちが芽生えました。

全員が傷を負った、と一言で言ってもその深さはもちろん違います。
僕みたいにかすり傷程度の人から、家も家族もみんな失った人まで。
それでもやはり、全員が傷を負っているというのは大きいと思います。
ここで変な連帯感、ましてや絆なんて言葉は使いませんが、何かを共有することで、お互いにヒエラルキーを作らないことが重要なんだと思います。
ボランティアというと、どうしても助けに行くというニュアンスがありますが、同時に行く側も助けられるんだということを忘れてはいけません。
助ける側と助けられる側と言うヒエラルキーはとても恐ろしいと思います。
そのヒエラルキーこそが、僕を被災地から遠ざけていた大きな理由でもあったんですが、濱田さんの一言で気づけたこの共有感覚によって、あの日ぐっと被災地に近づけた気がしたんです。

近づけてからまた半年が経ちました。
行くにしても、意気込んで行くのはやめようと思っていました。
変な使命感を持って行くのは危険だと直感的に思ってたんですね。
なので、無理に被災地に直接行くのではなく、あくまで機会があればぐらいに考えていて、先週東京方面まで行く用事ができたので、今だ!と思って用事を終えてそのまま北に上りました。

仙台からバスで1時間ほど行ったところに、そのボランティア施設がありました。
僕が行ったところはDSP災害支援プロジェクトという団体でした。
DSP災害支援プロジェクト>>http://dsproject.org/
今は個人での募集を締め切ってるところや、最低でも何日以上というところが多いんですが、ここは個人で参加できる上、一日でもOKということで申し込みました。
僕はお手伝いできることなら何でもしようと思ってたので、何をするかは当日まで知らなかったのですが、どうやら東松島で、漁師さんたちと海苔養殖に使う筏作りのお手伝いをするとのこと。
車で1時間半ほどかけて現場に行き、一日作業しました。
作業は終止和やかで、被災地に来てるって感じはなかったですが、作業しているその場所もかつては家があり、津波で流され更地になっているところでした。残っている家々もよく見ると爪痕が生々しくとても住める状態ではなかったです。
そして、終わり際ボランティアリーダーの携帯が鳴って、どうやら線香を用意してくれとの話。
実はこの団体は他にも潜水作業をしていて、なんとこの日遺体が発見されたようです。
僕はこの日仙台に戻ってしまったので、潜水士の方たちには会えずお話を聞けませんでしたが、帰ってきてニュースで知りました。
石巻・大川小地区で2遺体発見 「ようやく帰ってこられてよかった」 - MSN産経ニュース
昨年の10月以来の発見だったそうですね。
引き上げに3日もかかったそうですが、本当によかった。

次の日は、仙台で車を借りて、北へ北上しました。
この日の為に車めっちゃ練習しました。。。
なにせ、20歳の時に免許取ったきり全く運転してませんでしたからね。ピカピカのゴールド免許(笑)
このまま一生運転することないんじゃないかとすら思ってましたが、これを機に運転しようと思い立ち、週末だけでしたが4月位から少しずつ練習しました。
でも実際運転してみると、勘みたいなのはかろうじて残ってて思ったほど大丈夫でした。
この日の運転もほぼ問題なかったです!
ただ、被災地に入ると道が通行止めになってたり、ナビ通り行けず焦る場面も。
石巻、女川、南三陸という順路で行きました。
被災地を見て回るというのがこの日の目的で、気仙沼の方も行こうと思いましたが時間が足りず断念。
阪神大震災の時も被災地を見て回りましたが、この被災地はまったく様子が違いました。
車で走っていて、いつの間にか津波が襲った場所に入っているといった感じ。
気づいたら周囲は更地で、残ってる建物もガレージが潰れていたりして人が住んでいない。
その感覚がものすごく恐かったです。
海から結構離れている場所でそうですから、港近くはほぼ壊滅状態。
建物がまるでサイコロのように転がっていたり、あまりに現実感のない光景。
中でも南三陸町はすごくて、鉄やコンクリの塊があっさりと折れ崩れ破壊されている。
車なんかも原型を留めないほどぐちゃぐちゃになっていました。
その惨状とその日のあまりにあっけらかんとした青空のコントラストが忘れられません。
以前アウシュビッツ収容所を訪れた時もこんな青空で、その時のことを思い出してしまいました。

こうして短い間でしたが被災地に入って、ようやく情報が体験化しました。
これだけ情報が錯綜している今だからこそ自分の目で確かめることはより重要なんだと思います。
といっても、1日2日程度しかいられなかったので、知ることのできたものなんてたかが知れていますが、それでもあの震災のことを体ですこしでも知ることができたのは大きかった。
また機会があれば是非行きたいです。今度はもう少し長く滞在したいですね。


それにしても、この国はどうなって行くのでしょう。
この震災で目の当たりにしたこと。政府はまた無駄にしてしまうんでしょうか。
今の日本政府の動きを見ていると怒りが込み上げて来て仕方ありません。
被災地に行く前日に、横浜で木下長宏さんの「土曜の午後のABC」を受けてきました。
これは、大学でもなんでもない、木下さん個人が、様々なテーマを取り上げ、我々近代人が作り上げて来た神話を切り崩して行くというもので、今回は宮沢賢治を取り上げていました。
木下さん曰く、賢治はその一生を通して怒り続けた人間だったそうです。
意外ですよね。
宮沢賢治と言えばなんだか牧歌的な印象があって、もはや神話化している人物。
それは夏目漱石にも言えることですが、彼らの文学は実は怒りに満ちあふれている。
怒りを怒りとして表現するのではなく、それを彼らは文学に昇華して歴史を作り上げて来た。
その怒りを「銀河鉄道の夜」を通して読み解くというものでした。
今回の地震でも、岩手県花巻出身の宮沢賢治を、研究者はこぞって祭り上げ、各地で「雨ニモ負ケズ」の朗読なんかをやっています。
しかし、賢治を怒りの人という観点から見たときに、そういう祭り上げ方は到底正しいものではありません。
彼は近代化というものに対して非常に怒っていた。
それは彼の残した「農民芸術概論綱要」を読むと明らか。
もう怒りで満ちあふれていて、これが宮沢賢治!?という驚きがありました。
いかに我々が聖人として作り替えられた宮沢賢治しか知らないということを思い知らされます。
文学者は、怒りをそのまま表現へと昇華させるのがうまいな、と思います。
村上春樹も、現代では飛び抜けてその怒りの昇華の仕方がうまい文学者の一人と思います。
「1Q84」はまさに怒りの文学。
先日佐々木中さんの「切りとれ、あの祈る手を」を読みましたが、ものを書くということがいかに革命につながるかを知りました。
ドストエフスキーは、当時文盲率90%のロシアで文学を作り上げ、世界に大きな影響を与えました。
サイードもペンを剣になぞらえましたが、それほど文学には力がある。
他の芸術はどうでしょうか?
一表現者として、この怒りをうまく昇華していきたいと思っています。
被災地に入る直前に木下さんの講義が聴けたのはよかったです。
ちなみにこの「土曜の午後のABC」は誰でも参加可能だと思います。
詳しくは木下さんのHPをご覧ください。http://kinoshitan.com/
僕も横浜に住んでたら毎回受けたいです。。。


濱田さんの言葉や、木下さんのABCを受けて感じたのは、ものごとを点で見るのではなく全体でみることの大切さ、だと思います。
誰が当事者で誰が部外者か、なんて議論はナンセンスです。
濱田さんに出会う前の僕は、その議論の中にはまっていたのかもしれません。
だから「がんばろう、日本」とか「がんばろう、東北」とか「がんばろう、石巻」とか、そういうスローガンはまったくもってナンセンスです。
そうやって対象を極小化していくのは大変危険です。
被災地を走っていて、このスローガンをよく目にしましたが、あそこまで繰り返し掲げられると、鬱屈した気持ちになってきます。
言葉はすぐに暴力になりうる。それはこれまで文学者が示してきたことです。
もっと全体として、今回の地震、及び原発問題を考える必要があります。
それなのに日本政府は。。。愚痴はやめましょう。行動しましょう。


以上長々と失礼しました。
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大舩真言「Voyage Intérieur -旅する内面-」@ gallery サラ

初めての湖西線に揺られ滋賀県は近江舞子へ。
湖西線すごかった。琵琶湖のほんの真横を通るので車窓からの風景がすごい。
近江舞子に着いたら、なんとギャラリーオーナーさんが迎えに来てくださった。
ものすごい狭い畦道を通り、車はどんどん森の中へ。
たどり着いた先は、凄まじい建物でした。。。
僕はてっきりカフェギャラリー的なものを想像していたのですが、美術館クラスの展示室。
様々な質の空間があって、そこらに点在する大舩さんの作品たち。
入ってすぐの黒い部屋では水平に置かれた大作。
中庭から入る燦々とした光が描く影により画面についてる鉱物がすごい存在感。
360度から眺められるので周遊するが、見る角度によって作品の表情が劇的に変わる。
同じ絵を見ているとは思えない感覚。
さらに、その光の影になってる場所に闇にまぎれるようにして一点展示されてました。
闇に目が慣れるまで見えない作品。こういうあり方もあるんですね。
そして最後まで気づかなかったけどこの部屋にはもう一点まぎれてました。

回廊には、色とりどりの、まるで海底に光が注がれているような作品がならんでいました。
これも白い回廊にぴったりでした。

しかし一番すごかったのが、丸い展示室(この展示室自体もすごい)にかかってた作品。
Rの壁に対して、1点真正面にかけられてるんですが、そのRによって、まるでこっちにせり出してるように見える。
全体に薄いグレイがかった画面で、近づくと相当複雑に色が重ねられてるのがわかります。
というか、それよりなにより、これまでの作品よりもさらに深化した抽象性。
これまでの作品は、さっきも「海底に光が」とか言うように、しばらく見てると、何かに見えてくる瞬間があるというか、それは人間誰しもものを見るのにこれまでの経験の引き出しから似たようなものを取り出して来てひとまずそれと比べようとするもんなんですが、この作品に関しては、いつまで見ていても何にも見えてこない。何も立ち現れてこない。この絵にしか見えない、といっても良いかもしれません。いや、もっと正確にいうと絵にすら見えてこない。やっぱり何にも見えてこないが正しいのかも。
これってすごいことだな、と思うんです。
これほど抽象度の高い作品って経験上見たことがないです。

最初の黒い部屋の奥にも、この延長とも言える白い画面の小品があるんですが、個人的にはこっちの方が込められてる抽象度は高い気がします。これは欲しい。。。
大舩さんの作品のここまでの到達、すごく感動しました。
空間も去ることながら、この作品たちを観に来る価値は相当あると思います。7月1日まで。

奥にはカフェもあって、行ったらかなり長居してしまいます。
その奥にも、先日関西日仏で観た丸い小さな作品も窓の風景を借景にして、ここならではのインスタレーションになってたし、いくつか小品も飾られてます。
帰りもオーナーさんに送ってもらってしまいました。。。
また来たいです!
驚愕過ぎてギャラリーの写真撮るの忘れました。。。
http://www.eonet.ne.jp/~utsuwa-sala/

ちなみに近江舞子には、恩師であり作家の中川好冝氏がやってるバーがあります。
金土日のみだったので行けませんでしたが、またの機会に!


川北ゆう「はるか遠くのつぶ」@ eNarts

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同級生の川北ゆうさんの展示。
昨年のαMの展示を観に行けなかったので、まとめて観るのは久々。
入り口には、彼女がずっと取り組んでるながれるストロークの作品。
入って最初の部屋は、僕は初めて観る作品群で、ものすごくよかった。
絵の具を水に浮かべて、アクリルで掬うようにして作られる画面たち。
人の手を超えて生まれる彼女らしい作品で、特に2点ほど絶妙なバランスの作品があってかなり気に入りました。
奥の部屋は、ストロークの大画面で空間として気持ちよかったですね。
あれだけの画面を一人で仕上げるのは本当にすごいなぁ。。。
下の地下の作品が、トリミングしてるアクリル作品だったけど、これはまだまだ発展の余地ありって感じでした。ブラックキューブの展示かっこよかったですけどね。
あと茶室に1点。
彼女の作品はどの空間に置いても映える強度があります。
特にeNartsは様々な表情のある独特の空間なので、それをもろともしない感じが清々しかった。
6月30日までなので是非。ちなみにオープンは金土日のみです。


森太三「海を眺める」@ ギャラリー揺

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京都の哲学の道周辺にあるギャラリー。
畳の展示室とお庭のセットで、ここも独特のギャラリーですね。
今回の森さんは、石膏像を砕いてさらに白に着色し、まるで海岸に打ち寄せる貝殻のように畳に配置したインスタレーションと、庭にそれらの破片で小さな山を形成されてました。
彼の場合は、小さなものから大きなものへと観客を導くのが本当にうまいな、と思います。
今回のインスタレーション、特に畳の方は、畳に座って、あるいは寝転がってでも、目線を低くして観ると、まるで波音まで聞こえてくるような大きな海のイメージが喚起されます。
そういう意味では大舩さんとはまったく逆の効果とも言えますね。
また、月並みな見方をするならば、西洋の美(石膏像)を破壊することで新たな美を創造しているのもおもしろいですね。よかったです。
この展示は6月3日で終わってしまいましたが、今月20日からneutron tokyoで展示が始まります。
僕は観に行けませんが、東京の方は是非!こちら


「45x45 -On The Wall- Vol.2」@ GALLERY ARTISLONG
知人作家の越野潤さんが出してらっしゃるので観に行ってきました。
思えば越野さんと出会ったのも、前回2年前の同企画。
これには前回川北さんも出してました。
45cmx45cm内の作品を展示する展覧会。
今回越野さんの作品はまず見つけられないと言われてたので覚悟して行ったんですが、この企画の安藤さんに即効で場所言われてしまいました笑
それにしてもあれはやっぱり見つけられないでしょうね。。。
サイトスペシフィックな作品でした。攻めてますねー!よかったです。
他にもペインティングが何点かおもしろいのありました。6月24日まで。


「大イタリア展―Viva Italia!」@ studioJ
すごいタイトルの展覧会笑
オーナーさんの趣味が爆発!って感じですが、オーナーさんはとても良い方ですよ。
で、こちらには知人作家の碓井ゆいさんが出されてました。
この展示は、スタンダードブックカフェでもやってたんですが、同時開催とばかり思ってたら、studioJさんの展示が始まる頃には終わってた!
ということでそっちは観にいけませんでした。。。
で、Jですが、碓井さんはなんと陶芸作品を出されててびっくり。
そういえば最近陶芸もやってるとのことでしたが、なんでもできちゃうんですね。。。すごい。
他にも荒木由香里さんと加賀城健さんの作品がよかったですね。
小さいながらも良作が詰まった展覧会でした。こちらは6月23日まで。


矢嶋有司「formless works」@ N-MARK B1

関西ではなく名古屋の展覧会です。
この秋名古屋で展覧会をするので、その下見に行った際に立ち寄りました。
ちょうどこのN MARKという長者町にできたスペースがオープンしたとこだったので行ってみました。
矢嶋さんは、関西でも発表されてるので何度か観たことがあって、今回は、お店のペンコーナーにある試し書きの紙をモチーフに作品を展開していました。
落書きをネオン管にしてみたり、様々な試みをやってましたね。
ただ、やっぱり、実際のその試し書きの紙を額装してたのが一番おもしろかった。
ああいう何も考えずに書いた人の落書きって色んなこと孕んでます。
自分で生み出した造形ではないっていう着想自体がおもしろかったです。

ところでこのビルはまるごとデザインやアーティストがスタジオにしてておもしろかったですね。
今長者町は、閉じてしまった繊維業のビルをものづくりにあてがうプロジェクトが進行していて、これからの愛知のアートシーンを占う上でもおもしろいですね。
というかなによりみんな楽しそうにしてたのがよかったなー。
大阪もこうなってほしいんですが。。。はぁ。






おまけ

近江舞子駅前の周辺地図のイラストが卑猥だったので1枚ご愛嬌。

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テーマ : アート・デザイン
ジャンル : 学問・文化・芸術

川内倫子「照度 あめつち 影を見る」@東京都写真美術館

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横浜で用事ができたので、先月から写美で始まった川内倫子展へ。
川内さんの作品はずっと追いかけてるけど、考えたら美術館での個展って見るの初。
ギャラリーの個展はロンドンで見てるけど。こちら
この個展で川内さんの写真にどっぷりハマってしまいました。。。

入って最初の部屋は昨年出したILLUMINANCEシリーズのオリジナルプリント。
通路両サイドに展開していきます。
この辺はまあ、写真集で見まくってただけに正直あまり感動もなく。

問題は次の部屋。
入った瞬間「え!」って声が出そうになりました。
映像作品なんですが、もう「写真が動いてる!」って感じ。
まあ、映像は写真が動いたものってのは当たり前っちゃ当たり前なんですが、その原初的な驚きが何のためらいもなく出てしまいました。
ここまで写真と映像がリンクしてるものって見たことがないです。
川内倫子の写真がそのまま動画になってるみたいな。
こんな映像撮ってたんですね。知りませんでした。
どこかで発表してるところもその映像の中に入っていました。
いつまでも見続けてしまいます。結局1ループ分は動けなかった。

次の部屋では、これまでの作品のコンタクトシートを継ぎ接ぎされた作品が出てました。
なんだかこの展覧会は、写真ができる舞台裏を見せているように思えましたね。

そして最後の部屋は素晴らしかった。
写真美術館であそこまでのインスタレーションを見たのは初めてですね。
インスタレーションといっても、映像2点と写真数点、ライトボックスがただ置いていて、かっちりとひとつのインスタレーションってわけじゃないんですが、あの部屋が一体となってた感覚がありました。
写美のスペースってなんか全然かっこ良くないし、難しいんですよね。
石内都展も畠山直哉展もなんかそこまで入れなかったけど、川内展はそこを見事にカバーしてた。
2点の映像は鳥が延々と群れをなして水の上を飛んでるのと阿蘇山の野焼き。
前者は2010年のブライトンビエンナーレに出品した作品だそう。
川内さんが映像をやってるのすら知らなかった。。。
それにしても後者の阿蘇山の野焼き映像はすごかった。
焼き始めから焼き終わりまですっかり見入ってしまった。。。
その野焼きの写真シリーズも含め、この新作「あめつち」はまた新たな展開でしたね。
でも同じ部屋にあった、エルサレムの嘆きの壁や銀鏡神社の儀式(ライトボックス)、夜空をレーザーポインターで照らした作品たちの連関がよくわかりませんでしたね。
日常的なものから宇宙的なものへと興味が移っていってるのかな?
野焼き以外はイマイチぴんときませんでした。

素晴らしい展覧会でした。期待以上。
でも図録があまりに微妙。。。
装丁ペラペラやし(あえて?)内容も新作あめつち以外はほとんど他の写真集に収録済。
インタビューとかは興味あったけどイマイチ踏ん切りつかず購入見送りました。
あめつちシリーズはまた改めて写真集として出して欲しいですね。

ところで5月25日には内藤礼さんとの対談があったそうだけどどんな感じやってんやろ。。。
個人的に鉄板な組み合わせ。。。聞きたかった!

展覧会は7月16日までです。

テーマ : アート・デザイン
ジャンル : 学問・文化・芸術

内藤礼アーティスト・トーク@国立国際美術館

先日国立国際美術館で行われた内藤礼さんのアーティスト・トークに行ってきました。
これは国立国際の30周年を記念して全館使って開催中の「コレクションの誘惑」展の関連企画で、この展覧会の関連企画は異常に豪華。
歴代館長たちによるシンポジウムに始まり、「写真の現在」と題されたシンポジウムは2日間に渡り超豪華メンバーで繰り広げられました。特に後者は両日とも整理券は一瞬でなくなったそうですね。このシンポジウムシリーズは、「もの派再考」展時の「野生の近代」や「絵画の庭」展時の「絵画の時代」などと並ぶ、国立国際が力を入れてるもので、どれも本となって販売中です。この「写真の現在」も秋には刊行予定とか。
アーティスト・トークも充実。小沢剛さんや伊藤存さん。そしてこの内藤礼さん。
内藤さんのトークって中々ないので、これは外したくないと思っていました。
ってことで気合い入れて会館30分前に着きましたが、それでも7番目。強い。
まあ、とりあえず先着130名にはもれずに済んで一安心。
トークの14時まで近所で時間をつぶしました。
ちなみにコレクション展は見てません。もう何回も見てるし。

さて、いよいよトークです。
豊島美術館オープン時のトークをYouTubeで見ていたので、正直どうなることかと心配していたのですが、今回は国立国際学芸員の島さんとの対談形式だったので、内藤さんもリラックスして話されていたように思います。
なんでも島さんとは25年もの付き合いだそうで、途中何度かおもしろい感じになってました。
特に今回内藤さんの希望で作品のスライドを一切使わなかったので、島さんがホワイトボードに作品の形態を描こうとするんですが、その図がお粗末だったのか、しばしば内藤さんから「それは何?」と叱咤されまくってました笑 それでも果敢に図解に挑戦する島さんもすごい!

トーク全体を聞いて感じたのは、内藤礼という人間の芯の強さでした。
もう、自分がやりたいことは何が何でも貫き通すあの姿勢はすごいです。
特に90年代の頃の、観客が一人でしか入れない作品たちは、会期中作家がずっとメンテナンスの為に張り付いていないといけなくて、1995年の国立国際での「見事に晴れて訪れるを待て」でも、会期の2ヶ月間ずっと大阪のホテルに住んで、メンテナンスし続けたそう。
当時の国立国際というと、まだ万博公園内にあって、来場人数もめちゃくちゃ少ない頃だったので、特に入場制限をかけなくても済んだそうですが、ヴェニスビエンナーレの日本館で発表された「地上にひとつの場所を」の時なんかは大変な騒ぎになって相当批判にさらされたそう。それでも作品と1対1というスタイルは固持し続けました。
ヴェニスと同時に開催されたドイツのカルメル会修道院での「たくさんのものが呼び出されている」でも、日本から行くのにわざわざ予約を取らないと見れないという徹底ぶり。
この頃の内藤さんの仕事を目撃した人は相当レアですね。
なにせ、これらの作品は作家が張り付いていかないといけないので、購入は不可能。
現在どこの場所にも存在せず、美術館にも収蔵されていません。
それでも作品のパーツはすべて保管しているそう。
島さんは、地面に置かれていない、「遠さの下、光の根はたいら」なら収蔵可能かもしれないと考えたこともあったそうです。
かつて中沢新一は彼女の作品を「暴力批判としての芸術の、もっとも徹底した形態」と評しましたが、彼女自身は、これらの作品に潜む暴力に気づき始めたそうです。すなわち、監視も置かず、観客にはすべて信頼してゆだねるのに対して、学芸員たちには一切触れさせないという矛盾。そして、作者自身が作っては消えていくものたちへの寂寞に少しずつ傷を負っていくということ。
それらの暴力を少しずつ自覚していった頃に舞い込んできたのが直島の家プロジェクトの依頼。
これまで消えていくものしか作ってこなかった内藤さんに依頼されたそのプロジェクトはなんと恒久設置作品。そんなことが果たして可能なのかといぶかしがったそうですが、いざ行ってみると、そのプロジェクトの真摯さにうたれ引き受けることになりました。
さらに、ここでも作品と1対1というスタイルは健在ですが、このできあがった作品「このことを」では、家の下に隙間があって、そこを通る人の気配や生活の音などがどんどん入っていくというのはこれまでの作品にはあり得なかったことでした。
他者というのを徹底的に排除していた90年代の作品に対し、これ以降積極的に他者を引き受けていきます。
大山崎や佐久島で行われた展覧会では、ワークショップすら開催するほど。
そしてこの辺りから作品のタイトルもシンプルになっていきます。
それまでのタイトルは個人的に結構好きだったんですが、これらのソースもこのトークで披露されました。
「遠さの下、光の根はたいら」は、当時知人の紹介で知り合った詩人の佐藤みちお(漢字不明)さんの詩の中にあった言葉だそう。「地上にひとつの場所を」はゴダールの「右側に気をつけろ」の中での台詞からの引用だとか。意外ですね。
今はほとんどの作品に「母型」というタイトルをつけてますね。
これは発電所美術館で行われた展覧会から現れてきた言葉で、豊島美術館の作品も同タイトル。
彼女の作品には「地上」という言葉がよく出てきますが、僕は彼女の作品の中にいる時に、むしろ自分がどこにいるのか、今がいつなのか、といった場所性や時間性から完全に解放される感覚があります。自分が無になるというか、本当に凄まじい感覚ですね。
特に豊島美術館はそうで、あれは1日中いても全然問題ないと思う。
内藤さんは、開館と同時に入るのがおすすめと仰ってました。
10分位は何もない状態からスタートし、続々と地下から水が這い上がっていく光景が繰り広げられるとのこと。また夕方の西日がコンクリートに反射するのも美しいとのことなので、結局一日おらなあかんやん!って笑
また行きたいなぁ。色んな気候で楽しみたいですね。
あと、2009年に開催された神奈川県立近代美術館で行われた展示でも新しいことが起こっていて、それは具象的なモチーフを導入したこと。これまで内藤さんの作品には具体的にものは使っているものの、具象的なモチーフは一切省かれていました。しかし神奈川近美では、プリント柄の布や風船、顔に見立てたボタンなど、今までではありえなかったモチーフがいくつか登場していました。
内藤さんの中でこれらのことは今でも整理中で、これからどう結実していくかを見届けているところなんだとか。
僕は見てませんが、昨年末の東京の個展でも、小さな木の人形の彫り物が登場したらしく、以降NYのグループ展や今現在ベルリンで開催中の個展でもたくさん登場していて、今で300体ぐらいあるそう。めっちゃ気になる!
これからどういう方向に内藤さんが向かっていくのか非常に楽しみです。

<関連記事>
豊島美術館 by 内藤礼+西沢立衛
内藤礼「すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」@神奈川近美鎌倉
直島 再々訪
内藤礼「母型」@ 発電所美術館


ところで、最近国立国際美術館元館長の館畠さんのインタビューが公開されました。
いくつか興味深い部分もあるのでおすすめです。ちょっと長いですが。

日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ 建畠晢インタヴュー1
日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ 建畠晢インタヴュー2

テーマ : アート・デザイン
ジャンル : 学問・文化・芸術

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実はこの3月からがっつりウェブの勉強をしていて、まずはこれまで適当に作ってたstudio90のウェブサイトをリニューして洗練させました。
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