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「描写の芸術ー十七世紀のオランダ絵画」by スヴェトラーナ・アルパース



17世紀オランダ絵画を論ずる上でストイキツァの「絵画の自意識」と双璧を成すであろう、スヴェトラーナ・アルパースの「描写の芸術」。
こちらももちろん絶版です。。。とほほ。
いつも借りてる図書館にも置いてなくて、わざわざ他館から取り寄せました。

まず序文で語られるのは、これまでの美術(絵画)史があまりに言語的に認識しようとしてきたおかげで、視覚体験としての側面を犠牲にしてきたということ。
この図像学的方法は、イタリアの美術史の創始者と言われるヴァザーリやアルベルティなどから伝統的に受け継がれてきた手法であり、あまりに偏り過ぎだと著者は批判します。
同時代のイタリア以外、特にオランダを中心とする北方の絵画を論ずる際に、この手法はほとんど効果がないのではという指摘で、実際昔から言葉に溢れたイタリア芸術に対して、オランダ芸術に関する当時の言説はほとんど残されていない。
「実質的にイタリアで制作された作品だけが真実の絵と呼べるものであり、それゆえにこそ、われわれは優れた絵をイタリア絵画と呼ぶのである。」なんていうミケランジェロによる証言もあるぐらい、当時の西欧の美術=イタリア観は絶対的なものがあり、イタリア以外はあくまで「周縁」と呼ばれる時代が長く続くのが、この美術史感を鍛えた要因なのかもしれません。
イタリアとそれ以外という構図は、「絵画の自意識」の中でもなんとなく垣間見えていましたが、ここまではっきりと書いてはいませんでした。
この辺りは賛否分かれる部分ではあるでしょうが、そう言われてみればそうかも、という説得力を感じます。

第一章では、そんな周縁であり、言説もほとんど残されていない当時のオランダ絵画における、唯一といってもいい位貴重な証言を残した人物として、コンスタンティン・ハインヘンスを取り上げます。
彼は、レンブラントをその初期から評価していたことでも知られ、彼の「自伝」はこの時代のオランダの文化を表象していく上で非常に重要な資料となります。
特に彼は、カメラオブスクーラに非常に強い関心を抱き、自宅に所有していたほど熱狂していたらしい。
オランダ絵画とカメラオブスクーラに関しては、フェルメールを頂点として、数多なる論説がこれまで繰り返し指摘されてきたけれど、本書では、「なぜ」カメラオブスクーラがこれほどオランダ絵画にその影を落としたのかが語られます。
イタリアでは、アルベルティの「絵画論」を引くまでもなく、画家たち自身が作り出す遠近法に力が入れられ、カメラオブスクーラのような自然に任せてしまうようなやり方は邪道だと揶揄されあまり使われなかったそうです。
この態度の違いは、まさにその描画態度の差異を浮き彫りにしています。
オランダ絵画を見ていると、イタリア絵画の読み解かれることを前提とした能動的に観客に語りかけてくる絵画に対して、オランダ絵画は、あまりにあるがままであっけらかんとしていて、ただ見られるだけの受動的な態度が見受けられます。
この受動的態度とカメラオブスクーラの自然から与えられる遠近は合致したのかもしれません。
視覚は人間が主体にあってこそ、というイタリア的観点とは対照的に、オランダ絵画は、時に顕微鏡のように細密になり、時に望遠鏡のように広がるという相対的なものとして視覚を捉えていました。
それ故オランダでは、受動的態度を積極的に遂行すべく(変な言い方)、様々なレンズの探求が行われたそうです。

続く二章では、ヨハネス・ケプラーの視覚モデルと北方絵画の関係性を説いていきます。
ケプラーの視覚モデルとは、デカルトの本の挿絵にもなった有名なモデルで、ストイキツァの「絵画の自意識」でも取り上げられていました。
アルパースは取り上げていませんが、やはりこの絵の最も特徴的な点は、すべての光景が映し出される網膜のさらに後ろにそれを観察する人間が描かれているところだと思います。
つまりこれは、網膜の裏側にまで回り込んで、見えている風景をつぶさに観察し描写しようとする北方の画家たちのその異様とまで言えるような描写癖をも描いているように思えます。
さらにケプラーは、この網膜上に映るイメージを絵像(ピクトゥーラ)と呼び、決して映像と呼ばなかった点が興味深く、ここでもまた絵画、特に北方のありのままを描ききる絵画を意識していたのではないかと話は進んでいきます。
そして北方の絵画には、素描が極めて少なく、むしろ絵画と素描の一致にこそ北方絵画の特質があるのではないかと。実際フェルメールの素描は一枚も発見されておらず、彼は意識的に絵画と素描の間の壁をなくし、素描で通る観察するというプロセスをいきなりキャンバスに表したのではないかと言われています。
素描と絵画の大きな違いは、やはり素描は観察による結果で、絵画は画家自身の表現による結果であるということだと思うんだけど、北方絵画にはその区別は極めて薄く、その逆にイタリアではその壁は非常に厚く、アルベルティの「絵画論」でも、人間があくまで主体であり、その特権化こそが目的であると読めます。彼の場合、絵画は物語であり、北方画家たちにとっては描写する以外の何者でもなかったのでしょう。
しかし、イタリアにも北方画家たちに近い立場の画家がいました。
レオナルド・ダ・ヴィンチです。
彼ほど世界を見ること、知ること、そして絵として描くこととの関係に耐えざる思いをめぐらせた芸術家、あるいは著述家はおそらくいないだろう、とアルパースも認めています。
実際彼は北方画家たちを魅了してやまないカメラオブスクーラを考案した最初の人ですからね。
「画家の精神は鏡のようでなければならない」という、彼の言葉にも表されている、器械としての画家のあり方はまるで北方画家たちと瓜二つです。
しかし、彼の場合、南方の人間主体の絵画モデルと、そうした北方風絵画モデルとがないまぜになり、どちらともつかない魅力が発揮されのではないでしょうか。
また、章後半の南方的遠近感と、北方的遠近感の違いはおもしろかったですね。
南方画家たちの視線はあくまで絵画の外にあるけれど、北方画家たちの視線は絵画の内にあり、それらの視線が一つの空間の中で様々なベクトルを生み出しています。
故に、北方絵画には、鏡などで、身体のあらゆる角度から描かれた図が登場します。
最もそれがよく表わされているのが、ヤン・サーンレダムの銅版画「芸術家とモデル」です。
そこにはモデルの身体と、それを映す鏡と、画家が描くモデルの身体という3つの角度からなる身体が一つの画面の中で描かれています。
一方南方の絵画では、こういう迂回路はせずに、同じポーズをした人物を2人別々の角度から描いたり、マニエリズムに代表されるように、あり得ないポーズによって、一つの身体に複数の視点を無理矢理ねじ込む手法がとられます。後にセザンヌやピカソがやった手法もこちらですね。
また、先のサーンレダムは大聖堂の建築を描いたことでも知られますが、その描き方がまた不思議で、北方の画家らしく複数の消失点からなるアーチが描かれ、サミュエル・ファン・ホーホストラーテンによる「覗き箱」シリーズにもそれは顕著です。
これは、奥の一点を結ぶ一点透視図法を駆使する南方の画家たちとは対照的です。
ここで「ラス・メニーナス」がこういう観点から挙っているのがおもしろいですね。

第三章では、北方の画家たちが対象に向ける注意力と職人技に言及されています。
これは先日読んだばかりの「知覚の宙吊り」とも通じるお話ですね。
ただし、この第三章は個人的にあまり注意を引きつけられなかったので割愛。

そして続く四章、「オランダ絵画における地図制作の影響」と五章「言葉を見ること」は非常におもしろかったですね。
しばしば指摘されることですが、17世紀オランダにおいて、当時の地図の存在は非常に重要な「平面」と認識されます。特にオランダでは地図の制作は盛んに行われ、今や世界地図の基礎をなすメルカトールもこの時代のオランダ人。
フェルメールの絵にもいくつか地図が示され、実際それを制作する地理学者と天文学者まで描いています。
そしてフェルメールの代表作でもあり、この本の表紙にもなっている「絵画芸術」はまさに17世紀の地図を語るのに示唆に富んだ作品。
この本で指摘されていておもしろかったのは、この「絵画芸術」に描かれている地図の上に「描写」を意味する「DESCRIPTIO」と書かれていること。当時の「描写」とは決して視覚的なものではなく、あくまでラテン語のscribo、またはギリシア語のgraphoからくる言葉で、共に「書く」ことを意味する単語でした。
絵画を「描写する」というのは、全くお門違いな使い方であって、本来ならギリシア語のエクフラシスekphrasisという言葉を使うのが一般的でした。
しかし当時のオランダ人にとって、もはや詩人が言葉をつかって表現するのと、画家が筆を使って表現することに境はなく、どちらも「描写」という言葉が使われました。
そして地図制作においてはまさにこの「描写」という言葉が堂々と使われ、ホーホストラーテンをして「優れた地図はなんとすばらしいものか」と言わしめたほど、地図の存在は画家たちにとっても大きな影響を与えていくこととなります。
この地図とオランダの画家たちが描いた風景画の関係は当時のオランダの土地を巡る制度にも由来しているとアルパースは指摘します。
というのも、当時のオランダでは、50%以上の土地は農民自身が所有し、領主の力は弱く無きに等しかったそう。これは領主が国土のほとんどを所有していたイギリスとは大きく違い、地図制作に関わる測量を比較的自由に行うことができたという政治的な背景も影響しているとのこと。
オランダって他の国と今でも多くが違う制度がありますが(マリファナ、売春婦の合法化など)、この当時からおかしかったんですね。。。
ここで様々な地図をめぐる画家たちの風景画が紹介されますが、中でもヤン・クリスターンスゾーン・ミッケル(長)の「アムステルダム眺望」がすごい。。。まるで飛行機に乗って上空から描いたような絵で、なんと地上に落ちる雲の影まで描いている!!
また注の中のモンドリアンと、この時代の地図制作絵画たちを結びつける指摘も中々おもしろいですね。
「モンドリアンのいわゆる抽象表現は、伝統との中断ではなく、むしろわれわれが規定しようとしている地図的伝統を後継しているものではないだろうか」(p394)

そして五章ですが、この「描写」の元となった「書く」という行為に関して、当時のオランダ絵画には多くの文字が描かれている点を指摘します。
例えばものすごく有名な、ヤン・ファン・エイクの「アルノルフィーニ夫妻」やピーテル・サーンレダムの「ユレトレヒトの聖母教会内部」などにも文字は表れていて、どちらも画家の存在を示す書き込みがされています。
この書き込みは、ほとんど絵画の内容に関係がなく、単に「画家自身がそこにいた」ということでしかなく、これは事実を描写しているに過ぎない点がおもしろいですね。
一瞬中国や日本画における、絵と文字の境のなさみたいなことを思い浮かべたんですが、それらは絵と文字が呼応しているのに対して、ここオランダではそれらが全く関係がないんですよね。
南方の絵画が物語的と呼ばれるのに対して、北方の絵画が描写的と呼ばれるのはこの辺に大きな特徴があります。
その点で、ストイキツァの「絵画の自意識」でも散々紹介されてましたが、この本でも出るわ出るわ絵と文字に関する変な絵たち。
7.5ポンド以上もする重い大根がとれたぜ!と紹介する絵とか、まるで額縁に挟まれた手紙のように「拿捕されるロイヤル・チャールズ号」を記述したイェロニムス・ファン・ディーストの絵とか。。。

こうして字や図とほぼ変わらないテンションで描かれてきたまさに「描写の芸術」たちを紹介してきた本書。
最後はフェルメールやレンブラントに特に重点を置きながら書いていますが、やはりレンブラントはこの枠に納めるのは中々至難の業のよう。
本書では、やはり「描写」ということでひとくくりにはできないものもいくつか登場してきたように思います。
当時の絵画を漫画の吹き出しのように会話そのものが描かれているといった指摘も中々苦しいと個人的に感じましたね。
ただ、「描写」というのは、17世紀オランダ絵画を語る上で、やはりとても重要なキーワードだし、ここに正面切って立ち向かっていった著者の意気込みを感じる良著だと感じました。
ストイキツァの「絵画の自意識」と合わせて是非復刊して欲しいですね。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 学問・文化・芸術

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