55th Venice Biennale

昨日、来年のヴェニスビエンナーレ日本館の発表がありましたね。
なんと前回落選だった東京近美の蔵屋美香さんと作家田中功起さんのコンビ!!
前回の発表を見た時、どう考えてもこのコンビやろ!と思ってたのでリベンジうれしい。
その他の組み合わせは以下。
大島賛都x川俣正、岡村恵子x石田尚志、片岡真実x杉本博司、神谷幸江xオノヨーコ、林寿美x河原温
正直岡村x石田組以外今更感が拭えませんね。。。
やっぱり蔵屋x田中組でよかった。
田中さんは前回の発表時に落選案を公開しています。この態度は本当にすごい。
蔵屋美香+田中功起 ヴェネチア・ビエンナーレ日本館指名コンペ 落選案

来年のヴェニスはアーティスティックディレクターにニューミュージアムのキュレーターであり、光州ビエンナーレなど画期的なディレクションを行うマッシミリアーノ・ジオーニってだけでもテンションあがるのに、さらに今回の発表でぜひとも観に行きたくなりました。
さらにアメリカ館はサラ・ジー!
今朝発表されたイギリス館のジェレミー・デラーも楽しみ。
フランス館はアンリ・サラ。うーん、これは別に。
ドイツ館は作家の発表はまだなんかな?前回金獅子賞をとったSusanne Gaensheimerがまたキュレーションするから勝負かけてますね。
日本館も毎年金獅子賞にかすりもしないけど、今回はもしや、と思ってしまいます。
「震災」というキーワードがあったけど、田中さんらしいアプローチ期待してます。

ヴェニスは過去2回行ったことがあって、もういいかな、と思ってたけど来年は是非行きたいですね。


国際交流基金ヴェネツィア・ビエンナーレプレスリリース
2013年ヴェネツィア・ビエンナーレ、アーティスティックディレクター発表(ARTiT)
2013年ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館の作家は田中功起に(ARTiT)

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52 la Biennale di Venezia ♯1
52 la Biennale di Venezia ♯2
52 la Biennale di Venezia ♯3
田中功起「たとえばここ最近の作品をすこし違ったかたちでみせること」@群馬県立近代美術館
サラ・ジー展@エルメス銀座
Sarah Sze @ Victoria Miro

テーマ : アート・デザイン
ジャンル : 学問・文化・芸術

セザンヌ「パリとプロヴァンス」@国立新美術館

非常に楽しみにしていた展覧会。
これだけセザンヌの絵が一同に会する機会は中々ないと思います。
巡回がないので、今回行けて本当によかった。
セザンヌは非常に難しい画家なので、しっかり勉強もしていきました。
読書リストは以下。



特にユリイカの特集は凄まじかった。。。読んでも読んでも終わらない!笑
各方面から対談も含め21の論考が納められています。
なぜサカナクションのボーカルのインタビューが納められているのかは謎です。美術手○みたい。
ってか美術○帖はポロックやセザンヌの特集もせずになにやってるんでしょうね。
話は逸れましたがユリイカ。
中でも冒頭の林道郎さんと松浦寿夫さんの対談はすごくおもしろかった。
当時の印象主義の画家たちが自己を忘却し、自然に即して描ききる中、セザンヌは記憶の持つ作用力に対して執着した画家だという指摘はおもしろいですね。
彼は写真を使って絵を描いたことでも知られています。
自分が美大生の頃、散々写真を見て描くな、と諭されましたが、セザンヌは堂々とそれをやってのけちゃってたんですね。
また、セザンヌの描く人物にしても、女性との接触を極端に拒む彼が行ったヌードの解決が、ルーブルで模写してきた裸体像を自分の絵の中に嵌め込むという方法。かなり大胆です。
水浴図は生涯通していくつも描いていますが、やはりどれも不自然なんですよね。
さすがにヌードのコピペは中々つらいものがあります。
だからいつまでたってもセザンヌのヌードは下手さが見えちゃう。
それに対して風景や静物、身近な人たちの肖像の豊かさは素晴らしいです。
「セザンヌ論」の作者であり、1910年の「後期印象派展」でセザンヌを広くイギリスに紹介したことで知られるロジャー・フライはセザンヌの静物画をこう評しています。

「彼はドラマティックな表現を狙っているわけではないし、台所のテーブル上の果物皿や野菜籠やりんごについてドラマを云々するのも馬鹿げているけれども、それでも彼の手にかかると、これらの場面は何か厳粛な出来事という印象をわれわれに与える。セザンヌの静物画に対して、悲劇的とか脅威的、高貴あるいは叙情的といった言葉は場違いに思われるけれども、それでもやはり、それらの作品が喚起する感情は奇妙にもそうした心的状態に似ているように思われる。これらの静物画が劇的、叙情的、等々ではないのは、何も感情の欠如のせいではなく、削除と凝縮の結果である。いわばこれらの絵は、すべての劇的時事件を取り去ったドラマなのである。われわれが感嘆せざるをえないセザンヌのジャンルの傑作以上に、かくも厳粛で力強く重厚な感情を喚起した絵がこれまであったろうか。」

すごいですね。でもなんだかわかります。
また、ナビ派の画家ポール・セリジェはこう語ります。

「低俗な画家の描いたりんごを見て、人は、”食べてみたくなる”と言うだろう。しかしセザンヌのりんごの前では”美しい!!”と言うほかはない。人はそのりんごの皮を剥きたいとは思わず、模写したいと思うだろう。そこにセザンヌの精神主義の内実がある。私がそれを理想主義と呼ばないのには理由がある。理想的なりんごは粘膜を刺激するが、セザンヌのりんごは眼を通じて精神に語りかけるからである。」

そうなんですよね。セザンヌの描くりんごは決して美味しそうじゃない。
なのに異常に魅力的なのは、りんごの存在そのものを画面に埋め込んでいるから。
特に彼の塗り残しは見事です。
セザンヌはよく自分の絵を「エチュード」と呼んでいました。
「スケッチ」や「エスキース」と「タブロー」の間のことを「エチュード」と呼ぶそうなんですが、その未完成性こそセザンヌの絵画の魅力のひとつかもしれません。
それにしても、うす塗りの時があったかと思いきや、厚く絵の具を塗り込めたり、同じモチーフに対して色んな方法で立ち向かっていく彼の姿がこの展覧会でも見られますが、とことん読めない画家ですね。
初期=厚塗り、後期=うす塗りというのはほとんど通用しません。
「庭師ヴァリエ」なんて、今回厚塗りバージョンとうす塗りバージョンが出てますが、どちらも1906年ですものね。セザンヌが亡くなる年、最晩年も最晩年です。
こうして未だに彼を表する言葉が中々見つからないわけですが、その奇妙さを味わえるだけでもこの展覧会は非常に価値があると思います。
6月11日まで。http://cezanne.exhn.jp/

さらに国立新美術館では現在エルミタージュ展も同時開催!
GWだし、2つ合わせてどうなることかと思いきや、入場制限もなく予想より人少なめでよかった。
エルミタージュ展では、16世紀ぐらいから20世紀まで一気に駆け巡る展示。
一緒に見ると、セザンヌに至るまでの道筋がよく見える気がします。
特に今回ヤン・ステーンやらの17世紀オランダ絵画をいくつか見られたのがよかった。
先日アルパースの「描写の芸術」読んだとこやったし。
やっぱ勉強しながら見ると楽しいですね。
それにしてもやっぱり今回のメインでもあるマティスの「赤い部屋」は素晴らしかった。
縁が違う色になってるのとか不可解すぎるけど、あの開放感はすごい。
セザンヌ展にはマティスが生前所有していた水浴図が出ていたけれど、マティスは「セザンヌが正しければ、わたしは正しい」といって、セザンヌも自分自身も信じ続けていたそうです。
この絵の中にも、セザンヌが近代絵画の父と呼ばれる所以が見て取れる気がしました。
エルミタージュ展は7月16日まで。http://www.ntv.co.jp/hermitage2012/

国立新美術館は5周年ということもあって、次回の「具体展」(07.04-09.10)といい、「リヒテンシュタイン展」(10.03-12.23)といい攻めますねー。


さわひらき「Lineament」@ SHISEIDO GALLERY

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軽井沢から東京に戻ってきて、東京駅から直行で資生堂ギャラリーへ。
気になってたさわさんの展示。
ものすごくよかった!!
特にメインの「Lineament」は18分もあったけど全く飽きさせない。
むしろ延々とループで見ていたい位美しい映像。
どういう意味?とかもはや飛び抜けてる感じがする。これはすごい。
以前水戸で観た映像から、回転するモチーフが現れてたけど、今回の映像でもたくさん回転するモチーフが現れてた。そして珍しく人物がモチーフになってたのも特徴的。
記憶の糸を表す糸の流れ方が本当にきれいでうっとりしました。
音楽も相変わらずすばらしいです。
奥にもふたつの映像作品。さらに外壁、隣のビルと、さわひらきオンパレード。
さわさんファンにはたまらない展示でした。
もうこれ観たら他に余計なもの観なくて結構ってことで、もうひとつ行く予定をキャンセルでした。
6月17日まで。おすすめ。


ゲルダ・シュタイナー&ヨルク・レンツリンガー「力が生まれるところ」@水戸芸術館

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もはや覚えさせる気ないやろ、っていうコンビ名。。。覚えたけど。
彼らの作品は、金沢のオープニング展で初めてみてすごく感動したのを思い出します。
海岸から打ち上げられたようなものたちを組み合わせた壮大なインスタレーション。
また新たに彼らの作品が見れるのか!と思って期待して行ってきました。
が、あの日の感動はよみがえることはありませんでした。。。
何やろ、参加型作品たちの安っぽさが鼻について全然純粋に観れなかった。
金沢同様見上げる作品も、さあ寝転んで見よ!って感じになってて興ざめ。
廊下の人を持ち上げて否応無く笑顔になってしまう写真作品と、最後の最後、ウォーターベッドの上で寝転んで、原生生物たちのプロジェクションを観る作品は非常に楽しめたのが救い。あれはよかった。いつまでも眺めていたい心地よさがありました。
うーん。なんか、最近の水戸芸は期待はずれが多いな。。。
以降の展示、「3・11とアーティスト: 進行形の記録」(10.13-12.09)とか、「高嶺 格のクール・ジャパン」(12.22-02.17)とかどうなんやろか。「坂 茂 建築展(仮)」(03.02-05.12)は期待できそう。
ショップで半額になってたタレルのカタログ購入。

テーマ : アート・デザイン
ジャンル : 学問・文化・芸術

「現代美術の楽園」@ セゾン現代美術館

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軽井沢レポート第2弾。
今回のメインはセゾン現代美術館です。
噂には聞いてたけど、マジですごかった。。。
まず、入ってその敷地の広さにびっくり。
イサムノグチらの野外彫刻が点在してますが、もうランドスケープですね。川も流れてる。
美術館自体は菊竹清順氏のデザイン。
日本の伝統建築に見られる横長の建物ですね。
ぐるっと庭園一周していざ中へ。

入って即効カプーアが転がっててびっくり。。。
その横には中西夏之の絵画だし、上にはカルダーだし、デュシャンボックスあるし。。。
のっけからヤバいです。
会場に向かう通路にもデュシャンとマンレイのオンパレードでたまにジョーンズ。
ウォーホルやリキテンシュタインがあるかと思えば、隣の部屋ではキーファーの重々しいインスタレーションにアバカノヴィッチのさらに重々しいインスタレーション。。。そして次の部屋からはまたウォーホルの版画がずらっと並べられてて、シーガルの彫刻があって、フォンタナにクライン。。。。。。。すごすぎるっ!
2階へと続くスロープ途中では神々しくロスコが待ち構えていました。
あの絵の為にしつらえられたスペースって感じやったけど、あの絵はずっとあそこなんかな?
もう本当にぴったり収まってて素晴らしかった。
そしてまたジョーンズのダーツの的の絵があって、同じ部屋のポロックは近美のポロック展に貸し出されてました。
しばらく大きな絵が続きます。個人的に中村一美の絵が見れたのはよかった。
すると廊下で大きな音がして、行ってみるとティンゲリーの巨大彫刻が動き出してた。
うーん、まあいいけどあまり好きではありません。
その後ろには巨大なキーファーの絵(?)があって、その横にはクリストのポンヌフ橋のドローイング。素晴らしいです。
そんなこんなでつらつら書きましたが、20世紀美術がぎっしり詰まってました。
現代美術好きなら一度は行って損はないと思います。本当に素晴らしかった。
最後に、ところどころ壁が黒く塗られていることに気づいて、最初何かの補修跡かと思ったけど、それにしては装飾的やな、と思って聞いてみたら、以前ヴァリーニが展覧会やった時の名残らしい。
外の窓から見るとわかるというので、撮影するとこんな感じ。最後まで楽しめました!

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あと、軽井沢現代美術館にも行きました。
こちらでは「海を渡った画家たち―草間彌生を中心に―」という展覧会がやってて、確かに草間さんオンパレードでした。あとは奈良さんと村上さんとかまあスター勢揃いって感じ。
具体やもの派も一通りそろってたし、名和さんとかの若手の作品も何点か。
2階ではまた別の企画展やってたけど、そんなことより部屋になってない部分がなぜか工事途中って感じでコンクリむき出しになっててすごいかっこよかった。
奈良さんの犬のぬいぐるみが置いてるだけやったけど、あそこもう少し活かすべき。
別の部屋では村上さんと草間さんの版画が売ってたけど、美術館が売るってどういうこと?
美術館って名前やけど、大きなギャラリーって感じなんかな。
話聞くと、草間さんは昨年から値段が1.5倍ぐらいになってるから今が買いとのこと笑
それよか最後にリンゴジュースとクッキーのサービスがあってほっこり。
アットホームな美術館でこれはこれでありでした。


また、つい先日(4月27日)にオープンしたばかりの軽井沢ニューアートミュージアムへ。
これがまあ、はっきり言って最低の美術館でした。
こんな典型的な箱もの行政まだやってんのか。。。って感じ。
まず、1600円って入場料がありえへんやろ。高すぎる。
そんでもって、注意書きってのを渡されて、何か特別な作品があるのかと思いきや、館内はお静かに、とか作品には触れるな、とか当たり前のことをつらつら書いてた。そんなもんどっかに書いときゃええやろ。わざわざ念押しみたいに渡されて感じ悪い。
コレクションは確かにすごかった。でも展示がわるすぎ。
持ってるもんは一流でも、ただ陳列されてるだけって感じでキュレーションはないに等しい。
ホンマに寄せ集めって感じで、テーマも何もあったもんじゃなかった。
伊東豊雄さんの建築模型があってうれしかったけど、その隣に宮田亮平のイルカの彫刻とかわけわからへんし。
ギャラリーもお決まりのホワイトキューブで全然おもしろくない。
1600円は何に払わされたのかまったくわからんかった。
しかも繁忙期みたいな感じで、6月から値上がりの1900円。さらに7月21日 ~ 8月26日は2500円!!
中身がそんなに変わるの?意味が分からん。
もうホンマこんなことやってるからあかんねん。時代錯誤も甚だしい。
千住博美術館観た後だっただけにその差が歴然でした。
しかも泊まってたペンションの人たちもこの美術館のこと知らされてなくて、地域との連携もとれてないご様子。セゾンさんは毎回チラシと招待券を地域の関係者に配ってるらしいのに。
書きながらまた怒りが込み上げてきました。失礼しました。

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軽井沢千住博美術館 by 西沢立衛

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GW、軽井沢に行ってきました!
乗り換えの東京駅は凄まじい人の数でもみくちゃになった。。。
GWにでかけるもんじゃない、ってのはわかってたんですが。。。
たどり着いた軽井沢はあいにくの小雨で、晴れたり曇ったり変な天気。

軽井沢には現代美術館がいくつかあります。
関西には一つもないのにこの密集率はすごい。
いつかまとめて行きたいと思ってました。

中でも昨年秋にオープンしたばかりの千住博美術館は最も行きたかった美術館。
なんといっても建築は西沢立衛氏。
で、最初駐車場に着いて、見つけたのはカフェとショップのある建物。
それがこれ。

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ウソ、だろ。。。
いつの間に西沢さんデコン建築にいっちゃったの??
SANAA独特の流れるような自由曲線はどこいった??
ってか、デコンにしてもなんて安っぽさ。。。
こんなものの為にはるばる来たのか。。。orzって感じになりかけたけど、美術館は他にあることがわかって大いに安心。てかこれ誰がデザインしたん?
でもこれの中には軽井沢で有名なパン屋、浅野屋さんが入ってておいしくランチしました。
なのでこっちはこっちでまあよし。

で、肝心の美術館はこちら。

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はい、流れるような自由曲線ですね。
中は残念ながら撮れなかったんですが、この中がすごい!期待以上でした。
いくつか写真が美術館のサイトに載ってたものの、あれでは全然この美術館の魅力伝えられてないことが実際行くとわかります。
ローザンヌのように、近年SANAAが追求するワンルーム建築。
視界がぱっと開けて素晴らしい眺めでした。
壁がいくつか立てられて、そこに千住さんの静謐な滝の絵がかけられてます。
いくつか中庭的なボイドがあって、そこからの自然光で中は満たされてます。
ひとつだけ唯一囲まれた部屋があるけど、そこではブラックライトに浮かぶ滝のインスタレーションとも言える空間があって、これも感動。
でもなんといっても、床が、元の敷地の傾斜を利用して、なだらかにうねっています。
なので、立つ位置によってまったく風景が変わる。これは体験してみないとわかりません。
その変化が本当に同じ空間なのか?ってぐらい劇的に表情を変えます。
そのうねりやらなんやらはこの貧相な外観写真からご想像ください。。。
千住さんの初期からの絵も飾られててよかったです。

軽井沢千住博美術館>>http://www.senju-museum.jp/

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「描写の芸術ー十七世紀のオランダ絵画」by スヴェトラーナ・アルパース



17世紀オランダ絵画を論ずる上でストイキツァの「絵画の自意識」と双璧を成すであろう、スヴェトラーナ・アルパースの「描写の芸術」。
こちらももちろん絶版です。。。とほほ。
いつも借りてる図書館にも置いてなくて、わざわざ他館から取り寄せました。

まず序文で語られるのは、これまでの美術(絵画)史があまりに言語的に認識しようとしてきたおかげで、視覚体験としての側面を犠牲にしてきたということ。
この図像学的方法は、イタリアの美術史の創始者と言われるヴァザーリやアルベルティなどから伝統的に受け継がれてきた手法であり、あまりに偏り過ぎだと著者は批判します。
同時代のイタリア以外、特にオランダを中心とする北方の絵画を論ずる際に、この手法はほとんど効果がないのではという指摘で、実際昔から言葉に溢れたイタリア芸術に対して、オランダ芸術に関する当時の言説はほとんど残されていない。
「実質的にイタリアで制作された作品だけが真実の絵と呼べるものであり、それゆえにこそ、われわれは優れた絵をイタリア絵画と呼ぶのである。」なんていうミケランジェロによる証言もあるぐらい、当時の西欧の美術=イタリア観は絶対的なものがあり、イタリア以外はあくまで「周縁」と呼ばれる時代が長く続くのが、この美術史感を鍛えた要因なのかもしれません。
イタリアとそれ以外という構図は、「絵画の自意識」の中でもなんとなく垣間見えていましたが、ここまではっきりと書いてはいませんでした。
この辺りは賛否分かれる部分ではあるでしょうが、そう言われてみればそうかも、という説得力を感じます。

第一章では、そんな周縁であり、言説もほとんど残されていない当時のオランダ絵画における、唯一といってもいい位貴重な証言を残した人物として、コンスタンティン・ハインヘンスを取り上げます。
彼は、レンブラントをその初期から評価していたことでも知られ、彼の「自伝」はこの時代のオランダの文化を表象していく上で非常に重要な資料となります。
特に彼は、カメラオブスクーラに非常に強い関心を抱き、自宅に所有していたほど熱狂していたらしい。
オランダ絵画とカメラオブスクーラに関しては、フェルメールを頂点として、数多なる論説がこれまで繰り返し指摘されてきたけれど、本書では、「なぜ」カメラオブスクーラがこれほどオランダ絵画にその影を落としたのかが語られます。
イタリアでは、アルベルティの「絵画論」を引くまでもなく、画家たち自身が作り出す遠近法に力が入れられ、カメラオブスクーラのような自然に任せてしまうようなやり方は邪道だと揶揄されあまり使われなかったそうです。
この態度の違いは、まさにその描画態度の差異を浮き彫りにしています。
オランダ絵画を見ていると、イタリア絵画の読み解かれることを前提とした能動的に観客に語りかけてくる絵画に対して、オランダ絵画は、あまりにあるがままであっけらかんとしていて、ただ見られるだけの受動的な態度が見受けられます。
この受動的態度とカメラオブスクーラの自然から与えられる遠近は合致したのかもしれません。
視覚は人間が主体にあってこそ、というイタリア的観点とは対照的に、オランダ絵画は、時に顕微鏡のように細密になり、時に望遠鏡のように広がるという相対的なものとして視覚を捉えていました。
それ故オランダでは、受動的態度を積極的に遂行すべく(変な言い方)、様々なレンズの探求が行われたそうです。

続く二章では、ヨハネス・ケプラーの視覚モデルと北方絵画の関係性を説いていきます。
ケプラーの視覚モデルとは、デカルトの本の挿絵にもなった有名なモデルで、ストイキツァの「絵画の自意識」でも取り上げられていました。
アルパースは取り上げていませんが、やはりこの絵の最も特徴的な点は、すべての光景が映し出される網膜のさらに後ろにそれを観察する人間が描かれているところだと思います。
つまりこれは、網膜の裏側にまで回り込んで、見えている風景をつぶさに観察し描写しようとする北方の画家たちのその異様とまで言えるような描写癖をも描いているように思えます。
さらにケプラーは、この網膜上に映るイメージを絵像(ピクトゥーラ)と呼び、決して映像と呼ばなかった点が興味深く、ここでもまた絵画、特に北方のありのままを描ききる絵画を意識していたのではないかと話は進んでいきます。
そして北方の絵画には、素描が極めて少なく、むしろ絵画と素描の一致にこそ北方絵画の特質があるのではないかと。実際フェルメールの素描は一枚も発見されておらず、彼は意識的に絵画と素描の間の壁をなくし、素描で通る観察するというプロセスをいきなりキャンバスに表したのではないかと言われています。
素描と絵画の大きな違いは、やはり素描は観察による結果で、絵画は画家自身の表現による結果であるということだと思うんだけど、北方絵画にはその区別は極めて薄く、その逆にイタリアではその壁は非常に厚く、アルベルティの「絵画論」でも、人間があくまで主体であり、その特権化こそが目的であると読めます。彼の場合、絵画は物語であり、北方画家たちにとっては描写する以外の何者でもなかったのでしょう。
しかし、イタリアにも北方画家たちに近い立場の画家がいました。
レオナルド・ダ・ヴィンチです。
彼ほど世界を見ること、知ること、そして絵として描くこととの関係に耐えざる思いをめぐらせた芸術家、あるいは著述家はおそらくいないだろう、とアルパースも認めています。
実際彼は北方画家たちを魅了してやまないカメラオブスクーラを考案した最初の人ですからね。
「画家の精神は鏡のようでなければならない」という、彼の言葉にも表されている、器械としての画家のあり方はまるで北方画家たちと瓜二つです。
しかし、彼の場合、南方の人間主体の絵画モデルと、そうした北方風絵画モデルとがないまぜになり、どちらともつかない魅力が発揮されのではないでしょうか。
また、章後半の南方的遠近感と、北方的遠近感の違いはおもしろかったですね。
南方画家たちの視線はあくまで絵画の外にあるけれど、北方画家たちの視線は絵画の内にあり、それらの視線が一つの空間の中で様々なベクトルを生み出しています。
故に、北方絵画には、鏡などで、身体のあらゆる角度から描かれた図が登場します。
最もそれがよく表わされているのが、ヤン・サーンレダムの銅版画「芸術家とモデル」です。
そこにはモデルの身体と、それを映す鏡と、画家が描くモデルの身体という3つの角度からなる身体が一つの画面の中で描かれています。
一方南方の絵画では、こういう迂回路はせずに、同じポーズをした人物を2人別々の角度から描いたり、マニエリズムに代表されるように、あり得ないポーズによって、一つの身体に複数の視点を無理矢理ねじ込む手法がとられます。後にセザンヌやピカソがやった手法もこちらですね。
また、先のサーンレダムは大聖堂の建築を描いたことでも知られますが、その描き方がまた不思議で、北方の画家らしく複数の消失点からなるアーチが描かれ、サミュエル・ファン・ホーホストラーテンによる「覗き箱」シリーズにもそれは顕著です。
これは、奥の一点を結ぶ一点透視図法を駆使する南方の画家たちとは対照的です。
ここで「ラス・メニーナス」がこういう観点から挙っているのがおもしろいですね。

第三章では、北方の画家たちが対象に向ける注意力と職人技に言及されています。
これは先日読んだばかりの「知覚の宙吊り」とも通じるお話ですね。
ただし、この第三章は個人的にあまり注意を引きつけられなかったので割愛。

そして続く四章、「オランダ絵画における地図制作の影響」と五章「言葉を見ること」は非常におもしろかったですね。
しばしば指摘されることですが、17世紀オランダにおいて、当時の地図の存在は非常に重要な「平面」と認識されます。特にオランダでは地図の制作は盛んに行われ、今や世界地図の基礎をなすメルカトールもこの時代のオランダ人。
フェルメールの絵にもいくつか地図が示され、実際それを制作する地理学者と天文学者まで描いています。
そしてフェルメールの代表作でもあり、この本の表紙にもなっている「絵画芸術」はまさに17世紀の地図を語るのに示唆に富んだ作品。
この本で指摘されていておもしろかったのは、この「絵画芸術」に描かれている地図の上に「描写」を意味する「DESCRIPTIO」と書かれていること。当時の「描写」とは決して視覚的なものではなく、あくまでラテン語のscribo、またはギリシア語のgraphoからくる言葉で、共に「書く」ことを意味する単語でした。
絵画を「描写する」というのは、全くお門違いな使い方であって、本来ならギリシア語のエクフラシスekphrasisという言葉を使うのが一般的でした。
しかし当時のオランダ人にとって、もはや詩人が言葉をつかって表現するのと、画家が筆を使って表現することに境はなく、どちらも「描写」という言葉が使われました。
そして地図制作においてはまさにこの「描写」という言葉が堂々と使われ、ホーホストラーテンをして「優れた地図はなんとすばらしいものか」と言わしめたほど、地図の存在は画家たちにとっても大きな影響を与えていくこととなります。
この地図とオランダの画家たちが描いた風景画の関係は当時のオランダの土地を巡る制度にも由来しているとアルパースは指摘します。
というのも、当時のオランダでは、50%以上の土地は農民自身が所有し、領主の力は弱く無きに等しかったそう。これは領主が国土のほとんどを所有していたイギリスとは大きく違い、地図制作に関わる測量を比較的自由に行うことができたという政治的な背景も影響しているとのこと。
オランダって他の国と今でも多くが違う制度がありますが(マリファナ、売春婦の合法化など)、この当時からおかしかったんですね。。。
ここで様々な地図をめぐる画家たちの風景画が紹介されますが、中でもヤン・クリスターンスゾーン・ミッケル(長)の「アムステルダム眺望」がすごい。。。まるで飛行機に乗って上空から描いたような絵で、なんと地上に落ちる雲の影まで描いている!!
また注の中のモンドリアンと、この時代の地図制作絵画たちを結びつける指摘も中々おもしろいですね。
「モンドリアンのいわゆる抽象表現は、伝統との中断ではなく、むしろわれわれが規定しようとしている地図的伝統を後継しているものではないだろうか」(p394)

そして五章ですが、この「描写」の元となった「書く」という行為に関して、当時のオランダ絵画には多くの文字が描かれている点を指摘します。
例えばものすごく有名な、ヤン・ファン・エイクの「アルノルフィーニ夫妻」やピーテル・サーンレダムの「ユレトレヒトの聖母教会内部」などにも文字は表れていて、どちらも画家の存在を示す書き込みがされています。
この書き込みは、ほとんど絵画の内容に関係がなく、単に「画家自身がそこにいた」ということでしかなく、これは事実を描写しているに過ぎない点がおもしろいですね。
一瞬中国や日本画における、絵と文字の境のなさみたいなことを思い浮かべたんですが、それらは絵と文字が呼応しているのに対して、ここオランダではそれらが全く関係がないんですよね。
南方の絵画が物語的と呼ばれるのに対して、北方の絵画が描写的と呼ばれるのはこの辺に大きな特徴があります。
その点で、ストイキツァの「絵画の自意識」でも散々紹介されてましたが、この本でも出るわ出るわ絵と文字に関する変な絵たち。
7.5ポンド以上もする重い大根がとれたぜ!と紹介する絵とか、まるで額縁に挟まれた手紙のように「拿捕されるロイヤル・チャールズ号」を記述したイェロニムス・ファン・ディーストの絵とか。。。

こうして字や図とほぼ変わらないテンションで描かれてきたまさに「描写の芸術」たちを紹介してきた本書。
最後はフェルメールやレンブラントに特に重点を置きながら書いていますが、やはりレンブラントはこの枠に納めるのは中々至難の業のよう。
本書では、やはり「描写」ということでひとくくりにはできないものもいくつか登場してきたように思います。
当時の絵画を漫画の吹き出しのように会話そのものが描かれているといった指摘も中々苦しいと個人的に感じましたね。
ただ、「描写」というのは、17世紀オランダ絵画を語る上で、やはりとても重要なキーワードだし、ここに正面切って立ち向かっていった著者の意気込みを感じる良著だと感じました。
ストイキツァの「絵画の自意識」と合わせて是非復刊して欲しいですね。

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