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田中真吾「白の解態」 @ studio90 #1

皆様、

GWも近づき、いよいよ春本番ですがいかがお過ごしでしょうか。

studio90では、スタジオ企画第11回展覧会として田中真吾「白の解態」を開催します。
作家がこれまで向き合ってきた炎とホワイトキューブに対する新たなチャレンジとなります。
是非ご高覧ください。


田中真吾「白の解態」
2012年4月28日(土)-6月3日(日)
土・日のみオープン

http://www.studio90.info/exhibition011.htm

また、本企画は「KYOTO OPEN STUDIO 2012」の関連企画でもあります。
期間中京都市内にある様々なアトリエが期間中公開されておりますので合わせてご覧ください。
http://kyotoopenstudio.tumblr.com/


さらに、作家の田中真吾は27日より開催されるアートフェア「ART KYOTO 2012」にも参加しております。
こちらも合わせてご観覧いただければ幸いです。
http://www.artkyoto.jp/

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川辺ナホ「ブリューテンシュタウブ」@ Port Gallery T

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今月もほとんど展覧会観ないまま終わっていく。。。
ということで今月は4つ。ってまだ終わってないけどもうないかな。

その中でも最もよかったのは川辺ナホさんのPort Gallery Tでの展示。
昨年のshiseido art eggで記憶されてる方も多いのではないでしょうか。
僕はその展示は観てないんですが、今回観られて本当によかった。
ちょうどshiseido art eggの際にあの地震が起き、あの状況下で自分の作品を誰かに見せているというのは中々考えることも多かったと思う。
しかも川辺さんはドイツ在住で、母国が大変なことになっている中での海外生活とは中々つらいことも多かったと勝手に想像してしまいます。
そしてその一年を通して結実させたのが今回の展覧会だったんじゃないかな。
展示会場に置かれている作品は、すべてがモノクロームの世界。
しかもほとんどが黒。
普通黒というと、あまり元気になる色ではないのだけれど、にも関わらず、僕はひたすら彼女の作品に光を感じて、何か救われた気持ちになりました。
床に撒かれたレース模様の黒鉛は、カーテン越しに差し込む柔らかな光を想起させ、暗闇に点灯するクリスマスの明かりを撮影した写真にも人間の営みの中に欠かせない光を感じた。
映像も、暗闇の中を照らす作品だし、すべてに光の存在が欠かせなかった。
今回の展覧会のタイトルは、ドイツロマン派の詩人、ノヴァーリスの散文集のタイトルからとられた「花粉」を意味するドイツ語だそうだけど、やはり僕はこの展覧会に名前をつけるとしたら「Lichter(光)」だと思う。
あの小さな空間にメディアも違う様々な作品が置かれていたけれど、全てが一貫していて、すばらしい調和を織りなしていてとても気持ちよかった。
この展覧会は会期が延長され、GW中も日と月曜以外はオープンしてるみたいなんで、関西来られる方は是非。きっと清々しい気持ちになれます。
それにしても床のインスタレーションはどうなってるのだろう。。。オープニングで既に踏まれていたけれど、その崩れ方がまたすごく美しくてよかったなぁ。
ここのギャラリーは小さな空間の中で絶妙なバランスの展示が多くてお気に入りです。
http://www.portgalleryt.com/exhibitions/naho_kawabe_2012.html


越野潤「two colors」@ GALERIE ASHIYA SCHULE

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知人作家の越野さんの展示。
今年できたばかりの芦屋の画廊です。
芦屋に画廊ってどんだけハイソなんだ。。。
どこか円山公園のeNartsと同じ匂いがしますね。
行ってみたら、建物まるごとギャラリーでびっくり。
この感じは恵比寿のMA2 Galleryみたいな感じですね。ただしこちらは一階のみ。
この建物、中も四角ではなく、不思議な形をしています。
決してやりやすいとは言いがたい空間ですが、今回の越野さんの展示は見事にその空間を扱っていたように思えます。
まるで建物の切り取り線のように小さな矩形の作品たちが壁をぐるりと囲みながら、観客を奥へ奥へと誘導していきます。
小さなアルミの周りの反射も美しくてよかったです。
残念ながら展覧会自体は終了しています。
にしても芦屋にマクドナルドがあるのがびっくりでした。


今村遼佑、久門剛史2人展「雨とクオンタイズ」@ Antenna Media
ここも初めて行く空間。Antennaさんの基地みたいな場所です。
元々工場かなんかを見事に改装していました。場所も五条にあって便利。
今回友人作家の今村君の展示がやってたので行ってきました。
今回今村君はなんと映像作品を出してました!
映像というより音にすごく関心があるのがわかる映像で、アプローチがやはり映像作家とは何か違う感じがしておもしろかったです。こういうどんな素材も平等に扱っていけるのが今村君の強みですね。これから映像がどうなっていくのかまた楽しみです。
さらに2階は今村君と久門さんの作品が融合したような空間が出来上がっててびっくり。
お互いが無理にコラボレーションしてるのではなく、各々自分の作品展示してるうちにそうなったみたいな感じがすごくよかった。
こちらも終了済みです。


佐川好弘「orz」@ GALLERY wks.
先日知り合った佐川君の個展。
orzをテーマに、様々なアプローチで作品が展開してましたが、いかんせん説明がないとわかんないことが多くて片山さん(オーナー)が大変そうでしたw
まずorzが何かわかんない人が多いそう。
僕も最初擬音語か何かと思ってて、結構わかるまで時間がかかったのを覚えてます。。。
そしてDMになってるイメージは、ある漫画から主人公がひざまづいているシーンを切り抜いたもので、その元ネタ漫画も置いてあるのだけれど最初なんのこっちゃわかりませんでした。
挫折と希望というテーマから導きだした答えがこの漫画のタイトルなんですが、ヒントはある場所の土です。球児たちが持って帰るあの場所です。
それにしてもあの土が販売されてると聞いてびっくりしました。
奥の部屋にはその土を陶土に混ぜて、orzの形に焼いた陶作品がズラッとならんでました。
そしてさらに奥には、orzのoの部分に顔を入れて記念撮影できるパネルまで笑
しかもその足下には短距離走の時の足場が組まれていて、ひざまづくポーズが自ずとクラウチングスタートになるという小技までw
僕は時間なくてできなかったけど、ちょうど行ったらやってはって面白かった。
片山さんがフェイスブックにアップしているらしいwww
この展覧会も終了しちゃいました。


「建築と無常」@関西日仏会館
会期が一週間だけだったので、もう行けないと思ってましたが行けました!
京都大学の前にある洋館でめっさいい感じ。
しかも中は黄色く塗られてたりイチイチおされ。
午後から表の庭でスタッフがお茶しててめっちゃ優雅・・・。
展覧会がどこでやってるのかいまいちわからずスタッフに聞いたら片言の日本語で案内してくれました。
目的はなんといっても大舩真言さんの作品。
しかも今回は映像作品まで出されてるというので興味津々でした。
大舩さんの作品は4点。3点は日本画で、奥の光を調整して見せる丸い作品はやはり見事。
そしてその作品を撮った映像作品がものすごくよかった!
大舩さんの作品は光や時間によって、ものすごく変化するのだけれど、その変化はいつの間にかといった感じでいつもその瞬間は捉えられない。
でも映像になると、ひとつフィルターが入ることで客観的に見えて、その変化をつぶさに観察することができました。
作品的に野外での展示はむずかしいのだけれど、写真や映像であれば可能だし、大舩さんの作品は変化に富んだ野外で見るのにもってこいの作品だと思います。
まあ、写真や映像になると、説明的になりすぎるきらいももちろんあるけれど、こうして作品と一緒にならべられることで互いに補完しあえる感覚がありましたね。
他の作家さんでは、ミュリエル・ラディックの写真がものすごくきれいだった。
インクジェットの黒ってすごく好きです。
近藤高弘さんの作品は正直よくわからなかった。
ところでエリザベス・クレゼヴーの作品はどこにあったのだろう?
行けてよかったです。4月28日まで。

テーマ : アート・デザイン
ジャンル : 学問・文化・芸術

「知覚の宙吊り─注意、スペクタクル、近代文化」by ジョナサン・クレーリー



ジョナサン・クレーリーの「知覚の宙吊り」と「観察者の系譜」を読了。
彼の単著としてはこの2冊しかありません。
寡作ながら視覚論を考えるには今や避けて通れない論客と言えるかもしれません。
とはいえ、もう読むのに滅茶苦茶苦労しました。
この2冊に言えるのは、問題が非常に広範囲に渡っていること。
てっきり美学に終始した本かと思ってたら大間違い。
心理学から精神医学、哲学や社会学や行動学、現象学、経済学。。。。
あらゆる学問が織り交ぜられています。
「観察者の系譜」→「知覚の宙吊り」という順番で読みましたが、これは正解でした。

「観察者の系譜」は、教科書的な本です。
視覚論にすんごく興味のある人以外が読んでもほとんどおもしろくないと思います。
19世紀の視覚に関する知識の革命、つまり、デカルトあたりが論じていたカメラオブススクーラのような透明モデルから、次第に解明されていく視覚(知覚)の不安定さ(散漫さ)をどう解消していくかの道程がこれでもかと言わんばかりに丁寧に書き連ねられています。
1冊持っておいて、この辺りどういう順番やったっけ?という感じで、後で参照したりするのにはいいかもしれませんね。
なんしか、本としてのおもしろさは個人的に感じられませんでした。

しかし、「知覚の宙吊り」になると、この「観察者の系譜」で培われた歴史感が大いに生かされて、はるかにおもしろい読み物と化します。
テーマを近代の「注意」に対する考え方に絞り、その具体的モデルをマネの「温室にて」スーラの「サーカスのパレード」セザンヌの「松と岩」という3つの作品に託し、さらに1879年、1888年、1900年という具体的年代に立脚しながらその背景がつづられていきます。
それにしても、やはり広範な情報がこの本の中でも溢れまくっていて、あっちこっちに連れて行かれる感覚があり、個人的には「注意散漫」になってしまった感は否めません。
特にスーラを扱った第三章。この章だけで116ページもあります。
マネの第二章が66ページ、セザンヌの第四章が76ページに対してあまりに多いページ数。
それ深読みすぎやろ!ってのが多かったのも第三章。
特に「サーカスのパレード」の左側の木が、当時話題だったヘルムホルツの「生理光学論」に出てくる網膜血管を表す樹木モデルの暗示ではないかという指摘はちょっとやりすぎだと思うんですが。。。
原注がやたらに多いのもこの本の特徴。なんと169ページもあります。。。
ちなみにこの第三章には286個もの注がついているという鬼畜っぷり!
(ちなみに第二章には128個、第四章には178個でした)
また、当時登場してきた様々な視覚を扱う器械が登場するんですが、どれがどれかわからん!
カイザーパノラマキネトスコープステレオスコープゾートロープタキストスコープフェナキストスコーププラクシノスコープ、、、
こういうのって、いくら言葉で説明されてもよくわかんないんですよね。。。
まあ、その中でもエミール・レイノーによる、プラクシノスコープの図像とスーラの「サーカス」の類似の指摘は興味深かったですね。
スーラの絵って確かにこういうアニメーションがかかった図像がいくつかあります。
最も有名な「グランド・ジャット島の日曜日の午後」はとても静的なイメージですが、どこかアニメっぽいんですよね、描き方が。
スーラと言えば、光学的な捉えられ方の方が先攻して、描かれているモチーフ自体に深く切り込んだ論考ってあまり読んだことがなかったので新鮮でした。
あと、これまであまり取り上げられることの少ないマネの「温室にて」を取り上げているのもおもしろい。
この女性の表情と当時解明されていく病理学とが結びついていくのはすごいですね。
それでもやはりセザンヌの考察が個人的には一番興味深かった。
GWには国立新美術館のセザンヌ展観に行こうと思ってるので、その予習のいい導入になりました。
セザンヌの絵ってやっぱり難しいと思うんです。どっからどう観ても。
パースが狂ってるとか、リンゴがこぼれ落ちそうとかそういう解釈だけでは済まされない何かがあの絵の中に濃縮されていて、パッと観ただけではわからず、かといって観れば観るほどわけがわからなくなってくる絵だと思います。
ここでちょっと長いですが引用します。

彼が発見したのは、知覚はその形成過程以外のいかなる形態もとりえない、ということである。もはや、移りゆく世界の外観を記録することが問題なのではない。近くそのものの不安定さに直面し、そこに居を構えることが問題となるのである。セザンヌはおそらく誰よりも洞察力鋭く、知覚に根源的な、それ自体との差異を認識することで、注意のパラドクスを明らかにしたのである。マネが部分的に直感していたものが、セザンヌの実践において実り多い結果をもたらすこととなった。つまり、セザンヌの創造的な発見とは、いかにひとつのものを熱心に見ても、そのような凝視は、ものの現前、ものの豊かな無媒介性をより完全で包括的に把握することにはつながらなかったということである。むしろ、凝視することは、かえって知覚上の分裂と喪失を導き、認識可能な形態としてものを見ることを不可能にしたのである。こうした視覚の崩壊は、それまで知られることのなかったさまざまな力の中へと組み込まれていった。そこでは、注意は絶えず制限されつつ持続し、必然的に散漫な状態へと分散していった。もはやこうした状態では、ひとつの、あるいはさまざまな事物の布置を把握する為の指標と目されてきたものは通用しなくなる。同様に、視覚を孤立点へと強く固定することで生じる明晰性は、その明晰性の溶解に通じており、いかなる固定化もこのことを回避することはできないのである。セザンヌにとって注意力に固有のこの溶解は、世界の徹底的な脱象徴化を裏づけるだけではなかった。それはまた、従来考えられてきたような「外的」事象と、感覚とのあいだの一連の関係に絶えず調整を加え、そこにひとつのインターフェイスを生み出すものだったのである。このようにして彼は注意力を研ぎ澄ますことで、かえって、知覚に不変性を与えるいかなる前提をも、まっさきに打ち消してしまったのである。

後期セザンヌにおける、あの薄塗りの連続は、まさにこのことを示しているように思います。
つまり、彼は、その視線をある一点に注ぎ込むのではなく、あえて視線をきょろきょろと動かすことで、世界を綜合物として捉え、ひとつのキャンバスに組み込んでいったのではないかと。
一見散漫にも見える彼の絵ですが、そこには世界を「必死で」見据えようとする彼の止めどない視線を感じることができるのです。

んー、全体的に勉強不足が諸に仇となりました。
もう少し勉強してから再読してみたいですね。
この流れでハル・フォスターの「視覚論」あたりに流れ込むべきですが、そろそろセザンヌ系の本をユリイカを含めて読み始めなければ。
てか、個人的にMIT系の本って苦手です。あの言い切る感じがどうにも。。。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 学問・文化・芸術

「ピーター・ブルックの魔笛」@びわ湖ホール

ピーター・ブルック演出による「魔笛」を観てきました。
舞台系久々。見返してみたら1年前のdots以来ご無沙汰でした。

彼の名前を知ったのは昨年、友人のすすめで「なにもない空間」を読んでから。
そしたらちょうど彼の来日公演を見つけて行ってみました。
関西での来日公演は2001年の「ハムレットの悲劇」以来だったようで、ラッキーでした。

「魔笛」は元々18世紀末にモーツァルトが完成させたオペラ。
曲を聴けばわかる方がほとんどだと思います。
元々は3時間を超えるものなんですが、ブルックが手がけたこの「魔笛」は極限まで要素を削り落とし、90分の作品に仕上げました。
2010年にパリで初演され、フランス最高の演劇賞モリエール賞を受賞。
その後、24カ国のワールドツアーを経て今回日本にたどり着きました。

それにしてもその削ぎ落とし方がエグイ。
舞台には、竹が何本か配され、ピアノが一台のみ。オーケストラピットはもちろんなし。
最初から最後までこの舞台で繰り広げられます。
まずピアノ一台というのがすごい。
普通はフルオーケストラですが、一人のピアニストが終止音を奏で続けて、このピアニストも演者の一人のようです。というかむしろ彼がいるのといないのとでは、かなり違うのではないのかというぐらい強い印象を与えていました。
そして舞台美術の唯一の要素である竹が見事で、時に森になり、薮になり、壁になり、扉になり、と様々な表情を見せてくれました。
舞台美術について、「なにもない空間」の中で語られています。

「美術の好きな人々には、舞台美術をなぜ<偉大>な画家や彫刻家が手がけないのか、いくら考えても理解できない。しかし、本当に必要なのは不完全な装置図なのである。つまり、厳格ではなくて明確な装置図ー<閉じた>装置ではなくて<開いた>装置と呼びうるものーなのである。ここに演劇的思考の本質がある。真の舞台美術家は自分の作品をたえず動き行動するものとしてーある場面が進むにつれて俳優がその場面にもたらしてくるものとの関係においてー考えるはずだ。言いかえれば、二次元的な画家や三次元的な彫刻家と違って、舞台美術家は時間の経過という第四次元において思考するのである。」

そして好感を持って観られたのがその配役です。
以前オペラを日本で観た時、個人的に最も違和感を覚えたのが配役。
森公美子とかを思い浮かべればわかるように、オペラ歌手の人たちの貫禄が半端ない笑
そりゃ確かにあれだけの声量で歌うのだから当然なんですが、やはりかよわい役とかやるのにあんな人たちが出てきてもらっても説得力に欠けるわけです。
オペラはそうやって観るもんじゃない、と言われればそれまでですが、やっぱビジュアルって大事。
その点今回のオペラは、ちゃんとビジュアルも考えられてるみたいで、ああいうでかい人たちは一切いませんでした。
その分声量には劣るかもしれませんが、夜の女王の歌う「魔笛」は圧巻でした。
どうしたらあんな声が出るのか。。。やっぱすごいです。
あと、登場人物も少ないのがよかった。
オペラって物語も結構無理矢理展開して行くから、誰が誰なのかわけわからなくなることがあるんですが、今回は人数がピアニスト入れて10人。
あらゆる要素を極限まで削ることで、新しい「魔笛」が誕生し、素晴らしく観やすかったです。
以前観たオペラがあまりにむずかしすぎて、もはやトラウマに近い体験だったので、今回少し苦手が克服できたというか、こういうオペラだったら何回でも観に行きたいと思いました。安いし。

御年今年で87歳のブルック。
現在新たにパリにて「The Suit」という舞台が上演中だそうで、まだまだ現役。
また来日公演とかあれば是非観に行きたいですね。
中には8時間以上の舞台とかあるみたいですが、受けて立ちましょう!



テーマ : 演劇
ジャンル : 学問・文化・芸術

SUPER: 006

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大阪市が発行する季刊フリーペーパー「SUPER:」最新006号内、Port Gallery Tのオーナー天野多佳子さんのコラム「osaka today」に僕と僕の住む淡路を取り上げて頂きました。
それに際して、コラム用の写真を僕が手がけさせて頂きました。
写真は自家製ピンホールカメラで、近所の未だに未舗装という昭和な風景を撮りました。
まるで「ALWAYS 三丁目の夕日」の世界。(撮った場所は実際三丁目ですw)
いつの時代のどこの風景なのかまったくわからないような不思議な写真になりました。
さりげなく僕も写ってます!
天野さんとは、昨年から仲良くさせて頂いてて、お仕事一緒にさせて頂きうれしかったです。
それにしてもタイトなスケジュールでした。。。
大阪の底力を感じる。写真出して半月ぐらいしか経ってないんじゃなかろうか。
大阪を中心に全国津々浦々に置いてるみたいなので、見かけたらチェックしてみてください。
巻頭のスタンダードブックストアのインタビューも面白いです。
また発行元のメビック扇町さんのサイトでもDL可能です。

メビック扇町>>http://www.mebic.com/
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