「半透明の美学」by 岡田温司
以前から気になってた岡田温司著「半透明の美学」を読了。
「半透明」という概念をアリストテレスからグリーンバーグまで、古今東西あらゆる言説を引用しながら、透明/不透明の二項対立で語られがちだった美学に中庸を作り出そうという試み。
例えばアルベルティがその著書「絵画論」において、絵画を「開かれた窓」とした際の絵画の透明性に対し、グリーンバーグが絵画のマチエル、平面性をこそ強調した不透明性を引きに出す。
あるいは、イヴ=アラン・ボアとロザリンド・クラウスの共著「アンフォルム」における、グリーンバーグのフォーマリズム批判をさらに批判し、フォーム/アンフォルムという二項対立からの脱却を図ろうとしている。
そこで出てきた概念が「半透明」というわけなのだけど、ここまで来てふと疑問が湧いてきて仕方なかった。
というのも、中庸を取るとしつつも、がっつり新しい概念を提唱している点。
「半透明」という具体的な言葉を用いてしまうことで、なんだかその中庸性が薄れているように思えてならない。
さらに著者はアリストテレスの「ディアファネース」という言葉を持ってくるのだけれど、この言葉ほどの輝きを「半透明」という言葉に見いだすことは難しいと思う。
だって、半透明って、けっこうイメージできちゃうじゃないですか。
「半透明」という言葉の選択はあまりにわかりやすすぎて勿体ないと思う。
いっそ、デュシャンの「アンフラマンス」のような、もっと煙に巻いた言葉を作ってしまうべきだったと思う。(日本語では中々むずかしそうやけど)
この本でやりたいことはなんとなく理解できるしおもしろいとは思うのだけれど、それにしてはあまりに明晰すぎて逆につまらなくなってしまっている。この概念はやはり霧の向こうにあるような、なんかわからんかったけどおもしろかったなぁ、って感じで終わってほしかった。ただただ「なるほど」と思わせてしまう類いの話ではない気がする。
後半の、リヒターやベイコン、セザンヌやモランディなど、具体例を矢継ぎ早に挙げていって、全部「半透明」の概念に押し込んでしまう姿勢もあまり好きじゃない。
せっかくおもしろい概念なのだからもう少し慎重かつ丁寧に紐解いてほしい。今後の展開に期待といったところ。
あと、最初の方で「影」「痕跡」「鏡」という絵画の起源を挙げていくとこなんかは、谷口渥氏の「鏡と皮膚」とかぶっててちょっと危うかった。(「鏡と皮膚」はおもしろい本だと思う)
それから、古今東西と最初に書いたけど、完全に「東」が抜けてて、著者の「西」への傾よりが気になった。
やはりこの概念は東洋な感じがしてならない。
探していけばいくらでも見つかるだろうに、全部西洋側からのみ引いてるのがちょっと惜しい。著者の研究が元々西洋なので仕方ないとは思うのだけど、やっぱこの概念は東洋思想だと思う。まあ、あえてそれを西洋側の視点から書こうとしてるなら仕方ないけど。まあ、偏ってるとはいえ、その知識は広汎で、参考文献とか非常に参考になる。色々読んでみたくなって困りました。
他にも岡田氏の著書「ミメーシスを超えて」「肖像のエニグマ」「芸術(アルス)と生政治(ピオス)」を一気に読んだけど、「半透明の美学」ほどに興味を引きつけられなかった。
前2冊は他で書いたものの寄せ集めだったので、全体として散漫な印象。
最後のは一冊まるごと書き下ろしなので一貫していて読みやすかった。
今後は岡田氏が関わった海外の美学本を色々読んでみたい。
具体的にはストイキツァやクレーリー、ナンシーなど。