今村遼佑「ながめるとみつめるのあいだ」@studio90 ♯2
いよいよ明日からです。よろしくお願いします!
今村遼佑「ながめるとみつめるのあいだ Vol.01」
2011年2月18日(金)~2月20日(日) 13:00~19:00
2月18日、20日は作家在廊予定
http://www.studio90.info/exhibition008.htm
「眺める/見つめる」
自分の設定した主題に向き合い制作に集中し展示を熟考し作品を作り上げていく中で、 見つけるものと見失うものがある。なので、時々その逆をたどる。素材は最適か、そもそも、その主題は必然か、あるいはさらに後ろに下がって、考える。作ることは必然かと。作らないことも含めて作品を考えると、展示空間はただの生活空間になり、自分は作家でなくただの生活者になる。そしてその立場から、風景を確認する。
眺めることと見つめることの間の、感覚の、意識の反復横跳び。筋トレ。方向感覚を失わずにその距離を獲得していくこと。
今村遼佑
「いいニュースというのは、多くの場合小さな声で語られるのです。-今村遼佑展に寄せて-」
今村の作品を想う時、村上春樹の小説に出てくるこの言葉を思い出さずにはいられなかった。
そう、彼の作品は、どうしても私には「いいニュース」に思えるからである。
それはいつも、世界が軋む、その一瞬の、囁くような、かそけき「小さな声」で伝えられる。
そのニュースは、普段、生活のノイズにかき消され、聞こえてくることはほとんどない。
しかし、今村の作品に向き合う時、私はこの世界から一度脱し、その声を聞くことができる。
廻るオルゴール。ゆっくり動く糸。点滅するライト。
日常の素材を用いながら、それらが織り成す調和は日常では聞こえない声を届けてくれる。
今村は大学では彫刻を学んでいる。
彫刻と言うと、どうしてもマッチョなイメージが頭をよぎる。
しかし、今村の作品を見ると、それとはま逆の世界である。
彼の作品を初めて観たのは2008年に京都芸術センターで行われた「gadget」展であった。明らかに彼の作品は、何かしらの示唆を私に与えていて、その数ヵ月後の2009年に大阪のPANTALOONで行われた個展「畔を廻る」を観て、私の彼に対する評価は確信に変わった。
そこから東京の「ノックする。」、神戸の「白色と雑音」、京都の「きょう・せい」と作品を追い続けているが、年々その「小さな声」は私の中で「大きく」なっていった。
そして今回、彼に是非このstudio90を使って何かしてほしいと依頼するに至った。
ちょうどその時shiseido art eggの入選が決まり、多くの人があの「小さな声」を聞くのかと思うととても興奮した。それはまさに「いいニュース」だった。
先日その資生堂の展示「ひるのまをながめる」を観に行ってきた。地下に降り、その空間を上から眺めた時の「絶景」は筆舌に尽くし難い。見た目にはからっぽなその空間が、「小さな声」で満たされていた。その振動は、微震のように私の鼓膜を揺さぶり続ける。私にはとても「強い」作品に思えてならなかった。
思えば彼と初めて会ったのもこのstudio90であった。彼がたまたまここの第一回展でもある筆者の個展を観に来てくれたのだ。当時は彼の作品を知らなかったが、まさかその数年後にその彼がここで展示をするとは、縁とは不思議なものだと思う。
そして今回このstudio90で、彼はまた、新たな試みを見せてくれる。
それは、この空間をアトリエとして使い、出来た時点で公開するというものである。
普通のギャラリーでは中々むずかしい、studio90ならではの方法論である。作者も未知なまったくの新作をまさにこの場所で作りながら発見していく。それはまるで、遺跡を発掘するような考古学的な営みであり、未知の領域に向かって実験を繰り返す科学者のような作法でもある。それはとても面白い試みだと思った。
果たして、ここで生まれた作品はどんな声で私たちに囁きかけてくれるのだろう。
是非今村の作品が奏でる「小さな声」に身を委ね、全身でその「いいニュース」を受け止めてほしいと思う。
森川穣
今村遼佑「ながめるとみつめるのあいだ Vol.01」
2011年2月18日(金)~2月20日(日) 13:00~19:00
2月18日、20日は作家在廊予定
http://www.studio90.info/exhibition008.htm
「眺める/見つめる」
自分の設定した主題に向き合い制作に集中し展示を熟考し作品を作り上げていく中で、 見つけるものと見失うものがある。なので、時々その逆をたどる。素材は最適か、そもそも、その主題は必然か、あるいはさらに後ろに下がって、考える。作ることは必然かと。作らないことも含めて作品を考えると、展示空間はただの生活空間になり、自分は作家でなくただの生活者になる。そしてその立場から、風景を確認する。
眺めることと見つめることの間の、感覚の、意識の反復横跳び。筋トレ。方向感覚を失わずにその距離を獲得していくこと。
今村遼佑
「いいニュースというのは、多くの場合小さな声で語られるのです。-今村遼佑展に寄せて-」
今村の作品を想う時、村上春樹の小説に出てくるこの言葉を思い出さずにはいられなかった。
そう、彼の作品は、どうしても私には「いいニュース」に思えるからである。
それはいつも、世界が軋む、その一瞬の、囁くような、かそけき「小さな声」で伝えられる。
そのニュースは、普段、生活のノイズにかき消され、聞こえてくることはほとんどない。
しかし、今村の作品に向き合う時、私はこの世界から一度脱し、その声を聞くことができる。
廻るオルゴール。ゆっくり動く糸。点滅するライト。
日常の素材を用いながら、それらが織り成す調和は日常では聞こえない声を届けてくれる。
今村は大学では彫刻を学んでいる。
彫刻と言うと、どうしてもマッチョなイメージが頭をよぎる。
しかし、今村の作品を見ると、それとはま逆の世界である。
彼の作品を初めて観たのは2008年に京都芸術センターで行われた「gadget」展であった。明らかに彼の作品は、何かしらの示唆を私に与えていて、その数ヵ月後の2009年に大阪のPANTALOONで行われた個展「畔を廻る」を観て、私の彼に対する評価は確信に変わった。
そこから東京の「ノックする。」、神戸の「白色と雑音」、京都の「きょう・せい」と作品を追い続けているが、年々その「小さな声」は私の中で「大きく」なっていった。
そして今回、彼に是非このstudio90を使って何かしてほしいと依頼するに至った。
ちょうどその時shiseido art eggの入選が決まり、多くの人があの「小さな声」を聞くのかと思うととても興奮した。それはまさに「いいニュース」だった。
先日その資生堂の展示「ひるのまをながめる」を観に行ってきた。地下に降り、その空間を上から眺めた時の「絶景」は筆舌に尽くし難い。見た目にはからっぽなその空間が、「小さな声」で満たされていた。その振動は、微震のように私の鼓膜を揺さぶり続ける。私にはとても「強い」作品に思えてならなかった。
思えば彼と初めて会ったのもこのstudio90であった。彼がたまたまここの第一回展でもある筆者の個展を観に来てくれたのだ。当時は彼の作品を知らなかったが、まさかその数年後にその彼がここで展示をするとは、縁とは不思議なものだと思う。
そして今回このstudio90で、彼はまた、新たな試みを見せてくれる。
それは、この空間をアトリエとして使い、出来た時点で公開するというものである。
普通のギャラリーでは中々むずかしい、studio90ならではの方法論である。作者も未知なまったくの新作をまさにこの場所で作りながら発見していく。それはまるで、遺跡を発掘するような考古学的な営みであり、未知の領域に向かって実験を繰り返す科学者のような作法でもある。それはとても面白い試みだと思った。
果たして、ここで生まれた作品はどんな声で私たちに囁きかけてくれるのだろう。
是非今村の作品が奏でる「小さな声」に身を委ね、全身でその「いいニュース」を受け止めてほしいと思う。
森川穣