「美を生きるための26章」 by 木下長宏

今年後半に控えてる展覧会の為に本を読み漁ってます。
今も目の前に山積み状態。追いつかん…。
そんな中で本当に出会えてよかった本。
それが木下長宏さんによる「美を生きるための26章」。
アルファベット26文字に合わせて、それぞれの頭文字が付く人物を紹介。
中には大乘寺(D)やラスコー(L)なんてのもあるけど、そこはご愛嬌笑
にしてもラスコーって!
木下さんは幼い時から車椅子生活をしてはる人なんやけど、車椅子とは思えない行動力。
ラスコーもフランス政府の許可が出て、車椅子で行ったらしい。。。すごい。
ラスコーは昔は一般人も入れたそうですが、今は保存の為に許可がないと不可。
アートの起源と言われてるだけに死ぬまでに観ておきたいです。
そんなラスコーの様がありありとここに描かれています。
木下さんの描き方がこれまたすごい良くて、ますます行きたくなります。
この本を読むと批評とは何ぞやってことがわかる気がします。
僕がこの本から汲み取ったのは、「評することは愛すること」ということ。
26文字分どの文章にもその人(場所)に対する思いやりが滲み出ていて、読後の爽快感が堪りません。
特にYで取り上げた尹東柱(ユンドンジュ)の回は白眉だと思います。
彼のことはこの本を読むまで知りませんでしたが、彼が抱いた感情の断片が、木下さんの文章を通じて伝わってくるようでした。
そしてなにより、木下さんが注意深く日本語に訳した彼の詩が素晴らしいです。
この本の中では、しばしば木下さん訳による引用が現れます。
決して人の訳に頼ることなく、木下さんなりの言葉で引用されている。
尹の詩を訳すために韓国語も勉強したそうです。
韓国語は、日本語と似て非なる表現が多いので、訳には繊細な注意を要します。
ちょっと気を抜くと全く違う方向に訳してしまったりするんでしょうね。
これまでの尹の詩の日本語訳の難しさがこの文章の中に描かれています。
同志社大学と京都造形大学に、彼の碑が建てられているそうですが、そこに刻まれている詩の日本語訳は木下さん的には不服だそう。特に後者は自分が教えてた大学なのに、どうして自分が間違ってると授業でも教えた日本語訳が刻まれてるんだ!とご立腹でした笑
また、Vのヴィンセント・ヴァン・ゴッホの回でも、皆があまりに彼を「炎の画家」に仕立てあげたくて、勝手に物語を編んでるという指摘がありました。
作品のタイトルもゴッホの死後に誰かが付けたタイトルだってのはびっくり。
これに関しても丁寧にゴッホの生き方を描いてます。
去年の日曜美術館の木下さんが出ておられたゴッホの回がYouTubeにあったのでリンク貼っておきます。
本にも紹介されてる彼の絶作「麦の穂」に関するコメントもされてますね。
日曜美術館 ゴッホ誕生 ~模写が語る天才の秘密~-01 02 03
同時期に千葉成夫さんの「未生の日本現代美術」を読んでたんやけど、こちらは「日本の絵画・彫刻が如何に未生のまま今に至っているか」という話があって、そこはすごく面白いんだけど、作家を挙げて具体的な批評が始まる段になると、いきなり批評家の傲慢さが表れて、無理矢理自分の器に盛り付けようとする。だからどれも似たような文章だし、途中で作家入れ替えてもわからないかも。
片や木下さんは、まるで自分が水になったように、相手の器に合わせて形を変える変幻自在スタイルで、26章全く読み飽きません。
色んなタイプの批評家がいますが、ほとんどが千葉さんタイプだと思う。
決して千葉さん批判でないんやけど、千葉さんのスタイルはある意味楽なやり方だと思う。
決定的な器を創りだすのが批評家の役目とも言えるのかもしれない。
だけど、やっぱり料理と同じで、それにあった器に盛り付けなければ味だっておいしくなくなる。
如何に料理(作品)を美味しく見せるか。
キュレーターや批評家にはその根本を忘れてほしくないですね。
ちなみに千葉さんの思想としての批評はものすごく面白いですよ。
彼の「現代美術逸脱史1945~1985」は戦後日本美術史を辿るのにすごくわかりやすい名著です。
ちなみにこの「美を生きるための26章」は、木下さんが定年後、横浜で私塾のようなものを開いて、毎週土曜日に開講していた「土曜の午後のABC」という授業をまとめた本。
今もこの私塾は開講していて、今はアルファベットも終わって、一年かけて自画像をテーマに話し続けているらしい!一度聴きに行ってみたいですね。
以下いくつか抜粋。よかったらどうぞ。