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高谷史郎「明るい部屋」@びわ湖ホール

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高谷さんの話題の舞台「明るい部屋」を観てきました。
2008年にドイツで初演されて以来初来日の舞台。
「明るい部屋」と言えばやはりロラン・バルトの写真論。
しかし内容はそこまでバルトのそれではなく、むしろその舞台の構造にありました。
まずすごいのが、1800ほどあるここの大ホールの席は一切使いません。
ホールに入ると皆舞台の「上」に吸い込まれていきます。
そう、観客も全員舞台に上がって、そこで鑑賞するのです。
なんて贅沢な使い方!
客席に全く人がいないのはなんだか異常な光景でしたが・・・。
舞台に上がるとまずその広さにびっくり。奥行きとか物凄くある。
中々舞台に上がる経験なんてないので、興味津々。
音響やライトといった普段舞台裏に隠れているものがすべて表舞台へ。
舞台中もセットが変わっていくさまや着替えまですべてが目の前で繰り広げられる。
それこそが「明るい部屋」。すべてを明るみにすることがこの舞台の軸になってます。
具体的なセットとしては、まず真ん中に正方形のカーペットが敷かれていて、最初は左右対称にソファとライトスタンドがあって、左右に観客席があり、観客は双方向から舞台を観る。
観客同士も向かい合ってるので、最初目のやり場に困った笑
しかし舞台が始まると、前に座ってる観客たちもセットのように見えてくるから不思議。
ここでは舞台のエレメントがすべて表にさらされている。
また天井にはこれまた正方形の布の張られた枠が3つ雲のように浮かんでいる。
その正方形を通してライトが均一にあたったり映像が映し出されたりする。
この演出はとてもおもしろかった。
例えば最初、真っ黄色のナトリウムランプで舞台全体が照らされているのだけれど、オラファーの作品のように、すべてが黄色とモノクロームの世界になる。白熱灯に変わった時に初めて本当の色がわかる。
映像もまるで雲が横切るように頭上で展開していく。
また、ライトスタンドの演出がすごくて、全部で16個のそれらがグリッドに並んだり、まっすぐに並んだりして、様々に位置を変えながら、この舞台の重要なキーになってる。
演出としては、その「明るい部屋」というイメージから連想された演出をコラージュしていくやり方。
これってdotsの作り方に似てますね。というかdotsが高谷さんやダムタイプから影響うけたのかな。
こないだの精華大学で行われたダムタイプの展覧会でもOPアクトやってたし。
実際dotsの桑折さんも観に来られてました。
でも、個人的にはdotsの方が好きです。
dotsの方が見せ方がサラッとしてる印象がありますね。
全体に通ずるのは、コミュニケーションのズレ。
それをさりげなく、コミカルに描いたりする。
最後の触れ合わずにダンスを踊る男女はまさにその極みでした。
そして、シンメトリーというのもこの舞台の特徴。
観客が双方向から観てるので、どちらからも平等に見られる演出が施されている。
しかし最後の最後、二人のパフォーマーが凄まじい映像と音の中で片方が椅子にゆっくりと座り、片方はそのまま静止したまま終わるシーンはとても印象的で、シンメトリーに収まることなく終わるのはよかった。
そんなこんなの1時間ちょっとの舞台。
とてもおもしろかったけど、なんだか物足りなさを感じたのはなぜだろう。
うまく言葉にできませんが、そこには新しいときめきが感じられなかった。
最近見続けている舞台にはどれも新しい発見や驚きがあったのですが。
ひとつ言えるのが、その明るみにされた舞台構造と、舞台の内容がほとんどリンクしていないのが物足りなさを感じる要因といえばそうな気がします。
特異な状況に身を置いているにも関わらず、舞台が始まってしまうと、普通に舞台を観ているのと変わらない状態になってしまってたんですよね。
これなら普通に客席から観るのと変わらないんじゃないの?と。
小さな劇場だったら普通にこういう双方向から観ることもありうるだろうし。
「舞台上」というコンテキストが抜けているような気がしました。
もう少し内容もドレスダウンしてもよかったんじゃないかと。
だって、池田亮司の音楽とか靍谷さんの映像とか普通にすごいんやもん。
そんな印象でした。

終了後に浅田彰氏との対談。
ピナ・バウシュの時もこの人の対談やったな・・・。
高谷さんが想像よりはるかに若くてびっくり。
確かにダムタイプの人やもんね。
てかダムタイプってやっぱり生きる伝説。
亡くなった古橋悌二をはじめ、この高谷史郎といい、池田亮司といい、高嶺格といい・・・。
決して枠に収まりきれない人たち。かっこいいなぁ。
対談もおもしろくて、浅田さんをすこし好きになってしまった笑

終わって舞台から降りてきた時のがらがらの客席の印象がすごかった・・・。


さて、今年の舞台はこれで終了。
来年はまたこのびわ湖ホールでやる地点を観に来ようと思います!
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テーマ : 観劇
ジャンル : 学問・文化・芸術

「玄牝」 by 河瀬直美

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東京に行ってきました。。。確か今年で7回目。
INAXの田中の搬出です。もういっそ全しょ(強制終了)
しかも再来週も行く。10月以降一気に5回も行っている。。。
こんなに立て続けに行くと観る展覧会もほとんどないのが困る。
と言いつつ2つ観ました。その2つに関しては今度の上京報告と合わせて。

さて、どうするか。
そこで映画でもどうやろうと、見たい映画を調べてたらなんとまさにその日に河瀬さんが渋谷のユーロスペースで舞台挨拶をするという情報をキャッチ!
田中の搬出も無事(?)終わって駆けつけました。

河瀬さんの新作映画「玄牝」。
先月この映画はスペインのサンセバスチャン国際映画祭で日本映画で12年ぶりの国際批評家連盟賞を受賞しました。すごすぎる。
「玄牝」。「げんぴん」と読みます。
いつも思うけど、タイトルがいつも凄い。「殯の森」とか。
どこからこんな言葉見つけてきはるんやろ。
「谷神は死せず。是を玄牝と謂う。」という老子の言葉から。
意味は「大河の源流にある谷の神は、とめどなく生命を産み出して尽きることはない。これを玄牝ー神聖なる母性ーと呼ぶ」ということ。
繰り返される生命の生産。

今回のモチーフは、愛知県にある吉村医院という病院。
病院といっても自然分娩専門の日本でも有数な場所。
全国からこの病院をたよってたくさんの妊婦さんが訪れる。
出産は病気ではない。だから「病」院では産みたくない。
そう思われる妊婦さんって実際多くいらっしゃると思う。
昔写真家藤原新也の言葉にこんなのがあった。
「あの人骨を見たとき、病院では死にたくないと思った。
なぜなら、死は病ではないのですから。」
生まれることも死ぬことも病気ではない。
当たり前のことなんだけど、なんだか忘れがちなこと。
それでもたくさんの妊婦さんが病院で産む。
家で産むにも今時助産婦さんをさがすのも一苦労。
大事な生命のこと。素人でやるのはリスクが高すぎる。
やはりケアがしっかりしている病院で産むことを選ばざるをえない。
そこで予定日と合わないからといって陣痛促進剤を打たれたり、産道がうまく開かずに帝王切開をせざるをえなかったり、結構散々な目に合ってる妊婦さんは全国に多い。
実際うちのおかんも色々ひどい目にあって、自分一人で子供を生むのをやめた。
自分は生まれた時点で足が脱臼していたらしくて、生まれた直後にぶっといおしめをさせられて保育器に入ることになってしまった。おかんが我が子を初めてその手に抱いたのは産んでから数週間後だったとか。
これは病院のせいではないんだけど、多分お医者さんがよく言う「安静に」という言葉のせいなんじゃないかとこの映画見ていて思った。
吉村先生によると、ちゃんと生活していれば難産なんてありえないという。
安静にするなんて、どんどん妊婦を不安にさせるだけ。
体が健やかであれば心も健やかになりすっきり子供も生まれる。
ということで、この吉村医院では生まれる直前までとにかく動けという。
現代の医者が言う「安静」とは全く逆の方針。
実際そこでの妊婦さんは薪割りやスクワット一日300回など、産後ムキムキになってるんちゃう?ってぐらい凄まじい運動をしている。
その運動の仕方がおもしろいのはちゃんと機能がくっついていること。
薪割りはもちろん料理するときとかに火を起こすのに使うし、スクワットも、壁を上下に雑巾がけすることによって得られる運動。おかげで壁ピカピカ過ぎ笑
僕も運動だけを目的とする運動ってできないんやけど、何か目的があればいくらでも出来る。
そうやって自然に動かす術を身につけさせているように思う。
あとやっぱり予定日なんてどうだっていいんだって。
あくまで予定は予定。それを医者の都合で勝手に決め込んで早産させてしまう。
子供はちゃんと出てくる時を知っている。それを待ってあげるのが母のつとめ。
吉村先生の考えで凄まじいのは、死産もちゃんと受け止めなさいということ。
生まれるのも自然だし、死ぬのも自然。それは神様が決めること。
中には胎児の心臓が止まっているにも関わらず流産を待つ人もいらっしゃった。
心臓が止まっている時点でかき出すことも可能。
でもそれだと「もし生きていたら」なんて考えてしまう。
自然に出てくるのを待ってちゃんと死なせてあげなければならない。
これは相当つらい事だと思う。想像に絶する。
それでも映画の中のお母さんはその道を選んでいた。
見ていて相当つらかった。

映画の中には3人のお産のシーンが収められている。
そのどれもが神聖で、思い切り泣いてしまった。
涙が止めどなくあふれる。なんなんやろ。
お兄ちゃんお姉ちゃんとなる子供たちも母親のお産に付き添う。
恐くないのかな?と思うが、しっかり母の手をつないだり汗を拭いてあげたりしている。
そして生まれた瞬間に流れた涙。
「涙って悲しいだけじゃなくて嬉しい時にも出るんだね」
その少年は後日そう言ってたそうな。
生命ってすごい。
お母さんたちは出産中に「気持ちいい」と言ってた。気持ちいい?
やはり出産=激痛というイメージがある。
実際そうなのかもしれない。男の自分には想像もつかない。
それでも彼女たちは口をそろえて「気持ちいい」と言っていた。
やはりそれまでの運動が産道を広げやすくしていたのか。
それでも気持ちいいって何なんやろ。
中には生々しい喘ぎ声を上げていた人もいた。まるでセックスのような。
本当に未知の領域。
自然分娩では羊水でドロドロの状態で母親に抱かせる。
僕のイメージではお湯で洗ってへその緒を切ってから抱かせるイメージがあるんやけど。
そして皆そんな我が子に言う。
「会いたかったよ。生まれてきてくれてありがとう。」
皆そう言われて生まれてきたのかな?
その時の記憶が人々の中に残っていたなら、世界平和なんてもっと簡単に訪れるんじゃないのか。
その「ありがとう」の一言でいいから残っていて欲しかった。
それぐらい大きな「ありがとう」だった。

また、最後に吉村先生が河瀬さんに「ありがとう」というシーンがある。
彼自身は娘さんとうまくいってなくて、その様子もカメラに収められている。
カメラの前だから話せる親子の会話ってあるのかもしれない。
自然分娩の権威として、神様のように崇められている吉村正氏。
しかし河瀬さんは彼を人としてちゃんと撮りたかったという。
皆各々問題を抱えながら生きているし、悩まない人間なんていない。
たとえ神様と言われている人でもやっぱり人なんだ。
そういうことをちゃんとカメラで捕らえていた。
だから河瀬さんの映画は魅力があるのだと思う。
彼女はほとんど空気のようになってその場でカメラを回し続ける。
それだけのコミュニケーションをしてきた賜物だと思うし、彼女の姿勢がそうさせるのだろう。
ドキュメンタリーは、殆どの場合どちらかの立場に立って、監督の意志を反映させたものが多い。
河瀬さんのドキュメンタリーは実際今回はじめて見たけれど、全くYESもNOも言わない。
もちろん彼女も一児の母として、吉村先生のやり方に魅力を感じてカメラを回し始めたのだとは思うけれど、YESだけで進むならあの親子の会話は撮る必要はなかったと思う。
神様を神様として見せることの方が容易な道だから。
それでも河瀬さんは神様をちゃんと同じ地平に立たせて撮っている。
中庸の美しさというのを河瀬さんの映画から感じることができる。
そしてその姿勢が吉村正をして「ありがとう」と言わしめたのかもしれない。
神様とか天才とか呼ばれることの辛さだってきっとあるんだと思う。
そのシーンはこの映画の中でとても印象に残るシーンだ。

この映画には「ありがとう」が溢れている。
生半可な「ありがとう」ではない。
そこには生命が乗っかっている。強い言葉だ。
僕もやはり河瀬さんに「ありがとう」と言いたい。

ちなみに大阪での公開は来年だそう。遅い!
公開されたらもう一度観に行きたい。
それにしても東京はやはり羨ましい。
映画や舞台好きな人はやっぱり東京に棲むべきだと思う。
そして実際それらを愛する人が棲む街だと思う。
今回の上映にも映画館は満席だった。
皆河瀬さんの映画を愛する人達。そんな空気で包まれていた。
次の上京でも映画を観る。初ゴダール!楽しみです。

関連記事>>河瀬直美

テーマ : 映像・アニメーション
ジャンル : 学問・文化・芸術

物気色@虎白院

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大舩真言さんが出品しているグループ展を観に鞍馬口にある虎白院へ。
年始に京都大学で行われた「物からモノへ」展の発展形。
京都大学の「モノ学」という研究の研究発表展でもあります。
「モノ学」とは何かについてはこちらを参照ください。

さて、この展覧会。
正直大舩さんの作品以外はちゃんと見れませんでした。
時間がなかったとかじゃなくて、単純に場所がすごすぎたからです。
この虎白院という建物。
築120年の旧邸で今も普通に生活が営まれている豪邸。
かつては朝鮮通信使や日本南画院の本部を務め、今は京都家庭女学院が入ってます。
今回の一般公開はなんと30年ぶりということらしい。
近所の人もこんなとこあるの知らなかったとかで来てらっしゃいました。
中でも凄まじいのが中庭。
最初見たとき目を疑うような光景でした。
だって、そこには竹が何十本も植えられていて、中庭っていうか竹林?
ちょっと日本庭園にはないダイナミズムでした。
燈籠もそれに合わせてか超巨大サイズ。
そんな中庭に圧倒されつつ大舩さんの作品が展示されてる講堂へ。

以下ネタバレです。

まずヘッドフォンを着けるような指示があって装着。
それは知覚研究者の渡邊淳司氏によるサウンド。
これと合わせて鑑賞するとのこと。
中は暗く、照明は作品に当てられたスポットのみ。
作品は床置の2点。
2点といっても2つで1つとなるような画面構成で、全体的に灰がかったような、なんとも言えない色の作品で、蒸気が空に舞い上がっているようなイメージとでも言えばいいのか、大舩作品独特のただならぬ雰囲気が立ち込めていて、その色が床の石の色にとてもよく合っていた。
当初は床に赤いカーペットが敷かれていたらしいが、今回の為に剥がしたらしい。
さらに目が慣れてくるとまわりの空間にも目が行く。
気がつくと部屋の壁一面に大きな南画が何枚か掛けられている。
風景画や天馬を描いたものまでどれも巨大な絵画。
それらが闇の中からぽうっと浮かび上がってくる。
この虎白院初代主人の南画家河野秋邨の作品だろうか。
それらの絵がまさに借景となって、この大舩作品を取り囲む。
作品に合わせて数あるこの家の南画コレクションから選んで取り替えてもらったらしい。
ちなみに普段この講堂は実際これらのコレクションを見せる展示室でもあるらしい。
見られるのはこの家に招かれた京都に棲む上流階級の人々のみ。
絵画を借景にして絵画を見る。とても贅沢な空間。
さらに天井に大きな鬼の面が飾られている。
まさにその鬼に見下ろされるようにして大舩さんの作品があるのだけど、物凄く神聖。
その鬼と作品を挟んで対峙して向いの椅子に座る。
冬の始まりのピリっとした冷たい空気に包まれながら見つめる。
大舩さんの作品は絶対冬が合う。そして冬の黄昏時の光の変化は彼の作品を劇的に変えていく。
画面は変化していないのに、刻々と変わっていく画面。
何時間だって眺めていられる。
今回も素晴らしい展示でした。

その日は竹を借景にした能舞があったのだけど、物凄く変わってました。
アコギの歌に合わせて舞うんです。。。
だんだん仕手の舞がキャラクターっぽく見えてきて笑えてきた。
でもお上品な奥様方は真剣に見てらっしゃったので笑えなかった。んーーー。

この展覧会は明日の日曜まで。
大舩さんの作品はもちろんですが、この建物を見れる貴重な機会です。
将来的に南画の美術館にしようという計画もあるそうですが、なんしかそれも相当先だと思うので、是非お見逃しなく!
http://www.monokeiro.jp/

終わってから大舩さんと近くにある安喜さんのアトリエにお邪魔しに行く。
大学の時洋画の非常勤されてて、僕は実際授業受けてないんだけど、色んな縁でお世話になってます。
鞍馬口美術界隈で観に行って以来で、大舩さんの驚異の記憶力がなかったら辿りつけなかった。
行ったら大船さんのアシスタントのTさんがなにやら安喜さんのHPで悪戦苦闘中。
見守りつつお喋りしつつ、しばらくして4人でお好み焼きつつきつつ楽しい時間を過ごしました。

<関連記事>
大舩真言「WAVE」@neutron tokyo
大舩真言「Principle」 @ neutron
大舩真言「Prism」@ neutron tokyo
大舩真言「彼方の風」@天籟宮

テーマ : アート
ジャンル : 学問・文化・芸術

川北ゆう展覧会情報

studio90のnewsに川北ゆうの展覧会情報を更新しました。
元同級生の山元彩香との二人展です。
http://www.studio90.info/

テーマ : アート
ジャンル : 学問・文化・芸術

徳田卓也「遠くを眺める」@studio90♯4

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徳田卓也展の展示風景をアップしました。
死ぬほど暑かった夏の爽やかな展示を思い出します。
遠い昔のようだ・・・。
今回も写真は表さんです。
http://www.studio90.info/exhibition007.htm

テーマ : アート
ジャンル : 学問・文化・芸術

國府理「Parabolic Garden」@ARTCOURT Gallery

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國府理さんの個展に行ってきました。
出品作は4点の彫刻とドローイング数点。
彫刻と言ってもとにかく規模がでかい。
最初の廊下には机の上に広がる自然を見せた「よまいの庭」。
奥の部屋には直径4mの円に広がるこれまた大地、「砂漠の庭」
円には砂が敷かれていて真ん中に少しだけ植物が生えている。
これ、毎時00分になると上から30秒だけ雨が降ってくるというしかけ。
着いたら48分ぐらいだったので待ってみる。
雨は思いの外しょぼかったです笑
で、廊下には今回のタイトルにもなってる「Parabolic Garden」。
そして奥には今回最大の作品「Typical biosphere」が。
これが本当にでかくて、高さが5m以上もある。
彫刻というか、部屋といってもいいと思う。
中にはこれまた木などが植わっていて、まさに庭。
そしてこれまた毎時30分になると中で霧が発生するらしい。
仕方が無いのでこれもまた待ってみる。
こちらは3分ほど霧が発生して、幻想的な風景を観ることができる。
あとドローイング。このまま絵本にできそうなぐらいのお伽の世界。
とまあ、こんな感じなんですが、とにかく規模がでかいのがまず驚き。
これだけのもの普段どこに置いとけばいいんやろ、なんて思ってしまいます。。。
雨を降らすとか霧を発生させるとか、もう考えただけでも欝になりそうな仕掛け。
凄まじいエネルギーを持って実現してはんねんな、と感心しました。
それもこれも造形大のウルトラファクトリーの力なんでしょうか。
が、正直そこまでして実現したいものって何なんやろ?と疑問に思いました。
今回の作品群にはどれも植物が使われています。
持ち運び可能な自然ということ?
昔の人が風景をそのままお庭に持ち込んだみたいな発想なんでしょうか。
でも、それってやはり自然の模倣でしかなく、今回の作品を見てる限りどう見ても不自然。
わざわざギャラリーや美術館で鑑賞するほどのものなのか疑問でした。
むしろ、國府さんがこれまで取り組んでた車のパーツと自然の組み合わせの方がより自然。
人工物と自然が融け合う風景というのは、得も言えぬ感動があります。犬島の精錬所みたいに。
今回のは、わざわざその自然のためにしつらえて作ってあるので不自然さが際立ってました。
残念ながら個人的にはあまり好ましくは思えなかったです。12月4日まで。こちら


石内都「ひろしまsix」@The Third Gallery Aya
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関西では5年ぶりとなる個展。
近年取り組んでいる「ひろしま」シリーズの最新作を中心にした展覧会。
sixと題されてるのは、この「ひろしま」展が6回目だということ。
6回の中で最も小さな会場となるわけですが、個人的にはこれぐらいの規模の方がこの作品の凄みというのを体感できる適した距離感なのではと思いました。
実際この作品は既に何度か拝見していますが、ギャラリーに入った時の衝撃はこれまでで一番でした。
壁にランダムに掛けられた被爆者たちの遺品の写真たち。
あれから65年を経た今でも私たちに伝える情報量は計り知れません。
こうして写真になって切り取られることでよりそのものたちと対峙することができる。
この写真たちに取り囲まれる感覚というのは得も言われぬものがあります。
悲しみでもなく怒りでもない。複雑な感情が呼び覚まされました。
改めてこの作品の強度を思い知ることができた展覧会。12月18日まで。
ところでこのギャラリー以前の西天満から移転してきて初めて訪問。
SAIギャラリーと同じビルだったなんて。
いつのまにかこのビルはアートビルになってて、一階以外全部アート系。
SAIギャラリーではドイツを中心に活動されてる倉知久美子さんの個展が開催されてました。
最近の日本では中々見られないミニマルな黒と白のコンポジション。渋い。
外の窓にも作品があって、借景を用いた作品。
SAIさんの観客へのホスピタリティがいつも細やかで毎回好印象。作品もいつもいい。
こういうギャラリーが大阪にまだあるのは救いです。
関連記事>>石内都「ひろしま Strings of Time」@広島市現代美術館


宮島達男「Time Train」@Six
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ギャルソン心斎橋店にあるギャラリーSix。
草間彌生に始まり何度か展覧会を開催しています。公式HPぐらい作ったらええのに。そういや同じモード系でギャラリーを持つエルメスも公式HPがない。そんなもんなんかな?
内容はおなじみデジタルカウンターを乗せた列車が会場内をぐるぐる回るというもの。
もう観た瞬間に何を指してるのかわかってしまって、さらにタイトル。
「Time Train to Holocaust」 「Time Train to Auschwitz」
もうはっきり言ってしまうと、あかんやろ、これ。
タイトル見た時点で吐きそうになりました。書いてる今も吐きそうです。
ここまで歴史を軽んじた表現を僕は美術とは言いたくない。
無残に死んでいったユダヤの人たちに顔向けができません。
こんなものが評価されるなんてどうかしてる。
特にその前に石内さんの作品みてるだけに、見ていて本当に腹が立ちました。
感想書くのもどうしようかと思いましたが、思い切って不快感を表明。
なんだか泣きそうな気分です。はぁ。。。


「呼吸する視点」@かわらミュージアム
近江八幡で開催中の伊庭靖子さんとその教え子さんたちの展覧会。
搬出がてらに観に行ってきました。
このかわらミュージアムは、近江瓦という瓦で有名なこの街ならではのミュージアム。
近江瓦はもちろん世界の瓦なんかも展示されてて中々楽しめます。
中にはこれ瓦なん?ってのもある。浦島太郎瓦とか・・・。
それはさておき展覧会です。
出品作家は伊庭さんを初め、瓜生祐子さん、森岡りえ子さん、平田麻子さん。
瓜生さんは、田中と一緒にアートコートフロンティアに出品してたこともあって縁があり、僕も芸術センターでお世話になりました。同い年ですが。
彼女の作品は、一見メルヘンな風景を描いた空想のような世界ですが、実際は食べ物をモチーフとしており、独特の視点で不思議な画面を形成しています。
確かによくみると、クリームやさくらんぼなどがなんとなくわかりますが、見れば見るほど画面の中に埋没してしまう魅力があります。
個人的にはもう少し大きな画面で見てみたいですね。
小さな画面にたくさんの情報を入れるのが味噌なんかもしれないけど、一部分を取り出してもそれだけで立派な抽象画みたいになって面白いと思う。実際チラシに作品の一部だけが抜粋されてて、それがちゃんと作品として成立してるように思えたので。
森岡さんの絵は子供(少年)を描いたほのぼのした絵に見えますが、同時に何か怖いものも感じました。
パンフレットを読むと制作の出発地点に「喪失感」や「孤独感」があったと書かれていました。なるほど。
平田さんの絵は正直わかりませんでした。というか好みではなかったというのが本音。
絵画というのは、個人のフェティッシュが如実に現れるメディアだと思います。僕も絵画畑出身なので、絵画を観る時はやはり自分のフェティッシュでしか観れません。それはモチーフというよりマチエル。絵の具と筆(ナイフ)の接触が如実に見える絵画が得意じゃないので、平田さんの作品はまさにそれでした。
そしてやはり伊庭さんはすごい。
女性の胸元を描いた作品があって、こういう展開にきたか!と驚いてたら、制作年が1996年とあってびっくり。こんなのを描いてたんだ!
相変わらずものすごいテクニックですが、まったく嫌味がないのがすごい。
横には近年のクッションの作品が置かれていて、よく見ると仕上げのクオリティが確実に上がっていて、さらに進化している様子がわかります。MA2の展示も観てみたいな。
成安造形大学は、関西の美大の中でも滋賀県という場所柄中々スポットが当たりにくいですが、僕はギャラリー等で初見の作品でいいなと思える作家は成安出身の方が多いです。中心から離れている分、余計な情報に惑わされず自身の作品と向き合えているのでしょうか。
先生たちも伊庭さんのような作家がいらっしゃって、とても真摯な学校という印象。
中々接点ないですが、密かに注目してます。
瓜生さん、是非飲みましょう!とここで言ってみる。
この展覧会は11月29日まで。BIWAKO開催中にアナウンスできたらよかったのですが、僕自身やってたの知ったの最近だったもんで・・・すいません。
<関連記事>
伊庭靖子展「まばゆさの在処」@神奈川県立近代美術館
伊庭靖子 SENSE OF TOUCH @ eN arts

テーマ : アート
ジャンル : 学問・文化・芸術

「2001年宇宙の旅」 by スタンリー・キューブリック

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TOHOさんが開催している「午前十時の映画祭」
映画史に残る名作中の名作たちを再び上映するという企画。
選ばれた映画は50本で、全国を各フィルムが巡回する。
映画好きの方に聞いて、チェックしてみたらどうしても観たい映画が一本。
それがキューブリック監督の代表作「2001年宇宙の旅」。
大学1年の時に初めて観た時の衝撃を今でも忘れられない。
この映画を映画館で観ることができるなんて!
もう関西にこのフィルムがやってくるのを心待ちにしておりました。
そしていよいよTOHOシネマズなんばにやってきた!!
本当はツイッターで感想などつぶやく予定でしたが、140文字では絶対無理!!!
てか改めて映画館で観てみて、もうこれは芸術作品としか言いようがないと確信しました。
マシュー・バーニーの「クレマスター」なんて目じゃないっす。
ということで、このブログに掲載決定です。

観終わった感想は、もう「すごい」の一言。
ストーリーとは関係なく、その映像の素晴らしさに何度か涙が出ました。
この1本に映画20本分ぐらいの内容がつまっている。
公開から42年経った今でも一切色褪せないこの衝撃。
普通以前にすごいと思ったものっていつの間にか記憶の中で脚色されてて、改めて観たときに「あ、こんなもんやっけ?」となったりするんやけど、これに関しては「え、こんなに凄かったっけ!?」の連続。
今回はやっぱり映画館で観たってのは大きいと思う。
あの大画面で、あの音響。
冒頭のあの音楽(リヒャルト・シュトラウス「ツァラトゥストラはかく語りき」)がDOLBYサウンドで流れた時にはもう全身鳥肌が立ちました。。。
月面シーンでモノリスから発せられる音も凄まじかった。。。
この映画で重要なのはやはり音。
主にクラシック音楽が各場面に散りばめられているけれど、どの音楽も効果的。さらに宇宙での静寂や、飛行士たちの息遣いの音。
これらの音を聞くだけでも映画館で観る価値があります。
できればオペラの劇場なんかで、オーケストラピットなどを使って実際の演奏でこの映画を観てみたい。そんな贅沢な機会があればいくら払ってでも観に行きたい。

映像の素晴らしさは言うまでもありません。
冒頭の猿のシーンはやはり衝撃的。
今見てもどんな風に撮ってるのかわからないほどリアルな描写。
人間と猿が分かつ瞬間。
さらに時は400万年後の宇宙へ。
とにかく宇宙船のディテールが細かくて、43年前にこんな映像どうやって撮ったのか謎すぎる。
すべては科学的根拠に基づいていて、そのディテールが鮮明なのも、宇宙では空気がないため光の屈折が起きにくく、すべてにピントを合わせて撮っているとのこと。
先日読んだ村上龍の「歌うクジラ」で、宇宙船はドーナツ型で、遠心力によって船内の重力を生み出していたけれど、この映画でも宇宙船はドーナツ型だった!
無重力で動きまわる人々の動きも全く不自然さがなくて爽快。
そしてこの無重力が映画の映像的快楽を味合わせてくれる。
上下も関係なく円を一周ランニングするシーンや、ドアが色んな位置についてて体を反転させて入室していくシーンなどなど。
また、ロビーにあった椅子のデザインもすごくいい。
昔の人が描く近未来像ってちょっと恥ずかしいのが多いけど、ここに出てくるすべてのディテールが今見ても新鮮でかっこいい。
この感覚はもう驚異としか言いようがない。
さらに、HAL9000の暴走。あの恐怖感の演出はすごい。
赤いライトのアップだけでものすごく怖い。
そんでもって極めつけがラスト。
主人公がモノリスに出遭った瞬間に起こる爆発的な映像。
色の氾濫。これは大画面で見ると圧巻でした・・・。
2時間半、たっぷり酔いしれ最後の音楽が終わるまで一切立てなかった・・・。

2001年を10年近く過ぎた今、残念ながら月面旅行は未だ実現していない。
しかし、実現していない今だからこそ、この映画の醍醐味を味わうことができる。
宇宙という人類の果てしない夢がこの映画にたくさん詰まっている。
はやぶさが戻ってきて一握りの砂を持ち帰っただけで私たちは歓喜に湧いた。
この歓びは、実現していないからこそ味わえる歓び。
夢は叶ってしまうと夢じゃなくなる。
今この時代に再びこの映画に出遭い、夢を共有出来てることを幸せという他ない。
さらにこの映画が公開された1968年というのはアポロ計画が実行され、人類が初めて月面に足跡を残した歴史的な年。その熱狂的な年にこの映画が公開されたというのはすごいとしか言いようがない。
そして2001年を迎える前に訪れたキューブリックの死は、偶然とはいえこの映画の永遠性を表しているような気がしてならない。
映画館でこの映画を見られるという稀有な機会を与えてくれたTOHOさんに本当に感謝。
今週いっぱいなんばで公開され、後に兵庫、岡山、広島、愛媛へ巡回します。
あああーーー、もう一回観たい!!!
次の西宮あたり行こうかな・・・。
奇しくも友人がこの映画の原作者であるアーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」を貸してくれてるので、これ読みながらもう少し余韻に浸りたいと思います。
来年あたり邦画50選とかやってくれないかな。
黒澤明の「乱」を映画館で観たいです。
やっぱ映画は映画館で観ないと!

ところで今週は映画三昧の一週間。とりあえず昨日今日だけで3本観た。明日も1本。
それらの感想は随時ツイッターで。
観たい映画がたくさんあって、困る。


おまけ
TOHOシネマズなんば近くにある新歌舞伎座。
昨年惜しまれつつ閉館。どうにか解体しないでほしい。
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テーマ : 映像・アニメーション
ジャンル : 学問・文化・芸術

RASTER-NOTON.@METRO

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京都のクラブと言えば今年20周年を迎えるMETRO
なんとここで池田亮司とカールステン・ニコライの音が聞けるというのでBIWAKOの搬出を終えて速攻駆けつけました。軽いフットワークが売りです。
実は初METRO参戦。前々から行ってみたいとは思ってたんですが、ついにチャンス到来です。
場所は京阪の神宮丸太町駅からなんと直結。それでMETROなんだ。
受付で会計を済ませ、入り口付近のロッカーに荷物を預け、コロナを注文。
どれぐらい入るのかわからないけど、せいぜい100人ぐらいか。
こんな小さなハコであの二人のコラボが見られるなんて・・・。
そんな期待と普段クラブなんて行かないのとでドギマギ。コロナで流す。
作家のM君と出会ってしばし歓談。そうこうしてるうちに19時半の開演時間。
今回はエレクトロのイベントで、何組かの演奏がある。
トップバッターは&ARTにも紹介されてるPsysExさん。
ってことでここからはこのブログ始まって以来初の音楽レビュー!といきたいところなんですが、実際僕の音楽ボキャブラリーではレビューなんてとてもじゃないけど書けません。
しかも楽器も何も無い演奏で、そもそもどんな風に音を鳴らしてるのかもわからないぐらいの無知っぷり。門外漢すぎます。
こういう音楽のレビューってどんな風に書くのかも想像がつかない。
なので、具体的なことは何も書けませんが、とりあえず好みだけの話をすると、PsysExさんの音はほとんど僕の琴線に触れることはありませんでした。。。
単調というかなんというか、僕には同じ音の繰り返しにしか聞こえませんでした。
映像も興奮を誘うような効果はなかったかな。残念ですが僕にはそんな印象。
ただ、次のNIBOさんの音がめちゃくちゃ良くて、「うわ、エレクトロ無理かも…」と挫けそうになった心が復活して、もうひたすら音の波に飲まれました。
円心上に延びる音にリンクした映像も素敵だったし、途中で音が壊れるように激しくなって、映像も円から混沌とした線の塊になる様はアドレナリンでまくりました。
最後の方は気持ちよくなってきて寝かけてましたが。。。エレクトロで眠くなるってすごい!
決して退屈だったからとかじゃなくて、それだけ気持よかったってことです。
で、いよいよ池田亮司とカールステン・ニコライのユニットCyCLO.の登場。
なんですが、僕の中では先のNIBOさんの音が良すぎて、こっちは正直期待はずれ。
でも映像との絡みはさすがにすごくて光と音の洪水が訪れる瞬間はやはり気持ちがいい。
まあ、ちょっと長すぎたのと、もっと耳が痛くなるような高音を入れてきてほしかったです。
他にももう一組とカールステン・ニコライの演奏があったけど終電の関係でここでタイムアウト。

エレクトロってリズムが命で、音のバリエーションもそこまでないから、すぐに単調になりがち。
繰り返して繰り返してクセになるぐらいのリズムを如何に作り出せるかがポイントなのかも。
もう全然ボキャブラリーがないので中途半端なレポートですがこのままアップします。
正直エレクトロはしばらくいいかも。
なんかおすすめの音があれば誰か教えてください。
舞台に続きこちらも少しずつ無理なく広げていければ。
あー、ライヒのライブにもう一度行きたい。

池田亮司とカールステン・ニコライの演奏は16日に京都造形大学でも行われるみたい。
こちらは浅田彰氏とのトークつき。興味ある方はどうぞ。詳細はこちら
池田亮司さんは今ギャラリー小柳でも個展中ですね。
なんと今月もう一度上京するハメになったんでそれも観に行こうかな。
<関連記事>
池田亮司「the infinite between 0 to 1」@東京都現代美術館
池田亮司「datematics」@山口情報芸術センター

テーマ : LIVE、イベント
ジャンル : 音楽

BIWAKOビエンナーレ2010終了しました。

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50日間に渡って開催されたBIWAKOビエンナーレが昨日閉幕しました。
最終の土日は天気にも恵まれたくさんの方が来場されていて喜ばしいかぎり。
僕の作品は構造上一人ずつしか見れないので諦めて帰られるお客さんもちらほら笑
ご来場された方々には本当に感謝です。

今回は、作品の在り方を考えるいい機会になりました。
回られた方は体験を通しておわかりかと思いますが、ビエンナーレ抜きにしても、この近江八幡という町は恐ろしいほど魅力のある町です。
時代劇の撮影なども頻繁に行われるほど古い町並みや水郷が美しい。
近年頻出している他のビエンナーレが主に町(村)おこしを目的にしているのに対して、この近江八幡ではそもそも観光地として毎日たくさんの人がこの風景を観に訪れています。
そんな中にどうアートをインストールするのか。
そこが今回作家たちが考えた大きな課題だったと思います。
今回会場となった古民家や工場も、それ自体が既に大きな魅力を持っていました。
僕としては、その魅力を決して損ないたくなかったし、そこにアートが置かれることでより一層魅力を放つようなことができたら最高だと思いました。
僕が選んだ場所は、一人用の階段を伝って昇った先の屋根裏部屋。
元々駄菓子屋さんだった頃のお菓子のダンボールや容器がたくさん眠っていて、見つけた時はまるで宝島を発見したような高揚感がありました。
当初そこは展示に使う予定はなかったのですが、お願いして使わせていただくことに。
使うに当たってお願いしたことは、一切掃除など手をつけないでくださいということでした。
その混沌とした眠った状態の空間に僕の作品が置かれることで改めて人々がその場所に静かに対峙できるような作品作りを目指しました。
具体的には、庭に生えていた雑草の押し花を入れたライトボックスを屋根裏部屋の荷物たちの中に配置し、暗闇の中で雑草のシルエットが亡霊のように浮かび上がるといったインスタレーションです。
こんな言い方は誤解を招きそうですが、作品自体は実際重要ではありません。
それがあることで、視界に他のものも見えてくること自体が重要なのです。
主役はあくまで、僕の作品を含めた屋根裏の風景や空気なのです。
だから、作品単体としてはとても「弱い」作品だったと思います。
芸術センターのような作品を期待していた人たちにとっては多分期待はずれだったかも。
その辺のバランスが今回とても難しくて悩みましたが、今回はあの空間性を重視して作品を作りました。
そしてあの屋根裏を階段から覗くといった鑑賞方法も重要で、一段上がったり降りたりすることで、視界が変わって見え方が変わっていくのです。
何か見てはいけないものを見てしまうような不思議な体験を含めてあの作品は成立していました。
ちなみに今回のタイトルは「ことのは」。
言葉の語源としてある「言の葉」ですが、その前は「事の端」と言ったそうです。
これは、言葉というのは、物事の端の部分しか伝えられないという意味で付けられたそうなんですが、それを知った時なんて深い「言葉」なんだ!と思いました。
そして表現活動というのは、まさにその「言葉」では補い切れない大部分のこと。
そして、今回の作品は全体の端っこでしかないということ。
そういう意味も含めてこういうタイトルにしました。
反省も多々あります。
こうした大きな展覧会で、どうしても僕の作品は存在感は薄かったと思います。
それはそれでいいとは思うんですが、やはり作品としての強さを持ったまま、場所と調和し共に輝けることが今後の課題だと思いました。
その点ではやはり同じ出品作家の大舩真言さんから学ぶことは大きかったです。
彼の作品はものすごく強いのに、決して場所と喧嘩しません。
そして、あの作品があるからこそ、そこに入る光や空気をはっきり意識することができました。
昨日はラストということで、特別に陽が落ちてからの展示も拝見させていただいて、夜の闇の中であの作品が輝く様を体験しました。
まだまだ勉強中。がんばります。
やっぱり作家は発表を通して学びますね。
ちょっと発表に慎重になりすぎてる感があるので、恐れずに経験積んでいきたいです。
やたらめったに発表するのもどうかと思いますが、ひとつひとつ丁寧に育んでいきます。
今回このようなまたとない機会を与えてくださったディレクターの中田さん、事務や会場設営など尽力尽くして頂いた井上夫妻、ボロボロだった会場を綺麗にしてくださったり寒い中監視を続けてくださったボランティアの方々、関係者の皆様、どうもありがとうございました。
これから搬出ですが、またしばらく羽根休めてください。
今後ともよろしくお願いします。

関連記事>>BIWAKOビエンナーレ2010@滋賀県近江八幡市内

テーマ : アート
ジャンル : 学問・文化・芸術

Stelarc×contact Gonzo「BODY OVERDIRVE」@京都芸術センター

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若手とベテラン作家が共に展覧会を作り上げる新incubation展。
昨年の碓井ゆいx高柳恵里に続く第二弾。
今回はパフォーミングユニットContact GonzoとイギリスのStelarc。
Contact Gonzoは今年の六本木クロッシングで観たけど、その時はなんのこっちゃわからなかった。
Gonzoはユニット名というより行為やその方法論の名称らしい。
現在メンバーは四人。
彼らの目的は「接触」。
体と体が激しくぶつかり合うことで何かを確かめ合うようなまさにContactを主題としている。
彼らのそのGonzoはYouTubeなどで見ることができます。
今回の展示に関してですが、ギャラリー北を初め、センター内に計6点展示。
パフォーマンスを展覧会するというのは、中々難しいものがありますが、今回の展示は、彼らにとって褒め言葉になるかわからないけど、とても「的を得た」展示でした。個人的に大満足。
まず入り口には「投石機」と名付けられた彫刻、というか装置が。
実際使用されるのだろうか。展示物然となってるのがちょっと物足りない感じ。
その横は、実際どこかでGonzoをやってる映像。
一見殴りあいのようだけど、よく見ると明らかに違う動きが含まれている。
そして何度かダンスに見えてしまう瞬間が訪れる。
階段の踊り場では、この芸術センターの周りの塀を伝って歩きまわる彼らの映像があって、壁には実際の地図が張られている。地図にはその経路が示されている。
地面に降りてはいけないというルールの中、外壁や門を伝いながら移動する彼ら。
Gonzoを語りうる最も適した言葉は「遊び」に近いかもしれないとインタビューに語っているけれど、まさにこれは「遊び」だ。先日の泉太郎に通じるものがあるが、前者はアウトドア、後者はインドアって感じ。彼らはいつも外で遊んでいるイメージ。
センターの運動場でもGonzoしている彼らの映像もある。
こうしてセンターをめいっぱい使いながら彼らは展覧会で遊んでいる。
そうしてさらに廊下に松明(?)を持ちながら川に飛び込むスローの映像があるが、その映像がセンターの外壁いっぱいに投影されていてとても美しい光景が広がっている。これは月火金土の夜間のみらしい。あれ、でも行ったの木曜やったのにな…まあ見れたからいいけど。
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そうしてギャラリー北の展示。
展示室にはスピーカーしかなく、展示はなんと音のみ。
最初なんのこっちゃって感じやったけど、じわじわ彼らのパンチが効いてくる。
つまりこれは想像させるパフォーマンスなんだ!と。
これにはちょっとびっくりでアドレナリンが出まくった。
実際この音はギャラリー北で彼らがGonzoをやったのを録音した音らしいのだけど、具体的に何が行われたのかは提示されていない。
このギャラリーに響き渡る音で想像するのだ。
こういうパフォーマンスがあるのか!楽しい。
んー、実際のパフォーマンスが日曜にやってたらしいのでそれはそれで見たかったなぁ。
21日にパフォーマンスがあるらしいので機会があれば行ってみたい。

Stelarcは一度観たら(悪い意味で)忘れられないパフォーマンスをする人。
皮膚で体を吊っちゃってる人って言ったら分かる人も多いかもしれない。
僕も実際それを観たときのトラウマ級の記憶が展示見ながら蘇ってきた。
何が彼をそこまで突き動かしているのか謎すぎるが、ひたすら身体を拡張している。
今は、腕に第三の耳を培養中。
その手術の映像が展示していて、思い出すだけで恐ろしいです…。
この耳は他者がStelarcの耳が聴いてる音をWifiなどを使って聞くことができるそうな。
こういう最新技術も拡張の為ならなんだって取り込んでしまう凄みがある。
今回セカンドライフの作品があって、彼のアーカイブが見れるようになってる。
操作方法がわからずイマイチ見れなかったが、18日にはそのセカンドライフ上でパフォーマンスがあるんだとか。ちょっと想像がつきません。
世の中にはいろんな人がいるということです笑
インタビューのContact Gonzoへの一言がおもしろかった。
「ベルトよりも上をもっと激しく蹴って、殴った方がいいです。がんばってください。」
ヤレヤレだぜ。11月28日まで。詳細はこちら

テーマ : アート
ジャンル : 学問・文化・芸術

地点「――ところでアルトーさん、」@京都芸術センター

今京都では「KYOTO EXPERIMENT 2010」と題して国際舞台芸術祭が開催中です。
すべて注目すべき演目ばかりで素人の僕はどれを選んだらよいのか目移りしっぱなしですが、その中から知人のおすすめ地点をピックアップしてみました。
場所は京都芸術センター。
会場に入ると水の張ったプールとアンテナ、そしてアルトーのウォーホールのシルクスクリーンの幕がバックに掲げられてます。
僕は不勉強で知らなかったのだけれど、アルトーというのは演劇界の中で神のような存在らしい。
彼は生前分裂症で、終始薬物に侵され続けながらも表現活動に徹した強靭な人物。
今回は彼をベースにした演目なわけです。
やがて7人のパフォーマーが入ってきて舞台がスタート。
一人のパフォーマーが語りだすのだけれど、どこか日本語の発音が変。
その演説の後、また一人のパフォーマーがプールに入っていって何か語りだすのだけど、これまた発音が変で、最終的に他のパフォーマーたちもすべて変な日本語を話しだす。(一人は特にすごかった)
文法は正しくて、文章にしたら間違いではないのだけれど、文節や発音が歪んでいる。
こうして延々と読経の如く言葉の洪水を浴びせられるのだけれど、言葉はある一定の量を越すと意味が飽和状態になり、脳が全く理解をしようとしない。
読経という言葉が出たが、まさにあれも言葉がひたすら続く中で、言葉が音に変わっている。
言葉というのはとても具体的な意味を持つもののはずなのに、目の前でどんどんその意味が剥ぎ取られていき解体され抽象化していく様は見ていて(聞いていて?)爽快。
人によっては相当苦痛だと思う。(実際隣の人は最後まで船漕いでた笑)
途中全員が各々に話す瞬間があって、もう音でしかなくなっている。
今回、演出家の三浦基さんが掲げたテーマはこの声である。
そして、こういう身体性があるのかと、僕は開眼させられた気がした。
声を出すという身体性。
実際身体の動きはこの演目ではほとんど見られない。
なのにパフォーマーの額には汗がにじみ出ている。
つんざくように大きな声、張り裂けるような叫び声、諭すようなささやき声。
これらを使い分け、言葉をひたすら打ち続ける。
凄まじいパフォーマンスでした。
当初僕は台詞がある舞台は苦手と思ってたけどこういうものがあるのかと相当驚きました。
最近村上龍の新作小説「歌うクジラ」を読んだのだけれど、その小説も言葉が1つのテーマになってて、なんとすべての台詞にカギカッコがなく話が進められていきます。しかも途中で助詞を歪めて喋る人が現れたり、外国語の誤訳のような機械音声が登場したりと、かなり混乱をきたすんだけど、今回の舞台を見ながらこの小説を思い出しました。
しかしパフォーマーはよくあれだけの台詞を覚えられるなぁと普通に感心。
思いついたことをしゃべってるのではなく、ちゃんとアルトーの人生の主題を語っている。
それらのテキストを創り上げた三浦さんもすごすぎる。
とても衝撃を受けた演劇でした。観に来てよかった。
しかし2時間はちょっと長すぎた気がする…。

最後にポストトークもあったので聞いてみた。
トークは三浦さんとPortBの高山明氏による対談。
途中わからないことも多々あったけど、面白かったのは三浦さんの「ないない」を創りたいという下り。
よく本とか映画とか読んでて「あるある」と共有する部分って出てくると思うけれど、自分は最後まで「ないない」と観客に思わせたいという話。
変にリアリティを含ませるより、虚構で固めてしまうと演劇のリアリティが増すということか。
中々深いお話でした。

地点この舞台は7日まで続きます。機会ある方は是非。
http://kyoto-ex.jp/program/program-official/304/

んー、もう一個ぐらい見ようかな・・・。

テーマ : 観劇
ジャンル : 学問・文化・芸術

泉太郎「こねる」@神奈川県民ホール

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今年6度目の上京。ここに来てペースが上がり過ぎ。最悪今月もう一回。
今回は特にアートとか関係なしに行くはずが、その前の用事が思ったより早く済んだので、招待状を戴いていた神奈川県民ホールの展示に行ってみた。
この県民ホールの現代美術展は2007年の塩田千春展から始まり、毎年この時期に開催される。
2008年の国立国際美術館の塩田千春展の展示ボランティアをさせて頂いた縁で、毎年レセプションパーティーの招待状を送って頂いてるのだけれど、中々行く機会に恵まれず、去年一昨年と行けずじまいに終わってしまった。さらにその時に知り合った塩田さんのアシスタントの方のお名前を失念してしまい、ご挨拶のしようがないまま今に至っている。もし万が一このブログを御覧になっていたらご一報いただけると幸いです。

さて、2日から始まったばかりの泉太郎展。
正直ここのスペースは決して現代美術に合った展示室とは言いがたいスペース。
今回、五十嵐太郎さんもtwitterで仰ってたけど、場の使い方が非常にうまい。
展示されてない雑然としたスペースもなんだか許容できるようなあっけらかんとした展示。
決して密度が薄いとかではなく、むしろ濃い。
展示目録がなかったので正確ではないが、展示作品数は全部で8点。
そのどれもが、泉さんの考えた「遊び」。
子供の頃、公園で自分たちのオリジナルの遊びを考えて遊んだことを思い出す。
そこにはちゃんとルールがあり秩序があるが、決して具体的な目的はない。
遊び楽しむこと自体が目的であり、それ以上もそれ以下もない。
そのJOYが散りばめられた、思わずにやっとしてしまう展示のラインナップ。
僕が最も好きだったのは、吹き抜け空間を使った映像作品で、赤いスポットを上から床に照らし出し、そのスポットに触れないように皆が逃げまわってる映像笑
もう笑いをこらえるので必死。ってか多分顔は完全ににやけてたと思う。
あと、スプーンとお椀で作った簡易発射機から発射されたものを、三人の女性が椅子やら机やらを組み合わせた中に拾いに行き戻ってきておわんに入れる。そしてまた発射され拾いに行くという行為を繰り返した作品。
あとは家をゴロゴロ転がす作品や、幾何学に開けられた壁の穴に粘土を押しこむ作品など。
吹き抜けの作品は正直よくわからなかった。やっぱ目録や説明が欲しかったです。
にしても特筆すべき点は、ほとんどが現場で作られた新作という点。
テレビモニターの前に水の入った容器を置いた作品以外は全部新作だったんじゃないかな。
記録としての映像と痕跡としてのインスタレーション。
この両者が同時に出来上がっているというのはとても興味深かった。
その結果が作品として立ち現れていて、展示室がまさにその現場という臨場感は大きい。
そこに人がいて、何かをしたという気配がありありと感じられてとても生々しかった。
泉さんの作品をここまでまとめて観るのは初めてだったけど、いつもこういう方法論で制作してるのだろうか。
例えばこれらの作品をどこかの美術館が所蔵するとなった場合はどのように所蔵されうべきなんだろう。
行為の痕跡というのは、やはり実際にそれが行われなければ意味が無い。
それを寸分違わずトレースしたとしても、そこには決定的な臨場感がかけてしまう。
インスタレーションではないが、ロンドンにあったベーコンのアトリエを寸分違わず再現した部屋がアイルランドのダブリンにある。壁についた絵の具のシミや汚れ等、すべて計測して徹底して再現しているのだけれど、やはり何かが違う。その部屋をそのまま移築したなら多分その臨場感は損なわれなかっただろう。
今回の泉さんの展示も、今ここで見てるからいろんなものを汲み取れるけれど、場所を変えて全く同じものを見せても難しいと思う。
痕跡としてのインスタレーションの難しさを考えた展示でした。11月27日まで。
http://taroizumi-koneru.com/

テーマ : アート
ジャンル : 学問・文化・芸術

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