Pritzker Prize 2010


SANAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!!!!!!!
日本人4組目の受賞です!!!
師匠の伊東さんを越しちゃいました・・・。
まあ、仕方ないです。
プロジェクトの実現率が半端ないし、妹島さん今年のヴェニスビエンナーレの総合ディレクターやし・・・。
妹島さんはこれから伊東さんにギャルソンをいくら送っても微笑んでくれないかもしれません。うそです。伊東さんは宇宙のように心の広い人なんです。
うわぁあああ、うれしいけど複雑・・・。
おめでとうございます!!!!

それにしても、SANAAの国際的評価が本格化したのってやはり金沢からですよね。あれからたった5年でこの快挙はどう考えてもすごい・・・。
伊東さんは台湾建てるまで待ちます。
日本人2年連続はないだろうしな・・・。
でももう他に思い浮かばない。うーん。


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Pritzker Prize 2009
Pritzker Prize 2008
Serpentine Pavilion 2009 by SANAA
熊野古道なかへち美術館 by SANAA
Novartis Campus 4 by SANAA
海の駅なおしま by SANAA
SANAA @バウハウス展示館

坂茂 on 情熱大陸


皆さん、日曜の情熱大陸は必ず見ましょう!


あと、ついでですが、今年のサーペンタイン・パヴィリオンの設計者がジャン・ヌーベルに決定したそうです。
公園の緑に対して補色の真っ赤なパビリオン。
色からのアプローチはこれまでなかったように思います。
彫刻的建築を作るヌーベルならではですね。
でもヌーベルならいいや。むしろサマーセットハウスのマルジェラ展観に行きたい。
詳しくはこちらで。

クシュトフ・ヴォディチコ講演会@同志社大学今出川キャンパス明徳館1番教室


クシュトフ・ヴォディチコ氏の講演会に行ってきました。
なんという名前だ・・・舌を噛み切りそうです。
ヒロシマ賞の際はウディチコという表記だったのだけど。
それはともかく、今回の講演会は24日から京都近代美術館で秘蔵のコレクションを一挙に公開する展覧会「マイ・フェイバリット」に氏の作品が展示されるので、それに合わせて来日しプレイベントとして開催されました。
中々貴重な機会なので、是非作品の背景にある思考に触れたい一心でした。

ヴォディチコ氏と言えば、前述のヒロシマ賞展での原爆ドームを使ったプロジェクションワークが日本では有名ではないでしょうか。
被爆者の方々に証言をとり、彼らの手を原爆ドームの下の部分に投影することで、原爆ドーム自体が語っているように見えるという作品。
実際に見ていませんが、涙が出る程の迫力です。
この作品のすごいのは、やはり証言者が日本人に限られていないということ。
特に在日の被爆者の方々の証言は想像を絶するものがあります。
戦後日本の闇の部分を見事に暴いてます。
こうした社会的に抑圧された人々の声を作品を通して社会に知らしめるのが彼の仕事の特徴と言ってしまっていいでしょう。
このヒロシマ賞の時はさらに「ディスアーマー」という作品も制作していて、悩みを抱える中高生にその機械を装着させ、背中についたモニターに彼らの目が映り、スピーカーで声が流れます。
面と向かっては言えないことも、背中越しになら伝えられる。
こうした繊細な部分をも丁寧にすくいあげる仕事をしています。

講演会の冒頭でまずどういう思考の元で作品が作られているのかが語られました。
その内容が非常にアカデミックというか、理解するのが大変でした。
まず「ドメイン(領域)」という考え方です。
これは場所や空間などの物理的領域のことではなく、精神的、或は社会的な領域を差し、このドメインをどれだけ内包するアビリティ(能力)を有するかが社会の器の深さに繋がっていくのだということ。そのドメインを拡張することこそが彼の作品の目的であるということ。
またシニックという古代ギリシャ、ローマの人々のことが語られます。彼らはオープンに思っていることを口にすることができた人々で、今では禁欲主義的な学派(犬儒学派)として研究されています。
さらにパレーシアという単語が出てきました。wikiによると・・・
古典修辞学で、包み隠さず話すこと、あるいは、そう話す許しを得ること。言論の自由だけでなく、危険を冒してでも公益のために真理を話す義務をも意味する。
このパレーシアになれない人々の為に作品があるのだということ。
また、作品はあくまで媒体であり、そのものに意味があるわけではないこと。
そこで語られたのが「絆創膏」のお話。
絆創膏や包帯というのは、もちろん実際的に傷を治す役割があるが、同時に周囲に自分はケガをしているということを知らせる役割があるのだという話。
作品もその絆創膏や包帯の役割を担っていて、彼らがそれを持ち運んだりすることで、周囲は彼らに興味を示し話を聞く。
ホームレスの人々の為のシェルターや、移民の為の杖など、そうした作品を数多く作ってきた背景にはそういうことがあるようです。
ただ、それはあくまできっかけでしかなく、作品は譲渡されるのではなく、その作品がなくなっても彼らが自分達の主張を発し続けることこそが重要なのだと強く仰ってました。

プロジェクションの作品では、パブリックの場所に投影することで、彼らの声がいやおうなく聞こえて来るわけですが、僕は単純にこれらのプロジェクションの美しさも彼の作品における重要な要素だと思っていて、彼はただの媒介だというけれど、やはり美術作品として美しさを備えているから人々は耳を傾け足を止めるのだと思います。
スイスのバーゼル美術館でのプロジェクションは屋上付近に4人の足が登場して、何やらを語り始めます。それは自分達が不法滞在者であることを暴露する内容なのですが、最初の登場から最後の退散まで、何気ない所作が際立って見えるんですよね。足をぶらつかせたり、手をもじもじさせたり、人は知らず知らずのうちに全身で語っているのだということを思い知らされます。
前述の広島での「ディスアーマー」も目がとても重要で、「目は口ほどにものを言う」とはよく言ったもので、その情報量たるやかなり大きいです。涙を潤ませたりきょろきょろしたり。
こうした身体の部分だけを映したプロジェクションは身体と心の動きまでも捕らえているようで本当にすばらしい作品です。
またアフガニスタンから帰ってきてPTSDになった人々の証言を陸軍の車のミサイル発射台にプロジェクターをとりつけ言葉の弾丸を壁にぶつける作品もありましたが、彼の作品の広がりに驚きました。
皮肉なことに、社会的に抑圧された人々がいる限り彼は作品を作り続けるのですね。

近美の展覧会では昨年のヴェニスビエンナーレのポーランド館で発表された作品が展示されます。
これは、今まで建物の外部で発表されてきたプロジェクションワークの室内版で、部屋の中にいくつもの大きな窓が投影されます。
その窓は磨りガラスになっていて、その向こうには人々が働く様を映している。
彼らは皆移民で、誰より懸命に働いているのに、自分達の主張もうまく聞いてもらえない人々。そんな彼らの声が重なりながら会場にこだまします。
昨年日曜美術館でやなぎみわさんの特集を映した時に彼女が心から感動したといって少しだけ映っていたのだけど、それがものすごく綺麗で、見てみたい!と思ってたので今からかなり楽しみです。
窓のない美術館に窓を開ける。素晴らしい発想ですね。

最後の質問コーナーで僕は彼のここまで社会的弱者に耳を傾ける真摯な態度を続けるには何かバックボーンのようなものがあるのではないかと質問しました。
こういう作品は、結局アーティスト個人の作品として発表されるので作家の自己顕示欲の為に弱者が利用されているだけではと勘違いされる場合があります。(実際そう思う作品も数あまたあります)
でもヴォディチコ氏の作品からはそういったものが読み取れない。
というかヴォディチコ氏自身が作品から姿を消している印象すらあります。
そこには何かあるのではないかと思ったわけです。
実際人々に告白させるような作品を作っているわりに、自身についてあまり語ることのないヴォディチコ氏。そんな彼が特別に語りにくいであろうことを語ってくれました。
まず、自分が作品を作るのはあくまで「人は誰かの助けになりたいという気持ちがある」というのを念頭に置いてほしいとのこと。
そこから彼の生い立ちに移ります。
彼はポーランドという、かつては民主主義ではない国に37年間過ごしました。
それから彼はカナダ、アメリカへと移住するのですが、実際3つのパスポートを持っていて、自分の国家的アイデンティティのゆらぎに対して思う所が大きいそうです。
そして彼の母親はユダヤ人であるということ。
広島のプロジェクションの証言をとっている際、在日の人々の中に母親と同じ目を見たそうです。彼はその目を作品を通してたくさん見ることになります。
やはり、あの鬼気迫ったような表現は彼の根っこから来るものだったのですね。
語りにくい内容を真摯に語ってくれたヴォディチコ氏に感謝です。

今回の彼の講演会ではとても得ることが大きかったように思います。
彼の作品があそこまで魅力的な理由。
それはやはり自分の根源から作品を作っているからなんでしょう。
近美の展示、とても楽しみです。

Olafur Eliasson 'Colour activity house' @ 金沢21世紀美術館





















オラファー2回目!
会期終了間際の20日にオラファーによる新コミッションワーク「Colour activity house」が完成したのとアーティストブックがついに完成したもんで。
コミッションワークは、色の三原色シアン、マゼンタ、イエローの弧を描いたガラスが互いに重なり合い見る場所によって見える色が様々に変化していくというもの。
円の中には灯台があり、夜にはそれが点くそうです。見てみたい。
ただ、なんとなく安っぽい感じがするんですよね・・・いいんだけど。
子供達が円の中と外をぐるぐる走り回ってました。
というか、この日は三連休中日ということで、凄まじい人!
前回の記事の写真と比べるとその差は一目瞭然。
現代美術ってこんなに人気あったの!?と勘違いしてしまいそうです・・・。
チケットを買うのに凄い長い行列が出来てました。
やっぱ金沢は全国でも特異な美術館ですよね。成功し過ぎ。
僕は係の人のおすすめで近くのコンビニでチケットを買ったので並ばずに済みました。しかも200円安かったし。
中もすごい人で、ミラーボックスを使った「Your body as eye」に長蛇の列が・・・これそこまで並ぶものなんだろうか・・・。
でも「Slow-motion shadow in colour」は色とりどりの影が重なり合いまくってて滅茶苦茶きれいでした。ごった返すぐらいがちょうどいいです。
「Your watercolour horizon」では半分寝転ぶぐらいの勢いで360度の虹を鑑賞したり、2回目だけど全然楽しめる。終わっちゃうのが惜しすぎる。。。
ショップではアーティストブックを購入。5800円もしたけど仕方ない。
これは表紙とページのエッジがまっすぐで箱のような見た目。
写真もすごく不思議で、作品を撮ってるのか建物を撮ってるのかよくわからない焦点。建築と展覧会がひとつになってる感じです。
しかも出版社が海外。ここまで時間がかかったのもうなずけます。
あー、いい夢見させて頂きました。ありがとう!

レストランのランチビュッフェ食べたかったけど全然だめでした。
おかげで昼食にありつけるまでに1時間ぐらいさまよった。
なんで美術館の周りにあんなお店少ないんでしょう。
ひとついい感じのお店をすぐ側に見つけたのでこれからはレストラン行けなかったらあそこにします。
駅でうわさの「まぼろしのクリームパン」を食す。うめー。

<関連記事>
オラファー・エリアソン「あなたが出会うとき」@金沢21世紀美術館
Olafur Eliasson 'SUNSPACE FOR SHIBUKAWA' @ HARA MUSEUM ARC
Serpentine Pavilion 2007
STUDIO OLAFUR ELIASSON : An Encyclopedia

なかもと真生@大原美術館




なかもと君は僕と同年で、京都を舞台に活動する作家を取り上げた&ARTというサイトを企画していて、studio90の田中がお世話になってることもあって、仲良くさせてもらってる作家さんの1人。
そんな彼が大原美術館で展示するというので倉敷まで行ってきました。
これまで作品を写真でしか見たことがなかったのですが、そのスケールの大きさは写真ですら伝わる程なので、かなり楽しみにしてました。
展示は屋内のものと屋外のもので2つ。
屋内のものを見るには入場料1000円払わなければなりません泣
目的は彼の作品だけなんだけどなー。。。
ここは日本で最初の美術館ということもあり、中々いいもの持っているのでそれはそれで楽しんだらええんやけど、こないだ彦坂君の時に見たばっかりやしなぁ・・・。
とまあ、文句つけつつ本館最後の展示室へ。
ここは途中吹き抜け部分からも作品が見れるのだけれど、なんだか要らないものがたくさんついてる。前の展示で使ったやつをそのままにしてるという印象。どうなんだ?
そこには廃棄物をスプレーで銀色に着色したものが正方形に並べられていた。
「Structure of nothingness」というタイトルだが、確かに驚くほどにひとつひとつの情報が希薄になっていて何も入ってこない。ディテールを見ればそれが何なのかは一目瞭然なんだけれど、すぐにそのディテールが飛んでしまう。意識のピントがうまく合わない不思議な感触。この得体の知れない感触は中々のものだけれど、もう少し大きなスケールで見たかったってのが正直なところ。というか、天窓はなぜ閉じられていたのだろうか?自然光で見せた方が生えるような気がしたのだけれど。
あと、岡山の水島地区に対するインスタレーションの提案スケッチが展示されていたけれど、こちらの方がおもしろかった。作家のピュアな欲求みたいなのが直接伝わる。
さらに外に出ると、更に大きな「Structure of nothingness」。
この日はとても天気がよくて、銀色の廃棄物達に太陽光が燦々と照り返して思わず目を細めざるを得ない程眩しくて、この作品の本領を発揮しているようだった。つまり、さらにディテールははるか彼方に飛んでいって、光の残像がいつまでも目にこびりつくのである。こんな作品の残り方は初めてで面白い体験だった。そこに実際のものがあるのにも関わらずすごくものであることが希薄。
当初僕は、その廃棄物を収集するという行為が僕の床下のものを収集する行為に近いのではと思っていたのだけれど、そのアプローチは真逆で、僕がそのもの自体の存在感をそのまま抽出したいのに対して、なかもと君はその存在感を出来る限り薄めるようにスプレーを吹いて均一にしてしまう。おもしろいなー。
あと、彼の作品を美術史のどこに当たるのかと思いを巡らすと、リチャード・ロングやトニー・クラッグのようなイギリスの彫刻史に近い気がする。インスタレーションというより彫刻という感じ。決して「もの派」の系譜ではない。
やはりこの作品は天気のいい日に外で見るのが一番だと思う。


ところで、今回のこの大原の企画はAM倉敷といって、Artist Meets Kurashikiの略で、媒体に関係なく様々な現代表現を取り入れ発表するという企画らしい。調べたらVol.1はログズギャラリーによる「ガソリンミュージック&クルージング」で2007年6月から7月。その次Vol.2は写真家小野博で2008年4月から5月。で、Vol.3は画家の鯉江真紀子で2009年1月から3月。Vol.4は森山大道や長島有里枝を含む写真のグループ展で4月から5月。Vol.5はダンスユニットのoff-nibrollを迎えて10月から11月。
そして今回がVol.6で4月11日まで。
サイトにアーカイブが見当たらないのでここまで面倒くさかった。
で、よくわからないのが、この「AM倉敷」の統一性のなさ。
まず、すごく不定期に行われているのが不可解。
Vol.1と2は1年ちかく空いてて、次の3から一気にペースが上がる。
3に関してはなぜか期間が他より長い。てか1月1日からって!
あと、4だけがグループ展なのもよくわからない。
どういう選定なんだろう・・・謎過ぎる。
でもまあ、こういう伝統的な美術館が現代表現を取り入れるのがとてもいい。
大原は前述した通り、日本で最初にできた美術館で所蔵もクラシックなものしかないけれど、このAM倉敷然り、公募のレジデンスプログラムARKOや、有隣荘を使った現代美術の展覧会(今年はヤノベケンジ)、平面作家の登竜門VOCAも実はこの大原美術館の館長が選考委員長。中々革新的な美術館なんです。
今年は瀬戸内海国際芸術祭もあって、中国四国地方がこれから盛り上がりそうな予感がするのでどんどんがんばってほしいですね。

なかもと真生HP>>http://www.nakamotomasaki.jp/
&ART>>http://andart.jp/


ところで、実はついでに香川のW谷口建築(丸亀&東山魁夷)を攻める予定でしたが、なんと途中で18切符を紛失するという大失態をかましてしまって断念しました・・・急遽バスで大阪へ・・・泣きたい。

The Unilever Series 2010



今年で11回目を迎えるテートモダンの一大イベント。
その11人目の作家が発表されました。
それは中国人作家のアイ・ウェイウェイ。
個人的にホッとすると同時に残念な感じ。
もう、ドリス以降パッとしてませんからね、このシリーズは。
アイ・ウェイウェイか・・・どうなんでしょう。
今年の10月にお目見えです。
ってかまだ今の闇のやつ終わってないけど。

うーん、今後誰がやったらおもしろいかなぁ。
僕としては塩田さんがあの糸をタービンホールいっぱいに張り巡らしたらおもしろいかと。
今塩田さんはロンドン屈指のギャラリーHaunch of Venisonで個展開催中。
昨年のHaywardのグループショーから大出世です。
とどまることを知らない塩田さん。どうでしょう、テートさん。


The Unilever Series: Ai Weiwei
12 October 2010 ? 25 April 2011
Tate Modern 詳細はコチラ



ところでサーペンタインパヴィリオンの発表はいつなのかしら。

オラファー・エリアソン「あなたが出会うとき」@金沢21世紀美術館









オラファーは完全に神になりました。
すごくよかった。本当によかった。終了までにもう一度行こうと思います。
こんな展示が日本で見られるなんて・・・アートラバーとして感激の極みです。
これは確実に必修科目ですね。これ見ないと卒業単位落とします。
テートやブレゲンツの展示と、近年のNYでの滝やサーペンタインパヴィリオンなんかを比べると、最近精度落ちてきてるよなーと内心思ってましたが、今回の展示見て改心しました。ごめんなさい、オラファー様。あなたはやはり神でした。

オラファーがこの美術館のためだけに企画した特別な展覧会。巡回はなし。
実際この美術館をめいっぱい使ってて、回りながらとてもゾクゾクした。
もう言葉になりません。レビュー放棄です。もっと早くに行ってればよかった。
強いて言うならやっぱ「Your atmospheric colour atlas(あなたの創りだす空気の色地図)」がすごかった。最初もっと濃い霧を想像してて、自分が虹に包まれる感覚を味わいたかったのに、とちょっとがっかりしながら奥に進んで振り返った時の感動が忘れられない。これは自分というより他の観客が虹に包まれていくのを見る作品なんだと思う。虹に消えてはまた現れる様が美しすぎた。
また、円の部屋を利用した「Your watercolour horizon(水の彩るあなたの水平線)」もすさまじい強度。美しい。
水の姿を捉える「Object defined by activity(動きが決める物のかたち)」もすごい。
今回の展覧会の作品には’Your'という単語が多く使われている。
展覧会のタイトルにも使われてるし、ここから今回のオラファーの気持ちが伝わってくる。
当初朝一の人が少ない時間帯に一人で作品を独占してやろうと思ってたんだけど、後述する「菅木志雄展」に先に行ってしまったのでそれはかなわなかった。
でもそれは思いがけず大当たりで、これは人が多い時に行った方が絶対にいい。
なぜなら観客がいてこそ成立する作品がほとんどだから。
特にこの美術館は老若男女問わず様々な人が訪れるので、彼らの笑顔が作品に花を添える。
特に子供はおもしろがってどんどん作品に「参加」していく。
ショップでまだこの展覧会の図録が出来上がってなかったので(絶対買います!)、代わりにDVDを買った。ガーディアンのアートレビュアーとのインタビューに、「君は最近のアートでは珍しい'pleasure'という言葉を使うね」という指摘があって、オラファーが「そのとおり。僕の作品ではfeelingがもっとも大事なんだ」と答えてました。
この言葉どこかで聞いたことあるなぁ、と思ったらクリストとジャンヌも同じようなこと言ってるんですね。「わたしたちのアートで一番大事なのはjoyです」と。
アートは人を笑顔にしてなんぼの商売だと彼らから学べますね。涙。
ちなみに、僕と同じスリットを使った作品「Less light horizon(微光の水平線)」は微妙でした。というかクオリティが・・・どうしたんだオラファー?
あの作品と今回の僕の作品とたまに比べられたんですけど、共通点スリットってだけやん!あれ覗いても殺風景な風景しかないし、構造丸見えやし・・・。あれはそこから漏れる光を見る作品なんであしからず・・・。
なんにせよ早くも今年一番の展覧会です。
常設では村山瑠璃子さんのあの布の大作にびっくりした。あれはすごい。
あと須田さんの展示が普通に落ち葉とまざってた笑
ってか考えたらここカプーアもタレルもあるし、もうすぐオラファーのコミッションワークもできるみたいやし(最後の写真)、神の殿堂と化してる・・・。すごいなー金沢。うらやましい!
<関連記事>
Olafur Eliasson 'SUNSPACE FOR SHIBUKAWA' @ HARA MUSEUM ARC
Serpentine Pavilion 2007
STUDIO OLAFUR ELIASSON : An Encyclopedia

菅木志雄「在るということ」@金沢美術工芸大学アートギャラリー

こないだ京都の小山さんとこで見た作品がめちゃくちゃかっこよくて、ちょうど金沢でも展覧会してるってことだったので行って来た。
感想は・・・オラファー見ちゃったらねぇー・・・。
旧作より近作の方が断然かっこよいです。

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外苑前にあるDIALOG IN THE DARK(以下DITD)に行ってきました。
DITDとは、視覚障害者の方が先導してある物語に沿って暗闇を探検するというもの。
予約がいつも満杯で、この日は平日なのでどうにか当日予約で行けた。
紹介してくださったYさんと一緒にLet's get into the dark!

8人位のグループになって進んでいくのだけれど、知らないもの同士でも暗闇の中ではすぐに仲良くなれちゃう。協力しないと前に進めないですから。最終的に暗闇の中で皆ではないちもんめしたりして遊んだ笑
最初は恐ろしくて前になんて進めないと思ったけど、段々楽しくなってくる。
まず入ったら土や枯葉の匂いが嗅覚を刺激する。
棒で辺りをかき混ぜながら互いに何があったかを報告しあっていく。
中には植木鉢があったりブランコがあったり、まるで公園。
ものすごく広く感じたのだけれど実際はどれぐらいの広さなのだろう。
暗闇の中では視覚以外の感覚が研ぎ澄まされる。

途中「雷親父」の家を通り抜けて秘密基地へ。
「雷親父」の家に勝手に上がりこんで色々物色。
靴を脱いだら一生取り戻せないんじゃないかと思いつつ、皆で自分の隣に誰が脱いだかを確認しながら脱げば解決することがわかる。
「雷親父」が帰ってきたので、急いで、でも慎重に逃げる。
途中橋を渡るのがものすごく怖かったけどなんとか秘密基地へ。
秘密基地には色んなおもちゃが隠されていた。
闇の中では皆が無邪気な子供になれる。
AがAであることがわかるだけで興奮できるなんて。

お次は闇の中のカフェへ。
飲み物を注文。ここはあえてホットココアで。こぼしたらアウト。
200円を払うんだけど、ここがまた至難の業、かと思いきや意外と手触りで硬貨の種類がわかる。
1円は軽いし、10円は大きい、5円と50円には穴が開いてるし、500円は最もでかい。
無事払い終えてあったかいココアとクッキー。しあわせ。
どういう机でどういう配置で皆が座ってるのか話し合う。
そんなこんなで楽しい時間はアッという間。
闇ともお別れの時間。
なんと90分も闇の中にいたらしい!
再び光の世界に戻るとなんだかとても味気ない感じがした。

最近視覚にとても興味があります。
特に暗順応や明順応といったことに。
美術はどこまで言っても視覚芸術なので、作品の見え方、見せ方を考えつくさなければなりません。
そこでこのDITDの話を聞いた瞬間からいてもたってもいられなくなって早速体験してきたわけです。
そして、僕の至った結論は、やはり闇のままでは芸術になりえないということでした。
実際闇の中で膨らむ想像力というのは偉大で、感覚が研ぎ澄まされます。
それでもなんだか、やはりあの感覚は遊園地のアトラクションに近い一過性のものを感じました。
作家は作品を作って誰かに見せるという時に想定する観客は圧倒的に健常者と言われる人々です。
そのことに僕はある種の罪悪感を背負っていました。今も背負っています。
芸術センターの展示ではさらに見えにくさやスリットの高さに関して、お年を召した方々からはある程度の反感も聞かれましたし、それは仕方ないと思っていました。
そんな折、弱視の方が来られて僕はどうしようかと考えあぐねていたのですが、その方がものすごく自然にスリットの中に指を入れ始めたのです。
どうするのかとしばらく見守っていたら、スリットに沿って指を入れながら歩き始めて、中の石に当たる度に立ち止まり、その石の感触を全身で感じておられました。
僕はその瞬間なんだか救われた気持ちになって、とても感動しました。
こういう作品の鑑賞の仕方があるのか!と
僕は美術という視覚芸術から逃げないようにしようと誓いました。
そして今回の体験を通して、やはり「見えない」と「見えにくい」では違うのだと確信しました。
闇の世界と光の世界の大きな違いはずばり陰影の存在です。
闇と陰影は違います。
陰影とは我々が視覚で世界を認識する際の絶対的要素です。
僕はこの闇と光の間に存在する陰影を見せたいのではないかと思っています。
まだまだまとまりませんが、今回のDITDの体験は改めて自分の中の核心に触れた気がしました。
いい体験をありがとうございました。

ところで、この8人の中ですごい出会いがありました。
世界は狭い!

DIALOG IN THE DARK>>http://www.dialoginthedark.com/
普段は90分5000円ですが、3月20日から22日は60分のショートバージョンが3000円で体験できるみたい。お試しにいかがでしょうか。ネットではいっぱいでも駄目もとで電話してみたらキャンセルが出てることもありますので是非トライしてみてください。
内容が季節によって異なるみたいなのでしばらくしたらまた行ってみたい。くせになります。

テーマ : アート
ジャンル : 学問・文化・芸術

「エレメント」構造デザイナーセシル・バルモンドの世界@東京オペラシティ


金曜の延長時間に行くとチケットが半額になるらしいy
ということでなんとか東京最終日、滑り込みました。
待ちに待った、セシルの日本初個展です。
今まで建築家の展覧会はあっても、構造エンジニアの展覧会は珍しいと思う。
ただ、セシルの場合、構造エンジニアという枠を大きく逸脱している。
ただただ建築家の案を実現する構造原理を導き出すだけに非ず、セシルの場合はさらなる創造性をそこに加えて、建築という静的な物体を一気に動的な、まるで自然界に生きる生物のように生命を与えてしまう。
伊東さんやOMAとの仕事を見ていればそれは歴然。
どっちがデザイナー?と首を傾げてしまうほどである。
建築家にとってこれほど刺激的で驚異的なパートナーはいないのではないだろうか。
展覧会の冒頭はカラフルな垂れ幕で生い茂る森で始まる。
その垂れ幕を掻き分けながら進んでいく。たまにセシルの言葉が書かれていたりするが、それを全部読みながら進むも、好き好きに進むもまったくもって観客の自由。
僕は後者を選んだ。
それはまるでセシルの思考の森。
言葉や彼に啓示を与える自然界の「エレメント」が生い茂っている。
そこを抜けると、今度は数学のトリックをさらっと見せてくれる。
一つ一つはちゃんと説明してくれないとわかんないけど・・・。
度肝を抜かされたのが「H_edge」と言うインスタレーション。
これほど構造の凄みを端的に、そして能弁にあらわしたものはない。
X型の鉄のフレームと鎖で構造物が出来上がっている。
そこには支えなどまるでなく、ただただそれらの生み出す張力で成り立っている。
そして足元にはV&Aで発見した黄金比率のタイリング。
それを延長するように向こう側の壁にはタイリングの映像が滝のように流れている。
滝といえば岩。映像の手前には黒と白の岩のようなオブジェ。
これは正直よくわからなかった。。。
通路にはこれまでのプロジェクトを一台一台テレビ画面で見ていくコーナー。
というかこの通路の使われ方は毎度こんな感じですね。
まあ、こんな感じだけれど、ちょっと簡単に見れすぎてしまったのが残念。
会場にいろんなエレメントが多すぎて、なんだか散漫な印象を受けてしまった。
なんだったらあの大部屋は「H_edge」だけでもよかった気がする。
でもまあ、やっぱりセシルは刺激的。
バタシーの計画もものすごく楽しみです。3月22日まで。
<関連記事>
Cecil Balmond+伊東豊雄@NHK大阪ホール
Temenos by Anish Kapoor x Cecil Balmond
伊東豊雄


他に東京で見た展示をまとめてざざっと。


村山悟郎 shiseido art egg vol.4@SHISEIDO GALLERY

もはや恒例になりつつあるshiseido art egg。今年で第4回。
すでに若手作家の登竜門的位置を占めていて、この国における乏しいアートコンペの中ではかなり質の高いコンペだと思います。
毎年3人選ばれて年のはじめに順番に行われていく。
今年の応募総数は336件。昨年よりは多いものの、第一回が650件という脅威的な数字なのでなんともいえない。でもまあ狭き門なのは変わりなし。
今回僕が見た村山君は第4回の最後を飾る展示。
同い年なのでなかなか気になって見てきました。
最近の作家ではめずらしいほどに大きな作品。
壁面をまるまる覆い尽くさんばかりの大きさでした。
縄を編んでどんどん成長を遂げていくらしいです。
その上に描画していくんですが、その描画方法にもルールがあるそうな。
また奥の展示室にも、壁に直接描いたドローイング。こちらもルールあり。
なんだかルールを設定しすぎて、逆に縛られないのかな?と心配になる。
もう少し自分の創造性を信じてもいいと思った。
あと、そのルールのわりに、縄と描画の関係がイマイチ見えなかった。
関連記事>>宮永愛子「地中からはなつ島」@資生堂ギャラリー


森末由美子「ある日静かに」@INAXギャラリー2
昨年の京都芸大の政策展で気になってて今回たまたまやってたので寄ってみた。
んー、ほそかわの時同様インスタレーションの仕方がまずい気がする。
この若さですでに回顧展みたいな雰囲気。これはまずい。
せめて作品のシリーズをしぼるべきだったんじゃないだろうか?
あれもこれも見せたいというのもわかるけれど、手の内はある程度隠すべき。
作品はおもしろいので、発表の仕方をもう少し考えるべきじゃないかなぁ。
えらそうですんません。
ところでこのギャラリーでやってる展覧会圧倒的に関西の人ばかりなのは気のせい?
<関連記事>
森末由美子「無重力で右回り」@ギャラリーほそかわ
京都市立芸術大学学内展@京都市立芸術大学


東信「鎧松」@POLA MUSEUM ANNEX
「ジャンルの横断」という点において最も作品の精度が高い作家の一人。
華道だけど、ものすごくインスタレーション感覚に恵まれた人だと思う。
今回も会場にこの「鎧松」ひとつ。
奥には映像もあったけどなくてもよかった。
この「鎧松」の佇まいが本当に異様で、会場を飲み込んでた。
実際の鎧松にパンチングメタルでできた鎧を着せてしまうというもの。
一部普通にその鎧からはみ出てる部分があったのだけどあれはどうなんかな?
あと、パンチングメタルってのが、確かに遠くから見るとかっこいいのだけど、近くで見るとその中身がメタルと穴の部分で「見える」「見えない」が完全に分離しているので、もっと曖昧に見える素材ならもっとかっこよかったと思う。
そういえば名和さんも松をプリズムボックスに閉じ込めてたっけ。
エレベーター降りてぱっと見たときの異様さは確かにすごかった。


小谷元彦「Hollow」@エルメス銀座
今回最もがっかりした展示。
もともとそんなに期待してなかったけど、写真で見るとその浮遊感が空間にすごい緊張感漂わせていたのだけれど、実際会場で見てみると、ただただテグスとかで吊ってるだけやし、壁に設置してあった作品はビス丸見えやし、樹脂の継ぎ目がまるわかりで、げんなり。
展示の緊張感が驚くほど欠けていた。こんな作品は緊張感が命なのではないのか?
逆に床に置かれた作品がもっともよかった。
細い足でその大きな頭(?)を支えてる様にこそ浮遊感を感じたからだ。
年末森美で展覧会だけどどうかな?うーーん。


半田真規 変生態-リアルな現代の物質性VOL.8@ギャラリーaM
いいと言われて行ってきたけどそんなでもなかった。
元のスペース知ってたらもっと印象は違ったかもしれない。
この人去年ロレックスのプログラムでレベッカ・ホルンと一緒に作品作った人ですよね。
これどうやて選ばれるんでしょうか。
次のメントー(指導者)がカプーアらしく、喉から手がでるほどそのプロトジェ(生徒)の権利がほしいんですが。。。
知ってる人がいたら教えてください。
って、全然レビューになってませんな。


あと、今週からオープンする某アートセンター(わかる人はわかりますね)に友達の配慮でその準備中のところを特別に見せてもらった。
んー、ついに東京にもこんなところができるのかぁと驚嘆。
うまくネットワークが広がるといいけれど。
また出来上がったら行ってみたいと思います。
以上東京報告でした。
あとやなぎさんの展示とか見たかったなー。

クリストとジャンヌ=クロード展@21_21 DESIGN SIGHT



昨年末に届いた悲しすぎる知らせ。
その一報を聞いたときにまずクリストのことを想いました。
このまま彼も後を追ってしまわないかと。
しかしその思いはとても浅はかだったようです。
生前も別の飛行機に乗って移動していた二人。
一人が事故に遭ってもプロジェクトが遂行できるようにという思いから。
ジャンヌ=クロードの死は彼にとってとてもつらかったことでしょう。
半世紀以上連れ添った人生の伴侶。
それはもう僕には想像も及ばない悲しみだと思います。
それでも二人にはプロジェクトという人生を掛けたものがあります。
今回のタイトル、「LIFE=WORKS=PROJECT」は彼らのことを見事に表していますね。

展覧会初日にはクリストも来日して講演を行ったそうです。
聞きにいきたかったけどどうしても行けませんでした。
実際聞きにいった友人によると、今までジャンヌがしゃべり倒してたパートもクリストがまくしたてていたそうです。彼の後ろには確実にジャンヌがいるんですね。
それを聞いて安心しました。

今回の展覧会はその訃報を受けた三宅一生が、急遽ねじ込んだ企画らしい。
分野は違えど同じ布を使うアーティストとして共通するものがあったのでしょうか。
展示品の中には三宅一生に贈った梱包作品も展示してありました。
そして、1985年6月13日の新聞を包んだ作品。
この日は二人にとって50回目の誕生日。
そう、彼らはまったく同じ日にこの世に生を受けたのです。
それを見たとき涙がとめどなく落ちて大変でした。
監視員から隠れるように泣きました。
平日の朝一だったので人も少なくて助かりました・・・。
あやうく声が出そうなほどの涙でした。
僕は彼らが大好きです。

彼らのすごいところは「きれいごと」を素でやってしまうところ。
誰からの援助も受けず、自分たちのやりたいことだけをする。
そのためにはどんな犠牲もいとわない。
展示されてる作品の数々はまさに彼らの人生そのものが反映されていました。

また、この展覧会では彼らを追ったドキュメントフィルムの上映もしています。
中でも2005年のNYで行われた「The Gate」のフィルムは日本初公開。
2年ほど前だったか、NYのフィルムフィスティバルで上映されたと聞いてから見たくて見たくてたまりませんでした。
それが今回叶ってようやく見ることができました。
サフラン色の布が垂れるその瞬間。
カメラがパンして、観客の姿を捕らえます。
すると、その画面に映った人々の顔がすべて笑顔だったんです。
それを見た瞬間またもや涙がこぼれました。
アートって何だろう?
という問いは、関係者なら誰しも考えることだと思います。
僕はクリストとジャンヌがやっていることにある種の解答があると信じています。
学生の頃、その壁にぶつかった時に、救ってくれたのもクリストとジャンヌでした。
彼らの「The Gate」が新日曜美術館で放映されていて、それを見てぼろぼろ泣きました。
特に、制作スタッフの誇らしげに観客に説明している姿は印象的。
今でも彼らの笑顔が忘れられません。
観に行けなかったのは悔しいですが、それでもホントに救われました。
今回この映画を見てまたあの時の気持ちがよみがえりました。
まだ日本語字幕はついてませんが、早くDVDになってほしいです。
ちなみにその他のDVDはすでに購入済み。
壁にぶつかった時に見るようにしてます。
会期中上映プログラムが曜日ごとに違うのでご注意を。
「The Gate」は木曜と日曜日です。

展覧会の最後にはジャンヌの写真が飾られていました。
本当にありがとうございました。大好きです。
進行中の「Over The River」と「マスタバ」はできたら必ず見に行きます!!!


クリストとジャンヌ=クロード展「LIFE=WORKS=PROJECT」
21_21 DESIGN SIGHT
2010年2月13日-4月6日 火休(4月6日は開館)
11:00 - 20:00(入場は19:30まで)
*3月27日は六本木アートナイトのため翌朝5時まで開館(入場は4:30まで)
映画の上映予定はこちら


<関連記事>
ジャンヌ・クロード逝去
クリスト&ジャンヌ・クロード講演会 @ 福岡市美術館
クリスト&ジャンヌ・クロード講演会@京都造形大学

楊福東「将軍的微笑」@原美術館


今回の遠征では映像をかなりたくさん見た。
その中でも特に印象深かったのは、原美の楊福東の展示。
そもそも彼の作品は以前まで得意ではなかった。
その最も苦手としてた理由はなんせ長いこと。
1時間なんてザラで、2007年のヴェネツィア・ビエンナーレで発表された「竹林の七賢人」なんかはなんと5時間にも及ぶ大作である。
確かにアルセナ-レの会場のど真ん中に大きなシアターを構えて上映していたのを覚えているが、当時誰がこんな長いこと見続けられんねんといった感想で、パッと覗いて出て行ってしまった。
映像はパッと見て評価を下せないメディアだ。
ある一定の時間半強制的に拘束される。
見出したらキリがないので、いつも1分ぐらいで評価を下して見続けるか否かを決めてしまう。
楊の作品の特徴は白黒の無声映画ということである。
映し出されるのも誰かの日常のシーンばかり。
至極退屈でスペクタクルもない、おそろしく単調な映像なのだ。
そんなイメージを覆したのが、一昨年に見た、「アヴァンギャルド・チャイナ」での映像だった。
会場の最後に投影されていたそれは、とても感動させられた。
意味から解放されるというのか、観客が各々ストーリーを紡いでいける、とても豊かな映像だと気づいたからだ。
それから楊の作品を見るのが苦にならなくなったので、今回の展示は結構楽しみにしていた。
中でも前述した「竹林の七賢人」の第三弾となる映像はすばらしかった。
連れがいたので気を使って途中で出てしまったけれど、最後まで見たかった。
確か50分以上あったと思うけれど、まったく苦にならない。
5月まで会期が延長されてるので、もしかしたらまた観にいくかも。
あとその隣の「半馬索」もよかった。荒涼とした大地をスーツ姿の青年がひたすら旅をしていく。
今資料を見て驚いたが、カラーの映像だったんですね。記憶の中ではこれも白黒のイメージだったのだけど。こういう記憶違いも楽しい。
これまでの楊のイメージを変えてきたのが、2階の奥の部屋に展示されていた「青麒麟 Part1」と、今回のタイトルにもなっている「将軍的微笑」である。
どちらもインスタレーションの形式をとっていて、これまでがっつり映像として見せてきた楊のイメージからは程遠い感じだ。
まだ「青麒麟」は、これまでの主題、すなわち発展から遠ざかっていく風景を、労働者と共に見せるスティールとムービーの中間を成す作品だけど、「将軍的微笑」に関しては完全に束芋的な映像インスタレーションだった。
「将軍的微笑」は、この美術館の前のダイニングルームを使った、サイトスペシフィックとも言える作品で、でも今回の為に作られたものではないという不思議な符号を持った力強い作品。
長い机の上に、食事をとる人々の手が映し出されていて、わいわいがやがや様々な音が流れている。
上にもいくつかのTVモニターが設置されていたり、両端には二人の将軍の姿。
一人は昔をひたすら回顧していて、一人はピアノを弾いている。
テーブルの世界とかけ離れたどこかさびしい風景。
この作品をどう解釈するのか、僕の中でまだ釈然としていないけど、これから楊がどのように進んでいくのかが楽しみ。
ちなみに一番最初の部屋の「バックヤード-ほら、陽が昇るよ!」はわけがわからず、初っ端から不安に陥れられました笑
毎週日曜日には映写技師さんが流してくれるんやって。
あと、2階の階段のところで流されている楊のインタビューは必見。
思慮深く、一言一言が重く響きます。
5月23日まで。
<関連記事>
アヴァンギャルド・チャイナ@国立国際美術館
52 la Biennale di Venezia ♯1


REFLECTION 映像が見せる"もうひとつの世界"@水戸芸術館

先日の小生の展覧会を見てくださった学芸員さんにご挨拶をと思って朝一で水戸。
にしても遠い・・・。いつもここはいい展覧会がやってるけど距離が邪魔をする。
そのついでとばかり見た展覧会だったけど結構よかった。
前半は政治的なテーマを扱ったものが多かった。
マティアス・ヴェルムカ&ミーシャ・ラインカウフのベルリン統合前の東から西へ脱走する人々を再現した映像や、藤井光の若いホームレスを取材した映像。Chim↑Pomやジェレミー・デラーもいうにあらず、八幡亜紀の河川敷で一人でサーカス小屋をやってるおっさんに当局が出て行くように要請するみたいなドキュメントまで。
こういった作品を見るたびに考えてしまう。
つまり、アートでこれをやる意義がどこまであるのだろう?と。
もちろんないとは言えない。観に来た人は多かれ少なかれその問題を考える。
しかし、この「観に来た人は」というのが問題で、わざわざ美術館までやってきて、こういった映像を見る人がどれだけいるのかという話である。
こういった問題はマジョリティに訴えかけてなんぼみたいなところがあるので、アートみたいなマイノリティの世界でやるより、よっぽどテレビ番組とかにしてしまう方が効率がいい。
もちろん一人一人に訴えかける深度はまったく違うが、それでも、である。
むしろ前半のおもしろさはその展示の仕方にある。
得てしてそうなってるのかはわからないけれど、ひとつの映像を見ているときに視界の端にすでに別の作品が見えていたり、音がこちらまで聞こえてくるといった侵犯がなされている。
その状態がとてもおもしろかった。どうなんかな。
後半は宇川さんからがらっと印象が変わる。
宇川さんの作品はなんと「目を瞑って見る映像」。
他のしかけは特におもしろくもなんともなかったが、こういう映像の見せ方は面白いと思う。あと何を見せるかというのにもいろいろ可能性がありそう。今回のはただの刺激でしかなかったが、もっと豊かな像を見せられる隙間があるんじゃないだろうか。
あと以降の作品はどうってことないけど、ラストのさわさんは必見。
正直これ観るだけでも水戸に来る価値はあると思う。
もう泣きそうになった。2周分ぐらいその場から動けなかった。
やはりさわひらきはすごい。感動した!
さわさんは「インシデンタル・アフェアーズ」の時もそうやったけど、グループ展の最後を飾るのに相応しい作家。映画のエンディングを見ているよう。音楽も素敵。完璧。
水戸は展覧会ごとにかなり空間を変えてきていて、その精度がどの美術館より高い!
美術館自体は正直どうしようもないけれど、そこはキュレーターの腕の見せ所なのだろう。
今回のクリテリオムの高田安規子・政子の展示もよかった。
地図を切り取るすさまじい手仕事。すばらしい。
あー、前回のボイス展も見たかった!
<関連記事>
Hiraki Sawa @ Chisenhale Gallery
インシデンタル・アフェアーズ@サントリーミュージアム


束芋「断面の世界」@横浜美術館

とても楽しみにしていたのだけど、残念ながら期待を上回るものではなかった。
もちろん各々の作品はすばらしかったのだけど、全体の印象が薄すぎる。
何でかな?原美術館の展示がよすぎてそれとどうしても比べてしまう。
多分「よかった」と思える展覧会って、数ある出品作品の中でも突出したものがひとつでもあれば「いい展覧会」という印象になるんじゃないかと推測する。今回のは平均して良くて、だからといってこれがよかったと後に語り継げるものもなかったのが痛いところ。難しいね。
逆に原の時はあの波の映像が未だに忘れられないのです。
楊福東のカタログは買ったけど、束芋のカタログは買えなかった。
大阪の国立国際にも巡回するみたいやけどどうしようかなー。安かったら行こう。
常設は石内都の写真の保存状態の悪さに驚愕。大丈夫か?
夜にはチェルフィッチュの舞台を見た。ちょうど会場も横浜美術館やったし。
客席に俳優のMM氏がいた。完全に浮き足立ってしまった。オーラが違う。
内容は格差社会に言及するものだったけど、動きもほとんどないので難しかった。
隣に座ってた連れは完全に眠りの世界に没してらっしゃった笑
いろんな舞台が見たい今日この頃。

横浜美術館ではちょっとした個人的事件がありました。
なんと館長の逢坂さんにお会いすることが叶ったのです。
彼女は僕の憧れのキュレーターさんで、ここでも何度か言ってる水戸芸の「人間の未来へ-ダークサイドからの逃走」という展覧会を企画されて、僕はその展覧会で初めてキュレーションの重要さに気づかされたし、初めて展覧会見て泣いてしまったのです。
そんな逢坂さんがなんとこないだの小生の展覧会を観に来てくれてて、そのときはお会いできず芳名録で確認して一人で飛び上がったんですが、今回だめもとでアポもなしに受付で挨拶できないかと言ったらわざわざ出てきてくれて名刺までいただいちゃいました。
あの展覧会の感動も伝えられたので、束芋やチェルフィッチュそっちのけで大感動。
いつか一緒にお仕事したいっす!

<関連記事>
人間の未来へ-ダークサイドからの逃走@水戸芸術館
束芋「ヨロヨロン」@原美術館
束芋@カルティエ財団
チェルフィッチュ「クーラー」@AI・HALL
「タトゥー」@新国立劇場

「火垂」 by 河瀬直美

18切符で静岡寄って東京まで行ってきた。
18切符最長記録!
朝5時に出て、着いたら夕方の5時。12時間。ケツイタイヨ。

この日の17時半から水道橋にあるアテネフランセという所で河瀬直美さんの「火垂 2009 version」が上映されるとのことで行ってきました。
これは昨年カンヌで「金の馬車賞」を受賞を機に、2000年に発表した「火垂」を再編集して上映したもの。夏には奈良国立博物館の講堂でも上映されました。
僕は河瀬さんのストーリーものとしてはこの作品だけ見たことがなくて、ちょうど上京一日目で見られると知りなんとか間に合わせました。
アテネフランスは、なんなんやろ、語学学校?なぜか映画館もある。
そんな小さな映画館ですが、さすが河瀬さんで色んな人が駆けつけてました。
最前列に陣取ったんですが、真後ろにはなんと「沙羅双樹」の主演で甘酸っぱい青年を演じた福永幸平君が座ってた!
河瀬映画の中で「沙羅双樹」が一番好きなのですごい緊張した。
そして上映開始。

かなりびっくりした。
他の河瀬映画にはない暴力性の秘めた映画。
具体的に暴力のシーンはないけれど、なんだか恐ろしかった。
奈良のお水取りから始まり、様々な火のシーンがちりばめられている。
火というものの暴力性がこの映画には宿っている。
個人的にはあまり好きではないが、様々な場面が焼きついている強い映像。

上映後、映画批評家のドミニク・パイーニさんと河瀬さんの対談。
河瀬さんはとても気にかけてくれて、向こうから声をかけてくださった。ありがたい。
対談はとても長かったけどめちゃくちゃ面白かった。
まず、河瀬さんとこのアテネ・フランセの思い出。
ここは初めて河瀬映画を流した映画館らしい。
生き別れた父を探す旅を綴った「につつまれて」を河瀬さんが持ち込んで、おもしろいからと、他の作品と、それに合わせて作った祖母を題材にした「かたつもり」も上映してもらったそうな。
その際に名刺のコピーと、「萌の朱雀」の原案を配ったら、それを目にした方がWOWOWに持ち込んで制作が決定し、その後は知るところである。
そんな思い出の場所とは・・・おそるべし、アテネフランセ。

対談の内容はたくさんありすぎて書けないけど、パイーニさんの河瀬映画の見方が鋭い。
まず「火垂2009」に関して「殯の森」の編集の仕方と似ていると。
確かに「殯の森」以前と以降で河瀬映画はガラっと変わってしまっている。
僕は正直以前の方が好きなんだけど、そこにはフランスのスタッフと作ったことが大きく影響してるのだそうな。
だからこの「火垂」も作った当時から相当違ったものになったと。
オリジナルの方もぜひ見てみたいところです。
そして観客から河瀬直美は日本映画史、または全世界の映画史の中でどこに存在しているのか、という質問が飛び出し、それに対してパイーニさんは成瀬巳喜男を挙げてた。
僕はまだ彼の映画を見たことはないけれど、彼の映画も家族の消失を描いていて、それを取り戻すのではなく消失を受け入れたまま話が進んでいくのが河瀬映画と共通してるそう。そこは同じ日常を描いた小津とは違う世界観らしい。
なんだか昔の映画も色々見てみたくなってきた。。。
あと、河瀬さんの発言で食事のシーンの話はおもしろかった。
やはり彼女は理想の家族像というものを映画の中で無意識に描いていて、その中でも食事のシーンというのが重要で、よく大勢でテーブルを囲んでなんてシーンが確かに出てくる。
そして河瀬映画の食事はマジでうまそうに見える!
永谷園のお茶漬けのCMじゃないけど、なんだか豪快なんですよね、食べ方。
それを終わった後に言ったら、別に指導してるわけじゃないんだけど、うまそうに食う人が河瀬映画には集まってくるんだって。おもしろい。

とても充実した映画上映&トークでした。
というか通訳の人すごすぎ。よくあんな日本語英語フランス語をまくしたてられるな。

テーマ : 映像・アニメーション
ジャンル : 学問・文化・芸術

杉本博司「光の自然」@IZU PHOTO MUSEUM


昨年末オープンした杉本博司が設計も手がけた美術館IZU PHOTO MUSEUMに行ってきました。
静岡県は三島駅からシャトルバスで約20分。
クレマチスの丘というところにあり、ここにはヴァンジ彫刻庭園美術館やベルナール・ビュッフェ美術館なんかも近くにあります。
写真専門に扱う美術館として、今回の杉本氏の展覧会は�落としとしてぴったりでした。
発表されていたのは、「放電場」の新作とタルボットのネガを起こした「光子的素描」。
写真の創世記に迫るすごい展示でした。
「放電場」は近年杉本氏が力を入れている新しいシリーズで、ギャラリーコヤナギで見た水中放電を使ったすさまじい像を見せ付けてくれてます。
フラクタルという言葉ではもはや言い表せられない美しさ。
まるで狼の毛皮のような肌理と、嵐の風景を思わせるような全体像。
ホントこの人どこまでいっちゃうんでしょうね。。。
これは写真の産みの親タルボットが実験していたものらしく、それを杉本氏が受け継いで形にしてるとのこと。
さらに新作「光子的素描」は、タルボットの現存している貴重なネガを、独特の技法で現在に蘇らせた作品。タルボットの作品が杉本さんの作品に生まれ変わってる!
この「放電場」も「光子的素描」もドイツのK20で最初に見たのだけれど、確実に進化していて、特に「光子的素描」はK20で見たときの印象とまったく違うのにびっくり。
杉本氏はすっかりタルボットの意思を現代につないでいます。
この「つなぐ」というのが、今回の展覧会の根底だと思う。
特にアートの世界において、この「つなぐ」という意識は本当に少ないと思う。
やはりアートにおけるオリジナル信奉は根強く、常に新しいものではないといけないという強迫観念のようなものが渦巻いていて、それが表現の幅を狭めている要因のように思える。
アートもひとつの伝統芸能として、後世につなぐ必要があると思う。
自分も作家として、誰の意思を継ぐかというのを最近考え始めている。
それをパクりと呼んでしまうのは本当に残念な発想だと思う。
そのアイディアを如何に自分のフィルターに通して昇華するかが、後世に残された作家の腕の見せ所なんだと思う。
そもそも実際まったくのオリジナルなんて今更存在するとも思えない。
そこに対して正々堂々と挑んでるのが杉本博司という作家のすごいところ。
今回の展示で改めて思い知らされました。

ところで建物に関してははっきり言ってだめでした。
杉本さんの趣味全開といった感じで、すごく食傷気味。
今後どういう展示が来るのかわからないけれど、遊びもすくないのである程度の幅でしか見せられないのではないかと思う。
美術作家が下手に他の分野に手を出すのはいけませんね。
そこは尊敬できません。


ちなみにこんだけ書いておいてなんですが、今回の鑑賞時間わずか15分です。
というのも、18切符で大阪から始発に乗ってやってきたわけですが、この後東京で用事があり、一時間に一本のシャトルバスを待ってるわけにはいかない。かといってタクシーに乗るのも金がかかりすぎて何のために18切符で来てるのかわからん。
そう思いながら見てたら、美術館自体が小さかったため、なんと折り返してきたシャトルバスに乗れたのです。運転手さんに怪訝な顔で見られました・・・。
ホントはヴァンジのアイラン・カンの展示も見たかったのだけど・・・。
貧乏暇なし。これにて!


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棚田康司展「十一の少年、一の少女」@ヴァンジ彫刻庭園美術館
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