'08 展覧会ベスト10+α

はい、今年ラストの記事です。
本年も見に来てくださった方々ありがとうございました。
今年も観に行った展覧会の中から独断と偏見でベスト10決めちゃいます。
1位:大阪・アート・カレイドスコープ2008
2位:MONEY TALK@広島市現代美術館
3位:川俣正「通路」@東京都現代美術館
4位:大舩真言「彼方の風」@天籟宮
5位:ヴォルフガング・ティルマンス@WAKO WORKS OF ART
6位:宮永愛子「漕法」@京都芸術センター
7位:塩保朋子 @ SCAI THE BATHHOUSE
8位:お釈迦様の掌@ARTCOURT GALLERY
9位:塩田千春「精神の呼吸」@国立国際美術館
10位:ジム・ランビーUNKNOWN PLEASURES @ 原美術館
11位:笹倉洋平展「ツタフ」@PANTALOON
12位:山岡敏明 @ Gallery H.O.T
13位:石内都「ひろしま Strings of Time」@広島市現代美術館
はい、すいません。10個に絞れませんでした。。。汗
だってどれもこれもおもしろい展覧会ばかりなんですもん。
でも上位3つは結構ダントツです。どれも「展覧会」というもの。「美術」というものを考えさせてくれた根源的な部分に触れた展覧会です。
1位はやっぱ自分の生まれた街を違った視点で見せてくれたので。フラムさんに感謝。
2位はもうキュレーション力にただただ圧倒された展覧会。本当おもしろかった!
3位の川俣さんは、見た直後はそんなやったんやけど、後でじわじわ効いてくる。
「美術館は通路だ!」という明快なコンセプトの元、展覧会とも何とも言えない不思議な展示が行われていて、美術館という構造を考えさせられました。さすが川俣さん。一筋縄ではいきません。
そういうことで、今回あまり美術館での展覧会が入ってません。
10位のジム・ランビーと13位の石内さんぐらい。
あと9位の塩田さんはお手伝いもさせて頂いて、思い出深い展示です。
ギャラリーが大多数を占めるランキングとなって、僕も意外でした。
中でも大舩さんの展覧会は、ひとつの出来事として、記憶に焼き付いてます。
ティルマンス、宮永さん、塩保さん、笹倉さん、山岡さんは純粋に作品が良すぎました。8位のお釈迦様は宮永さん塩保さんを一気に見れたのでとてもよかった。
にしても見事に現代ばかりですね。。。基本生きてる人しか興味ないんで。たくさんのブロガーの方々が上位に挙げてらっしゃるハンマースホイ展は見たかったけど。
期待してた十和田とmobile artはランキングに入るほどじゃなかった。
十和田はともかくmobileは論外。でもこの経済破綻で急遽巡回を断念したそう。
ロンドン、モスクワ、そしてパリと回る予定だったのにね。
内容はともかく見られてラッキーだったのかも。
あー、坂さんの移動美術館もいっかい来てくれへんかなー。
ところで今回このブログ史上3度目の年間ランキングですが、純粋に日本の展覧会のみのランキングって実はこれが初。来年はでも海外行きたいなー。
過去のランキング記事。
'07 展覧会ベスト10
'06 展覧会ベスト10
今年は僕個人としてもアトリエで満足のいく展示ができたのでよい年となりました。来年はもっと攻めていきたいですね。
そしてまた良い展覧会に巡り会えます様に。
明日(元日)はその2009年注目展覧会をご紹介。結構あります笑
ではよいお年を!
蔡國強展@広島市現代美術館

「芸術は爆発だ!」
とは、岡本太郎の言葉ですが、この言葉を字義通りやっちゃってるのがこの作家。
今年のラストを締めくくる広島現美の蔡國強展です。
今回ももちろん18切符ですが何か?
往復12時間。滞在時間2時間。狂ってますね。帰りはさすがに頭痛くなりました。
いやー、今年は広島今回も合わせて4回も行きました。当たり年でしたね。
やっぱ昨年暮れからチーフキュレーターになった神谷幸江さんの力でしょうか。
キュレーターが変われば美術館も変わる。如実に反映されてます。
今回の展覧会もこの神谷さんが担当されてます。
この展覧会は3年に1度世界の恒久平和に貢献したアーティストに贈られる「ヒロシマ賞」受賞記念に応える展覧会。今回で7回目になります。過去にも三宅一生やダニエル・リベスキンドなど、アートの分野外からも受賞者が出てます。
僕はこの賞が日本で最も価値のある賞のような気がします。
ヒロシマという未曾有の地から贈られるこの世界にも例がない賞は、その特殊な選考基準から、3年に1度というのもいいバランスやと思いますし。毎年毎年そんな世界平和に貢献するような表現者が出るわけないですもんね。
受賞者の顔ぶれも納得のいくものです。第4回のクシュトフ・ウディチコはその中でも最も適合する作家だと思います。受賞記念展に際して行われた、原爆ドームに被爆者をインタビューした映像(手の部分のみ)を投射して、原爆ドームを過去の証言者にしたてあげたあの作品は、今その映像を見ても泣きそうになります。
彼のすごいところは、在日の被爆者の方々にもちゃんと証言をとってるところ。広島は確かに人類史始まって以来の悲劇の場所ではありますが、実は加害者の側面も持ち合わせてるってことをちゃんと言ってのけてるんですよね、この作品。外から見たリベラルな視点が、当事者には決して出来ないような表現を生み出しています。
このヒロシマ賞の凄いところはそういう、ナイーブなところに踏み込む作家の意図もちゃんと反映させてしまうところ。ただただ「平和最高!」なんて言ってる表現者には決して受賞できない賞です。
今回の蔡國強もただただ平和を謳ってるわけではない人。
むしろ彼の作品には破壊的要素が大きく反映されていて、むしろ平和からほど遠い作家のようにも見えます。
しかし破壊行為を創造行為にしてしまう彼の業はやはりこの賞にふさわしいのでしょう。
今回もこの展覧会に際して、彼は昼間の原爆ドーム近くで「黒い花火」をあげました。
その不穏な影は、広島市民にとって決して心地よいものではなかったと思います。
それを受け入れるこの広島という土壌の懐の深さは驚異と言えましょう。
1994年に行われた彼の爆破イベント「地球にもブラックホールがある」は、彼の広島との関係を築く最初の、そして彼にとっても重要な作品の1つです。
ヘリウム入り風船で螺旋状に浮かんだ導火線に火をつけて爆発させる作品なんですが、その螺旋の最後には地面に開いた穴に吸い込まれて行くんです。これは原爆という大きな炎を地面に還すというプロジェクトで、これを機に彼は本格的に火薬を使った作品を手がけて行く様になります。
本展にもこの映像が流されていて、凄まじい音と光で圧巻です。
他にも彼の過去の爆発作品は、本当テロを思わせるような光景ばかり。
台湾で行われたやつなんて、導火線が館内にまで及んでてどうなってんでしょ。
思わず全部見てしまいました。
スペインのバレンシアで行われた「黒い花火」は、青い空に黒い墨汁がぼたぼたと落ちるようでとても美しかった。エディンバラでやった同作品は曇り空だったのであんまりでしたね。
こうしてこの人の作品の規模は半端ないです。
国家プロジェクトに携わることも多々あって、こないだの北京オリンピックの開会式の花火はこの人が手がけました。CG疑惑もありましたが、あのビッグフットは本当に上がったそうです。会場でもその映像が流されてて、この作家の凄さがわかる展示ですね。
にしても、この人、造形センスがよろしくない。
最初の展示室の鰐と壁画彫刻の作品はかなり萎えました。
なんだあの安っポイ作りは・・・。遊園地のと変わりないです。
ドイツグッゲンハイムで見た時もオオカミのちゃちさにげんなりでしたが。
あと、今回の目玉の45mの爆発絵画も、本当いや。
あのちゃちい山水画なんとかなんないのか。。。
その前には60tの水量を讃える池が設置されてて、金のかかり方は半端ない。
実際水に映った反射はとても美しかったけど内容がなー。
あと、いわきに打ち上げられた舟の作品はすごい。 砂に埋もれた朽ちた舟に花が咲いてて、最初造花かと思ったけどよくみたら本物。
これ毎日水あげてんのかしら。
メンテナンスが大変そうですが、単純にあのスペクタクルは気持ちいい。
今の中国アートブームの前から国際的な活躍をしていた孤高の作家。
昨年もNYグッゲンハイムで個展をして、同美術館最高動員数だったそうで、その人気はまだまだうなぎ上り状態。オークションでも数億の値がついたり、この中国ブームがさらに追い風のようです。
そんな彼の新作展がこんな大規模で見られるのは中々ない機会なので、是非見といて損はないと思います。1月12日まで広島市現代美術館にて。もちろん巡回なし。
おすすめは、NYのマンハッタンを背景に作家自ら写りこんで、爆発を起こしている写真シリーズ「きのこ雲の世紀」。ちゃんとワールドトレードセンターも写ってて、今思うとなんて暗示的な作品なんだろうと思えます。
あー、黒い花火も観に行けばよかったなー。
ちなみに今回のコレクション展もおもしろい。
タイトルがなんと言っても、
「他のお客様の迷惑となりますので、展示室ではお静かにご鑑賞ください」
現代美術における「騒がしさ」に焦点を当てた展示。
本当に音の騒がしい作品から、視覚的に騒がしいものまで様々な作品が紹介されてます。
東京現美にある田中敦子のベルを鳴らすやつなんかあったらもっと面白かったんだろうなぁ。
でも、何かのメタファーのように、要所要所で田中功起の映像が置かれてるのがとてもキュレーターのセンスを感じた。田中さんは今一番気になる作家なので、また今後語ることがあると思います。
タイトルがウィットに富んでるし、美術館のお約束事みたいなものを美術館自ら皮肉って行く態度はおもしろいですね。広島現美は前の「マネートーク」といい、コレクション展もしっかり面白いのが素晴らしいですね。
広島現美はスタンプカードでスタンプ7つたまると展覧会無料になるんやけど、前回でしっかりたまったので、今回の展示は無料で見れちゃいました。こういうの何気にうれしい。
同時期に開催予定だったChim↑Pomの展覧会の中止(詳細)なんかもありましたが、来年もまた色々楽しめる展覧会期待してます!遠いからそんな行きたくはないんだけど、なんて言っちゃいけません。
gadget @ 京都芸術センター
や、やばい。。。
色んなアートブログがまとめに入ってる中、まだ書かなあかん展覧会がいくつか・・・。
とりあえず大晦日には今年のベスト展覧会ランキングをやっちゃいたいと思ってます。
ってことで、ラストスパート。
京都芸術センターで先日終了した「gadget」展に関して。
出品者4人のうち3人は知ってる人なので行ってきました。
これは、芸術センター企画ではなく、外部から持ち込みという形の展覧会。
今回出品者4人と同年代の芸術研究者2人がキュレーションするという企画。
この2人が4人の出品者の作品から導きだした言葉がタイトルにもなってる「gadget」という言葉。
辞書で引くと(機会等の小さな)機械、仕掛け、小道具、とあります。
そういえば、身につけてるものを見ると、僕らはそれらを纏って現代を生きてる。
腕時計。携帯電話。iPod。
彼らは今の僕らを「ガジェット世代」と名付けています。
なるほど言い得て妙だな、と感心させられました。
そして今回出品してるその4人の作品を見ると、このガジェットという言葉がうまく噛み合うのです。
まずギャラリー北では芳木麻里絵と西園敦の作品。
真里絵ちゃんは、大学の同期で、彼女の作品は学生の時からすごかった。
彼女は版画を専攻していたのだけど、作られた作品ってのが、僕らの中にある「版画」のイメージを軽く超越してくれる。彼女の使っている技術はシルクスクリーンというインクを重ねて絵にしていく技法なんだけど、彼女はその技法を使って立体を作ってみせた。レースペーパーだったりコーヒーフィルターだったり、これホンマにシルクスクリーン?っていう。これらすべてがインクのみで出来てるのだからびっくり。
今回もそのシルクスクリーンを使った作品を展示してたけど、学制時代より厚みが増してた。今回虫眼鏡が用意されてて、その細部まで詳しく見れるんやけど、インクの層がすごいことになってる。ポロックのドリッピングの一部をくり抜いた作品を思い出した。地層のように何層も何層も重なるその様は圧巻。サイズ自体は小さくてもそこにはスペクタクルが存在する。
ちなみに最近大西伸明さんもシルクスクリーンを使ってレースの作品を発表されてるけど、彼の場合は網の上に模様を刷ってるので、純粋なるシルクスクリーンとは違うので、その点でも真里絵ちゃんの作品ってのは素材の純粋性でもすごい。
西園君はこの展覧会で唯一僕の知らない人。
アンパンマンのごっちゃになったパズルや、持ち帰り可能な本が展示されてた。
前者はちょっとありきたりかな、と思ったけど、本がおもしろかった。
Dollyと題されたその本は、クローン羊のドリーの英語の説明がまず冒頭に。
ページをめくると日本語、次のページには英語、と繰り返されて行く。
ほとんど同じ文なんやけど、なんだかどんどんおかしくなっていく。
種を明かすと、まず科学博物館からドリーの英語テキストをコピーし、エキサイトの翻訳サイトにそのままペースト。そして導きされた英文をまたコピーしペースト。そして導きだされた日本語を、、、とこのコピペを繰り返して行く。
この翻訳サイトを利用した人はわかると思うけど、実は結構でたらめで、僕も昔使おうとして、日本語を英語にして、その英語を読んだらちょっと変なので、ためしにそれをまた日本語に直してみたらめちゃくちゃな文章になってて焦った経験がある。
それをドリーというコピーされた存在を示すテキストでどんどんおかしくなっていく様を表現したのがこの本。種がわかった時はちょっと嬉しかったり。
ギャラリー北では中村裕太と今村遼佑。
中村君はこれまた同期で陶芸の人。
彼の作品今回初めて見たかも。。。
風景をモザイクのタイルで抽象化していったような作品。
ちょっとよくわかんなかった。上の説明が合ってるのかも微妙・・・。
今村さんは、この夏の僕の展覧会に来てくださった人。
この展覧会では彼の作品が一番よかったかも。
本に空けられた穴から小さな馬が回ってたり、レースのように編まれた線が実は1つの電気回路で始点には電池が、終点にはランプが光ってるという。
なんかとてもささやかな世界観。こういうの好きです。
今回のガジェットという言葉が一番しっくりくるのが彼の作品のような気がする。
今回80年代生まれの若手研究者2人、林田新さんと中西園子さんには拍手を送りたいです。
今日本のアートシーンの悲劇のひとつに、時代の語り部となりうる批評家の不在があります。
「もの派」にせよ「スーパーフラット」にせよ、これらは作家によって作られた概念です。
本来、アートムーブメントに対して名前や定義を与えるのは批評家の仕事。
なのに、この国ではそれが全くと言っていい程機能していない。
これからは、この批評家を育てられるかが日本美術の鍵を握っているといっても過言ではないでしょう。
今回の「ガジェット」という概念はかなりおもしろいと思えたし、少なくとも誰かさんのマイクロポップよりかは優れた概念だと思います。
こうした若い研究者がこれからも増えていくことを切に願うばかりです。
横山真由子 “Dream scape” @ shin-bi
こちらも僕の知り合い。後輩の展覧会です。
今回出品された作品の中でも、凄いな、と思ったのはガラスの作品たち。
ガラスの上に樹脂か何か、透明な素材で描かれたパターン。
実際ガラス上の像はよくわからないのだけど、その像が落とす影がすごい。
「影絵」というのこういうことなのか、と思わせるほど、はっきりとそのパターンが壁に影となって転写されてる。見ながら、もう画面を見てるのか壁を見てるのかよくわからなくなってきて、最初のうちは透明の画面に目を凝らしてたけど、途中からあほらしくなって開き直って壁の影を追いかけてました。この何を見てるかわからない感覚ってのが中々新鮮。
絵画の方もいいのだけど、「壁紙」と言われたらそれまでの気がする。
確かに壁紙とは違って絵画の絵の具のテクスチャーを様々に組み合わせた画面なのだけど、如何にも綺麗過ぎる。僕は彼女がどういう人物か知ってるから「らしいな」と思えるけど、こういう絵に嫌悪する人は嫌悪するんやろうなぁと思った。
何か「毒」のようなものが加わればもっと「強い」作品になる気がした。
卒展もがんばってください。この展覧会は来年4日まで。
アヴァンギャルド・チャイナ@国立国際美術館

今年、経済関連でBRICsという言葉が頻繁に使われていた。
Brazil(ブラジル)、Russia(ロシア)、India(インド)、China(中国)の頭文字。
これにSouth Africa(南アフリカ)が加わる事もあるらしい。
これらは近年目覚ましい発展を遂げている国々である。
このBRICsは美術界においても近年賑わいを見せている。(ロシアを除いて・・・)
今回偶然にもこれらの国々の美術を紹介する展覧会を一気に見る機会を得た。
まずは、国立国際で開催中のアヴァンギャルド・チャイナ展。
東京の新国立でもやってたのでご覧になった方も多いのではないだろうか。
今最も美術界を騒がせてるのがこの国の美術だ。
もう、中国人の作品ってだけで買手がついちゃうほどの人気。
この秋リニューアルしたサーチギャラリーもオープニングに中国現代美術コレクションを披露している。
同時にこの世界恐慌で最も打撃を受けてるのもこの国だろう。
今までそうやって売れてきたものが、全く売れなくなってしまってるらしい。
個人的には正直ホッとしている。
はっきりいって、それらの売れてる中国作品は本当に醜悪としか言いようがない
自分たちの国家アイデンティティを切り売りしているだけの安っぽいものでしかない。
この世界恐慌でそれらがうまく淘汰されればと思っている。
そんな感じで、この展覧会もそういった美術が並ぶものだと思って、ちょっと油断していた。
前半は確かにそうだった。僕の描く中国の安っぽい美術たち。
しかし後半。ジャン・ホァン(漢字が出ない・・・)の作品からがらっと空気が変わる。
今まで馬鹿にしたにやけ笑いで回ってたのに、いきなり笑えなくなる。
彼のパフォーマンスの鬼気の迫り方は半端ではない。
蠅を体にたからせたり、宙づりにされて血を抜かれたり。
裸の男達が池に入って水位を少しだけ上げるパフォーマンスも美し過ぎる。
「あれ?おかしいな。なんやこれ?」
その異変に気づくやいなや飛び込んでくるのがヴェニスで見た楊振忠(ヤン・ジェンジョン)による「I will Die」である。
「やられたーーーー」
はい、やられてしまいました。
この作品改めて見てもいい。この不安感が今の世情を表し過ぎ。素晴らしい。
そして徐震(シュー・ジェン)による「フィットネス」
様々なトレーニングマシーンが組み合わされた彫刻で、黒服の監視員たちが無表情でリモコン操作で動かしてる様はおかしくて仕方なかった。なんでもこれ一時間に3分だけ動かしてるらしくて、たまたまそれに遭遇できたのはラッキーだった。
お次は最年少のツァオ・フェイの映像。
街の人々がいきなりヒップホップやってる笑
次の階に行くと、多分この展覧会の目玉、スン・ユァン&ポン・ユゥの「老人ホーム」。
本物そっくりな色んな国の服着た車椅子の老人達が衝突を繰り返しながらゆっくり辺りをさまよっている。なんとも奇妙な光景・・・。でもこれが世界の縮図なのかも。
彼らは「死体派」と呼ばれる美術家で、実際本物の死体を使うこともある。
実際前に写真で見た時、モノホン屍体が使われててどうなってるん?と思った。
中国では未だにこうした屍体が簡単に手に入るらしい。。。恐ろしい。
今回は偽物なんでご安心を。
次の部屋と隔てる壁に穴が開いてて覗くと・・・。ちょっとびっくりする。
その正体は次の部屋で明らかに。あれビンさんやんね?
奥では楊福中(ヤン・フードン)の映像インスタレーションが8面スクリーンで。
いつもこの人の作品は苦手なんやけど今回はとてもよかった。
ストーリーがあるのかないのか。8面の映像はつながってるのかつながってないのか。
この曖昧な感じ。そして意味ありげな音楽がいい感じやった。
8面スクリーンのスペクタクルも見物。
ってなわけで、終わる頃にはすっかり楽しんじゃってたわけです。
今回は「文化大革命」など、中国のアカデミックな部分も展覧会中に組み込んでたのが良かったし、後半の「中国」って枠にとらわれない作品をバンバン取り入れてたのは本当に良かったと思う。
いやー、してやられたー。来年3月22日まで。悔しいがおすすめ。
にしても名前が覚えられん・・・んー・・・
同時開催中の新国誠一もおすすめ。
漢字をこうも自由に記号化してみせる手腕はお見事。
「チャロー!インディア」@森美術館

「チャロー」とはインドの口語的表現で「行こうよ!」って意味らしい。
ちょうどこの展覧会が開催される時にインドでテロがあって、誰が行くか!とつっこんだもんだ。
ってことで、こちらはインドの現代美術。
これもあまり期待してなかったけど、中々面白い展覧会やった。
出品作品数が半端ないのでひとつひとつ取り上げるわけにはいかないが、中々の質の揃った展示。
これだけリサーチして展示に漕ぎ着けるまでには中々大変やったろうなぁと。
お気に入りはシルバ・グプタのインタラクティブな映像作品。
自分の影に色んな物体が付着していって、最後にはわけわかんない塊になる。
逆に今もっとも注目されてる、金属鍋などを使った作品で知られるスポード・グプタがしょぼくてがっかり。
でもまあ、100点以上並んでいながら最後まで飽きさせることのないこの展覧会はすごい!
インドの現代美術を知る上でも中々面白い展覧会。来年3月15日まで。
「ネオ・トロピカリア」@東京都現代美術館

長谷川祐子のキュレーションで話題の「ネオ・トロピカリア」
こちらはブラジル現代アート。
正直今回3つの中で最も期待して、最もおもんなかった展覧会。
多分長谷川さんのエンターテイメント性に溢れたキュレーションとブラジルの底抜けに明るいイメージがシンクロし過ぎた結果やと思う。おかげで期待以上でも以下でもない至極収まりのよい展覧会になってしまってた。もっと冒険があってもよかったな
逆にアカデミックにお固くブラジルを語って見せた、数年前の「ブラジル・ノスタルジア」は良い意味での裏切りもあって、すごく面白い展覧会やった。
期待してたアトリウムにおけるネトも、やっぱパリで見たかったなーという思いが募るだけやったし。
リジア・パペの糸を張った展示と、リヴァーニ・ノイエンシュヴァンダーの蟻や魚を使った映像はおもしろかったけどね。あと途中でマンゴジュース出してくれるのもよかった。作品自体はどうしょうもないけど。
にしても前回の名和さんの展示室そのまま使ってるのどうかと思った。
この展覧会より、同時開催の森山大道とミゲル・リオ=ブランコの写真展や、藤原大とカンパナブラザーズのブラジルをテーマにした展示の方が断然おもしろい。
前者は日本人の森山がブラジルを撮り、ブラジル人のミゲルが日本を撮り、白黒の森山に対してカラフルなミゲル、人を撮る森山に対して物を撮るミゲル、といった風に両者の対比がとてもわかりやすい展示。壁も森山の壁は白く、ミゲルの壁は色がついてると言った風に。
後者の藤原の色とりどりの糸が織りなす衣服も美しかったし、カンパナブラザーズの葉っぱがスピーカーになって、耳を当てると音楽が聞こえるのはびっくりした。
これら全て1月12日まで。
今回ざっと話題のBRICsを観てみて、これで評価してしまうのは早合点やと思う。
やっぱ展覧会としての質ってのが大きいと思うし、今回面白いと感じた中国、インドにしても、1つの国をテーマにしながら、その国に縛られていない展示が功を奏した結果やと思うし、逆にブラジルは、そのイメージを素で行き過ぎたための失敗やと思う。
グローバル化が叫ばれてる昨今で、もうナショナリズムは単純に古い。
いかに国や民族に縛られずに仕事ができるかが大きな鍵となると思う。
アートバブルが弾けた今だからこそ、本当におもしろい作品こそが生き残ると期待している。
ちなみに先月のPENが「世界のアートシーン」を取り上げてた。
この内容が半端なくて、某美術専門誌B手帖の無能っぷりが証明される。
しかもPENは550円!かたやBは1600円。誰が買うねん。
にしてもPENってどこの層を目指してるんやろ・・・。今月の特集は「いちばん美味しい居酒屋はどこだ?」笑
節操ないというか、雑誌生き残り戦争に残るには固定層だけでは駄目ってことなんかな。
ジム・ランビー UNKNOWN PLEASURES @ 原美術館

米田知子に続き今度はジム・ランビー。イギリス大活躍です。
ジム・ランビーといえば、グラスゴー系のオシャレアートの代表格。
彼の作品はとにかくオシャレです。
自身がバンドをやってるってのもあって、音楽的要素もたくさん出てきます。
今回はコンクリに埋もれたレコードがいくつか出現してました。こんなレコードケースあったらいいなぁ、と思いつつ、重くてやってられんだろうな、と。
それにしても今回の展示。
僕がこの美術館で見てきた展覧会で、もっともこの美術館を美しく見せてる展示だと思いました。
ああ、この美術館ってこんなだったんだ、といつもより多くの発見がありました。
いつも閉められてる窓なんかが開いてて、今行くと色とりどりの落ち葉がこの美術館の庭の地面を埋め尽くす様なんてとても綺麗。元々個人邸宅っていうこともこの美術館の魅力ですよね。
そういう点で、ジム・ランビーがやったことってなんて粋なんだろう、と思ってしまいました。
この展示でもっとも注目すべき、ってか注目しようとしなくてもまず目に入ってくるんですが、床を覆い尽くす白黒変形ストライプが、今回の展示を「粋」なものにしてる。
床ってそうそう見るものでもないけど、床が変わるとここまで印象って変わってしまうもんなんやなぁ、と改めて思い知らされました。十和田でもやってましたが、あの時はチケット売り場の部屋だけでしたからね。今回みたいに徹底して1つの建物丸ごとやっちゃう(正確にはショップやレストランには施されないんだけど)と、その凄みがわかりますね。
是非今度は同じく十和田でやってたマイケル・リンでやってほしいですねー。
他に展示されてる作品たちも空間によくあってて、元食堂だった長い部屋には半分の色とりどりの椅子で構成された彫刻や、階段に向かうまでには紫でペイントされたマットレスなどなど、床の白黒に対して、彫刻作品たちの色とりどりさはとても栄えます。
ここまでセンスだけでやってのけてる作家って珍しいと思う。
改めてジムの魅力に取り憑かれた展覧会でした。とてもおすすめです。
ジム・ランビー UNKNOWN PLEASURES
原美術館 http://www.haramuseum.or.jp
2008年12月3日ー2009年3月29日 11:00-17:00(水曜は20時まで開館)
月曜休館(1月12日は開館) 年末年始(12月29日-1月5日) 1月13日休館
日曜には品川駅から無料バスが出てます。時刻表はウェブにて。
「白」@MA2GALLERY
東京で最も好きなギャラリーのひとつ。
といっても今回で2回目やけど。
前回行った時は白と黒の展覧会だったけど、今回は白のみをテーマとしたグループ展。
発電所美術館でも見た大西伸明さんをはじめ、今年のMOTアニュアルにも出てた僕と同世代の彦坂敏明君の銅版画など白い作品がホワイトキューブと溶け合うかのように展示されてる美しい展示。
にしても大西さんは何度見てもすごい。
なんか、こういう小さな箱で見せた方が大西さんには合ってるのかも。
美術館レベルだと、なんだか細部にまで目が行き届かない気がする。
しかし安いなー。今のうちに買っておこうかしら。
でもなんで、セルジオ・カラトローニのあのただの金属が売れてるのかよくわからん。
特に新たな発見はなかったけど、展覧会としてとてもクオリティの高いものを見た気がする。
これからも期待してます。
津田直「SMOKE LINE」@資生堂ギャラリー
津田さんの作品は1度大阪でも見たけど何がいいのかよくわからんかった。
でも今回の展示は中々よかった。
このギャラリーの吹き抜けを思い切って布で仕切ってたのは凄い。
半透明の茶色いこの布が今回の写真郡と調和してていい感じでした。
今回はモンゴル、中国、モロッコを写した写真が並んでる。
前半「SMOKE LINE」は3点組の写真がいくつか並んでて、どれもうまい具合に空気が閉じ込められてる気がした。空気には色があると昔誰かが言ってたけど、まさにその空気の色が写真に収められてる。(ちなみに日本の空気は青いらしいです)
奥の「SMOKE FACE」と題された作品群はあまりピンときませんでした。
なんかこっちは実験的なことをしている感じ。まだ表現のピントが合ってない気がする。
津田さんの仕事を改めて見直すきっかけになりました。でも正直あまり好きくない。。。
蜷川実花「地上の花、天上の色」@東京オペラシティギャラリー
津田さんと打って変わってギラギラの極彩色写真家蜷川実花の展覧会。
まあ、言わずと知れた写真家ですね。蜷川幸雄の娘でもあります。
こちらもあまり好きではない写真家ですが、評判がいいので行ってみました。
蜷川実花大回顧展みたいな感じです。今までの仕事の全貌が見られます。
それぞれの部屋で手を替え品を替え観客を楽しませてくれます。
僕は昔渋谷のパルコで見た金魚の作品が好きで、今回また再会できました。
暗い展示室で妖しく光る激しい色の金魚達。
昨年公開された「咲くらん」でも金魚が効果的に使われてましたね。
あと、芸能人を写した作品達はさすがに人気で、皆どれが誰かを当てるクイズみたいになってて、中々前に進めずイライラしました。
気になったのは最後の方に展示されてた新作の部屋。
色からの脱却を謀っているのか、今までの作品とは違った色合いでした。
にしても目が疲れた。今月28日まで。
自由学園明日館 by Frank Lloyd Wright




またまたまたまたまた東京に行ってきました。
今年7回目です。来年はもっと回数を減らしたい。
で、本当は東京ガスのSUMIKAプロジェクト見たかったのだけれど、年内は見れないとわかったので、ライトの自由学園明日館を見てきました。これで国内にあるライトの建築は全制覇ッ!
池袋から少し歩いたところにある実際に今も使われてる重要文化財。
周りの高いビルとの対比がシュールでいい感じです。
中もすごくノスタルジックな感じで、ライトの意匠もたっぷり味わえます。
でも、こないだのヨドコウ迎賓館ほどの感動は正直なかったかな。
なんか密度がヨドコウに比べて薄かった気がする。
トイレも実際使われてるってのもあって、改装されちゃってたし。。。
でも都心にこんな建物があるなんて素敵ですね。
中には喫茶店なんかもあるので、デートコースにどうでしょ。なんて。
安藤忠雄建築展「挑戦-原点から-」@ギャラリー間
住吉の長屋の1/1模型が展示されてるってんで、超話題の展覧会。
最初聞いた時は聞き間違いかと思ったけど、本当にビルの中に再現されててびっくり。要の中庭もちゃんと野外へのアプローチとして再現されてて、内部体験ができます。ファサードは見れるけど、さすがに中は個人宅なんで見れないですからね、普通。
行った日は晴天でこれが安藤さんの言う「都会の中の自分だけの空」か、と納得。
雨の日は傘さして部屋から部屋へ移動しなきゃならないなど、数々の問題で批判されていたこの建物ですが、やっぱり晴れた日はこんな狭い敷地でも贅沢な空間体験ができるのだなぁ、と。
あとは安藤さんの現在進行形のプロジェクトから、光の教会のコンクリ模型などが展示されてた。
こちらは特に興味なし。やっぱ住吉の長屋原寸大模型のインパクトでかすぎ。
大阪にも巡回するそうですが、こっちではこの原寸大模型ないので、この展覧会の9割方の魅力が失われるかと。でもまあ、大阪には本物があるんやけどね。
セカンド・ネイチャー展@21_21 DESIGN SIGHT

同じ六本木にある安藤さんデザインの21(長いので略)。
吉岡徳仁がついに展覧会をディレクションするってんで観に行ってきました。
「第二の自然」をテーマに徳仁さんがセレクトしたデザイナーやアーティストが各々の表現で挑んでます。
でもはっきり言って徳仁さんの一人勝ちでしたね。
もうあのインスタレーションは美し過ぎる。
クリスタルの生成を利用して作られる椅子「ヴィーナス」。
クリスタルに覆われた椅子そのものと、生成中の液体の中に浸かった椅子。
彼のデザインの強みはそのプロセスまでもが美しいというところ。
他のものを見ていてもそのプロセスがイマイチ見えてこない。
徳仁さんのデザインの作り方は結果が全てではないところがなによりも魅力。
今回それのデザインの方法論が本当に美しく表現されたインスタレーションでした。
上からぶら下げられた紐の束もすばらしかったですね。
あと良かったのはフラワーアーティスト東信の氷の中の松!
これは本当に不思議なのときれいなのと、永遠の命をパッキングしてる様がかっこいい。
昔ロンドンのサイエンスミュージアムで見たマーククインの凍ったヒマワリを思い出した。
ってか、ほぼ丸かぶりな気もしなくもないけど気にしない気にしない。
ところで、叔母からとても素敵なクリスマスプレゼントもらった。
これはジョジョの百人一首ぐらい凄い。。。描かれてる建築も相当マニアック。

伊東豊雄ミュージアム!!!!
駿府教会 by 西沢大良







先月の「新建築」の表紙にもなっていた、西沢大良による駿府教会です。
SANAAの西沢立衛氏のお兄ちゃんですね。
立衛(りゅうえ)に大良(たいら)。親御さんのネーミングセンス凄すぎ。
余計なお世話でした。
いやぁ、にしてもこのファサードが美しすぎました。
面毎に使われてる木とかが違ってて、すごく表情豊かな建築です。
当日は生憎の雨模様でしたが、濡れた木はまた艶かしくてこれがなんとも。
にしてもこれ、ファサードにくっついてるだけなんかな?
まあ、実際そうなんだろうけど、これが構造として、なんらかの機能を果たせてたら熱い。
もっと「新建築」ちゃんと読んでおけばよかった。妹島さんとの対談なんかもあってすごく興味深かったんやけど。今度立ち読みしよ。
中も木のストラクチャーで、上には天窓があって、柔らかい光を讃えてました。
あー、なんと美しい。
これであの入口さえなければ。。。
敢えてあまり写してませんが、入口の門がキッチュすぎてきもいです。
「新建築」で見た時から思ってたんですが、やっぱ合ってないですね。残念。
四角の角に入口があるっていうアプローチは好きなんですけどね。んー。
しかし、宗教建築の見学って苦手です。
この日は日曜だったため、礼拝があって、たくさんの信者さんが出入りされてたんですが、その周りで、何の信仰心もない人間が写真をぱしゃぱしゃ撮ってるのは、やっぱ失礼ですよね。信者さんからしたら少なくとも愉快ではないでしょう。なんかすごい罪悪感。
行ったら先客の建築信者さんたちもいらっしゃって、その方達もファサードをなでなでしたり、周りでたむろしてたりして、やっぱ、こういうのってよくないよなぁ、って思っちゃいます。写真撮ったらそそくさと逃げる様に去りました。
去年の「瞑想の森」の時を思い出しました。
建築を見る時に、その建物の内容ってのを忘れてはいけないと思います。
よく美術館なんかでも、明らか建築目当ての学生とかいますが、展示されてる作品無視して壁やら階段ばかり見てるのは、美術愛好家から見ても不愉快ですし、やっぱその建物にその目的で来られてる方のことにも気をつけて見学すべきだと思います。
行かれる方はくれぐれも信者さんのご迷惑にならないように心がけましょう。
にしても綺麗な建築やったなー。
風景ルルル@静岡県立美術館

風景をテーマにしたグループ展。内海さんが出てたので観てきました。
まず、入口に今回の展覧会のグループ展のPVが放映されてた。
PVまで作ってる展覧会なんて初めてかも。
しかも、製作陣がすごい豪華で、今回の広告やこのPV全般を手がけてるのは、ミスチルの最近のジャケットをほとんど手がけてる森本千絵さん。もちろんこないだ出た「SUPERMARKET FANTASY」も彼女の仕事。音楽のボーカルも坂本龍一の娘さん坂本美雨やし。
考えたら、こういう展覧会チラシっとかって、出品者の作品の中から最もキャッチーなものを選んで、っていう方法がほとんどやのに、こういう改めて広告単体で作るってのは中々新鮮ですね。
で、展覧会自体は、予想通りというか、内海聖史、鈴木理策、照屋勇賢の3人のみで良かった。
あとは柳澤顕が悪くなかったけど、上の3人が凄すぎた。
まず、受付のアトリウムに展示されてたのが内海さんのでっかい作品。
横10mもある・・・アトリエでどうやって制作してはるんやろ。
展示室内では、様々な大きさのキャンバスが、ガラス展示室にランダムに掛けられていて、色の氾濫が気持ちよかった。真ん中のソファに座りながらぼーっと色に囲まれてるのは至福の瞬間。
ただ、やっぱ内海さんの場合は、あのでかい作品を最後の小西真奈の展示室とかでどどーんと見せてほしかったかも。もう空間をイメージ(色)で埋め尽くすあの内海さんのスペクタクルは体験したら病み付きになる。昔アートコートで体験した緑色は一生忘れられないでしょう。
ってことで、少し物足りなさもあったけど、でもやっぱ内海さんの作品が好きだ。
照屋さんのは、一番最初の展示室に展示されてた。横トリ2005でも出品されてた、マクドナルドやバーガーキングなどの紙袋を切り取って中で木を作り上げるとっても繊細な彫刻。本当気の遠くなるような作業や。覗き込むと、くり抜かれた穴から光が差し込んで木漏れ日さながら。
トイレットペーパーの芯のやつも素晴らしいですね。
同行した連れが、欲しい欲しいと言ってた。一個ぐらい持って帰ってもわかるまい(ぉ
ただ、デザートで作られたランドスケープはがっかりやった。
なんで?って感じ。キッチュ過ぎる。
でも女性陣が寄ってたかって興味深そうに見てたのはおもしろかった笑
女性の甘い物好きはこんなとこで如実にわかりますね。
今回最も衝撃だったのは鈴木さんの写真だったかもしれない。
展示作品は、彼の故郷熊野の自然を写したシリーズ。
写真集とか雑誌とかで何度か見た事はあったけど、何がすごいのかよくわからず、今回初めてオリジナルプリントを見たら、もう本当に衝撃の連続やった。
彼の写真には光が鮮明に写っている。
それは川内倫子のような淡い光でもなければ、杉本博司の様な深い光でもない。
彼の写し出す光は粒状の光の集まりなのです。
それを如実に表してるのが、最初の海の写真。
もう、海に反射する光の粒1つ1つが克明に写されていて、かなり驚いた。
その光の粒のひとつひとつがこの画面を構成している。
川を写した写真には、岩に反射するこれまた光の粒と、光を浴びる蜘蛛の巣。
そして、一番すごかったのは、滝の写真。
なぜかこの写真は図録に掲載されてないのだけれど、滝壷の水面には、無限の色が広がっている。ここまで細部が際立つ写真というのは一体どういうことなんだろう。撮っている時に、これらの光が彼には写っているのだろうか。本当にすごい写真だ。
改めて、いかに写真というのが作品集にしにくいメディアかということも痛感。
絵画や彫刻などの場合、あくまで記録という形で割り切れちゃうんやけど、写真の場合って、作品集にした際にも写真という形が守られちゃう分、ただの記録として割り切れない部分がある。今回みたいにオリジナルプリントを見ちゃうと、あのクオリティに追いつくのは不可能なわけで。。。
そういう意味では、ベンヤミンの「複製技術時代の芸術」でいう「アウラ」はその複製技術の産物である写真作品のオリジナルプリントにもちゃんと備わってるんやろうね。
あー、でもちょっと鈴木さんの写真集欲しくなった。
その前に川内倫子のもいつか買わなあかんのやけど。のあー。
ってか、これ観るまで鈴木さん男やって知らんかった。写真があまりに柔らかくて、野口里佳とか川内倫子さんっぽいから絶対女やと思ってた・・・。
ちなみに常設展では、今回の企画展の出品メンバーの作品とコレクションに絡ませたユニークな展示やった。なんかプロモ作ったり色々面白いですね。やっぱ美術館は地方が良い。
ところでこの美術館ロダンの作品収集もすごくて、ロダン館なる空間がとてつもなく広くてびっくりした。ヨーロッパで見た博物館を思い出した。なんでこんな金あるんやろ・・・不思議すぎ。
松井冬子展@平野美術館

ちょうど静岡浜松でやってたので最終日に行ってきました。
最終日とあってか、中々行きにくい場所にも関わらず、たくさんの人が来てました。
彼女の作品はもう雑誌等で何度も取り上げられてたし、4月にNHKで放送されたETV特集も観てたので、1度は生で観んとなぁ、と思ってたらこの展覧会。
実際今回の展覧会はその番組がDVD化したのと、彼女の故郷である静岡から今年、静岡県文化奨励賞を受賞したってのが大きいんでしょうね。
それにしても彼女の代表作30点が一堂に会するこの展覧会は、松井冬子ファンにはたまらない展覧会だったでしょうねー。実際僕も別にファンでもないのにちょっと興奮してしまいましたから笑 なんか、人気漫画家の原画展を見てるようなそんな感じ。今までイメージは散々メディアで流されてましたから、本当「おなじみの」って感じでした。
有名なのでなかったのは「夜盲症」と「切断された長期の実験」くらいで、彼女の大学院の卒業作品「世界中の子と友達になれる」や「浄相の持続」、「終局にある異体の散在」、そして、ETV特集でもメインになってた「陰刻された四肢の祭壇」も展示されてて、本当豪華絢爛って感じでした。
普段はこんな現代の作家を取り上げるような美術館ではないため、メイン展示室はほとんどガラス張り。その細部を見たかっただけにややがっかり。でもいつの時代の絵やねん、みたいな崇高さがあってそれはそれでいい展示でした。
松井さんの絵って昔の日本画の技術を忠実に再現しながら、描かれている女性とかは、完全に西洋のデッサンに基づいたプロポーションなので、そのギャップがやはり現代の作家なんやなって思い出させる。ダ・ヴィンチやボティッチェリみたいやもんね。
でも、一番すごいな、と思ったのは下書きの展示。
もう何度も何度も描いては、サイズを変えてみたりの繰り返し。
その痕跡も辿れるし、まあなんといってもあの技術力。凄いです。
行ってよかった展覧会でした。
ただ、また観たいかって言われるとちょっとな、って感じ。
数年後、もっと大きな展覧会があれば観に行ってみたい。
ちょっとそうコンスタントに観る絵ではない気がしますね。
棚田康司展「十一の少年、一の少女」@ヴァンジ彫刻庭園美術館
夏に恩師が、ここを訪れ「万事休す美術館」と命名してた。。。親父ギャグっていやだ。
とにかく酷評の嵐だったので、どんなとこやろ、と行ってみました。
まあ、やってる展覧会はなんだって良かったんだけど、これも案外良かった。
棚田さん自体は、この展覧会観るまで知らなかったけど、一本の木から人形を彫るというシンプルな作品は好感が持てた。まるで昔の仏像の彫り師でもあり、シュテファン・バルケンホールのようでもありつつ、あれほど荒くもなく、どちらかと言えば舟越桂に近い感じ。
彼の作品のどれもが少年少女たち。(そう見えるだけかもしれないが)
それも思春期のような青臭さが漂う、何とも言えない不安定感が漂う。
地肌には肌理までちゃんと表現しようと、何度も色を塗り重ねられて、うっとりするぐらい綺麗。
ヴァンジさんの彫刻とも自然に馴染んでいてとてもいい展示だった。
恩師がこき下ろしてたヴァンジさんの作品群も、野外のはんー、って感じやったけど、屋内のは、壁のコンクリ打ち放しと非常に合ってて、決して悪くはないと、僕は思いました。良くもないとは思うけどね。
諸事情により早足で観ないといけなかったので、また今度ゆっくり来たいです。
前回の川内倫子の展覧会観たかったなー。

特種製紙Pam by 坂茂











今静岡は沼津に来ております。
友人を訪ねるついでに、静岡アート&建築踏破の旅です。
もちろん青春18切符!青春万歳。
しかし、早速やってしまいました…。
カメラを忘れるという致命的なミスをっ!
もう死んだ方がええです。
「備えあれば憂いなし」と言いますが、備える為に、いつも鞄に入れてるカメラを前日に充電したのが仇となりました。出発の際いつものように入ってると思い込んじゃったんですね。クズです。
なので今回はケータイカメラで撮影。
でもこれが意外ときれいに写ってて一安心です。ふぅ。
では本題。
まずは坂茂の特種製紙Pamです。
これがマジですばらしい作品やった。
ここまで来た甲斐があったってもんです(T^T)
坂さんの作品って住宅が多くて、こうして公共に開かれてるのって中々ないのでかなり貴重。
ファサードはガラスでできたシャッター。
行った時は半開きやったけど、上まで開く時もあるらしい。
開いたところが見たかった。残念。
PamとはPaper and Materialの略。
このロゴは田中一光氏のデザイン。
中には特種製紙の製品が展示されてたりする。
入ると吹き抜けの大空間が広がる。
5枚目の縦長写真は3枚の写真を無理矢理合成してます笑
テーマは似非ホックニーで。
もう光の入り方が尋常じゃないくらい美しい。
坂さんの紙の椅子もあって実際座れる。意外と重い。
トイレも細かいとこまでデザインされてる。メンテが荒い。
トイレの下の画像はオフィス。壁も紙管!机も紙管!
この建物はA館とB館に分かれている。
A館は常設展示で、B館は企画展示室。
残念ながら今回は何もやってなかったのでB館は見れず。
A館とB館をつなぐ部分にはこれまた坂さんの建築でよく見られる蔦。
淡い緑のガラスファサードが夕日をうけてべらぼーにきれいでした。
行かれる際は予約が必要。しかも平日しか開いてません!ご注意を。
website>>http://www.tokushu-paper.jp/
ねむの木ギャラリー by 坂茂



ねむの木こども美術館 by 藤森照信




ねむの木村という「トリック」とかに出てきそうな村にある美術館(ぉ
バスが2時間おきぐらいの勢いでしか出てないので、掛川駅から行きはタクシー。2910円もかかった(号泣) せっかく18切符で来てるってのに。大阪・静岡間より高いです・・・。帰りはちゃんとバスに乗りました。駅まで460円やったのに、11月から価格改定で300円に値下げされてた!このご時世に値下げとは・・・。それで行きの分も良しとしよう。無理か・・・。
にしてもホンマに山奥で、くねくね道をひたすら走り続けてようやくたどり着けるのです。ほんまにたどり着けるんかいな・・・と思いながらもなんとかたどり着けました。
でも、正直申しまして、そこまでの金と労力を払ってまで見に行くようなもんじゃないです・・・。あまりお勧めはしませんね。
それでも坂さんの貴重な建築と、今とっても人気のある建築史家兼建築家の藤森さんの作品が一度に観れるって点では建築ファンには眉唾もんなんですが。
坂さんの方は三角形をひたすら繰り返す建築。こういうアプローチを坂さんがするのは意外でした。上から見たら三角。天井の鉄骨フレームも三角。床も三角で構成されてる。中はギャラリーといいつつ壁がなくワンルーム構造。代わりに仮設の壁が柱のように立ってる。これは四角柱。三角柱ちゃうんかい!と思わずつっこみそうになりました。
なんかあんまピンとこない建物。
藤森さんの方は、これぞ藤森建築!って感じの建物。
屋根がどんぐりみたいな形をしています。
実際周囲はトトロとか出てきそうだしぴったりかも。
屋根には植物が生えてて、中の柱は木がそのまま使われてて一つとしてまっすぐなのがない。壁はあえて荒くしっくいで白く塗られてる。
「プリミティブ」を素でやっちゃってる人ですね。
実際藤森建築初めて生で観たけど、「ふーん」っ感じやった。
まあ、そうだろうね、っていう、写真の印象とあまり変わらん。
ちょっと期待してたのでがっかり。
掛川駅からちょっとしたところに藤森さんの美術館がもういっこあるけどこちらはパス。掛川駅の谷川吉生の資生堂ギャラリーは時間がなくて断念・・・。
今日は坂さんの建築を一日で2つも見てしまった。
ねむの木ギャラリーはともかく、Pamはやられたー。
来年に建つであろうポンピドゥー別館も楽しみですね。
最近図書館で「建築家への道」って本を借りました(お前は何になろうとしてんねんっていうつっこみはなしで)
いろんな建築家が自分の辿ってきた道をレクチャーして、これから建築家を目指す建築学生に向けてアドバイスするって本。ちょっと古いんですが、妹島さんとかも出てて中々為になります。
その中でも坂さんのはダントツでおもしろかったですね。
とりあえずこの人の人生がおかしい笑
高校出て、当時好きだった建築家が教えてるという理由からNYのクーパーユニオンに行こうと決意し、英語も喋れないのに単身渡米。いきなり作品見せて「入れてくれ!」と猛烈アタックするも、「とりあえず英語勉強してから来なさい」と一蹴され、しかたなくアメリカ放浪。
そんな時たまたま当時創設されたばかりの南カリフォルニア大学に入れることになり入学。しかしやはりクーパーユニオンの夢は捨てきれず、なんとか編入試験をパスし、念願のクーパーユニオンに入学。
しかし途中休学して、帰国し、磯崎新のアトリエに勤めたりして、再び戻ってきたアメリカでなぜか展覧会構成を任せられ、それが好評を博し、いくつかの展覧会を任せられる。
卒業後にはアルバー・アアルトの展覧会をMoMAで成功させたり、たまたま建築雑誌で見た安藤忠雄の作品に惚れ込み、実際会いに行って意気投合しちゃって、安藤の展覧会をアメリカで巡回させちゃったり、とにかくめちゃくちゃ笑
そんな時に会場構成に使った紙管に注目し、それで建築が作れないかと思い至る。いろんな構造家たちに当たるが紙で建築なんか作れるわけないやろ、とこれまた一蹴されるも、そこで諦めないのが坂さん。ようやく松井源吾という構造家と巡り合い、なんとか建築にも使える紙管を開発成功。(松井源吾氏は伊東さんの自邸シルバーハットなどを手がけた知る人ぞ知る名構造家。1996年に亡くなられました。)
以降紙管建築は坂建築の代名詞となり、2000年に行われたハノーバー万博で頂点を極めるに至る。
なんといっても、紙の建築の最大の利点は建築コストである。なんせ紙だからほかの建築素材と比べても格段に安い。かつて安藤忠雄がコンクリート打ち放しの低コスト建築を芸術の粋まで磨き上げたように、坂さんはさらに安い、しかも今まで誰もやってこなかった素材で新しい建築を作り上げてしまった。
さらに作るのが簡単なこと。通気性が良く、熱を逃がさない。ホームレスの人たちがダンボールを家の素材として選ぶのがわかるというもの。
そんな利点を生かしたプロジェクトがまた始まる。ある日、ルワンダの難民キャンプの映像をテレビで見た坂さん。あまりにちゃちいキャンプを見るに見かね、坂さんは立ち上がり、国連に紙でできたキャンプを提案。これが見事に採用され、ルワンダではこの紙のキャンプが立ち並ぶことになる。
以降も阪神大震災後の神戸など、災害で家をなくした人たちのシェルターを世界中で作り続けている。先日も中国の四川に紙の小学校を建てたばかり。
そんな坂さん。最近では建築界のノーベル賞、プリツカー賞の審査員なんかもやっちゃってます。一体何者やねん!
坂さんの場合、「建築界の」と言わず、普通にノーベル賞獲れちゃいそうな気がしてるのは僕だけでしょうか?
最後に、前述の本に載ってた坂さんからのアドバイスを抜粋。
「建築家になるためには、いい建築を見ることが重要だと言えると思います。僕もそうなんですが、ずいぶん世界中を歩きまわって建築を見てきているんです。見るという訓練が建築を勉強する上で、あるいは実務で建築を作る面でもいちばん重要になってくるわけで、まず建築を見てない人、世界を旅行していない人は100%建築家にはなれないですね。見たからなれるとも限らないけれども、それは最低条件だと思います。」
これは建築だけでなく、ものづくり全体に言えることだと思います。
今やメディアやネットなどで、簡単に情報が手に入っちゃうけれど、やっぱりホンモノを体験してないと、作るものも薄っぺらくなると思います。一種の通過儀礼みたいなもんです。
見てなさ過ぎる事はあっても、見すぎるって事はないと思いますし。
特に坂さんのような人が言うと重みが違いますね。
僕もいいものが作れるようにまだまだたくさん観て吸収したいと思います。
にしても長い記事になってしまった・・・。
原っぱと遊園地 by 青木淳
白い教会(2006)



青山プロジェクト(2008)


最近本を読み狂ってます。月15冊ぐらいのペース。
というのも、地元の図書館にアートや建築の本が充実してることが判明したため。灯台下暗しでした。
学校卒業して、こういう専門書って買うしかないんかなぁ、と思ってたのですが、意外に公立図書館にもマニアックな本って置いてるんですね。はなから諦めてたのでびっくり。
で、まあ色々読んでるんですが、中でもダントツおもしろかったのが青木淳の「原っぱと遊園地」。
このワクワクするようなタイトル。
前から気になってはいたのですが、図書館で見つけて意気揚々とレンタル。
いやぁ、おもしろい!おもしろすぎて、結局「原っぱと遊園地」「原っぱと遊園地2」も買ってしまいました。
まず、「原っぱ」と「遊園地」という言葉の選び方が絶妙。
「原っぱ」とは目的が失われ、なんでもなくなってしまった空間。
「遊園地」とは目的がガチガチに決められ、いわゆる「至れり尽くせり」な空間。
青木さんは前者の「原っぱ」こそ良しとしてます。
これは明らかにモダニズムへの反発です。
モダニズムでは、ルイス・サリヴァンの有名な言葉「形態は機能に従う」や、コルビュジエの「住宅は住むための機械である」などのように、いかに無駄を省き、その機能のみを反映させられた空間を作り得るかに全力を注ぎ込んでいました。
その究極の形がミースが追い求めていたような形かもしれません。
しかし青木さんはそれに「ノー」を表明するのです。
でもそれが強いノーではなく、本当にさらっとしていて、押し付けがましくないのが素晴らしい。
全体として、とても柔らかいトーンが流れている、文章としてとても「うまい」と思いました。
「○○である」とか、なんか言い切ってしまう文章って、それに共感できたらおもしろいんやけど、1度でも「そうか?」と思ってしまうと途端にしんどくなる。
青木さんの文章は、その中間領域をうまく描いている気がします。
まさに「原っぱ」のような文章。
行間に「あそび」があり、読者は想像力を膨らまして読む事ができる。
それに本当にうまい文章ってやっぱ難解な言葉を使わずして言いたい事を言い得てる文章だと思うんですよ。易しい言葉だけで、こうした専門領域の話を書き進めるのって案外難しくて、逆に難しい言葉を多様した方が楽だったりします。それに易しい言葉で構成すると色んな人が理解できちゃうのでごまかしが効きませんし笑
建築以外の人が読んでも結構納得できちゃうと思います。
最近海外では、日本みたいにスクラップ&ビルドではなく、リノベーションが主流になってきました。そしてそうした建物の方が断然おもしろい。元々その目的用に作られたものではないので、使い勝手は悪そうですが、それでも元の空気を含んだ建物の魂みたいなものまで取り込めるので、昔に思い馳せることもできます。
ルーブルだって元は宮殿だったわけだし、テートモダンなんて典型例ですね。
ここでも何度か紹介してる日本の発電所美術館もすばらしいです。
日本は美術館の数だけは多いですが、本当に面白い美術館ってそうそうない。
「原っぱ」のように1度目的を失い、また別の目的を獲得するような空間こそ今求められてるのかも。
しかし、この理論、多少無理があって、例えば「美術館を建ててください」と頼まれて、「原っぱ」のような建築を一から建てられるのか?という問題。
もう、目的が最初から決められてるので、やっぱり「美術館」を作るしかないわけです。
青木さんがそれに取り組んだのが青森県立美術館だったんでしょうが、あまり成功してるとは思えません。
やはり「原っぱ」の初期要素として「失う」というプロセスが重要なのではないでしょうか。
あくまで、その建物が元々の使われ方をしていたのを、その機能が一端失われて、新しい全く別の機能として生まれ変わるからこそ成立するのが「原っぱ」じゃないかな。
たとえ、工場のような建物を建てて、美術館としてスタートしたのなら何の意味もないのです。
唯一「原っぱ」を作りうる手だてがあるとしたら、もはやそれは作り手ではなく使い手にかかってるのではないでしょうか。使い手が自由な発想で空間を使いこなせれば、そこは「原っぱ」になるのでは。でも一種アナーキーな響きもしないではない。作り手としては、いかに使い手の想像力を刺激できるかにかかっていると言えます。
まあ、「美術館」とか「図書館」って言われちゃうと、目的がはっきりしちゃい過ぎてて難しそうですが。
ちなみにここまで青木さんの文章を褒めちぎってて何なんですが、実際青木さんの建物に、この文章のようなワクワクを感じられないんですよね。
文章に漂う雰囲気をまるまる投影できるような空間が建てられれば大成功と言えるんでしょうが。
上の写真たちはここ最近で見た青木淳建築。なんだかなー。
ちなみに最初の「白い教会」は、教会と言っても「チャーチ」ではなく「チャペル」。
しかも「ウェディングチャペル」
もしかしたらこれこそ「原っぱ」な施設と言えるかもしれません。
完全に教会の元の意味はぎ取られてますからね笑
昔外人さんが、日曜日、本来ミサの日なので、どこか祈れる教会はないかと探していたら、偶然見つけて祈ろうとしたら、「ここはウェディング用なので祈る場所ではありません」と注意されたという話があります。
ほとんどの日本人が無宗教なのに、なんで十字架の前で永遠の愛を誓い合うのか僕にはよくわかりません。
そもそも何に誓ってるんだとつっこみたくなります。
まあ、幸せな2人の前では、っぽいものであれば何でも良いんでしょうね。
それから「磯崎新の都庁」を読んだ。
これは、今新宿にある丹下健三設計の都庁のコンペで起きた事件を小説風に綴った本。
青木さんも磯崎スタッフとして都庁コンペコアスタッフの一員として登場。
まあ、磯崎新には全然興味ないんですが、本屋に並んでて気になったので。
読んでて磯崎さんのことより丹下さんのことが気になった。
なんか丹下さんと磯崎さんの関係って手塚治虫と石ノ森章太郎の関係に似てる。
丹下さんも手塚さんも一分野を開拓した祖であり、もう十分に生きてる間から神のような存在だったのに、弟子に嫉妬しちゃうんですよね笑
手塚さんが石ノ森さんの漫画にいちいち難癖つけながら、画風とか真似たりしてたように、この本でも丹下さんが、後に建てるフジテレビ本社屋のデザインが明らかに磯崎さんの都庁コンペの案そのままだったり。。。
しかも丹下さんは、代々木体育館以降、代表作というものに本当に巡り会えなかった。
都庁だって特におもしろくもないしね。。。
ところで、「現代アート入門の入門」という、まあ、内容が素人すぎて読む価値のない本なんやけど、それに都庁が元あった有楽町に今は都内の端っこにある東京現代美術館を建てる案もあったってホンマやろうか。それがホントなら、悔し過ぎる。。。今の場所不便すぎますからね。有楽町にあったらどれだけ楽だったか!今は有楽町フォーラムが出来てます。余談でした。
同じく丹下さんの弟子で、昨年お亡くなりになった黒川紀章の「共生の思想」も読んだ。
図書館の閉架にあったので頼んで出てきたそれを観て一歩退いた。
だって700ページ以上ある、辞書かよ!ってつっこみたくなる太さなんやもん。
でもまあ、読み切りました。意外と読めるもんです。
でもこれ、完全に建築家の本じゃないですね笑
明らかに政治家のマニフェストですよ。
実際都知事選に出馬したわけですが、ちょっと遅すぎたような気がします。
書いてる内容は大変示唆に富んだ内容で納得できます。
学校の地下に防災グッズを常時保管できる倉庫を造るべきだとか。
さっさと建築なんかやめて政治の道に進んじゃえばよかったのに。
建築は実際全然面白くないですからね。
んで、「コールハースは語る」を立ち読みした。
某書店では椅子が用意されてて、意外と薄かったので全部そこで読んじゃいました。
最近コールハースが気になる。
明らかに伝説が他の建築家に比べてダントツで多いですから笑
有名なのは、家を頼んでた施主の要望が、コールハースの建てようとしていたものと合わなくて、なんとこの人施主をクビにして、そのままの案でポルトガルのコンサートホールに仕立てちゃったり、コンペ案を無理矢理ねじ曲げたり滅茶苦茶です。
前述の磯崎さんの本の中でも、磯崎さんがかつて、パリのラ・ヴィレット公園のコンペ審査員をしていた時に、コールハースも出してきた時のエピソードも載ってます。以下抜粋。
「ラ・ヴィレット公園のコンペで問われたのは、現代の新しい「楽園」のイメージだった。(略) しかし、コールハースはのっけから過激である。「このプログラムを具現化するのはナンセンスだ。単なる提案リストとして受け取ることにする」 いきない主催者の要項に異議を叩きつけると、彼はまるで映画や雑誌でも編集するかのような手つきで、軽快に公園をデザインしてしまった」
んな、アホな笑
結局バーナード・チュミが最優秀を得、実現に至るわけですが、磯崎さんはこの案を最後まで推していたようです。
んー、媚びる事を知らない野犬さながらですね笑
この本で印象的だったのは、建築と都市の関係に関する問への回答。
「建築は制御力を行使しようとする必死の試みであり、アーバニズムはその試みが失敗した姿だ。建築/都市をふたつのコアを持つ単一語としてみなそうとする重力が働いていることは、制御力をなつかしむノスタルジアが、ほぼ禁じられた領域にまで達していることを示している」
まあ、何言ってるかほぼわかんないんですが笑、彼の言葉っていちいち強いんですよね。青木さんとは正反対に、レムはもうばっさばっさ斬りたおします。
この原動力はどこから来るんでしょうか・・・。
五十嵐太郎さんの「現代建築に関する16章」という本では1章まるまるレムに割いてます。やはり彼はモダニズム以降最も重要な建築家の1人なんですね。
でも五十嵐さんがこの本の中で「レムはコルビュジエの最大の継承者」と称してるのは意外でした。コルビュジエとコールハース。名前は何となく似てるけど、全然つながんないんですが。。。まあ、確かに大言壮語を吐いて人々を惑わせる感じは似てるのかもしれませんね。
ちなみにこの五十嵐さんの本は、詰め込むだけ詰め込んだ建築の知識を整理するのに役立ちました。五十嵐さんの文章も中々魅力的です。
ゴシックやバロックについて語ってると思ったら、いきなりエヴァやスーパーフラットまで出てきたり、とても自由な縛られない文章で読んでて楽しかったです。説明に終始してただの教科書になりかねないところをうまくずらしてる感じですね。最近出た「植物と建築」も読んでみたい。
ちなみにここに挙げた人々は文章がやたらにうまいわりに建築は・・・って感じ。
レムは、サーペンタインパビリオンしか生で見た事ないのでなんとも言えませんが、写真で見る限り、これらの発言ほどおもしろいのかな?って思てしまいます。
実際僕の好きな伊東さんやSANAAの建築は、もう言葉を超えっちゃってますからね。 伊東さんの場合、せんだい前までは、言葉に縛られてた感じがありましたが、せんだいで、もうふっ切れて暴発したようになっちゃいましたからね笑
言葉で語り尽くせるなら創造なんて要らないんです。
やっぱ創造の魅力は言葉を超えたところにこそありますから。
まだまだ読んだ本はありますが、折々に触れていきたいと思います。



青山プロジェクト(2008)


最近本を読み狂ってます。月15冊ぐらいのペース。
というのも、地元の図書館にアートや建築の本が充実してることが判明したため。灯台下暗しでした。
学校卒業して、こういう専門書って買うしかないんかなぁ、と思ってたのですが、意外に公立図書館にもマニアックな本って置いてるんですね。はなから諦めてたのでびっくり。
で、まあ色々読んでるんですが、中でもダントツおもしろかったのが青木淳の「原っぱと遊園地」。
このワクワクするようなタイトル。
前から気になってはいたのですが、図書館で見つけて意気揚々とレンタル。
いやぁ、おもしろい!おもしろすぎて、結局「原っぱと遊園地」「原っぱと遊園地2」も買ってしまいました。
まず、「原っぱ」と「遊園地」という言葉の選び方が絶妙。
「原っぱ」とは目的が失われ、なんでもなくなってしまった空間。
「遊園地」とは目的がガチガチに決められ、いわゆる「至れり尽くせり」な空間。
青木さんは前者の「原っぱ」こそ良しとしてます。
これは明らかにモダニズムへの反発です。
モダニズムでは、ルイス・サリヴァンの有名な言葉「形態は機能に従う」や、コルビュジエの「住宅は住むための機械である」などのように、いかに無駄を省き、その機能のみを反映させられた空間を作り得るかに全力を注ぎ込んでいました。
その究極の形がミースが追い求めていたような形かもしれません。
しかし青木さんはそれに「ノー」を表明するのです。
でもそれが強いノーではなく、本当にさらっとしていて、押し付けがましくないのが素晴らしい。
全体として、とても柔らかいトーンが流れている、文章としてとても「うまい」と思いました。
「○○である」とか、なんか言い切ってしまう文章って、それに共感できたらおもしろいんやけど、1度でも「そうか?」と思ってしまうと途端にしんどくなる。
青木さんの文章は、その中間領域をうまく描いている気がします。
まさに「原っぱ」のような文章。
行間に「あそび」があり、読者は想像力を膨らまして読む事ができる。
それに本当にうまい文章ってやっぱ難解な言葉を使わずして言いたい事を言い得てる文章だと思うんですよ。易しい言葉だけで、こうした専門領域の話を書き進めるのって案外難しくて、逆に難しい言葉を多様した方が楽だったりします。それに易しい言葉で構成すると色んな人が理解できちゃうのでごまかしが効きませんし笑
建築以外の人が読んでも結構納得できちゃうと思います。
最近海外では、日本みたいにスクラップ&ビルドではなく、リノベーションが主流になってきました。そしてそうした建物の方が断然おもしろい。元々その目的用に作られたものではないので、使い勝手は悪そうですが、それでも元の空気を含んだ建物の魂みたいなものまで取り込めるので、昔に思い馳せることもできます。
ルーブルだって元は宮殿だったわけだし、テートモダンなんて典型例ですね。
ここでも何度か紹介してる日本の発電所美術館もすばらしいです。
日本は美術館の数だけは多いですが、本当に面白い美術館ってそうそうない。
「原っぱ」のように1度目的を失い、また別の目的を獲得するような空間こそ今求められてるのかも。
しかし、この理論、多少無理があって、例えば「美術館を建ててください」と頼まれて、「原っぱ」のような建築を一から建てられるのか?という問題。
もう、目的が最初から決められてるので、やっぱり「美術館」を作るしかないわけです。
青木さんがそれに取り組んだのが青森県立美術館だったんでしょうが、あまり成功してるとは思えません。
やはり「原っぱ」の初期要素として「失う」というプロセスが重要なのではないでしょうか。
あくまで、その建物が元々の使われ方をしていたのを、その機能が一端失われて、新しい全く別の機能として生まれ変わるからこそ成立するのが「原っぱ」じゃないかな。
たとえ、工場のような建物を建てて、美術館としてスタートしたのなら何の意味もないのです。
唯一「原っぱ」を作りうる手だてがあるとしたら、もはやそれは作り手ではなく使い手にかかってるのではないでしょうか。使い手が自由な発想で空間を使いこなせれば、そこは「原っぱ」になるのでは。でも一種アナーキーな響きもしないではない。作り手としては、いかに使い手の想像力を刺激できるかにかかっていると言えます。
まあ、「美術館」とか「図書館」って言われちゃうと、目的がはっきりしちゃい過ぎてて難しそうですが。
ちなみにここまで青木さんの文章を褒めちぎってて何なんですが、実際青木さんの建物に、この文章のようなワクワクを感じられないんですよね。
文章に漂う雰囲気をまるまる投影できるような空間が建てられれば大成功と言えるんでしょうが。
上の写真たちはここ最近で見た青木淳建築。なんだかなー。
ちなみに最初の「白い教会」は、教会と言っても「チャーチ」ではなく「チャペル」。
しかも「ウェディングチャペル」
もしかしたらこれこそ「原っぱ」な施設と言えるかもしれません。
完全に教会の元の意味はぎ取られてますからね笑
昔外人さんが、日曜日、本来ミサの日なので、どこか祈れる教会はないかと探していたら、偶然見つけて祈ろうとしたら、「ここはウェディング用なので祈る場所ではありません」と注意されたという話があります。
ほとんどの日本人が無宗教なのに、なんで十字架の前で永遠の愛を誓い合うのか僕にはよくわかりません。
そもそも何に誓ってるんだとつっこみたくなります。
まあ、幸せな2人の前では、っぽいものであれば何でも良いんでしょうね。
それから「磯崎新の都庁」を読んだ。
これは、今新宿にある丹下健三設計の都庁のコンペで起きた事件を小説風に綴った本。
青木さんも磯崎スタッフとして都庁コンペコアスタッフの一員として登場。
まあ、磯崎新には全然興味ないんですが、本屋に並んでて気になったので。
読んでて磯崎さんのことより丹下さんのことが気になった。
なんか丹下さんと磯崎さんの関係って手塚治虫と石ノ森章太郎の関係に似てる。
丹下さんも手塚さんも一分野を開拓した祖であり、もう十分に生きてる間から神のような存在だったのに、弟子に嫉妬しちゃうんですよね笑
手塚さんが石ノ森さんの漫画にいちいち難癖つけながら、画風とか真似たりしてたように、この本でも丹下さんが、後に建てるフジテレビ本社屋のデザインが明らかに磯崎さんの都庁コンペの案そのままだったり。。。
しかも丹下さんは、代々木体育館以降、代表作というものに本当に巡り会えなかった。
都庁だって特におもしろくもないしね。。。
ところで、「現代アート入門の入門」という、まあ、内容が素人すぎて読む価値のない本なんやけど、それに都庁が元あった有楽町に今は都内の端っこにある東京現代美術館を建てる案もあったってホンマやろうか。それがホントなら、悔し過ぎる。。。今の場所不便すぎますからね。有楽町にあったらどれだけ楽だったか!今は有楽町フォーラムが出来てます。余談でした。
同じく丹下さんの弟子で、昨年お亡くなりになった黒川紀章の「共生の思想」も読んだ。
図書館の閉架にあったので頼んで出てきたそれを観て一歩退いた。
だって700ページ以上ある、辞書かよ!ってつっこみたくなる太さなんやもん。
でもまあ、読み切りました。意外と読めるもんです。
でもこれ、完全に建築家の本じゃないですね笑
明らかに政治家のマニフェストですよ。
実際都知事選に出馬したわけですが、ちょっと遅すぎたような気がします。
書いてる内容は大変示唆に富んだ内容で納得できます。
学校の地下に防災グッズを常時保管できる倉庫を造るべきだとか。
さっさと建築なんかやめて政治の道に進んじゃえばよかったのに。
建築は実際全然面白くないですからね。
んで、「コールハースは語る」を立ち読みした。
某書店では椅子が用意されてて、意外と薄かったので全部そこで読んじゃいました。
最近コールハースが気になる。
明らかに伝説が他の建築家に比べてダントツで多いですから笑
有名なのは、家を頼んでた施主の要望が、コールハースの建てようとしていたものと合わなくて、なんとこの人施主をクビにして、そのままの案でポルトガルのコンサートホールに仕立てちゃったり、コンペ案を無理矢理ねじ曲げたり滅茶苦茶です。
前述の磯崎さんの本の中でも、磯崎さんがかつて、パリのラ・ヴィレット公園のコンペ審査員をしていた時に、コールハースも出してきた時のエピソードも載ってます。以下抜粋。
「ラ・ヴィレット公園のコンペで問われたのは、現代の新しい「楽園」のイメージだった。(略) しかし、コールハースはのっけから過激である。「このプログラムを具現化するのはナンセンスだ。単なる提案リストとして受け取ることにする」 いきない主催者の要項に異議を叩きつけると、彼はまるで映画や雑誌でも編集するかのような手つきで、軽快に公園をデザインしてしまった」
んな、アホな笑
結局バーナード・チュミが最優秀を得、実現に至るわけですが、磯崎さんはこの案を最後まで推していたようです。
んー、媚びる事を知らない野犬さながらですね笑
この本で印象的だったのは、建築と都市の関係に関する問への回答。
「建築は制御力を行使しようとする必死の試みであり、アーバニズムはその試みが失敗した姿だ。建築/都市をふたつのコアを持つ単一語としてみなそうとする重力が働いていることは、制御力をなつかしむノスタルジアが、ほぼ禁じられた領域にまで達していることを示している」
まあ、何言ってるかほぼわかんないんですが笑、彼の言葉っていちいち強いんですよね。青木さんとは正反対に、レムはもうばっさばっさ斬りたおします。
この原動力はどこから来るんでしょうか・・・。
五十嵐太郎さんの「現代建築に関する16章」という本では1章まるまるレムに割いてます。やはり彼はモダニズム以降最も重要な建築家の1人なんですね。
でも五十嵐さんがこの本の中で「レムはコルビュジエの最大の継承者」と称してるのは意外でした。コルビュジエとコールハース。名前は何となく似てるけど、全然つながんないんですが。。。まあ、確かに大言壮語を吐いて人々を惑わせる感じは似てるのかもしれませんね。
ちなみにこの五十嵐さんの本は、詰め込むだけ詰め込んだ建築の知識を整理するのに役立ちました。五十嵐さんの文章も中々魅力的です。
ゴシックやバロックについて語ってると思ったら、いきなりエヴァやスーパーフラットまで出てきたり、とても自由な縛られない文章で読んでて楽しかったです。説明に終始してただの教科書になりかねないところをうまくずらしてる感じですね。最近出た「植物と建築」も読んでみたい。
ちなみにここに挙げた人々は文章がやたらにうまいわりに建築は・・・って感じ。
レムは、サーペンタインパビリオンしか生で見た事ないのでなんとも言えませんが、写真で見る限り、これらの発言ほどおもしろいのかな?って思てしまいます。
実際僕の好きな伊東さんやSANAAの建築は、もう言葉を超えっちゃってますからね。 伊東さんの場合、せんだい前までは、言葉に縛られてた感じがありましたが、せんだいで、もうふっ切れて暴発したようになっちゃいましたからね笑
言葉で語り尽くせるなら創造なんて要らないんです。
やっぱ創造の魅力は言葉を超えたところにこそありますから。
まだまだ読んだ本はありますが、折々に触れていきたいと思います。
エモーショナル・ドローイング@京都近代美術館

最近自分が苦手な作家の作品やギャラリーもちゃんと見ておこうと頑張ってます。
好きなものだけ見てたら凝り固まってしまうのはよくないですからね。
でも、結局「いややなぁ」と思って観る展覧会は、大体「やっぱいややったなぁ」で終わることが多い笑
「意外とええやん!」を待ってるんやけどうまくいかんもんです。
この展覧会も「やっぱいややったなぁ」で終わってしまいました。。。
もうドローイングって時点でうわってなってしまう。
実際見渡してみても良かったのは結局奈良さんの展示だけ。
奈良さんの場合は、毎回インスタレーションがかっこいいのです。
他はもう素通りのオンパレード。
明らかに場違いなおっさんが
「けったいやなぁ」と言いながら観てた。
おっさんもけったいやったけど、言ってる事は合ってる。
エロいか、グロいか。大体その2つに収まってしまう最近流行のドローイングたち。
あと、ウィリアム・ケントリッジの亜流やんけっていう、消したり描いたりを繰り返すアニメーションもあってうんざり・・・。あぁ、本家(ケントリッジ)が見たいよぉ・・・と思ってたらなんと、常設展の方に飾ってあってホンマびっくりした。想いが通じた瞬間。
いつもここの常設おもんなくて、入っても5分も経たずに終わってしまって、今回も入っていつものペースで歩いてたら真ん中の部屋に置いてあった作品にただならぬ気配を感じてみたらケントリッジ!
テーブルの上に天井から映像が投影されてて、真ん中には鏡面の筒が。
テーブルの上の映像はようわからんぐちゃぐちゃな映像なんやけど、なんとその鏡の筒に映し出されてるのはちゃんと絵になってる!
その鏡に映し出されることによって正像が映し出されるという仕組みがおもしろい。
そして相変わらずケントリッジのシュールで物悲しいアニメーション。
これは、エモーショナル・ドローイングとは別に展示されてたのが不思議過ぎる。
今年近美が買い上げた作品らしいのだけど、これ一点で、エモーショナル・ドローイングでたまってた不満がふっとんだ。いやぁ、ええもん観れました。
しかも来年9月から同美術館でケントリッジの展覧会が行われるそうで、めっちゃうれしい!
この美術館本当にいい展覧会やらんのです。
実際ここ訪れたのドイツ写真の展覧会以来やから約3年ぶり。
来年は椿昇展もやるそうで、こちらも苦手な部類やけど行ってみたいと思います。
さて、苦手なものチャレンジパート2は小山登美夫ギャラリー。
扱ってる作家がほとんど苦手なのです。
まさに上の展覧会に出てるような作家がほとんどですね。
京都の東本願寺の裏手に先日オープンしたそのギャラリーに潜入。
外観は元工場ってことで汚いんやけど、中の空間はやたらに綺麗です。
床も塗らずに木のままなのがかっこいい。
あぁ、ようやく関西にもこんなクオリティの高いギャラリーがでけたんやなぁとため息。
入ったら外人のスタッフさんに「コンニチハ」と言われたじろいだ。
にしても案の定今やってる桑原正彦も本当苦手なタイプのペインティング。
最近こういう淡い色のペインティングはやり過ぎでしょ。
そして奥には、グラデーションのようにタカイシイギャラリーが溶け込んでる。
こちらも展覧会自体にあまり興味なし。
この2つのギャラリーは、アートフェアでもいつも一緒やし、東京の方も同じ空間やし、分ち難く結ばれてる。なんなんやろか。
最近小山さんの「その絵、いくら?」も読みました。
これは小山さんがコレクターの卵さんに向けて書いたような本。
読んでたら、すごい志のある方やなぁって思ってしまう。
扱ってる作家はともかくとして、ギャラリーオーナーとしての志は今も熱いです。
関西にはこの手のオーナーさんってほっとんどいない。
作家のことを考え、コレクターのことを考え、展示のことを考える。
海外では当たり前なんだけど、中々いないのが現状。
前にNHKの経済羅針盤にも出てはったけど、とても物腰の柔らかい人。
あー、ホンマ小山さんの好きなアートがあんなでなければ。。。と悔やまれる。
あとこの本には「一億円作家」を抱える小山さんと、ギャラリーコヤナギの小柳敦子さんとオータファインアーツの大田秀則氏の3人の豪華対談なんかもあっておもしろい。杉本博司の作品は昔は○○万円だったのに、なんていう生々しい会話も繰り広げられている笑
他にもアートとお金の関係(バーゼルの出展料は約400万とか)が赤裸々に書かれてます。
それからチャレンジ3は村上隆の「芸術起業論」も今更ながら読みました。
いやぁ、本当、この人じゃないと書けない本ですね。
成功してないと、こんなこと書いても絵に描いた餅ですもんね。
彼は確実に美術史に足跡を残す人物でしょう。
彼のやったことってのは本当にすごいことで、彼独自の「スーパーフラット理論」をここまで世界に定着させた功績ってのはそれはもう讃えようのないほど。
同時にこの事件は如何に日本の美術批評が軟弱かってことを証明してます。
本来こういうのは批評家がやるべき仕事なんだけど、作家自らやらざるをえなかった哀しみってのは十分伝わってきます。
今の日本の美術評論界で有名なのは椹木野衣と松井みどりですが、2人の本を読んでてもただのマスタベーションやんけ、って思ってしまいます。
椹木さんの本は一通り目を通してます。先日も「なんにもないところから芸術がはじまる」と「美術に何が起こったか1992-2006」を読みましたが、どっちもコピペしたように同じ内容でうんざりでした。結局この人の価値基準は「如何に文脈から外れているか」でありつつ、その文脈に一番固執してんのはあんたやん、とつっこみたくなります。
また松井さんはもう議論の対象にもなりません。昨年水戸芸で行われた「マイクロポップ」のカタログを読みましたが吐きそうになりました。結局「マイクロポップ」の定義付けのあまりの幼稚さと、ポップアートとの差異を強調しつつ、じゃあポップってつける意味があまりに希薄で、これが日本の美術評論のトップなんかぁ。。。と思うと未来は決して明るくないですね。
村上隆の話題に戻りますが、この本読みつつ、まだ40代だというのに、もうなんか行くとこまで来ちゃったって感があるのは端から見てて心配になります。
今世界を回ってる回顧展も成功を収めているし、なんかあとの人生消化試合みたいになっちゃうんじゃないかなぁ、と。今はアニメーション制作に力を入れてるみたいですが、これが今までの業績を超えられるか超えられないかで、この人の底が見れると思います。
なんか愚痴ばかりの記事になっちゃいましたが、たまにはいいよね。