Peter Zumthor

建築界において、僕が神と称する人物が2人いる。
1人はこのブログでも散々紹介している伊東豊雄氏。
そしてもう1人が今回紹介するピーター・ズントー氏だ。
この度第20回高松宮殿下記念世界文化賞建築部門の受賞を受けそのズントーが来日した。
この賞自体の名前は知っていたものの、美術界ではそんなに騒がれることはあまりない。
その理由は多分毎度受賞者が巨匠すぎるっていう点にあると思う。
正直「今更?」って感じが拭えない。
ちなみに今年の美術部門の受賞者はリチャード・ハミルトンとカバコフ夫妻。
なんにせよ、ズントーが奇跡の来日を果たしたのである!
しかもそれに際して東京大学で講演会を開くという情報をキャッチ!
ということで行ってきました、天下の東大。
東京着のバスが遅れて8時過ぎになってしまい、危うく席を取り損ねかけたけど、なんとか他の教室から借りてきてギリギリセーフ。
始まる頃には教室に溢れんばかりの人、人、人。(ってか実際溢れてた・・・)
まあ、教室自体が小さいってのもあるけど。
そして10時半。ズントーのおでまし。
なんと今回は安藤忠雄までやってきて、サプライズでした。
まあそもそも、今回の講演はズントーとも親しいこの東大名誉教授のおかげだったのでしょうね。
講演はスライドなどを見せるというものではなく、あくまで学生の質問に答えるという形でした。
にしてもさすが東京大学。
なんと通訳なんてありません。質問もすべて英語です。ロンドン行っててよかった。
気づいたら東大生に囲まれてました。こえー。
いくつか聞き取りにくいものもあったけど、僕が彼の建築に対して抱いてる興味深い質問もいくつか発せられました。
その中でも最初の方に出た「建築と時間」という質問は僕もしたかった質問。
彼の建築の最も凄い所は新作でも既に悠久の時を過ごしたような雰囲気があるという点。
現代美術や現代建築などの「現代」とつく表現の最も弱い点はこの時間にある。
マスター・ピースと呼ばれ、未だに人々に愛され続けている作品には、時の振るいにかけられてもなお残り続けているんだという強みがその作品をより一層輝かせているように思う。
現代表現というのはたかだか半世紀経とうか経たないかというものでしかない。
これが100年後、1000年後にまだ残っているかという保証はどこにもない。
しかしズントーの建築は、建った瞬間からマスターピースのオーラが出ている。
数百年前から此処に在りましたといわんばかりに堂々としている。
これは一体何なんだろう。
彼はその答えに「伝統を踏まえる」といったニュアンスのことを言っていた。
よく建築家に多いのが「環境に合わせる」といった言葉だ。
環境というのはしばしば自然であることが多い。
だが、所詮建築は自然にはなりえない。
人の手が加わった瞬間からすべてのものは自然ではなくなる。
そうではなく、人がこれまで培ってきたものを大事に継承していく試み。
環境という言葉が横軸だとしたら、伝統は時間という縦軸である。
全く新しいことをやるのではなく、丁寧につないでいく作業。
彼の代表作聖ベネティクト教会はその好例であろう。
「木の鱗」と呼ばれるこけら葺きの外壁は、その土地で伝統的に見られる技法だが、今は職人が少なく費用もかかるらしい。太陽光や風雨にさらされ、竣工から約20年ですっかり土地になじんでいる。
昨年できたドイツケルンのコロンバ美術館では、戦争で破壊された教会と見事な融合を実現している。
まるで人の体が傷を治すように、伝統的なレンガを使ったズントーの建築が傷口を補っているのだ。
そしてレンガをズラして組むことでとれる外からの採光はあまりに美しい。
このつなぐという点でいえば、僕の好きなファッションデザイナーマルタン・マルジェラもそうかもしれない。足袋シューズやジャーマントレーナーなど、既存のものからまた新たな魅力を発掘していく。近々、伝統のテーラードの技術を蘇らせるサルトリアルラインの設立も目指しているそうだし。まあ、ズントーとマルジェラって中々同列に扱われるのは難しいとは思うけれど、僕は中々面白い共通点が隠れているような気がする。
また、美術館に対する考えも述べてくださった。
「私は20世紀が築き上げたホワイトキューブが必ずしも美術作品を美しく見せる装置だとは思わない。白い背景に置くより、磨かれた木の上に置いた方が美しく見えることだってある」という言葉がとても印象的。
実際彼の建てたオーストリアにあるブレゲンツ美術館の壁面はコンクリート打ち放しである。
かつて写真家杉本博司がインタビューで、最も展示のしやすかった美術館はどこですか?と聞かれ
「一番はズントーのブレゲンツ美術館。ただ作品を掛ければよいだけの完成度があった」
と答えている。
彼は空間にはとてもうるさく、どうしようもない時は仮設の壁を築いたりする。
このブレゲンツ美術館の素晴らしい点はそれだけではなく、独特の採光システムがなんといっても特徴的。
各階の天井裏に採光の為だけの2mぐらいのスペースがあり、そこに入った自然光が天井のフロストガラスを通じて展示室に入ってくるという仕組み。この美術館には人工の明かりがほとんどなく、自然光で作品を見せてしまうという離れ業をやってのけているのだ。
この美術館は展覧会自体もかなり質が高いのでかなり注目の美術館です。
2001年のオラファー・エリアソンの展覧会は写真でみてもすごい。
改めて彼の存在は現在における奇跡だと思った。
彼の建てた建築というのは彼のキャリアからすると極めて少ない。
実際に公表されているものだけでも20あるかないかだ。
しかしそのひとつひとつがマスターピースたる威厳を発している。
それもこれも、彼がひとつひとつのプロジェクトに真摯に取り組んできた結果だ。
スピードと効率ばかりが優先される時代に生きながら、決して商業主義に走ることなく、己の道を信じて貫いてきた。彼の場合1つのプロジェクトに10年以上かけることも多々ある。
クライアント泣かせだと言えばそれまでだが、彼が建てた建築は建った瞬間から伝説となる。
昨年は先述したコロンバ美術館と、ドイツの片田舎にある個人チャペルが相次いで竣工した。
この2つは昨年建築界でかなり大きなニュースとなった。
コロンバ美術館はともかく、後者のチャペルに至っては5人入ればいっぱいになるような小さな建築である。
しかし、昨年だけで、2万部のリーフレットがなくなったと施主は言う。
アクセスは極めて悪い。それこそ車でしか行けない様な場所にある。
しかしそれでも人々は彼の建築を一目見ようと世界中から集まってくる。
まさに巡礼地だ。
この建築は僕も写真で見て大きな衝撃を受けた。
まず丸太を組んで構造にし、その上から長い時間をかけて、村人達が少しずつ少しずつ土を混ぜたラムドコンクリートという素材を重ねていく。最後に構造となっていた丸太を一ヶ月掛けて燃やして取り払ってしまう。すると、内側の壁には黒く焼けこげた丸太の跡がくっきりと残り、焼けたにおいが残り続ける。天井には穴が開いていて、雨も日の光も皆平等に降り注ぐ。
また、こんなこともあった。
ベルリンにトポグラフィー・オブ・テラーという野外博物館がある。
壁の歴史を綴る、大事な博物館だ。
それに建物を与えようということになり、コンペでズントーが選ばれた。
しかしその後、彼の提案した素材がベルリンの消防法で使えないということが判明した。
普通ならまた違う素材をあてるところであろう。
が、ズントーは違う。彼はこのプロジェクトを降りてしまったのだ。
建っていれば、かなりの評価が期待されたであろうそのプロジェクトを、たった1つの素材の問題も妥協できない、不器用と言えば不器用な建築家というより職人の姿がそこにあった。
こうした態度は、家具職人の家に生まれ、幼い頃から職人の息づかいを感じながら生きてきた彼の出自も大きく影響しているのだろう。
最後に建築学生に一言と言われて、ズントーが言った言葉はかなりズシンときた。
'Find out who you are. Be yourself' (己を知り、己自身でありなさい)
妥協を許さず突き進んできたズントーが言うからこその言葉だと思う。
当たり前のこと。この当たり前のことが実は一番難しかったりする。
しかしズントーは今までも、そしてこれからもそれをやり続ける。
人間としても最も尊敬に値する人物である。
ところでこの東大の後、赤坂でも講演会があったらしい。
僕としたことがこっちの情報をすっかり知らなかった・・・。
こちらでは新作の話などもスライドつきで行われたらしい・・・いいなぁ。
なんでもルイーズ・ブルジョワとのコラボなんかもあるらしい。
まったく似つかわしくない2人だけどどんな風になるのだろうか。
その講演会に関してはコチラで詳しく書かれています。
でもまあ、最後の言葉を聞けただけでもかなりよかった。
こんだけ書いておいてなんですが、実はまだズントーの建築まだ1つも見てません。
本来僕は写真だけを見て評価するのが嫌いで、これだけ歩き回って実物を見たりしてあーだこーだ言ってるんですが、ズントーの建築だけは別格で、写真を見ただけでもう凄いのがまるわかりっていうか。
ロンドンにいる間に見ておこうと思ってたんだけど、最後にとりすぎちゃいました。
一人っ子なんで大事なものは最後まで残しちゃうんです。
あとあれを見てしまったらもうヨーロッパに来る理由がなくなる!と思ったのも事実。
来年こそはズントー巡りするど!
にしてもズントーに関する書籍があまりに少ない。
これはズントー側がコントロールしてるのかもしれないけれど、ファンとしてはどうしても欲しい。
以前日本の雑誌a+uが臨時増刊号でズントーの本を出版した。
しかし今は絶版になっていて、こないだ本屋で10万円の値がついてた。定価4200円なのに。
あー、どうにか手に入らないものか。
ロンドンの大学ではこの本が図書館に入っていて、よく借りてにやにやしてました。
この世界文化賞受賞を期に復刊されることを切に願います。
是非賛同される方はこちらに投票お願いします!
http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=37578
梅林の家 by 妹島和世

友人のブログに載ってて、
教えろや、コラ
と脅したらメールで地図送ってくれたので行ってきました死
ランダムな窓の取り方や植物など、妹島さんの特徴が現れてますが、
やはり驚くべきは壁の薄さ。
ご覧下さい↓

こんな薄くて外や中の音とか大丈夫なんかいな、と心配になってしまう。
それ以前に森山邸同様、建築フリークの巡礼地と化してしまってるのが何より問題ですね。
このサヴォア邸のような借景がいい感じ。
小さいながらも豊かな暮らしができそうなお家でした。

さて、前回の上京で実は品川某所にある妹島事務所も覗いてきました。
文字通り「覗き」です。別に何の知り合いもいません。
行ったら廊下に普通にローザンヌの模型が・・・拾ってこればよかった。

あと、青山で、道に迷ったらなんと伊東事務所も発見!

そのまま中に入ってしまいそうになった。。。
窓際にアメリカでの美術館の模型が・・・あぁ、入りてぇ・・・。
後ろ髪引かれる思いでその場を去りました。

青山には元伊東事務所の平田晃久さんの建築も観に行った。
横トリの「イエノイエ」の断片のようなものが見受けられる建築。
猿楽の作品も観に行ったけどそっちはあんまりやった。
最近はロンドンのフリーズでもタカイシイブースに作品を出品するなど美術分野にも足を広げつつあるのだろうか。
まだ建築に彼の思想が100%出せてない感じがするのでこれから期待したい建築家だ。ってお前は何者だというツッコミはやめてください、ごめんなさい。

丸山直文展「後ろの正面」@目黒区美術館

またまたまたまた東京に行ってきました。
今年6度目の上京。あと年内に1回は行きます。
「もう住んじゃえば?」
と各所で囁かれてますが、僕は関西にい続けてやります。
今回メインはまた後で紹介するとして、今回は目黒区美術館で開催中の丸山直文展。これが予想よりかなりよかった。
丸山さんの絵はグループ展とかで何度か見かけたことがあったけれど、こうして大きな個展として単体で観たのは初めて。
まず最初は2階からスタート。
2003年から今年までの新しい作品たち。
もう色彩が豊かで目がくらんだ。
それに対して、床が真っ白ですごく心地いい空間だった。
丸山さんの絵の特徴はなんといっても滲みだ。
綿布にたくさんの水を滲ませて画面を構成していく。
抽象画のようでもあり、でもちゃんと具象画でもある。
水面を描いたものから山を描いたもの。人の影の作品が個人的には好きだ。
よく近づいて見るとうっすら下書きの線が見える。
これには驚いた。
結構ランダムに色を配置していると思ってたら、かなり緻密な下書きを繰り返してるのがこれでわかる。
確かに薄塗りの作家程、作業量が少なく見えて、その作品に至るまでのプロセスが並大抵ではない場合が多い。
たくさん絵の具を使う人は結構やり直しがきくけど、うす塗りだと失敗がゆるされない。
マチスなんかがそうで、適当に描いてる様に見えて、実はあそこに辿り着くまでに何枚もドローイングを重ねたり色の配色を実験したりしている。
丸山さんがまさにそのタイプの画家だと改めて発見させられた。
他にも80年代後半から90年代の作品も展示されている。
特にロビーに展示されてた90年代半ばの白黒の作品がかなりかっこよかった。
80年代後半の抽象画はまだちょっとモチーフに迷いが感じられるけど、緑の抽象画はかなりよかった。
その展示室も普段のフロアを剥がして、かなり床が荒々しくなっててかっこよかった。
一階にも数点と、ドローイング。
そして見逃してはならないのが、丸山さんの制作風景を映した映像。
やはり、彼が1枚の作品に辿り着くまでの試行錯誤が映し出されている。
大体1枚の作品に対して、30枚程度のドローイングを重ねるらしい。
配置であったり、色構成であったり、かなり大変な作業だ。
面白かったのは、丸山さんの絵画に登場する蝶や蜂といったモチーフを予め描いて切っておいて、画面の上に実際載せてみたりしてる場面。他にも色の塊を置いてみたり、とにかくそのプロセスがおもしろい。
その映像の部屋には丸山さんの私物がたくさん置かれていて、生の画家を感じられる。
この展覧会は11月9日まで。
目黒区美術館初めて行ったけど、結構いい展示室やった。
次は石内都さんもやるみたいだし、また行ってみたい。
あと恵比寿に移ったNADiffにも行ってみた。
かなりわかりにくい場所で参った。
しかも品揃えも前の方がよかったような気がする。
サブカル系をフィーチャーしすぎて何だかなぁ、と言った感じ。
表参道の時はもっと気軽に行けたけど、もう中々行かなさそう。