DOCUMENTA 12

地味。知らない作家が多い。展示がわかりにくい。
前評判がとにかくよくなかった今回のドクメンタ。
どんなもんかいな、とこの目で確かめに行ってきました。
5年に1度、ドイツの小都市カッセルで開かれる国際展ドクメンタ。
今年で12回を迎え、名だたる国際展の中でも異彩を放っている。
毎回1人(組)のキュレーターによってテーマ設定、作家選定をすべて一任され、キュレーターの手腕がもろにとわれることになる。
今年はロジャー・M・ブーゲル氏と、その妻で美術史家のルース・ノアック。
今回のテーマは3つ。
・Is modernity our antiquity? (近代性は我々の過去か?)
・What is bare life? (むき出しの生とは何か?)
・What is to be done? (何がなされるべきか?)
そのテーマに対し、約120人(組)の作家が選ばれた。
この中には葛飾北斎やらイスラムのタペストリーやら、クラシックなども含まれ、時代の幅もまちまち。これらの選定は美術史家であるルースによるものだと想像がつくし、1つ目の問いである「近代性」に対する問いでもあるのだろう。
そして今回のドクメンタでは「教育」というのがテーマに含まれていて(3つ目の問い)、世界各国の雑誌にドクメンタに関する記事を載せる「マガジンプロジェクト」というのもあり、開催前から話題になっていた。
そして今回の作家選定に関してはオープニングまで一切明かされることがなく秘密裏に行われていたのも特徴。蓋を開ければ美術批評家ですらほとんど知らない作家が大多数という異例の国際展になったのだが。
と、まあここまで一般的な今回のドクメンタの概要を本からの引用などで連ねてみたけど、今回の展覧会に関して個人的に何を書いたらよいのか迷っている。正直今回のドクメンタは輪郭をつかむのが非常に難しい展覧会だったからである。
といっても、ドクメンタは初めてなので、毎回どんな展覧会なのかは実感としてわからないのだけど、国際展と聞くと、どうしてもヴェニスビエンナーレのような華やかな印象がつきものである。今回はそれを一切否定するかのごとく地味。
会場のひとつのノイエ・ガレリーの展示なんかは照明がうす暗くてまるで博物館に来たかのような錯覚に陥った程。
それでも今回特に注目を集めていた艾未未(アイ・ウェイウェイ)のような作家もいた。彼は海外旅行経験のない中国人を1001人カッセルに呼び寄せたり(金は誰が出したんだろう)、中国の古いドアを寄せ集めた巨大彫刻を野外に展示し、数日後に倒壊してそのままにしたりしていた。個人的になんだか話題集めに確信犯的にやってるようにしか見えなくて好きじゃないけど、それでも今回の展覧会では華やかさという点からは注目に値したのかも。
またトリシャ・ブラウンのシャツを使って行われるパフォーマンスも目を引いていた。
にしてもやっぱり地味でなんだかよくわからない。
いきなりクレーやリヒターなども忍び込まされてあるし、田中敦子やジョン・マクラーケンの作品が何かのメタファーのように各会場に現れたり、イマイチキュレーターの意図がつかみきれない。もしくはこの混乱が意図なのかもとかも思ったり。
そんな中、1人だけ浮いている作家がいた。台湾の曾御欽(ゼン・ユーチン)である。
彼の作品を見たのは2年前の福岡アジアトリエンナーレにて。
その時もパッとしない作品達の中で一際浮いていたのだけど、バスの中で子供達が全員眠って揺られてるその映像は集団催眠の様子を見せられているようでなんだかすごい不安をかき立てられたのを覚えている。
今回も2作品出品していて、子供が顔面にヨーグルトをかけられて笑っている映像なんだけど、そこから僕たちは別の物を連想せざるを得ない。子供達の笑顔とは裏腹に観客はなんともいえない気分でそれを見続けるしかないのである。
そしてもう1つは女性が子供の足にキスをしようとするのを子供が笑いながら抵抗しているんだけど、一瞬虐待の風景にも見えてドキッとする。
彼は子供の中にあるイノセンスな狂気を生々しく見せるのがうまい。
今回のドクメンタで彼の作品があったのは何だか救いなような気がした。
彼に関してはコチラでも詳しく書かれているので参考にどうぞ。
とはいえ、まったく悪かったかといえば決してそうではない。
今のアートの時代の風潮は明らかに悪い方向にひた走っているようにしか思えない。アートバブルに乗じてどんな作品でもある程度の値段がつき、客もそれに飛びつく。スターのような作家まで現れて、彼らをよいしょよいしょと高みへ持ち上げる。まるでそのレースに乗り遅れたら最後のように。しかしそれらが高みとは一体どこなのか彼らにもわかっていないし、そんなものがあるのかもわからない。それが下降を始めた時一気に夢から覚めさせられたお祭は悲惨そのものである。アートとはこれまで何世紀もかけて築かれてきたものであって、決して一時的なものではない。そういった事を少なからずこのドクメンタは示していたのかもしれない。そういった表明をできるキュレーターがまだいるのなら、アート界は決して死んでいないと信じたい。ただ、もう少し華やかさがあってもやっぱりよかった気がするけど。