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52 la Biennale di Venezia ♯3

旅の最後の報告はヴェネチア内でビエンナーレに便乗してやってる様々な展覧会の話。
行った頃には終わっていたが、デミアン・ハーストやトーマス・デマンドの展示、そしてペギー・グッゲンハイムでは9月2日までボイスとマシュー・バーニーの展覧会がやってたり、ぎりぎりで終わってしまってたヤン・ファーブルや時間の都合で行けなかったジョセフ・コスースや杉本博司など、この時期はヴェニス中で大展覧会が目白押しなのである。
そんな中から今回行った展覧会をいくつかご紹介。

Bill Viola 'Ocean Without a Shore' @ Chiesa di San Gallo

実際今回のビエンナーレよりヴェニスに来たのはこっちに依る所が大きい。
ビル・ヴィオラによる教会を使ったインスタレーション。悪いわけがない。
実際行ってみると最初閉まっていて泣きそうになる。次の日リベンジして開いててホッとしたけど。
教会内に入ると、3つの大型液晶テレビが正面と左右にかけられていて、人影が映し出されている。
やがてその人影がゆっくりこちらに近づいてきて、何もないと思われた画面の手前に実際は水の壁があって、人がそこからびしょびしょになって出てくる。そしてゆっくりまた水の壁の向こうに戻って行くという内容自体はシンプルなもの。
水の「あちら側」はモノクロで、「こちら」に出てくるとカラーになる。
水の壁は明らかに「この世」と「あの世」にある絶対的な境界線のようである。
人々が「こちら側」から「あちら側」に帰って行く時に見せる悲しげな表情が印象的。
そして入れ替わり立ち代わり色んな人々が出てきては帰って行く。
次の人はどんな表情を見せるのだろうと気になって中々教会から出れなかった。
しかし正直教会でやると聞いてたので、もっと相応のインスタレーションを期待していた。
あれだったらどの会場でもできたような気がする。
実際前回スタエ教会でやってたピピロッティ・リストの教会の天井に大きな映像を投射していた作品の方が圧巻だった。
それにしてもあの映像のすごさはやはりビル・ヴィオラ。神だ。11月24日まで。

李禹煥 'Resonance' @ Palazzo Paulumbo Fossati

もの派を代表する李禹煥の初のヴェニス展示。
東洋思想を美術に還元する作家の作品が西洋の古いゴテゴテした装飾的な建物の中にあるのがおもしろかった。11月21日まで。

森村泰昌 'Requiem for the XX century @ Galleria di pizza San Marco

サン・マルコ広場の近くのギャラリーでの展覧会。
最初はチェ・ゲバラや毛沢東、ヒトラーなど20世紀の著名人に扮した写真の展示。アインシュタインはそっくり。
次の部屋は三島由紀夫に扮した作家が美術について熱弁してる映像。
上の階も歴史的事件の再現写真と演説の映像。
三島とか世界の人が見てわかるんだろうか。ちょっと疑問。10月8日まで。

ARTEMPO : Where Time Become Art @ Plazzo Fortuny

建物のファサードを覆うエル・アナツイの作品にさっそく出迎えられるこの展覧会。
タイトルはART(芸術)とTEMPO(時間)を組み合わせた奇妙な造語。
副題に「アートが時間になる場所」と示されている。
中に入ると、ベーコンやら古代遺跡やらが等価に展示されている。
上に上がるとその展示が一層激しさを増し、どこまでが古代でどこからが現代のものか区別がつかなくなる。
机に置かれた表を見ながらどれがどの作品かを見極める。
奥にはタレルの部屋。相変わらず神っぷりを発揮している。
他にもルイーズ・ブルジョワ、河原温、宮島達男、ヤン・ファーブル、フォンタナ、具体作家の作品などが人体模型やミイラなどと一緒くたに展示されてあって、建物内の雰囲気は異様そのものであった。
「どこでもない場所、いつでもない時間」
そんな言葉がふっと浮かぶような不思議空間。
まさに時間がグラデーションのようにアートという文脈に混ぜ込まれている。
にしてもすごい展覧会だった。
今回ドクメンタやホンブロイッヒ美術館でも過去のものと現代のものがごっちゃに展示されてる空間を見たけれど、今回の展示はものすごい不気味さに包まれ印象深い展覧会だった。10月7日まで。

他にもピノー財団が買い取ったパラッツォ・グラッシのシークエンス展やリチャード・ハミルトン展も見た。前者はもうアートがデザインのようになってる感じがしてまったく好きになれない展覧会だった。建物も安藤忠雄がリノベーションしたらしいが、安藤らしさは微塵も感じられない。ハミルトンは絵画(コラージュ)と現実空間を行き来するパラレルワールド的な作品。こちらも特に感想はなし。

52 la Biennale di Venezia ♯2

さて、続いて国別パビリオンのお話。
ヴェニスビエンナーレが「アートオリンピック」と言われている所以はこの国別パビリオンにある。
数ある国際展の中でも国ごとに参加する形式をとっているのはヴェニスオンリーである。
国の威信をかけて各国力を入れて選りすぐりの作家を選出。今年は76カ国が参加した。
島中に点在しているので、さすがに全部は回りきれてないが、一部ご紹介。

まずは旧イタリア館もあるジャルディーニにあるパビリオン群から。
前回は結構コンセプチュアルな館が多かったが、今年はとても楽しめるものが多かった。
北欧館のダーツの作品や、ロシア館のエキスポまがいのハイテクアートまで。
ポエティックな展示の心地よかったスペイン館もよかったし、オーストリア、デンマーク館のペインティングもよかった。
フィンランド館の展示は、わしが昔作った作品に酷似してて焦った・・・。
中でも圧倒されたのがポーランド館のモニカ・ソスノヴスカの展示。
会場内ぎりぎりのでかさの鉄のスクラップ彫刻。どうやって入れたのか気になる。。


ドイツ・イギリス・フランス館はすべて女性の三つどもえの闘い。
それに加え、「不思議な国」を作り出したカナダ館も合わさって、あの辺りのパビリオンの雰囲気はすごいゴージャス。
それに比べて日本館のあの地味さといったら・・・。
ドイツ館のイザ・ゲンツゲンはパビリオンをオレンジの工事用ネットで多い、中は宇宙飛行士やら首つり用のロープやらスーツケースのインスタレーションやらよくわからん世界。ドクメンタでも人形の作品を教会の前に展示してましたな。
イギリス館はイギリスアートのセレブリティ、トレーシー・エミン。
彼女独特のパンクな性的作品が並んでました笑 もうちょっと暴れててほしかったかも。


しかし僕はなんといってもフランス館に勝者の旗を掲げたい。
ジャルディーニ内で僕は一番好きな展示。
フランスアート界の重鎮ソフィ・カルとダニエル・ビュレンの豪華競演。
フランス館は毎年作家が先に選ばれて、作家がキュレーターを選ぶんだけど、そこはソフィ・カル。なんとキュレーターを広告で募集。2万通の応募者の中から選ばれたのがたまたまビュレンだったのだそう。ちゃんと履歴書も作ったのだとか。
その豪華競演の賜物が今回の「Take care of yourself」。
恋人からの別れのメールを107人の様々なプロの女性に読んでもらって表現してもらうプロジェクト。
いやー、もう一通のメールからよくまあこんな世界が広がるなーと言った感じ。
点字にしてる人、添削しちゃってる人、音符にして音楽にしちゃった人、ダンスにしちゃった人、、、
フランス語が読めたらもっと楽しめたのかもしれないけど、それでも十分楽しめた!
オウムが手紙ぼろぼろに破いてるやつもあったな笑 女性って・・・。
奥の映像で見せてるところは笑いすら起こってた。中でもスナイパーが手紙撃ってるのとかシュール過ぎ!手紙破ったと思ったら破れてなかった手品をやる人や、バレリーナやら。。。ってかメール送った相手も送った相手を間違ったなー。彼女に関わるとロクなことなさそう笑






最後に、フェリックス・ゴンザレス=トレスを選出したアメリカ館に敬意を表したいです。
最初はなんで今更故人であるトレス?と思ったけど、アメリカ人による政治にまみれたあのアルセナーレの展示を見た後こちらを見ると、とてもピースフルで、これがアートなんだっていう表明にも見えた。
観客がトレスの紙を次々とっていき、輪ゴムで巻いたり、飛行機にしたり、帽子にしたり。
アメリカ館を出た後の観客の顔は一様に笑顔だったのがとても印象的。
キュレーターは誰かわからないけど、本当にすばらしい展示でした。ありがとう。


今回はアルセナーレにもパビリオンができてた。
まずはイタリア館。大御所ジュゼッペ・ペノーネと若手フランチェスコ・ヴェツォーリのコンビ。
ペノーネはお得意の木の彫刻とインスタレーション。
インスタレーションでは床の大理石削ってたけどあれは大丈夫なのか!?
ヴェツォーリは初の女性アメリカ大統領の映画の予告編だけ制作。前にもあったな、こんなの。
イタリア館はこんな感じで、今年初登場したアフリカ館。相変わらず森でやってた「アフリカ・リミックス」のような違和感が漂ってたが、スピーカーの影がNYの風景になる作品はおもしろかった。誰のだったか忘れちゃったけど。


ジャルディーニの外に出て、マップ片手に他のパビリオンを探索。
これが中々厄介で、ヴェニスの街は非常に入り組んでるので探すのも一苦労。
何個回ったか覚えてないけど、作品そのものより探す過程の方が記憶に鮮明。
そんな中、べたべただけど、シンガポールの展示も悪くなかったし、エストニアの「I LOVE MY FAMILY」と題された紙芝居風シャイニングみたいな映像も大笑いさせてもらった。あれは反則。

郡を抜いてすばらしかったのが今年初参加となるメキシコ館。
いわゆるインタラクティヴなメディアアートで、僕はあんま得意な分野じゃないけど、これはやばい。ラファエル・ロサノ=ヘメルという作家で今後要チェックだ。
まず入って出迎えてくれるのが'WAVEFUNCTION'と題された、椅子が波のように動く作品。隣の部屋に行くと、監視カメラが椅子の部屋を映し出してて、なにやら人間の熱を感知しているのか、多分人間の動きに合わせて椅子が動いているのがわかる。
同じ部屋には'1000 PLATITUDES'という白い文字で文章が書かれている作品。
と思いきや、よく見ると一個一個の文字が実はビルにアルファベットを投影した写真だと気づく。すごい労力。
上の階に行くとたくさんの電球が天井でちかちかしている。
ビジュアル的にも美しいんだけど、これも何かあるな、と思ってスタッフに聞いてみると、やっぱり何かあった。
'PULSE ROOM'という作品で、奥に設置された棒に両手で15秒くらい握ると、なんとその人の鼓動が登録されて、その鼓動と連動して電球がチカチカ光るんだとか。常時100人分の鼓動が登録されていて、僕も登録させてもらった。楽しい。
その階には、大きな目が観客の動きを追う映像や、普段は寝てる人の映像が、人がそこに影を作ると起き上がる映像など、もう楽しいの連続。今までのプロジェクトの映像のアーカイブの部屋とか見てると、街中でやってたりして、人々が楽しそうだった。
こういう人に笑顔をもたらす作品っていいなー、って純粋に思った。






ところでこの作家の作品を色々調べてたら、バーゼルで思いっきり見てることが発覚。蛍光灯がぐるぐるまわってたやつ。
なんかこういうリンクしていくのが楽しい。

52 la Biennale di Venezia ♯1


グランドツアーのラストを飾るのが2年に1度のヴェニスビエンナーレ。
今回で52回を迎え、数ある国際展の中でもダントツ歴史が長い。
ざっと説明をすると、ヴェニスビエンナーレは大きく2つにわけられる。
1つはジャルディーニという会場と島のあちこちに点在する国別パビリオン。
そしてもう1つが今回お伝えする、アルセナーレとジャルディーニの旧イタリア館を使って行われる企画展である。
毎回1人(組)のキュレーターによってドクメンタ同様、テーマ設定から作家選定まで行われる。
今回のキュレーターは初のアメリカ人キュレーター、ロバート・スト-氏。
氏は元MoMAの館長で現NY大学の教授である。
今回のテーマは「think with senses/feel with mind/art in the present sense」
「感覚で思考し心で感じよ 現在形のアート」 邦題はこんな感じ?
にしても52回にして初アメリカ人とは。前回も初女性キュレーターだった。

さて、まずは「MoMAヴェニス別館」と言われた旧イタリア館の展示から。今回は写真あり!


















いやー、とにかく豪華絢爛!これだけの作品群を一気に見られるなんて!
上からイタリア館のファサードを飾るローレンス・ウィナー、入って真正面に鎮座するポルケ、リヒターのアブストラクトペインティングたち、ブルジョワのドローイング(草間弥生みたいだ)、ブルース・ナウマンの口から水がちょろちょろ出てる相変わらずギャグすれすれの作品、ソル・ルウィットのめらかっこいいドローイング、今回のアメリカ館代表のフェリックス・ゴンザレス=トレスの簾、そして日本人の束芋と加藤泉。
上にアップした写真だけでもすごいが、この他にもロバート・ライマンやらジェニー・ホルツァーなどなど豪華作家陣のオンパレード!ソフィ・カルのお母さんに捧げた作品も泣けた。さすが元MoMA館長。

と、まあ、ここまではリップサービスといった感じで、ストー氏が牙をむいたのがアルセナーレの展示。
率直に言って、腹が立ちました。途中で出たくなったくらい不愉快な展示でした。
というのも、9.11をこれでもかこれでもかと押し出した展示だったから。
所詮元MoMA館長もアメリカ人か。
開いた傷口を見せて「痛そうでしょ、かわいそうでしょ」と言われてるようだった。
その為に作家達の作品が利用されてる感じで、もううんざり。
今回のタイトルから言ってもっと「表現」の根本をつくような展示を期待していたのに見事な裏切り。
話題を集めていたまだ若いエミリー・プリンスのイラク戦争における、アメリカ人戦没者の似顔絵を3800枚壁に展示した作品も、あれはアメリカ人を責める作品であって、世界に示したところで全く意味がない。作品のコンテクストがはぎ取られている。
前半はこんな社会的、政治的、ジャーナリズム的作品のオンパレードでホントしんどかった。
そもそもこういった作品をアートでやる意味ってどこまであるんだろう。
どう考えたってテレビニュースで流した方が影響力があるように思う。
僕は美術というのは視覚芸術であると信じてやまない。こんなの美術じゃない。
今注目の 楊福東(ヤン・フードン)の映像だってあれはアートじゃなく映画だ。
友達ともしゃべっていたんだけど、今アートはまさに分裂期なんじゃないかと思う。別の言説が必要であり、アートという言葉でこれらの「作品」をくくってよいものだろうか。いくら懐の深いアートにだって、許容量の限界というものがあって、そろそろ臨界地点を迎えようとしているように思う。今こそそれらの「住み分け」をはっきり定義してくれる批評家やキュレーターが必要だ。とは言っても、ポロックが登場した時ピカソが「これは絵なのか?」と言った話や、デュシャンがトイレを作品として出した時、または写真がアートとして成り立った時にもこういった議論は散々かわされていただろう。そしていつも勝者は、当時異端といわれた側だった。そう考えると、僕が今唱えてるアートというのは単に古くさい因習に支配されてるだけで、所詮今アート界を席巻しようとしつつある「異端」がコモンセンスになってしまうのも時間の問題なのかな、とも思う。でもやっぱり自分が信じ続けられるものを信じ続けたいし、信念は貫き通したい。というかそれしかできない。
今回のアルセナーレの大部分の展示はそういった事を思わせる、重く沈鬱なものだった。
にしても本当に新しい言説が出てこない。
かつてのベンヤミンやグリーンバーグのような人はもう出てこないのだろうか。
前回のビエンナーレでも初の女性キュレーターってのもあって、ばりばりフェミニズムな展示だった。タンポンをシャンデリアのようにアレンジした作品や、ゴリラガールズの展示。フェミニズムはアート界に置いてもう古い。今や女性の方がアート界における地位は強いじゃないか(今回のフランス、イギリス、ドイツ館のあのたくましい女性達を見よ!)。時代遅れも甚だしかった。そして今回・・・。ここで今回のタイトルの一番最後に小さく付け加えられた「art in present tense(現在形のアート)」という言葉が気になる。もしやストー氏は旧イタリア館とアルセナーレのある種対照的な展示を置く事で、前者が過去、後者が現在と言いたかったのだろうか。だとしたら僕は完全に過去に取り残された感じだけど、やっぱ無茶だなー。次こそ納得できる新説を打ち出せる革新的な企画展を期待したい。そうじゃないと、100年以上続くこの歴史も幕を下ろさざるを得ないんじゃないだろうか。まあ、それはないと思うけど。

そんな中でもなんとか好きな作品に巡り会えた。
楊振忠(ヤン・ジェンジョン)による「I will Die」である。
映像が長い壁にいくつも投影されていて、それぞれに色んな国の人々が映し出されている。
そしてタイトルの言葉を各国の言葉で色んな人がつぶやく。
小さな子供から老人までが一様に「私は死にます」とつぶやく様は異様そのもの。
しかし、この不安感は逆に心地よかった。
単純な指示によって生み出される心地よい不協和音。そんな感じ。
最近中国アートの台頭が激しいが、ほとんどの作品が好きになれない。
そのほとんどが中国という土壌のコンテクストに依るものでしかなく、全世界に向けて発信するべきものとはかけ離れているように思えるからだ。しかしドクメンタの曾御欽と今回の楊振忠の作品はそれらの作品とは確実に一線を画している。彼らの作品は国籍に関係なく、すべての人が孕んでいる不安を描いているからだ。そういう点からもこの2人の作品はこれからも注目に値すると思う。
ちなみに偶然ながら、2人の作品は福岡アジアトリエンナーレの際、とても印象に残っている。あの展覧会で覚えているのは塩田千春とこの2人だけだったし、実際ブログに記してあるのもその3人だけだったのは、すごい偶然というか、然るべきというか。ちなみにその時の楊振忠の作品は、車椅子にカメラをとりつけ、周りから人々がどんどん近づいてくるような作品で、とても恐怖を感じたのをよく覚えている。

Museum Insel Hombroich


ドュッセルドルフから電車で約30分。さらに駅から徒歩で30分以上歩いたところにある美術館。
それが今回紹介するインゼル・ホンブロイッヒ美術館である。
果たしてこの施設を美術「館」と呼んでよいのやら迷いどころ。
というのは、ここは大自然の中に10数個ある棟を巡り、中にある新旧ごっちゃになった作品達を見ていくという、鑑賞というより探検にちかい体験ができる世界でも唯一無二の美術施設だからである。敷地面積は東京ドームの4倍の約18万m2というから尋常ではない。
この施設を初めて知ったのはこのブログで知り合った人のお話。
話を聞いていて、以前訪れた喜多美術館と共通するものを感じ、ずっと行きたかった場所である。
そして今回ついに実現したのだ。
しかしここに辿り着くまでが一苦労。
徒歩30分と言っても舗装された道だけではなく、ジャガイモ畑を突っ切っていったりしなければならない。着いた頃には靴もどろだらけで足も棒のようだった。
それからこの広大な敷地を歩き回るのだから若くなきゃやってられない。
地元の皆さんは車とかでやってきて、動物園感覚で子供連れの人たちが多かったのが印象的。
地図をゲットして、大自然の中の棟を探す。
ワニの出そうな沼やら湿地帯やらが非現実感満載。これ自体がなんだか美術体験な感じ。
各棟には石器時代の遺跡から、中国王朝の秘宝、そして近・現代美術が入り乱れてた・・・。
ひとつひとつの棟がデザインも違うのでおもしろいし、美しい空間から外に出るといきなり大自然。
最後の方の棟にイブ・クラインの部屋があって、そこは鳥肌が立つ程美しかった。
彼の作品は展示によって、表情がすごく変わる。豊田市美術館で2004年に行われた「IN BED」展で、平置きになってライトがあたってる彼のブルーを見た時も鳥肌がたったが、それ以来の感動。
そんなこんなの不思議体験をもうすぐ終わろうとしていたころ。
何も食べてずに歩き回ってたのでへろへろになっていた矢先、最後の棟はなんと食堂!
やったー!とばかりに入っていって長蛇の列に並ぶ。
にしても何かが変。なんかお金が払うところが見当たらないんですけど。。。

ま、まさか・・・

そうなんです。ここの美術館食事付きなんですよ!!!
いやー、食事付きの美術館なんて初めて見た笑
大きなペットボトルの水はくれるし、マカロニやら茹でジャガやらパンやらももらえるし食後はコーヒー!
なんて至れり尽くせり。
これを最後にもってくるあたり、疲れた体を癒すドラマチックな演出ッ!
ヨーロッパに行ったら是非行ってみてほしい美術館のひとつ。

ちなみにここには別館として最近建てられた安藤忠雄によるランゲン美術館もあります。
実はこっちを先に行ったせいでジャガイモ畑をつっきる羽目になったのですが。。。
ガラスのファサードと水の演出が印象的な建物。
美術館前に広がる人工池に美術館が映った絵を想像していたのですが、その人工池が正面のファサードに対し斜めに作られていたのが残念なところ。安藤の水を使った建築なら狭山池博物館の方が断然魅力的です。
中は直島のベネッセハウスに近い動線。スロープで地下まで降りていきます。
展示は仏教の絵巻物や、キーファーの彫刻。今回は日本人の展覧会でしたがこちらは微妙でした。
こちらのランゲンとホンブロイッヒのジョイントチケットがお得。
あの値段でこれだけの体験はお得です。
近々アルバロ・シザによる建物もできるらしい。なんかすごいところだ・・・。

ところで周囲にホンブロイッヒ美術館と思わせる建物が散在していてややこしかったです。そしてホンブロイッヒ美術館までの標識が間違った方向を示していたため無駄に歩いた・・・。行った際は標識にご注意ください。
ランゲン・ホンブロイッヒの行き方はコチラのサイトが役に立ちました。ありがたし。

Hiroshi Sugimoto @ K20


写真家杉本博司の展覧会がドュッセルドルフのK20で開催されてました。
内容的には一昨年森美術館でやってた「時間の終わり」展に新作がプラスされた感じ。
しかし所変われば展示も変わる。
杉本氏はその写真がその美術館で最も美しく見せられる展示にどこまでもこだわる。
カルティエ財団の展示で「CONCEPTUAL FOAMS」を見せた時には1枚1枚の写真に壁を1枚ずつ配した展示が有名。
今回も入ってすぐの「SEA SCAPE」も、ゆるいカーブのついた壁を設置し一列に並べて展示されていて、初っ端から圧倒させられた。森美術館の展示もよかったけど、こっちも本当に美しい。水平線が一直線に並ぶ様は爽快。
また森美術館ではあまりパッとしなかった「COLORS OF SHADOW」もとてもよく見えた。
ちなみに壁を作るのは氏にとって苦肉の作らしい。
美術館自体がどうしようもない時にやるらしいのだが、なんとも複雑。
理想の美術館というのは、壁にかけるだけで作品がちゃんと成立する美術館らしい。
氏の展示経験上最もそれに当たるのはズントーの手がけたブレゲンツ美術館だとか。行ってみたい。ってか絶対行く。
話は反れたが他にも「ARCHITECTURE」シリーズは建築に目覚めた今、もっと輝いて見えた。グロピウス、ライト、ミース、コルビュジエ。4大巨匠が一気に並べられたその部屋はもの凄く神々しかった。WTCのやつは何度見てもものものしい。
そして今回の目玉はなんといっても新作「LIGHTNING FIELDS」。(上写真)
雷の写真なんだけど、めまいがする程美しく、どうやって撮ってるのか理解不能。
文章には雷と、今の文明の関係しか書かれてなかった。
そんな展示室にロンドンダンジョンの電気椅子処刑の写真が混じって展示されてた。
いやー、毎度毎度、彼の写真の美にはやられっぱなしや。
ところでもう1つの新作「PHOTOGENIC DRAWING」はちょっとわかりにくかった。
19世紀の写真家ウィリアム・ヘンリー・フォックスが世界で初めて生み出したポジ写真をドローイング化した作品。それは光にとても弱い作品のため、普段はプライベートにしか公開されていない。その作品をもう一度写真にすることでメタ的な効果を狙ったのかちょっとよくわからない説明書き。僕の英語不足も大きいがとりあえずわからなかった。
今回は雷の新作と海景シリーズをあのような形で見れたのは本当によかった。

ところでこの美術館所蔵が素晴らしくて、リヒターの作品群はかなりよかった。大半が金沢で見たものだったけど。

skulptur projekte munster 07


10年に1度開催されるミュンスター彫刻プロジェクトに行ってきた!
70年代初頭、市がヘンリ・ムーアの彫刻寄贈を断ったのが事の発端。
これを機にパブリック彫刻を考え直そうと立ち上がったのがこのプロジェクト。
今回で4度目を迎え、今ではすっかり歴史ある国際展のひとつとなっている。

今回招かれた作家は33人(組)。それに過去のプロジェクトで恒久設置となった作品37作品を合わせて合計70作品が街のあちらこちらに点在している。それらを自転車を借りて地図を片手に探していくのがとても爽快。
ただ、本当に探しにくいのもあって、さすがに1日や2日ですべては無茶かも。
今回のグランドツアーで一番楽しく、また考えさせられることの多かったのはこのミュンスターかもしれない。
10年という区切りが、とてもシンプルで、時代の流れ、アートシーンの変貌が露になっている。
今回の新作郡に限っていえば、単純に残らないものが多いのが特徴的。
多分残るのはブルース・ナウマンの初回から40年越しに実現した逆ピラミッド(中央に行けば視界から周りの景色が消え、空だけになると聞いていたが、一切合切が見えてげんなりだった)や、ギョーム・ベイルの遺跡を発掘したような'A Sorry Installation'、ドミニク・ゴンザレス=フェルステルのこれまでのプロジェクト作品をすべてミニチュア化して公園に設置した作品群、そしてシュッテの噴水をガラス張りで囲った作品ぐらいだろうか。またはアンドレアス・ジークマンの巨大ゴミボールや、マーティン・ボイスの幾何学的な石板(間に真鍮が埋め込まれていてタイトルの’We are still and reflective'が浮かび上がる。言われなわからん)も残るか。市中央に建ってたマルコ・ハレンカのサーフボードを花に見立てた作品も残るかも知れない。
ざっと挙げてみたが、やはり33作品の中からこれだけというのは実に少ない気がする。
というのは、今回彫刻という域から逸脱した作品が特に目立っていたのが大きい。
スーザン・フィリップスの橋の下のサウンドインスタレーションはまだいいとしても、アネット・ヴェアマンの工事現場を見立てた作品や、スーチャン・キノシタの部屋のインスタレーション、またはトゥエ・グリーンフォルトの湖の水をひたすら噴射する作品、今回話題を集めていたマイク・ケリーの動物小屋など、恒久設置は不可能な作品たち。
そして映像作品なんかも多かったが、はっきりいって映像は彫刻ではない。
いくら彫刻の概念が広がったといっても、彫刻は「もの」である必要が最低条件のような気がする。
自転車を漕いで映像を見せるガイ・ベン=ナーの作品は自転車天国のミュンスターという街の特性と、じっと見てると疲れる映像に運動を取り入れたという点で個人的には好きだが美術館内で映像だけで切り離されて展示されてあったのはいかがなものか。
また、ドキュメンタリー系の作品を作るジェレミー・デラーは市内のガーデニング施設そのものを作品として見立て、そこの人々に今後10年の記録をとってもらい、次回のプロジェクトで発表するという他力本願的作品もあった。また観客に10年後に花を、という名目で種を販売していたらしいが、行った時間が遅かったのか、僕らが行った頃には売ってなかった。にしてもこれを彫刻と言ってよいのだろうか?

とにかく今回見ていて思ったのが、確実にアートがわかりにくくなっているということ。
それは過去の作品達と同時並行で見ていると如実に浮かび上がってくる。
例えば、87年の2度目の彫刻プロジェクトの作品が一番多く残されていたのだが、本当に良作が多く、20年が経った今でも色あせていない。公園にぽんと置かれたペノーネの作品や、暗闇の中で壁をコツコツ叩く装置を設置したレベッカ・ホーンなど。ダン・グラハムの緑の中に突如出現する鏡張りの建物も幻想的ですばらしかった。
97年のカバコフの作品もとても癒されるし、ホワイトリードの美術館内に設置されていた本棚のネガティブ彫刻は神の域に到達していた。
これらは恒久設置として市や美術館に買い上げられた作品達とあって、レベルが高いのは当然といえば当然なのだが、今回のプロジェクトにそれだけの価値がある作品があったかと問われると首を縦に振るのは難しいといわざるを得ない。
現代美術とクラシックな作品の大きな違いは「時間」である。
ダ・ヴィンチやフェルメールの作品が今でも残っているのはちゃんと「時のふるい」にかけられた結果である。
彫刻プロジェクトはたった40年だが、それでも「時のふるい」はしっかり存在していた気がする。
今回の作品達がちゃんと「時のふるい」にかけられ残るのか。
また10年後に確かめにきたいものである。

ところで、今回の新作で僕が一番好きだった作品はパヴェウ・アルトハメルの「路」。
野原や畑に作られた長い長いけもの道をひたすら自転車で走っていく。
麦畑の間を走っていく姿がメディアに載ってたのでそれを期待してたのに、僕らが行った時には刈られてた。。。会期終了まで待ってくれよ!それでもがたがた道をケツが痛くなりながらもチャリで跳ばすのはとても気持ちいい。
そして最後、トウモロコシ畑に到達すると道が途切れていて、すっかり疲れ果ててぼーっとしてると、近くで遊んでいた少年達が僕らに寄ってきて、拾っていたドングリを両手で抱えきれないくらいくれた。言葉は通じないけど、こういうコミュニケーションは本当にすばらしく、思わぬ副産物にここまで来た甲斐があったというもの。
この作品を彫刻と呼ぶには難しいし、多分残されることはないだろうけど、知らない街を色んな側面から見渡せるという点で、ミュンスター彫刻プロジェクトの真の目的が反映されているんじゃないか、と思った。
美術館ではこれまでの40年間に渡る彫刻プロジェクとのアーカイブが展示され、40年続けてきたんだ、という街の誇りが垣間みれて、ものすごく羨ましかった。日本にも直島のような所があるが、こうした街おこしの仕方はもっと日本も見習ってほしい。
体のあちこちが悲鳴をあげながら直走ったミュンスター。10年後もまた来たい!

DOCUMENTA 12


地味。知らない作家が多い。展示がわかりにくい。
前評判がとにかくよくなかった今回のドクメンタ。
どんなもんかいな、とこの目で確かめに行ってきました。

5年に1度、ドイツの小都市カッセルで開かれる国際展ドクメンタ。
今年で12回を迎え、名だたる国際展の中でも異彩を放っている。
毎回1人(組)のキュレーターによってテーマ設定、作家選定をすべて一任され、キュレーターの手腕がもろにとわれることになる。
今年はロジャー・M・ブーゲル氏と、その妻で美術史家のルース・ノアック。
今回のテーマは3つ。
・Is modernity our antiquity? (近代性は我々の過去か?)
・What is bare life? (むき出しの生とは何か?)
・What is to be done? (何がなされるべきか?)
そのテーマに対し、約120人(組)の作家が選ばれた。
この中には葛飾北斎やらイスラムのタペストリーやら、クラシックなども含まれ、時代の幅もまちまち。これらの選定は美術史家であるルースによるものだと想像がつくし、1つ目の問いである「近代性」に対する問いでもあるのだろう。
そして今回のドクメンタでは「教育」というのがテーマに含まれていて(3つ目の問い)、世界各国の雑誌にドクメンタに関する記事を載せる「マガジンプロジェクト」というのもあり、開催前から話題になっていた。
そして今回の作家選定に関してはオープニングまで一切明かされることがなく秘密裏に行われていたのも特徴。蓋を開ければ美術批評家ですらほとんど知らない作家が大多数という異例の国際展になったのだが。

と、まあここまで一般的な今回のドクメンタの概要を本からの引用などで連ねてみたけど、今回の展覧会に関して個人的に何を書いたらよいのか迷っている。正直今回のドクメンタは輪郭をつかむのが非常に難しい展覧会だったからである。
といっても、ドクメンタは初めてなので、毎回どんな展覧会なのかは実感としてわからないのだけど、国際展と聞くと、どうしてもヴェニスビエンナーレのような華やかな印象がつきものである。今回はそれを一切否定するかのごとく地味。
会場のひとつのノイエ・ガレリーの展示なんかは照明がうす暗くてまるで博物館に来たかのような錯覚に陥った程。
それでも今回特に注目を集めていた艾未未(アイ・ウェイウェイ)のような作家もいた。彼は海外旅行経験のない中国人を1001人カッセルに呼び寄せたり(金は誰が出したんだろう)、中国の古いドアを寄せ集めた巨大彫刻を野外に展示し、数日後に倒壊してそのままにしたりしていた。個人的になんだか話題集めに確信犯的にやってるようにしか見えなくて好きじゃないけど、それでも今回の展覧会では華やかさという点からは注目に値したのかも。
またトリシャ・ブラウンのシャツを使って行われるパフォーマンスも目を引いていた。
にしてもやっぱり地味でなんだかよくわからない。
いきなりクレーやリヒターなども忍び込まされてあるし、田中敦子やジョン・マクラーケンの作品が何かのメタファーのように各会場に現れたり、イマイチキュレーターの意図がつかみきれない。もしくはこの混乱が意図なのかもとかも思ったり。

そんな中、1人だけ浮いている作家がいた。台湾の曾御欽(ゼン・ユーチン)である。
彼の作品を見たのは2年前の福岡アジアトリエンナーレにて。
その時もパッとしない作品達の中で一際浮いていたのだけど、バスの中で子供達が全員眠って揺られてるその映像は集団催眠の様子を見せられているようでなんだかすごい不安をかき立てられたのを覚えている。
今回も2作品出品していて、子供が顔面にヨーグルトをかけられて笑っている映像なんだけど、そこから僕たちは別の物を連想せざるを得ない。子供達の笑顔とは裏腹に観客はなんともいえない気分でそれを見続けるしかないのである。
そしてもう1つは女性が子供の足にキスをしようとするのを子供が笑いながら抵抗しているんだけど、一瞬虐待の風景にも見えてドキッとする。
彼は子供の中にあるイノセンスな狂気を生々しく見せるのがうまい。
今回のドクメンタで彼の作品があったのは何だか救いなような気がした。
彼に関してはコチラでも詳しく書かれているので参考にどうぞ。

とはいえ、まったく悪かったかといえば決してそうではない。
今のアートの時代の風潮は明らかに悪い方向にひた走っているようにしか思えない。アートバブルに乗じてどんな作品でもある程度の値段がつき、客もそれに飛びつく。スターのような作家まで現れて、彼らをよいしょよいしょと高みへ持ち上げる。まるでそのレースに乗り遅れたら最後のように。しかしそれらが高みとは一体どこなのか彼らにもわかっていないし、そんなものがあるのかもわからない。それが下降を始めた時一気に夢から覚めさせられたお祭は悲惨そのものである。アートとはこれまで何世紀もかけて築かれてきたものであって、決して一時的なものではない。そういった事を少なからずこのドクメンタは示していたのかもしれない。そういった表明をできるキュレーターがまだいるのなら、アート界は決して死んでいないと信じたい。ただ、もう少し華やかさがあってもやっぱりよかった気がするけど。

Doris Salcedo @ White Cube

ホクストンスクエアのホワイトキューブにてドリス・サルセドの展覧会。
彼女の名前を知ったのは今年に入ってからだった。
テートモダンのタービンホールを飾るユニリバーシリーズ。
今年は一体誰がやるのだろうと、テートのサイトをチェックしたときの事。
そこに書かれていた名前。Doris Salcedo。誰?
焦った焦った。ユニリバーシリーズを任される程の人をアート狂の僕が知らないなんて!
調べた結果、コロンビア生まれの女性彫刻家で、古い家具などを使った作品が多い。
作品写真等を見ると、レイチェル・ホワイトリードを想起せずにはいられなかった。
女性で彫刻家で家具を扱った作品。彼女も2005年のユニリバーシリーズを任されていたので、これはかぶるんじゃないの?と思った。(それはそれは素晴らしいものでした・・・)
このユニリバーシリーズに合わせて今テートの常設展示室に彼女の部屋が出来ている。
行って実際見てみたが、やはりレイチェルを彷彿としてしまう。
使い古された家具を削ったり組み合わせたりセメントで埋めたり。
この時点ではあまり彼女の作品に対して感動はできなかった。
そして本題、今回の展覧会である。
どうしても彼女がユニリバーシリーズ作家として選ばれた理由が知りたい一心で、今回の展示はユニリバーシリーズ直前のものとしてとても楽しみにしていた。初日のオープンの時間に合わせチャリをこいでホクストンスクエアまで朝から走った。
行ったら全然搬入中で、どうなっとんじゃ、と聞いてみた
「この展覧会今日からやんな?」
「はい、6時からね」
書いとけボケー!こちとら朝も早うにチャリ飛ばしとんじゃい!
と言ってみた所で何もならないので次の日リベンジ。
1階にはおなじみの家具の彫刻。この人が一体どんな風にタービンホールを埋めるんだろう?
家具たちの彫刻を見ているとなんだか悲しい気持ちになってきた。
セメントで埋もれたタンスには服も一緒に埋もれている。
座れない椅子。寝転がれないベッド。どれも本来の機能が失われている。
2階に上がる。これがとてつもなく感動的なインスタレーションだった。
壁に整然とあけられた穴に靴が入れられていて、牛の臓物の皮と手術糸でふたをされている。
靴のシルエットだけが微かに見えるんだけど、とても素晴らしかった。
彼女の作品に共通するのは「沈黙」だ。
彼女の作品は一切語る事がない。多分最初に感じた彼女の作品への戸惑いはこれからだろう。
過去の作品カタログなどをみてもどれも黙している。なのに(だから?)強い。
ステートメントを読むと、彼女の国コロンビアの政治情勢とも絡んでるらしい。
非常に僕好みの作品。今まで知らなかったのが恥ずかしい。タービンホールが楽しみでならない。

で、そのタービンホール、今大変なことになってます。
テート入ると聞こえて来るのはやたらうるさい工事の音。
上から覗くと、コンクリが削られてたりで、搬入というよりまさに工事。
一体どんなものが作られるんだ!写真は9月12日のもの。














The Unilever Series: Doris Salcedo
Tate Modern
9 October 2007 - 6 April 2008

Lloyd's of London by Richard Rogers



ロンドンでは昨日今日と'OPEN HOUSE'が開催されてました。
この企画は普段は入れない建物がこの日だけは一般に公開されるという企画。
昨年フォスターの事務所に行ってきましたが、僕の建築知識もなかったし、かなりぐだぐだな感じで回ってたのもあって、今年は気合いを入れてどうしても中を見たかったロイズ・オブ・ロンドンへ!
今年のプリツカーをものにしたロジャースのポンピドゥーセンター(1978)に並ぶ代表作。1984年竣工。
いやー、見てください、この外観。メカニックでめちゃかっこいい。
なんでロジャースはガラスなんかに走っちゃったんだろう。このままいけば素晴らしい建築家なのに。




ここは保険会社で、普段は関係者しか入れないのですがこの建物も今日だけはオープン。土曜だけの公開ってことで、これは逃すまいと、同胞たちとバンク駅に朝8時集合・・・。眠い!行ったらうちらの前に1人だけ待ってた。やりおる。
10時のオープンの頃には既に長い行列ができていて、早くに来ておいてよかった。
オープンして荷物検査も終え、早速中へ!








やばい。鼻血が出そうにかっこいい。
なんといってもこの伝統の教会建築へのオマージュとも言われてる吹き抜け!
そして大胆に配置されたエスカレーターに光が降り注ぐ光の屋根。照明もかっこいい。

上に登るとロンドンが一望できる。なんて贅沢なんだ・・・。






いやー、本当に来てよかった。ロンドンの現代建築ではダントツ一番です。
帰りに見たら列が大変なことになってた。建築に群がる人間たち・・・。年に1度だからね。


その後ほぼ真向かいにあるフォスターのスイス銀行、通称ガーキンへ。
しかしこちらは人気すぎて予約した人しか入れないようになってた。残念。
そんなこんなで予想以上に時間があまったので、リベスキンドのメトロポリタン大学も開いてるのではないかと足をのばすもまったくもって閉まってた・・・。ノリでグリニッチまでロジャース作のミレニアムドームを観に行く事に。



2000年のテートモダン・ミレニアムブリッジ・ロンドンアイと並ぶミレニアムプロジェクトのひとつ。しかしこのミレニアムドーム。建てたはいいが、お金が回収できずに大ゴケして、一時は壊されるんじゃないかとも言われていたけど、今年の4月に大手企業のO2が買い取って、名前もThe O2と改め、今はサッカーの試合やコンサート会場としてなんとかやっているようです。こないだまでプリンスのライブがやってました。
建築的にはふーんって感じ。あー、ロイズの頃のロジャースよいずこへ。。。

近くでゴームリーの作品発見!こっちの方が興奮。


その後子午線が通るグリニッチ天文台などに行ってから帰った。すごいいいとこだった。

今朝起きてごろごろしようとしたら、Sな自分が許してくれずに起きてすぐ自転車でロンドン市庁舎へ。
こちらはロジャースと並ぶイギリス2代巨匠の1人フォスターの作品。


ロイズと違ってあっさり入れたのがよかった。
最上階までのぼり景色を堪能。タワーブリッジやロンドン塔が近くてなんていい景色。
そしてこの建物の一番の特徴とも言える、中の螺旋階段を体験しました。
螺旋といってもすごいいびつな形をしていて、おもしろい構造だった。
ベルリンのライヒスタークに近いけどちょっと違う。上から円卓が覗ける。










いやー、あんま期待してなかったけど意外におもしろくてよかった!
このフォスターとロジャースはNYのWTCの新社屋を建てることになります。

Hiraki Sawa @ Chisenhale Gallery


日本人作家さわひらき氏の展覧会があるというので行ってきた。
彼は高校を出てすぐロンドンを訪れ、イーストロンドン大学で学位、スレードで修士をおとりになってます。どちらも彫刻専攻だったのだけど、スレード大学中に出したテート・リバプールの若手のコンペ「ニュー・コンテンポラリー」にて趣味のように作っていた映像作品を出品し、それがNYのギャラリストの目に止まり、そのままNYで個展。その後日本のオオタファインアーツがついて、着実に作家への道を歩んできてる人です。まだ30という若さながらこの活躍ぶりは頭が下がります。
その「ニューコンテンポラリー」に出して話題になったのが、家の中を戦闘機が飛び交ってるというなんともシュールリアリズム的な映像。彼の作品の特徴は、映像の中でいくつかの風景をミックスして、あり得ない風景を作るというところにあります。
「HAKO」と題された今回の作品は6つの映像からなるインスタレーション。
会場に入ると6つのスクリーンがどんと配置されててめっちゃかっこよかった。
入ってすぐの「moss」という作品は神社の境内をすごい低い視線から映されてる。ストラクチャーだけのミニチュアの家の模型なども映し出されていたが、ちょっとよくわからなかった。
その隣の「the birds and the sea」は今回一番好きな作品かも。海鳥達が海を背景に飛び交ってる映像が延々と続くんだけど、どこか変。でも何が変なのかがわからない。ずーっと目をこらしてみて見ると、多分、海が4つくらい合成されてる。波の立ち方がおかしい。これが真相なのかはわからないけど、でもとにかくかっこよかった。
その前の「talking to the wall」は日本の昔の家の中に切り絵アニメなのがプロジェクションされたり、電灯が揺れたりしてなんだか不思議な映像。不安をかき立てられる感じがした。
その隣は「for a moment」。どこかの海を映していて、後半花火が舞い上がり、その横にはおぼろ月。とてもロマンチックな作品でこれも好きだった。どこかにありそうでありえない風景。
その隣の「kaeri michi」と題された作品は風景が海になったり道になったり刻々と変化していってすごい不思議な感じ。映像が別の映像に侵されていって、その映像もまた別の映像によって侵されていく。ちょっと「リング」のビデオみたいだった笑
最後の映像は「fragment」。おもちゃの時計が現実の時刻をしめしている。
すべての映像の最後は壁紙になっていく。すべてが壁紙になった時がすごいかっこよかった(上写真)
映像作品ってあまり好きじゃないんだけど、今回の展覧会は3巡もしてしまった。なんかいつまで見てても心地いい作品達ですばらしかった。インスタレーション自体もよかったし。
そして音楽がよかった。Takeshi Nishimotoという日本人のギタリストらしい。やばいわ、これ。音源が欲しい。検索したら彼のMySpace発見!何個か音楽のってるけど格好良過ぎや!!必聴!
ところで今回の作品コンセプトがよくわからない。「HAKO」という展覧会タイトルは、作家がヴィクトリア時代の人形の家と箱庭療法への興味からだとかなってるけど、どの映像にもそんなもの読み取れなかったぞ。うーん、わからん。
しかし本当にわかりづらい場所にあるにも関わらず何人か見に来てた。アート狂いめ。。。<オマエダ

Sarah Sze @ Victoria Miro


いよいよロンドンアート秋の陣が始まりました!
7月・8月は本当にいい展覧会がなかったけど、これから続々と始まっていきます。夏休みで休んだ分、復帰第一弾って感じで、各ギャラリーは秋に一押しの作家の展覧会をもって来るのです。にしても学生のショー以外のロンドンのアート記事は6月3日のデミアンの記事以来とは・・・。ロンドン滞在も残すところ僅かですがばしばし書いていきますのでよろしくお願いします。
そんな中でも僕が最も楽しみにしていた展覧会の1つがこのサラ・ジーの展覧会。
彼女の作品を初めて見たのは金沢21世紀美術館にて。日常品を使いながら秩序があるのかないのかわからない絶妙なバランスで天井から床まで続くインスタレーション。その後美術手帖にインタビューが載ってるのを読んだり、昨年の東京現代美術館でのカルティエの時の展示を見たりして、とてもおもしろい作家だな、と。
そしてこのヴィクトリア・ミロで展示をやると聞いて駆けつけてきました(実際閉館ギリギリだったので文字通り走った走った)
ここのギャラリーは元倉庫かなんかを改築してギャラリーにしてるので天井が高いのが売り。
まさにサラ・ジーにうってつけの場所!
会場は期待通りのサラ・ジーワールド全開。
これまでここのギャラリーで見たのはこの高い天井をあまり利用してない展示だったので、天井から床へどこまでも伝っていく彼女の作品でようやくこのギャラリーの本領発揮といった感じ。
見れば見るほどわからなくなる彼女の作品に逆にすがすがしさすら感じました。
2階にも初めて登った。
円を描く毛糸。整列する長短のネジ。ばらまかれた待ち針。電車のチケット。扇風機。レポート用紙。梯子。カラーチャート。空箱。日常にあふれたものたちが彼女の手によって彼女の作品に変貌していく。
どういう頭してるんだろうか。搬入の時はどれくらいの材料を集めるのだろうか。などなど疑問もつきないけど、もう何も考えずに頭すっからかんにして彼女の世界に浸るのが本当に気持ちいい。今月末までの展示。ロンドンにいる方は是非!
ここのギャラリー最近あまりいいのやってなかったけど、次回は前回ターナー賞を惜しくも逃したフィル・コリンズの展示。また来月も来させていただきます!

Gary Hume @ White Cube
センターのホワイトキューブにてゲイリー・ヒュームの展覧会。
'American Tan'と題された今回の展示は、彼がNYで見たチアリーダー達に感化されて描かれたペインティングと初の彫刻作品。ペインティングは2種類あって、一方はアルミニウムの上にグロスの絵の具で描かれたもの。もう1つはキャンバスに同じくグロス絵の具とチョークなどで描かれた作品。どちらもヒュームらしい色合いでとても気持ちよかった。去年のホワイトキューブでの大理石の作品より断然いい。これぞヒュームといった感じ。にしても彫刻はいただけなかった。ペインティングのイメージをそのまま立体に起こしたようなもので、愚作としか言いようがない。しかも絶対発注で作ってるし、彼のこだわりなんて微塵も感じる事ができない。どうしてペインティングだけにしなかったのだろう。残念でならない。こちらは10月6日まで。

ANNETTE MESSAGER @ Centre Pompidou


ちょっくらパリへ小旅行。
ポンピドゥーではちょうど、前回のヴェニスビエンナーレでフランス館に金獅子賞をもたらした女性作家アネット・メサージュの展覧会がやってたので、これは見なければ、と駆けつけてまいりました。
彼女のことは、そのヴェニスで初めて知ったわけですが、今回彼女の作品の多様さにびっくりしました。とりあえずその時に出してた、赤い布が空気で膨らんだりする作品しか見た事がなかったので、もっとなんかルイーズ・ブルジョワ的な作品を予想してたのですが。
ポンピドゥーに入ると、まず身体の一部を網で吊るした作品が登場。(上の写真)
その下には繭のような白い塊がたくさんあって、1つが機械仕掛けで動いてた。
この時点ではブルジョワとレベッカ・ホーンを足して2で割った感じかな、とか思って見くびってました、正直。
しかし会場に入ってびっくり。彼女の作品はまさに独創的で上記の2名の作家にはない、洗練された趣味の良さを感じさせる気持ちいい作品達。やはりそこはフランス人なのかな、と思ってしまいます。
剥製にぬいぐるみを着せた作品や、鳥の死骸に服を着せた作品。身体にドローイングを施した写真作品。ぬいぐるみをつなぎあわせて新たな生物を作り上げたり、機械仕掛けでそれらが動いたり、一歩間違えば目も当てられない程趣味が悪くなりそうなのに、全然そんな感じはしない。グロテスクとかわいさの間を絶妙なバランスでつなぎ合わせてる寓話的な作品世界。会場はまさに彼女の世界が爆発してて、観客はその森の中にどんどん引き込まれていく感じ。
ちょっと見くびってただけに大満足な展覧会でした。
どうやら彼女の展覧会が来年の夏森美術館でも開かれる模様。
多分これと同じものだと思うので、是非行ってみてほしいです。
アートがわからない人にでも楽しめる展覧会。

SCHOOL SHOW 2007 ♯3


昨日はセントラルセントマーチンのMAのプライベートビューに行って来た。
全体的な感想としてはスタイリッシュだな、といった感じ。
なんていうか、全体的にきれいにまとまりすぎてる感があった。
展示としてとても見やすいんだけど、これは!っていうのは特になかったのが残念。
多分自分の求めてる学生のショーのテンションとの誤差があって、もう少しやんちゃしてもよかったのでは、と。セントマはすごいミニマルな感じやったなー。

大分前になるけど、ゴールドスミスのMAのショー。
こちらは本当に今の美術のトレンドがすごく反映されてる感じだった。
ペインティングはすべてタイマンスのようなパステル調だし、インスタレーションも自分の部屋みたいなのが多かったし。そんな中でも映画監督になりすました写真作品や、チープな素材を組み合わせた遊園地のようなインスタレーションはかなりよかった。どちらも名前忘れちゃったけど、少なくとも面白い作品に出逢えるのはいいことです。森万里子かよ!っていう写真作品もあったなー。

建築の学校AAスクールのショー。
前にバートレットに行ったけど、もう全く違ってて、これほどまでに校風というのがあるのか、と思い知った。AAはやっぱ形の建築が多かったのが印象的。ザハを排出した学校だけある。AAは不可能な建築を設計しないと話にならないらしい。にしても、技術がこれだけ発達してしまった今、逆に不可能な建築を作ることなんてそれこそ不可能に近くなってるのではないかな、と思った。学生達の形の建築たちを見ていて、なんだかちょっとうんざりしてしまった。先端を突走って来たAAだけに、これからが真価の見せ所な気がする。
下はAAパビリオン。負けてしまった日本人学生の案の方がかっこよかったなー。
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