Hello! Super Collection 超コレクション展 ―99のものがたり― @ ⼤阪中之島美術館




























僕が生まれた1983年に構想が発表され、1990年に準備室を開設。
その後何度も計画が頓挫しつつ、ようやくこの2月2日に約40年の歳月を経て大阪市中之島美術館が開館しました!
場所は国立国際美術館の目の前。
ずっと空き地でシルク・ド・ソレイユとかがやってた場所ですね。
今後国立国際とは連携して秋に具体展とかやるみたいなのでそれも楽しみ。
さて、この美術館。
僕が学生の頃には心斎橋に準備室があって、たまにコレクション展がやってました。
僕が以前観た記憶があるのは以下。
アートのひとStyle―自画像から現代のミューズまで (2003/10/4-26)
こんどは現代美術! (2006/4/22-7/2)
夢の美術館:大阪コレクションズ (2007/1/16-3/25)
写真の美術/美術の写真 「浪華」「丹平」から森村泰昌まで (2008/1/26-3/23)
途中でこれまでのチラシが展示されてて中々感慨深かったです。
特に最初のは南港の方でやってて、こんなの持ってるの!?と驚きました。
そこからももう20年経ってるわけですからね。。。
開館までにここまで苦節を強いられた美術館も中々ないのでは。
そもそも中之島には国立国際美術館があって、コレクションも被ってるし本当に必要?とは僕も当時思ってました。
いっそのこと国立国際美術館にコレクション寄贈してしまえば良いのではとか。
2007年の展示は国立国際美術館で開催されててこれでええやん、と実際思ったりして。。。
しかし粘りに粘って2013年にようやくGOサインが出され、建築は2017年にコンペで遠藤克彦建築研究所が選ばれました。
そして出来上がったのがブラックボックスのような建物。
中は吹き抜けで黒いエスカレーターが三方から伸びてるのが印象的。
入り口もいくつかあって、休館日も入れるってのが面白い。
コンペ時のテーマが「パッサージュ」だったのは頷けます。
正面入り口から入るといきなりショップってのもなんか大阪っぽいw
レストランはまだオープンしてなくて、国立国際美術館とつながる通路もまだ開通してない状態。
行った日は平日だったにも関わらずたくさんの人が来ててびっくり。
コロナ禍で行く場所ない中で新しい場所ができたのは大きいかと。
最初アートって大阪の人たちにも必要とされてるのか!と思ったけどお向かいの国立国際美術館はガラガラだったので今後落ち着いてくるかな。落ち着いた時にまた来たい。
2階でチケットを購入し、エスカレーターで4階へ。(3階は収蔵庫かしら)
現在これまで収集したなんと6000点にも及ぶコレクションが多数展示されてます。
そもそもこのコレクションは山本發次郎のコレクションを大阪市に寄贈されたところから始まってます。
その目玉は何と言っても佐伯祐三。
彼の代表作はほぼここに集まってると言っても過言ではありません。
山本のコレクションは佐伯だけではなくて、日本画や民族衣装まで多岐に渡っていて、特にインドネシアの衣装はめちゃくちゃ美しくて佐伯より感動しました。
そこから大阪ならではの丹平写真倶楽部や具体の作品、特に吉原治良がこれでもかと言わんばかりにありました。
さらに5階に上がると近現代美術の作品群。
特に目玉のモディリアーニやマグリットはここにあったの!?って感じでした。
モーリス・ルイスの大作のタイトルが偶然「オミクロン」w
その後、他の館では珍しいマッキントッシュやアアルトなどの近代デザイン家具のコレクションや、閉館したサントリーミュージアム大阪から寄贈された18000点のポスターの展示など独自性があって面白かったです。
ロシア・アヴァンギャルドのコレクションは個人的にめっちゃよかった。
最後は倉俣史朗や田中一光、亀倉雄策ら日本の近代デザインを支えた名品の数々でフィニッシュ。
2025年には大阪万博もあることだしこの辺のコレクションでなんかやって欲しいですね。
とまあ、2フロア一気に観てめっちゃ疲れた。。。
1990年から始まった収集はやっぱりとんでもなかったけど、正直散漫な印象も。
特に写真のコーナーに安井仲治や中山岩太のような関西写真界の巨人の作品がなかったのがえ??ってなったり。
今回はとにかくこれまでのコレクションを一気に見せるというものなので仕方ないんだけど、今後はもっとテーマを絞って面白い展示を期待します。
このオープニング展は3月21日まで。こちら。
ところで、2階の一角でこっそり現代作家の展示がやってます。誰も観てない。。。
荒木悠・林勇気・柳瀬安里の3名による「テールズアウト」。
事前に募集して集まった300点のVHSの映像を使って各々が作品を作ってます。
これ、ウェブサイトの展覧会情報のところに載ってなくてイベント情報のところに載ってた。。。
京セラのトライアングルもそうだけど、取ってつけたように現代美術やるのどうなんだろう。。。
こちらも3月21日まで。今後もここで現代美術やるのかな??





ちなみに大阪府にも美術館の準備室のような大阪府立江之子島文化芸術創造センター/ enocoというところがあり、コレクションもありますがここも当分箱はできなさそう。。。
今ちょうどコレクションの展示をやってるみたいなので興味ある方はこちら。
昔はパスポートセンターの下に大阪府立現代美術センターがあって、こっちは面白い展示もやってたし何回か行ってたけどenooになってから一度も行ったことがない。。。
感覚の領域 今、「経験する」ということ @ 国立国際美術館

この展覧会発表された時、なんか某ギャラリーの作家多くない??と思ってその某ギャラリーのサイト見に行ったら冒頭に掲げられてるモットーがこちらでした。

ちなみにこの展覧会の発表当時のタイトルは「感覚の交差点」。あちゃー。
とまあ、思いっきり政治力を感じながら期待せず観に行ったんですが、やっぱり作家がいいので普通に展示としてはよく見えちゃうんですよね。。。うーん。
タイトルも感覚とか経験なんて言葉曖昧過ぎるし、挨拶文も無難過ぎるし、そもそもジェンダーバランスが男女比6:1人で悪すぎるしキュレーションのキュの字もないけど。
ってことでまずはその某ギャラリー作家の展示から。
今村源







伊庭靖子


名和晃平



中原浩大

のっけから今村さんの作品にやられて泣いた。。。
ここの空間これまでで一番最高な使い方してる。。。常設にしてほしい。。。
今回の出品者の中で最年長だと思うんだけど、作品が最も若い。。。凄い。。。
前述の政治力が無効になるぐらい素晴らしい作品でした。。。
伊庭さんは最近の立体視のやつ何が面白いかわからない。。。普通に絵を描いて欲しい。。。
名和さんと中原さん思いっきり某ギャラリーのお仕事じゃないですか??
中原さんの作品は本になってていちいちスタッフの方が1ページ1ページめくるので見てられなかった。パフォーマンスとしては面白いかも。。。
で、その某ギャラリー色を薄める他の作家さんたち。
大岩オスカール


藤原康博




飯川雄大















大岩オスカールの版画はまず某ギャラリーの仕事だろうな。。。
藤原さん、初めて観たけど世界観が面白かった。深掘りしたい。
この展覧会で今村さんに並んで優秀賞は何と言っても飯川さん。最高でした!
壁を動かすなんて普通に楽しいし、館のサーキュレーションを組み替えるという脱構築的な構造も面白い。
ヨコトリで経験してたので知ってたけど、これ知らなかったら壁動き出したらめっちゃ怖いw
大きな壁を女性スタッフさんが1人で動かしてるの勇者感あってかっこよかったw
前回は全く説明がなかったけど、今回はスタッフの方が教えてくれた。
この教える/教えないは微妙だろうなぁ、と想像します。どっちでも面白いと思いますが。
館内にあるバッグも彼の作品。持ち上げるとめっちゃ重いです。
ハンドル回すと持ち上がるタイプもあったw
会場にヨコトリの時の冊子があったんだけど、これめっちゃ欲しい。。。
調べたけど入手方法がわからず。わかる人いたら教えてください!!
もうすぐ兵庫県美でも展示があるし飯川さんのってますね。
この展覧会は5月22日まで。こちら。
美術館ショップ行ったら某ギャラリー関連の本めっちゃ置いてて笑った。
コレクション2:つなぐいのち



















国立国際で絶対見逃せないのがコレクション展。
コレクションが凄過ぎる美術館はいくつかありますが(東近美とか豊田市美とか)、国立国際もそう。
特に今回マーク・マンダースがあったのがめっちゃびびった・・・。
都現美の展示の後そのまま買い取ったんだとか。。。凄い。。。
ボルタンスキーも国立新美の時に買い取ったんだろうか。。。
今回は「つなぐいのち」ってテーマなのでやや重めで僕好み。
特に村上三郎、館勝生、木下晋が並んでるのは熱すぎた。
館さんの作品、観るたびに素晴らしいんだけど、関東ではまだまだ知られてなくて残念過ぎる。。。
後米田知子やO JUNをこれだけ揃えてるのは凄すぎ。
今回もお腹いっぱいでした。
名和晃平個展「Kohei Nawa / Esquisse」@ Gallery Nomart





某ギャラリーです爆
学生時代はよく行ってたんだけど、本当に久しぶり。深江橋なんてまず降りる駅じゃないから。
今回は名和さんの学生時代のエスキースの展示ということで。
学生時代の作品出してくるってどうなの?って思いつつ、やっぱりこの頃の名和さんはノッてるんだよなぁ。
作品どれも素敵でした。
今回新たに出したエスキースの本も買っちゃいました。
あぁ、この頃の名和さんに戻って欲しい。。。
展覧会は2月19日まで。
ゲルハルト・リヒター「Abstrakt」 @ エスパス ルイ・ヴィトン大阪










先日2月9日御歳90を迎えたゲルハルト・リヒター。
今年はその生誕90年を寿ぐ展覧会が世界各地で開催されます。
日本でも東近美と豊田で開催される16年ぶりの回顧展にポーラ美術館が最近30億で購入した作品を見せる展示などが挙げられます。
東近美の展示はリヒターが直接指示したもので、豊田は前者より出品数が多いということで、同じ展覧会ではあるんですがやっぱりどっちも行く必要がありそう。。。
16年前もどっちも行ったなぁ。。。特に川村は雪で大変だった思い出。。。こちら。
そんなリヒター展に先駆けて開催されてるのが大阪のルイ・ヴィトンで開催されてる本展。
財団のコレクションからリヒターの抽象画に焦点を当てた展示です。
一企業でこれだけ揃えられるなんてドン引きです。。。
スペースは広くはないものの、一言に「抽象」と言っても様々なアプローチで展開されていてかなり見ごたえがたっぷり。
森の写真に絵の具を直接載せてるもの。
アクリル板で絵の具を圧着させてるもの。
筆と大きな板みたいなものでキャンバスに絵の具塗りつけてるもの。
そして色とりどりのストライプ。
特にストライプの作品は絵の具すら使われてないんですが、遠ざかったり近づいたりして見ると眩暈を覚えそうになります。
90になるにも関わらず旺盛な制作を続けてて、しかもクリエーションの質が落ちてないのは本当に凄い。。。
普通年取っていくと作品が段々とダサくなっていくんですけど何なのこのおじいちゃん。。。
今年の展覧会郡さらに楽しみになりました!
この展覧会は4月17日まで。こちら。
夜のルイ・ヴィトン大阪。美しい。。。

ホー・ツーニェン《ヴォイス・オブ・ヴォイド—虚無の声》














この春に、山口情報芸術センターで開催されてたホー・ツーニェンの新作展。
山口は無理だぁと諦めたのですが、この度の来京のタイミングでそれが京都芸術センターに回ってきた!ラッキー!!
これはKYOTO EXPERIMENTの一環で開催されました。
KYOTO EXPERIMENTも前記事のKYOTOGRAPHIE同様京都にしては長く続いてますね。
何と言っても2010年の第一回で僕は地点と出会ったので本当にありがたいイベントです。こちら。
年々知らない人たちばかりなので参加しなくなったけど、今回も恩恵に与りました。
さて、この展覧会、本当にすごかった!!!!
一昨年のあいちトリエンナーレで話題だった「喜楽亭」の作品にも出ていた京都学派によりフォーカスを絞った内容。
まさにこの京都で、しかも京都芸術センターの特異な施設を見事に使い切ってて、もう最初からここでやるつもりだったのでは、というぐらい場所にぴったりだった。
まず、入口の受付で「VRは体験されます?」と聞かれて、なんかわからないけど「はい」と答え、整理券を渡されるも、実際会場の大広間に行くと客は僕だけ。。。
とても長くてややこしい説明動画を見た後に会場にイン。
VR装置を装着してレディーゴー!
正座で見ていると、まずは京都の料亭「左阿彌」の茶室に誘われます。
ちなみにこの料亭は今も円山公園の中にあります。こちら。
ここでは高坂正顕、西谷啓治、高山岩男、鈴木成高らの京都学派四天王と呼ばれた哲学者たちが会談を行なっていて、自分はその会談の速記者という役割。
実際に僕が目の前にある紙に速記を始めると彼らが話し始めるんだけど、やめると彼らの心の声がボソボソ聞こえてくるんだけど、何を言ってるのかよくわからない。
この筆記の作業が結構大変で、中々紙に焦点当てるのがむずく、書いてたら茶室の窓が開いていくんだけど、書くのやめると閉まっちゃうので、全開になるまで筆記してたら腕がつりそうになったw
全開になって満足したので、筆記をやめてその場で立ち上がると、そのまま視点は上昇して空へ。
なぜかザクがたくさん浮かんでて、また誰かの囁くような声が聞こえる。
次第にザクたちは空中分解されていくなんとも不気味な光景に。
さらにその場で横たわると今度は視線が一気に下降。
そこは刑務所で、牢屋では蛆が湧いてて本当に不気味。ここでも声が聞こえる。
この「声」はタイトルにもなっているようにとても重要なファクター。
そんなこんなで気づいたら30分ぐらい経ってた。すごい。
あの「声」の正体はなんだったのか。
それは他の会場で明らかになります。
まずはギャラリー南へ。
ここでは2面スクリーンで囚人らしき人が横たわっっています。
VRで見た「監獄」の映像です。(その時は人はいなかったけど)
裏表でほぼ同じ映像なんだけど、セリフが微妙に違う。
一方の人物は三木清、他方は戸坂潤。
共に京都大学の哲学科出身で、西田幾多郎に師事し京都学派の一員として研究を続ける。
戦時中、治安維持法の思想弾圧により刑務所に拘留されどちらも獄死。
死後に出版された三木清の「人生論ノート」は戦後のベストセラーに。
続いて制作室4へ向かう途中のスロープに様々な資料が置かれていて、作品理解の助けになります。
そのスロープを上がると今度は「空」の世界。あのザクたちのやつ。
ここで語られていた声の主は田邊元のものだとわかります。
西田幾多郎に次ぐ京都学派のドンです。
ここで語られているのは田辺元が1943年に行った公開講座『死生』。
この公開講座は徴兵される若者に向けてのもので、講演の後絶句し涙を流して懺悔の言葉を口にしたという証言もあります。
あの空中でバラバラになっていくザクたちは、特攻で死んでいく若者たちを表していたんですね。
そして最後に茶室ではあの 『左阿彌の茶室』。
2部屋に分かれていて、一つの部屋では4つの座布団だけが置かれた不在の茶室。
ここでは西田幾多郎が1938年に実施した公開講座『日本文化の問題』が紹介されています。
もう一つは4人のみが映されていて、その背景に前述の不在の茶室が被ります。
1941年に雑誌『中央公論』で3回にわたって行った座談会『世界史的立場と日本』の様子。
前者は日米開戦の回避を、後者は大東亜共栄圏を、と一見相矛盾する京都学派の立場が語られているけれど、それらの映像が二重写しになってるのが興味深い。
それが実際に茶室で見られるのは京都芸術センターならでは。
というように、かなりディープな内容で、正直半分も理解したかわからないんだけど、身体と空間全体で京都学派と戦争という過去を声を通して体験するというのは本当に稀有な時間でした。
さらに詳しい説明はこちらが詳しいので是非。
もっとたくさんの人に観てもらいたい作品でした。
これ、今度の豊田市美術館の展示では流石に出ないんだろうか。
ちなみにあの伝説の「旅館アポリア」が会期途中の12月4日からまた喜楽亭で再現されます!
あの作品観てない人は絶対見たほうがいいです!こちら。
いやはや、ホー・ツーニェン、本当にすごい作家だ。。。
「それはまなざしか」/ 内藤礼 / KYOTOGRAPHIE 2021
京都で観てきた展示3つまとめて。
まずはアトリエみつしまでやってた「それはまなざしか」。
ここは西陣織の工場をリノベーションした場所で、全盲の作家光島貴之さんがオーナーです。
光島さんは以前学生の時にワークショップに来て下さって、目隠しして触りながら絵を描くという内容で今でもその体験を鮮明に覚えています。
この展覧会では光島さんをはじめ、今村遼佑、小池芽英子、児玉靖枝、船井美佐の5人が「まなざし」をテーマに作品を発表しています。
今村くん目当てで行ったわけですが、やはり今村くんはすごい。
2階の畳敷きの大広間に広がるインスタレーションんで、光と音を使った作品です。
畳に埋め込まれた発光ダイオードは点滅していて、その点滅はそれぞれ自身のアトリエ近くの木漏れ日に合わせています。
また、天井にはモーターに洗濯ばさみや枝、石、紙くずといったものが取り付けられてて、まるで家鳴りのようにそこかしこで鳴ります。
これだけミニマルなのに、これだけ広い空間を充満させてる空気感を作り出してるのはやっぱりすごい。
展覧会は10月31日まで。こちら。

















続いてMtK Contemporary Artでやってた内藤礼「breath」。
この3月に京都市京セラ美術館近くにできた新しいギャラリー。
マツシマホールディングスが運営し、鬼頭健吾がディレクション、名和晃率いるSandwichがデザインを担当して話題になりました。こちら。
ちょっとご縁がないかな、と思ってたらまさかの内藤礼。
どんなもんじゃろと寄ってみましたが、彼女の近年取り組んでるドローイング作品「color beginning」の新作がずらっと並んでました。
この作品個人的にあまり好きじゃないので、へぇって感じでした。。。
11月7日まで。こちら。





最後にKYOTOGRAPHIE。
京都ってアートイベント本当に続かないんだけど、このイベントだけは2013年から始まって今回で8回目。(2020年は中止)
毎年恒例のイベントになっててすごいなとは思うものの、京都と写真ってのがよく繋がらないんですよね。
まあ、昔はfoilもあったし、今は何と言っても赤々舎があるのはでかいでしょうね。
今回は京都市内12箇所で展開。
そのうち僕はDELTA、琵琶湖疏水記念館、京都文化博物館別館、HOSOO GALLERY、三条両替町ビルの5箇所だけ回りました。
会場がバラバラだし、休みも変則的で、把握しながら周るのは結構難易度高いです。
DELTAも水木休みで、「KYOTOGRAPHIE Permanent Space」って銘打ってるんだからその期間ぐらい無休にしろよって思うんだけど。。。
僕が行った時は二条城や両足院、Sferaが閉まってたり。
特に二条城は毎回他の催事との兼ね合いで休み多すぎ。
しかも展示が結構二条城に固まってるので、観られないのは結構辛い。
とはいえ、今回初めて行った琵琶湖疏水記念館なんかは面白い試みでした。
榮榮と映里による展示で、この2人なんか聞いたことある名前だな、と思ったら、北京の現代写真センター「三影堂撮影芸術中心」を設立した人たちなんですね。北京行った時に行きたかったけど行けなかった。
2015年から京都に移住って書いてあったけどもう関わってないのかな?
それはともかく展示は、寓話的な要素があって、場所の特異性も相まってとても幻想的でした。
文博のアーウィン・ オラフも場所に負けない美しい展示だった。











まずはアトリエみつしまでやってた「それはまなざしか」。
ここは西陣織の工場をリノベーションした場所で、全盲の作家光島貴之さんがオーナーです。
光島さんは以前学生の時にワークショップに来て下さって、目隠しして触りながら絵を描くという内容で今でもその体験を鮮明に覚えています。
この展覧会では光島さんをはじめ、今村遼佑、小池芽英子、児玉靖枝、船井美佐の5人が「まなざし」をテーマに作品を発表しています。
今村くん目当てで行ったわけですが、やはり今村くんはすごい。
2階の畳敷きの大広間に広がるインスタレーションんで、光と音を使った作品です。
畳に埋め込まれた発光ダイオードは点滅していて、その点滅はそれぞれ自身のアトリエ近くの木漏れ日に合わせています。
また、天井にはモーターに洗濯ばさみや枝、石、紙くずといったものが取り付けられてて、まるで家鳴りのようにそこかしこで鳴ります。
これだけミニマルなのに、これだけ広い空間を充満させてる空気感を作り出してるのはやっぱりすごい。
展覧会は10月31日まで。こちら。

















続いてMtK Contemporary Artでやってた内藤礼「breath」。
この3月に京都市京セラ美術館近くにできた新しいギャラリー。
マツシマホールディングスが運営し、鬼頭健吾がディレクション、名和晃率いるSandwichがデザインを担当して話題になりました。こちら。
ちょっとご縁がないかな、と思ってたらまさかの内藤礼。
どんなもんじゃろと寄ってみましたが、彼女の近年取り組んでるドローイング作品「color beginning」の新作がずらっと並んでました。
この作品個人的にあまり好きじゃないので、へぇって感じでした。。。
11月7日まで。こちら。





最後にKYOTOGRAPHIE。
京都ってアートイベント本当に続かないんだけど、このイベントだけは2013年から始まって今回で8回目。(2020年は中止)
毎年恒例のイベントになっててすごいなとは思うものの、京都と写真ってのがよく繋がらないんですよね。
まあ、昔はfoilもあったし、今は何と言っても赤々舎があるのはでかいでしょうね。
今回は京都市内12箇所で展開。
そのうち僕はDELTA、琵琶湖疏水記念館、京都文化博物館別館、HOSOO GALLERY、三条両替町ビルの5箇所だけ回りました。
会場がバラバラだし、休みも変則的で、把握しながら周るのは結構難易度高いです。
DELTAも水木休みで、「KYOTOGRAPHIE Permanent Space」って銘打ってるんだからその期間ぐらい無休にしろよって思うんだけど。。。
僕が行った時は二条城や両足院、Sferaが閉まってたり。
特に二条城は毎回他の催事との兼ね合いで休み多すぎ。
しかも展示が結構二条城に固まってるので、観られないのは結構辛い。
とはいえ、今回初めて行った琵琶湖疏水記念館なんかは面白い試みでした。
榮榮と映里による展示で、この2人なんか聞いたことある名前だな、と思ったら、北京の現代写真センター「三影堂撮影芸術中心」を設立した人たちなんですね。北京行った時に行きたかったけど行けなかった。
2015年から京都に移住って書いてあったけどもう関わってないのかな?
それはともかく展示は、寓話的な要素があって、場所の特異性も相まってとても幻想的でした。
文博のアーウィン・ オラフも場所に負けない美しい展示だった。











ボイス+パレルモ / 1968年展 −新しいパラダイムを求めて− @ 国立国際美術館











埼玉でも観たんだけど大阪でも観たくなって2回目の「ボイス+パレルモ」。
なんてったって友人の福元君が担当学芸をしていて、しかも彼が学芸員を目指したきっかけがボイスで、早くもボイスの展覧会をする夢を叶えたわけで、それをどうしても見届けたく初日にお邪魔しました。
結果的には、こっちの方が空間が広いので圧倒的に埼玉よりよかったです。
展示の順番も微妙に違ってたり、埼玉にはなかった黒板が見れたり。
最後のボイスのレモンの作品と、パレルモの黄色い絵画が並んでる展示も素晴らしかった。
そして、埼玉で初っ端から聞こえてきたボイスのサウンドインスタレーション(?)も、吹き抜けの大きな空間を使ってとても贅沢な展示となっていました。
同じ展覧会を別会場で観ると差異が見えて面白いですね。
これは豊田も観たかったなぁと後悔。
兎に角素晴らしい展示でした。福元くん、本当におめでとう。
にしても、よくもこんなわけのわからないおじさん(ボイス)を研究対象に選んだよなw
8月のZOOMトークでもボイスはみんなの攻撃対象になってて福元くん1人がボイスを庇うっていう地獄のような構図になってたしw
(それにしてもあの直後に林さんが、、、)
そして、コレクション展が僕の大好物すぎる「1968年」!!!
これはおいし過ぎてよだれ出そうな企画でした。
2018年に観た「1968年展」ほどではないものの、こんな作品あったんだ!っていう驚きがいくつか。
特に最初の田中信太朗のライトを使った作品や、新潟のパフォーマンス集団「GUN」とか初めて観ました。
今回は両フロアとも大当たりなので、関西の方はぜひ!!!来年1月16日まで。
(コレクション展は許可を得て撮影しています。)
そしてもう終わっちゃいましたが、お隣のgrafでもボイス関連の企画が。
こちらの企画でも15日に福元くんがゲストとしてトークしてました。
ボイスに纏わる作品とのことでしたが、まあみんな自由にやってましたw
特にインパクトあったのは宮木亜菜のパフォーマンスの記録。
レモンを咥えながらドローイングするというもので、国立国際の最後に展示してあったレモンを彷彿とさせました。
そして小清水斬。岩がワイヤーで吊るされてるんだけど、その吊るされ方が地味にすごくてこれは展示泣かせすぎると思いました。。。
あと昔のドクメンタの資料がたくさん置かれてて貴重すぎました。
特にハロルド・ゼーマンがディレクションしてパレルモも参加したドクメンタ5のカタログはヤバすぎる。
バインダーに収められてて、捲るの怖すぎる。。。白手袋しても緊張した。。。
展覧会の内容はこちらから。











水尾之路


















ずっと前から泊まりたかった宿。
東京でアパレルの仕事をしていたお二人が、尾道にひっそりと建つ築80年以上の古民家を改装して3年前に始めたのが「水尾之路」。
お昼はカフェになっていて、夜は1組限定で宿泊が可能です。
1組限定にしては相当良心的なお値段だと思います。
そしてこの宿泊体験は本当に特別なものになりました。
お二人の美学が一分の隙もなく貫かれた空間で時間を贅沢に過ごせる体験は、ほとんどアート体験の質でした。
これをアートと言っちゃうと安っぽくなっちゃうかもしれないけれど、どうしても記録しておきたかったのです。
尾道行ったら是非泊まってみてください。
朝のスコーンも美味すぎたし、庭を横切る猫様も拝めて最高でした。
水尾之路website: https://www.mionomichi.com/index.html
水尾之路instagram: https://www.instagram.com/mionomichi/?hl=ja
Soft Territory かかわりのあわい @ 滋賀県立美術館

この6月にリニューアルオープンした滋賀県立美術館へ。
半分行くつもりで招待券だけ持って行ってたら友達が車出してくれるというので便乗して行ってきました。
以前は滋賀県立近代美術館という名前で、2004年の「コピーの時代」以来だから17年ぶり。。。ヒエェ。。。
一度は長谷川祐子が館長になり、SANAAが建物を手がけるということで2017年に休館となりましたが、その後入札がつかず断念し、新たに館長に据えられたのが東近美の学芸員保坂健二郎さん。ちなみに現在館長ではなくディレクターという肩書きになってます。
(その後長谷川さんは金沢21美の館長に、島敦彦さんが国立国際の館長になり、収まるとこに収まった感)
建物の改修はgrafが手がけ、グラフィックは原田祐馬。
この辺りのことは美術手帖の記事が詳しいです。
ロビーで持ち込みありで飲み食いできたり、県内の作家が館内で作品販売できるとか画期的すぎ!
特に保坂さんのインタビューは必読!
横浜県美の館長になった蔵屋さんといい、東近美から逸材が流れてるのが切ない。。。
生まれ変わった「滋賀県立美術館」の内部が公開。目指したのは「リビングルームのような美術館」
滋賀県立美術館ディレクター・保坂健二朗インタビュー。目指すのは「リビングルーム」としての美術館
なんせ前に来たのが17年前なのであまり覚えてないんだけど、確かにエントランスも開放的になったし、要所要所に地元の信楽焼が使われていてオシャレ!





開館記念として、現在「Soft Territory かかわりのあわい」が開催中。
滋賀ゆかりの若手作家の展示です。
知ってる人もちらほら。
まずは井上唯さん。彼女がこれまで収集してきたものや、新たに滋賀をテーマにしたものまで大きな展示室にたくさん並べられてて圧巻。
作家自身が公開制作をしていて、船を作ってました。



後輩の薬師川千晴。めちゃくちゃかっこよかった!
VOCAでも見てた裏表見せる作品だけど、ちゃんと深化してた。素晴らしい。



石黒健一。今回初めて見た作家だったけど、一番好きな作品でした。(と思ってたら去年駒込倉庫で観てた!)
館収蔵のブランクーシの作品をルアーにして琵琶湖でブラックバス釣るっていう作品笑
ブラックバスを日本に初めて移入したとされる赤星鉄馬が回り回ってブランクーシに繋がってるっていう図も最高でした。



松延総司と小宮太郎は安定感がありますね。



外には井上裕加里の彫刻。何気にジャッドもありました。


もう一会場は個人的にグッとくるものがなかったので割愛。
中々行きにくい場所でもあるので行けて良かった!この展覧会は8月22日まで。こちら。
今後保坂さんの手腕が楽しみすぎます。
その後、足を伸ばして信楽まで。
友達が行きたかったNOTA SHOPってとこに行ってきました。
こんなところに店なんかあるの?って場所にあったんだけど、お客さんがひっきりなしに来ててなんかすごかった。
ショップと工房があって、工房ではさっきまでいた滋賀県美で使われてた信楽焼が全部ここで作られてたことが判明。工房もお邪魔したけど素晴らしかったです。




鷹野隆大 毎日写真1999-2021 @国立国際美術館

ほとんど諦めかけてたけど、やっぱり行ってきました鷹野隆大展。
この日、久々に四天王寺の蚤の市に行こうかとも思ってたのだけど、暑さに負けて国立国際を選んだら大正解。次の日行こうと思ってたけど、何とその日は台風で閉館してしまったのです。。。あぶねーー。。。
鷹野さんと言えば、木村伊兵衛賞をとった「IN MY ROOM」や「男の乗り方」など男性ヌードのイメージが強いと思います。
実際自分もそうなんですが、今回はそちらではなく、展覧会タイトルにもなっている、1998年から毎日撮り続けている「毎日写真」がメイン。
というわけで正直期待半分だったわけですが、まあ可もなく不可もなくという感じでした。
「毎日写真」に関して、そんなに毎日撮ってるということは相当な枚数があるはずなのに、それに対して展示数少なすぎるなぁという印象でした。
額装されて一点一点観せるより情報が飽和するぐらい雑多に展示してても良かったのでは、と個人的には思いました。
そんな「毎日写真」よりも近年鷹野さんの興味が「影」に傾倒してるのが面白かったです。
今回「欲望の部屋」という、観客の影が壁に残る体験型展示があったり、そのままストレートに影を撮った写真や、フォトグラムのような写真など、とても興味深かった。
そこまで真剣に追ってるわけではないので、近年の作品がまとめて観られたのは良かったです。





そしてもう一つ地下3階では「Viva Video! 久保田成子展」が同時開催中です。
久保田成子はナムジュン・パイクのパートナーという印象でしたが、近年のジェンダーの動きから彼女もまた改めてスポットが当たったという形です。
これまであまり知られてこなかったというのもあり、彼女の人となりを紹介するコーナーが多かったのが印象的。
そんな中、彼女の真骨頂でもある「ヴィデオ彫刻」の展示は圧巻。
デュシャンへのオマージュ作品シリーズ「デュシャンピアナ」はやっぱいいですね。
あと、上階の鷹野さんの「影」に対し、久保田さんは「光」の印象で好対照なのも面白かった。
ところどころ映像が反射してるのが印象的でした。







鷹野展、久保田展ともに9月23日まで。
さて、向かいの来年2月についに開館する大阪中之島美術館。外観はほぼ完成してました。楽しみ。




佐藤雅晴 尾行 存在の不在/不在の存在 @ 大分県立美術館

この旅最大の目的、2019年に亡くなった佐藤雅晴さんの展覧会です。
水戸芸術館にも回ってくるんですが、磯崎新より坂茂の空間で観たかったし、大分は佐藤さんの故郷なので、距離とか考えてもどうしても大分県立美術館で観たかったのです。
入っていきなり彼の代表作でもある「東京尾行」(2015-16) からスタート。
冒頭からやられました。
2015年の原美術館での個展で発表され、今年になってその歴史に幕を下ろした原美術館の最後の展覧会にも出品されていました。
光ー呼吸 時をすくう5人 @ 原美術館
無人のピアノの奏でるドビュッシーの「月の光」が会場に響き渡ります。
12のモニターには一部だけがアニメーションになった東京の日常が映されています。
この展覧会のタイトルにもなってる、「存在」と「不在」がまっすぐ届く作品です。
それまでの佐藤さんの作品は、これ以降も出てきますが、ロトスコープという実写映像をトレースするという方法を用いて、全てアニメーション化されていました。
しかしこの作品では一部のみがアニメーション化されることによって、より「実在の不在化」を実現しています。
例えばアイスクリームをほうばる女性のアイスクリームの部分だけがアニメになることによって、それまで映っていたであろうアイスの触感や味覚はアニメのフラットさに変換されることにより消失します。
面白いのが、それが「生命を与える」という意味のanimateからくるアニメーションによって、生命感を奪っているのが印象的です。(さらに遡るとanimateの語源であるラテン語のanimaには生命や魂という意味があります)


次の部屋ではドイツ時代の初期作品が並びます。
個人的にはフォトデジタルペインティングを用いた平面作品群は初めて観ました。
平面作品はシュールレアリズムが色濃く出ていて興味深かったです。
「Call」(2009) /「I touch Dream #1」(1999) /「Coffee」(2009)

「Clearman」(2009) /「TRAUM」 (2004-7) / 「Hair」(2009)

「Silent」(2010) / 「Reading」(2010) / 「Flower」(2010)

続く「アバター11」(2009) は、11のモニターにそれぞれ人の顔が振り向くというだけのアニメーションがループで流れるんだけれど、これが非常に怖い。
首は昔から魂の在り処と考えられていて、武将が首をとるのは魂を奪うという意味もあったそうなのだけど、その魂の在り処である首だけが動いている映像群は魂があるのかないのか、実在と不在をこれまた行き来しているようで不気味でした。

続く「バインド・ドライブ」(2010-2011) の車と体育館、「9 holes」(2012-13) のエレベーターが、代表作でもある「Calling」(2009-10/2014)にも出てくることが見られたのは面白かった。
佐藤さんの場合、活動期間が20年弱しかないので、こうして通して見た時に作品の発展が非常にわかりやすく見られて印象的でした。
そして改めて「Calling」はすごい作品だなぁと。
電話というのは、電話を取る人とかける人がいるわけだけれど、どちらも可視化されず、電話が鳴るところだけ見せられると、その不在に観客は想像力を掻き立てられる生理みたいなものを非常に巧みに作品化されてる。
それは後に続く「ダテマキ」(2013) もそうで、機械でダテマキが作られる7つの工程をアニメーション化されてるわけだけれど、周到に最後の人間の手がそれを巻く8つ目の工程は省かれていて、人間不在のまま機械だけがただただ動く様を、しかもアニメーションで見せられる。
充実ではなく不足がいかに想像力の着火点になりうるのかを思い知らされる作品たちです。
その究極が「東京尾行」の姉妹作品とも言える「福島尾行」(2018) で、人間は作業員以外ほとんど出てきません。
さらにそこに音の鳴らないピアノが奏でる「月の光」が加わることで、「非在」まで極まる。
この展覧会は冒頭の「東京尾行」の「月の光」から「バインド・ドライブ」の演歌「絆」など、所々で音が鳴り響いていて、会場中でその音が混ざるんですが、最後の最後にその音まで消えてしまうなんて。
最後は遺作となった初の絵画作品「死神先生」(2018) で展覧会が終わる。
最後の最後には、数字が剥がされ最早時を刻まない時計「now」(2018) が掲げられてエピローグ。
この流れは出来過ぎなぐらい美しかった。
ぜひ彼の故郷大分で観られる人は観て欲しいです。6月27日までなんと無休!こちら。
大分まで行けない人は11月30日からの水戸芸術館で。こちら。
「バインド・ドライブ」(2010-2011)

「Calling」(ドイツ編 2009-10 / 日本編 2014)

「ダテマキ」(2013)

「福島尾行」(2018)

「死神先生」(2018)

「now」(2018)

「うたかたと瓦礫:平成の美術1989–2019」 @ 京都市京セラ美術館










自分が物心ついて初めて覚えてる社会的ニュースは「ベルリンの壁崩壊」。
テレビ(木目調のブラウン管でチャンネルをひねって変えるタイプ)の画面の中で大人たちが楽しそうに壁を壊している映像を不思議な気持ちで観ていました。
それは日本における平成元年の11月9日。
流石に昭和天皇崩御は覚えていないけれど、その年の3月に母方の祖父が亡くなり、10月には父方の祖母が亡くなりと、その時の記憶も幼心に鮮明に焼き付いています。
僕の記憶はそんな平成元年から始まり、ほぼ僕の人生が詰まってるのが平成という時代。
そんな平成を美術の観点から回顧する展覧会が京都で開催されています。
キュレーションは「アノーマリー」や「日本ゼロ年」を企画した椹木野衣。
1998年には著書「日本・現代・美術」において、日本を「悪い場所」と位置づけ、その後も多くの著書を連ねた椹木さんが、どう「平成」を切り取るのか、とても楽しみにしていました。
僕はてっきりその「アノーマリー」や「日本ゼロ年」にも出ていた村上隆やヤノベケンジ、中原浩大や奈良美智、会田誠、山口晃などの作家が名を連ねるものだと思っていたら、発表された内容は今でいう「コレクティブ」を集めた展覧会になったのは意外でした。
今回関西に帰る用事があったので実際観てまいりました。
まず入ってすぐの「平成の壁」が圧巻。
改めて平成30年間で本当にいろんなことがあったなぁ、と。
特に1995年は本当にメルクマールだった。
阪神大震災に始まり地下鉄サリン事件、古橋悌二が亡くなりエヴァンゲリオンが放送開始。Windows95も。
まさか令和になってもダムタイプが新作を発表しエヴァが終わってなかっただなんて誰が想像したのか。
その後展覧会へと続くわけなんだけれど、正直展示は観れたもんじゃなかった。
まあ、敢えてそうしてるんだろうけれど、会場はカオスで、作品というかもはや瓦礫に見える。
キュレーション的には平成を三つの時代(「うたかたの時代」(1989-2001)、「うたかたから瓦礫へ」(2001-2011)、「瓦礫の時代」(2011-2019))で分けてるんだけれど、その時代区分もバラバラに展示されてるので、整理された展示では決してなく、一つ一つの作品に向き合うという展示構成では全くありません。
もうほとんど周遊するって感じで見るともなしに見てました。
椹木さん的には展示会場をも「悪い場所」へと変換したかったのかもしれません。知らんけど。
この展覧会は、一つの歴史観を示す意味ではとても重要だとは思います。
ただ、この展示で観る限り、圧倒的に芸術の敗北を感じざるを得ません。
芸術は時代を映す鏡、とも言われますが、時代がそれを遥かに凌駕してる。
それは今回の展示の中で最も圧巻なのが冒頭の「平成の壁」なのが皮肉に表してます。
イデオロギーの崩壊、バブルの崩壊、災害による崩壊、、、、
平成というのは崩壊を幾度となく繰り返した30年だったのかもしれません。
そしてその崩壊をほとんど映せてない芸術の無力。
芸術が無力であるのはある意味自明であり、その無力さ故に人の心を打つことができるのだけれど、そんな美辞麗句では済まなかったのが2011年の東日本大震災。
今回のコロナではまだその無力さが役立ってるのを感じますが。
それにしても平成って本当にこんな暗い時代だったんだっけ?
僕の青春が全て詰まった時代なのでそう思うと悲しい。
決して「平らかに成」らなかったけれど、それでも明るいこともあったよね?
ただ、展示はともかくやはり椹木さんの平成史観は面白いと言わざるを得ません。
今回のカタログを読んでも本当に面白い。
椹木さんも仰る通り、こんな極東の島国でしか通用しない「元号」で美術を切り取ることの滑稽さもありつつ、だからと言って80年代、90年代、00年代のように10年ごとに切ることの違和感も確かに納得をせざるを得ません。
平成を「傷ついた時間」とし、日本最初の災害文学といわれる「方丈記」からのうたかたと、磯崎新の著書「瓦礫の未来」から副題をとってるのも面白いし、さらに元来の「巨匠」と呼ばれる一人の天才を崇めることをやめ、離合集散する密なるコレクティブを集めたのも興味深い。
ただ3つの時代のうち、最初の「うたかたの時代」の出品作は、古くなりすぎて見れたものじゃないし、最後の「瓦礫の時代」はここまで作者性が消えたものにどう反応して良いのかわからず、真ん中の「うたかたから瓦礫へ」がちょうどいい距離感で観られたのは面白かった。
展覧会は4月11日まで。こちら。
4月6日以降に行けば、正面の京都近美で始まる「ピピロッティ・リスト」展も観られてお得。
ところで最後の展示でDOMMUNEによるカオスラのインタビュー映像が流れてたけど、流石に黒田氏が映るの抵抗があった。。。
あと、「平成美術」にもパープルームとして出品してる梅津庸一「平成の気分」展が同じ京都の現代美術 艸居で開催されてます。
一応行きましたが彼の良さがやっぱりわかんない。。。3月27日まで。こちら。
あとは関西では大阪のルイ・ヴィトンにできたエスパス・ルイ・ヴィトンへ。
こけら落としはコレクションからジョアン・ミッチェルとカール・アンドレの二人展。渋すぎ笑
ジョアン・ミッチェルはあまり観たことがなかったので、改めてすごい画面でした。
アンドレも相変わらず素っ気ないのだけど、これは歩かせる為の装置だと気づいて楽しかった。
7月2日まで。こちら。
今後の展示も楽しみです。



アートではないんだけど、思いつきで京都の河井寛次郎記念館と大阪の東洋陶磁美術館へ。
どちらも初訪問だったんだけど、めちゃくちゃ良かった。
河井寛次郎の暮らし方本当に素敵すぎた。。。
東洋陶磁美術館では黒田泰蔵展がやってて、前から来たかったこともあって行ってみたのだけど、コレクションが最高すぎた。
初っ端の鼻煙壺(びえんこ/嗅ぎタバコを携帯する為のもの)コレクションからやられた…。欲しい。
その後の韓国の青磁も最高。欲しい。
黒田さんの白磁も素晴らしかった。欲しい。
川に沿った空間も美。
ちなみに隣は新たに出来た安藤忠雄のこども図書館だったけどスルー。












ちなみに今回の関西旅では今後お店でやるイベントの打ち合わせもいくつかしてきました!
遊んできただけじゃないんです笑
お楽しみに!

ヤン・ヴォー ーォヴ・ンヤ | 越境する線描 @ 国立国際美術館

勝手にGoToキャンペーン第二弾は我が故郷大阪!
とはいえ万が一を考えて親類には内緒のお忍び帰郷でした。
初めて地元でホテルとったんですが新鮮でめっちゃ楽しかった。
しかもコロナの影響なのかめちゃくちゃ安い!
中之島のビジネスホテルで3000円でした。最高。
友人と行きたかった馬肉の店で晩飯を食い、近くのリーガロイヤルのバーでカクテルを飲み(リーチバー行きたかったが22時閉店だった。。。)、朝食はホテルのブレクファスト、その後川沿いを散歩しながら国立国際美術館へ。最高かよ!
というわけで前置き長くなりましたが大阪の目的は国立国際美術館。
現在ベルリンとメキシコ在住の作家ヤン・ヴォーの国内美術館初の個展が開催中です。
この展覧会も当初4月に開催予定でしたがコロナで延期、6月から再開の運びとなりました。
学芸員の友人福元くんにも色々聞いてましたが、本当に大変だったんだろうなぁ。。。
混乱を表すように、再開当初も閉幕日が決まってないというすごい事態になってました。
今は10月11日までとなっております。
さて、このヤン・ヴォー展。
僕も彼の作品は岡山芸術交流ぐらいでしか見たことがなくあまりデータがありませんでした。
よく語られる彼の壮絶な背景、
「4歳のときに父手製のボートに乗ってベトナムを離れ、難民としてデンマークに移住。」
という、昨今のシリア難民に先駆けること数十年前の出来事。
当時のヴェトナム戦争の最中、祖国をボートで去ってそこから作家になるという背景はインパクトありすぎ。
そんな彼は、こうした自身のアイデンティティの揺らぎやトランスナショナル、セクシャリティ等、様々なマイノリティを作品にしているんですが、これがまた難解!超ハイコンテキストすぎて笑った。
なんせ、会場には一切解説がなく、作品、というより「もの」が置かれているのみ。
こうした作品の在り方を美術館の冊子でもの派の菅木志雄と並べて批評しようとしているけれど、流石に無理があるだろうと思います。
菅の「もの」は「それそのもの」という存在論が主軸に置かれているけれど、ヴォーの「もの」には確実に背景があり物語があるんです。
ただ、その「もの」たちは無言を貫いていて、一向に語りかけてくれません。
よくもまあこんな攻めた展覧会を国立の美術館がやったもんだなぁ。。。
案の定お客さんも少なくソーシャルディスタンスどころの騒ぎではありませんでしたw
作品は写真も撮れないし、ちょっと解説はできないので他に譲ります。
わかりやすい文脈への回収を避ける意図とは? 平芳幸浩評「ヤン・ヴォー ーォヴ・ンヤ」展
ヤン・ヴォー ーォヴ・ンヤ
あとヴォー自身のインタビューや作品も観れる動画は必見。
とはいえ全くわからないでもありません。
展示会場に置かれている出品目録のタイトルや素材を見るとぼやっとわかることも。
例えば
05
セントラル・ロトンダ/ウィンター・ガーデン
2011年
シャンデリア、クレート、輸送用パレット
{パリ、アヴェニュー・クレベールの旧ホテル・マジェスティックのセントラル・ロトンダ/ウィンター・ガーデンに飾られていた19世紀末のシャンデリア]
とか
07
ロット39: 大統領の署名用ペン4点組
2013年
金属、インク
[ジョンソン大統領が1964年3月20日の国防物資調達法案に署名する際に使ったペン先4点]
とかね、ってやっぱりわからないねw
ってことで、普段は借りないオーディオ・ガイドを借りたりしてなんとか半分ぐらい理解できました。
とはいえ、もはや理解するしないはそこまで重要ではないのかもしれません。
というのも、単純にインスタレーションとして格好いいんですよ。
そのほとんどが、構造物が見えちゃったりしてて、まるで美術館の裏側に来たみたい。
会場が倉庫のような仕上がりになっていて、美術館というものを脱構築している。
その展示の説得力で結構見られます。
展示壁が途中で終わってたり、書き割りそのままだったり、探検してるみたいな体験。
どこまでを許容するのかが試されています。
展覧会の中で印象的なのが、何度も登場するフランス語の手紙。
「1861年2月2日」と題された作品で、会場に何度も登場します。
これはベトナムに派遣されたフランス人宣教師が処刑される前夜に父親に送った手紙をもとに、父親が手書きでコピーしたものなんだけれど、実は父親のフン・ヴォーはフランス語が読めなくて、カリグラフィーとして作品になっています。
この「作品」は300ドルで販売されていて、画廊に100ドル、ヤン・ヴォーに100ドル、そして父親に100ドルが渡るようになっているそうで、労働としての側面もあります。
そして父親はフランス語を読めないというのが大きくて、ただの線描となってるのも面白い。
そのことを思いながら2階に登ってコレクション展「越境する線描」を見るとさらに面白いです。
このコレクション展は友人の福元君が企画したものなんだけれど、前述の豊田市美術館同様、この国立国際美術館もコレクション展がベラボーに面白いんです。
まあ、持ってるコレクションの質が良すぎるんですが、それを料理する学芸員のキュレーション力も試されていて、特に今回の「線描」を巡る展示はとても面白い。
日本語の「線描」には色んな意味を含んでいることに注目して、「デッサン」から「グラフィック」、「スケッチ」と進んで、最後に「ドローイング」に至る痛快さが見所です。
特に僕は「スケッチという断片」で出品されてる展示がどれも素晴らしくて、今村源の展覧会プランのスケッチや、マーク・ダイオンのプロジェクト案、ヤノベケンジの「メガロマニア」展のための構想、パナマレンコの設計図等よくもこんなもの収蔵してたな!という驚きの連続。
最後のドローイングセクションは、サイ・トゥオンブリーにポルケ、伊藤存に法貴信也と待ってましたの連続。
最後は金氏徹平に今村源、宮脇愛子の彫刻で締めるのもにくい。
この企画した学芸員の福元崇志さんとのインタビューは絶賛販売中です!
https://aholic.stores.jp/items/5ed5c76abd2178100e30c984
今後美術館に行ったらコレクション展をしっかり見ましょう。
ここに美術館の底力が表れてます。
ヤン・ヴォーも越境する線描展も共に10/11まで。こちら。
僕が行った時解説付きのカタログがまだ出てなかった。。。早く出てくれー!!
目の前の大阪市近代美術館が外壁まで付いてた!2022年の開館が楽しみ!

アート・プロジェクト KOBE 2019:TRANS- @ 神戸市内

岡山行くので関西も回ってきました。
まずは神戸のグレゴール・シュナイダー。
この企画もう一作家いますがその人には興味ないのでスキップ。。。
シュナイダーもそこまで興味なかったんですが、うちのお客様で以前ドクメンタに行った時に彼の作品を体験して、それが頭から離れないという話を聞いて一気に興味津々。
先日六本木のWAKOでも観て面白かったので行くことに。
今回シュナイダーは「美術館の終焉ー12の道行き」と題して神戸市内10カ所12作品という恐ろしい企画。
作家の方もよくやったなぁと素直に感心するんだけど、そもそもよくもまあこんな特殊な会場を押さえたよなぁという。
そのほとんどが、マジで!?っていう作品ばかり。
作品には留というタイトルがついており、僕は番号関係なく、第8留の神戸市立兵庫荘から回ったのですが、どうやら1留から順番に回った方が良かったみたいです。どうもストーリーラインがあるらしく。
それにしてもその8留がまずすごかった。
低所得者の勤労者の一時宿泊施設なんだけど、なんとワンフロア丸々真っ黒に染めてた。
さっきまで誰かいただろうという雰囲気そのままで、布団がくちゃくちゃになった感じとか、タバコが積まれた灰皿とか囲碁盤とか、とにかくそのままの状態で真っ黒に染められてて異常すぎる。
そもそも入る時ペンライトを渡されるんだけど、マジで真っ黒でマジで怖い。
二段ベッドが何個かある部屋とか生々しすぎて。。。

早速カウンターパンチくらったまま次、駒ケ林駅へ。
その駅直結の第9留もすごい。
ポンプ室を改造してアメリカがキューバに作ったグアンタナモ湾収容キャンプが再現されていて、ポンプ室の普通のドアを開くと真っ白な牢獄があって、元の空間が想像できないぐらい。すごい。

その後第10−12留はふーんって感じでしたが。。。
移動して神戸駅へ。本来ここからがスタート。
第1、2留も微妙なのでスルーですが、第3留がすごい、というか場所がすごい。
旧兵庫県立健康生活科学研究所というところで、生物実験とかやってたっぽいラボの雰囲気が怖すぎる。
バイオハザードマークや放射線マークのついた部屋などがあり、どこまでが作品なのかよくわからず。
場の持つ力が強すぎる。。。
屋上から見た神戸の風景で少し癒されました。

そして第4留。これマジですごい。ネタバレになるので秘密で。

第5留の神戸ヴィレッジアートセンターでは映像がやってるんだけど、それよかここで第6、7留の見学予約をしなくてはならず、これが難儀。
電話では予約できないので、直接ここに来なくてはならないんだけど、見学開催日が限られてるのですぐに予約が埋まってしまう。
とはいえ、第5留の映像がなんと13時半からしか上映されなくて、それに合わせていくと予約が取れないというジレンマ。。。
結局僕がついたのは12時だったんだけど、最後の一人ギリギリでセーフ!あぶねー。
そしてその第6、7留がすごいんです。行かれる方は是非予約間に合わせてください。
この二つは個人宅なので住所完全非公開。
決められた時間に連れられていかなくてはなりません。
で、第6留が衝撃だった。
ガチで生活感溢れる家の中にパフォーマーが二人いて、ツアー参加者が見てる中普通に生活してる。
一人は風呂場でシャワー浴びててすりガラス越しにしか見えず、もう一人は2階で布団にくるまって本読んでる。。。
何を見せられてるんだwww
そして第7留はとんでもない家、家なのか??もうどこまでが作品なんだか。。。
こうしてシュナイダー体験終了。
なんとトータルで岡山芸術交流より時間かかってしまった。。。
皆さま行かれる際は十分時間とってください。
作品の詳細はCASAのこの記事が詳しいです。
神戸に潜む亡霊たちを探す芸術祭へ|青野尚子の今週末見るべきアート
11月10日まで。こちら。
第6、7留の開催日時もここでご確認ください。
ジャコメッティと Ⅱ @ 国立国際美術館

ジャコメッティによる矢内原の胸像がコレクションに加わったことによる展覧会。
前回1では、ジャコメッティと矢内原との関係性をそれはもう丁寧に展示されてて泣きそうになった。
そして今回は、その彫刻がいきなり初っ端から登場して、そこからジャコメッティの制作に纏わるテーマを、ジャコメッティ以外のコレクションで紐解いていくんですが、これがまた最高のキュレーション。
まずは身体。
シュテファン・バルケンホールや加藤泉、棚田康司等々身体に纏わる超豪華メンバーたち。
そして存在。
トーマス・ルフから石内都まで。
さらに不在。
内藤礼の死者のための枕から高松次郎の影まで。
歴史。ここに米田知子。
そしてそして、テリーサ・ハバード/アレクサンダー・ビルヒラーのジャコメッティの元恋人を描いた映像「フローラ」で完全涙腺崩壊。
もう何この布陣。最高すぎる。
外でやってた、関係性(コミュニケーション)をテーマにした加藤翼や小沢剛は少し蛇足だったかも。。。
やー、本当にこの展示は常設展と侮るなかれ。12月8日までなのでぜひ!
国立国際の前にできる中之島美術館、ボーリングが始まってました。2021年度開館だそうです。

Stone Letter Project #3 @ 京都場

以前から行きたかった京都場。
元染色工場を改築したギャラリー。
想像以上にすごい空間だった。。。
あまり展覧会やってないのが勿体無い。
今はリトグラフの展示をやってて、内海聖史さんらが展示しています。
京都芸大にプレス機と石版が大量に眠ってたらしく、それを京都場に運び込んでワークショップ。
版画って大変。。。
プロセスも多いし道具もいるし。
それぞれの作家さんがリトグラフというメディアを使って作ってるのが新鮮でした。
地点「ハムレットマシーン」 @ THEATRE E9 KYOTO

展覧会じゃないけど毎度の地点。
新しい劇場のこけら落とし公演。
ハイナー・ミュラーの「ハムレット・マシーン」。
元々コラージュ的な作品らしいのだけど、さらに地点なのでもうマジでわけわからんw
いつもわけわからんのだけど、今回のは特に。。。
最後までノリについていけなかった。。。次回の「罪と罰」に期待!
ところで地点にハラスメント問題が出てるみたいです。こちら。
確かにこのAさん、わかります。
何度か出てましたがいつの間にか消えてました。
多分、この記事はほとんど本当だと思います。
だけどね、僕も思ってたけどこのAさん完全に浮いてたんですよ。
やっぱ劇団にはカラーがあって、そこに染まれないとキツい。
2回か3回出てましたが、最後まで馴染んでなくて、僕もうーんと思ってました。
そしたら案の定こんな感じかーという。
こういうの難しいですね。
不当解雇っつっても、表現活動ですからね。論理的な理由だけでないのもあるよね。
とはいえ地点は何かしらの声明を出すべきだと思います。
実際このことは、後ろの人たちの会話で知ったんですが、これが不協和音になって少なくない人たちが地点の舞台を集中して見られないんじゃないかな。
劇団が大きくなった証拠でもあるけど、ここは正念場かも。
大好きすぎる劇団なので、本当にふんばってほしいです。
岡山芸術交流2019「もし蛇が」@ 岡山市内











楽しみにしていた岡山芸術交流に行ってきました。
何と言ってもピエール・ユイグがアーティスト・ディレクターですからね。
もうこの時点で期待MAX。
前回のリアム・ギリックも素晴らしかったけど。
岡山芸術交流2016「開発」@ 岡山市内
そして発表されたタイトルが「もし蛇が」。
想像の斜め上行くわけわからなさすぎるタイトル笑
もう行くっきゃありません。
事前にある程度どんな感じか美術手帖の記事をいくつか読んでました。
緩やかにつながるアート。ピエール・ユイグがディレクションする「岡山芸術交流2019 IF THE SNAKE もし蛇が」が開幕
ピエール・ユイグが岡山芸術交流で目指すもの。「超個体(スーパーオーガニズム)」とは何か?
なぜ「IF THE SNAKE」なのか? ピエール・ユイグに聞く「岡山芸術交流2019」に込めた意図
で、早速総合的な感想ですが、
「わけわからん!!最高!!」
です笑
こんな展覧会観たことありません。
こんなものが日本で観られるなんて。
多分他の国でもここまでのものは観られないでしょう。
ただ、ほとんどの人にはお勧めできません笑
攻めすぎ!ある意味あいちより攻めてる!
上に写真載せてますが、もはやどれが誰の作品とかはどうでもよくなる。
どの作品がどうとかいう批評はこの展覧会では全くもって無力です。
互いの作品同士が干渉しあって、ぐちゃぐちゃに混ざり合う。
もう、この感覚は本当に最高。
一応キャプションもありますが、途中からもう見ませんでした。
やっぱりユイグはすごいなぁ。泣きそう。
ここ最近あいちのこともあって、美術業界内で「連帯」とかいう単語が飛び交ってますが、そもそもアーティストなんてそれができないからアーティストなんじゃないの、って思うんですよね。少なくとも僕はその言葉聞くだけで吐き気がします。
その点この岡山では「ただ共にある」という押し付けもない本当に清々しいと言っていいぐらいの在り方を見せられた気がします。
あと、展覧会見てたらわけわからんと思ってたタイトルもしっくり馴染んでくるのが不思議。
作品が生命体のように見えてくるのはすごい。
こういう展覧会の在り方があるのかーと目から鱗落ちまくりました。
アートクラスタは必ず行くべき展覧会です。
会場も固まってるので午前中から見始めれば余裕で観られます。(シネマ・クレールでやってる映像除く)
11月24日まで。こちら。
ところで前回、ライアン・ガンダーによって破壊されてた駐車場が修復されてて小さく感動!

そして、芸術交流ではないですが、岡山県立美術館でやってる熊谷守一と太田三郎の展覧会が素晴らしいです。
熊谷の絵改めて観ると本当に不思議な絵。
あの独特の輪郭線、描いてるんじゃなくて、避けて塗ってるんですね。
そして太田三郎、前から好きだったけどまた好きになった。カタログ買いました。
津山に住んでらっしゃるんですね。
ってか、この美術館前回も参加してないんだけど、なんか確執でもあるんだろうか。。。
オリエント美術館すら参加してるのに。。。
大原美術館でやってる黒宮菜菜の展示も観たかったけど力尽きました。。。

蛇足。(蛇だけに)
岡山行かれる方にお勧めご飯情報。
味司 野村
讃岐の男うどん
カフェ キツネ ロースタリー
ご当地の「デミグラス丼」が食べたい人は野村へ!
岡山で讃岐うどんってって思うかもですが、男うどんうますぎ。
そして最近できたおしゃスポットカフェキツネ。
芸術交流会場の旧福岡醤油建物のすぐ近くです。
隣は近代名作家具を扱うGALLERY SIGNさんが!

「ジャコメッティと I」 @ 国立国際美術館

家族の用事で関西に帰ってました。
本当は体調最悪だったのだけど、折角なので京都大阪。
東京帰ってきて病院行ったらえらいことになってたけどまあ行って良かったです。
何と言ってもよかったのが表題の「ジャコメッティと I」。
企画展ではなくコレクション展なのだけど、企画展と言っちゃっていい内容だった。
ジャコメッティの盟友矢内原伊作の彫像を国内で初めて収蔵した記念の展示。
矢内原の彫像が日本になかったなんて意外だったけど、そもそも完成した作品が2体で、鋳造合わせても世界に7体のみだそう!
矢内原の書いた「ジャコメッティ」を読んだけど、作っては潰しての繰り返し。モデルを前に叫ぶしもうほんと際どい笑
わざわざ日本から矢内原を呼んでモデルをさせても結局完成しないとかもう大変。。。
そんな貴重な矢内原の彫像がついに日本へ!
国立の美術館は何年に一回か特別予算というものが付くそうです。
これは本来の収蔵予算とは別に、「未来の日本に有効となる作品」の為の収蔵予算、だそう。正しい言い方は忘れた。
今回はこの作品が選ばれました。
お値段は聞きましたが公開していいのかわからないので気になる方はお店に来てください笑
さて、展示の内容は前半はジャコメッティと同時期の作家の作品や、身体にまつわる作品をコレクションから。
正直この辺は無理矢理感がありましたが、後半がえげつなかったのです。
ついに矢内原の彫像の部屋へ。
まず冒頭、ジャコメッティのお言葉が素晴らしい。
「確かに私は絵画と彫刻をやっている。そしてそれは初めから、私が絵を描き出した最初から、現実を捉えるため、自らを守るため、自らを養うため、大きくなるためだ。大きくなるのは一層よく自らを守るため、一層よく攻撃するため、掴むため、あらゆる面であらゆる方向に可能の限り前進するため、飢餓に抗し寒さに抗し死に抗して自らを守るため、可能の限り最も自由になるためだ。可能の限り最も自由になるのはー今日の私に最も適当な手段でー一層よく見んがため、周囲のものを一層よく理解せんがため、一層自由になるために一層よく理解せんがためだ。可能の限り大きくなるのは使い果たすため、仕事の中で可能の限り自分を使い果たすため、私の冒険を敢行するため、新しい世界を発見するため、私の戦いを戦うためだ。戦いの悦びのため?戦いの歓喜のため?勝ちまた敗れる悦びのためだ。」
アルベルト・ジャコメッティ(訳:矢内原伊作)
ピエール・ヴォルドゥーのアンケート「各個人における現実」への回答
『XX siècle』第9号、1957年6月、35頁
なんだこの格好良い文章は。。。
矢内原もジャコメッティは文章もうまいと書いていたけれど本当に惚れ惚れする。
「勝ちまた敗れる悦び」。素敵です。
そして肝心要の作品がこちらです。


ああ、もうなんて素晴らしいんだろう。
似てるとか通り越して矢内原伊作の塊。
これ一作でものすごい説得力。
やっぱモデルとの関係性をある程度知ってると違いますよね。
上の二人の写真とか最高です。
さらに奥の部屋には矢内原を書いたドローイング、というか落書きとかまで。
ほとんどが神奈川近美でびっくり。こんな持ってたんですね。
さらに奥では、ジャコメッティとの日々を矢内原が綴った手帳やジャコメッティが矢内原に送った手紙、二人の写真など、もうこれ見てたら泣けて来て仕方なかった。。。
いつだったか、国立新美術館でジャコメッティ展観た時はほとんど感動なんてなかったのに、圧倒的に規模の小さいこの展示は、その何倍もの感動。
やっぱりね、展示への愛のかけ方が違う。
所詮国立新美術館のは海外からの巡回ですよ。
コレクション展でここまでしっかりした展示を見られるとは思っても見なかったので本当にびっくりでした。
展示室の使い方もゆったりとしていてとても良かった。
この展示は8月4日からで、なんと「I」があるからには「II」もあります。こちらは8月27日から。これも行きたいなぁ。。。
ちなみに下の企画展「抽象世界」も想像よりは良かったけど、あまりぱっとした印象がない。。。
仕切り壁がゼロで広場みたいな感覚は楽しかったけど。
なんか80年代といい大味の展示増えてきてないか?国立国際。
ジャコメッティみたいな展示ができるポテンシャルがあるんだからもっと頑張ってほしい。
ところでなぜか過去の美術館報が無料配布されてた。
キリがないので持って帰らなかったけど。。。

「セレブレーション-日本ポーランド現代美術展-」 @ 京都芸術センター

日本とポーランド国交樹立100周年ということで企画された展覧会。
本当は京都市内でいくつか分散してるのだけど、僕が見たのは芸術センターのみ。
それにしてもなんでタイトル「セレブレーション」なんだろう。
全部観てないからなんとも言えないんだけど、芸術センターに関しては「気持ちの悪い」作品が多くてびっくり。
特にギャラリー北と南。まさかどっちとも日本人だったとは。実際見てください。
しかし何と言っても見たかったのは今村くん。
やっぱりどこでやってもブレない。
そしてライトがさらに小さくなって進化してる!
新しい展開も見え隠れしててこれからさらにまた楽しみになる。



あとちょうど友人の堤加奈恵が制作室を借りてたので覗きに行きました。
フィンランドから帰国したばかりで現地で作ってた作品も見れたし久々に再会できて良かった!
帰国してから色々考えることもあるだろうけど、迷いながら色々作って欲しい。楽しみです。

村上友晴@ART OFFICE OZASA

気づけば3ヶ月ぶりの更新。。。生きてます。
以前から気になってた京都のギャラリー、ART OFFICE OZASAさん。
いつも渋い展覧会をやってらっしゃいます。
如何せんアクセスが良くないので中々行けなかったけど、村上友晴展がやると聞きついに来訪。
が、痛恨の休廊日に訪ねてしまった。。。
迷子になりつつたどり着いただけに、ドアノブを握って鍵がかかってた瞬間呆然としました。。。
立ち直れずしばらく立ちすくんでると中から鍵が開く。
幸運にもその日客人があったのでたまたまオーナーのオザサさんがいらっしゃった模様。
特別に開けていただけました。本当に感謝です。
で、村上友晴展。
関西で彼の名前を知ってる人はあまりいないかもしれません。
今年で80歳になられて、今も制作を続けてらっしゃる大御所。
団体には所属せず、以前は西の村岡三郎、東の村上友晴と言われたとか。
そんな村岡さんも2013年に亡くなられ、この年代の作家で現役な稀有な存在。
美術館ではコレクションで数点見られたことのある人もいると思います。
実際先日の国立国際美術館のコレクション展にも一点出ていました。
しかし、彼の個展となると中々ないんですよね。
展覧会年表見ても、関西だと2011年の精華大学での展示以来。
美術館規模の個展となると1999年の名古屋市美術館での展示以来。
もっと取り上げられる作家だと切に思います。こんな若造が言うまでもないだろうけど。
と言うことで、彼の個展を見られるのはかなり貴重なのです。
僕が初めて見たのは学生の頃広島現美のコレクションだったと思います。
遠くから見るとただの黒い画面にしか見えないんだけど、近づいて見るとそれが黒い絵の具の集積だとわかります。
聞く話によれば一点にかける時間はなんと2年。
もはや「業」とも言える作業。
それからギャラリエアンドウの個展なども観に行きました。
今回久々にまとめて観て改めてすごい作品だなと思いました。
何がすごいって、まず今回の展示では、最新作と30年前の過去作が並んで展示されてるんだけど、全く違いがわからない笑
違いといえばキャンバスの張り方ぐらい。
画面は本当に違いがわからないのです。
一本の太い軸の通った作品に震えました。
そして何と言っても、画面の強さです。
いつまでも視線を外せない強さ。
それは画面の大きさなんかも全然関係がなくて、小作品も展示されてましたが、とにかく強い。
そして、今回初めて観ましたが、版画(?)の作品も同じ。
版画って言っちゃダメなんだけど、技法がオリジナルすぎてオザサさんも説明に困ってました笑
6点組の赤黒い作品で、画面は本当に小さい。
でもその極小の面積に込められた強さ。
作品数としては多くはなかったものの完全に打ちのめされてしまいました。
久々に作品を見て魂が震えた。
なんかこう言う強さって最近の作品にないなぁと。
リレーショナルアートとかネオコンセプチュアリズムとかリサーチ系とか、思考ゲームとしては楽しいんだけど、作品の強さはあまりないんですよね。。。
本当に行けてよかった。オザサさんありがとうございました。
更新してなかった間も色々見てたんですが。。。
せっかくなのでその間に観てきた展示を徒然に。(関西のみ)
キュレトリアル・スタディズ12: 泉/Fountain 1917-2017 @ 京都国立近代美術館
『見立てと想像力 ━ 千利休とマルセ ル・デュシャンへのオマージュ』展 @ 元淳風小学校
福岡道雄 つくらない彫刻家 @ 国立国際美術館
態度が形になるとき ―安齊重男による日本の70年代美術― @ 国立国際美術館
開館 40 周年記念展 「トラベラー:まだ見ぬ地を踏むために」 @ 国立国際美術館
ヤマガミユキヒロ:air scape / location hunting 2017 @ GALLERY PARC
今村遼佑「くちなしとジャスミンのあいだに」 @ ART SPACE NIJI
小枝繁昭‘Rika Syounen no Yume 2' @ アートゾーン神楽岡
BACK AND FORTH 柏原えつとむ展・想図「Sの迷宮」 @ galerie16
荻野夕奈+田中加織+チェ・ユンジョン FLOATING @ HRD FINE ART
tamaken / Emiko Tamai / odo 『星が運ぶ舟』 @ stardust
まず「泉」誕生100年記念の京都近美のシリーズと「見立てと想像力」
前者は5回に分かれててなんとか全部見ました。
それぞれ中々面白かったけど、コレクション展示の隅っこでやってるような小規模展示だったので、これまとめて一つの大きな展覧会にすれば面白かったのになぁと。
何部屋かに分かれて企画者がそれぞれ違うとか。
レディメイドが吊られてて影を見せるデュシャンのアトリエを再現した3回目が個人的によかった。
第2回の藤本さんの展示も、彼自身の展覧会みたくなってたけど贅沢でよかった。
第4回のべサン・ヒューズのリサーチノートはとても見切れないけど興味深い作品。
最後の毛利悠子の展示が一番わからなかったかな。。。
同じく泉記念で開催された「見立てと想像力」も中々よかった。
元小学校という背景に、日本人作家とフランス人作家が参加してたけど、見事に明暗分かれてた。
やっぱり日本の小学校の背景を体でわかってる日本人作家の作品が抜群に面白かった。
フランス人作家は無理やり場所に合わせようとしてる感じで無理があったなぁ。




国立国際美術館の三つの展示。
特に福岡道雄展は、10年来の知人である福元さんがキュレーションしたので個人的に感慨深い展示。
縁あって彼が学生インターンの時から知ってて、それからお世話になりっぱなし。
だったらブログで宣伝しろよと自分でも思ったけど、なんせ福岡さんの作品が個人的にあんまり。。。
彼の「作らない」という態度は同じ作家の端くれとして痛いほど共感できる。
でもそこから発生してくるものに対して全然共感できなかったのです。
奇しくも同時開催の安斎展のタイトル「態度が形になるとき」は1969年のハロルド・ゼーマンの展覧会タイトルからなんだけど、その言葉はむしろ福岡展に付せられるべきだったんじゃないのかなぁと。
安斎展は「行動が形になるとき」だったと思う。
安斎展の面白かったのは、写真が当時の作品や制作をリアルタイムに捉えてるだけに、二次物である写真こそが本物で、その前に並んでいたコレクションであるもの派の作品たちが偽物に見えてしまったこと。
確かに作品としては本物なんだけど、当時の空気を纏っている安斎さんの写真は二次的な要素を超えてた。
あと現在開催中のトラベラーはパフォーマンス作品をいくつか取り入れてるのがおもしろかった。
パフォーマンスはその時間に居合わせないと見られないものなので全体は捉えられないのだけど、なんかその「見逃す」っていう体験も面白いなぁと。
個人的にジェイ・チュン&キュウ・タケキ・マエダの新作とテリーサ・ハバード/アレクサンダー・ビルヒラーのジャコメッティの元愛人を巡る映像作品がよかった。
あとカーディフ・ミラーの作品はすごかった。一瞬見逃しかけるのでご注意を。5/6まで。
にしても最近の国立国際、キャプションが配布スタイルになって見難すぎる。
一々作品タイトル・作家と作品を紙見ながら確認するのは鑑賞のノイズでしかない。。。
あとは知り合いの展覧会をいくつか。
Gallery PARCは移転して一発目のヤマガミ展。
ビルの3フロアがギャラリーになっててびっくり。
個展でやるには作品数が半端ないので大変そう。。。
とはいえ贅沢な展示空間。さすが。
今村くんは名古屋の個展行ったら書きます。(行けるだろうか。。。)
小枝さんと柏原さんは僕の恩師。
小枝さんの作品ちゃんと生で見たの久々で感動しました。
柏原さんは過去のSの作品だけど、ほぼインスタレーションなので過去作と一概にいえない見応えのある展示。
久々にお会いできてよかった。柏原さんも今年で77歳。お元気です。
そして田中さんとtamakenさんは過去に一緒に海外で展示した仲。こちらも久々。
tamakenさんの舟たちはstardustという銀河で美しく航海していました。。。

アジア回廊 現代美術展 @二条城・京都芸術センター

正直特記することもないんだけど、せっかく行ったので書きます。
それにしても京都ってこういう現代美術展が全く根付きませんね。
数年前のパラソフィアもあれ一回きりなんでしょうか?
今回のこれもこれっきりだと思います。
そもそも京都は観光資源に恵まれすぎてて、あえて現代美術で打ち出す必要がないんですよね。
わざわざ二条城とか使っちゃってますけど、その辺の必然性が得られない。
その辺の街中とか原っぱとかでやった方がよっぽど面白いですよ。
そしてもう一つ。
これはまあ自分の確認不足もあったんですが、謎の盆栽展のために草間彌生と宮永愛子の展示が見られなかった!
会期中に他の展覧会とぶつかって、展覧会期間中にもかかわらず一部なくなっちゃうとか辛すぎ。
ぶつかっちゃうぐらいならそこにそもそも展示するなよと言いたい。お金返して欲しい。
そう、入城料と展覧会で1200円もするんですよ。
とまあ、文句ばかり言っちゃってますが、いい作品もありました、もちろん。
花岡さんと久門さんです。特に久門さんは毎度ほぼハズレなしですね。
花岡さんの作品はいつものぶっ飛んだ感じが場所柄もあってか静謐な感じになってて僕は好みでした。
久門さんのは空間贅沢に使わせてもらってて素晴らしかった。





そしてもう一会場は京都芸術センター。
こちらはもう楊福東狙い。これ見るだけでも大いなる価値。そしてこっちは無料。
映像48分もありますが、映像が美しすぎて何ループでも見てたいです。
一コマ一コマが一幅の絵画。
場所も畳の間でとても美しい調和。完璧。

後は茶室の今村源さんはさすがというかやっぱりすごい。
写真は撮れませんでしたが、茶室と作品の境目が見事に融合してました。
芸術センターはこの二作見るだけでも本当に価値があると思います。無料だし。
二条城の方は、個人的に二条城自体が好きなので、まあ二条城ついでくらいのノリならありです。
10月15日まで。こちら。
S-House Museum


丸亀途中に岡山寄るので前から気になりすぎてたS-House Museumへ。
岡山駅からバスと徒歩で約30分。想像以上に遠かった。。。
本当にこんなところに?という場所に本当にありました。
元々個人住宅だったこの建物。なんと設計は妹島和世!
奈義現代美術館の元学芸員である花房香さんが昨年開館させた個人美術館。
困難なアクセスの上に土日のみの開館というハードルの高さ。
しかしそのハードルを越えてでも行く価値がありました。
恐る恐るチャイムを鳴らすと館長自らお出迎え&ご説明。
まずはChim↑Pomの間。
有名なSUPER RATや震災の被災地で撮った気合の映像がお出迎え。


建物内部は箱の中に箱があるような構造で、周囲をぐるっと廊下が囲む。


引き戸を開けていくとそれぞれ部屋があって、それぞれ作品が展示されてます。
目「Distribution Works #2017」

伊東宣明「生きている/生きていない」

高田冬彦「Cambrian Explosion」

下道基行「漂う/泊まる」




毛利悠子「子供部屋のための嬉遊曲」


2階へ。

加藤泉「Untitled」


伊東宣明「預言者」

などなど。
現代美術好きならご覧いただいてわかるように、作家のラインナップが旬な作家ばかり押さえてます。
以前に観たことある作品もありますが、ここで展示されるとまた一味違います。
毎年少しずつ展示も変わってるそうです。
最後は奥様からお菓子とドリンクのサービス。至れり尽くせりです。
現代美術ファンなら一度は訪れてみるべき場所だと思います。難易度高めですが。。。こちら。
最後は記帳と投げ銭お忘れなく。
志賀理江子「ブラインドデート」@丸亀市猪熊弦一郎現代美術館

やっぱり気になって最終日ギリギリに行っちゃいました、丸亀。
はい、青春18きっぷです。いつになったらやめられるんだろうか。。。
志賀さんの個展は10年以上前にグラフでやってた「リリー」の展示以来。
以前から不気味な写真やなぁと思ってましたが、「螺旋海岸」で極地を極められたんじゃないかと。
写真集買いましたが本当にホラー。恐すぎてあまり見てません。。。
せんだいメディアテークの展示は行けませんでしたが、行った友達が
「鑑賞者とやたら目が合う」
って言ってて、どういうことなんだろうとずっと気になり続けてました。
そしてその視線の問題がいよいよ作品に現前化したのが今回の新作「ブラインドデート」。
タイでバイクタクシーに乗っていたら、バイクに乗ってるカップルと視線がやたら合うことをきっかけに100組以上のカップルを撮影した作品。
作品の詳しい説明はartscapeやPENの記事に詳しく書かれています。
で、展示なんですが、以下会場図面。

なんのこっちゃって感じですが、なんと21台ものスライドプロジェクターを使っています。
入ると会場は暗くて、スライドが回るカシャッって音が鳴り響いてます。
しかもこのスライドがついたり消えたりしてて、正直「見せる気あるのか?」とすら思えたり。。。
ブラインドって言葉を展示に活かしてるんだろうけど、ちょっとどうなの?って感じでした。
不気味感が凄すぎて作品に集中できない。させる気もないんだろうけど。
対照的に奥の空間(写真だと上の部分)では、今回のタイトルにもなってる「ブラインドデート」のプリントが一点一点小さな照明に照らされて展示されてて、これがものすごく良かった。
光が絞られていることによって、さらに写真の中の視線が強調されてて、写真から眼差されているのをひしひしと感じて、一瞬動けなくなります。
それだけ眼差しっていうのは強いんだなぁと実感。
静止した写真というメディア性と彼女たちの無表情がさらに何も読み取れないもどかしさを誘発しています。
「目は言葉以上に語る」と言いますが、写真になるとこれだけ語らなくなるのは面白い発見。
今までの志賀さんの作品って、抽象的な恐さがあったんだけど、今回の作品では眼差しという具体的な対象があって、さらにその視線がこっちを向いているという恐さがとても新鮮でした。
とてもとても強い作品。素晴らしかったです。
それだけにプロジェクターの展示が残念。
もうこの「ブラインドデート」だけに絞って展示しちゃっても良かったと思います。
なんにせよそれだけ力のある作品でした。
最後の通路には志賀さんの手記や、弔いをテーマにしたアンケートなどが壁にびっしり書かれていましたが、ちょっと死や生のテーマに縛られすぎてる感じがしました。まあ、それが彼女の制作を突き動かすモチベーションなのかもしれませんが。
写真集欲しかったけど8640円は高い。。。
来年に発売されるというカタログだけ予約して帰りました。にしても遅いな。。。
O JUN x 棚田康司「鬩(せめぐ)」展 @ 伊丹市美術館 / ミヤギフトシ「How Many Nights」@ギャラリー小柳

最近観て素晴らしかった東西の展示を二つご紹介。
まずは兵庫の伊丹市美術館で開催中のO JUN x 棚田康司「鬩(せめぐ)」展。
正直二人展ってとってつけたようなのが多くて苦手やし、そもそもこの二人もそこまで好きじゃない(汗)
ですが、なんとなく行ってみたらものすごく良かった!
ここまで究極な二人展って観たことないです。
二人とも人物をモデルにすることが多いとか、いろんな共通点は見つけようと思えば見つけられるけど、そこを越えて驚くほど個と個を隔てる境界線が融解していました。
展覧会タイトルは鬩ぐ(誰が読めんねん)ですが、そこから連想される反発のようなものはなくて、かと言って調和のような生ぬるいものじゃない。緊張感は担保しながらも、作品たちが勝手に遊んでる感じ。
なんだかうまく表現できないんだけど、どの展示室も物凄く心地よくていつまでも居たい感覚。
こういう感覚って、二人展だと中々生み出せないんですよね。なんだか対峙する感じが出ちゃって。
仲良しこよしというわけでもない、この絶妙な緊張感が本当にたまらなく愛おしかった。
特にO JUNの「遊園」シリーズと棚田康司の「初年少女のトルソ」が一緒に展示されてる部屋はすごい。
だって、絵の上に彫刻乗っちゃってるんですよ?しかも他人同士の。こんな展示見たことない。
それ以外にも壁にかかった絵に寄り添うように彫刻が置かれていたり、もう縦横無尽な展示室。
展覧会中のテキストにも「自己」とか「他者」とかいう言葉が頻出しますが、完全に越えちゃってる。
確かに二人の作品はそれぞれ強烈な個性を持ち合わせています。
しかし、そんなオリジナリティーだの個性だのいう言葉が陳腐になるぐらい、二人の作品は自由。
アートはこれらの言葉にあまりに縛られていると思う。
誰かに似ているとか、模倣だとか、パクリとか、それでも成立する世界の豊かさを僕は見てみたい。
この豊かさは、2月に聞いた蔵谷美香さんのトークや、イヴ=アラン・ボアが企画した「マチスとピカソ」展でも展開されてる通り。
その実証がこの展覧会にはあふれています。
さらに、二人の子供時代をお互いが作品にしあったり、6日間の合宿で同じモデルを使って制作したり、さらに美術館で一緒に公開制作までしちゃってる。(行った時は棚田さんが制作中でした。木っ端一ついただきました。)
この展覧会、本当にすごいです。ここまでのエネルギーを感じられる展覧会は近年稀。
企画されたキュレーターさんとお二方には感服。あと広報のアートディレクションもいい。
こういう展覧会が地方の美術館でやってるのはすごいことだと思います。
8/27までなので是非!こちら。
これに加藤泉さんとかが加わっても面白そうとか勝手に妄想しちゃってます。
そしてもう一つが東京の小柳でやってるミヤギフトシ展。
ミヤギさんが小柳かぁという感慨もありますが、そんなことより作品が本当に素晴らしい。
メインは戦前から戦後を生きた女性たちの物語で、38分の映像。
38分かぁと思って見始めたら止まらなかった。
映像作品って5分越えると大体はキツイです。
ただ、5分じっと観られたら大体は最後まで観られる気がする。
ミヤギさんの作品は、ストーリーもそうなんだけど、やはり映像の力が圧倒的に強い。
どこまでが本当でどこまでがフィクションなのか全くわからないんだけど、そんなことは瑣末なこと。
それよりも目に入ってくる映像と耳に入ってくるナレーションが心地よすぎて困った。
映像に付随する展示品も、作品というより資料みたいな趣でとても興味深かった。
8/30まで。こちら。
上映スケジュールが載ってるので時間合わせていくのが吉。

ライアン・ガンダー ―この翼は飛ぶためのものではない @ 国立国際美術館

2017年も半分過ぎ、気づいたらアートの記事今年に入って一つも書いてないのに気づいた!
観てないわけじゃないんだけど、書きたいっていう情熱が前ほど湧かないのが問題。
実際今年に入って観た展覧会を書き出してみました。何個か抜けてるとは思うけど大体こんな感じ。
以前よりかは減ったけどどうなんでしょう。
2月
「この世界の在り方」@芦屋市立美術博物館
越野潤「Beyond Time」@Galerie Ashiya Schule
写真家片山攝三 肖像写真の軌跡@福岡県立美術館
アート横断V 創造のエコロジー@福岡アジア美術館
3月
PSMG@中津界隈
竹之内祐幸「Things will get better over time」@STUDIO STAFF ONLY
山岡敏明展@Gallery PARC
石田竜一「草に沖に」@アンダースロー
4月
半田真規「トーキョーパレス」@statements
Subjective Photography vol.2 大藤薫@スタジオ35分
新宮晋の宇宙船@兵庫県立美術館
KYOTO GRAPHIE@京都市内各所
堤加奈恵「Forest of gretel」@同時代ギャラリー
キュレトリアル・スタディズ12: 泉/Fountain 1917-2017 Case 1@京都国立近代美術館
5月
草間彌生「わが永遠の魂」@国立新美術館
ライアン・ガンダー ―この翼は飛ぶためのものではない @ 国立国際美術館
6月
キュレトリアル・スタディズ12: 泉/Fountain 1917-2017 Case 2@京都国立近代美術館
田中真吾「Phantom Edge」@Gallery PARC
黒宮菜菜・二藤健人・若木くるみ「のっぴきならない遊動」@京都芸術センター
エレナ・トゥタッチコワ「With My Dinosaurs」@クマグスク
ほとんど知合いの作家とかキュレーターの企画とか気になるスペースってことで回ってます。
そんな中でも白眉はやっぱり表題にもなってる国立国際のライアン・ガンダー展。
今年度で唯一楽しみにしてた企画だったけど、やはり期待は裏切らない。
というか、国立の美術館がガンダーを取り上げる日が来るなんてという感慨がすごい。
そして、いつもならB2でやって、その下でブロックバスターな展覧会を開催するところを今回は全館ガンダーに開放。
B3ではこれまでの作品がズラーーッと並んでて壮観。
とはいえ一つ一つ丁寧に見ていったところでわけわかんないものばっかり笑
とりあえず先にガンダーの似非ドキュメンタリーを見てから展示を観るのがおすすめ。
にしてもこんなわけわかんないもん作ってて、スタッフたくさん雇ってるというのはやっぱりすごい。
将来無償のアートスクールまで作っちゃうそうです。
展示室に行くと、全体のこのわけわからなさに浸る気持ち良さというか、重力からの解放というか。
世界は「わけのわかる」ものとして捉えようと皆躍起になってるけど、あ、わからなくていいんだという解放感。
なんか救いにも似た崇高な気持ちにすらなった展示でした。
そしてその上ではガンダーがキュレーションした国立国際のコレクション展。
似た者同士を合わせるっていうシンプルなコンセプトやったけど、これまで観たことのない組み合わせで楽しかった。
草間彌生と高松次郎が一緒に展示されてるなんてっていう新鮮さとか。
このキュレーションもガンダーの作品になってて、トータルでとても楽しめます。
コアな現代美術ファンは必見の展覧会。7月4日まで。こちら。
なんだかんだでこの辺の作家日本の美術館でも取り上げられてきましたね。
マーティン・クリード、サイモン・スターリング、サイモン・フジワラ、リクリット・ティラバーニャ
あとは岡山芸術交流も企画したリアム・ギリックとか。個人的にはピエール・ユイグが一番観たい。
他は初めてちゃんと観た「KYOTO GRAPHIE」が良かった。
と言っても観たのはヤン・カレンとメープルソープとTOILET PAPERの3つだけだけど。
ヤン・カレンの展示されてる無名舎ってのがまたすごくて、有形文化財指定建造物。
そしてそれに負けないくらいヤン・カレンの写真が良かった。
和紙に刷られた黒がものすごく美しくてうっとり。どうやってプリントしてるんやろ。
展示もスマートで建物とともに楽しめました。台所とかすごい。
メープルソープは90点以上展示されててすごかった。なかなかこんな機会ないと思う。
TOILET PAPERはアホらしくてまあ楽しめました笑
あと兵庫県美の新宮晋展も良かった。
あんな野外の作品どう展示するのかしらと思ってたけど、一室一室ものすごく贅沢に使ってて見応えがあった。
僕は彼の講演を聞いて美術の道に進んだので、感慨深い展示でした。
知り合いでは中津のパンタロンでやってた森太三さんとパルクの山岡敏明さんの展示が良かった。
これまでやってきたことが見事に結実してる感じで、通観して観てきた甲斐があったなぁとしみじみ。
こないだ観たパルクの田中真吾もここ最近の展示では一番良かったと思う。
直接知り合いではないけど前から観てた黒宮菜菜さんたちの芸センのグループ展も良かった。
あとは京都近美のデュシャン泉百周年企画ですね。
この美術館、デュシャン作品のレプリカ散々持っておきながら中々展示しないんですよね。
常設の小さなコーナーですが、泉百歳のお祝い事ってことで第5弾まで全部見ていきたいと思ってます。
とはいえ、第一弾でほぼ全てと言っていいぐらいの代表作を展示しちゃってたけど続くのかしら笑
第二弾は藤本由紀夫さんがキュレーションしてて、半分彼の作品でした笑
今後どう展開して行くのか楽しみです。




今後気になるのは丸亀の志賀理江子展と広島のモナ・ハトゥーム展やけどそこまで行く情熱が・・・。
東京は特にないので、行った時になんかやってたらって感じかなぁ。ジャコメッティは行くかもやけど。
キュレータートーク 蔵屋美香 @ 京都芸術センター講堂
本当は別の記事を用意してましたが先にこちらを。
金曜日に京都芸術センターで開催されたHAPS主催のトークがあまりに面白かったので。
このトークは「Can curatorial attitudes become form?」と題された、キュレーターを招いてトークしてもらうイベントの第七回で、過去には長谷川祐子さんや建畠晢さん、南條史生さんなど錚々たるメンバーがゲストとして来ています。(アーカイブはこちら)
今回は東京国立近代美術館の蔵屋美香さんをゲストに招いてのトークです。
これまでは一人の作家を挙げて、キュレーターと作家との関係が語られてきましたが、今回は違いました。
タイトルが、「”アーティスト”という縦軸よりも、”一見関係さなそうな作品同士のつながり”という横軸に萌えるんですけど、こういうのってどうなんですかね」という長くてゆるいタイトルがついてました笑
これは、HAPSディレクターの遠藤水城さんとのメールのやり取りの中のテキストそのままタイトルになったそうで、要は一人の作家論では語れないということでした。
蔵屋さんは女子美術大学の油画専攻出身で、元々作り手だったそうです。
その後一度就職し、千葉大学の美術史の大学院を出て、今の東京近美に就職したんだとか。
彼女のキャリアの中で、元々作り手だったというのがすごく大きくて、おかげで作家のことを特別視しなくて済んだと彼女は言います。
今回の話も好きな作家で話すとなると、マンテーニャかセザンヌかマティスになってしまうし、いつも作家単体ではなく美術史的に縦軸横軸で俯瞰しているので、作家論は語れないということでこういうタイトルになってしまったとのこと。
こういう視点って、蔵屋さんが現代美術館じゃなくて、明治から現代まで扱う東京近美で働いてるのも大きいんでしょうね。
ざっくり前半は日本近代美術、後半は日本現代美術と分かれていました。
現代美術の話を聞きに来てくれた人にはつまらないかもしれませんが、と話し始めた前半のお話がとてつもなくスリリングなお話でとても興奮しました。
まずロラン・バルトの「作者の死」というテキストが挙げられます。
これは「物語の構造分析」という本の中に所収されてる文学についての短いエッセイですが、作品は完全に作者のものではなく、読者によっても作られるものだということが書かれています。
これはすべてのクリエーションに当てはまっているものだと思います。
つまり、作家は絶対じゃないということ。
次に、日本近代洋画の小出楢重の「裸女結髪」という作品の画像が挙げられます。
さらに続いてマティスの「髪結い」という作品、、、
あれ、どう見ても構図も画題もほぼ一緒!
他にも青木繁とNicolas Régnierの絵や、熊谷守一と、、、(熊谷さんに関しては今年末に開催される蔵屋さんキュレーションの展覧会のカタログに書かれるそうなのでここでは伏せます。にしてもすごい説だったなー)
つまり、作家のオリジナリティにはどこかに裏があるということ。
こんなこと言っちゃって大丈夫なのか?って思うような内容ですが、実はこうして類似作品と改めて比べ、さらにその中にある差異を探ることで、その作家が何をしたかったかが垣間見えてくるということを蔵屋さんは主張していました。
これまで、研究者は、他の畑のことは全く不介入で、まさか小出とマティスが繋がってるなんて夢にも考えていなかったとのこと。(このことは実際蔵屋さんが2011年に発見されるまで誰も見つけてこなかったそう)
それは作家を神格化することの功罪で、そこから零れ落ちてるものがあまりに多いと蔵屋さんは言います。
この態度にはものすごく共鳴しました。
これは決して粗探しや重箱の隅をつつくみたいなことではなくて、そこから見える世界があまりに広いということです。
実際2014年にポンピドゥーセンターで開催された、デュシャン展はそのことを強く証明した素晴らしい展覧会でしたし、イヴ=アラン・ボアの「ピカソとマチス」も同じ画題を描いてもこれだけ豊かな広がりがあるということを教えてくれています。
蔵屋さんは、こういう類似をいくつもいくつも発見していて、それはインターネットでいくつもの画像を簡単に検索できる時代にいるからこそと言います。
アンドレ・マルローやアビ・ヴァールブルクがやろうとしていた空想の美術館が、今やパソコンやスマホのネット環境によって展開されているのです。
続いて後半は現代美術。
前半は作家や作品同士の繋がり、つまり横軸だったのに関して、後半は時代のつながり、つまり縦軸について。
何と言っても蔵屋さんの最近の大きな仕事といえば、2013年に田中功起さんと組んだヴェニス・ビエンナーレ日本館。
この企画の前にも同じタッグで取り組んだ案として、田中功起と高松次郎の作品を一緒に展示するという案があったそうですが、こちらは結果として落選しました。
その後改めて挑んだ時には2011年の震災のあとで、田中さんが以前からやっていた「協働」というテーマで取り組んだのがこのヴェニスのプロジェクトでした。
展示当初は、「協働」することの豊かさのようなものが国内はもとより、世界的にも確かにあったのが、展示期間中のわずか半年かそこらで世界の空気は変わってしまい、結局みんなで協力してたらいつまでたってもどこにもたどり着けず、むしろ一人の強力なリーダーがいた方がもっと潤滑に進むんじゃないの?という風になってしまったそうです。
日本館のメッセージも観客は「協働することの豊かさ」から「協働の限界」を見るようになってしまいました。
しかしこういう空気の流れは全く新しいものではなく、振り返ると1923年の関東大震災後にも起こっていたことに蔵屋さんは気がつきます。
そこで彼女がキュレーションしたのが「何かがおこってるⅡ:1923、1945、そして」という、東京近美のコレクションを使った常設展でした。
関東大震災以降、クリエーターたちも自分たちにもできることをといろんな取り組みを行ったそうですが、その後分裂し、1925年には治安維持法が施行され、1940年には東京オリンピック決定、そして戦争という流れ。
あれ?これってどこかで実際に体験してるような。そう、まさに3.11以降の流れとほぼ被ってるのです。
まあ、戦争になってしまうのかは別として世界の空気は今相当悪いです。
この「歴史は繰り返される」という真理の中から、今の作品の価値ももしかしたら透けて見えるのではないかと蔵屋さんは考えます。
美術館としては、作品をコレクションする時に、その作品が50年後、100年後にも価値を放っているのかということを考えなければなりません。
そこでヒントとなるのが歴史です。
東京近美が開館して60年強。その間に価値がほぼなくなって倉庫で眠ってる作品もあれば、改めて価値を見出される作品もあります。
未来はもちろん読めませんが、過去から類推していくことはかなり大きなヒントなのかもしれません。
また、コレクションに関して、最近赤瀬川原平の作品を収蔵した時の話が面白かったです。
これまで同じハイレッドセンターの中西夏之と高松次郎の作品は1970年代にはコレクションされていたのに、なぜか赤瀬川原平の作品がなかったそう。
しかし改めて彼の作品は日本の戦後美術史にとっては最重要な存在。
そこで彼の作品、例えば彼の印刷されたイラストのガリ版などをコレクションすると、これは一体どこの分類に属するのかを協議していかないといけない。
これは一体版画作品なのか、それともやはり印刷物なのか。
そうすると他のコレクションの位置も改めて再考していかなければならない。
こういう流動性がコレクションにはあるという話を最後にされていました。
あと、椹木野衣さんの「悪い場所」についても少し。
蔵屋さんは、日本は今や決して「悪い場所」じゃないと言います。
むしろ、前述の論考が発表された90年代当時から、「いい場所」なんて、マンハッタンのソーホーの2km圏内でしかなかったし、その時代時代で、ほとんどが「悪い場所」になってしまう。
それが今やアートシーンはそこまで局所化していなくて、世界のあちらこちらで優秀な作家が育っている。
「いい場所」「悪い場所」の二元論で簡単にくぎれる時代ではなくなってきているという話も出ました。
他にも色々お話されていたと思いますが、記憶とメモの限界はここまで。
また何か思い出したら追記するかも。
本当に面白いお話でした。
岡山芸術交流2016「開発」@ 岡山市内

岡山芸術交流に行ってきました。
今や各地で開催されまくってる国際展に正直もう辟易してますが、この岡山の芸術祭は他と一線を画すものとして外せませんでした。
というのもアーティストディレクターがリアム・ギリックで、出品作家が「今」を代表する作家ばかり!所謂リレーショナルアートと言われる潮流の渦中の作家をこれだけ集中して観られる機会はそうありません。しかも国内で。
当日は晴れ。さすが「晴れの国」岡山。
以下作品の写真をざっくり。
Pierre Hyughe「Zoodram 4」

Pierre Hyughe「Untitled (Human Mask)」

Pierre Hyughe「Untitled」

Rikrit Tiravanija「untitled 2016 (this is A/this is not A/this is both A and not-A/this is neither A nor not-A)」

Ryan Gander「Because Editorial is Costly」


Simon Fujiwara「Joanne」

眞島竜男「281」

荒木悠「WRONG REVISION」


Jose Leon Carrillo「Place occupied by zero (Okayama PANTONE 072,178,3245)

Liam Gillick「Development」

Peter Fischli David Weiss「Untitled (Mobile)」

まずは林原美術館でユイグの「Untitled (Human Mask)」が観れたのはとても嬉しかった。
彼の作品はここで3点展示されてるけれど、どれも人類の文明の醒めた目を感じられる知的な作品群。
特に上記の作品は、無人と化した福島の被曝エリアを撮ったもので、とても鮮烈。
今東京のヴィトンでもユイグの展覧会がやってるから是非観に行きたい。
そして、岡山城下のティラバーニャの茶室。茶会に出てみたかった。
この展覧会唯一と言ってもいいぐらいフォトジェニックだったのがガンダー。
駐車場を破壊して作られたこのインスタレーションのインパクトはすごかった。
よくぞここまでやらせたなぁって感じ。
落下した隕石のようなものは、デ・スティルのジョルジュ・ヴァントンゲルローの作品を元に作られてるらしく、20世紀初頭の作品が時空を超えて岡山に落ちて来たという設定らしい笑
岡山県天神山文化プラザのサイモン・フジワラは、自身の高校時代の女教師を元に制作されたもの。
彼女が新たな自分を築き上げる過程を写真と映像、SNSをも駆使しながら展開。フジワラらしい作品。
そして眞島竜男は今回最も岡山を意識した作品。
駅前にある桃太郎像と1962年に開催された岡山国体時に制作されたというトーテムポールの関係を、粘土の彫刻で現し、その制作過程を映像で見せながら、桃太郎伝説の推移を徹底したリサーチの下で語るという作品。これは結構記憶に残る名作だったと思います。友人曰く「桃太郎が嫌いになった」とのこと笑
今回のメイン会場は旧後楽園天神校舎跡地。会場前にはプルーヴェの学校も。
ここにはディレクターでもあるギリックの作品や、下道さんの「境界」を意識した作品など、印象に残る作品が目白押しですが、その中でも荒木悠の作品は新鮮でした。
荒木さんの作品は横浜美術館で見たけれど、その時はピンとこなかったのが、今回すごく腑に落ちた感じ。
タコにまつわるお話だけれど、それがどこまでが本当でどこからが嘘なのかがわからない。
その曖昧さがとっても美しかった。
タコの干し方がキリストの磔刑に似てるってのは面白かった。
これは中々他の場所で発表しにくいかもしれないけど、とてもいい作品だと思いました。
あとはオリエント美術館のフィシュリヴァイスは相変わらずゆるくてよかった。
ざっくり内容はこんな感じ。
結論を言うと、この芸術祭はとても良かったと言わざるをえません。
大絶賛とまでは言いませんが、いくつかの点で賛辞を送るべき箇所がありました。
まずは規模です。
中には1時間を超える映像作品なんかもありますが、テキトーに端折って観れば1日で十分楽しめます。
実際ジョーン・ジョナスの80分を超える映像や、ドミニク・ゴンザレス=フォースターの映像プログラムなんかは飛ばしちゃいました、すいません。
それでもいつもは端折っちゃうような映像群も僕としては丁寧に観られたし、朝から回って夕方までには観終わることができました。
全てが徒歩圏内にありながら、お城から美術館まで様々な場所を見られるのも良かった。
自分の父が岡山出身なので、岡山は何度も来ていたものの、ここまで丁寧に歩いたことはなかったんですよね。
時間あれば後楽園もと思いましたが、さすがにその余裕はなかった。
今回の国際展には、クロスカンパニーの石原康晴氏の尽力が大きかったでしょう。
彼は現代美術の大コレクターで、今後岡山に私立の現代美術館も建てる計画もあるそうな。
(以前京都で見たケントリッジの巨大インスタレーションも彼の持ち物)
岡山は何気に日本初の美術館を立上げた大原孫三郎氏や、ベネッセの福武總一郎氏など、美術のパトロンとも言える人々の系譜が連綿としてあり、石原氏は次世代にあたります。
今後この岡山芸術交流も存続するのか気になるところですね。
次にキュレーション。
これはギリックの手腕に驚かされました。
「development」という主題は正直よくわからなかったんですが、それでもこれだけ年齢も国籍も様々(25歳から80歳、16カ国)な作家たちを集めて、多様でありながら、一つにうまくまとまっていました。
ほとんどがフォトジェニックな作品ではなく、観客が能動的に考えなければならないので、現代美術初心者には結構難しいかもしれませんが、ファンとしては考えさせられる知的なゲームを本気で楽しむことができました。
そして何と言っても作品のクオリティが高い。
過去の作品ではなく新作が多いというのも見応えがある理由の一つですね。
ギリックはキュレーションはこれで最後と言ってますがもったいないです。
実際キュレーターをやってみて、彼らがどうしてあんなにクレイジーなのかがわかったそうです笑
僕が今回の作家たちに共通して好感を持てたのは、ギリックもインタビューで言ってますが、所謂「自己表現」に終わってない点です。(ギリックの表現で言えば、「一般的な意味での自己というのを作品の前面に押し出すような作家は一切いません」)
みんな自己の向こう側にあるさらに大きな世界に言及した作品が多かったように思えます。
サイモン・フジワラや下道さんのように、自分は入ってるんだけど、決して内向きの自己に向かってない。
その先の新しい地平に向けて、意識を投げてる姿がとてもいいです。
そして、無理をして地域性に焦点を当ててないところ。
ここは微妙なところで、当てなさすぎても「ここでやる意味」が消えちゃうので、そこはバランスよく、例えば眞島さんの桃太郎の作品を入れるなどして、とてもいいバランスでした。
ここ最近の「地域アート」は、どうしても地域に迎合しちゃうところがあるので、そことは違いましたね。
ギリックは実際作家たちに岡山という都市に反応してくれとは一切言わず、普通に来て普通に作品を作ってください、という頼み方をしたそうです。
ギリックはここ数年の作品にまとわりつく「リサーチ」という言葉が免罪符になっているんじゃないかという疑問を持っています。リサーチと言えばちゃんと考えられた作品と見てくれる。でもその「リサーチ」を客観的に精査する人はいない。そういうのって確かにそうだよなぁと思いますね。
ギリックはイギリスのYBA世代ど真ん中にいる作家なのに、そこに回収されず、常に批評的な目を持ってやってきたとてもクレバーな作家なんだなぁと、この展覧会で改めて思い知らされました。
ちなみに冒頭の岡山駅に掲げられた大看板もギリックの作品。
タイトルは「From Yu to You」。
出品作家が羅列されてますが、最初が荒木悠のYuで、最後が観客のYouです。
どうしてメインビジュアルが目なのかという問いにギリックは答えています。
「日本と「目」の関係は深いように思います。私が15年前に初めて来日したとき、他の経験と比べて、日本にはとても独特の視線のかわし方があると感じました。これは今まで体験したことのない風習でした。」
日本人にとってはよくわからないけれど、目配せの仕方は確かにあるかもしれません。
いろんなことに改めて気付かせてくれる、濃密な展覧会でした。11月27日まで。こちら。
薬師川千晴「絵画に捧げる引力」@Gallery PARC

もう終わってしまったけれど、Gallery PARCでやってた薬師川千晴展がものすごくよかった。
彼女は精華大学の後輩にあたるんだけど、学年的にかぶった時期はなく、とはいえいろんな機会で縁があって、近年の彼女の仕事は興味深く見ていました。
彼女は昨年僕もキュレーションで参加したGallery PARCのコンペ入選者3組のうちの一人で、彼女としてはそれが初個展。それからこの夏京都芸術センターで開催されたグループ展「ハイパートニック・エイジ」にも参加。今回の展覧会は、彼女としては2度目の個展。
彼女の作品の魅力の一つは、作品が持ってる「重さ」だと思う。
作品と言わず、この際「絵画」と言い切ってしまった方がいいかもしれない。
彼女は絵画という最も古い美術のメディアに圧倒的な危機感を負って制作している。
それは今回の彼女のステートメントの冒頭にも顕れている。
「あらゆるものから質量が失われつつあるこの世界で、今、絵画を通して、質量ある物質特有の〝引力〟という力について考えてみる。」
しかし、これだけ「絵画」というものにこだわりながら、彼女の絵画は所謂絵画と聞いて思い浮かべるものとは一線を画している。
確かに壁にかかってはいるものの、矩形の形をしたものはほとんどない。
さらに言うと、彼女の制作には筆が一切介入していない。
彼女はデカルコマニーという、オートマティズムの手法で像と形を生み出している。
デカルコマニーという手法自体は、シュールレアリズムあたりから発明されたもので、それ自体近代の産物ではあるものの、この筆の不在は、どこか原始的なものを感じる。
さらに彼女の「絵画」には自分で土を混ぜたテンペラ技法を使用したり、火で炙ったりと画面の中に様々な要素が介入している。
まるで絵画の起源に還るかのような仕事である。
彼女の持つこの絵画に対する熱情は、画面から痛いほど伝わって来る。
ただ、共有するにはあまりにも重過ぎる感も否めない。
観客にもこの重さを共有してもらおうという一方的なパラノイアを感じてしまって、観客は息苦しさすら感じてしまう。
特に去年の同ギャラリーの個展に出してた、作品に矢が刺さった作品なんかは、状態としての気持ちよさはあるんだけど、儀式的な要素として観客との間に一つの壁を作っていたように思う。
矢は刺さってはいなかったものの、夏の芸術センターの作品も息苦しさは拭えなかった。
それが今回、全くの新作を発表していて、これまでの作品になかった「軽さ」に驚いてしまった。
芸術センターからそんなに日も経っていないので、てっきり以前のような作品が並んでいると思っていたら、階段の横から始まる新作群に戸惑いを隠せなかった。
しかしその戸惑いはいよいよ悦びに代わる。目から入ってくる情報が至福。
今回の新作はこれまで同様デカルコマニーで制作されているものの、これまでと違って支持体が紙。
紙で制作することによってもたらされた効果は何といっても柔らかさである。
これまで支持体には木を使っていたのだけど、何ともいえない「硬さ」があった。
これが余計観るものに対する圧迫感や息苦しさを与えていた感は否めない。
しかし今回の新作群はこれまでには見られなかった柔らかさが存在している。
新作群のうち多数を占める、「絵具の引力」は、まるで標本で見る蝶のような形をしている。
彼女から直接話を聞くと、これまで同様デカルコマニーで制作してはいるものの、その「閉じて開く」というプロセスごと見せられないかという発想に至り、開いた本の状態から着想を得、今回のような形になったそう。
これが本当に美しくて思わず見入ってしまう。
作家には「色の作家」と「形の作家」がいる。分かりやすい例ではマティスとピカソ。
としたら彼女は圧倒的に前者である。
以前カプーアの考察でも書いたけれど、色と聞いて思い出すのが、大学の恩師が言っていた「絵描き殺すにゃ刃物はいらぬ。色をけなせばそれでいい」という言葉。 (元は「大工殺すにゃ刃物はいらぬ。雨の三日も降ればいい」)
色っていうのは何と言ってもセンス。努力ではほとんど身につかない。残念ながら。
この色のセンスを彼女は憎たらしいほど持っていて、それが遺憾なく発揮されてる。
今回の作品群は、極彩色とも言える複数の色を使用していて、ともすればケバケバしくなるところを絶妙に抑えている。
どの作品も見ていて本当に気持ちが良かった。
現代の作家で、これだけ大胆に色を使いこなせる作家はめずらしい。
色を使っても、ほとんどが単色モノクローム。精々くすんだような色味。
以前ロンドンのバービカンで「COLOUR AFTER KLEIN」という展覧会があって、タイトル通り、現代美術におけるイヴ・クライン以降の色の表現を集めた素晴らしい展覧会があったのだけど、そこに出ていた作家も今思えばほとんどが単色だった気がする。
色だけでなく、「一対の絵画碑」という作品群は形にも挑戦している。
今までと違って、オリジナルは矩形の紙ではあるものの、それを弛ませることで生まれる独特の浮遊感が面白い。
ただしこちらはまだ発展途上のように思えた。
それだけにまだこの人にはのびしろがあるのかという将来の楽しみにつながった。
あと全体の作品のサイズが良かった。
これまでの作品って大きすぎたり小さすぎたり、中々絶妙なサイズに辿り着けてない感があったんだけど、今回のは小さいものでも十分周囲の空気を震わすことができてたと思う。
いい作品というのは、空間が鳴るというか、空気が振動しているように感じる。
逆に作品だけで完結していると、空間が全く鳴らない。
ああ、いい展示やなぁと感じるのは、もう作品見る前に会場入った段階でこの空気の鳴りでわかる。
今までの彼女の作品ってやっぱり作品が閉じてるように思えたのが、今回は一気に開放された感がある。
彼女の負っている絵画への重さは失わず、同時にその引力に束縛されない強さを持った作品が見られて本当にいい展覧会だったと思う。
ちょっと褒めすぎかもしれませんが、後輩云々抜きで、これからも楽しみな作家です。
最後に彼女の今回のステートメントも美しかったので勝手に引用させてもらいます。
「そもそも、人はなぜ祈る際、手を合わせるのだろう。思うに、手を合わせる事により、人は〝何も持てなくなる〟事が重要なのではないだろうか。それはつまり、何かを抱える手段である手を天へ差し出し、物質世界とは離れた位置から〝祈り〟という非物質的な行為へと移行する、ある種の儀式のようなものなのだろう。
そして、1つに合わさった手をひらくと、そこには右手と左手が現れる。つなぎ合う力を〝両者〟に分かれさせることで、双方の関係が生じ、そこには、ものとものとの間に生じる引力が生まれる。つまり、引力とは物質単体では存在し得ない、ものとものとの関係性にのみ生じる〝互い〟の力なのだろう。
私は、この質量ある物質にそなわる互いに求め合う引力を作品に託す。そして、この絵具の紡ぐかすかな引力を絵画へと捧げようと思う。」





堂島リバービエンナーレ2015

スイスから帰国し早一ヶ月強。
その間に観た中でダントツおもしろかったのがこの堂島リバービエンナーレ。
4回目となる今回ですが、毎度毎度感心するぐらい同じクオリティでおもしろくない(爆)
とはいえ地元なので、まあ見とくかみたいな低いテンションで毎度臨むのですが今回は違った!
今回のキュレーターはイギリスのトム・トレバー氏。
国内のビエンナーレトリエンナーレでは珍しく、このビエンナーレは前回に引き続きキュレーターが海外から。
このキュレーションがものすごかった。
あのどうしようもない会場がここまでおもしろくなるなんて。魔法でした。
タイトルも「Take Me To The River」とかだし、まあおもしろくないだろうと勝手に思い込んで、いきなり入った大会場の池田亮司がまずやばかった。(上写真)
いつもこの大会場の使い方が見本市みたいにただただ作品が並んでるだけでおもしろくないのに、今回は池田亮司一人に贅沢に使わせたのが大成功でしたね。凄まじい音と光のスペクタクル。正直池田さんいろんなところで観過ぎてて食傷気味だったけど今回は素晴らしかった。
他にも一階では、「流れ」といえばと言わんばかりにPLAYのドキュメンタリーがあったり、下道基行の沖縄に流れ着いた漂流物をテーマにした作品があったりと、キュレーションにブレがなくていい感じ。


さらに今回はいつも使われてないバックヤードもふんだんに使われていて、迷路みたいで楽しかった。
照屋勇賢のマクドナルドの袋の作品からのSuperflexのマクドナルドの洪水の映像の「流れ」も絶妙。


島袋道浩のゆるい「流れ」る作品も、堂島川を借景にして美しかったし、今旬なサイモン・フジワラやHito Steyerlをも押さえていて、現代美術の「流れ」もしっかり捕らえている。



ヒトの映像にもある、経済の「流れ」も、いくつかの作品にしっかりと押さえられているし、あらゆる「流れ」を徹底的に意識したキュレーションは本当に見事でした。国内の展覧会で久々に感動しました。
惜しむらくは4階の展示。あそこは毎回他会場から離れているので、展覧会の緊張感が切れてしまってどうしても難しい。今回大会場の使い方みたいに、思い切ってあの会場なしとかできなかったんだろうか。
それでもそこで出ていたVermeir & Heiremansの経済に関する映像は興味深かったです。
いやはや完全になめてました。
今週末までですが、圧倒的にお勧め。こちら。
ちなみに近くの国立国際美術館では「他人の時間」展とティルマンス展が開催中。
「他人の時間」は結構期待していたのだけど、ただアジアの作家を紹介する展覧会みたいになってしまっていて残念だった。その中では加藤翼の作品が圧倒的だったように思います。
ティルマンスはほぼ流し見。相変わらず遊泳するみたいな感じで気持ち良い展示。「真実研究所」の日本バージョンが観られたのはよかった。あと日本のデモの写真も撮っていたのはハッとさせられた。
両展とも9月23日まで。こちら。
第9回ヒロシマ賞受賞記念 ドリス・サルセド展@広島市現代美術館

「あの日」から今日でちょうど69年が経ちました。
今日の広島は雨。この日に雨が降ったのは43年ぶりだそうです。
確かに毎年式典をテレビで見てますが、カンカン照りで蝉がガンガン鳴いてる印象があります。
今日の式典はいつもと違って蝉の声も小さく、静かな印象でした。
もし「あの日」にも雨が降っていたら、広島に原爆が落とされることはなかったでしょう。
そしてその後に黒い雨も降ることはなかったでしょう。
そんな広島の現代美術館で現在第9回となる「ヒロシマ賞」の受賞記念展が開催されています。
3年に一度、創造を通して世界に平和を訴えている作家に与えられる賞。
ここまで明確なコンセプトの元で与えられる賞というのも世界的に珍しいかもしれません。
今年の受賞者はコロンビアのドリス・サルセド。
2007年のテートモダンで発表した、床を割った作品は忘れられません。
そんな彼女の作品が日本で見られるなんてと発表当時から楽しみにしていました。
彼女は自国に蔓延する暴力とひたすら向き合ってきました。
コロンビアでは、暴力が日常化していて、必要悪とすら見なされることもあるそうです。
しかし、暴力というのは、確実に絶対悪です。
その当たり前のことが通じない場所が世界の至る所にあります。
彼女はその途方もない暴力と対峙し膨大なエネルギーで作品を制作しています。
その分規模の大きいものが多いので、今回この美術館でどのように展示されるのか気になっていました。
行く前に知人が行っていて、事前に作品と言えるものは2点しかないと聞かされていました。
しかもいつも企画展示をしている場所ではなく、地下の常設展示室。
少し不安を覚えつつ広島へ。
チケットカウンターを通るとまずはこれまでの作品の写真。
そして、2点のうちの1点「ア・フロール・デ・ピエル」が一室を埋めています。
これは、特殊な加工をしたバラの花びらを一枚一枚繋ぎ合わせて、15m四方の大きさまで広げたもの。
これが床に皺を帯びながら敷かれています。
この花びらの状態が不思議で、フレッシュとは言えないまでも、決してドライフラワーのような死んだような印象もなく、生と死のあわいの状態で留まっている感じ。
また作品の状態も、吊るでもなく、壁に貼るでもなく、床に敷かれているっていうのがいいなと思いました。
しかも綺麗に敷かれるのではなく、しわくちゃの状態で敷かれているのです。
彼女はインスタレーション能力が非常に高い作家ですね。
ただ、この作品は、彼女の作品にしては今ひとつ何かが足りない印象がありました。
少し消化不良のまま地下へ。
地下へ入ると、2つの机が上下で組合わさったものがずらーっと展示室を埋めていました。
「プレガリア・ムーダ」という作品です。
机と机の間には土があって、上の裏返された机に開いた穴から植物が生えています。
実際この展示期間中に植物は成長するらしいので、会期間際どうなってるのか見てみたい。
それにしても、この展示にはやられました。
なんで、わざわざ企画展示室ではなく常設展示室なんやろうと思っていましたが、このインスタレーションを見て納得。彼女のインスタレーション能力が遺憾なく発揮されています。
というのも、この部屋、実際普通の展示には使いにくいんですよね。
真ん中に上から降りてくる階段があるので、展示室全体は見渡せないし、導線も悪い。
まあ、この黒川記章の建築は全体的に導線最悪なんですが。。。
この最悪な導線をさらにこの机たちがかき乱しているんです。
観客は、この机たちの間を縫うようにジグザグに進むしかなく、もはや導線は消失。
さらに、全体を見渡せない中、この机たちがあらゆる空間を埋めているので、どこまで続くのかわからない不安が湧いてきます。
僕の中の優れたインスタレーションの定義のひとつに、自分がその場にいながらどこにいるのかわからなくさせるってのがあるんですが、この作品はまさにそう。
この作品自体は何回かいろんな場所で展示されていますが、写真を見ていて、開けた場所よりも、こういった閉塞感を覚える場所でやった方がこの作品は生えるなと思いました。
久々にやられてしまいました。やっぱり彼女はすごい。
とまあ、2作とは言え十分見応えのある展覧会です。
広島遠いけど是非行ってみてください。
現在企画展示室ではコレクション展が開催中ですが、正直あんまりでした。
いつもここのコレクション展は企画展を凌駕する程面白かったりするのに珍しい。
会期終了間際に被ってくる「戦後日本住宅伝説−挑発する家・内省する家−」と併せて行くべきかも。
ドリス・サルセド展は10月13日まで。
http://www.hiroshima-moca.jp/doris_salcedo/
次のヒロシマ賞も楽しみ。個人的には内藤礼さんかなぁとか思ってたり。
彼女は広島出身で、昨年初めて広島で広島に関する作品を制作したそうだし。
気は早いですが、末永く続けて欲しい賞ですね。
久々のレビュー記事でした。
関連記事
Doris Salcedo @ Tate Modern
Doris Salcedo @ White Cube
第8回ヒロシマ賞受賞記念 オノ・ヨーコ展「希望の路」@広島市現代美術館
蔡國強展@広島市現代美術館
クシュトフ・ヴォディチコ講演会@同志社大学今出川キャンパス明徳館1番教室
寺田就子「ほのめく音色」@ GALLERIE ASHIYA SCHULE

先月のCAPTIONさんに続き寺田さんの個展に初日からお邪魔しました。
こんな立て続けに個展ができるなんてすごいエネルギーですね。驚くばかり。
本人曰く、夏は元気なのでいくらでも頑張れるとのこと。。。僕とは正反対です笑
そんな寺田さんの新たな展示は、ほとんどが新作で、先月の個展とは打って変わって、夏の終わりの放課後の校庭を思わせるような、なんだかノスタルジックな展開でした。
小さな机や楽譜、テキスト、スーパーボール、そしてピアノ。
このピアノはアシヤシューレさんにずっと置かれてるピアノで、前に越野さんの個展に行った時はまったく気づかなかったんですが、すごい存在感です。
それなのに、見事に寺田さんの世界に溶け込んでいる。
もちろんこのピアノのことを意識しながら作ったのもあるんだろうけど、この為にわざわざ持ってきましたと言われてもなるほどと思わせるぐらい展示の中で説得力がありました。
個人的に好きだったのは、新作ではないけれど、指輪ケースに入った貝殻の作品。
寺田さんの作品は、いつも素材の使い方にはっとさせられるけど、この作品は特にいいなぁと感じましたね。
素材の使い方と言えば、芳名録が手作りで、クリアファイルを切って作ったそうでこれも必見。
名前が増えていくとどんどん重なっておもしろいことになりそう。
寺田さんにかかれば、どんなものでも彼女色に染まっていく魔法使いのような人です。
展覧会は9月14日まで。1日にはトークもあります。こちら。
あと先日、本当にひさしぶりのdotsの公演にでかけました。
たまたま、そういえばdotsの舞台久しく観てないなぁと思ってHPチェックしたら、その前日から前作「カカメ」から4年ぶりの新作公演が始まってて、急いでチケットゲット。京都芸術センターでやってた新作「ALTER」です。
dotsの「カカメ」を観た時は本当に衝撃的でした。その前の「KISS」を観てなかったことが悔やまれるぐらい素晴らしい体験をさせてもらいましたね。その後GURAでも実験的な作品を観ましたが、やはり彼らは映像や音を駆使した身体表現こそ魅力だと思うので、今回の公演は待ちに待ったって感じでした。
が、見終えた後の率直な感想としては期待はずれ。
個人的に音、照明、映像、パフォーマンス、ひとつひとつはさすがの質だったけれど、全体として噛み合わず、鑑賞中苛立ちすら覚えてしまった。。。
また次回作期待しています。
dots official website http://dots.jp/ja/
同じく芸術センターで、『dreamscape ─ うたかたの扉』という展覧会も開催されてました。
というか芸術センター来ること自体めっちゃ久々。。。
ギャラリー南では大西康明さんの展示。
大西さんの作りながら進化を続けて邁進していく様は鬼気迫るものがありますね。
今回の作品も力作で、天井からぶら下がった木に尿素(だったか曖昧)の結晶がはりついたもの。
もう一人北では松澤有子さんの葉脈だけの葉っぱが暗闇に浮かぶ、これも力作。
ただ、最近僕の嗜好的に、こういう力技や演出のかかった作品があまり得意ではなく、すごいな、とかきれいな、とかは思えるけれど、そこから入っていけないんですよね。。。
最近はむしろ、一見さらって観れるんだけど、ん?ってとっかかりのある作品が好きです。のどの奥にささった小骨的な感覚。
自身の作品も以前は前者寄りだったけど、後者に傾きたいなと思ってます。
展覧会は9月16日まで。こちら。
「ひろしま 石内都・遺されたものたち」
写真家石内都さんを追ったドキュメンタリーを観てきました。
彼女は2007年から広島平和記念館に寄贈された被爆者の方々の遺品を撮影し続けています。その遺品は毎年増え続けていて、その度に彼女は広島に赴き撮影しています。
2008年の最初の広島市現代美術館で開催された展覧会は僕も行って感銘を受けました。
石内都「ひろしま Strings of Time」@広島市現代美術館
その展覧会が新作も含めてバンクーバーに巡回した際のドキュメンタリーです。
もういいかな、と思いつつ、昨日の広島の平和記念式典を見てたらやはり観たくなって観てきました。
毎年のことですが、8月6日の8時15分は前の晩どんなに夜更かししても起きて黙祷を捧げます。
8月9日の11時2分も同様です。
そして式典の広島市長の挨拶は毎年胸を打ちます。
今年は特に自民党政権に戻ってからの式典。
どうしてあの場に阿部さんがいるのかもはや違和感しかなかったですね。
総理大臣という役目でしかないただの抜け殻。
あの式典を通して、国の不作法を世界に訴える広島市長。もうカオスです。
式典中継冒頭から、日本がこの4月に開かれたNPT(核不拡散条約)準備会議で日本政府が「核の非人道性」を非難する共同声明(80ヵ国が賛同)に署名しなかったことを伝えていてました。
もうこの国はどうなっちゃうんでしょうか。
今年これだけ暑いのに節電要請がありませんね。実際電力は余っているようです。ここでリアルタイム電力需給量がわかりますが笑けます。今日大阪37度もあったらしいのに!(回ってる途中死にかけました。。。)
今現在(2013年8月7日)稼働しているのは大飯原発3号炉、4号炉の2基のみ。これも9月には停止し再び稼働する原発は0に戻ります。それでも10月から電力会社は値上げ断行。矛盾を通り越して言葉も出ません。どこに原発を必要とする根拠があるのですか?
さらに、東電の汚染水漏れのニュース。。。こんなお粗末な技術を輸出する日本。
広島の記念碑に書いてありますね。「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」
僕たちは本当にこの誓いを続けられるのでしょうか。
死んでいった人たちに顔向けできるのでしょうか。
僕は戦争を知りません。でも祖母や祖父が決して語りたがらなかったあの空気を通して僕は戦争を知っています。祖母も祖父も進んで語ろうとはしてくれなかったけれど、それでも僕には伝わっています。言葉ではなく背中で伝えられることもあります。知るレベルに層はあれど、たとえ薄皮一枚でも知っておきたい。それは目の当たりに知っている人からでないと伝えられないもの。その人たちの数は確実に減っています。
先日友人の子供に会いました。平成23年生まれと聞いて頭が回らなかったけど、この子達に自分は何を伝えられるんでしょうか。阪神大震災のこと。地下鉄サリン事件のこと。9.11のこと。3.11のこと。いっぱいいっぱい伝えたいことがありますが、言葉ではうまく伝えられません。あの時の空気は言葉を遥かに超えています。68年後、僕は97歳になっています。死んでいるかもしれません。それでも薄皮一枚彼らに手渡せたらいいな、と思います。
その手渡す作業を作品を通じてやってるのが石内さんですね。
この映画でも、国を超えて様々な人々の心を揺さぶっていました。
これまでのヒロシマという過去から、ひろしまという現在へつなぐ営み。
(ここでカタカナでなくひらがなを採用しているのは大きいですね。フクシマもそうですが、カタカナになった途端に突き放される印象があります。まあ外国では通じないですが)
映画の中で、広島の被爆者の女性と結婚したカナダ人の方のお話は胸を打ちました。
彼は散々アジア人は野蛮で劣った民族だと教育されてきて、実際日本に行ってみて美しい町並みと礼儀正しい人々に出会い、そこで人生の伴侶まで見つけてしまいます。
こういうのを聞くと自分の日本人としての誇りが蘇ります。
また、韓国人の観客の声を聞けたのもよかった。日本人は被害者だけでなく加害者であったことも忘れてはいけません。
とまあ、石内さんの作品に対しては色々思うことがありましたが、この映画自体はドキュメンタリーとして評価はできません。スローモーションの多用、切れ切れのコメント、音楽の入れ方。そのどれもが観ていてノイズにしか感じられませんでした。
なので映画自体はお勧めできませんが、改めて石内さんの作品を考えるきっかけにはなりました。
あと、今日は久々にノマルに行ってきました。
今村君がベルリンから帰ってきて以降初の発表です。
今回出品されてたのは、雨のアニメーションとその版画、それと立体です。
立体は、ソレノイドがオブジェ(塗料缶、すのこ、ブタの蚊遣り器、バケツ、アクリルボックス)を打つもの。これを使ったインスタレーションはここ最近展開していましたが、単体の立体として発表したのは初めてみました。オブジェンになっても、インスタレーションの感覚を損なうことなく存在してたのはさすがでしたね。ひとつ欲しかったですが、残念ながらすでにすべてソールドアウト!
他に、安慶田渉さんと舟田潤子さんの作品も展示されています。9月7日まで。
それと、もういっかと思いつつも堂島リバービエンナーレへ。
始まった時点ですぐ終わるかと思いきや意外に続いていてすでに3回目。
3回目の今回はなんとルディ・ツェンという台湾のキュレーターで、何気に日本のビエンナーレトリエンナーレで外国人ディレクターは初かも。
でもまあ、彼はインディペンデント・キュレーターではあるもののフルタイムのアートコレクター(フルタイムって!w) 展覧会自体、水をテーマに、キュレーションというよりは、集めてきましたって感じのセレクトでしたね。まあ、テーマを一貫させてたのはいいと思いますが、展覧会としてはやはり陳列って感じでした。一個一個のつながりが希薄。これ過去3回ともそんな感じですね。クオリティ落ちも上がりもしない。。。個人的に観たことある作品が多かったのも残念でした。参加作家は毎回やたらに豪華なんですがね。
そんな中でアラヤー・ラートチャムルーンスック(覚えられへん)の「クラス」という作品は衝撃。死体に向かって「死」についての授業をする映像。。。あれホンマに死体やったんかな?B級映画よろしく最後は皆立ち上がって終わるんかと思ったらホンマに寝たままやったし。。。うーん。
堂島リバービエンナーレは8月18日までです。
