ヤン・ヴォー ーォヴ・ンヤ | 越境する線描 @ 国立国際美術館

勝手にGoToキャンペーン第二弾は我が故郷大阪!
とはいえ万が一を考えて親類には内緒のお忍び帰郷でした。
初めて地元でホテルとったんですが新鮮でめっちゃ楽しかった。
しかもコロナの影響なのかめちゃくちゃ安い!
中之島のビジネスホテルで3000円でした。最高。
友人と行きたかった馬肉の店で晩飯を食い、近くのリーガロイヤルのバーでカクテルを飲み(リーチバー行きたかったが22時閉店だった。。。)、朝食はホテルのブレクファスト、その後川沿いを散歩しながら国立国際美術館へ。最高かよ!
というわけで前置き長くなりましたが大阪の目的は国立国際美術館。
現在ベルリンとメキシコ在住の作家ヤン・ヴォーの国内美術館初の個展が開催中です。
この展覧会も当初4月に開催予定でしたがコロナで延期、6月から再開の運びとなりました。
学芸員の友人福元くんにも色々聞いてましたが、本当に大変だったんだろうなぁ。。。
混乱を表すように、再開当初も閉幕日が決まってないというすごい事態になってました。
今は10月11日までとなっております。
さて、このヤン・ヴォー展。
僕も彼の作品は岡山芸術交流ぐらいでしか見たことがなくあまりデータがありませんでした。
よく語られる彼の壮絶な背景、
「4歳のときに父手製のボートに乗ってベトナムを離れ、難民としてデンマークに移住。」
という、昨今のシリア難民に先駆けること数十年前の出来事。
当時のヴェトナム戦争の最中、祖国をボートで去ってそこから作家になるという背景はインパクトありすぎ。
そんな彼は、こうした自身のアイデンティティの揺らぎやトランスナショナル、セクシャリティ等、様々なマイノリティを作品にしているんですが、これがまた難解!超ハイコンテキストすぎて笑った。
なんせ、会場には一切解説がなく、作品、というより「もの」が置かれているのみ。
こうした作品の在り方を美術館の冊子でもの派の菅木志雄と並べて批評しようとしているけれど、流石に無理があるだろうと思います。
菅の「もの」は「それそのもの」という存在論が主軸に置かれているけれど、ヴォーの「もの」には確実に背景があり物語があるんです。
ただ、その「もの」たちは無言を貫いていて、一向に語りかけてくれません。
よくもまあこんな攻めた展覧会を国立の美術館がやったもんだなぁ。。。
案の定お客さんも少なくソーシャルディスタンスどころの騒ぎではありませんでしたw
作品は写真も撮れないし、ちょっと解説はできないので他に譲ります。
わかりやすい文脈への回収を避ける意図とは? 平芳幸浩評「ヤン・ヴォー ーォヴ・ンヤ」展
ヤン・ヴォー ーォヴ・ンヤ
あとヴォー自身のインタビューや作品も観れる動画は必見。
とはいえ全くわからないでもありません。
展示会場に置かれている出品目録のタイトルや素材を見るとぼやっとわかることも。
例えば
05
セントラル・ロトンダ/ウィンター・ガーデン
2011年
シャンデリア、クレート、輸送用パレット
{パリ、アヴェニュー・クレベールの旧ホテル・マジェスティックのセントラル・ロトンダ/ウィンター・ガーデンに飾られていた19世紀末のシャンデリア]
とか
07
ロット39: 大統領の署名用ペン4点組
2013年
金属、インク
[ジョンソン大統領が1964年3月20日の国防物資調達法案に署名する際に使ったペン先4点]
とかね、ってやっぱりわからないねw
ってことで、普段は借りないオーディオ・ガイドを借りたりしてなんとか半分ぐらい理解できました。
とはいえ、もはや理解するしないはそこまで重要ではないのかもしれません。
というのも、単純にインスタレーションとして格好いいんですよ。
そのほとんどが、構造物が見えちゃったりしてて、まるで美術館の裏側に来たみたい。
会場が倉庫のような仕上がりになっていて、美術館というものを脱構築している。
その展示の説得力で結構見られます。
展示壁が途中で終わってたり、書き割りそのままだったり、探検してるみたいな体験。
どこまでを許容するのかが試されています。
展覧会の中で印象的なのが、何度も登場するフランス語の手紙。
「1861年2月2日」と題された作品で、会場に何度も登場します。
これはベトナムに派遣されたフランス人宣教師が処刑される前夜に父親に送った手紙をもとに、父親が手書きでコピーしたものなんだけれど、実は父親のフン・ヴォーはフランス語が読めなくて、カリグラフィーとして作品になっています。
この「作品」は300ドルで販売されていて、画廊に100ドル、ヤン・ヴォーに100ドル、そして父親に100ドルが渡るようになっているそうで、労働としての側面もあります。
そして父親はフランス語を読めないというのが大きくて、ただの線描となってるのも面白い。
そのことを思いながら2階に登ってコレクション展「越境する線描」を見るとさらに面白いです。
このコレクション展は友人の福元君が企画したものなんだけれど、前述の豊田市美術館同様、この国立国際美術館もコレクション展がベラボーに面白いんです。
まあ、持ってるコレクションの質が良すぎるんですが、それを料理する学芸員のキュレーション力も試されていて、特に今回の「線描」を巡る展示はとても面白い。
日本語の「線描」には色んな意味を含んでいることに注目して、「デッサン」から「グラフィック」、「スケッチ」と進んで、最後に「ドローイング」に至る痛快さが見所です。
特に僕は「スケッチという断片」で出品されてる展示がどれも素晴らしくて、今村源の展覧会プランのスケッチや、マーク・ダイオンのプロジェクト案、ヤノベケンジの「メガロマニア」展のための構想、パナマレンコの設計図等よくもこんなもの収蔵してたな!という驚きの連続。
最後のドローイングセクションは、サイ・トゥオンブリーにポルケ、伊藤存に法貴信也と待ってましたの連続。
最後は金氏徹平に今村源、宮脇愛子の彫刻で締めるのもにくい。
この企画した学芸員の福元崇志さんとのインタビューは絶賛販売中です!
https://aholic.stores.jp/items/5ed5c76abd2178100e30c984
今後美術館に行ったらコレクション展をしっかり見ましょう。
ここに美術館の底力が表れてます。
ヤン・ヴォーも越境する線描展も共に10/11まで。こちら。
僕が行った時解説付きのカタログがまだ出てなかった。。。早く出てくれー!!
目の前の大阪市近代美術館が外壁まで付いてた!2022年の開館が楽しみ!

アート・プロジェクト KOBE 2019:TRANS- @ 神戸市内

岡山行くので関西も回ってきました。
まずは神戸のグレゴール・シュナイダー。
この企画もう一作家いますがその人には興味ないのでスキップ。。。
シュナイダーもそこまで興味なかったんですが、うちのお客様で以前ドクメンタに行った時に彼の作品を体験して、それが頭から離れないという話を聞いて一気に興味津々。
先日六本木のWAKOでも観て面白かったので行くことに。
今回シュナイダーは「美術館の終焉ー12の道行き」と題して神戸市内10カ所12作品という恐ろしい企画。
作家の方もよくやったなぁと素直に感心するんだけど、そもそもよくもまあこんな特殊な会場を押さえたよなぁという。
そのほとんどが、マジで!?っていう作品ばかり。
作品には留というタイトルがついており、僕は番号関係なく、第8留の神戸市立兵庫荘から回ったのですが、どうやら1留から順番に回った方が良かったみたいです。どうもストーリーラインがあるらしく。
それにしてもその8留がまずすごかった。
低所得者の勤労者の一時宿泊施設なんだけど、なんとワンフロア丸々真っ黒に染めてた。
さっきまで誰かいただろうという雰囲気そのままで、布団がくちゃくちゃになった感じとか、タバコが積まれた灰皿とか囲碁盤とか、とにかくそのままの状態で真っ黒に染められてて異常すぎる。
そもそも入る時ペンライトを渡されるんだけど、マジで真っ黒でマジで怖い。
二段ベッドが何個かある部屋とか生々しすぎて。。。

早速カウンターパンチくらったまま次、駒ケ林駅へ。
その駅直結の第9留もすごい。
ポンプ室を改造してアメリカがキューバに作ったグアンタナモ湾収容キャンプが再現されていて、ポンプ室の普通のドアを開くと真っ白な牢獄があって、元の空間が想像できないぐらい。すごい。

その後第10−12留はふーんって感じでしたが。。。
移動して神戸駅へ。本来ここからがスタート。
第1、2留も微妙なのでスルーですが、第3留がすごい、というか場所がすごい。
旧兵庫県立健康生活科学研究所というところで、生物実験とかやってたっぽいラボの雰囲気が怖すぎる。
バイオハザードマークや放射線マークのついた部屋などがあり、どこまでが作品なのかよくわからず。
場の持つ力が強すぎる。。。
屋上から見た神戸の風景で少し癒されました。

そして第4留。これマジですごい。ネタバレになるので秘密で。

第5留の神戸ヴィレッジアートセンターでは映像がやってるんだけど、それよかここで第6、7留の見学予約をしなくてはならず、これが難儀。
電話では予約できないので、直接ここに来なくてはならないんだけど、見学開催日が限られてるのですぐに予約が埋まってしまう。
とはいえ、第5留の映像がなんと13時半からしか上映されなくて、それに合わせていくと予約が取れないというジレンマ。。。
結局僕がついたのは12時だったんだけど、最後の一人ギリギリでセーフ!あぶねー。
そしてその第6、7留がすごいんです。行かれる方は是非予約間に合わせてください。
この二つは個人宅なので住所完全非公開。
決められた時間に連れられていかなくてはなりません。
で、第6留が衝撃だった。
ガチで生活感溢れる家の中にパフォーマーが二人いて、ツアー参加者が見てる中普通に生活してる。
一人は風呂場でシャワー浴びててすりガラス越しにしか見えず、もう一人は2階で布団にくるまって本読んでる。。。
何を見せられてるんだwww
そして第7留はとんでもない家、家なのか??もうどこまでが作品なんだか。。。
こうしてシュナイダー体験終了。
なんとトータルで岡山芸術交流より時間かかってしまった。。。
皆さま行かれる際は十分時間とってください。
作品の詳細はCASAのこの記事が詳しいです。
神戸に潜む亡霊たちを探す芸術祭へ|青野尚子の今週末見るべきアート
11月10日まで。こちら。
第6、7留の開催日時もここでご確認ください。
ジャコメッティと Ⅱ @ 国立国際美術館

ジャコメッティによる矢内原の胸像がコレクションに加わったことによる展覧会。
前回1では、ジャコメッティと矢内原との関係性をそれはもう丁寧に展示されてて泣きそうになった。
そして今回は、その彫刻がいきなり初っ端から登場して、そこからジャコメッティの制作に纏わるテーマを、ジャコメッティ以外のコレクションで紐解いていくんですが、これがまた最高のキュレーション。
まずは身体。
シュテファン・バルケンホールや加藤泉、棚田康司等々身体に纏わる超豪華メンバーたち。
そして存在。
トーマス・ルフから石内都まで。
さらに不在。
内藤礼の死者のための枕から高松次郎の影まで。
歴史。ここに米田知子。
そしてそして、テリーサ・ハバード/アレクサンダー・ビルヒラーのジャコメッティの元恋人を描いた映像「フローラ」で完全涙腺崩壊。
もう何この布陣。最高すぎる。
外でやってた、関係性(コミュニケーション)をテーマにした加藤翼や小沢剛は少し蛇足だったかも。。。
やー、本当にこの展示は常設展と侮るなかれ。12月8日までなのでぜひ!
国立国際の前にできる中之島美術館、ボーリングが始まってました。2021年度開館だそうです。

Stone Letter Project #3 @ 京都場

以前から行きたかった京都場。
元染色工場を改築したギャラリー。
想像以上にすごい空間だった。。。
あまり展覧会やってないのが勿体無い。
今はリトグラフの展示をやってて、内海聖史さんらが展示しています。
京都芸大にプレス機と石版が大量に眠ってたらしく、それを京都場に運び込んでワークショップ。
版画って大変。。。
プロセスも多いし道具もいるし。
それぞれの作家さんがリトグラフというメディアを使って作ってるのが新鮮でした。
地点「ハムレットマシーン」 @ THEATRE E9 KYOTO

展覧会じゃないけど毎度の地点。
新しい劇場のこけら落とし公演。
ハイナー・ミュラーの「ハムレット・マシーン」。
元々コラージュ的な作品らしいのだけど、さらに地点なのでもうマジでわけわからんw
いつもわけわからんのだけど、今回のは特に。。。
最後までノリについていけなかった。。。次回の「罪と罰」に期待!
ところで地点にハラスメント問題が出てるみたいです。こちら。
確かにこのAさん、わかります。
何度か出てましたがいつの間にか消えてました。
多分、この記事はほとんど本当だと思います。
だけどね、僕も思ってたけどこのAさん完全に浮いてたんですよ。
やっぱ劇団にはカラーがあって、そこに染まれないとキツい。
2回か3回出てましたが、最後まで馴染んでなくて、僕もうーんと思ってました。
そしたら案の定こんな感じかーという。
こういうの難しいですね。
不当解雇っつっても、表現活動ですからね。論理的な理由だけでないのもあるよね。
とはいえ地点は何かしらの声明を出すべきだと思います。
実際このことは、後ろの人たちの会話で知ったんですが、これが不協和音になって少なくない人たちが地点の舞台を集中して見られないんじゃないかな。
劇団が大きくなった証拠でもあるけど、ここは正念場かも。
大好きすぎる劇団なので、本当にふんばってほしいです。
岡山芸術交流2019「もし蛇が」@ 岡山市内











楽しみにしていた岡山芸術交流に行ってきました。
何と言ってもピエール・ユイグがアーティスト・ディレクターですからね。
もうこの時点で期待MAX。
前回のリアム・ギリックも素晴らしかったけど。
岡山芸術交流2016「開発」@ 岡山市内
そして発表されたタイトルが「もし蛇が」。
想像の斜め上行くわけわからなさすぎるタイトル笑
もう行くっきゃありません。
事前にある程度どんな感じか美術手帖の記事をいくつか読んでました。
緩やかにつながるアート。ピエール・ユイグがディレクションする「岡山芸術交流2019 IF THE SNAKE もし蛇が」が開幕
ピエール・ユイグが岡山芸術交流で目指すもの。「超個体(スーパーオーガニズム)」とは何か?
なぜ「IF THE SNAKE」なのか? ピエール・ユイグに聞く「岡山芸術交流2019」に込めた意図
で、早速総合的な感想ですが、
「わけわからん!!最高!!」
です笑
こんな展覧会観たことありません。
こんなものが日本で観られるなんて。
多分他の国でもここまでのものは観られないでしょう。
ただ、ほとんどの人にはお勧めできません笑
攻めすぎ!ある意味あいちより攻めてる!
上に写真載せてますが、もはやどれが誰の作品とかはどうでもよくなる。
どの作品がどうとかいう批評はこの展覧会では全くもって無力です。
互いの作品同士が干渉しあって、ぐちゃぐちゃに混ざり合う。
もう、この感覚は本当に最高。
一応キャプションもありますが、途中からもう見ませんでした。
やっぱりユイグはすごいなぁ。泣きそう。
ここ最近あいちのこともあって、美術業界内で「連帯」とかいう単語が飛び交ってますが、そもそもアーティストなんてそれができないからアーティストなんじゃないの、って思うんですよね。少なくとも僕はその言葉聞くだけで吐き気がします。
その点この岡山では「ただ共にある」という押し付けもない本当に清々しいと言っていいぐらいの在り方を見せられた気がします。
あと、展覧会見てたらわけわからんと思ってたタイトルもしっくり馴染んでくるのが不思議。
作品が生命体のように見えてくるのはすごい。
こういう展覧会の在り方があるのかーと目から鱗落ちまくりました。
アートクラスタは必ず行くべき展覧会です。
会場も固まってるので午前中から見始めれば余裕で観られます。(シネマ・クレールでやってる映像除く)
11月24日まで。こちら。
ところで前回、ライアン・ガンダーによって破壊されてた駐車場が修復されてて小さく感動!

そして、芸術交流ではないですが、岡山県立美術館でやってる熊谷守一と太田三郎の展覧会が素晴らしいです。
熊谷の絵改めて観ると本当に不思議な絵。
あの独特の輪郭線、描いてるんじゃなくて、避けて塗ってるんですね。
そして太田三郎、前から好きだったけどまた好きになった。カタログ買いました。
津山に住んでらっしゃるんですね。
ってか、この美術館前回も参加してないんだけど、なんか確執でもあるんだろうか。。。
オリエント美術館すら参加してるのに。。。
大原美術館でやってる黒宮菜菜の展示も観たかったけど力尽きました。。。

蛇足。(蛇だけに)
岡山行かれる方にお勧めご飯情報。
味司 野村
讃岐の男うどん
カフェ キツネ ロースタリー
ご当地の「デミグラス丼」が食べたい人は野村へ!
岡山で讃岐うどんってって思うかもですが、男うどんうますぎ。
そして最近できたおしゃスポットカフェキツネ。
芸術交流会場の旧福岡醤油建物のすぐ近くです。
隣は近代名作家具を扱うGALLERY SIGNさんが!

「ジャコメッティと I」 @ 国立国際美術館

家族の用事で関西に帰ってました。
本当は体調最悪だったのだけど、折角なので京都大阪。
東京帰ってきて病院行ったらえらいことになってたけどまあ行って良かったです。
何と言ってもよかったのが表題の「ジャコメッティと I」。
企画展ではなくコレクション展なのだけど、企画展と言っちゃっていい内容だった。
ジャコメッティの盟友矢内原伊作の彫像を国内で初めて収蔵した記念の展示。
矢内原の彫像が日本になかったなんて意外だったけど、そもそも完成した作品が2体で、鋳造合わせても世界に7体のみだそう!
矢内原の書いた「ジャコメッティ」を読んだけど、作っては潰しての繰り返し。モデルを前に叫ぶしもうほんと際どい笑
わざわざ日本から矢内原を呼んでモデルをさせても結局完成しないとかもう大変。。。
そんな貴重な矢内原の彫像がついに日本へ!
国立の美術館は何年に一回か特別予算というものが付くそうです。
これは本来の収蔵予算とは別に、「未来の日本に有効となる作品」の為の収蔵予算、だそう。正しい言い方は忘れた。
今回はこの作品が選ばれました。
お値段は聞きましたが公開していいのかわからないので気になる方はお店に来てください笑
さて、展示の内容は前半はジャコメッティと同時期の作家の作品や、身体にまつわる作品をコレクションから。
正直この辺は無理矢理感がありましたが、後半がえげつなかったのです。
ついに矢内原の彫像の部屋へ。
まず冒頭、ジャコメッティのお言葉が素晴らしい。
「確かに私は絵画と彫刻をやっている。そしてそれは初めから、私が絵を描き出した最初から、現実を捉えるため、自らを守るため、自らを養うため、大きくなるためだ。大きくなるのは一層よく自らを守るため、一層よく攻撃するため、掴むため、あらゆる面であらゆる方向に可能の限り前進するため、飢餓に抗し寒さに抗し死に抗して自らを守るため、可能の限り最も自由になるためだ。可能の限り最も自由になるのはー今日の私に最も適当な手段でー一層よく見んがため、周囲のものを一層よく理解せんがため、一層自由になるために一層よく理解せんがためだ。可能の限り大きくなるのは使い果たすため、仕事の中で可能の限り自分を使い果たすため、私の冒険を敢行するため、新しい世界を発見するため、私の戦いを戦うためだ。戦いの悦びのため?戦いの歓喜のため?勝ちまた敗れる悦びのためだ。」
アルベルト・ジャコメッティ(訳:矢内原伊作)
ピエール・ヴォルドゥーのアンケート「各個人における現実」への回答
『XX siècle』第9号、1957年6月、35頁
なんだこの格好良い文章は。。。
矢内原もジャコメッティは文章もうまいと書いていたけれど本当に惚れ惚れする。
「勝ちまた敗れる悦び」。素敵です。
そして肝心要の作品がこちらです。


ああ、もうなんて素晴らしいんだろう。
似てるとか通り越して矢内原伊作の塊。
これ一作でものすごい説得力。
やっぱモデルとの関係性をある程度知ってると違いますよね。
上の二人の写真とか最高です。
さらに奥の部屋には矢内原を書いたドローイング、というか落書きとかまで。
ほとんどが神奈川近美でびっくり。こんな持ってたんですね。
さらに奥では、ジャコメッティとの日々を矢内原が綴った手帳やジャコメッティが矢内原に送った手紙、二人の写真など、もうこれ見てたら泣けて来て仕方なかった。。。
いつだったか、国立新美術館でジャコメッティ展観た時はほとんど感動なんてなかったのに、圧倒的に規模の小さいこの展示は、その何倍もの感動。
やっぱりね、展示への愛のかけ方が違う。
所詮国立新美術館のは海外からの巡回ですよ。
コレクション展でここまでしっかりした展示を見られるとは思っても見なかったので本当にびっくりでした。
展示室の使い方もゆったりとしていてとても良かった。
この展示は8月4日からで、なんと「I」があるからには「II」もあります。こちらは8月27日から。これも行きたいなぁ。。。
ちなみに下の企画展「抽象世界」も想像よりは良かったけど、あまりぱっとした印象がない。。。
仕切り壁がゼロで広場みたいな感覚は楽しかったけど。
なんか80年代といい大味の展示増えてきてないか?国立国際。
ジャコメッティみたいな展示ができるポテンシャルがあるんだからもっと頑張ってほしい。
ところでなぜか過去の美術館報が無料配布されてた。
キリがないので持って帰らなかったけど。。。

「セレブレーション-日本ポーランド現代美術展-」 @ 京都芸術センター

日本とポーランド国交樹立100周年ということで企画された展覧会。
本当は京都市内でいくつか分散してるのだけど、僕が見たのは芸術センターのみ。
それにしてもなんでタイトル「セレブレーション」なんだろう。
全部観てないからなんとも言えないんだけど、芸術センターに関しては「気持ちの悪い」作品が多くてびっくり。
特にギャラリー北と南。まさかどっちとも日本人だったとは。実際見てください。
しかし何と言っても見たかったのは今村くん。
やっぱりどこでやってもブレない。
そしてライトがさらに小さくなって進化してる!
新しい展開も見え隠れしててこれからさらにまた楽しみになる。



あとちょうど友人の堤加奈恵が制作室を借りてたので覗きに行きました。
フィンランドから帰国したばかりで現地で作ってた作品も見れたし久々に再会できて良かった!
帰国してから色々考えることもあるだろうけど、迷いながら色々作って欲しい。楽しみです。

村上友晴@ART OFFICE OZASA

気づけば3ヶ月ぶりの更新。。。生きてます。
以前から気になってた京都のギャラリー、ART OFFICE OZASAさん。
いつも渋い展覧会をやってらっしゃいます。
如何せんアクセスが良くないので中々行けなかったけど、村上友晴展がやると聞きついに来訪。
が、痛恨の休廊日に訪ねてしまった。。。
迷子になりつつたどり着いただけに、ドアノブを握って鍵がかかってた瞬間呆然としました。。。
立ち直れずしばらく立ちすくんでると中から鍵が開く。
幸運にもその日客人があったのでたまたまオーナーのオザサさんがいらっしゃった模様。
特別に開けていただけました。本当に感謝です。
で、村上友晴展。
関西で彼の名前を知ってる人はあまりいないかもしれません。
今年で80歳になられて、今も制作を続けてらっしゃる大御所。
団体には所属せず、以前は西の村岡三郎、東の村上友晴と言われたとか。
そんな村岡さんも2013年に亡くなられ、この年代の作家で現役な稀有な存在。
美術館ではコレクションで数点見られたことのある人もいると思います。
実際先日の国立国際美術館のコレクション展にも一点出ていました。
しかし、彼の個展となると中々ないんですよね。
展覧会年表見ても、関西だと2011年の精華大学での展示以来。
美術館規模の個展となると1999年の名古屋市美術館での展示以来。
もっと取り上げられる作家だと切に思います。こんな若造が言うまでもないだろうけど。
と言うことで、彼の個展を見られるのはかなり貴重なのです。
僕が初めて見たのは学生の頃広島現美のコレクションだったと思います。
遠くから見るとただの黒い画面にしか見えないんだけど、近づいて見るとそれが黒い絵の具の集積だとわかります。
聞く話によれば一点にかける時間はなんと2年。
もはや「業」とも言える作業。
それからギャラリエアンドウの個展なども観に行きました。
今回久々にまとめて観て改めてすごい作品だなと思いました。
何がすごいって、まず今回の展示では、最新作と30年前の過去作が並んで展示されてるんだけど、全く違いがわからない笑
違いといえばキャンバスの張り方ぐらい。
画面は本当に違いがわからないのです。
一本の太い軸の通った作品に震えました。
そして何と言っても、画面の強さです。
いつまでも視線を外せない強さ。
それは画面の大きさなんかも全然関係がなくて、小作品も展示されてましたが、とにかく強い。
そして、今回初めて観ましたが、版画(?)の作品も同じ。
版画って言っちゃダメなんだけど、技法がオリジナルすぎてオザサさんも説明に困ってました笑
6点組の赤黒い作品で、画面は本当に小さい。
でもその極小の面積に込められた強さ。
作品数としては多くはなかったものの完全に打ちのめされてしまいました。
久々に作品を見て魂が震えた。
なんかこう言う強さって最近の作品にないなぁと。
リレーショナルアートとかネオコンセプチュアリズムとかリサーチ系とか、思考ゲームとしては楽しいんだけど、作品の強さはあまりないんですよね。。。
本当に行けてよかった。オザサさんありがとうございました。
更新してなかった間も色々見てたんですが。。。
せっかくなのでその間に観てきた展示を徒然に。(関西のみ)
キュレトリアル・スタディズ12: 泉/Fountain 1917-2017 @ 京都国立近代美術館
『見立てと想像力 ━ 千利休とマルセ ル・デュシャンへのオマージュ』展 @ 元淳風小学校
福岡道雄 つくらない彫刻家 @ 国立国際美術館
態度が形になるとき ―安齊重男による日本の70年代美術― @ 国立国際美術館
開館 40 周年記念展 「トラベラー:まだ見ぬ地を踏むために」 @ 国立国際美術館
ヤマガミユキヒロ:air scape / location hunting 2017 @ GALLERY PARC
今村遼佑「くちなしとジャスミンのあいだに」 @ ART SPACE NIJI
小枝繁昭‘Rika Syounen no Yume 2' @ アートゾーン神楽岡
BACK AND FORTH 柏原えつとむ展・想図「Sの迷宮」 @ galerie16
荻野夕奈+田中加織+チェ・ユンジョン FLOATING @ HRD FINE ART
tamaken / Emiko Tamai / odo 『星が運ぶ舟』 @ stardust
まず「泉」誕生100年記念の京都近美のシリーズと「見立てと想像力」
前者は5回に分かれててなんとか全部見ました。
それぞれ中々面白かったけど、コレクション展示の隅っこでやってるような小規模展示だったので、これまとめて一つの大きな展覧会にすれば面白かったのになぁと。
何部屋かに分かれて企画者がそれぞれ違うとか。
レディメイドが吊られてて影を見せるデュシャンのアトリエを再現した3回目が個人的によかった。
第2回の藤本さんの展示も、彼自身の展覧会みたくなってたけど贅沢でよかった。
第4回のべサン・ヒューズのリサーチノートはとても見切れないけど興味深い作品。
最後の毛利悠子の展示が一番わからなかったかな。。。
同じく泉記念で開催された「見立てと想像力」も中々よかった。
元小学校という背景に、日本人作家とフランス人作家が参加してたけど、見事に明暗分かれてた。
やっぱり日本の小学校の背景を体でわかってる日本人作家の作品が抜群に面白かった。
フランス人作家は無理やり場所に合わせようとしてる感じで無理があったなぁ。




国立国際美術館の三つの展示。
特に福岡道雄展は、10年来の知人である福元さんがキュレーションしたので個人的に感慨深い展示。
縁あって彼が学生インターンの時から知ってて、それからお世話になりっぱなし。
だったらブログで宣伝しろよと自分でも思ったけど、なんせ福岡さんの作品が個人的にあんまり。。。
彼の「作らない」という態度は同じ作家の端くれとして痛いほど共感できる。
でもそこから発生してくるものに対して全然共感できなかったのです。
奇しくも同時開催の安斎展のタイトル「態度が形になるとき」は1969年のハロルド・ゼーマンの展覧会タイトルからなんだけど、その言葉はむしろ福岡展に付せられるべきだったんじゃないのかなぁと。
安斎展は「行動が形になるとき」だったと思う。
安斎展の面白かったのは、写真が当時の作品や制作をリアルタイムに捉えてるだけに、二次物である写真こそが本物で、その前に並んでいたコレクションであるもの派の作品たちが偽物に見えてしまったこと。
確かに作品としては本物なんだけど、当時の空気を纏っている安斎さんの写真は二次的な要素を超えてた。
あと現在開催中のトラベラーはパフォーマンス作品をいくつか取り入れてるのがおもしろかった。
パフォーマンスはその時間に居合わせないと見られないものなので全体は捉えられないのだけど、なんかその「見逃す」っていう体験も面白いなぁと。
個人的にジェイ・チュン&キュウ・タケキ・マエダの新作とテリーサ・ハバード/アレクサンダー・ビルヒラーのジャコメッティの元愛人を巡る映像作品がよかった。
あとカーディフ・ミラーの作品はすごかった。一瞬見逃しかけるのでご注意を。5/6まで。
にしても最近の国立国際、キャプションが配布スタイルになって見難すぎる。
一々作品タイトル・作家と作品を紙見ながら確認するのは鑑賞のノイズでしかない。。。
あとは知り合いの展覧会をいくつか。
Gallery PARCは移転して一発目のヤマガミ展。
ビルの3フロアがギャラリーになっててびっくり。
個展でやるには作品数が半端ないので大変そう。。。
とはいえ贅沢な展示空間。さすが。
今村くんは名古屋の個展行ったら書きます。(行けるだろうか。。。)
小枝さんと柏原さんは僕の恩師。
小枝さんの作品ちゃんと生で見たの久々で感動しました。
柏原さんは過去のSの作品だけど、ほぼインスタレーションなので過去作と一概にいえない見応えのある展示。
久々にお会いできてよかった。柏原さんも今年で77歳。お元気です。
そして田中さんとtamakenさんは過去に一緒に海外で展示した仲。こちらも久々。
tamakenさんの舟たちはstardustという銀河で美しく航海していました。。。

アジア回廊 現代美術展 @二条城・京都芸術センター

正直特記することもないんだけど、せっかく行ったので書きます。
それにしても京都ってこういう現代美術展が全く根付きませんね。
数年前のパラソフィアもあれ一回きりなんでしょうか?
今回のこれもこれっきりだと思います。
そもそも京都は観光資源に恵まれすぎてて、あえて現代美術で打ち出す必要がないんですよね。
わざわざ二条城とか使っちゃってますけど、その辺の必然性が得られない。
その辺の街中とか原っぱとかでやった方がよっぽど面白いですよ。
そしてもう一つ。
これはまあ自分の確認不足もあったんですが、謎の盆栽展のために草間彌生と宮永愛子の展示が見られなかった!
会期中に他の展覧会とぶつかって、展覧会期間中にもかかわらず一部なくなっちゃうとか辛すぎ。
ぶつかっちゃうぐらいならそこにそもそも展示するなよと言いたい。お金返して欲しい。
そう、入城料と展覧会で1200円もするんですよ。
とまあ、文句ばかり言っちゃってますが、いい作品もありました、もちろん。
花岡さんと久門さんです。特に久門さんは毎度ほぼハズレなしですね。
花岡さんの作品はいつものぶっ飛んだ感じが場所柄もあってか静謐な感じになってて僕は好みでした。
久門さんのは空間贅沢に使わせてもらってて素晴らしかった。





そしてもう一会場は京都芸術センター。
こちらはもう楊福東狙い。これ見るだけでも大いなる価値。そしてこっちは無料。
映像48分もありますが、映像が美しすぎて何ループでも見てたいです。
一コマ一コマが一幅の絵画。
場所も畳の間でとても美しい調和。完璧。

後は茶室の今村源さんはさすがというかやっぱりすごい。
写真は撮れませんでしたが、茶室と作品の境目が見事に融合してました。
芸術センターはこの二作見るだけでも本当に価値があると思います。無料だし。
二条城の方は、個人的に二条城自体が好きなので、まあ二条城ついでくらいのノリならありです。
10月15日まで。こちら。
S-House Museum


丸亀途中に岡山寄るので前から気になりすぎてたS-House Museumへ。
岡山駅からバスと徒歩で約30分。想像以上に遠かった。。。
本当にこんなところに?という場所に本当にありました。
元々個人住宅だったこの建物。なんと設計は妹島和世!
奈義現代美術館の元学芸員である花房香さんが昨年開館させた個人美術館。
困難なアクセスの上に土日のみの開館というハードルの高さ。
しかしそのハードルを越えてでも行く価値がありました。
恐る恐るチャイムを鳴らすと館長自らお出迎え&ご説明。
まずはChim↑Pomの間。
有名なSUPER RATや震災の被災地で撮った気合の映像がお出迎え。


建物内部は箱の中に箱があるような構造で、周囲をぐるっと廊下が囲む。


引き戸を開けていくとそれぞれ部屋があって、それぞれ作品が展示されてます。
目「Distribution Works #2017」

伊東宣明「生きている/生きていない」

高田冬彦「Cambrian Explosion」

下道基行「漂う/泊まる」




毛利悠子「子供部屋のための嬉遊曲」


2階へ。

加藤泉「Untitled」


伊東宣明「預言者」

などなど。
現代美術好きならご覧いただいてわかるように、作家のラインナップが旬な作家ばかり押さえてます。
以前に観たことある作品もありますが、ここで展示されるとまた一味違います。
毎年少しずつ展示も変わってるそうです。
最後は奥様からお菓子とドリンクのサービス。至れり尽くせりです。
現代美術ファンなら一度は訪れてみるべき場所だと思います。難易度高めですが。。。こちら。
最後は記帳と投げ銭お忘れなく。
志賀理江子「ブラインドデート」@丸亀市猪熊弦一郎現代美術館

やっぱり気になって最終日ギリギリに行っちゃいました、丸亀。
はい、青春18きっぷです。いつになったらやめられるんだろうか。。。
志賀さんの個展は10年以上前にグラフでやってた「リリー」の展示以来。
以前から不気味な写真やなぁと思ってましたが、「螺旋海岸」で極地を極められたんじゃないかと。
写真集買いましたが本当にホラー。恐すぎてあまり見てません。。。
せんだいメディアテークの展示は行けませんでしたが、行った友達が
「鑑賞者とやたら目が合う」
って言ってて、どういうことなんだろうとずっと気になり続けてました。
そしてその視線の問題がいよいよ作品に現前化したのが今回の新作「ブラインドデート」。
タイでバイクタクシーに乗っていたら、バイクに乗ってるカップルと視線がやたら合うことをきっかけに100組以上のカップルを撮影した作品。
作品の詳しい説明はartscapeやPENの記事に詳しく書かれています。
で、展示なんですが、以下会場図面。

なんのこっちゃって感じですが、なんと21台ものスライドプロジェクターを使っています。
入ると会場は暗くて、スライドが回るカシャッって音が鳴り響いてます。
しかもこのスライドがついたり消えたりしてて、正直「見せる気あるのか?」とすら思えたり。。。
ブラインドって言葉を展示に活かしてるんだろうけど、ちょっとどうなの?って感じでした。
不気味感が凄すぎて作品に集中できない。させる気もないんだろうけど。
対照的に奥の空間(写真だと上の部分)では、今回のタイトルにもなってる「ブラインドデート」のプリントが一点一点小さな照明に照らされて展示されてて、これがものすごく良かった。
光が絞られていることによって、さらに写真の中の視線が強調されてて、写真から眼差されているのをひしひしと感じて、一瞬動けなくなります。
それだけ眼差しっていうのは強いんだなぁと実感。
静止した写真というメディア性と彼女たちの無表情がさらに何も読み取れないもどかしさを誘発しています。
「目は言葉以上に語る」と言いますが、写真になるとこれだけ語らなくなるのは面白い発見。
今までの志賀さんの作品って、抽象的な恐さがあったんだけど、今回の作品では眼差しという具体的な対象があって、さらにその視線がこっちを向いているという恐さがとても新鮮でした。
とてもとても強い作品。素晴らしかったです。
それだけにプロジェクターの展示が残念。
もうこの「ブラインドデート」だけに絞って展示しちゃっても良かったと思います。
なんにせよそれだけ力のある作品でした。
最後の通路には志賀さんの手記や、弔いをテーマにしたアンケートなどが壁にびっしり書かれていましたが、ちょっと死や生のテーマに縛られすぎてる感じがしました。まあ、それが彼女の制作を突き動かすモチベーションなのかもしれませんが。
写真集欲しかったけど8640円は高い。。。
来年に発売されるというカタログだけ予約して帰りました。にしても遅いな。。。
O JUN x 棚田康司「鬩(せめぐ)」展 @ 伊丹市美術館 / ミヤギフトシ「How Many Nights」@ギャラリー小柳

最近観て素晴らしかった東西の展示を二つご紹介。
まずは兵庫の伊丹市美術館で開催中のO JUN x 棚田康司「鬩(せめぐ)」展。
正直二人展ってとってつけたようなのが多くて苦手やし、そもそもこの二人もそこまで好きじゃない(汗)
ですが、なんとなく行ってみたらものすごく良かった!
ここまで究極な二人展って観たことないです。
二人とも人物をモデルにすることが多いとか、いろんな共通点は見つけようと思えば見つけられるけど、そこを越えて驚くほど個と個を隔てる境界線が融解していました。
展覧会タイトルは鬩ぐ(誰が読めんねん)ですが、そこから連想される反発のようなものはなくて、かと言って調和のような生ぬるいものじゃない。緊張感は担保しながらも、作品たちが勝手に遊んでる感じ。
なんだかうまく表現できないんだけど、どの展示室も物凄く心地よくていつまでも居たい感覚。
こういう感覚って、二人展だと中々生み出せないんですよね。なんだか対峙する感じが出ちゃって。
仲良しこよしというわけでもない、この絶妙な緊張感が本当にたまらなく愛おしかった。
特にO JUNの「遊園」シリーズと棚田康司の「初年少女のトルソ」が一緒に展示されてる部屋はすごい。
だって、絵の上に彫刻乗っちゃってるんですよ?しかも他人同士の。こんな展示見たことない。
それ以外にも壁にかかった絵に寄り添うように彫刻が置かれていたり、もう縦横無尽な展示室。
展覧会中のテキストにも「自己」とか「他者」とかいう言葉が頻出しますが、完全に越えちゃってる。
確かに二人の作品はそれぞれ強烈な個性を持ち合わせています。
しかし、そんなオリジナリティーだの個性だのいう言葉が陳腐になるぐらい、二人の作品は自由。
アートはこれらの言葉にあまりに縛られていると思う。
誰かに似ているとか、模倣だとか、パクリとか、それでも成立する世界の豊かさを僕は見てみたい。
この豊かさは、2月に聞いた蔵谷美香さんのトークや、イヴ=アラン・ボアが企画した「マチスとピカソ」展でも展開されてる通り。
その実証がこの展覧会にはあふれています。
さらに、二人の子供時代をお互いが作品にしあったり、6日間の合宿で同じモデルを使って制作したり、さらに美術館で一緒に公開制作までしちゃってる。(行った時は棚田さんが制作中でした。木っ端一ついただきました。)
この展覧会、本当にすごいです。ここまでのエネルギーを感じられる展覧会は近年稀。
企画されたキュレーターさんとお二方には感服。あと広報のアートディレクションもいい。
こういう展覧会が地方の美術館でやってるのはすごいことだと思います。
8/27までなので是非!こちら。
これに加藤泉さんとかが加わっても面白そうとか勝手に妄想しちゃってます。
そしてもう一つが東京の小柳でやってるミヤギフトシ展。
ミヤギさんが小柳かぁという感慨もありますが、そんなことより作品が本当に素晴らしい。
メインは戦前から戦後を生きた女性たちの物語で、38分の映像。
38分かぁと思って見始めたら止まらなかった。
映像作品って5分越えると大体はキツイです。
ただ、5分じっと観られたら大体は最後まで観られる気がする。
ミヤギさんの作品は、ストーリーもそうなんだけど、やはり映像の力が圧倒的に強い。
どこまでが本当でどこまでがフィクションなのか全くわからないんだけど、そんなことは瑣末なこと。
それよりも目に入ってくる映像と耳に入ってくるナレーションが心地よすぎて困った。
映像に付随する展示品も、作品というより資料みたいな趣でとても興味深かった。
8/30まで。こちら。
上映スケジュールが載ってるので時間合わせていくのが吉。

ライアン・ガンダー ―この翼は飛ぶためのものではない @ 国立国際美術館

2017年も半分過ぎ、気づいたらアートの記事今年に入って一つも書いてないのに気づいた!
観てないわけじゃないんだけど、書きたいっていう情熱が前ほど湧かないのが問題。
実際今年に入って観た展覧会を書き出してみました。何個か抜けてるとは思うけど大体こんな感じ。
以前よりかは減ったけどどうなんでしょう。
2月
「この世界の在り方」@芦屋市立美術博物館
越野潤「Beyond Time」@Galerie Ashiya Schule
写真家片山攝三 肖像写真の軌跡@福岡県立美術館
アート横断V 創造のエコロジー@福岡アジア美術館
3月
PSMG@中津界隈
竹之内祐幸「Things will get better over time」@STUDIO STAFF ONLY
山岡敏明展@Gallery PARC
石田竜一「草に沖に」@アンダースロー
4月
半田真規「トーキョーパレス」@statements
Subjective Photography vol.2 大藤薫@スタジオ35分
新宮晋の宇宙船@兵庫県立美術館
KYOTO GRAPHIE@京都市内各所
堤加奈恵「Forest of gretel」@同時代ギャラリー
キュレトリアル・スタディズ12: 泉/Fountain 1917-2017 Case 1@京都国立近代美術館
5月
草間彌生「わが永遠の魂」@国立新美術館
ライアン・ガンダー ―この翼は飛ぶためのものではない @ 国立国際美術館
6月
キュレトリアル・スタディズ12: 泉/Fountain 1917-2017 Case 2@京都国立近代美術館
田中真吾「Phantom Edge」@Gallery PARC
黒宮菜菜・二藤健人・若木くるみ「のっぴきならない遊動」@京都芸術センター
エレナ・トゥタッチコワ「With My Dinosaurs」@クマグスク
ほとんど知合いの作家とかキュレーターの企画とか気になるスペースってことで回ってます。
そんな中でも白眉はやっぱり表題にもなってる国立国際のライアン・ガンダー展。
今年度で唯一楽しみにしてた企画だったけど、やはり期待は裏切らない。
というか、国立の美術館がガンダーを取り上げる日が来るなんてという感慨がすごい。
そして、いつもならB2でやって、その下でブロックバスターな展覧会を開催するところを今回は全館ガンダーに開放。
B3ではこれまでの作品がズラーーッと並んでて壮観。
とはいえ一つ一つ丁寧に見ていったところでわけわかんないものばっかり笑
とりあえず先にガンダーの似非ドキュメンタリーを見てから展示を観るのがおすすめ。
にしてもこんなわけわかんないもん作ってて、スタッフたくさん雇ってるというのはやっぱりすごい。
将来無償のアートスクールまで作っちゃうそうです。
展示室に行くと、全体のこのわけわからなさに浸る気持ち良さというか、重力からの解放というか。
世界は「わけのわかる」ものとして捉えようと皆躍起になってるけど、あ、わからなくていいんだという解放感。
なんか救いにも似た崇高な気持ちにすらなった展示でした。
そしてその上ではガンダーがキュレーションした国立国際のコレクション展。
似た者同士を合わせるっていうシンプルなコンセプトやったけど、これまで観たことのない組み合わせで楽しかった。
草間彌生と高松次郎が一緒に展示されてるなんてっていう新鮮さとか。
このキュレーションもガンダーの作品になってて、トータルでとても楽しめます。
コアな現代美術ファンは必見の展覧会。7月4日まで。こちら。
なんだかんだでこの辺の作家日本の美術館でも取り上げられてきましたね。
マーティン・クリード、サイモン・スターリング、サイモン・フジワラ、リクリット・ティラバーニャ
あとは岡山芸術交流も企画したリアム・ギリックとか。個人的にはピエール・ユイグが一番観たい。
他は初めてちゃんと観た「KYOTO GRAPHIE」が良かった。
と言っても観たのはヤン・カレンとメープルソープとTOILET PAPERの3つだけだけど。
ヤン・カレンの展示されてる無名舎ってのがまたすごくて、有形文化財指定建造物。
そしてそれに負けないくらいヤン・カレンの写真が良かった。
和紙に刷られた黒がものすごく美しくてうっとり。どうやってプリントしてるんやろ。
展示もスマートで建物とともに楽しめました。台所とかすごい。
メープルソープは90点以上展示されててすごかった。なかなかこんな機会ないと思う。
TOILET PAPERはアホらしくてまあ楽しめました笑
あと兵庫県美の新宮晋展も良かった。
あんな野外の作品どう展示するのかしらと思ってたけど、一室一室ものすごく贅沢に使ってて見応えがあった。
僕は彼の講演を聞いて美術の道に進んだので、感慨深い展示でした。
知り合いでは中津のパンタロンでやってた森太三さんとパルクの山岡敏明さんの展示が良かった。
これまでやってきたことが見事に結実してる感じで、通観して観てきた甲斐があったなぁとしみじみ。
こないだ観たパルクの田中真吾もここ最近の展示では一番良かったと思う。
直接知り合いではないけど前から観てた黒宮菜菜さんたちの芸センのグループ展も良かった。
あとは京都近美のデュシャン泉百周年企画ですね。
この美術館、デュシャン作品のレプリカ散々持っておきながら中々展示しないんですよね。
常設の小さなコーナーですが、泉百歳のお祝い事ってことで第5弾まで全部見ていきたいと思ってます。
とはいえ、第一弾でほぼ全てと言っていいぐらいの代表作を展示しちゃってたけど続くのかしら笑
第二弾は藤本由紀夫さんがキュレーションしてて、半分彼の作品でした笑
今後どう展開して行くのか楽しみです。




今後気になるのは丸亀の志賀理江子展と広島のモナ・ハトゥーム展やけどそこまで行く情熱が・・・。
東京は特にないので、行った時になんかやってたらって感じかなぁ。ジャコメッティは行くかもやけど。
キュレータートーク 蔵屋美香 @ 京都芸術センター講堂
本当は別の記事を用意してましたが先にこちらを。
金曜日に京都芸術センターで開催されたHAPS主催のトークがあまりに面白かったので。
このトークは「Can curatorial attitudes become form?」と題された、キュレーターを招いてトークしてもらうイベントの第七回で、過去には長谷川祐子さんや建畠晢さん、南條史生さんなど錚々たるメンバーがゲストとして来ています。(アーカイブはこちら)
今回は東京国立近代美術館の蔵屋美香さんをゲストに招いてのトークです。
これまでは一人の作家を挙げて、キュレーターと作家との関係が語られてきましたが、今回は違いました。
タイトルが、「”アーティスト”という縦軸よりも、”一見関係さなそうな作品同士のつながり”という横軸に萌えるんですけど、こういうのってどうなんですかね」という長くてゆるいタイトルがついてました笑
これは、HAPSディレクターの遠藤水城さんとのメールのやり取りの中のテキストそのままタイトルになったそうで、要は一人の作家論では語れないということでした。
蔵屋さんは女子美術大学の油画専攻出身で、元々作り手だったそうです。
その後一度就職し、千葉大学の美術史の大学院を出て、今の東京近美に就職したんだとか。
彼女のキャリアの中で、元々作り手だったというのがすごく大きくて、おかげで作家のことを特別視しなくて済んだと彼女は言います。
今回の話も好きな作家で話すとなると、マンテーニャかセザンヌかマティスになってしまうし、いつも作家単体ではなく美術史的に縦軸横軸で俯瞰しているので、作家論は語れないということでこういうタイトルになってしまったとのこと。
こういう視点って、蔵屋さんが現代美術館じゃなくて、明治から現代まで扱う東京近美で働いてるのも大きいんでしょうね。
ざっくり前半は日本近代美術、後半は日本現代美術と分かれていました。
現代美術の話を聞きに来てくれた人にはつまらないかもしれませんが、と話し始めた前半のお話がとてつもなくスリリングなお話でとても興奮しました。
まずロラン・バルトの「作者の死」というテキストが挙げられます。
これは「物語の構造分析」という本の中に所収されてる文学についての短いエッセイですが、作品は完全に作者のものではなく、読者によっても作られるものだということが書かれています。
これはすべてのクリエーションに当てはまっているものだと思います。
つまり、作家は絶対じゃないということ。
次に、日本近代洋画の小出楢重の「裸女結髪」という作品の画像が挙げられます。
さらに続いてマティスの「髪結い」という作品、、、
あれ、どう見ても構図も画題もほぼ一緒!
他にも青木繁とNicolas Régnierの絵や、熊谷守一と、、、(熊谷さんに関しては今年末に開催される蔵屋さんキュレーションの展覧会のカタログに書かれるそうなのでここでは伏せます。にしてもすごい説だったなー)
つまり、作家のオリジナリティにはどこかに裏があるということ。
こんなこと言っちゃって大丈夫なのか?って思うような内容ですが、実はこうして類似作品と改めて比べ、さらにその中にある差異を探ることで、その作家が何をしたかったかが垣間見えてくるということを蔵屋さんは主張していました。
これまで、研究者は、他の畑のことは全く不介入で、まさか小出とマティスが繋がってるなんて夢にも考えていなかったとのこと。(このことは実際蔵屋さんが2011年に発見されるまで誰も見つけてこなかったそう)
それは作家を神格化することの功罪で、そこから零れ落ちてるものがあまりに多いと蔵屋さんは言います。
この態度にはものすごく共鳴しました。
これは決して粗探しや重箱の隅をつつくみたいなことではなくて、そこから見える世界があまりに広いということです。
実際2014年にポンピドゥーセンターで開催された、デュシャン展はそのことを強く証明した素晴らしい展覧会でしたし、イヴ=アラン・ボアの「ピカソとマチス」も同じ画題を描いてもこれだけ豊かな広がりがあるということを教えてくれています。
蔵屋さんは、こういう類似をいくつもいくつも発見していて、それはインターネットでいくつもの画像を簡単に検索できる時代にいるからこそと言います。
アンドレ・マルローやアビ・ヴァールブルクがやろうとしていた空想の美術館が、今やパソコンやスマホのネット環境によって展開されているのです。
続いて後半は現代美術。
前半は作家や作品同士の繋がり、つまり横軸だったのに関して、後半は時代のつながり、つまり縦軸について。
何と言っても蔵屋さんの最近の大きな仕事といえば、2013年に田中功起さんと組んだヴェニス・ビエンナーレ日本館。
この企画の前にも同じタッグで取り組んだ案として、田中功起と高松次郎の作品を一緒に展示するという案があったそうですが、こちらは結果として落選しました。
その後改めて挑んだ時には2011年の震災のあとで、田中さんが以前からやっていた「協働」というテーマで取り組んだのがこのヴェニスのプロジェクトでした。
展示当初は、「協働」することの豊かさのようなものが国内はもとより、世界的にも確かにあったのが、展示期間中のわずか半年かそこらで世界の空気は変わってしまい、結局みんなで協力してたらいつまでたってもどこにもたどり着けず、むしろ一人の強力なリーダーがいた方がもっと潤滑に進むんじゃないの?という風になってしまったそうです。
日本館のメッセージも観客は「協働することの豊かさ」から「協働の限界」を見るようになってしまいました。
しかしこういう空気の流れは全く新しいものではなく、振り返ると1923年の関東大震災後にも起こっていたことに蔵屋さんは気がつきます。
そこで彼女がキュレーションしたのが「何かがおこってるⅡ:1923、1945、そして」という、東京近美のコレクションを使った常設展でした。
関東大震災以降、クリエーターたちも自分たちにもできることをといろんな取り組みを行ったそうですが、その後分裂し、1925年には治安維持法が施行され、1940年には東京オリンピック決定、そして戦争という流れ。
あれ?これってどこかで実際に体験してるような。そう、まさに3.11以降の流れとほぼ被ってるのです。
まあ、戦争になってしまうのかは別として世界の空気は今相当悪いです。
この「歴史は繰り返される」という真理の中から、今の作品の価値ももしかしたら透けて見えるのではないかと蔵屋さんは考えます。
美術館としては、作品をコレクションする時に、その作品が50年後、100年後にも価値を放っているのかということを考えなければなりません。
そこでヒントとなるのが歴史です。
東京近美が開館して60年強。その間に価値がほぼなくなって倉庫で眠ってる作品もあれば、改めて価値を見出される作品もあります。
未来はもちろん読めませんが、過去から類推していくことはかなり大きなヒントなのかもしれません。
また、コレクションに関して、最近赤瀬川原平の作品を収蔵した時の話が面白かったです。
これまで同じハイレッドセンターの中西夏之と高松次郎の作品は1970年代にはコレクションされていたのに、なぜか赤瀬川原平の作品がなかったそう。
しかし改めて彼の作品は日本の戦後美術史にとっては最重要な存在。
そこで彼の作品、例えば彼の印刷されたイラストのガリ版などをコレクションすると、これは一体どこの分類に属するのかを協議していかないといけない。
これは一体版画作品なのか、それともやはり印刷物なのか。
そうすると他のコレクションの位置も改めて再考していかなければならない。
こういう流動性がコレクションにはあるという話を最後にされていました。
あと、椹木野衣さんの「悪い場所」についても少し。
蔵屋さんは、日本は今や決して「悪い場所」じゃないと言います。
むしろ、前述の論考が発表された90年代当時から、「いい場所」なんて、マンハッタンのソーホーの2km圏内でしかなかったし、その時代時代で、ほとんどが「悪い場所」になってしまう。
それが今やアートシーンはそこまで局所化していなくて、世界のあちらこちらで優秀な作家が育っている。
「いい場所」「悪い場所」の二元論で簡単にくぎれる時代ではなくなってきているという話も出ました。
他にも色々お話されていたと思いますが、記憶とメモの限界はここまで。
また何か思い出したら追記するかも。
本当に面白いお話でした。
岡山芸術交流2016「開発」@ 岡山市内

岡山芸術交流に行ってきました。
今や各地で開催されまくってる国際展に正直もう辟易してますが、この岡山の芸術祭は他と一線を画すものとして外せませんでした。
というのもアーティストディレクターがリアム・ギリックで、出品作家が「今」を代表する作家ばかり!所謂リレーショナルアートと言われる潮流の渦中の作家をこれだけ集中して観られる機会はそうありません。しかも国内で。
当日は晴れ。さすが「晴れの国」岡山。
以下作品の写真をざっくり。
Pierre Hyughe「Zoodram 4」

Pierre Hyughe「Untitled (Human Mask)」

Pierre Hyughe「Untitled」

Rikrit Tiravanija「untitled 2016 (this is A/this is not A/this is both A and not-A/this is neither A nor not-A)」

Ryan Gander「Because Editorial is Costly」


Simon Fujiwara「Joanne」

眞島竜男「281」

荒木悠「WRONG REVISION」


Jose Leon Carrillo「Place occupied by zero (Okayama PANTONE 072,178,3245)

Liam Gillick「Development」

Peter Fischli David Weiss「Untitled (Mobile)」

まずは林原美術館でユイグの「Untitled (Human Mask)」が観れたのはとても嬉しかった。
彼の作品はここで3点展示されてるけれど、どれも人類の文明の醒めた目を感じられる知的な作品群。
特に上記の作品は、無人と化した福島の被曝エリアを撮ったもので、とても鮮烈。
今東京のヴィトンでもユイグの展覧会がやってるから是非観に行きたい。
そして、岡山城下のティラバーニャの茶室。茶会に出てみたかった。
この展覧会唯一と言ってもいいぐらいフォトジェニックだったのがガンダー。
駐車場を破壊して作られたこのインスタレーションのインパクトはすごかった。
よくぞここまでやらせたなぁって感じ。
落下した隕石のようなものは、デ・スティルのジョルジュ・ヴァントンゲルローの作品を元に作られてるらしく、20世紀初頭の作品が時空を超えて岡山に落ちて来たという設定らしい笑
岡山県天神山文化プラザのサイモン・フジワラは、自身の高校時代の女教師を元に制作されたもの。
彼女が新たな自分を築き上げる過程を写真と映像、SNSをも駆使しながら展開。フジワラらしい作品。
そして眞島竜男は今回最も岡山を意識した作品。
駅前にある桃太郎像と1962年に開催された岡山国体時に制作されたというトーテムポールの関係を、粘土の彫刻で現し、その制作過程を映像で見せながら、桃太郎伝説の推移を徹底したリサーチの下で語るという作品。これは結構記憶に残る名作だったと思います。友人曰く「桃太郎が嫌いになった」とのこと笑
今回のメイン会場は旧後楽園天神校舎跡地。会場前にはプルーヴェの学校も。
ここにはディレクターでもあるギリックの作品や、下道さんの「境界」を意識した作品など、印象に残る作品が目白押しですが、その中でも荒木悠の作品は新鮮でした。
荒木さんの作品は横浜美術館で見たけれど、その時はピンとこなかったのが、今回すごく腑に落ちた感じ。
タコにまつわるお話だけれど、それがどこまでが本当でどこからが嘘なのかがわからない。
その曖昧さがとっても美しかった。
タコの干し方がキリストの磔刑に似てるってのは面白かった。
これは中々他の場所で発表しにくいかもしれないけど、とてもいい作品だと思いました。
あとはオリエント美術館のフィシュリヴァイスは相変わらずゆるくてよかった。
ざっくり内容はこんな感じ。
結論を言うと、この芸術祭はとても良かったと言わざるをえません。
大絶賛とまでは言いませんが、いくつかの点で賛辞を送るべき箇所がありました。
まずは規模です。
中には1時間を超える映像作品なんかもありますが、テキトーに端折って観れば1日で十分楽しめます。
実際ジョーン・ジョナスの80分を超える映像や、ドミニク・ゴンザレス=フォースターの映像プログラムなんかは飛ばしちゃいました、すいません。
それでもいつもは端折っちゃうような映像群も僕としては丁寧に観られたし、朝から回って夕方までには観終わることができました。
全てが徒歩圏内にありながら、お城から美術館まで様々な場所を見られるのも良かった。
自分の父が岡山出身なので、岡山は何度も来ていたものの、ここまで丁寧に歩いたことはなかったんですよね。
時間あれば後楽園もと思いましたが、さすがにその余裕はなかった。
今回の国際展には、クロスカンパニーの石原康晴氏の尽力が大きかったでしょう。
彼は現代美術の大コレクターで、今後岡山に私立の現代美術館も建てる計画もあるそうな。
(以前京都で見たケントリッジの巨大インスタレーションも彼の持ち物)
岡山は何気に日本初の美術館を立上げた大原孫三郎氏や、ベネッセの福武總一郎氏など、美術のパトロンとも言える人々の系譜が連綿としてあり、石原氏は次世代にあたります。
今後この岡山芸術交流も存続するのか気になるところですね。
次にキュレーション。
これはギリックの手腕に驚かされました。
「development」という主題は正直よくわからなかったんですが、それでもこれだけ年齢も国籍も様々(25歳から80歳、16カ国)な作家たちを集めて、多様でありながら、一つにうまくまとまっていました。
ほとんどがフォトジェニックな作品ではなく、観客が能動的に考えなければならないので、現代美術初心者には結構難しいかもしれませんが、ファンとしては考えさせられる知的なゲームを本気で楽しむことができました。
そして何と言っても作品のクオリティが高い。
過去の作品ではなく新作が多いというのも見応えがある理由の一つですね。
ギリックはキュレーションはこれで最後と言ってますがもったいないです。
実際キュレーターをやってみて、彼らがどうしてあんなにクレイジーなのかがわかったそうです笑
僕が今回の作家たちに共通して好感を持てたのは、ギリックもインタビューで言ってますが、所謂「自己表現」に終わってない点です。(ギリックの表現で言えば、「一般的な意味での自己というのを作品の前面に押し出すような作家は一切いません」)
みんな自己の向こう側にあるさらに大きな世界に言及した作品が多かったように思えます。
サイモン・フジワラや下道さんのように、自分は入ってるんだけど、決して内向きの自己に向かってない。
その先の新しい地平に向けて、意識を投げてる姿がとてもいいです。
そして、無理をして地域性に焦点を当ててないところ。
ここは微妙なところで、当てなさすぎても「ここでやる意味」が消えちゃうので、そこはバランスよく、例えば眞島さんの桃太郎の作品を入れるなどして、とてもいいバランスでした。
ここ最近の「地域アート」は、どうしても地域に迎合しちゃうところがあるので、そことは違いましたね。
ギリックは実際作家たちに岡山という都市に反応してくれとは一切言わず、普通に来て普通に作品を作ってください、という頼み方をしたそうです。
ギリックはここ数年の作品にまとわりつく「リサーチ」という言葉が免罪符になっているんじゃないかという疑問を持っています。リサーチと言えばちゃんと考えられた作品と見てくれる。でもその「リサーチ」を客観的に精査する人はいない。そういうのって確かにそうだよなぁと思いますね。
ギリックはイギリスのYBA世代ど真ん中にいる作家なのに、そこに回収されず、常に批評的な目を持ってやってきたとてもクレバーな作家なんだなぁと、この展覧会で改めて思い知らされました。
ちなみに冒頭の岡山駅に掲げられた大看板もギリックの作品。
タイトルは「From Yu to You」。
出品作家が羅列されてますが、最初が荒木悠のYuで、最後が観客のYouです。
どうしてメインビジュアルが目なのかという問いにギリックは答えています。
「日本と「目」の関係は深いように思います。私が15年前に初めて来日したとき、他の経験と比べて、日本にはとても独特の視線のかわし方があると感じました。これは今まで体験したことのない風習でした。」
日本人にとってはよくわからないけれど、目配せの仕方は確かにあるかもしれません。
いろんなことに改めて気付かせてくれる、濃密な展覧会でした。11月27日まで。こちら。
薬師川千晴「絵画に捧げる引力」@Gallery PARC

もう終わってしまったけれど、Gallery PARCでやってた薬師川千晴展がものすごくよかった。
彼女は精華大学の後輩にあたるんだけど、学年的にかぶった時期はなく、とはいえいろんな機会で縁があって、近年の彼女の仕事は興味深く見ていました。
彼女は昨年僕もキュレーションで参加したGallery PARCのコンペ入選者3組のうちの一人で、彼女としてはそれが初個展。それからこの夏京都芸術センターで開催されたグループ展「ハイパートニック・エイジ」にも参加。今回の展覧会は、彼女としては2度目の個展。
彼女の作品の魅力の一つは、作品が持ってる「重さ」だと思う。
作品と言わず、この際「絵画」と言い切ってしまった方がいいかもしれない。
彼女は絵画という最も古い美術のメディアに圧倒的な危機感を負って制作している。
それは今回の彼女のステートメントの冒頭にも顕れている。
「あらゆるものから質量が失われつつあるこの世界で、今、絵画を通して、質量ある物質特有の〝引力〟という力について考えてみる。」
しかし、これだけ「絵画」というものにこだわりながら、彼女の絵画は所謂絵画と聞いて思い浮かべるものとは一線を画している。
確かに壁にかかってはいるものの、矩形の形をしたものはほとんどない。
さらに言うと、彼女の制作には筆が一切介入していない。
彼女はデカルコマニーという、オートマティズムの手法で像と形を生み出している。
デカルコマニーという手法自体は、シュールレアリズムあたりから発明されたもので、それ自体近代の産物ではあるものの、この筆の不在は、どこか原始的なものを感じる。
さらに彼女の「絵画」には自分で土を混ぜたテンペラ技法を使用したり、火で炙ったりと画面の中に様々な要素が介入している。
まるで絵画の起源に還るかのような仕事である。
彼女の持つこの絵画に対する熱情は、画面から痛いほど伝わって来る。
ただ、共有するにはあまりにも重過ぎる感も否めない。
観客にもこの重さを共有してもらおうという一方的なパラノイアを感じてしまって、観客は息苦しさすら感じてしまう。
特に去年の同ギャラリーの個展に出してた、作品に矢が刺さった作品なんかは、状態としての気持ちよさはあるんだけど、儀式的な要素として観客との間に一つの壁を作っていたように思う。
矢は刺さってはいなかったものの、夏の芸術センターの作品も息苦しさは拭えなかった。
それが今回、全くの新作を発表していて、これまでの作品になかった「軽さ」に驚いてしまった。
芸術センターからそんなに日も経っていないので、てっきり以前のような作品が並んでいると思っていたら、階段の横から始まる新作群に戸惑いを隠せなかった。
しかしその戸惑いはいよいよ悦びに代わる。目から入ってくる情報が至福。
今回の新作はこれまで同様デカルコマニーで制作されているものの、これまでと違って支持体が紙。
紙で制作することによってもたらされた効果は何といっても柔らかさである。
これまで支持体には木を使っていたのだけど、何ともいえない「硬さ」があった。
これが余計観るものに対する圧迫感や息苦しさを与えていた感は否めない。
しかし今回の新作群はこれまでには見られなかった柔らかさが存在している。
新作群のうち多数を占める、「絵具の引力」は、まるで標本で見る蝶のような形をしている。
彼女から直接話を聞くと、これまで同様デカルコマニーで制作してはいるものの、その「閉じて開く」というプロセスごと見せられないかという発想に至り、開いた本の状態から着想を得、今回のような形になったそう。
これが本当に美しくて思わず見入ってしまう。
作家には「色の作家」と「形の作家」がいる。分かりやすい例ではマティスとピカソ。
としたら彼女は圧倒的に前者である。
以前カプーアの考察でも書いたけれど、色と聞いて思い出すのが、大学の恩師が言っていた「絵描き殺すにゃ刃物はいらぬ。色をけなせばそれでいい」という言葉。 (元は「大工殺すにゃ刃物はいらぬ。雨の三日も降ればいい」)
色っていうのは何と言ってもセンス。努力ではほとんど身につかない。残念ながら。
この色のセンスを彼女は憎たらしいほど持っていて、それが遺憾なく発揮されてる。
今回の作品群は、極彩色とも言える複数の色を使用していて、ともすればケバケバしくなるところを絶妙に抑えている。
どの作品も見ていて本当に気持ちが良かった。
現代の作家で、これだけ大胆に色を使いこなせる作家はめずらしい。
色を使っても、ほとんどが単色モノクローム。精々くすんだような色味。
以前ロンドンのバービカンで「COLOUR AFTER KLEIN」という展覧会があって、タイトル通り、現代美術におけるイヴ・クライン以降の色の表現を集めた素晴らしい展覧会があったのだけど、そこに出ていた作家も今思えばほとんどが単色だった気がする。
色だけでなく、「一対の絵画碑」という作品群は形にも挑戦している。
今までと違って、オリジナルは矩形の紙ではあるものの、それを弛ませることで生まれる独特の浮遊感が面白い。
ただしこちらはまだ発展途上のように思えた。
それだけにまだこの人にはのびしろがあるのかという将来の楽しみにつながった。
あと全体の作品のサイズが良かった。
これまでの作品って大きすぎたり小さすぎたり、中々絶妙なサイズに辿り着けてない感があったんだけど、今回のは小さいものでも十分周囲の空気を震わすことができてたと思う。
いい作品というのは、空間が鳴るというか、空気が振動しているように感じる。
逆に作品だけで完結していると、空間が全く鳴らない。
ああ、いい展示やなぁと感じるのは、もう作品見る前に会場入った段階でこの空気の鳴りでわかる。
今までの彼女の作品ってやっぱり作品が閉じてるように思えたのが、今回は一気に開放された感がある。
彼女の負っている絵画への重さは失わず、同時にその引力に束縛されない強さを持った作品が見られて本当にいい展覧会だったと思う。
ちょっと褒めすぎかもしれませんが、後輩云々抜きで、これからも楽しみな作家です。
最後に彼女の今回のステートメントも美しかったので勝手に引用させてもらいます。
「そもそも、人はなぜ祈る際、手を合わせるのだろう。思うに、手を合わせる事により、人は〝何も持てなくなる〟事が重要なのではないだろうか。それはつまり、何かを抱える手段である手を天へ差し出し、物質世界とは離れた位置から〝祈り〟という非物質的な行為へと移行する、ある種の儀式のようなものなのだろう。
そして、1つに合わさった手をひらくと、そこには右手と左手が現れる。つなぎ合う力を〝両者〟に分かれさせることで、双方の関係が生じ、そこには、ものとものとの間に生じる引力が生まれる。つまり、引力とは物質単体では存在し得ない、ものとものとの関係性にのみ生じる〝互い〟の力なのだろう。
私は、この質量ある物質にそなわる互いに求め合う引力を作品に託す。そして、この絵具の紡ぐかすかな引力を絵画へと捧げようと思う。」





堂島リバービエンナーレ2015

スイスから帰国し早一ヶ月強。
その間に観た中でダントツおもしろかったのがこの堂島リバービエンナーレ。
4回目となる今回ですが、毎度毎度感心するぐらい同じクオリティでおもしろくない(爆)
とはいえ地元なので、まあ見とくかみたいな低いテンションで毎度臨むのですが今回は違った!
今回のキュレーターはイギリスのトム・トレバー氏。
国内のビエンナーレトリエンナーレでは珍しく、このビエンナーレは前回に引き続きキュレーターが海外から。
このキュレーションがものすごかった。
あのどうしようもない会場がここまでおもしろくなるなんて。魔法でした。
タイトルも「Take Me To The River」とかだし、まあおもしろくないだろうと勝手に思い込んで、いきなり入った大会場の池田亮司がまずやばかった。(上写真)
いつもこの大会場の使い方が見本市みたいにただただ作品が並んでるだけでおもしろくないのに、今回は池田亮司一人に贅沢に使わせたのが大成功でしたね。凄まじい音と光のスペクタクル。正直池田さんいろんなところで観過ぎてて食傷気味だったけど今回は素晴らしかった。
他にも一階では、「流れ」といえばと言わんばかりにPLAYのドキュメンタリーがあったり、下道基行の沖縄に流れ着いた漂流物をテーマにした作品があったりと、キュレーションにブレがなくていい感じ。


さらに今回はいつも使われてないバックヤードもふんだんに使われていて、迷路みたいで楽しかった。
照屋勇賢のマクドナルドの袋の作品からのSuperflexのマクドナルドの洪水の映像の「流れ」も絶妙。


島袋道浩のゆるい「流れ」る作品も、堂島川を借景にして美しかったし、今旬なサイモン・フジワラやHito Steyerlをも押さえていて、現代美術の「流れ」もしっかり捕らえている。



ヒトの映像にもある、経済の「流れ」も、いくつかの作品にしっかりと押さえられているし、あらゆる「流れ」を徹底的に意識したキュレーションは本当に見事でした。国内の展覧会で久々に感動しました。
惜しむらくは4階の展示。あそこは毎回他会場から離れているので、展覧会の緊張感が切れてしまってどうしても難しい。今回大会場の使い方みたいに、思い切ってあの会場なしとかできなかったんだろうか。
それでもそこで出ていたVermeir & Heiremansの経済に関する映像は興味深かったです。
いやはや完全になめてました。
今週末までですが、圧倒的にお勧め。こちら。
ちなみに近くの国立国際美術館では「他人の時間」展とティルマンス展が開催中。
「他人の時間」は結構期待していたのだけど、ただアジアの作家を紹介する展覧会みたいになってしまっていて残念だった。その中では加藤翼の作品が圧倒的だったように思います。
ティルマンスはほぼ流し見。相変わらず遊泳するみたいな感じで気持ち良い展示。「真実研究所」の日本バージョンが観られたのはよかった。あと日本のデモの写真も撮っていたのはハッとさせられた。
両展とも9月23日まで。こちら。
第9回ヒロシマ賞受賞記念 ドリス・サルセド展@広島市現代美術館

「あの日」から今日でちょうど69年が経ちました。
今日の広島は雨。この日に雨が降ったのは43年ぶりだそうです。
確かに毎年式典をテレビで見てますが、カンカン照りで蝉がガンガン鳴いてる印象があります。
今日の式典はいつもと違って蝉の声も小さく、静かな印象でした。
もし「あの日」にも雨が降っていたら、広島に原爆が落とされることはなかったでしょう。
そしてその後に黒い雨も降ることはなかったでしょう。
そんな広島の現代美術館で現在第9回となる「ヒロシマ賞」の受賞記念展が開催されています。
3年に一度、創造を通して世界に平和を訴えている作家に与えられる賞。
ここまで明確なコンセプトの元で与えられる賞というのも世界的に珍しいかもしれません。
今年の受賞者はコロンビアのドリス・サルセド。
2007年のテートモダンで発表した、床を割った作品は忘れられません。
そんな彼女の作品が日本で見られるなんてと発表当時から楽しみにしていました。
彼女は自国に蔓延する暴力とひたすら向き合ってきました。
コロンビアでは、暴力が日常化していて、必要悪とすら見なされることもあるそうです。
しかし、暴力というのは、確実に絶対悪です。
その当たり前のことが通じない場所が世界の至る所にあります。
彼女はその途方もない暴力と対峙し膨大なエネルギーで作品を制作しています。
その分規模の大きいものが多いので、今回この美術館でどのように展示されるのか気になっていました。
行く前に知人が行っていて、事前に作品と言えるものは2点しかないと聞かされていました。
しかもいつも企画展示をしている場所ではなく、地下の常設展示室。
少し不安を覚えつつ広島へ。
チケットカウンターを通るとまずはこれまでの作品の写真。
そして、2点のうちの1点「ア・フロール・デ・ピエル」が一室を埋めています。
これは、特殊な加工をしたバラの花びらを一枚一枚繋ぎ合わせて、15m四方の大きさまで広げたもの。
これが床に皺を帯びながら敷かれています。
この花びらの状態が不思議で、フレッシュとは言えないまでも、決してドライフラワーのような死んだような印象もなく、生と死のあわいの状態で留まっている感じ。
また作品の状態も、吊るでもなく、壁に貼るでもなく、床に敷かれているっていうのがいいなと思いました。
しかも綺麗に敷かれるのではなく、しわくちゃの状態で敷かれているのです。
彼女はインスタレーション能力が非常に高い作家ですね。
ただ、この作品は、彼女の作品にしては今ひとつ何かが足りない印象がありました。
少し消化不良のまま地下へ。
地下へ入ると、2つの机が上下で組合わさったものがずらーっと展示室を埋めていました。
「プレガリア・ムーダ」という作品です。
机と机の間には土があって、上の裏返された机に開いた穴から植物が生えています。
実際この展示期間中に植物は成長するらしいので、会期間際どうなってるのか見てみたい。
それにしても、この展示にはやられました。
なんで、わざわざ企画展示室ではなく常設展示室なんやろうと思っていましたが、このインスタレーションを見て納得。彼女のインスタレーション能力が遺憾なく発揮されています。
というのも、この部屋、実際普通の展示には使いにくいんですよね。
真ん中に上から降りてくる階段があるので、展示室全体は見渡せないし、導線も悪い。
まあ、この黒川記章の建築は全体的に導線最悪なんですが。。。
この最悪な導線をさらにこの机たちがかき乱しているんです。
観客は、この机たちの間を縫うようにジグザグに進むしかなく、もはや導線は消失。
さらに、全体を見渡せない中、この机たちがあらゆる空間を埋めているので、どこまで続くのかわからない不安が湧いてきます。
僕の中の優れたインスタレーションの定義のひとつに、自分がその場にいながらどこにいるのかわからなくさせるってのがあるんですが、この作品はまさにそう。
この作品自体は何回かいろんな場所で展示されていますが、写真を見ていて、開けた場所よりも、こういった閉塞感を覚える場所でやった方がこの作品は生えるなと思いました。
久々にやられてしまいました。やっぱり彼女はすごい。
とまあ、2作とは言え十分見応えのある展覧会です。
広島遠いけど是非行ってみてください。
現在企画展示室ではコレクション展が開催中ですが、正直あんまりでした。
いつもここのコレクション展は企画展を凌駕する程面白かったりするのに珍しい。
会期終了間際に被ってくる「戦後日本住宅伝説−挑発する家・内省する家−」と併せて行くべきかも。
ドリス・サルセド展は10月13日まで。
http://www.hiroshima-moca.jp/doris_salcedo/
次のヒロシマ賞も楽しみ。個人的には内藤礼さんかなぁとか思ってたり。
彼女は広島出身で、昨年初めて広島で広島に関する作品を制作したそうだし。
気は早いですが、末永く続けて欲しい賞ですね。
久々のレビュー記事でした。
関連記事
Doris Salcedo @ Tate Modern
Doris Salcedo @ White Cube
第8回ヒロシマ賞受賞記念 オノ・ヨーコ展「希望の路」@広島市現代美術館
蔡國強展@広島市現代美術館
クシュトフ・ヴォディチコ講演会@同志社大学今出川キャンパス明徳館1番教室
寺田就子「ほのめく音色」@ GALLERIE ASHIYA SCHULE

先月のCAPTIONさんに続き寺田さんの個展に初日からお邪魔しました。
こんな立て続けに個展ができるなんてすごいエネルギーですね。驚くばかり。
本人曰く、夏は元気なのでいくらでも頑張れるとのこと。。。僕とは正反対です笑
そんな寺田さんの新たな展示は、ほとんどが新作で、先月の個展とは打って変わって、夏の終わりの放課後の校庭を思わせるような、なんだかノスタルジックな展開でした。
小さな机や楽譜、テキスト、スーパーボール、そしてピアノ。
このピアノはアシヤシューレさんにずっと置かれてるピアノで、前に越野さんの個展に行った時はまったく気づかなかったんですが、すごい存在感です。
それなのに、見事に寺田さんの世界に溶け込んでいる。
もちろんこのピアノのことを意識しながら作ったのもあるんだろうけど、この為にわざわざ持ってきましたと言われてもなるほどと思わせるぐらい展示の中で説得力がありました。
個人的に好きだったのは、新作ではないけれど、指輪ケースに入った貝殻の作品。
寺田さんの作品は、いつも素材の使い方にはっとさせられるけど、この作品は特にいいなぁと感じましたね。
素材の使い方と言えば、芳名録が手作りで、クリアファイルを切って作ったそうでこれも必見。
名前が増えていくとどんどん重なっておもしろいことになりそう。
寺田さんにかかれば、どんなものでも彼女色に染まっていく魔法使いのような人です。
展覧会は9月14日まで。1日にはトークもあります。こちら。
あと先日、本当にひさしぶりのdotsの公演にでかけました。
たまたま、そういえばdotsの舞台久しく観てないなぁと思ってHPチェックしたら、その前日から前作「カカメ」から4年ぶりの新作公演が始まってて、急いでチケットゲット。京都芸術センターでやってた新作「ALTER」です。
dotsの「カカメ」を観た時は本当に衝撃的でした。その前の「KISS」を観てなかったことが悔やまれるぐらい素晴らしい体験をさせてもらいましたね。その後GURAでも実験的な作品を観ましたが、やはり彼らは映像や音を駆使した身体表現こそ魅力だと思うので、今回の公演は待ちに待ったって感じでした。
が、見終えた後の率直な感想としては期待はずれ。
個人的に音、照明、映像、パフォーマンス、ひとつひとつはさすがの質だったけれど、全体として噛み合わず、鑑賞中苛立ちすら覚えてしまった。。。
また次回作期待しています。
dots official website http://dots.jp/ja/
同じく芸術センターで、『dreamscape ─ うたかたの扉』という展覧会も開催されてました。
というか芸術センター来ること自体めっちゃ久々。。。
ギャラリー南では大西康明さんの展示。
大西さんの作りながら進化を続けて邁進していく様は鬼気迫るものがありますね。
今回の作品も力作で、天井からぶら下がった木に尿素(だったか曖昧)の結晶がはりついたもの。
もう一人北では松澤有子さんの葉脈だけの葉っぱが暗闇に浮かぶ、これも力作。
ただ、最近僕の嗜好的に、こういう力技や演出のかかった作品があまり得意ではなく、すごいな、とかきれいな、とかは思えるけれど、そこから入っていけないんですよね。。。
最近はむしろ、一見さらって観れるんだけど、ん?ってとっかかりのある作品が好きです。のどの奥にささった小骨的な感覚。
自身の作品も以前は前者寄りだったけど、後者に傾きたいなと思ってます。
展覧会は9月16日まで。こちら。
「ひろしま 石内都・遺されたものたち」
写真家石内都さんを追ったドキュメンタリーを観てきました。
彼女は2007年から広島平和記念館に寄贈された被爆者の方々の遺品を撮影し続けています。その遺品は毎年増え続けていて、その度に彼女は広島に赴き撮影しています。
2008年の最初の広島市現代美術館で開催された展覧会は僕も行って感銘を受けました。
石内都「ひろしま Strings of Time」@広島市現代美術館
その展覧会が新作も含めてバンクーバーに巡回した際のドキュメンタリーです。
もういいかな、と思いつつ、昨日の広島の平和記念式典を見てたらやはり観たくなって観てきました。
毎年のことですが、8月6日の8時15分は前の晩どんなに夜更かししても起きて黙祷を捧げます。
8月9日の11時2分も同様です。
そして式典の広島市長の挨拶は毎年胸を打ちます。
今年は特に自民党政権に戻ってからの式典。
どうしてあの場に阿部さんがいるのかもはや違和感しかなかったですね。
総理大臣という役目でしかないただの抜け殻。
あの式典を通して、国の不作法を世界に訴える広島市長。もうカオスです。
式典中継冒頭から、日本がこの4月に開かれたNPT(核不拡散条約)準備会議で日本政府が「核の非人道性」を非難する共同声明(80ヵ国が賛同)に署名しなかったことを伝えていてました。
もうこの国はどうなっちゃうんでしょうか。
今年これだけ暑いのに節電要請がありませんね。実際電力は余っているようです。ここでリアルタイム電力需給量がわかりますが笑けます。今日大阪37度もあったらしいのに!(回ってる途中死にかけました。。。)
今現在(2013年8月7日)稼働しているのは大飯原発3号炉、4号炉の2基のみ。これも9月には停止し再び稼働する原発は0に戻ります。それでも10月から電力会社は値上げ断行。矛盾を通り越して言葉も出ません。どこに原発を必要とする根拠があるのですか?
さらに、東電の汚染水漏れのニュース。。。こんなお粗末な技術を輸出する日本。
広島の記念碑に書いてありますね。「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」
僕たちは本当にこの誓いを続けられるのでしょうか。
死んでいった人たちに顔向けできるのでしょうか。
僕は戦争を知りません。でも祖母や祖父が決して語りたがらなかったあの空気を通して僕は戦争を知っています。祖母も祖父も進んで語ろうとはしてくれなかったけれど、それでも僕には伝わっています。言葉ではなく背中で伝えられることもあります。知るレベルに層はあれど、たとえ薄皮一枚でも知っておきたい。それは目の当たりに知っている人からでないと伝えられないもの。その人たちの数は確実に減っています。
先日友人の子供に会いました。平成23年生まれと聞いて頭が回らなかったけど、この子達に自分は何を伝えられるんでしょうか。阪神大震災のこと。地下鉄サリン事件のこと。9.11のこと。3.11のこと。いっぱいいっぱい伝えたいことがありますが、言葉ではうまく伝えられません。あの時の空気は言葉を遥かに超えています。68年後、僕は97歳になっています。死んでいるかもしれません。それでも薄皮一枚彼らに手渡せたらいいな、と思います。
その手渡す作業を作品を通じてやってるのが石内さんですね。
この映画でも、国を超えて様々な人々の心を揺さぶっていました。
これまでのヒロシマという過去から、ひろしまという現在へつなぐ営み。
(ここでカタカナでなくひらがなを採用しているのは大きいですね。フクシマもそうですが、カタカナになった途端に突き放される印象があります。まあ外国では通じないですが)
映画の中で、広島の被爆者の女性と結婚したカナダ人の方のお話は胸を打ちました。
彼は散々アジア人は野蛮で劣った民族だと教育されてきて、実際日本に行ってみて美しい町並みと礼儀正しい人々に出会い、そこで人生の伴侶まで見つけてしまいます。
こういうのを聞くと自分の日本人としての誇りが蘇ります。
また、韓国人の観客の声を聞けたのもよかった。日本人は被害者だけでなく加害者であったことも忘れてはいけません。
とまあ、石内さんの作品に対しては色々思うことがありましたが、この映画自体はドキュメンタリーとして評価はできません。スローモーションの多用、切れ切れのコメント、音楽の入れ方。そのどれもが観ていてノイズにしか感じられませんでした。
なので映画自体はお勧めできませんが、改めて石内さんの作品を考えるきっかけにはなりました。
あと、今日は久々にノマルに行ってきました。
今村君がベルリンから帰ってきて以降初の発表です。
今回出品されてたのは、雨のアニメーションとその版画、それと立体です。
立体は、ソレノイドがオブジェ(塗料缶、すのこ、ブタの蚊遣り器、バケツ、アクリルボックス)を打つもの。これを使ったインスタレーションはここ最近展開していましたが、単体の立体として発表したのは初めてみました。オブジェンになっても、インスタレーションの感覚を損なうことなく存在してたのはさすがでしたね。ひとつ欲しかったですが、残念ながらすでにすべてソールドアウト!
他に、安慶田渉さんと舟田潤子さんの作品も展示されています。9月7日まで。
それと、もういっかと思いつつも堂島リバービエンナーレへ。
始まった時点ですぐ終わるかと思いきや意外に続いていてすでに3回目。
3回目の今回はなんとルディ・ツェンという台湾のキュレーターで、何気に日本のビエンナーレトリエンナーレで外国人ディレクターは初かも。
でもまあ、彼はインディペンデント・キュレーターではあるもののフルタイムのアートコレクター(フルタイムって!w) 展覧会自体、水をテーマに、キュレーションというよりは、集めてきましたって感じのセレクトでしたね。まあ、テーマを一貫させてたのはいいと思いますが、展覧会としてはやはり陳列って感じでした。一個一個のつながりが希薄。これ過去3回ともそんな感じですね。クオリティ落ちも上がりもしない。。。個人的に観たことある作品が多かったのも残念でした。参加作家は毎回やたらに豪華なんですがね。
そんな中でアラヤー・ラートチャムルーンスック(覚えられへん)の「クラス」という作品は衝撃。死体に向かって「死」についての授業をする映像。。。あれホンマに死体やったんかな?B級映画よろしく最後は皆立ち上がって終わるんかと思ったらホンマに寝たままやったし。。。うーん。
堂島リバービエンナーレは8月18日までです。

碓井ゆい「shadow of a coin」@ studio J

現在「うつせみ展」のメンバーが続々と展覧会中です。
中でも碓井さんのstudio Jでの個展は、うつせみ展で見せたshadow workがさらに発展したもので、なんだか嬉しい。
オーガンジーでできた大きな日本のコイン(1円玉と50円玉)。
そこに描かれて(編まれて)いるのは、掃除をする女性たち。
中には「NO NUKES」や「BAD CONSUMER」の文字も見いだせますが、すごく軽やかにさりげなく織り込まれているので、そういった社会的なメッセージも軽やかに発せられていて、全然押し付けがましくない。
また、奥には新作の香水の瓶たち。
そのラベルには日本女性らしい名前がそれぞれに印刷されていて、それらは実際日本に連れてこられた従軍慰安婦たちの無理矢理つけられた日本名らしい。
そういった政治的な作品にも関わらず、コイン同様碓井さんの作品はその佇まいにどれも品があって、すごくバランス感覚の優れた人だなと改めて思う。
「うつせみ展」でも、女性の家事(陽のあたらない仕事=shadow work」をテーマに、女性性に焦点を当てた作品を近年取り組まれていて、それはご自身が結婚されたことともつながっているのかもしれない。そういった自分の日々感じる思いをそのままてらいもなく込めるやり方がとても潔いし、こういう問題を扱われると男の自分は一歩下がってしまいがちなんだけど、そのエレガンスに思わず引きつけられてしまう。
shadow workが作る本物の影もとても美しかった。4月13日まで。

つづいて、岐阜県のGALLERY CAPTIONで開催中のグループ展「pink noise」。
こちらには寺田さんと大舩さんが参加されています。
特に手前の小部屋の大舩さんの展示がすごすぎて衝撃。
「うつせみ展」に出されていた白い作品のシリーズで、作品自体はほとんど変わらないのに、見せ方で表情が激変。本当変幻自在。入って左の壁と正面の壁に2点。それだけなのにいつも見ている部屋がまったく違うように感じられた。光の当て方や、それぞれに当ててる光の色温度、さらにこのギャラリーの窓から差し込む自然光によって、絶妙なコントラストが部屋にもたらされている。特に左の作品のスポットが真正面からでなくちょっと左から当てられてて、影が斜めに出てるので最初目の錯覚かと思った。こういうこと普通しないんだけど、その決断がすごい。お見事でした。
ついついなぜ「pink noise」なのか聞くの忘れてました。。。4月20日まで。

2日間のみの企画でもう終わってしまいましたが、京都は亀岡にあるみずのき美術館で開催された「HOME PARTY」という展覧会。こちらには今村君と森さんが出されてました。(4月14日まで延長決定だそうです。月火休。入場料400円)
ここは、いわゆるアールブリュットの美術館で、昨年秋にオープンしたばかりで、建築も乾久美子さんが手がけたってのもあって、前から行きたいと思ってました。
元々ある建物を改修したもので、中の開放感が気持ちよかったです。
今回の展示では、アールブリュットの作家さんたちと、今村君たちがそれぞれ1対1で共演のように作品を作るというもので、まずは河合晋平さんの作る虫のような彫刻と、虫の絵を描き続ける森川大輔さんの共演。なんとお二人は偶然同じ虫の図鑑を持っていたというエピソードもあり、お互いの図鑑も展示されてました。森川さんの作品の色に合わせて作られた河合さんの虫の彫刻。とてもおもしろかった。
森さんは、丸毛浩嗣さんが毎日のように折っている折り鶴を、自身の作った机の上に並べてもらうというもの。以前に森さんは自身の作品で折り鶴を作っていたので、最初普通に森さんの作品かと思いました。それにしてもその折り鶴がすごくて、1枚の紙から何匹もの折り鶴をおるという連鶴があって、最初くっつけてるんだと思ってたのでびっくりでした。どうやって作るんやろ。
そして今村君は既にお亡くなりになった、吉川敏明さんの「家」と題されたクレヨンの作品をチョイス。これがすごく良くて1枚欲しかったです。そして今村君自身は地下と2階に展示。地下は灯台の作品、2階は「うつせみ展」で見せた音の作品。しかし新作がすごくて、地下にオープニングまで置いてた沈丁花の鉢植えを2階の倉庫に移動させ、その痕跡(葉っぱや花びら)を見せるというすごい境地に!その花の香りも会場に漂ってて、ついにここまできたかといった感じでした笑
他にも、職員の「美保さん」を主人公に描いたタブローや、手の動きがそのまま画面に顕われている宮川佑理子さんの絵などもありました。残念ながら砂連尾理さんのパフォーマンスは見れませんでしたが楽しめました。
上記3会場では展覧会期間中「うつせみ展」のカタログ販売中です。よろしくお願いします。

studio90でもやってくださった山岡さんの展覧会。Gallery PARCにて。
なぜかDMに僕が書いたグチック論が載ってますw
今回はこれまで「GUTIC STUDY / グチック考」というタイトルだったのに、今回から「グチック・メリステム」と改まっています。
メリステムとは植物の茎や根の先端部に存在する小さな組織のことらしく、成長のメタファーとして使われているのでしょうか。
そして作品はなんと初っ端から油絵で驚きでした。
それと、これまでモノクローム(黒OR赤)だったグチックが、白くなっていて、その形を探る痕跡が目に見える形になりました。これはすごく大きなことでしょうね。
これまでの山岡さんの作品は手技感が見えないように作られていました。しかし実際は、そのグチックという形を探るために何百、何千というトライ&エラーを繰り返した上に成り立っているもので、それを被っていた影が今回取り払われたのは、ある種の必然的進化だったのかもしれません。
これまでの手技を拭うような作業はやはり作品を作品然と見せようとしていたきらいがあったのに対し、今回のメリステムは、その意識から解放されたような清々しさがありました。
それを端的に表すのが、奥にあったプロセスを投影した映像ですね。
これからまたどんな進化がグチックにもたらされるのか楽しみです。3月31日まで。

@kcuaで開催中の「犬と歩行視」展。
内容はグループ展ですが、ほぼ林剛に焦点を当てた画期的な展覧会。
林さんは、ある時から文字をそのまま作品にするという作品で一躍脚光を浴びます。
見てください、この「いいわ」の応酬w
ずっと見たいと思ってた作家だったので、今回これだけの数の作品が見れて大満足です。
特に彼の代表作といっていい『犬』が見れたのは本当にうれしい。
写真でしか見たことなかったので、てっきりキャンバスに書かれていたのかと思ってたんですが、鉄のまさに看板のようなものに書かれていたんですね。
階段の上に展示されてる様は神々しさすらありましたw
あとは「犬笑い」と題された映像とかヤバすぎる。。。前衛ってすごいです。
また10月に第二弾が予定されてるとのことなので、そっちも楽しみ。3月31日まで。
「夢か、現か、幻か」@国立国際美術館

10作家による全部映像の展覧会。
予想はしていましたが、まあ時間がかかりました。。。
全部まともに観たら5時間以上かかるでしょうね。
初っ端ジャオ・チエアンの映像で63分ですからね。。。
次のヨハン・グリモンブレなんて2本立てで、68分と80分ですからね。鬼。
その次のスティーブ・マックイーンなんて映像というかスライドで、音声もわけわからないことばかり言ってて70分。この部屋の監視の方はさぞ地獄かと思われます。。。
こんな感じでのっけから、正直観れない。
美術館で映像を観るのって、個人的に10分が限界。よほどおもしろければ別だけど。
そんな中で唯一最初から最期まで観れたのはチョン・ソジュンの5つの映像作品。
消え行く伝統職人を追ったドキュメンタリーのような作品で引き込まれました。
今回の展覧会の中で、さわさんみたいな作り込んだ映像よりも、現実を追ったような映像の方が逆に空々しく見えて面白かったです。
展覧会としては、もう少し問題設定を絞るべきだったと思います。
「夢か、現か、幻か」なんて、あまりに漠然としてるし映像全部に当てはまりますよ。
ただでも映像展は注意散漫になりがちなんだからもう少しキュレーションの力でまとめてほしかったですね。
それと、今回も国立国際のお家芸というべき「複数個展」形式でしたが、今回のはここまで来たらすごいぜ!ってぐらい部屋が複雑に分かれていて逆におもしろかったです。設営大変やったろうなぁ。。。まあ、映像は暗闇が必要だし、こうなるのは仕方ないんですが。
映像だけの展覧会といえば、昔ベルリンのHamburger Bahnhofで映像展がやってて、観ても観ても終わらない地獄になった記憶がありますw
映像ってやっぱ絵画を並べるみたいにはいかないから難しいですね。
インスタレーションとして見せたい作家もいれば、映像だけ観てもらえればそれでいいって人もいるだろうし、そこだけでも絞ればおもしろかったかも。後者だったら映画館みたいにプログラム組んでちゃんとふかふかの椅子用意して、みたいなのとかできそう。長い上に椅子もないとか見せる気あんのか?って思います。映像の人は投影イメージだけでなくて、観客へのホスピタリティも考えるべきだと思いますね。
「佐川晃司展ー絵画意識ー」@ galerie16
大学の恩師佐川さんの個展に行ってきました。
なんだかんだでここ数年毎年のように勢力的に発表されてて、見る度に圧倒される作品群に驚かされます。
今回も階段上がってガラス越しに見える菱形のドローイングにやられました。
不定形な、木々の枝のようなものもありましたが、やはり僕は菱形の作品が好きです。
形がはっきりしているからこそ、よりわけわからなくなる感じが迫ってくるんですよね。
それはメインの油絵の色彩が加わるとより顕著になります。
しかも今回はオレンジの暖色が非常に強く出ていてびっくりしました。
これまでは、ほとんど緑色の色調だったので。
この展覧会タイトルが示しているとおり、佐川さんは意識的に絵画に取り組んでる作家です。
絵画じゃないとできないこと、絵画にしかできないこと。それが徹底して画面に顕われてる。
26日には、愛知県美のポロック展を担当された大島さんとの対談もありました。
実際行くことはできなかったのですが、音源だけ手に入れて聞きました。
ここでも絵画について徹底的に話されていてとてもおもしろかったですね。
また、先日東京のαMで行われた、田中功起さんの「絵画TV」もありましたし、こうして今改めて「絵画とは」と問い直すことは非常に意義のあることだと感じました。
メディアにとらわれるのはナンセンスだという意見もあるでしょうが、絵画ってやっぱり独特なメディアだと思います。物質的でありながらイマジナリーである、現実とイメージの往還がしょっちゅう行き交ってるんですよね。そこにつきあえるかつきあえないかの問題はすごく大きいと思います。僕はそこが耐えられなくて画家にはなれなかったんですが、今でも絵画の問題を考えるのはホームグランドのような気がしてストイキツァの本とか意識的に読んでます。
「絵画TV」の会田さんや岡崎さんのような真逆なアプローチだけど、絵画愛をもった人たちの話を聞くのは本当に楽しいです。
佐川さんの展覧会は今週末2月2日まで。
あと母校でやってた「溶ける魚−つづきの現実」展にも行きました。
「溶ける魚」と言えば、シュルレアリズムの団長的存在アンドレ・ブルトンのあまりに有名な作品のタイトルですが、その「シュール」という言葉自体が現在あまりに浸透しすぎていて、ともすれば芸術作品すべてが「シュール」と言えなくもない。2013年の今、この展覧会が捉える「シュール」という言葉はどこに帰着するのか。そのことが展示を通してほとんど宙づりにされていたのは残念でしたね。例えばブルトンの自動記述の文章持ち出してきて作品と一緒に展示したりとか色々やり方はあったと思うんだけど。
あえてこの展覧会のポイントを挙げるなら「つづきの現実」という言葉こそが、この展覧会の本質な気がします。花岡さんの突拍子もないものとものとが接ぎ木されたような彫刻群や、荒木さんや林さんによる日常品を組み合わせたインスタレーション、或は絵の具そのものを描いた松山さんなど、「シュール」という言葉に付随する「浮世離れ」といったイメージとはまた違った性質が見えてくるのはおもしろかったかな。これらの作家の作品は、現実から跳躍せず、あくまで地に足着いたまま知覚をズラし、そこから見えてくる風景を提示していた気がします。このことが今現在のシュルレアリズムとして打ち出せる手段になりうるのかも。ブルトンは『シュルレアリズム宣言』の末尾をこう閉めています。「生はべつのところにある」。この「べつのところ」をこれらの作品を通してもう少し明確に打ち出して欲しかったなーと思いました。
また、京都伝統会館でやってた「胎内巡りと画賊たち」も、民芸的な展覧会ってのはわかったんですが、演出がちょっと凝りすぎててついていけなかった感が。。。
こっちにも「溶ける魚」にも出してる木村さんは、やたらと絵がうまい!
安喜さんとのコラボはコラボの域を超えててすごかったです。
絵の上に絵を被せるとかこの2人ならでは。。。
全然違う2人なのにここまでの合わせっぷりは双子みたいです。
この2人はさらにHRD FINE ARTでも展示していました。
こっちはブルトンのテキストの引用である「鳥達は色を失ってから形を失う」というタイトルがついてて、展示もずばりで小規模ながらおもしろかったです。
最近作家主導の展覧会が多いですが、どうも仲間を寄せ集めました的なのが多い印象。
かくいう自分も昨年やったばかりなので、自戒も込めて観ちゃいました。
なんだかんだでここ数年毎年のように勢力的に発表されてて、見る度に圧倒される作品群に驚かされます。
今回も階段上がってガラス越しに見える菱形のドローイングにやられました。
不定形な、木々の枝のようなものもありましたが、やはり僕は菱形の作品が好きです。
形がはっきりしているからこそ、よりわけわからなくなる感じが迫ってくるんですよね。
それはメインの油絵の色彩が加わるとより顕著になります。
しかも今回はオレンジの暖色が非常に強く出ていてびっくりしました。
これまでは、ほとんど緑色の色調だったので。
この展覧会タイトルが示しているとおり、佐川さんは意識的に絵画に取り組んでる作家です。
絵画じゃないとできないこと、絵画にしかできないこと。それが徹底して画面に顕われてる。
26日には、愛知県美のポロック展を担当された大島さんとの対談もありました。
実際行くことはできなかったのですが、音源だけ手に入れて聞きました。
ここでも絵画について徹底的に話されていてとてもおもしろかったですね。
また、先日東京のαMで行われた、田中功起さんの「絵画TV」もありましたし、こうして今改めて「絵画とは」と問い直すことは非常に意義のあることだと感じました。
メディアにとらわれるのはナンセンスだという意見もあるでしょうが、絵画ってやっぱり独特なメディアだと思います。物質的でありながらイマジナリーである、現実とイメージの往還がしょっちゅう行き交ってるんですよね。そこにつきあえるかつきあえないかの問題はすごく大きいと思います。僕はそこが耐えられなくて画家にはなれなかったんですが、今でも絵画の問題を考えるのはホームグランドのような気がしてストイキツァの本とか意識的に読んでます。
「絵画TV」の会田さんや岡崎さんのような真逆なアプローチだけど、絵画愛をもった人たちの話を聞くのは本当に楽しいです。
佐川さんの展覧会は今週末2月2日まで。
あと母校でやってた「溶ける魚−つづきの現実」展にも行きました。
「溶ける魚」と言えば、シュルレアリズムの団長的存在アンドレ・ブルトンのあまりに有名な作品のタイトルですが、その「シュール」という言葉自体が現在あまりに浸透しすぎていて、ともすれば芸術作品すべてが「シュール」と言えなくもない。2013年の今、この展覧会が捉える「シュール」という言葉はどこに帰着するのか。そのことが展示を通してほとんど宙づりにされていたのは残念でしたね。例えばブルトンの自動記述の文章持ち出してきて作品と一緒に展示したりとか色々やり方はあったと思うんだけど。
あえてこの展覧会のポイントを挙げるなら「つづきの現実」という言葉こそが、この展覧会の本質な気がします。花岡さんの突拍子もないものとものとが接ぎ木されたような彫刻群や、荒木さんや林さんによる日常品を組み合わせたインスタレーション、或は絵の具そのものを描いた松山さんなど、「シュール」という言葉に付随する「浮世離れ」といったイメージとはまた違った性質が見えてくるのはおもしろかったかな。これらの作家の作品は、現実から跳躍せず、あくまで地に足着いたまま知覚をズラし、そこから見えてくる風景を提示していた気がします。このことが今現在のシュルレアリズムとして打ち出せる手段になりうるのかも。ブルトンは『シュルレアリズム宣言』の末尾をこう閉めています。「生はべつのところにある」。この「べつのところ」をこれらの作品を通してもう少し明確に打ち出して欲しかったなーと思いました。
また、京都伝統会館でやってた「胎内巡りと画賊たち」も、民芸的な展覧会ってのはわかったんですが、演出がちょっと凝りすぎててついていけなかった感が。。。
こっちにも「溶ける魚」にも出してる木村さんは、やたらと絵がうまい!
安喜さんとのコラボはコラボの域を超えててすごかったです。
絵の上に絵を被せるとかこの2人ならでは。。。
全然違う2人なのにここまでの合わせっぷりは双子みたいです。
この2人はさらにHRD FINE ARTでも展示していました。
こっちはブルトンのテキストの引用である「鳥達は色を失ってから形を失う」というタイトルがついてて、展示もずばりで小規模ながらおもしろかったです。
最近作家主導の展覧会が多いですが、どうも仲間を寄せ集めました的なのが多い印象。
かくいう自分も昨年やったばかりなので、自戒も込めて観ちゃいました。
「Influence -差響する「」-」@ギャラリーフロール

母校の精華大学に行ってきました。
目的は後輩先輩の展覧会を観るのと木下長宏さんの講演を聞きに。
ここのギャラリーフロールの展示がすごくよかったので報告します。
写真もたくさん撮らせてもらいました。
この展示は後輩の岸本沙央梨と山城優摩の二人展。
二人とも全然違う作品なのに、全然違和感無く並置されてるのが素晴らしかった。
二人の作品がすごくよかったのはもちろんのことこの空間感がすごく気持ちよかったです。
彼らの作品は前回常懐荘行った時に観てましたが、やはりホワイトキューブが合うのかも。
あの時よりもずっとよく見えました。
ということで二人の作品を紹介します。

岸本沙央梨「記号Yについて」(2012)

岸本沙央梨「アレロパシー物質について」(2012)

山城優摩「reflection 1」(2012)

山城優摩「view」(2012)「drawing」(2012)

山城優摩「mimic1」(2012)

山城優摩「mimic3」(2012)
二人とも構築的な作品で非常に僕好み。
岸本さんの発泡スチロールの作品はものすごくかっこよかったですね。
あの造形センスはすごい。発泡スチロールってこんなかっこいい素材やったんやって。
普通発泡スチロールは造形の型用とかにしか使わないんですが、これは立派な彫刻になってる。
素材の持つ肌理の面白さとかも充分に生かされてましたね。
ただ、ドローイングが彫刻に追いついてない感がありました。洋画なのに笑
僕もドローイングは不得意っていうかやらないので人のこと言えませんが。
塩田さんもドローイングあんまりですもんね。精華洋画の伝統なのかな、という言い訳。
鉛筆で描かれたドローイングは結構よかったですね。
あと素材がわからんのだけど、陶のような作品もよかった。
自分的に山城君の作品にやられました。センスのよさ半端ない!
シェイプドキャンヴァスなんていうレベルじゃないぐらい歪められた画面とか!
ステラなんて屁でもないですね。
というかよくこれ自分で作ったなっていうレベル。。。
色の選択もいちいちセンスがいいですね。
あと立体。日常品との組み合わせがすごく気持ちいい。
mimic1は鉢植えと、mimic3はプリンターと。いいです。
ドローイングとかも建築っぽくて、実際建築学生とかが観ても面白がれると思う。
後輩ながらやられたーってぐらいいい展覧会でした。
また同時に先輩の袖岡千佳さんの-平熱の草いきれ-展もやってます。
4点のみですがこちらも力強いです。個人的にはドローイングの方が好きでした。
そして2階には村岡三郎のコレクションが!
こちらはかなりミニマルな展示ですがやはりすごいです。
村岡さんは精華の洋画でも教えてらっしゃったので、現在フロールは洋画づくし。
22日までなので是非!!
http://www.kyoto-seika.ac.jp/fleur/past/2012/1213influence/index.php
奥の校舎でも洋画の学部生が「昨日の手が明日の足音を照らしだす」という展覧会を開催中です。
こちらは学生同士が、キュレーションをし合ってお互いの作品を客観的に照らし出すというもの。
おもしろかったのは、中島伽倻子がやってたキュレーションで、2人の学生の作品の画像を彼女なりのやり方で展示していて、それキュレーションの枠超えてるやろって感じなんですが(笑)、そういうやり方も作家のキュレーションらしくておもしろかったですね。
こちらは20日まで。
そしてこの日は木下長宏さんのレクチャーが。
「ミケランジェロとともに考える」という講演で、これ実は高校生に向けたレクチャーなんですが、高校生にまぎれて参加しました(死) 一回り近く違うのか。。。
ミケランジェロの作品をヴァティカンのピエタから順に追っていくんですが、いかにミケランジェロの作品を知らなかったかがわかりました。。。
特に晩年の彫刻がすごい!!
彼はピエタをいくつか制作してるんですが、知られてるのは初期の均整の取れたピエタのみで、実は晩年のピエタの荒々しさが凄まじいです。
よく研究者の間では、これらの作品は「未完成」と判断されてるんですが、これを木下さんは「完成」/「未完成」という二項対立では計れない「完全」があると仰ってました。確かに彫りかけの部分とか多々見受けられるんですが、その力強さたるやすごい。生で見たい。
ミケランジェロとよく並べられるのがレオナルドですが、彼の場合は「完成」という確固たる目標があってそこに向かって制作されてるのに対してミケランジェロはそこを設定してないんじゃないかと。
おもしろいのが、レオナルドの場合はその「完成」という目標があるにも関わらずそこにたどり着いてない単なる「未完成」の作品が多いという点ですね。
彼は描く画面を前に3日も4日もうんうん唸ってたというエピソードがあり、そういう人にとって当時の油絵の技術というのは画期的だったんでしょうね。ミケランジェロのようにフレスコでガンガンやっていくやり方しかなかったらレオナルドは一生作品を残せてなかったかもしれません。
木下さんは結びに、20世紀の近代的な考え方というのは、非常にレオナルド的。レオナルドは秩序を重んじた人。それに対してミケランジェロは混沌を見いだした人。この混沌の考え方はこれからの21世紀に向けた問いになるのではないかと。
これまでやはりレオナルドと言えば広く知られていて、なんでもかんでも彼に結びつけられて考えられてきましたが、これからはミケランジェロの時代が来ると予言されてました。
非常に刺激的な講演。是非ミケランジェロを訪ねる旅をしてみたいものです。
高校生にどこまで伝わったか気になるところですが笑
ということで今年の観覧は以上ですー。次回まとめ、られるかな。。。
宮永愛子:なかそら-空中空- @国立国際美術館

韓国以来全然書いてませんでしたが、帰って来てから結構色々見ました。以下リスト。
宮永愛子:なかそら-空中空- @国立国際美術館
「かげうつし――写映・遷移・伝染――」@ @KCUA
「アブストラと12人の芸術家」@ 大同倉庫
龍野アートプロジェクト2012 「刻の記憶 Arts and Memories」@ 龍野市
越野潤「perspective」@ART SPACE ZERO-ONE
芳木麻里絵展 @ SAI GALLERY
ジョミ・キム展 @ Port Gallery T
木村友紀 x 落合多武展 @ 小山登美夫ギャラリー京都/タカ・イシイギャラリー京都
牡丹靖佳展「片方もの、もしくは盗人のコレクション」@ ARTCOURT Gallery
その中でも宮永さんの個展はダントツで良かった。
宮永さんの個展が国立国際でやるって聞いた時点でかなり期待してたけどそれを凌駕する内容。
やはりこの人の空間把握能力は並外れてますね。
あの使いにくそうな空間が見事な展示空間へと昇華されてました。
順路通り行くと、10m以上ある長いアクリルボックスにナフタリンで作られた日常品がずらーっと並べられてていきなり壮観な景色が眺められます。
行ったのは会期始まって1ヶ月ぐらい経ってからだったので、どれぐらい形を留めてるのかが少し心配でしたが案外崩れてませんでした。
その先には天井まで続くポールのようなアクリル筒の中に糸で出来た梯子が入ってて、そこにナフタリンが再結晶化し付着していってました。このポールのような展示は資生堂でもやってましたね。
奥に進むと樹脂で固められたナフタリンの椅子!これめちゃくちゃ美しかった。
椅子の足の下に穴があいてて、展示中は閉じられてるんですが、この「ふた」を開けるとナフタリンの気化が始まって最後には椅子の抜け殻ができるという。。。これはすごい。空っぽの状態も見てみたいですね。
そして圧巻は天井に向かって垂直に架けられた梯子の展示室。
この空間は本当にすごいですね。
元々の柱に加えて、布で出来た柱や木で出来た柱など、空間に柱が林立してます。
それに合わせて梯子が架けられ、その間にはアクリルボックス。中にはナフタリンでできた蝶。
中には崩れてるものもあって、もうなんか言葉にならないぐらいすごい。
その部屋を抜けると、吹き抜けに金木犀の葉っぱの葉脈を張り合わせて出来た12mもの絨毯が架けられててこれも圧巻。昨年の春にミズマギャラリーで発表されて話題になってて観に行けてなかったのでついに見れた!という感動。
その横には塩の糸も展示されてて、最後には梯子が架けられてる。
出展作品はすべて新作で、これだけの規模を埋めるのに決して回顧展になってないのが素晴らしい。
まだまだ宮永さんには塩の作品で会場を埋めることもできるし、陶器の作品も出てないしといった可能性が担保されてて、すごいポテンシャルのある作家だと改めて感じました。
ご縁でトークも聞きに行かせてもらったのだけど、彼女の制作に対するいい意味での頑固さを感じることができました。
惜しむらくは、ナフタリンや金木犀、塩という素材を用いながら、会場にまったくその匂いがしなかったことかな。美術館という場所の問題もあるかもしれないけれど、これだけ匂いの強い素材を用いてるのだから、嗅覚を刺激するような体験があってもいいのにな、と思いました。
なんにしても素晴らしい展覧会。12月24日のクリスマスまで!
僕は2回行きましたが、形が少しずつ変化しているので何回行っても楽しいと思う。
こうやって今はどんな形になってるんやろう、と想像するのもいいですね。あと1回は行きたい!
それからついに宮永さんの作品がまとまったカタログも出てるので是非!こちら。
あとは、京都で開催前から話題になってた2つの展覧会。「かげうつし」と「アブストラ」。
どっちもプロのキュレーターがやった企画ではない意欲的な企画ですね。
「かげうつし」は以前京都芸術センターでやってた「gadget」展を企画してた美学の林田新さん企画。
現代の美学における「うつし」とは何か。副題にもあるように、映像だけではない様々なメディアを使う5人の作家を挙げながら追求して行くような、非常に「骨」がしっかりしていて、作品も質が高くて「肉」もしっかりしていて、おもしろい展覧会でした。でもなんか消化不良。多分挙げてる作家が5人しかいなかったってのが惜しいところなんでしょうね。これだけで「うつし」の問題を追及できるとは思えず、美術館クラスで一度見てみたい企画だな、と思いました。展示も敢えてキャプションが置かれてなくて、作家同士をミックスした展示でしたが、なんかスマートすぎる感じがしました。こちらは会期終了。
その点で、「アブストラ」はカオスな感じが展示としてよかったな、と思いました。場所も美術の空間ではない荒々しい倉庫で、Herzog & de Meuron出身の若手建築家、高橋史子さんの会場構成もすごくかっこよかった。
ただ、こっちの場合は、作家の田中和人の掲げる「アブストラ」(女性的な抽象)という概念がつかみにくく、その文脈に沿って観ようとすると結構無理があったと思います。そもそも抽象の男性/女性って何?っていう。ニューマンやポロックのような抽象と対置させたかったのはなんとなくわかるんですが。作品もそれぞれおもしろかったけど、誰のがどうこうっていう視点で見えなかったのは良かったと思います。展覧会の総体として作り上げてる感じに好感持てました。16日まで。
そして友人知人の展示。
龍野プロジェクトはめちゃくちゃ遠かったけど行ってよかったです。
やはり今村君の渾身のインスタレーションはすごくて、元醤油蔵の静かな空間で堪能できました。
あまりに長くいすぎて監視の人が心配して入って来たほど心地よかった笑
あと映像作品が今村君がやりたいことが明確になって来てる感があって、こっちを観れたのも大きかった。
松谷さんの展示も素晴らしかったな。
ゼロワンでやってた越野さんの展示は、越野さんのこれまでとこれからが小さな空間に詰まってる感じで内容の濃い展示でした。
椅子を座って眺められるのもいい感じ。
行った日はパーティーで越野さん特製の料理も食べれて至れり尽くせりでした。
サイギャラリーの芳木さんの展示もよかった。
インクで影まで表現するのは新しい方向だけど、インクの層の実際のパースと、それで表現されてる布のパースの差異がおもしろかった。
近くのポートギャラリーのキムさん作品も初めて見たけど、今回は写真で、アナログのザラザラした感じがすごく美しくて、やっぱりデジタルでは出ない良さがありましたね。
展示方法も凝っててインスタレーションとしてもおもしろかった。
来年2月の資生堂エッグに出ますね。
それから小山/タカイシイでやってる木村友紀 x 落合多武展も相当素晴らしいですね。
落合さんの作品純粋に好きです。脱色する絵画。
木村さんはパーテションと写真をセットで彫刻として発表してるのがすごかった。
下ではこの二人がキュレーション(?)した展示もやっててこれもよかった。
僕が見たことのあるここでやってた展覧会で一番ですね。あまり見てないけど。
最後にアートコートでこないだから始まった牡丹さんの展示。
なんとこの春に絵本作家デビューを果たした牡丹さんのその原画も展示されてた!!!
僕はてっきり牡丹さんは絵だけを担当したんだと思ってたら話も書いてたんですね。
牡丹靖佳ファンにはたまらない絵本です。その原画だったんで生唾ダラダラ。
他にも新作やインスタレーションまで、やっぱこの人の世界の作り方は絶妙。
絵本買わないとなー。こちら!
最後の方飛ばしすぎてテキトー感がありますがこんな感じ。今年の関西はこれにて終了。
あと松井智恵や名和晃平展なんかも観たけど僕の中で観なかったことになってるのでノーコメント。
でも松井展でインスタレーションに使ってたレンガを展覧会後に6400円で売ってたのは吹いたw
「<私>の解体へ 柏原えつとむの場合」@国立国際美術館

約2ヶ月以上ぶりのアート記事です。あわわわ。
まだ夏は終わってないけど、この先特に観ることもないのでこの夏に見た展覧会まとめ。
「<私>の解体へ 柏原えつとむの場合」@国立国際美術館
この夏観た中でやっぱり一番よかった展示。
恩師柏原えつとむ氏の美術館では初となる展覧会です。
これほどのキャリアの作家で初というのは意外かもしれません。
柏原氏は作家至上主義の美術界に常に異を唱え続けてきた人です。
なので、美術館という権威の元、「個展」という形式に対し抗ってきました。
そこでこの展覧会タイトルです。
これはあくまで「柏原えつとむ展」ではありません。
たまたま「柏原えつとむ」という人物が表現したにすぎない、一つのバージョンだという表れです。
なので「場合」という言葉がついているんですね。
デュシャンの「与えられたとせよ」という命題に近いかもしれません。
60年代後半から70年代にかけて発表されてきた作品が一堂に会する貴重な展示でした。
特に「方法のモンロー」はすごい。
画家の持つ「個性」をひたすら否定し続けている。
それでもそこからこぼれ出る、手癖や感性にとても魅力を感じました。
「未熟な箱たち」もおもしろかったですね。
なんか観ていてやっぱり僕はこの人の影響を受けているな、とつくづく思いました。
僕も作家の個性といったものに抵抗があります。
現在柏原氏がその作家の個性というものに戦っていた時代よりも、さらにその作家至上主義は加速しているように思えます。
美術館側もそれに甘んじているような印象すら受けます。
この展示を通じて改めて色々思うところができた気がします。
ちなみにこの展覧会の図録はすごいです。700ページを超える記録。
辞書のような厚さで、装丁は柏原氏の作品「THIS IS A BOOK」を思わせるデザイン。
なんだか企画側の愛をすごく感じました。こういうのはいいなぁ。
ちなみに「THIS IS A BOOK」はショップでも購入可能。
中身はコレクション展でご覧になれます。
展示は9月30日まで。
「リアル・ジャパネスク」@国立国際美術館
柏原さんの下の階ではこの展覧会が開かれています。
この展覧会に出品されてる泉太郎さんのお手伝いをさせていただきました。
泉さんは、神奈川県民ホールの「こねる」展から、面白い作家だな、と思ってて、横浜トリエンナーレでも一番印象に残ってます。
twitterで、手伝い募集の情報が流れてきたので、のっかってみました。
中々大変でしたが、泉さんの制作の仕方が近くで見れてとてもおもしろかったです。
再びデュシャンの「与えられたとせよ」ではないですが、泉さんはその問いをずっと問い続けているような気がします。
もう次から次へとアイディアが湧いてて、没になってもへこたれずに新しい案を出す。
その感じはすごかったですね。
手伝ってる方としては、それらがどう展示に結びつくのか最後まで想像つかなかったですけど笑
最終的に展示を見て、普通に観客として楽しめました。
ちなみに僕は映像にがっつり出てるので探してみてください笑
で、展覧会自体ですが、手伝っといてなんですが、残念ながら僕的評価は相当低いです。
さっきの「作家に甘んじてる」という発言がそっくりそのまま当てはまるような展覧会ですね。
キュレーションが出来てるとは言いがたいです。
まあ、もうタイトル見た時点でえ?って感じなんですが、作家の個展が集まっただけで、全体をとおしてどうとかいうのが全く見えてこない。
いいキュレーションというのは星座のように、展示から展示へどんどん線が結ばれて行って、最終的にひとつになるような印象を受けますが、今回はてんでバラバラ。
この個展形式、「絵画の庭」あたりから国立国際定番みたいになってきてますが、そろそろ気づいた方がいいんじゃないかな。全然有効的じゃないって。
そりゃ運営側としては、やりやすいし、見せやすいんだろうけども。
「隠喩としての宇宙」@ Taka Ishii Kyoto / ANTEROOM
こちらもキュレーションとして機能しているとは言いがたい展示。
森美術館のキュレーターさんが企画してるものらしい。
まあ、2会場に分かれてるし、規模もそこまで大きくないので難しいかもしれないけど。
確かに土屋さんの作品とか「宇宙」を連想させそうなものもあったけど、全体として「宇宙」をまったく感じなかったのは僕だけでしょうか。
でも作品単位ではいいものもあったしいいんだけどね。
大舩さんのロビーの長い絵はすごい。
まるで今回のスペースに併せて作ったかのようにぴったりはまりすぎ。
あとで聞いたら、そこは普段鏡がかかっていて、その鏡の寸法がなんと旧作とほぼ一緒だったとか。
そんなことあるんですか。。。
だから鏡の額縁にはめるだけでよかったそうな。すごい。
あと、アンテルームの方の土屋さんの作品もすごい。
全然見つけられなくて受付の人呼んで見つけたのが。。。やられた感がありました笑
タカイシイは9月1日までですが、アンテルームは10月まで延長されたそう。
このホテル、実はそこまで高くないので京都来る人は泊まってもよさそうですよ。
「杉本博司 はじまりの記憶」
展覧会じゃなくて映画です。
全体を通して「杉本博司ってすごいね」って映画です笑
まあ、すごいのは間違いないんですが、もうすでに食傷気味ですね。
でも、学生時代の頃のことやらのエピソードも盛り込まれてて杉本ファンは必見です。
「トップダウン方式で上から攻めて行った」という、MoMAの作品購入エピソードはすごい。
それで一発でその賭けに勝ったわけですからね。
しばらく杉本さんの作品を自分から観に行くことはないと思うけど、小田原のは楽しみにしてます。
大舩真言「Voyage Intérieur -旅する内面-」@ gallery サラ
初めての湖西線に揺られ滋賀県は近江舞子へ。
湖西線すごかった。琵琶湖のほんの真横を通るので車窓からの風景がすごい。
近江舞子に着いたら、なんとギャラリーオーナーさんが迎えに来てくださった。
ものすごい狭い畦道を通り、車はどんどん森の中へ。
たどり着いた先は、凄まじい建物でした。。。
僕はてっきりカフェギャラリー的なものを想像していたのですが、美術館クラスの展示室。
様々な質の空間があって、そこらに点在する大舩さんの作品たち。
入ってすぐの黒い部屋では水平に置かれた大作。
中庭から入る燦々とした光が描く影により画面についてる鉱物がすごい存在感。
360度から眺められるので周遊するが、見る角度によって作品の表情が劇的に変わる。
同じ絵を見ているとは思えない感覚。
さらに、その光の影になってる場所に闇にまぎれるようにして一点展示されてました。
闇に目が慣れるまで見えない作品。こういうあり方もあるんですね。
そして最後まで気づかなかったけどこの部屋にはもう一点まぎれてました。
回廊には、色とりどりの、まるで海底に光が注がれているような作品がならんでいました。
これも白い回廊にぴったりでした。
しかし一番すごかったのが、丸い展示室(この展示室自体もすごい)にかかってた作品。
Rの壁に対して、1点真正面にかけられてるんですが、そのRによって、まるでこっちにせり出してるように見える。
全体に薄いグレイがかった画面で、近づくと相当複雑に色が重ねられてるのがわかります。
というか、それよりなにより、これまでの作品よりもさらに深化した抽象性。
これまでの作品は、さっきも「海底に光が」とか言うように、しばらく見てると、何かに見えてくる瞬間があるというか、それは人間誰しもものを見るのにこれまでの経験の引き出しから似たようなものを取り出して来てひとまずそれと比べようとするもんなんですが、この作品に関しては、いつまで見ていても何にも見えてこない。何も立ち現れてこない。この絵にしか見えない、といっても良いかもしれません。いや、もっと正確にいうと絵にすら見えてこない。やっぱり何にも見えてこないが正しいのかも。
これってすごいことだな、と思うんです。
これほど抽象度の高い作品って経験上見たことがないです。
最初の黒い部屋の奥にも、この延長とも言える白い画面の小品があるんですが、個人的にはこっちの方が込められてる抽象度は高い気がします。これは欲しい。。。
大舩さんの作品のここまでの到達、すごく感動しました。
空間も去ることながら、この作品たちを観に来る価値は相当あると思います。7月1日まで。
奥にはカフェもあって、行ったらかなり長居してしまいます。
その奥にも、先日関西日仏で観た丸い小さな作品も窓の風景を借景にして、ここならではのインスタレーションになってたし、いくつか小品も飾られてます。
帰りもオーナーさんに送ってもらってしまいました。。。
また来たいです!
驚愕過ぎてギャラリーの写真撮るの忘れました。。。
http://www.eonet.ne.jp/~utsuwa-sala/
ちなみに近江舞子には、恩師であり作家の中川好冝氏がやってるバーがあります。
金土日のみだったので行けませんでしたが、またの機会に!
川北ゆう「はるか遠くのつぶ」@ eNarts

同級生の川北ゆうさんの展示。
昨年のαMの展示を観に行けなかったので、まとめて観るのは久々。
入り口には、彼女がずっと取り組んでるながれるストロークの作品。
入って最初の部屋は、僕は初めて観る作品群で、ものすごくよかった。
絵の具を水に浮かべて、アクリルで掬うようにして作られる画面たち。
人の手を超えて生まれる彼女らしい作品で、特に2点ほど絶妙なバランスの作品があってかなり気に入りました。
奥の部屋は、ストロークの大画面で空間として気持ちよかったですね。
あれだけの画面を一人で仕上げるのは本当にすごいなぁ。。。
下の地下の作品が、トリミングしてるアクリル作品だったけど、これはまだまだ発展の余地ありって感じでした。ブラックキューブの展示かっこよかったですけどね。
あと茶室に1点。
彼女の作品はどの空間に置いても映える強度があります。
特にeNartsは様々な表情のある独特の空間なので、それをもろともしない感じが清々しかった。
6月30日までなので是非。ちなみにオープンは金土日のみです。
森太三「海を眺める」@ ギャラリー揺

京都の哲学の道周辺にあるギャラリー。
畳の展示室とお庭のセットで、ここも独特のギャラリーですね。
今回の森さんは、石膏像を砕いてさらに白に着色し、まるで海岸に打ち寄せる貝殻のように畳に配置したインスタレーションと、庭にそれらの破片で小さな山を形成されてました。
彼の場合は、小さなものから大きなものへと観客を導くのが本当にうまいな、と思います。
今回のインスタレーション、特に畳の方は、畳に座って、あるいは寝転がってでも、目線を低くして観ると、まるで波音まで聞こえてくるような大きな海のイメージが喚起されます。
そういう意味では大舩さんとはまったく逆の効果とも言えますね。
また、月並みな見方をするならば、西洋の美(石膏像)を破壊することで新たな美を創造しているのもおもしろいですね。よかったです。
この展示は6月3日で終わってしまいましたが、今月20日からneutron tokyoで展示が始まります。
僕は観に行けませんが、東京の方は是非!こちら。
「45x45 -On The Wall- Vol.2」@ GALLERY ARTISLONG
知人作家の越野潤さんが出してらっしゃるので観に行ってきました。
思えば越野さんと出会ったのも、前回2年前の同企画。
これには前回川北さんも出してました。
45cmx45cm内の作品を展示する展覧会。
今回越野さんの作品はまず見つけられないと言われてたので覚悟して行ったんですが、この企画の安藤さんに即効で場所言われてしまいました笑
それにしてもあれはやっぱり見つけられないでしょうね。。。
サイトスペシフィックな作品でした。攻めてますねー!よかったです。
他にもペインティングが何点かおもしろいのありました。6月24日まで。
「大イタリア展―Viva Italia!」@ studioJ
すごいタイトルの展覧会笑
オーナーさんの趣味が爆発!って感じですが、オーナーさんはとても良い方ですよ。
で、こちらには知人作家の碓井ゆいさんが出されてました。
この展示は、スタンダードブックカフェでもやってたんですが、同時開催とばかり思ってたら、studioJさんの展示が始まる頃には終わってた!
ということでそっちは観にいけませんでした。。。
で、Jですが、碓井さんはなんと陶芸作品を出されててびっくり。
そういえば最近陶芸もやってるとのことでしたが、なんでもできちゃうんですね。。。すごい。
他にも荒木由香里さんと加賀城健さんの作品がよかったですね。
小さいながらも良作が詰まった展覧会でした。こちらは6月23日まで。
矢嶋有司「formless works」@ N-MARK B1
関西ではなく名古屋の展覧会です。
この秋名古屋で展覧会をするので、その下見に行った際に立ち寄りました。
ちょうどこのN MARKという長者町にできたスペースがオープンしたとこだったので行ってみました。
矢嶋さんは、関西でも発表されてるので何度か観たことがあって、今回は、お店のペンコーナーにある試し書きの紙をモチーフに作品を展開していました。
落書きをネオン管にしてみたり、様々な試みをやってましたね。
ただ、やっぱり、実際のその試し書きの紙を額装してたのが一番おもしろかった。
ああいう何も考えずに書いた人の落書きって色んなこと孕んでます。
自分で生み出した造形ではないっていう着想自体がおもしろかったです。
ところでこのビルはまるごとデザインやアーティストがスタジオにしてておもしろかったですね。
今長者町は、閉じてしまった繊維業のビルをものづくりにあてがうプロジェクトが進行していて、これからの愛知のアートシーンを占う上でもおもしろいですね。
というかなによりみんな楽しそうにしてたのがよかったなー。
大阪もこうなってほしいんですが。。。はぁ。
おまけ
近江舞子駅前の周辺地図のイラストが卑猥だったので1枚ご愛嬌。
湖西線すごかった。琵琶湖のほんの真横を通るので車窓からの風景がすごい。
近江舞子に着いたら、なんとギャラリーオーナーさんが迎えに来てくださった。
ものすごい狭い畦道を通り、車はどんどん森の中へ。
たどり着いた先は、凄まじい建物でした。。。
僕はてっきりカフェギャラリー的なものを想像していたのですが、美術館クラスの展示室。
様々な質の空間があって、そこらに点在する大舩さんの作品たち。
入ってすぐの黒い部屋では水平に置かれた大作。
中庭から入る燦々とした光が描く影により画面についてる鉱物がすごい存在感。
360度から眺められるので周遊するが、見る角度によって作品の表情が劇的に変わる。
同じ絵を見ているとは思えない感覚。
さらに、その光の影になってる場所に闇にまぎれるようにして一点展示されてました。
闇に目が慣れるまで見えない作品。こういうあり方もあるんですね。
そして最後まで気づかなかったけどこの部屋にはもう一点まぎれてました。
回廊には、色とりどりの、まるで海底に光が注がれているような作品がならんでいました。
これも白い回廊にぴったりでした。
しかし一番すごかったのが、丸い展示室(この展示室自体もすごい)にかかってた作品。
Rの壁に対して、1点真正面にかけられてるんですが、そのRによって、まるでこっちにせり出してるように見える。
全体に薄いグレイがかった画面で、近づくと相当複雑に色が重ねられてるのがわかります。
というか、それよりなにより、これまでの作品よりもさらに深化した抽象性。
これまでの作品は、さっきも「海底に光が」とか言うように、しばらく見てると、何かに見えてくる瞬間があるというか、それは人間誰しもものを見るのにこれまでの経験の引き出しから似たようなものを取り出して来てひとまずそれと比べようとするもんなんですが、この作品に関しては、いつまで見ていても何にも見えてこない。何も立ち現れてこない。この絵にしか見えない、といっても良いかもしれません。いや、もっと正確にいうと絵にすら見えてこない。やっぱり何にも見えてこないが正しいのかも。
これってすごいことだな、と思うんです。
これほど抽象度の高い作品って経験上見たことがないです。
最初の黒い部屋の奥にも、この延長とも言える白い画面の小品があるんですが、個人的にはこっちの方が込められてる抽象度は高い気がします。これは欲しい。。。
大舩さんの作品のここまでの到達、すごく感動しました。
空間も去ることながら、この作品たちを観に来る価値は相当あると思います。7月1日まで。
奥にはカフェもあって、行ったらかなり長居してしまいます。
その奥にも、先日関西日仏で観た丸い小さな作品も窓の風景を借景にして、ここならではのインスタレーションになってたし、いくつか小品も飾られてます。
帰りもオーナーさんに送ってもらってしまいました。。。
また来たいです!
驚愕過ぎてギャラリーの写真撮るの忘れました。。。
http://www.eonet.ne.jp/~utsuwa-sala/
ちなみに近江舞子には、恩師であり作家の中川好冝氏がやってるバーがあります。
金土日のみだったので行けませんでしたが、またの機会に!
川北ゆう「はるか遠くのつぶ」@ eNarts

同級生の川北ゆうさんの展示。
昨年のαMの展示を観に行けなかったので、まとめて観るのは久々。
入り口には、彼女がずっと取り組んでるながれるストロークの作品。
入って最初の部屋は、僕は初めて観る作品群で、ものすごくよかった。
絵の具を水に浮かべて、アクリルで掬うようにして作られる画面たち。
人の手を超えて生まれる彼女らしい作品で、特に2点ほど絶妙なバランスの作品があってかなり気に入りました。
奥の部屋は、ストロークの大画面で空間として気持ちよかったですね。
あれだけの画面を一人で仕上げるのは本当にすごいなぁ。。。
下の地下の作品が、トリミングしてるアクリル作品だったけど、これはまだまだ発展の余地ありって感じでした。ブラックキューブの展示かっこよかったですけどね。
あと茶室に1点。
彼女の作品はどの空間に置いても映える強度があります。
特にeNartsは様々な表情のある独特の空間なので、それをもろともしない感じが清々しかった。
6月30日までなので是非。ちなみにオープンは金土日のみです。
森太三「海を眺める」@ ギャラリー揺

京都の哲学の道周辺にあるギャラリー。
畳の展示室とお庭のセットで、ここも独特のギャラリーですね。
今回の森さんは、石膏像を砕いてさらに白に着色し、まるで海岸に打ち寄せる貝殻のように畳に配置したインスタレーションと、庭にそれらの破片で小さな山を形成されてました。
彼の場合は、小さなものから大きなものへと観客を導くのが本当にうまいな、と思います。
今回のインスタレーション、特に畳の方は、畳に座って、あるいは寝転がってでも、目線を低くして観ると、まるで波音まで聞こえてくるような大きな海のイメージが喚起されます。
そういう意味では大舩さんとはまったく逆の効果とも言えますね。
また、月並みな見方をするならば、西洋の美(石膏像)を破壊することで新たな美を創造しているのもおもしろいですね。よかったです。
この展示は6月3日で終わってしまいましたが、今月20日からneutron tokyoで展示が始まります。
僕は観に行けませんが、東京の方は是非!こちら。
「45x45 -On The Wall- Vol.2」@ GALLERY ARTISLONG
知人作家の越野潤さんが出してらっしゃるので観に行ってきました。
思えば越野さんと出会ったのも、前回2年前の同企画。
これには前回川北さんも出してました。
45cmx45cm内の作品を展示する展覧会。
今回越野さんの作品はまず見つけられないと言われてたので覚悟して行ったんですが、この企画の安藤さんに即効で場所言われてしまいました笑
それにしてもあれはやっぱり見つけられないでしょうね。。。
サイトスペシフィックな作品でした。攻めてますねー!よかったです。
他にもペインティングが何点かおもしろいのありました。6月24日まで。
「大イタリア展―Viva Italia!」@ studioJ
すごいタイトルの展覧会笑
オーナーさんの趣味が爆発!って感じですが、オーナーさんはとても良い方ですよ。
で、こちらには知人作家の碓井ゆいさんが出されてました。
この展示は、スタンダードブックカフェでもやってたんですが、同時開催とばかり思ってたら、studioJさんの展示が始まる頃には終わってた!
ということでそっちは観にいけませんでした。。。
で、Jですが、碓井さんはなんと陶芸作品を出されててびっくり。
そういえば最近陶芸もやってるとのことでしたが、なんでもできちゃうんですね。。。すごい。
他にも荒木由香里さんと加賀城健さんの作品がよかったですね。
小さいながらも良作が詰まった展覧会でした。こちらは6月23日まで。
矢嶋有司「formless works」@ N-MARK B1
関西ではなく名古屋の展覧会です。
この秋名古屋で展覧会をするので、その下見に行った際に立ち寄りました。
ちょうどこのN MARKという長者町にできたスペースがオープンしたとこだったので行ってみました。
矢嶋さんは、関西でも発表されてるので何度か観たことがあって、今回は、お店のペンコーナーにある試し書きの紙をモチーフに作品を展開していました。
落書きをネオン管にしてみたり、様々な試みをやってましたね。
ただ、やっぱり、実際のその試し書きの紙を額装してたのが一番おもしろかった。
ああいう何も考えずに書いた人の落書きって色んなこと孕んでます。
自分で生み出した造形ではないっていう着想自体がおもしろかったです。
ところでこのビルはまるごとデザインやアーティストがスタジオにしてておもしろかったですね。
今長者町は、閉じてしまった繊維業のビルをものづくりにあてがうプロジェクトが進行していて、これからの愛知のアートシーンを占う上でもおもしろいですね。
というかなによりみんな楽しそうにしてたのがよかったなー。
大阪もこうなってほしいんですが。。。はぁ。
おまけ
近江舞子駅前の周辺地図のイラストが卑猥だったので1枚ご愛嬌。

川辺ナホ「ブリューテンシュタウブ」@ Port Gallery T

今月もほとんど展覧会観ないまま終わっていく。。。
ということで今月は4つ。ってまだ終わってないけどもうないかな。
その中でも最もよかったのは川辺ナホさんのPort Gallery Tでの展示。
昨年のshiseido art eggで記憶されてる方も多いのではないでしょうか。
僕はその展示は観てないんですが、今回観られて本当によかった。
ちょうどshiseido art eggの際にあの地震が起き、あの状況下で自分の作品を誰かに見せているというのは中々考えることも多かったと思う。
しかも川辺さんはドイツ在住で、母国が大変なことになっている中での海外生活とは中々つらいことも多かったと勝手に想像してしまいます。
そしてその一年を通して結実させたのが今回の展覧会だったんじゃないかな。
展示会場に置かれている作品は、すべてがモノクロームの世界。
しかもほとんどが黒。
普通黒というと、あまり元気になる色ではないのだけれど、にも関わらず、僕はひたすら彼女の作品に光を感じて、何か救われた気持ちになりました。
床に撒かれたレース模様の黒鉛は、カーテン越しに差し込む柔らかな光を想起させ、暗闇に点灯するクリスマスの明かりを撮影した写真にも人間の営みの中に欠かせない光を感じた。
映像も、暗闇の中を照らす作品だし、すべてに光の存在が欠かせなかった。
今回の展覧会のタイトルは、ドイツロマン派の詩人、ノヴァーリスの散文集のタイトルからとられた「花粉」を意味するドイツ語だそうだけど、やはり僕はこの展覧会に名前をつけるとしたら「Lichter(光)」だと思う。
あの小さな空間にメディアも違う様々な作品が置かれていたけれど、全てが一貫していて、すばらしい調和を織りなしていてとても気持ちよかった。
この展覧会は会期が延長され、GW中も日と月曜以外はオープンしてるみたいなんで、関西来られる方は是非。きっと清々しい気持ちになれます。
それにしても床のインスタレーションはどうなってるのだろう。。。オープニングで既に踏まれていたけれど、その崩れ方がまたすごく美しくてよかったなぁ。
ここのギャラリーは小さな空間の中で絶妙なバランスの展示が多くてお気に入りです。
http://www.portgalleryt.com/exhibitions/naho_kawabe_2012.html
越野潤「two colors」@ GALERIE ASHIYA SCHULE

知人作家の越野さんの展示。
今年できたばかりの芦屋の画廊です。
芦屋に画廊ってどんだけハイソなんだ。。。
どこか円山公園のeNartsと同じ匂いがしますね。
行ってみたら、建物まるごとギャラリーでびっくり。
この感じは恵比寿のMA2 Galleryみたいな感じですね。ただしこちらは一階のみ。
この建物、中も四角ではなく、不思議な形をしています。
決してやりやすいとは言いがたい空間ですが、今回の越野さんの展示は見事にその空間を扱っていたように思えます。
まるで建物の切り取り線のように小さな矩形の作品たちが壁をぐるりと囲みながら、観客を奥へ奥へと誘導していきます。
小さなアルミの周りの反射も美しくてよかったです。
残念ながら展覧会自体は終了しています。
にしても芦屋にマクドナルドがあるのがびっくりでした。
今村遼佑、久門剛史2人展「雨とクオンタイズ」@ Antenna Media
ここも初めて行く空間。Antennaさんの基地みたいな場所です。
元々工場かなんかを見事に改装していました。場所も五条にあって便利。
今回友人作家の今村君の展示がやってたので行ってきました。
今回今村君はなんと映像作品を出してました!
映像というより音にすごく関心があるのがわかる映像で、アプローチがやはり映像作家とは何か違う感じがしておもしろかったです。こういうどんな素材も平等に扱っていけるのが今村君の強みですね。これから映像がどうなっていくのかまた楽しみです。
さらに2階は今村君と久門さんの作品が融合したような空間が出来上がっててびっくり。
お互いが無理にコラボレーションしてるのではなく、各々自分の作品展示してるうちにそうなったみたいな感じがすごくよかった。
こちらも終了済みです。
佐川好弘「orz」@ GALLERY wks.
先日知り合った佐川君の個展。
orzをテーマに、様々なアプローチで作品が展開してましたが、いかんせん説明がないとわかんないことが多くて片山さん(オーナー)が大変そうでしたw
まずorzが何かわかんない人が多いそう。
僕も最初擬音語か何かと思ってて、結構わかるまで時間がかかったのを覚えてます。。。
そしてDMになってるイメージは、ある漫画から主人公がひざまづいているシーンを切り抜いたもので、その元ネタ漫画も置いてあるのだけれど最初なんのこっちゃわかりませんでした。
挫折と希望というテーマから導きだした答えがこの漫画のタイトルなんですが、ヒントはある場所の土です。球児たちが持って帰るあの場所です。
それにしてもあの土が販売されてると聞いてびっくりしました。
奥の部屋にはその土を陶土に混ぜて、orzの形に焼いた陶作品がズラッとならんでました。
そしてさらに奥には、orzのoの部分に顔を入れて記念撮影できるパネルまで笑
しかもその足下には短距離走の時の足場が組まれていて、ひざまづくポーズが自ずとクラウチングスタートになるという小技までw
僕は時間なくてできなかったけど、ちょうど行ったらやってはって面白かった。
片山さんがフェイスブックにアップしているらしいwww
この展覧会も終了しちゃいました。
「建築と無常」@関西日仏会館
会期が一週間だけだったので、もう行けないと思ってましたが行けました!
京都大学の前にある洋館でめっさいい感じ。
しかも中は黄色く塗られてたりイチイチおされ。
午後から表の庭でスタッフがお茶しててめっちゃ優雅・・・。
展覧会がどこでやってるのかいまいちわからずスタッフに聞いたら片言の日本語で案内してくれました。
目的はなんといっても大舩真言さんの作品。
しかも今回は映像作品まで出されてるというので興味津々でした。
大舩さんの作品は4点。3点は日本画で、奥の光を調整して見せる丸い作品はやはり見事。
そしてその作品を撮った映像作品がものすごくよかった!
大舩さんの作品は光や時間によって、ものすごく変化するのだけれど、その変化はいつの間にかといった感じでいつもその瞬間は捉えられない。
でも映像になると、ひとつフィルターが入ることで客観的に見えて、その変化をつぶさに観察することができました。
作品的に野外での展示はむずかしいのだけれど、写真や映像であれば可能だし、大舩さんの作品は変化に富んだ野外で見るのにもってこいの作品だと思います。
まあ、写真や映像になると、説明的になりすぎるきらいももちろんあるけれど、こうして作品と一緒にならべられることで互いに補完しあえる感覚がありましたね。
他の作家さんでは、ミュリエル・ラディックの写真がものすごくきれいだった。
インクジェットの黒ってすごく好きです。
近藤高弘さんの作品は正直よくわからなかった。
ところでエリザベス・クレゼヴーの作品はどこにあったのだろう?
行けてよかったです。4月28日まで。
寺田就子展ー影の隙きまに眩うー@galerie16
気づけば年度末最終日です。
今月は遠征するつもりがまったくできなかった。。。
見た展覧会は知人の展示のみです。
まずは寺田就子さんのgalerie16の展示。
今回は空間を暗くしての展示。意外でした。
前の壁に光を投影し、その薄明かりの元に浮かぶオブジェたち。
あらゆる事物が緩くつながっていく様はとても清々しい気持ちになりました。
そして印象的なのが、鏡による反射。
プロジェクタの光を直接鏡が別の方向に屈折させているものもあれば、鏡のかけらたちが儚げに反射させる光も空間に広がって、オブジェだけではない存在を感じさせました。
また、16の空間はメイン会場とアペルト会場に分かれていて、この暗い部屋がメイン会場で、小作品がちりばめられた会場がアペルトでした。
個人的にアペルトに展示されてた小作品たちが愛おしくて仕方なかった。。。
さじの作品が一番好きでしたが、小さなオブジェに大きな宇宙を感じさせる寺田さんはやっぱりすごい。
どれもいつまで見ていても飽きさせない作品ばかりでした。
そして、メインとアペルトの会場をつなぐのが、A4用紙に印刷された文章。
これが、壁を通じて裏表同じ場所に貼られていて、小憎い演出。
しかもメインの方は暗くて読めないってのがまたよかったですね。
こちらは本日31日まで。間に合う方はぜひ。こちら。
寺田さんは岐阜のGALLERY CAPTIONのグループ展にも出されています。こちらは4月28日まで。
お次は笹倉洋平さんの個展。
もう何年ぶりでしょうか。
DMいただいてすごくうれしかったです。
近年は撮影のお仕事が忙しくされていたようです。僕も昨年少しお手伝いしましたw
この展覧会会場のクレフテさん。PANTALOONに通ってた頃から気になってましたが、今回初潜入。
デザイン事務所で、夜はバーになっています。
そしてたまにこうして展覧会もやってるみたい。
中津はデザイン事務所が多くて楽しそうですね。
その前にある真っ赤なバーも気になる。。。
さて、展覧会ですが、あの線を久々に見られて感動でした。なんかしみじみ。
作品としては中程度の大きさで、以前の圧倒するような膨大な線の集積はなかったですが、積み重ねてきた線の軌跡を感じる温かい作品たちでした。
個人的には大きな作品も見たかったですが、それはまた次回に期待。
ライブペインティングも行われていたそうで、残念ながら行けず。。。涙
ご自身のブログにその様子がアップされてましたが、すごい人の数!!
笹倉さんの作品に対する期待が伺えますね。こちら。
この展示も今日まで!ぜひ!
そして、最後も知人作家の山岡敏明さんの展示。こちらはグループ展です。
山岡さんも久々の展覧会でした。
赤い「グチック」ががんがん描かれている様がプロジェクションされていて、その実際の大きなドローイングも4点展示されていました。
形を探りながら、まるで遺跡を彫っていくように描かれていく様はおもしろいですね。
この過程を映し出すという展開は山岡さんのドローイングにとって非常に有益だと思いましたね。
山岡さんは元々ペインターなのですが、そのドローイングは非常に彫刻的なのがおもしろい。
これからどう展開していくのかまた楽しみになりました。
以上今月3つだけでした。
今月は遠征するつもりがまったくできなかった。。。
見た展覧会は知人の展示のみです。
まずは寺田就子さんのgalerie16の展示。
今回は空間を暗くしての展示。意外でした。
前の壁に光を投影し、その薄明かりの元に浮かぶオブジェたち。
あらゆる事物が緩くつながっていく様はとても清々しい気持ちになりました。
そして印象的なのが、鏡による反射。
プロジェクタの光を直接鏡が別の方向に屈折させているものもあれば、鏡のかけらたちが儚げに反射させる光も空間に広がって、オブジェだけではない存在を感じさせました。
また、16の空間はメイン会場とアペルト会場に分かれていて、この暗い部屋がメイン会場で、小作品がちりばめられた会場がアペルトでした。
個人的にアペルトに展示されてた小作品たちが愛おしくて仕方なかった。。。
さじの作品が一番好きでしたが、小さなオブジェに大きな宇宙を感じさせる寺田さんはやっぱりすごい。
どれもいつまで見ていても飽きさせない作品ばかりでした。
そして、メインとアペルトの会場をつなぐのが、A4用紙に印刷された文章。
これが、壁を通じて裏表同じ場所に貼られていて、小憎い演出。
しかもメインの方は暗くて読めないってのがまたよかったですね。
こちらは本日31日まで。間に合う方はぜひ。こちら。
寺田さんは岐阜のGALLERY CAPTIONのグループ展にも出されています。こちらは4月28日まで。
お次は笹倉洋平さんの個展。
もう何年ぶりでしょうか。
DMいただいてすごくうれしかったです。
近年は撮影のお仕事が忙しくされていたようです。僕も昨年少しお手伝いしましたw
この展覧会会場のクレフテさん。PANTALOONに通ってた頃から気になってましたが、今回初潜入。
デザイン事務所で、夜はバーになっています。
そしてたまにこうして展覧会もやってるみたい。
中津はデザイン事務所が多くて楽しそうですね。
その前にある真っ赤なバーも気になる。。。
さて、展覧会ですが、あの線を久々に見られて感動でした。なんかしみじみ。
作品としては中程度の大きさで、以前の圧倒するような膨大な線の集積はなかったですが、積み重ねてきた線の軌跡を感じる温かい作品たちでした。
個人的には大きな作品も見たかったですが、それはまた次回に期待。
ライブペインティングも行われていたそうで、残念ながら行けず。。。涙
ご自身のブログにその様子がアップされてましたが、すごい人の数!!
笹倉さんの作品に対する期待が伺えますね。こちら。
この展示も今日まで!ぜひ!
そして、最後も知人作家の山岡敏明さんの展示。こちらはグループ展です。
山岡さんも久々の展覧会でした。
赤い「グチック」ががんがん描かれている様がプロジェクションされていて、その実際の大きなドローイングも4点展示されていました。
形を探りながら、まるで遺跡を彫っていくように描かれていく様はおもしろいですね。
この過程を映し出すという展開は山岡さんのドローイングにとって非常に有益だと思いましたね。
山岡さんは元々ペインターなのですが、そのドローイングは非常に彫刻的なのがおもしろい。
これからどう展開していくのかまた楽しみになりました。
以上今月3つだけでした。
鑑賞記録 1月2月編
1月2月の鑑賞記録。
1月は展覧会があって、中々見れなかったけど、2月に一気に見ました。
といっても、2月前半の段階でもう見る展覧会はないです。すいません。
以下リスト。観た順。
・宮崎敬三「IMAGINATION」@ 7-23 gallery
・大舩真言「巡り-2012-」@ ギャルリー正観堂
・越野潤「interlude-合間の出来事-」@ Gallery Yamaguchi kunst-bau
・寺田就子「オレンジに灯る影」@ Port Gallery T
・「冬の引き出し」@ Port Gallery T
・高柳恵里「べつもの」@ SAI GALLERY
・立花常雄「虚片」@ The Third Gallery Aya
・宮永亮「scales」@ Kodama Gallery Kyoto
・「作家ドラフト2012」@ 京都芸術センター
・麻生祥子「still lifes in my home」@ アートスペース虹
・「京都市立芸術大学博士課程展」@akcua
まずは大阪の展覧会から。
越野さんの展覧会は近年取り組んでるアルミの立体とも絵画ともとれる作品群。
空間への配置がすごく意識されててよかったけれど、ちょっとサイズが大きい気が。
個人的に特別に見せていただいた「stars」という碁石サイズの作品がものすごく好き!欲しい。
欲しいといえばPort Gallery Tで開催された「冬の引き出し」展の寺田就子さんの作品。
奥の引き出しにしまわれてた箱の作品は本当によかった。
とてもささやかなんだけれど、その中で人の心を揺さぶる力を寺田さんの作品は持っています。
ギャラリーに展示されてた何層にも重ねられたアクリル板越しに見る写真もすばらしかった。
寺田さんはこの「冬の引き出し」展の前にプレ企画として同ギャラリーで4日間のみの個展も開催。
昨年のakcuaで開催された「転置」展でも出してた作品でしたが、なんか今回の方がよかった。
寺田さんは来月galerie16やキャプションでの展示もあるので楽しみ。
「冬の引き出し」展には後輩の松本絢子さんの作品も出ててこっちもすごいよかった。
この展覧会は、15名もの作家の作品が並んでますが、全然うるさい印象がなく驚きでした。
それぞれの作品がすごく良くて、とても気持ちの良い空間。
なぜかこの展覧会を観に行った日に、このギャラリーが入ってるビルの玄関先に国立国際美術館の過去の図録が平積みされてて、ご自由にお持ち帰りくださいとのこと!
欲しかった「アヴァンギャルド・チャイナ」展の図録を含む、「現代美術の皮膚」「藤本由起夫展」図録3冊いただきました!ラッキー!
「アヴァンギャルド・チャイナ」の図録は、ネットオークションとかでも探してたぐらいだったので、本当にうれしい。買わなくてよかった<ぉぃ
こないだ草間彌生展の図録ももらったし本棚が国立国際美術館の図録だらけに!
まあ、草間展はまだ行ってないし、あんま行く気もないけど。。。
ところでこの中之島界隈は、Port Gallery Tも含めていいギャラリーが増えました。
SAI GALLERYとThe Third Gallery Ayaも本当にいいギャラリー。
高柳さんって以前京都芸術センターで碓井さんと一緒にやってた人ですね。
本当に言われないとわからないぐらいささやかな世界感。。。
ギャラリーの人が説明してくれなかったら何もわからず帰ってしまいそうだった。。。
サードギャラリーの方は、路上の苔を写したモノクロ写真。
ポートフォリオ見てたら以前の作品がすごくよくて実物拝見したかったな。
お次は京都編。
宮崎君と麻生さんは精華大の同級生。
2人とも久々の発表でしたが、仲間ががんばってるのは本当に励みになります。
同時期神戸でやってた山元彩華展と東京でやってる90の泉洋平展に行けなくて残念。
また、麻生さんの前の前に虹でやってた後輩の塚田裕介展に行けなかったのも悔やまれます。
宮崎君の個展は前の記事でも触れましたが、本当色々考えさせられました。
3.11の世界とまっすぐ向き合ってる姿勢が痛いほど伝わりました。
麻生さんは学生時代から無茶ぶりで有名でしたが、今回もすごかった!
ギャラリーの真ん中に泡の池を現出させてましたからね。。。
その池の水面きわきわに浮かぶのは布で織られた家具や衣服など。
この2つの関係がイマイチ伝わりにくいのが残念でしたね。
あとは宮永君の個展。
1階で流されていた「arc」という映像はαMでも見たものでしたが、今回はインスタレーションとしてではなく、大画面でシンプルに投影していて、断然こっちの方がよかった!
2階には新作「scales」が。こちらは横長の画面に映されたもので、下にメトロノームが。
宮永君の作品は、映像の中身はもちろんですが、インスタレーションとしての完成度が高い。
映像を如何に空間に置くかをすごく考えてる作家だと思う。
もちろんあらゆる映像作家は多かれ少なかれそういうことは考えているとは思うものの、彼ほど徹底して考え実践してる映像作家は稀。
例えば今回の「arc」で感心したのは映像の配線の処理。
絶妙にかっこいい具合に配線がプロジェクターとスピーカーを結んでいる。
映像展示の一番のネックはなんといっても配線。
ほとんどの人がいかにそれを隠すかを考えると思うんだけど、彼の場合はいかにそこも見せるかを考えているように感じる。
2階の展示は特にそういうのが全面に出てました。
メトロノームももちろんそうだし、プロジェクターを支える台から、投影する木製のスクリーンまで、妥協せずに作られてるなぁとすごく思います。
αMの時はそれが過剰すぎて、逆にそれがノイズになってしまったのが残念だったけど、今回はそれらがうまいバランスで成り立ってました。
児玉画廊の京都の空間と宮永君の相性がいいのかもしれませんね。
てか映像見ろよって話ですね、、、。
その後、芸セン毎年恒例の作家ドラフトへ。
今年の審査員はチェルフィッチュの岡田利規さん。
時間がなくて、映像やったらアウトやなぁ、と思ったら北も南も映像って!!
しかも宮永君の映像見た後やし、インスタレーションとしてのクオリティが。。。
北の潘逸舟さんの映像は、去年のヨコトリの時新港ピアで見てた。
南の小沢裕子さんの映像は、いかにも岡田さんが選んだ作品だな、という感じ。
映像自体ではなく、字幕をこそ作品の中心とするもの。
どちらも関東の作家さんで、関西ではあまり見ることのないタイプの映像だったので新鮮といえば新鮮だったけど、魅せられることはなかったなぁ。
京芸博士展は、なぜか会期の都合で八木さんと児玉さんの作品観れなかった!
なんでそんな中途半端なことするかな。。。
それでも、油画の関口正浩さんと黒宮奈菜さんの作品を観れたのは本当によかった!
関口くんの作品は、油絵を皮膜のようにはがして再び画面に貼るという行程を介した絵画。
ちゃんと展示された状態を観たのは初めてだったけどめっちゃかっこよかった!
今回は黒とシルバーの2色の画面で、三連画。
やり方はキッチュに聞こえるけれど、展示されてたそれらは本当荘厳さすら感じた。
三連画ってのがまたいいですね。
黒宮さんの作品は、昨年の学内展で観た時はどうなるんやろうと不安でしたが、今回の作品群はものすごくよかった。画面がものすごくきれい。
垂れた雫がそのまま固まってたけど、あれ床に置いたらアウトですね。
展示前までどうしたのだろう。展示してからかけたのかな?
行けてよかったです。
そして最後に大舩さんの個展。これは本当にすばらしかった!!!
大舩さんの作品は、近年そのインスタレーション性を強めてきていたけれど、今回はシンプルに作品1点1点を見せる形での展示で、改めてその作品の強さを見せつけられました。。。1点欲しい。
初めて見る掛け軸まであって、大舩ファンにはたまらない展示でした。
展覧会中だったのでかなりスケジュールぎりぎりでしたが観に行ってよかった。。。
以上1月2月鑑賞記録でした。
1月は展覧会があって、中々見れなかったけど、2月に一気に見ました。
といっても、2月前半の段階でもう見る展覧会はないです。すいません。
以下リスト。観た順。
・宮崎敬三「IMAGINATION」@ 7-23 gallery
・大舩真言「巡り-2012-」@ ギャルリー正観堂
・越野潤「interlude-合間の出来事-」@ Gallery Yamaguchi kunst-bau
・寺田就子「オレンジに灯る影」@ Port Gallery T
・「冬の引き出し」@ Port Gallery T
・高柳恵里「べつもの」@ SAI GALLERY
・立花常雄「虚片」@ The Third Gallery Aya
・宮永亮「scales」@ Kodama Gallery Kyoto
・「作家ドラフト2012」@ 京都芸術センター
・麻生祥子「still lifes in my home」@ アートスペース虹
・「京都市立芸術大学博士課程展」@akcua
まずは大阪の展覧会から。
越野さんの展覧会は近年取り組んでるアルミの立体とも絵画ともとれる作品群。
空間への配置がすごく意識されててよかったけれど、ちょっとサイズが大きい気が。
個人的に特別に見せていただいた「stars」という碁石サイズの作品がものすごく好き!欲しい。
欲しいといえばPort Gallery Tで開催された「冬の引き出し」展の寺田就子さんの作品。
奥の引き出しにしまわれてた箱の作品は本当によかった。
とてもささやかなんだけれど、その中で人の心を揺さぶる力を寺田さんの作品は持っています。
ギャラリーに展示されてた何層にも重ねられたアクリル板越しに見る写真もすばらしかった。
寺田さんはこの「冬の引き出し」展の前にプレ企画として同ギャラリーで4日間のみの個展も開催。
昨年のakcuaで開催された「転置」展でも出してた作品でしたが、なんか今回の方がよかった。
寺田さんは来月galerie16やキャプションでの展示もあるので楽しみ。
「冬の引き出し」展には後輩の松本絢子さんの作品も出ててこっちもすごいよかった。
この展覧会は、15名もの作家の作品が並んでますが、全然うるさい印象がなく驚きでした。
それぞれの作品がすごく良くて、とても気持ちの良い空間。
なぜかこの展覧会を観に行った日に、このギャラリーが入ってるビルの玄関先に国立国際美術館の過去の図録が平積みされてて、ご自由にお持ち帰りくださいとのこと!
欲しかった「アヴァンギャルド・チャイナ」展の図録を含む、「現代美術の皮膚」「藤本由起夫展」図録3冊いただきました!ラッキー!
「アヴァンギャルド・チャイナ」の図録は、ネットオークションとかでも探してたぐらいだったので、本当にうれしい。買わなくてよかった<ぉぃ
こないだ草間彌生展の図録ももらったし本棚が国立国際美術館の図録だらけに!
まあ、草間展はまだ行ってないし、あんま行く気もないけど。。。
ところでこの中之島界隈は、Port Gallery Tも含めていいギャラリーが増えました。
SAI GALLERYとThe Third Gallery Ayaも本当にいいギャラリー。
高柳さんって以前京都芸術センターで碓井さんと一緒にやってた人ですね。
本当に言われないとわからないぐらいささやかな世界感。。。
ギャラリーの人が説明してくれなかったら何もわからず帰ってしまいそうだった。。。
サードギャラリーの方は、路上の苔を写したモノクロ写真。
ポートフォリオ見てたら以前の作品がすごくよくて実物拝見したかったな。
お次は京都編。
宮崎君と麻生さんは精華大の同級生。
2人とも久々の発表でしたが、仲間ががんばってるのは本当に励みになります。
同時期神戸でやってた山元彩華展と東京でやってる90の泉洋平展に行けなくて残念。
また、麻生さんの前の前に虹でやってた後輩の塚田裕介展に行けなかったのも悔やまれます。
宮崎君の個展は前の記事でも触れましたが、本当色々考えさせられました。
3.11の世界とまっすぐ向き合ってる姿勢が痛いほど伝わりました。
麻生さんは学生時代から無茶ぶりで有名でしたが、今回もすごかった!
ギャラリーの真ん中に泡の池を現出させてましたからね。。。
その池の水面きわきわに浮かぶのは布で織られた家具や衣服など。
この2つの関係がイマイチ伝わりにくいのが残念でしたね。
あとは宮永君の個展。
1階で流されていた「arc」という映像はαMでも見たものでしたが、今回はインスタレーションとしてではなく、大画面でシンプルに投影していて、断然こっちの方がよかった!
2階には新作「scales」が。こちらは横長の画面に映されたもので、下にメトロノームが。
宮永君の作品は、映像の中身はもちろんですが、インスタレーションとしての完成度が高い。
映像を如何に空間に置くかをすごく考えてる作家だと思う。
もちろんあらゆる映像作家は多かれ少なかれそういうことは考えているとは思うものの、彼ほど徹底して考え実践してる映像作家は稀。
例えば今回の「arc」で感心したのは映像の配線の処理。
絶妙にかっこいい具合に配線がプロジェクターとスピーカーを結んでいる。
映像展示の一番のネックはなんといっても配線。
ほとんどの人がいかにそれを隠すかを考えると思うんだけど、彼の場合はいかにそこも見せるかを考えているように感じる。
2階の展示は特にそういうのが全面に出てました。
メトロノームももちろんそうだし、プロジェクターを支える台から、投影する木製のスクリーンまで、妥協せずに作られてるなぁとすごく思います。
αMの時はそれが過剰すぎて、逆にそれがノイズになってしまったのが残念だったけど、今回はそれらがうまいバランスで成り立ってました。
児玉画廊の京都の空間と宮永君の相性がいいのかもしれませんね。
てか映像見ろよって話ですね、、、。
その後、芸セン毎年恒例の作家ドラフトへ。
今年の審査員はチェルフィッチュの岡田利規さん。
時間がなくて、映像やったらアウトやなぁ、と思ったら北も南も映像って!!
しかも宮永君の映像見た後やし、インスタレーションとしてのクオリティが。。。
北の潘逸舟さんの映像は、去年のヨコトリの時新港ピアで見てた。
南の小沢裕子さんの映像は、いかにも岡田さんが選んだ作品だな、という感じ。
映像自体ではなく、字幕をこそ作品の中心とするもの。
どちらも関東の作家さんで、関西ではあまり見ることのないタイプの映像だったので新鮮といえば新鮮だったけど、魅せられることはなかったなぁ。
京芸博士展は、なぜか会期の都合で八木さんと児玉さんの作品観れなかった!
なんでそんな中途半端なことするかな。。。
それでも、油画の関口正浩さんと黒宮奈菜さんの作品を観れたのは本当によかった!
関口くんの作品は、油絵を皮膜のようにはがして再び画面に貼るという行程を介した絵画。
ちゃんと展示された状態を観たのは初めてだったけどめっちゃかっこよかった!
今回は黒とシルバーの2色の画面で、三連画。
やり方はキッチュに聞こえるけれど、展示されてたそれらは本当荘厳さすら感じた。
三連画ってのがまたいいですね。
黒宮さんの作品は、昨年の学内展で観た時はどうなるんやろうと不安でしたが、今回の作品群はものすごくよかった。画面がものすごくきれい。
垂れた雫がそのまま固まってたけど、あれ床に置いたらアウトですね。
展示前までどうしたのだろう。展示してからかけたのかな?
行けてよかったです。
そして最後に大舩さんの個展。これは本当にすばらしかった!!!
大舩さんの作品は、近年そのインスタレーション性を強めてきていたけれど、今回はシンプルに作品1点1点を見せる形での展示で、改めてその作品の強さを見せつけられました。。。1点欲しい。
初めて見る掛け軸まであって、大舩ファンにはたまらない展示でした。
展覧会中だったのでかなりスケジュールぎりぎりでしたが観に行ってよかった。。。
以上1月2月鑑賞記録でした。
Breaker Project 2011「梅田哲也:小さなものが大きくみえる」@福寿荘

通天閣のお膝元。阿倍野区と西成区の間という「ザ・大阪」って感じの場所に建つ廃墟寸前築60年の木造アパート福寿荘。
このへんは最近再開発が進んで、天王寺駅前には109なんか建っちゃうんだから驚きです。
そんな中ここは時間が止まったような場所。
黄昏時に行ったのも手伝って、物凄い郷愁でした。
それにしても福寿荘のお化け屋敷感が異常。
この企画、一日一人だけ泊まれるそうですが、これはさすがに無理!
でももうすでに全日予約でいっぱいだそうです。。。皆すごいなぁ。
とにかくめちゃくちゃ恐いです。床とか抜けるんじゃないかすごく心配。
そんな中で梅田さんの作品が色んな所に点在。
特に屋根裏の展示は異世界です。
色んな電灯が吊るされてて、紐が下とつながってて、下の人が引っ張るとちゃんとついたり消えたり豆電球になったりします。
部屋を巡りながら、すごいグッドタイミングで水を使った作品が動き出した!
梅田さんの作品は一度動いた瞬間を逃すと中々動かないんで根気がいります。
今回はすごくラッキーでした。
全体としては、ちょっとハマりすぎててそこまで感動はできなかったなぁ。
今後この建物は若手作家のアトリエとして使ったりするらしい。怖すぎやろ!
梅田さんの展覧会の詳細はこちら。
もう1つ梅田さんの展覧会が神戸アートビレッジセンターで開催中です。
Exhibition as media 2011「梅田哲也:小さなことを大きくみせる」@神戸アートビレッジセンター
個人的にはこっちの方が好きでした。
あの使うのが難しそうな空間を見事に使いこなしてました。
このセンターの「機能」を利用することでその空間を解いてたのがとてもおもしろかった。
例えば1階の自動開閉するシャッターを使った作品とか。
特に地下のシアターを使った作品は素晴らしかったです。
初め暗すぎて何も見えなかったけど、徐々に目も慣れていろんなものが見えてくる。
映写機が動き出してからがクライマックス!
物凄く居心地のいい空間でした。楽しかった。
スタジオの作品もよかった。
あれドラムセットはどうにかなるんかな。。。結局わからないまま出てきてしまった。。。
そして1階の時計の作品は動き出すまでの相当時間かかった。
根競べですね。こういう「待つ」というのも梅田作品の魅力のひとつでしょうね。
結果ものすごいことが起こるわけでもないんだけど、動いた時のうれしさはすごい。
上の2つはどちらも12月4日まで。オススメです。
どちらも阿倍野と新開地というカオスな立地ですが。。。
その他に最近観た展示。最近このやり方多いですね。手抜き御免。
大舩真言/高橋治希展「COLORS OF SEASONS」@京都芸術センター
京都では国民文化祭というものが現在開催中です。
といってもイマイチ何が起こっているのかわからないというのが実情w
で、その関連企画でもある京都芸術センターでの企画。
たった一週間だったので観に行けるのか不安でしたが最終日に滑りこみ。
まずはギャラリー南で高橋治希さんの展示。
越後妻有などにも出品されてる陶の作家さんです。
こちらは九谷焼で出来た花たちを中空に浮かせた非常に繊細な展示。
歩くルートも決められていました。
床に落ちる影も美しくて、非常に優雅な展示。
北では大舩さんの展示が行われ、あの展示室でどういう空間を見せてくれるのかと相当期待高めて行きましたが、やはり想像を遥かに越えた展示の作り方。。。すごい。
まず入っていきなり壁が立てられています。
回りこむと段があって、その段の前の壁に大作が一点かかっています。
ゆるいカーブのかかった段に座りながら眺める景色。
床が今回そうとう綺麗になっていて、絵画の映り込みが本当に美しかった。
芸術センターの床は相当汚いので相当磨いたんやろうなぁ。。。
以前内海さんも会場に来て先ずやったことといえば床磨きだったそうです。
まるで水面のような床と大舩絵画の対比が凄まじいです。
彼の場合は、もはや作品とかを超えて、違う次元にまで連れていってくれます。
こういう空間へのこだわりは毎回感嘆させられます。今回もすばらしかったです!
ルネサンスー京都・映像・メディアアート@京都芸術センター。むろまちアートコート
こちらも国民文化祭関連。
更に文化庁メディア芸術祭の一環でもある。
全貌としては京都文化博物館やらマンガミュージアムなども何かやってたようですが、たまたま烏丸寄ることがあったので、ラスト1時かんで文字通り駆け足で見ました。
映像展で、しかも2会場を1時間はさすがにきつかった・・・。結構なボリューム。
ギャラリー南では国立国際の「世界制作の方法」で話題沸騰のクワクボリョウタ氏。
やっぱ国立国際の方がいい。要素が多ければ多いほどいいってだけだけど。
北は京都芸大教授の中居恒夫氏の作品。個人的には結構無理でした。。。
他にもセンター内にたくさん展開していて、八谷和彦さんの「視聴覚交換マシン」なんかも。
大広間のSHIMURABROS.の作品がかなりよかった。
3スクリーンの寓話的ストーリーで、全部は見れなかったけどおもしろかったです。
水道のところの水野勝規さんの作品もすごく綺麗でした。
むろまちアートコートでは、宮永くんの作品スクリーンでギリギリみれてよかった。
1スクリーンで7組の映像を順に流すのは中々しんどいものがあるなぁ。。。
全体として、映像っていうメディアしばりのみってのもなんかわかりにくい感じでした。
白子勝之「exhibition2」@eNarts
eNarts作家の白子君の展覧会です。
今回改めて展覧会で観るのは初めて。
彼の作品は工芸と美術とが本当にうまい具合に融解した絶妙な作品。
先日観た石塚源太氏とはまた違った魅力があります。
制作にものすごい時間がかかるだけあり、本当にクオリティが高い。
おそろしい程の細かさと技術に裏打ちされたまさに工芸品といっても過言ではないです。
ただ、地下の作品はちょっとそういうところから外れていてあんまりでしたね。
11月27日まで。金土日しか開いてないのでご注意を。
東樋口貴子「uyutono」@kara-S
同級生の東樋口さんの展覧会。
彼女は在学中に突然ロシアに留学しロシア語を学んだ不思議な人です笑
今回の展覧会のタイトル「uyutono」(ウユートナと発音します)は日本語で「心地いい」という意味だそうですが、意味と言うよりこの語感にインスパイアされた色鉛筆でキャンバスに描かれた作品。
どれも雲のようなやわらかい印象で、特に遠目ではわからないぐらい薄く描かれた作品たちが結構お気に入り。
こうして同級生たちが作品を発表し続けてるのはすごく刺激になりますね。
むこうスタジオのオープンスタジオ
京都の向日町にあるスタジオ。
メンバーは清田泰寛さん、羽部ちひろさん、HYON GYONさん、前川紘士さん、山本彩さんの5人。
うちも向日町近くにあるので、ご近所さんが出来たとちょっと新鮮。
今年の3月から借りられてるそうで、これが初めてのオープンスタジオ。
元々竹の倉庫だったらしく、天井高がかなりある。
2階と1階でゆったりと使っていました。
他のスタジオ見に行くのは中々刺激的です。
これからゆるりとお付き合いしていければと思います。