劇団チョコレートケーキ「ブラウン管より愛をこめて -宇宙人と異邦人-」 @ シアタートラム
劇チョコの新作を観に三茶へ。
昨年過去作5本+新作1本という偉業を成した彼らが新たに挑むのはなんと90年代の特撮!!
90年代の特撮!?
と、最初知った時は戸惑いしかなかった。。。
これまで近代戦争を描いてきた劇チョコが急にどうした??
でもまあ劇チョコなのできっと間違いないだろうとソワソワしながら観劇。
正直これまでの劇チョコの方が良かった感は拭えないものの、それでもやっぱり劇チョコらしさはあって、観に行って損はなかったです。
元々脚本の古川さんが特撮が好きで、以前から特撮モノはやりたかったそうです。
とはいえそこは劇チョコ。
特撮を描きながらもそこにはしっかりと差別問題を含んでいるのがらしすぎました。
「知らない間に誰もが差別をしている」というのは、映画「怪物」でも描かれたテーマでした。
この話には元ネタがあって、なんとなく知ってはいたんだけど、改めて調べてみると、2020年に亡くなった脚本家の上原正三さんが書いて、当時賛否を巻き起こした「帰ってきたウルトラマン」第33話「怪獣使いと少年」。
宇宙人を扱いながら、そこには在日や同和地区、沖縄やアイヌなど、様々な差別の隠喩が含まれていて、TBSの上層部から痛烈な酷評を受け、監督の東條昭平は助監督に降格、脚本を担当していた上原正三も最終回まで仕事を干される羽目になったとのこと。詳しくはこちら。
まあ、話としては特に新鮮さはないんだけど、やっぱり演者がいつもながら素晴らしい。
今回西尾さんが同時期に別の舞台に出てるのもあったのかこっちに出てないのが残念だったけど、多分西尾さんが出てたらやってたであろう脚本家の役を務めていた伊藤白馬さんがこれまたとても良かった。
客演の橋本マナミも久々に見たけど本当に綺麗。
浅井さんがいつもと全く違った役で面白かったw
岡本さんをはじめ、いつもの俳優陣は相変わらず素晴らしい。
大人たちのゴタゴタと劇中劇のように特撮がシームレスに繰り広げられる演出も良かった。
これを経てまた来年はどんなものを見せてくるのか、また楽しみです。
今観てるテレ朝のドラマ「ハヤブサ消防団」にも岡本さんが出てるのでそっちも目が離せませんw
ちょうど今日から9/17までの期間限定で「ブラウン管から愛をこめて」の映像版が配信スタートしたみたいなので興味がある方はぜひ購入して見てみてください。こちら。
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劇団チョコレートケーキ「ガマ」/「追憶のアリラン」@ シアターイースト/ウエスト
劇団チョコレートケーキ「一九一一年」@ シアタートラム
劇団チョコレートケーキ「帰還不能点」@ 東京芸術劇場 シアターイースト
劇団チョコレートケーキ「無畏」 @ 下北沢・駅前劇場
劇団チョコレートケーキ「治天ノ君」 @ 東京芸術劇場 シアターイースト
劇団チョコレートケーキ「遺産」@ すみだパークスタジオ倉

最近観た映画3本。
まずは「わたしたちの国立西洋美術館」。
昨年リニューアルした西美の、それまでの軌跡を追うドキュメンタリー。
もうめちゃくちゃ地味すぎて逆に面白かったw
映画の中で、これまでの展覧会について振り返るシーンがあるのですが、中でもやはり2004年のマティスは館が世界にも誇れる展覧会をということで作り上げた渾身の展覧会で、僕はこの展覧会ですっかりマティスにやられました。
昨年のリニューアル一発目の「自然と人のダイアローグ」も素晴らしくて、実際昨年の個人的ベスト1な展覧会でした。
そんな展覧会が作り上げられていく過程が見られたのは最高でした。
この展覧会は、ドイツのエッセンにあるフォルクヴァング美術館のコレクションと西洋美術館のコレクションとのコラボだったんですが、リニューアル中にフォルクヴァングに西美の作品を貸し出していたんですね。
それにしても作品一つ一つチェックしながらのリニューアルは想像を絶する作業ですね。。。
よくぞたった1年半で再開館まで辿り着けたもんです。。。
この映画で終始語られるのは、とにかく日本の美術館の予算のなさ。
先日の科博のクラファン見ても分かる通り、国からの予算は全然足りてません。
インバウンドとかいうならちゃんと予算つけろやと心から思います。万博も要らない。
映画中の関係者のインタビューの中で、どうして西美で働いているのか?って質問に「購入予算があるから」ってのは日本の美術館の現実を表していました。
そう、ほとんどの美術館が既に作品の購入予算はありません。
その点西美は国立なので、他と比べれば予算がある方ではあるんですが。。。
毎年緻密な会議で購入が決められるわけですが、ここ数年はとりわけコロナの影響で実物を見られないまま決めていくのはかなりシビアだったと思います。
ここまで日本の美術館の内情をカメラが捉えたのは中々ないので、とてもレアなドキュメンタリーでした。
続いて「658km、陽子の旅」。
正直作品としてはそこまで評価はできないものの、やはり菊地凛子が凄すぎる。
最初完全にコミュ障な見ていて痛々しさすらある演技から、段々と感情的になっていく過程が見事。
ただ、ちょっと彼女の演技に頼りすぎ感があって、話のアラがちらほら見受けられました。
(なんでそんなとこで降ろすねんとか。。。)
とにかく菊地凛子の演技を堪能するにはいいと思います。
最後宮崎駿の「君たちはどう生きるか」。
「風立ちぬ」で絶望したので、全くもって観に行く予定なかったのに、友人に「駿版寺山修司」って言われて気になりすぎて行ってしまいました。。。
ゴダールのような超前衛映画を勝手に想像してたんですが、普通にジブリジブリしてて拍子抜け。
とはいえ、これまでの王道に戻った感があって、「風立ちぬ」が最後にならなくてよかったと心から思いました。
観終わった後は、これまでお世話になりました!!という気持ちに充たされたりして。
かなり賛否分かれてるけど、僕は観てよかったと思えましたね。
「意味がわからない」っていう感想を所々で見るんだけど、そもそもジブリで意味わかる映画なんてあったっけ?
あえて言うならエンディングは中島みゆき様にお願いしたかったなぁ。
米津さんもいいけどちょっと軽いんだよなぁ。
実際みゆき様はこの秋公開のMAPPAが手掛ける初のオリジナル映画「アリスとテレスのまぼろし工場」で初のアニメ主題歌を手掛けられてるのです。予告で聞いただけで鳥肌。こちら。
流石にこれが最後だと思うけど、まだあるのかな。。。これで有終の美で僕はいいと思うよ。。。
以上!
「老ナルキソス」by 東海林毅 / 「怪物」by 是枝裕和
最近観た映画まとめ。
まずは「老ナルキソス」。
実は当方、この映画に少しながらご協力させて頂きました。
劇映画のエンディングで「A'holic」の名前が流れた時は嬉しかったなぁ。
それはともかくこの映画、元々同題の短編からスタートしました。
僕が上京した2018年の夏に開催されたレインボーリール東京で初鑑賞。
その前の、上京後すぐに東海林監督とはお会いしてたのもあり、最初から「老ナルキソス」目当てであったものの、ゲイの老人のMを描いた内容はとても衝撃的で映像も美しく、グランプリを獲得されたのも納得な内容でした。
その数年後に長編化の話を聞いた時、もう既に期待しかなかったのです。
実際その期待を裏切らない見事な内容。
元々短編で完成してたものを膨らませたと仰ってたけど、まるで元の短編がこの長編の為の予告編であったかの如く自然すぎる展開。
冒頭に短編で描いた内容を残しつつ、今と昔を巡る家族やセックスというテーマを見事に描ききってました。
人によっては詰め込みすぎ、と思われるかもしれないけど、むしろこれまでこれらのことを正面から切り込んだ映画がなかったので仕方ないと思います。
今後ゲイを描く上でロールモデルになるような内容でした。
特に家族の問題は、人それぞれなので、本当に考えさせられました。
短編ではあまり描かれなかったウリ専のレオくんの葛藤が長編ではよく描かれていて共感もてました。
僕も家族ってものをうまく描けないので、パートナーシップや同性婚にはかなり懐疑的です。
区役所のシーンはやや皮肉的で笑いましたw あんなこと本当にあるの??
とはいえ未だにマイノリティへの権利がここまで認められていないのも不自然すぎる。
同性カップルが2019年に全国5か所で起こした集団訴訟は、先週の福岡地裁で全ての判決が出そろいました。
裁判所の判断の内訳は「憲法違反」が2件(北海道・名古屋)、「違憲状態」が2件(東京・福岡)、「合憲」が1件(大阪)となりました。少しずつではあるけど一歩ずつ進んでます。
それもこれも、先人が築いてきたものがあってこそ。
それこそ映画の中でもエイズに少し触れる場面がありますが、今では考えられないぐらいの差別と戦ってきた歴史がちゃんとあるんですよね。
老人のゲイというあまり描かれない主題を選んだからこそ見えてくるものがあったように思います。
あえて残念な点を挙げるなら、レオくんも若山崎も前の短編の時の方がよかったなぁと。
田村さんがとにかく素晴らしいので、彼は代わってなくて良かった。
そして日出郎さんが本当に良かった。ゲイバーママリアルすぎw
寧ろストレートの方にこそ観て欲しい映画だったりするので是非!!
パンフもパンフの範囲超えてます。
表紙が海老原さんだし、なぜか監督のヌードもあるし、昭和ゲイ雑誌の悪ノリもあるしw
続いて「怪物」。
是枝裕和x坂元裕二x安藤サクラx坂本龍一って時点で無敵すぎる。
予告もほとんど内容がわからないのが強気の印。
唯一カンヌで「クィア・パルム賞」なる賞をとってたのがややネタバレというか、え、そんな内容なの!?と思いつつ初日から駆けつけました。
中身は言わば「羅生門スタイル」で、3つの視点から描かれます。
母親、教師、子供の順で見る側面によって全然印象が変わる内容ですが、やはり最後の子供の視点は痛烈。
もう涙が淀みなく流れちゃいました。。。
「普通」という言葉に傷ついてきた人にはぶっ刺さる内容だと思います。
人によってはトラウマが蘇ってしまうかも。。。
前述の「老ナルキソス」とは逆に子供時代のあの葛藤をこれほど危ういまでに描いた作品初めて出会った気がします。
母親の愛ゆえの「結婚して家族ができるまで」って言葉が車から飛び降りさせるほど息子を傷つけてしまうシーンとか、おねぇタレント真似して笑い取るとか、観ていて本当に心が痛みました。
先生の何気ないホモソーシャルな台詞も難しいところですね。。。
会見でも触れてたけど、坂元さんは「Mother」以降「それでも、生きてゆく」や「anone」でも加害性をテーマに脚本を紡いできました。
その一つの到達点としてこの映画がある気がします。
具体的に言葉には出さずとも、伝わってしまう心情の描き方がすごい。
田中裕子も流石すぎるし、彼女にこの映画の肝となる台詞言わせる坂元裕二も最高すぎる。
「誰かにしか手に入らないものなんて幸せじゃない。しょうもない。誰にでも手に入るものを幸せって言うんだよ。」
この台詞に全て集約される気がします。
坂元さん、脚本賞本当におめでとうございました。
また、是枝監督もこれまでネグレクトや疑似家族等、坂元さんも描いてきた題材を真摯に描いてきた方なので、2人の親和性ははじめから約束されていたようなもの。
そして是枝監督の子供の撮り方がやはりうますぎる。
特に柊木陽太くんの演技凄すぎる。
要所要所で流れる故・坂本龍一の音楽も印象的。
観終わった後もしばらく尾を引く映画です。
続いてソクーロフの久々の新作、「独裁者たちのとき」。
ソクーロフファンとしては待ってました!って感じなのだけど、前半静かすぎて寝てしまったw
ヒトラーやスターリン、ムッソリーニにチャーチルと、歴史的人物のアーカイブ映像をつなぎ合わせて作ったとのことだけど本当??ってぐらい自然に共演しちゃってる。。。
冒頭で「ディープフェイクやAIは一切使用してない」って出るんだけど、不思議すぎて最後まで馴染めませんでした。。。
以前にも昭和天皇やレーニンを描いた「権力の四部作」を製作していたソクーロフの到達地点ではありました。
それにしてもロシアウクライナ戦争真っ只中でこんなものを発表しちゃうなんて大丈夫なのだろうか。。。
ソクーロフには実験的なものよりしっかり美しい映像撮って欲しいなと個人的には思います。
「sio/100年続く、店の始まり」は代々木上原にある予約困難店sioを作った鳥羽シェフの激動の時間を追ったもので、めちゃくちゃ撮れ高ある内容。。。
鳥羽さんの飽くなき挑戦に周囲が振り回されてる感じとかがうまく撮れててドキュメンタリー映画としてはかなりの出来だと思いました。
僕はsioとo/sioに行ったことあるけど、他の店舗も改めて行ってみたい。
それにしても例の報道後、この映画に家族全員出演してたこと思うとすごい闇あるな。。。
あとの3本はほぼ惰性。
「ヴィレッジ」はひたすら横浜流星がイケメン過ぎて、村にいるのが不自然過ぎた。。。
途中からのキャラ変も不自然過ぎて全然入っていけず。
黒木華が能面っぽいのは良き。
「岸辺露伴 ルーブルへ行く」と「サイコパス PROVIDENCE」は、既に世界観構築され過ぎてて可もなく不可もなくだった。
若露伴役の長尾くん素敵過ぎた。
昨日葉山に行ったので岸辺露伴邸としてロケ地になった加地邸見てきました。
宿泊可能で一泊30万だそうです合掌。



まずは「老ナルキソス」。
実は当方、この映画に少しながらご協力させて頂きました。
劇映画のエンディングで「A'holic」の名前が流れた時は嬉しかったなぁ。
それはともかくこの映画、元々同題の短編からスタートしました。
僕が上京した2018年の夏に開催されたレインボーリール東京で初鑑賞。
その前の、上京後すぐに東海林監督とはお会いしてたのもあり、最初から「老ナルキソス」目当てであったものの、ゲイの老人のMを描いた内容はとても衝撃的で映像も美しく、グランプリを獲得されたのも納得な内容でした。
その数年後に長編化の話を聞いた時、もう既に期待しかなかったのです。
実際その期待を裏切らない見事な内容。
元々短編で完成してたものを膨らませたと仰ってたけど、まるで元の短編がこの長編の為の予告編であったかの如く自然すぎる展開。
冒頭に短編で描いた内容を残しつつ、今と昔を巡る家族やセックスというテーマを見事に描ききってました。
人によっては詰め込みすぎ、と思われるかもしれないけど、むしろこれまでこれらのことを正面から切り込んだ映画がなかったので仕方ないと思います。
今後ゲイを描く上でロールモデルになるような内容でした。
特に家族の問題は、人それぞれなので、本当に考えさせられました。
短編ではあまり描かれなかったウリ専のレオくんの葛藤が長編ではよく描かれていて共感もてました。
僕も家族ってものをうまく描けないので、パートナーシップや同性婚にはかなり懐疑的です。
区役所のシーンはやや皮肉的で笑いましたw あんなこと本当にあるの??
とはいえ未だにマイノリティへの権利がここまで認められていないのも不自然すぎる。
同性カップルが2019年に全国5か所で起こした集団訴訟は、先週の福岡地裁で全ての判決が出そろいました。
裁判所の判断の内訳は「憲法違反」が2件(北海道・名古屋)、「違憲状態」が2件(東京・福岡)、「合憲」が1件(大阪)となりました。少しずつではあるけど一歩ずつ進んでます。
それもこれも、先人が築いてきたものがあってこそ。
それこそ映画の中でもエイズに少し触れる場面がありますが、今では考えられないぐらいの差別と戦ってきた歴史がちゃんとあるんですよね。
老人のゲイというあまり描かれない主題を選んだからこそ見えてくるものがあったように思います。
あえて残念な点を挙げるなら、レオくんも若山崎も前の短編の時の方がよかったなぁと。
田村さんがとにかく素晴らしいので、彼は代わってなくて良かった。
そして日出郎さんが本当に良かった。ゲイバーママリアルすぎw
寧ろストレートの方にこそ観て欲しい映画だったりするので是非!!
パンフもパンフの範囲超えてます。
表紙が海老原さんだし、なぜか監督のヌードもあるし、昭和ゲイ雑誌の悪ノリもあるしw
続いて「怪物」。
是枝裕和x坂元裕二x安藤サクラx坂本龍一って時点で無敵すぎる。
予告もほとんど内容がわからないのが強気の印。
唯一カンヌで「クィア・パルム賞」なる賞をとってたのがややネタバレというか、え、そんな内容なの!?と思いつつ初日から駆けつけました。
中身は言わば「羅生門スタイル」で、3つの視点から描かれます。
母親、教師、子供の順で見る側面によって全然印象が変わる内容ですが、やはり最後の子供の視点は痛烈。
もう涙が淀みなく流れちゃいました。。。
「普通」という言葉に傷ついてきた人にはぶっ刺さる内容だと思います。
人によってはトラウマが蘇ってしまうかも。。。
前述の「老ナルキソス」とは逆に子供時代のあの葛藤をこれほど危ういまでに描いた作品初めて出会った気がします。
母親の愛ゆえの「結婚して家族ができるまで」って言葉が車から飛び降りさせるほど息子を傷つけてしまうシーンとか、おねぇタレント真似して笑い取るとか、観ていて本当に心が痛みました。
先生の何気ないホモソーシャルな台詞も難しいところですね。。。
会見でも触れてたけど、坂元さんは「Mother」以降「それでも、生きてゆく」や「anone」でも加害性をテーマに脚本を紡いできました。
その一つの到達点としてこの映画がある気がします。
具体的に言葉には出さずとも、伝わってしまう心情の描き方がすごい。
田中裕子も流石すぎるし、彼女にこの映画の肝となる台詞言わせる坂元裕二も最高すぎる。
「誰かにしか手に入らないものなんて幸せじゃない。しょうもない。誰にでも手に入るものを幸せって言うんだよ。」
この台詞に全て集約される気がします。
坂元さん、脚本賞本当におめでとうございました。
また、是枝監督もこれまでネグレクトや疑似家族等、坂元さんも描いてきた題材を真摯に描いてきた方なので、2人の親和性ははじめから約束されていたようなもの。
そして是枝監督の子供の撮り方がやはりうますぎる。
特に柊木陽太くんの演技凄すぎる。
要所要所で流れる故・坂本龍一の音楽も印象的。
観終わった後もしばらく尾を引く映画です。
続いてソクーロフの久々の新作、「独裁者たちのとき」。
ソクーロフファンとしては待ってました!って感じなのだけど、前半静かすぎて寝てしまったw
ヒトラーやスターリン、ムッソリーニにチャーチルと、歴史的人物のアーカイブ映像をつなぎ合わせて作ったとのことだけど本当??ってぐらい自然に共演しちゃってる。。。
冒頭で「ディープフェイクやAIは一切使用してない」って出るんだけど、不思議すぎて最後まで馴染めませんでした。。。
以前にも昭和天皇やレーニンを描いた「権力の四部作」を製作していたソクーロフの到達地点ではありました。
それにしてもロシアウクライナ戦争真っ只中でこんなものを発表しちゃうなんて大丈夫なのだろうか。。。
ソクーロフには実験的なものよりしっかり美しい映像撮って欲しいなと個人的には思います。
「sio/100年続く、店の始まり」は代々木上原にある予約困難店sioを作った鳥羽シェフの激動の時間を追ったもので、めちゃくちゃ撮れ高ある内容。。。
鳥羽さんの飽くなき挑戦に周囲が振り回されてる感じとかがうまく撮れててドキュメンタリー映画としてはかなりの出来だと思いました。
僕はsioとo/sioに行ったことあるけど、他の店舗も改めて行ってみたい。
それにしても例の報道後、この映画に家族全員出演してたこと思うとすごい闇あるな。。。
あとの3本はほぼ惰性。
「ヴィレッジ」はひたすら横浜流星がイケメン過ぎて、村にいるのが不自然過ぎた。。。
途中からのキャラ変も不自然過ぎて全然入っていけず。
黒木華が能面っぽいのは良き。
「岸辺露伴 ルーブルへ行く」と「サイコパス PROVIDENCE」は、既に世界観構築され過ぎてて可もなく不可もなくだった。
若露伴役の長尾くん素敵過ぎた。
昨日葉山に行ったので岸辺露伴邸としてロケ地になった加地邸見てきました。
宿泊可能で一泊30万だそうです合掌。



うつろいの時をまとう by 三宅流
最近観た映画まとめ。
まずは映画館で観た映画たち。
うつろいの時をまとう by 三宅流
「妖怪の孫」by 内山雄人
「トリとロキタ」by ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
「生きる LIVING」by オリヴァー・ハーマナス
「不自然な惑星」by 黒澤宜徳
「うつろいの時をまとう」は、ファッションブランドmatohuの創作を追ったドキュメンタリー。
matohuというブランドのことは以前から知っていたけど、実際に服を見たことがないし、正直あまり興味のないブランドというか、むしろ胡散臭いなぁという印象のブランドでした。
ジャパネスクというか、「日本固有の」みたいなドメスティックな感覚があまり好きじゃないんですよね。
どうしても対外戦略にしか思えない。
MITTANというブランドをやってる友人がいて、少し関わってもいたので、彼が掲げている「現代の民族服」という信念を間近で見ていたのもあって、どうしても他が嘘くさく見えてしまうんですよ。。。
これは本物だなぁという他のブランドとしてはi a iがあります。
この嘘と本物の間ってめちゃくちゃ微妙なんだけど、matohuにはどうも本物っぽさを感じたことがなかったのです。
でもなんとなく気になって観に行ったんだけど映画として凄く良かった。
彼らの創作を通して、服というのは景色/気色を纏うことなんだなぁという実感がありました。
よくファッションで自分を表現するみたいなこと言ってる人がいますが、大量生産品着てる時点でできてねぇだろ、だったら自分で作れやぐらいに思ってたんですが、この映画の途中で出てくる能楽師の津村禮次郎さんが「自分の態度を表現する」みたいなことを仰ってて凄くしっくりきました。
僕もその日着ていく服を、自分の気分だけではなくて、どこに行くかを最重要視して決めてます。
ところで映画では、matohuが過去8年、17のコレクションを一堂に展示した2020年にスパイラルで開催した「日本の眼展」から彼らのコンセプトを紐解いてましたが、むしろ僕はそれ以降の「手のひらの旅」が気になりました。
彼らはこのコレクションからショーをやめて、日本の手仕事に着目してものづくりをしています。
やっぱりショーをやってる時点でなんとなく胡散臭さがあったんだけど、ここに辿り着いた彼らのクリエーションは信頼できるかもしれないと。なぜか上からw
この映画をきっかけに彼らの作品見てみたいと思いました。
ちなみにタイトル、なぜ「まとふ」にしなかったんだろう。。。
それはともかく。所謂ファッション映画ではない、監督の美学がしっかり反映されてる良いドキュメンタリーの見本のような映画。
逆にダメなドキュメンタリー映画の見本のようだったのが「妖怪の孫」。
安倍元首相をテーマにして、すごいタイトルだったので興味津々で観に行ったんですが、真新しい情報もほとんどなかったし、最後「家族が危ない目に遭うかも」みたいな言い訳じみた映像もウゼェってなった。
前作の菅元首相を追った「パンケーキを毒味する」は観てないけど、ちょっとうんざりでした。
こういう意思の曖昧なドキュメンタリーは観ていて全然気持ちよくない。
同じ政治ドキュメンタリーだったらやっぱり「主戦場」や「i-新聞記者ドキュメント-」は凄かったなぁ。
海外映画ではまずダルデンヌ兄弟。
彼らやケン・ローチのような監督の映画を映画館で観る度に、どうしてわざわざ時間を割いてお金を払ってまでこんな辛い体験をしなければならないのかと自問するけど仕方ないよね。
というわけで「トリとロキタ」辛過ぎた…。最後まさかのエンディング。。。
「生きる Living」は黒澤明の名作「生きる」をカズオイシグロの脚本でリメイクというこれは観ずにはいられない内容。
途中で元の最も重要シーンとも言える、余命宣告された主人公が立ち寄ったビアホールで誰かの誕生日パーティーをやってるシーンがなかったのは衝撃だった。。。あだ名も「ミイラ」から「ゾンビ」に。。。英語ちゃんと聞いてなかったけどEgyptian mummyみたいな単語も出てたので「ミイラ」で良かったのでは。
とはいえ、1950年代の古き良きロンドンが再現されててめちゃくちゃ良かった。
冒頭の昔風のオープニングから心鷲掴みされました。
初めましてがNice to meet youではなくHow do you do?なのも良き。
そして同じ黒澤でも我らが黒澤監督の「不自然な惑星」!
僕がよく行ってるうちの目の前のビルに入ってる「ノストス」のバーのマスター通称黒ちゃんが撮った初長編作品。
上映会をやるというので人形町の劇場まで行ってきました。
キャストも知り合いが多数出てたり、ロケーションもほぼ新宿で知ってる場所だったりで観ていてニヤニヤしちゃった。
まだまだ荒削りではあるものの、監督・脚本・編集・撮影まで全部こなしててすごい。。。
今後も期待してます!
続いて間違って入ってしまったアマプラから。
無料期間中に辞められるように必死で観ましたw
「泳ぎすぎた夜」by 五十嵐耕平・ダミアン・マニベル
「ちょっと思い出しただけ」by 松居⼤悟
「異端の鳥」by ヴァーツラフ・マルホウル
「君の名前で僕を呼んで」by ルカ・グァダニーノ
「ミッドサマー」by アリ・アスター
「LAMB/ラム」by ヴァルディミール・ヨハンソン
「キース・ヘリング〜ストリート・アート・ボーイ〜」by ベン・アンソニー
「イメージの本」by J.L.ゴダール
「泳ぎすぎた夜」は、「アマプラでおすすめ教えてください」とツイートして教えてもらった作品。
お店のお客さんでもある龍崎くんがスティールを担当してる作品でした。
これ、おすすめされてなかった絶対発見できなかったと思うんだけど、最高すぎました!!!
アマプラ入ってる人いたら絶対見るべき。
雪国に暮らす男の子の一つの冒険譚なんだけど、劇中台詞が全然なくて、それでも79分あっという間だった。。。
この少年の自然すぎる振る舞いはどう演技指導したのかめちゃくちゃ気になる。。。
そしてクレジット見たら、このキャスト本当の家族っぽいですね。
五十嵐監督って存じ上げなかったけど、調べたら同い年だった!
本当に素晴らしい作品だったので、今度龍崎くん来たら色々聞いちゃお。
続いて「ちょっと思い出しただけ」。
気にはなってたんだけど、なぜか映画館まで足を運んでなくて、観始めたらめちゃくちゃ良かったので行かなかったの後悔しました。。。
松居⼤悟って「エゴイスト」の人かって思ったらあっちは松永大司だった。。。松しか合ってないけどごっちゃになる。。。
作品はいくつか知ってるけど観たのは初めてでした。
男女の6年間の軌跡を出会いから別れまで、同じ日の出来事を逆に辿っていく構成なんだけど、始めぼーっと見てたから途中で混乱しました。。。
けどこの構成めちゃくちゃ面白かった。
そしてなんと言っても伊藤沙莉が最高すぎた。
前からいい女優さんだなぁとは思ってたけど、今回で完全に好きになりました。
僕が大好きな「愛がなんだ」的な空気もありつつ、会話のテンポがめちゃくちゃ自然すぎてびっくりする。
特に、伊藤沙莉が合コン中に抜け出してタバコ吸うシーンの屋敷裕政との出会いのシーン。
もちろん池松壮亮とのやりとりもめちゃくちゃ心地いいんだけど、終始会話が最高だった。
「異端の鳥」は気になってたけど長尺だったので劇場は避けちゃった映画。内容も重いし。
実際見始めるとその長い尺はそこまで気にならなくて、寧ろよくもまあここまで色んなパターンで酷い目に遭わせるよなぁ、、、という展開。
そりゃ映画祭で席を立つ人続出なのもわかる。
けど、結局目が離せず最後まで観てたらちゃんとギフトがあるいい映画でした。
「君の名前で」は結構期待してたんだけど、ふーんっていう程度だった。。。
ティモシー・シャラメがひたすら美しい映画でしたね。
同じようにゲイを描いたオゾンの「Summer of 85」も観かけたけど、出会いから親密になるまでが不自然過ぎて10分ほどで観るのやめちゃいました。。。
続いて「エブエブ」でも話題になったA24関連の映画2本。
まずは「ミッドサマー」。
説明不要というか、話題作過ぎて観てなかったんだけど、流石に面白かった。
世界観がひたすら美しいので、グロいシーンも見れてしまうのが怖い。
同じく「ラム」も気持ち悪いんだけど、なんだか見入ってしまう映画。
ラストが衝撃すぎた。。。
どちらも閉ざされた地域で密やかに起きてる奇妙な出来事。
こういう絶妙に気持ち悪い話A24得意ですよね。
キースの映画は、あまり知らなかった彼の軌跡を知ることができました。
最近の映画なのにご両親が出てて、え?ってなったんだけど、考えたら彼は31歳の若さで亡くなってるので、ご両親が健在でも不思議ではないのか、と思うと切なくなりました。
最後は昨年亡くなった巨匠中の巨匠ゴダール様。
とはいえ僕、あまりゴダール得意じゃないんですよね。
アマプラにあるゴダールだと「女は女である」と「さらば、愛の言葉よ」がありますが、前者はなんとなく観れたものの後者は全然だめですぐやめちゃった。。。
結果遺作となった「イメージの本」もダメだろうと思って観始めたんだけど気づいたら釘付けになってた。。。これはすごい。。。
ゴダールお得意の映像コラージュみたいな映画だけど、「暴力」をベースに、映像史のような壮大さ。
途中で挟まれるゴダール自身が撮った海辺のビビットな映像も美しいし、88歳の彼の肉声が入ってるのも聞き入ってしまう。
2019年の堂島ビエンナーレがまさにこの作品へのオマージュのような展示だったんだけど、改めて観に行けば良かったと思いました。。。
改めてご冥福をお祈りします。
まずは映画館で観た映画たち。
うつろいの時をまとう by 三宅流
「妖怪の孫」by 内山雄人
「トリとロキタ」by ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
「生きる LIVING」by オリヴァー・ハーマナス
「不自然な惑星」by 黒澤宜徳
「うつろいの時をまとう」は、ファッションブランドmatohuの創作を追ったドキュメンタリー。
matohuというブランドのことは以前から知っていたけど、実際に服を見たことがないし、正直あまり興味のないブランドというか、むしろ胡散臭いなぁという印象のブランドでした。
ジャパネスクというか、「日本固有の」みたいなドメスティックな感覚があまり好きじゃないんですよね。
どうしても対外戦略にしか思えない。
MITTANというブランドをやってる友人がいて、少し関わってもいたので、彼が掲げている「現代の民族服」という信念を間近で見ていたのもあって、どうしても他が嘘くさく見えてしまうんですよ。。。
これは本物だなぁという他のブランドとしてはi a iがあります。
この嘘と本物の間ってめちゃくちゃ微妙なんだけど、matohuにはどうも本物っぽさを感じたことがなかったのです。
でもなんとなく気になって観に行ったんだけど映画として凄く良かった。
彼らの創作を通して、服というのは景色/気色を纏うことなんだなぁという実感がありました。
よくファッションで自分を表現するみたいなこと言ってる人がいますが、大量生産品着てる時点でできてねぇだろ、だったら自分で作れやぐらいに思ってたんですが、この映画の途中で出てくる能楽師の津村禮次郎さんが「自分の態度を表現する」みたいなことを仰ってて凄くしっくりきました。
僕もその日着ていく服を、自分の気分だけではなくて、どこに行くかを最重要視して決めてます。
ところで映画では、matohuが過去8年、17のコレクションを一堂に展示した2020年にスパイラルで開催した「日本の眼展」から彼らのコンセプトを紐解いてましたが、むしろ僕はそれ以降の「手のひらの旅」が気になりました。
彼らはこのコレクションからショーをやめて、日本の手仕事に着目してものづくりをしています。
やっぱりショーをやってる時点でなんとなく胡散臭さがあったんだけど、ここに辿り着いた彼らのクリエーションは信頼できるかもしれないと。なぜか上からw
この映画をきっかけに彼らの作品見てみたいと思いました。
ちなみにタイトル、なぜ「まとふ」にしなかったんだろう。。。
それはともかく。所謂ファッション映画ではない、監督の美学がしっかり反映されてる良いドキュメンタリーの見本のような映画。
逆にダメなドキュメンタリー映画の見本のようだったのが「妖怪の孫」。
安倍元首相をテーマにして、すごいタイトルだったので興味津々で観に行ったんですが、真新しい情報もほとんどなかったし、最後「家族が危ない目に遭うかも」みたいな言い訳じみた映像もウゼェってなった。
前作の菅元首相を追った「パンケーキを毒味する」は観てないけど、ちょっとうんざりでした。
こういう意思の曖昧なドキュメンタリーは観ていて全然気持ちよくない。
同じ政治ドキュメンタリーだったらやっぱり「主戦場」や「i-新聞記者ドキュメント-」は凄かったなぁ。
海外映画ではまずダルデンヌ兄弟。
彼らやケン・ローチのような監督の映画を映画館で観る度に、どうしてわざわざ時間を割いてお金を払ってまでこんな辛い体験をしなければならないのかと自問するけど仕方ないよね。
というわけで「トリとロキタ」辛過ぎた…。最後まさかのエンディング。。。
「生きる Living」は黒澤明の名作「生きる」をカズオイシグロの脚本でリメイクというこれは観ずにはいられない内容。
途中で元の最も重要シーンとも言える、余命宣告された主人公が立ち寄ったビアホールで誰かの誕生日パーティーをやってるシーンがなかったのは衝撃だった。。。あだ名も「ミイラ」から「ゾンビ」に。。。英語ちゃんと聞いてなかったけどEgyptian mummyみたいな単語も出てたので「ミイラ」で良かったのでは。
とはいえ、1950年代の古き良きロンドンが再現されててめちゃくちゃ良かった。
冒頭の昔風のオープニングから心鷲掴みされました。
初めましてがNice to meet youではなくHow do you do?なのも良き。
そして同じ黒澤でも我らが黒澤監督の「不自然な惑星」!
僕がよく行ってるうちの目の前のビルに入ってる「ノストス」のバーのマスター通称黒ちゃんが撮った初長編作品。
上映会をやるというので人形町の劇場まで行ってきました。
キャストも知り合いが多数出てたり、ロケーションもほぼ新宿で知ってる場所だったりで観ていてニヤニヤしちゃった。
まだまだ荒削りではあるものの、監督・脚本・編集・撮影まで全部こなしててすごい。。。
今後も期待してます!
続いて間違って入ってしまったアマプラから。
無料期間中に辞められるように必死で観ましたw
「泳ぎすぎた夜」by 五十嵐耕平・ダミアン・マニベル
「ちょっと思い出しただけ」by 松居⼤悟
「異端の鳥」by ヴァーツラフ・マルホウル
「君の名前で僕を呼んで」by ルカ・グァダニーノ
「ミッドサマー」by アリ・アスター
「LAMB/ラム」by ヴァルディミール・ヨハンソン
「キース・ヘリング〜ストリート・アート・ボーイ〜」by ベン・アンソニー
「イメージの本」by J.L.ゴダール
「泳ぎすぎた夜」は、「アマプラでおすすめ教えてください」とツイートして教えてもらった作品。
お店のお客さんでもある龍崎くんがスティールを担当してる作品でした。
これ、おすすめされてなかった絶対発見できなかったと思うんだけど、最高すぎました!!!
アマプラ入ってる人いたら絶対見るべき。
雪国に暮らす男の子の一つの冒険譚なんだけど、劇中台詞が全然なくて、それでも79分あっという間だった。。。
この少年の自然すぎる振る舞いはどう演技指導したのかめちゃくちゃ気になる。。。
そしてクレジット見たら、このキャスト本当の家族っぽいですね。
五十嵐監督って存じ上げなかったけど、調べたら同い年だった!
本当に素晴らしい作品だったので、今度龍崎くん来たら色々聞いちゃお。
続いて「ちょっと思い出しただけ」。
気にはなってたんだけど、なぜか映画館まで足を運んでなくて、観始めたらめちゃくちゃ良かったので行かなかったの後悔しました。。。
松居⼤悟って「エゴイスト」の人かって思ったらあっちは松永大司だった。。。松しか合ってないけどごっちゃになる。。。
作品はいくつか知ってるけど観たのは初めてでした。
男女の6年間の軌跡を出会いから別れまで、同じ日の出来事を逆に辿っていく構成なんだけど、始めぼーっと見てたから途中で混乱しました。。。
けどこの構成めちゃくちゃ面白かった。
そしてなんと言っても伊藤沙莉が最高すぎた。
前からいい女優さんだなぁとは思ってたけど、今回で完全に好きになりました。
僕が大好きな「愛がなんだ」的な空気もありつつ、会話のテンポがめちゃくちゃ自然すぎてびっくりする。
特に、伊藤沙莉が合コン中に抜け出してタバコ吸うシーンの屋敷裕政との出会いのシーン。
もちろん池松壮亮とのやりとりもめちゃくちゃ心地いいんだけど、終始会話が最高だった。
「異端の鳥」は気になってたけど長尺だったので劇場は避けちゃった映画。内容も重いし。
実際見始めるとその長い尺はそこまで気にならなくて、寧ろよくもまあここまで色んなパターンで酷い目に遭わせるよなぁ、、、という展開。
そりゃ映画祭で席を立つ人続出なのもわかる。
けど、結局目が離せず最後まで観てたらちゃんとギフトがあるいい映画でした。
「君の名前で」は結構期待してたんだけど、ふーんっていう程度だった。。。
ティモシー・シャラメがひたすら美しい映画でしたね。
同じようにゲイを描いたオゾンの「Summer of 85」も観かけたけど、出会いから親密になるまでが不自然過ぎて10分ほどで観るのやめちゃいました。。。
続いて「エブエブ」でも話題になったA24関連の映画2本。
まずは「ミッドサマー」。
説明不要というか、話題作過ぎて観てなかったんだけど、流石に面白かった。
世界観がひたすら美しいので、グロいシーンも見れてしまうのが怖い。
同じく「ラム」も気持ち悪いんだけど、なんだか見入ってしまう映画。
ラストが衝撃すぎた。。。
どちらも閉ざされた地域で密やかに起きてる奇妙な出来事。
こういう絶妙に気持ち悪い話A24得意ですよね。
キースの映画は、あまり知らなかった彼の軌跡を知ることができました。
最近の映画なのにご両親が出てて、え?ってなったんだけど、考えたら彼は31歳の若さで亡くなってるので、ご両親が健在でも不思議ではないのか、と思うと切なくなりました。
最後は昨年亡くなった巨匠中の巨匠ゴダール様。
とはいえ僕、あまりゴダール得意じゃないんですよね。
アマプラにあるゴダールだと「女は女である」と「さらば、愛の言葉よ」がありますが、前者はなんとなく観れたものの後者は全然だめですぐやめちゃった。。。
結果遺作となった「イメージの本」もダメだろうと思って観始めたんだけど気づいたら釘付けになってた。。。これはすごい。。。
ゴダールお得意の映像コラージュみたいな映画だけど、「暴力」をベースに、映像史のような壮大さ。
途中で挟まれるゴダール自身が撮った海辺のビビットな映像も美しいし、88歳の彼の肉声が入ってるのも聞き入ってしまう。
2019年の堂島ビエンナーレがまさにこの作品へのオマージュのような展示だったんだけど、改めて観に行けば良かったと思いました。。。
改めてご冥福をお祈りします。
地点「騒音。見ているのに見えない。見えなくても見ている!」 @ KAAT
昨年末の「ノー・ライト」に続きKAATでのイェリネク作品です。
今回は完全新作。
「光のない|ノー・ライト」「スポーツ劇」に続き舞台美術に木津潤平、音楽に三輪眞弘、衣装にコレット・ウシャール。
地点としてはイェリネク作品は「汝、気にすることなかれ」を含めると4作目。
それぞれ時事ネタを扱うイェリネクですが、本作はなんと新型コロナを扱っています。
2021年夏にハンブルクで初演とのことですが、イェリネクという人は速度のある人なんだな、と感心します。
2020年から始まったこのパンデミックをその一年半後には戯曲として完成してしまってるんだから凄いとしか言いようがない。
東日本大震災及び原発事故を扱った「光のない」にしても翌年の2012年にはもう完成していたし。
まあ、普段アートという「遅い」メディアにいるので、テキストの世界はそりゃそれと比べたら格段に「速い」のかもしれませんね。
そして今回もホメロス『オデュッセイア』や、ハイデガーの『存在と時間』が引用され、例の如く難解至極なテキスト。。。
そんな作品を如何に地点が料理するのか。
まず木津さんの舞台美術ですが、円形の舞台がバランスボールによって支えられてて、演者が乗ると揺れる舞台装置。
揺れに合わせて円形舞台の周りの豆電球も明滅します。
さらに、ビニールの幕が周りを覆っていて、これまた飛沫防止シートのよう。
三輪さんによる舞台の揺れに併せて流れる呼吸音もとても不穏。
最初バランスボールの空気が抜けてる音かと思ったけど違った。
そして今回はガムランによる生演奏とビデオ投影による録音演奏が合わさります。
それにしても今回ほど緩慢な舞台は初めてでした。
これは別に貶してるわけではなく、やはりイェリネクの戯曲が全て反映された結果だと思います。
終始テンションも一定だし、クライマックスもない。
そして何と言っても演者達の役名もない、ただの「声」を演じてるのが凄い。
「私たち」とか指示代名詞は使っているものの、その「私たち」とは誰のことなのかわからない。
もはや演じるとは何か、という根源的な問いにも触れています。
これどうやって終わるんだろう?と後半は不安にすらなりました。
ガムランの安定したリズムも合わさって、隣の人完全に寝てた笑
舞台の周りで演者が「コロナキタ」と謎の踊りを踊ってるんだけど、これは踊念仏を意識してるのかな?と思ったり。
踊念仏も疫病や災害を鎮めるべく始まったという説もあるし、のちの盆踊りの起源とも言われていて、今回オリジナルは西洋なので明らかに神を意識してるけど、この地点の舞台は仏を意識しているようで面白かった。
あと、マスクやワクチンの陰謀論めいた台詞もあったり、中々ヒヤヒヤさせられる内容でした。
終演後の三浦さんのお話でも、やはりピークを作るのが大変だった、というか無理だったという話をされてて、イェリネクの一筋縄では行かない感じに手こずりながらも、それに果敢に挑んじゃう地点が凄い。
そもそもパンデミックは終息気味とはいえ、2023年の現時点でも渦中。
3年経っても結局コロナって何なの?という疑問は据え置き状態。
将来再演があったらまた違った見方ができるのかな、と思いました。
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地点「ノー・ライト」 @ KAAT
地点「ギャンブラー」@ KAAT
地点「君の庭」@ KAAT
地点「罪と罰」@ 神奈川県立青少年センター
地点「三人姉妹」「シベリアへ!シベリアへ!シベリアへ!」 @ KAAT
「やっぱり悲劇だった」by 三浦基
地点「だれか、来る」@ アンダースロー
地点「グッド・バイ」@吉祥寺シアター
地点「正面に気をつけろ」@ アンダースロー
地点「汝、気にすることなかれ」@アンダースロー
地点「ロミオとジュリエット」@ 早稲田大学大隈講堂
地点「みちゆき」 @愛知県芸術劇場
地点「スポーツ劇」@ロームシアター京都
地点「光のない。」
地点「悪霊」@ KAAT
地点「CHITENの近未来語」@アンダースロー
地点「かもめ」@ Cafe Montage
地点「コリオレイナス」@京都府立府民ホールアルティ
地点「――ところでアルトーさん、」@京都芸術センター
ちなみにKAATのアトリウムでは山内祥太さんの映像が流れてました。
森美術館でも展示されてたり最近よく名前見かけます。明日13日まで。こちら。こちら。

2月、3月は映画三昧。毎週観ないと追いつかない。。。
というわけで今年入って観た映画たち。
「とべない風船」
「シャドウプレイ」
「夢の裏側」
「エゴイスト」
「別れる決心」
「逆転のトライアングル」
「日の丸 寺山修司40年目の挑発」
「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」
「Winny」
「ひとりぼっちじゃない」
ロウ・イエ監督の「シャドウプレイ」は2020年の公開のはずだったんだけど延びに延びてようやく公開。
延期の理由はコロナだの中国当局からの圧力だの色々あったんだろうけど無事公開されて一安心。
プレミアの時は一部削除されてだけど、公開されたのはそこもちゃんと収められたバージョン。
てっきりロウ・イエ監督のことなので、お国の危険な部分に触れっちゃったのかと思いきや、カットを指示されたのはエディソン・チャンの出演部分。
以前のハ○撮りスキャンダルを当局はひきづってる模様。
それにしても、めちゃくちゃ予算のかかった映画だった。
ここは逆にセーフなの!?と思える部分もあって、そこはロウ・イエ監督っぽかったけど、個人的にはもう少し静謐な映画を期待してたので、こういうダイナミックな映画はやや食傷気味。
主演のジン・ポーランもイケメンだけど、あまりにそつなく描かれ過ぎてるのもあって感情移入もそこまでできず。
ただ、中国のこの30年ほどの発展の裏で置き去りにされてきたものを描かれていて、そこはさすが。
また、ロウ・イエの奥様のマー・インリーが監督した「シャドウプレイ」の裏側を撮ったドキュメンタリー「夢の裏側」も公開されてて、こっちは検閲やらを乗り越えて製作される過程が描かれていて生々しさが面白かった。
ここまで大変な思いで作る監督は凄いとしか言いようがない。
「タルコフスキー日記」を読んでも、ソ連当局からの嫌がらせの愚痴が大半を占めてるけれど、あれだけの傑作を生み出したように、中国でも圧力に耐えながらも傑作が生み出されている。
そんな監督にこれだけの予算が出るのも不思議なんだけど、今後も頑張ってほしいです。
カンヌ勢からは監督賞のパク・チャヌク監督「別れる決心」と2作連続パルムドールのリューベン・オストルンド監督「逆転のトライアングル」。
「別れる決心」は138分あるんだけど、ここまで長い必要ある?って感じだった。
警察と容疑者が恋に落ちるってベタと言えばベタな設定でユーモアも交えつつここまで魅せるのは流石だけど、最初の夫の殺人を免れたのもわからないし、最後もあんな詩的な終わり方しなくても。。。と思っちゃった。
逆に「逆転のトライアングル」は、148分もあるんだけど、もっと観たい!と思った。
テンポがとにかく良くて、展開も全く読めないし、皮肉も効きまくってて最後まであっという間。
最後の最後にもうひと展開あったのに敢えて切っちゃうのも凄い。
個人的に前回の「ザ・スクエア」より良かった。
どうでもいいけど、前回がスクエアで今回はトライアングル。次回はサークルかな?
米アカデミー賞最有力候補の「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」。
前作の「スイス・アーミー・マン」もぶっ飛ん出たけど、今回はさらにぶっ飛びまくり。
こんな作品がアカデミー賞最有力だなんて凄い。。。
要約すると「納税うぜーー」ってことでいいのかしら笑
そこからあそこまで世界観が膨らんじゃうのは凄いけど、ちょっとついていけない部分も多々あり。
確定申告の時期なので、イラついてる人は見てもいいかもw
個人的にはgleeに出てたハリー・シャム・Jrが出てて嬉しかった。
主人公の父役のジェームズ・ホンさん94歳って凄すぎる。。。
米アカデミー賞の発表は明日!どうなることやら。
邦画だと、やっぱり「エゴイスト」。
もう、引きづりまくった映画だった。
他人のためにっていうのは最大のエゴかもしれない。
逆に最後の阿川佐和子が放った一言は、純粋に自分のわがままで、それはエゴじゃないんだよな。
宇多田ヒカルの「誰かの願いが叶う頃」を思い出した。
それにしても阿川佐和子がすご過ぎた。
鈴木亮平もすっかりゲイになり切ってくれたし、宮沢氷魚くんが可愛過ぎて悶えた。
2人のベッドシーンはちょっと一家言ありました。
末廣亭近くを鈴木亮平が歩いてるシーンがあって、いつの間に撮影してたんだろうと思った。
「ひとりぼっちじゃない」は井口君出てるから観てみた。
あんま覚えてないけどなんとなく昔観た「贅沢な骨」っぽい空気感だなぁと思ってたらプロデューサーが行定さんだった。
この映画もまた店の近くで撮影してた。。。会いたかった。。。
井口君を主演にしながら音楽がほとんど出ないところは好感が持てたけど、終始雰囲気で誤魔化してる感があって映画としては低評価。
何故か東出昌大が出てる2作、「とべない風船」と「Winny」。
前者は三浦透子目当て、後者はテーマが気になって。
両作品とも一生大根役者だと思ってた東出くんが何故か演技上手くなっててびびった。。
特にWinnyは開発者の金子さんを見事に演じきってた。
それにしても吹越満凄すぎる。
Winnyは実際利用してないけど、この事件はその後の日本のソフト開発に大きな影響を及ぼしたのは間違い無いですね。
金子さんの技術はその後ブロックチェーン等に応用されてて今も生きてます。
あんなことさえなければ、と悔しい気持ちしかないです。
以上!
「ケイコ 目を澄ませて」by 三宅唱 / 地点「ノー・ライト」 @ KAAT
前作「きみの鳥はうたえる」が最高だったので新作を待ち望んでいたらまさかのボクシング映画でちょっと怯んだんだけど、実際観てみたらボクシングは一側面でしかなくて、本当に素晴らしい映画でした。。。今年一番だったかも。
まず主演の岸井ゆきのがすご過ぎた。。。
「愛がなんだ」で良いな、と思っていた女優さんだったけど、ここまでとは。。。
ろうの役もそうなんだけど、それに加えてボクサーなのでミット打ちの場面や試合の場面凄すぎ。。。
ほとんどノーメイクなのも女優魂魅せてくれてます。
「マイノリティの役は当事者に」というのが映画界で近年議論になってますが、当事者であることと演じることは別だと思うんですよね。役者は何にでもなれてこそだと思うので、僕としては必ずしも当事者が演じなくてはならないとは決して思いません。
その点で今回の岸井ゆきのは本当に役者だなぁと感心しきりでした。
今ドラマの「silent」見てるのもあって、手話の扱い方の違いが顕著すぎて素晴らしかった。
手話を特別なものとして描いていないと言うか、特に浅草での女子会の場面は字幕すらなかったの衝撃だった。
でもなんとなく彼女達が手相見ながら結婚の話で盛り上がってるのが分かっちゃう。
あと弟との手話会話がラフな感じでめちゃくちゃ良かった。
弟との会話がサブタイトルではなくインタータイトルなのもサイレント映画のようで三宅監督のフェティッシュが感じられて良かった。
弟役の佐藤緋美くんってどこかで見たことあるなと思ったら、藤田貴大の「書を捨てよ町へ出よう」の主演やってたんだと後で知りました。ちなみに彼はCHARAと浅野忠信の息子さんです。
三浦友和もさすがとしか言いようがなかった。
三浦友和ってほとんど演技の幅ないんだけど、ぴったりと役にハマっちゃうから凄い。
俳優の名演技を彩る演出はさすが三宅唱。
何と言っても余計なBGMがほとんどないのが良い。
冒頭のケイコが日記を書くペンの走る音や氷を噛む音、ジムの練習する音など、音が鮮明に入ってきます。
エンディングも街の環境音のみで思わず最後まで見入ってしまった。。。
ろう者を主人公にしながら音から始まり音で終わる映画というのも興味深いです。
ここに関して監督もインタビューに答えています。
環境音については、聴者の観客が、普段は当たり前に感じている"音が聞こえる"ということを改めて意識し、またケイコにはこの音が聞こえていないということを意識するような音の設計を考えました。
前提として、聴者の僕には、音のない世界を「想像し直し続ける」ことはできるかもしれないけれど「わかる」なんてことは決してあり得ないと思っています。なので、たとえば、主観ショットで音を消すなどの、いわば観客が追体験するような表現もあり得たかもしれませんが、それではなんだか「わかった気になる」だけのような気がし、選択しませんでした。聴者の僕にできることは、自分の周囲の多くが聴者であることを何度も自覚すること、そうでない人がいることを意識す続けること、そんな点から一つずつ進める必要があるだろうと考えていました。
「わかった気になる」というのは本当に危険。
「人は分かり合えない」を前提に置いて考えることはとても真摯な態度だと思います。
唯一音楽が入る場面、ケイコと弟とその彼女がシャドウボクシングしたり踊ったりしてる場面で何故か涙がこぼれました。。。
さらにこの映画の特徴として上げるとすればロングショットの多さです。
主人公を追うというより、主人公を取り巻く環境ごと撮っているというか。
この物語は実際のろうのボクサーである小笠原恵子さんの実話を元にしているものの、話としては10年ほど前で、もちろん今のコロナの状況はないわけですが、映画内は2020年からスタートしてまさにコロナ禍の日本を描いています。
「きみの鳥はうたえる」でも小説とは違う時代背景で描いていました。
三宅監督は「今」を描くことにとてもこだわりがあるのだろうな、と想像します。
その「今」も将来見たら「昔」になってしまうわけだし、普遍性を考えるととてもリスキーな気もするんですが、三宅監督はあえて「今」を選択するんですよね。
特にコロナ禍のニューノーマルをちゃんと描いてる映画は珍しいし、将来見た時時代が特定されてしまうので忌避する作品がほとんどだと思います。
今回の場合特にニューノーマルが効いていたのは、皆マスクをしてるので、唇を読めないケイコが戸惑うシーン。
聴者では気づけない困難さに何度もハッとさせられました。
映画内でのマスク問題はかなり繊細だと思いますが、この映画ではとても成功していたように思います。
とはいえ、前述のサイレント映画の手法を取り入れたり、そもそも16mmフィルムで撮られていたり、荒川沿いの昭和感漂う場所がメインになっていたりと、「今」を取りつつ普遍的な要素も大事にしているのは三宅監督ならでは。
最後の終わり方も完璧すぎた。
「Life goes on」という終わらせない終わらせ方。
観終わった後も余韻が凄すぎて暫く街を歩き回ってしまいました。。。
本当に素晴らしい映画でした。もう一回観るかも。
他最近観た映画。
「背 吉増剛造x空間現代」
「夜明けまでバス停で」
「岡本太郎の沖縄 完全版」
「ある男」
「はだかのゆめ」
「夜、鳥たちが啼く」
「ホワイト・ノイズ」
「そばかす」
「岡本太郎の沖縄」は、昔のドキュメンタリーかと思ったら2019年の作品の再構成版。
岡本太郎展やってるけどそっちは観ずにこちらを鑑賞。
僕は芸術家としての顔より民俗学の顔の岡本太郎に興味があります。
そんな太郎が切り開いた沖縄への賛美。
当時撮影禁止だった久高島の「イザイホー」の映像や、現在も伝わる芭蕉布の製造場面など貴重なシーンが多くて岡本太郎関係なく見入ってしまいました。
「夜、鳥が啼く」は、前述の「きみの鳥はうたえる」に続く佐藤泰志原作の映画化。
佐藤泰志の映画シリーズは全部好きなので期待してたけどまあ期待通り良かった。
山田裕貴、あまり関心なかったけどめちゃくちゃうまい。
女優が今回あんまりしっくりきてなかったのは残念でした。。。
「そばかす」は「ドライブ・マイ・カー」ですっかりファンになってしまった三浦透子が出てるから観たけどとても良かった。
映画内で言葉としては出てないけど所謂アセクシャルを扱った内容。
決して重くはないんだけど、確かに「恋愛」とか「結婚」とかって避けられない話題すぎてしんどいんだろうなぁと改めて思いました。
三浦透子のぶっきらぼうな感じがめちゃくちゃ役にフィットしてた。
最後北村匠海の役、謎すぎて蛇足だった気がする。。。
「ケイコ 目を澄ませて」と同じくメ〜テレの製作。素晴らしい!
あとはほぼノーコメント。
地点「ノー・ライト」 @ KAAT

2012年、2014年に続くノーベル賞作家、エルフリーデ・イェリネクの「光のない。」の再再演。
とは言っても今回は一味も二味も違う。
なんと演者達がそれぞれ日本語以外の言語で演じるマルチリンガル版!!
ただでも台詞多いのに(特に安倍さん)、それを他の言語でやるなんて狂気過ぎる。。。
それぞれの演者さんがYouTubeでマルチリンガルについて語ってます。
安部聡子×ドイツ語 1 2 3 4
小林洋平×韓国語 1 2 3 4
窪田史恵×ロシア語 1 2 3
石田大×スペイン語 1 2
田中祐気×英語 1 2
小河原康二×沈黙 1 2 3
加えて久々の出演の河野早紀さんはフランス語。
田中さんは今回この演目初出演です。
いやはや本当に途方もない企画だ。。。
さて、マルチリンガル公演というのは「ドライブ・マイ・カー」にも出てきました。
あの映画内演劇と今回の「ノー・ライト」の大きな違いは、演者が母語を演じていないという点です。
地点の演者はもちろん日本語を母語とする日本人。
そんな彼れが別の言語で演じることにどういう意味があるのか興味津々でした。
冒頭は前回同様「わたし」「あなた」「わたしたっち」といった人称代名詞だけは日本語で発語されるのだけど、どんどん台詞が多言語になっていく展開。
幕が開くと木津潤平さんによる舞台装置が現れ、足しか見えてないコーラス隊が三輪眞弘による声楽が奏でられる演出は前回同様で感動が蘇ります。
進んでいく演目を見聞きしながら思ったのは、これまで地点がやってきた「ミス/ディスコミュニケーション」の究極の形かもしれないということでした。
彼らはこれまでも日本語を操りながらも、独特のイントネーションや膨大な台詞量、あるいは外部からの妨害によって遮られる台詞など、あの手この手で言語を無力化してきました。
今回は、それを地でやってるというか、もはや「バベルの塔」。
それぞれの対話を言語という壁によって遮断されています。
そもそも向かい合って対話する場面もなく、ただ皆が各々発語している状態。
観客達はその膨大な仕事量なのに何も伝わらないというディスコミュニケーションを体で感じながら、それでも何かを思わずにはいられないイェリネクのテキストを浴びるという経験をする他ない状況に。
これまでの地点のやってきたことが改めて突きつけられた感覚を得ました。
ただ、1つこれまでと違った点を挙げるとすると声の出し方でした。
興味深いことに、韓国語を発語していた小林さん以外が、なんだかいつもと違う感じがしたのです。
特に安倍さんのドイツ語は明らかにこれまでの日本語の発語とはっきりと違いました。
よくバイリンガルの人が日本語を話す時と例えば英語を話す時で声の高さが変わったりしますが、安倍さんはそれとは違う形で何かが決定的に違ったのです。
次に窪田さんのロシア語もなんだか違った。
構造の似ている韓国語はほとんど違和感なく聞けたのは興味深かったです。
今回はヨーロッパ言語がほとんどでしたが、中国語やアジアの言語が入るとどんな感じなんだろう、と想像しました。
まあ、言うが易しですがw
いやはやそれにしても安倍さんのドイツ語の量がエグすぎてよくこんなことが可能だな、と驚嘆の嵐でした。
田中さんの英語も途中途中で日本語挟まってて可笑しかった。
最後に石田さんがソロでスペイン語のスピーチしてたけど毎回誰かがやってたのかな?
石田さんに関しては本編よりセリフ多かったのではw
これを経て次回作はイェリネクの新作でまさにコロナを題材にした「騒音。見ているのに見えない。見えなくても見ている!」 。
地点が今後どういう変化を起こしてくるのか、本当に楽しみでなりません。
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地点「ギャンブラー」@ KAAT
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地点「三人姉妹」「シベリアへ!シベリアへ!シベリアへ!」 @ KAAT
「やっぱり悲劇だった」by 三浦基
地点「だれか、来る」@ アンダースロー
地点「グッド・バイ」@吉祥寺シアター
地点「正面に気をつけろ」@ アンダースロー
地点「汝、気にすることなかれ」@アンダースロー
地点「ロミオとジュリエット」@ 早稲田大学大隈講堂
地点「みちゆき」 @愛知県芸術劇場
地点「スポーツ劇」@ロームシアター京都
地点「光のない。」
地点「悪霊」@ KAAT
地点「CHITENの近未来語」@アンダースロー
地点「かもめ」@ Cafe Montage
地点「コリオレイナス」@京都府立府民ホールアルティ
地点「――ところでアルトーさん、」@京都芸術センター
劇団チョコレートケーキ「ガマ」/「追憶のアリラン」@ シアターイースト/ウエスト
またまた劇チョコがやってくれました。
なんと過去作5本、新作1本を半月かけて(8/17-9/4)上演するというクレイジー過ぎる企画!
そもそも6本も同時にやるなんて人間業とは思えないし、このコロナ禍で一本やり通すのも至難の業なのに。。。
そして実際最後まで走り切った劇チョコは凄い。一生ついていきます!!
芸劇のシアターイーストとウエスト両会場ジャックしてました。かっこよすぎ。。。

この6本上演、「生き残った子孫たちへ 戦争六篇」という恐ろしいタイトルが付いてます笑
『追憶のアリラン』、『無畏』、『帰還不能点』、『〇六〇〇猶二人生存ス』、『その頬、熱線に焼かれ』の再演、そして新作の『ガマ』の六篇です。
そのうち『無畏』と『帰還不能点』は実際観たことあったし、『〇六〇〇猶二人生存ス』と『その頬、熱線に焼かれ』ワークショップで集まった若者でやる短編上演なので、観たことのなかった『追憶のアリラン』と『ガマ』を観ました。
(今思えば若者公演も観とけば良かったとは思います)
まずは何と言っても新作の「ガマ」です。
今年は本土復帰50年という節目の年でもあり、沖縄戦がテーマになるのはしっくりきました。
というか今まで劇チョコが沖縄を扱ってなかったのが意外と思えたぐらいでした。
前記事のマームも同じく沖縄戦を描いてますが、全く違うアプローチで興味深かったです。
冒頭完全な暗闇から始まります。
米兵の「デテキナサーイ」という声と火炎砲の音、そして叫び声。
ものすごい怖い始まり方でした。。。
この暗闇に関しては作家の古川健さんがどうしても表現したかったと公演後のトークで仰ってました。
その後このガマに迷い込んできた学校の先生(西尾友樹)、ひめゆり女学生(清水緑)、負傷した将校(岡本篤)、二等兵と三等兵(青木柳葉魚、浅井伸治)、案内役の地元民(大和田獏)が集います。
終始このガマの中で物語が繰り広げられるのですが、ここで最も考えさせられるのが「日本人とは何か?」という問いだと思いました。
特にひめゆり女学生は、悲しいほどに「日本の臣民」であることを強調します。
この沖縄県民の「日本人コンプレックス」があの沖縄戦の根底にあったことにこの公演を観て気づかされました。
歴史を紐解くと、明治政府による琉球処分により、完全に日本のものとなった琉球王国は、その後徹底的な日本教育を施され、天皇への崇拝を始め、標準語を話すように強いられ、学校によっては方言を話した子供には罰さえ与えられたと聞いています。
「我々は日本人なんだ。その為には一層天皇への忠誠を誓わねばならない。」
そういう教育を骨の髄まで仕込まれたのが学徒たちでした。
子供達まで戦地に駆り出され、たくさんの犠牲を強いられました。
沖縄戦で19万人もの地元民が亡くなったとの報告もあります。
その忠誠心を利用したのが当時の日本国家です。
いわばトカゲの尻尾切りのように、沖縄民を本土と切り離し、彼らを犠牲にすることを厭わず地上戦に持っていった。
そのことがこの演目ではありありと描かれていました。
僕の母方の曽祖母、曽祖父は沖縄の人で、いわゆる「ソテツ地獄」と呼ばれた経済恐慌により島を出て戦前に本土に出稼ぎに来た沖縄人です。
彼らは奇しくも沖縄戦は免れましたが、もしかしたら大阪で差別にあったかもしれません。
そのことを彼らは全く口にしたことはありませんが、祖母ははっきりと言わないまでも、戦後アメリカと化した沖縄の血を引くものとして多少嫌な思いをしたようなことを仄めかします。
彼女は実際沖縄に行きたがりません。
うちの母ぐらいになると、逆に当時手に入らなかったようなお菓子が沖縄から送られてきて嬉しかったというし、僕なんかはむしろ沖縄にいいイメージしかないのですが、世代によってかなり見方が違うのが沖縄という場所です。
そのことをこの舞台を通して垣間見た気がして、途中涙が止まらなくなってしまいました。
この演目は特に「生き残った子孫」としての自分を逆照射された感覚が強くありました。
最後はやや綺麗過ぎる終わり方な気がしたけど、少しでも救いがあってよかった。
ちなみに「慰霊の日」として知られる6月23日は、沖縄戦が終了した日ではなくて牛島中将が降伏するな死ぬまで戦えと沖縄に呪いをかけて自分はとっとと自決した日です。
沖縄戦が終結したのは1945年9月7日と、実際の終戦記念日よりも長く続いていることを知ってほしい。
もう1つ「追憶のアリラン」は、以前最初の緊急事態宣言の自粛生活の時に、無料で過去の作品をYouTubeに流してくれて、その中の1つだったので映像では観たことあったのだけど、実際の観劇は初。
やっぱり目の前で観られるのは全然違う。
これまた途中涙が止まらなかった。。。
ただ、ちょっと綺麗に描かれ過ぎかなぁというきらいはどうしてもあります。
日本の朝鮮への加害を描く本作だけど、出てくる日本人がいい人過ぎてびっくりする。
まあ、実際こういう人たちはいたかもしれないけれど。。。
実在の人物としては、戦地にはいないけど柳宗悦は重要だと思います。
ちょうど今民藝館で「柳宗悦と朝鮮の工芸」(-11/23)という展示が開催中だったり(素晴らしかった!)、14日からは在日韓国大使館で「柳宗悦の心と眼」という展示があったりと、柳と朝鮮の関係を垣間見られます。
実際彼は日韓併合以降の日本の植民地政策を断固として批判した思想家で、1920年に既に「朝鮮の友に贈る書」という文書を寄せています。こちら。
とはいえ、こうした「良い日本人」が多く登場することで、後半の裁判の説得力が弱まってる気がします。
ちなみにこの公演は劇チョコからは浅井さんしか出ておらず、他は客演なんですが、取調官のリヒョサム役の林明寛さんがとてもよかった。
なのでその彼の怒りが空回りしてる感じが見ていてとても辛かったのです。
と、2作でしたが、改めて劇チョコは凄いと思えました。
一人も欠けることなく半月やり切った関係者の皆様に盛大な拍手をおくりたいです。
特に劇チョコの三人の俳優は過去作2本、新作1本それぞれ出ていて、一体どうなってるんだ。。。
実際西尾さんが終演後の舞台挨拶で「半狂乱だった」と仰ってましたが笑
6本同時に演出する日澤さんも相当大変だったとは思います。。。お疲れ様でした。
ちなみに来年の新作は「1990年、バブル景気に沸く日本、特撮ヒーローものを製作する会社の企画室」が舞台ってどういうこと!?
とりあえず劇チョコには信頼しかないのでこれも観ます。
脚本の古川さん、演出の日澤さん、そして素晴らしい演者の皆様と三位一体の素晴らしい集団。最高です。
劇場で観られなかった人は『追憶のアリラン』、『無畏』、『帰還不能点』、『ガマ』の長編4篇が9月17日から有料配信が始まるみたいなので是非チェックを!!こちら。
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劇団チョコレートケーキ「一九一一年」@ シアタートラム
劇団チョコレートケーキ「帰還不能点」@ 東京芸術劇場 シアターイースト
劇団チョコレートケーキ「無畏」 @ 下北沢・駅前劇場
劇団チョコレートケーキ「治天ノ君」 @ 東京芸術劇場 シアターイースト
劇団チョコレートケーキ「遺産」@ すみだパークスタジオ倉
MUM&GYPSY「cocoon」@ 彩の国さいたま芸術劇場 大ホール

2020年に開催される予定だったマームとジプシーの「cocoon」。
コロナにより2年の延期を余儀なくされ、ようやく開幕したと思ったらまた関係者のコロナ感染により芸劇での9公演は2公演やったのみで中止。
僕は4公演目を予約していたので観られず泣きました。。。
そしてまた関東に帰って来た埼玉公演でリベンジ。
祈るように当日を迎え、なんとか観劇が叶いました!
「cocoon」は今日マチ子さん原作のひめゆりの女学生たちを主人公にした漫画で、2013年、2015年とマームとジプシーが舞台化し、マームの中でも代表作との呼び名の高い作品です。
僕は2017年からマームを観始めたので未見で、ずっと観たいと思っていました。
当初再再演が決まった時はめちゃくちゃ嬉しかったのですが、前述のコロナで引き伸ばしまくられた末の観劇。
奇しくも今年は沖縄本土復帰50年、マームも15周年という節目の年での公演となりました。
さて、そんな期待の中開演。
正直同じく沖縄を舞台にした「Light house」は僕の中でイマイチだったので、今回期待が大きい分どうかな、、、という心配もありましたがどうやら杞憂でした。
さすが最高傑作と言われてる作品だけあって、最初から最後まで凄かった。
まず冒頭、お馴染み青柳いずみの「席は用意されてある、そのまえとそのあとはあのとき隔てられた」という言葉から始まります。
「その」は戦争、と捉えることもできるし、今の状況を考えればコロナと捉えることも可能。
また、劇中シェイクスピアの「弱き者、汝の名は女!」という言葉も成田亜佑美の口から発せられます。
これらのセリフは原作にはない、藤田さんの舞台人ならではの言葉だと思います。
後者のセリフに関しては、原作を戦争の話だけに留めない、ジェンダー問題に広げようという意思も伝わります。
これは原作にもある「男の人はみんな白い影法師」というセリフや、重要人物であるマユが、実は徴兵されることを免れるために女の子として育てられた少年の実話を元にしていると今日さんも書いてたり、男性から描かれない戦争を垣間見た気がします。
こうして、これは「あの」沖縄戦だけではなく、現代のロシア・ウクライナやジェンダーの問題へと、ユニバーサルに広げようという意思が読み取れます。
ただ、個人的に、沖縄戦には沖縄戦の独自の物語があると思うので、徒に普遍的な問題へとスライドするのはどうかとも思います。
反対に、この戦争の固有性を描いているのが劇団チョコレートケーキで、同じく沖縄戦を描いた新作「ガマ」に関して後日アップするのですが、その違いも観られて面白かったです。
さて、中身ですが、冒頭は戦況が悪化する前の女学生たちの日常が描かれます。
今の学生と変わらない、女の子たちの何気ない会話がほのぼのと続くんだけど、そのほのぼのさとは裏腹に、舞台上では忙しなく演者たちが舞台装置を動かしたり楽器を演奏したりとめちゃくちゃ動的になってたので、そのコントラストに思わず引き込まれました。
最後まで見てみてもあそこまで舞台が動いてたのはこの場面しかなかった。
そしてこのほのぼのさは、ひめゆりの資料館に展示されてる少女たちのプロフィールと重なりました。
ひめゆり資料館には、一人一人、例えばどんな食べ物が好きだったとか、どういう性格だったとかが細かく描かれてるんです。
僕が以前訪れた時にこのコーナーでボロボロ泣いてしまったのを思い出します。
ただの「戦死者」と一括りにせず、一人のこの世にしっかり生を受けた人間として尊重されていて、彼女たちの死がリアルに伝わってくる凄まじいコーナーでした。
それをこの最初の部分で丁寧に描いています。
おしゃれなタマキ、絵が上手いヒナ、喧嘩ばかりしてる3月生まれの双子、、、
短いかもしれないけれどしっかり生きた証が刻まれます。
1945年の3月になり、いよいよ戦況は悪化の一途を辿ります。
彼女たちも看護隊として、負傷兵の看護に当たります。
その前に青柳さん演じるサンが石鹸の匂いが好きというシーンがあるんですが、そのシーンがあることで、ガマの中での血や死体の臭いが強調されるのが凄い。
負傷兵たちが叫び散らして一気に場面は暗転します。
また、兵士たちによる女学生へのレイプや、慰安婦の存在も仄めかされ、女性視点ならではの戦争の真実が浮き彫りになります。
その後大本営からの突然の学徒解散司令により、ガマを出て行かざるを得なくなる場面へ。
これは実質学生たちを見離した非人道的とも言える司令で、これにより女学生たちの死者は日に日に増えていくことになります。
あんなに仲が良かったみんなが目の前で死んでいくのは本当に壮絶。
ここで冒頭のホノボノ場面のリフレインが入ることで、感情が花火のように暴発していきます。
これはマームでしかやれない表現だなぁと感心しました。
死んでいく様子も、白い布をかけられることで表現されていました。
特に成田さん演じるエッちゃんの最後が壮絶だった。
「もう頑張れない」「……だめな子で……」「おかあさんごめんなさい」というセリフはもう耳を塞ぎたくなるぐらい辛いセリフだった。
初演、再演と、エッちゃんの役は別の人だったらしいけど、成田さんのあの涙声が今でも強烈に耳に残っています。
漫画では最後エピローグとして戦争後のことが描かれているけど舞台ではそれは描かれませんでした。
舞台後に漫画を買ってみて、このエピローグは僕としては結構衝撃で、これは女性にしか描けないかも、と思いました笑
僕も藤田さんも男なので、やっぱりあのエピローグにできなかったのかなぁと勝手に想像。
でもまあ、実際漫画読んでると、今日さんのタッチとマームのタッチが見事に合ってるなぁと思いました。
どちらも戦争とか重いテーマを扱うには軽い気がするんですが、そんな彼らがそういったテーマに挑むことで炙り出される残酷さのようなものがとても似ているなぁと。すごいマッチングだと改めて思いました。
まだ北海道公演2公演あるので走り切ってほしいです!こちら。
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藤田貴大「Light house」@ 東京芸術劇場シアターイースト
藤田貴大「蜷の綿(になのわた)- Nina's Cotton - / まなざし」 @ 彩の国さいたま芸術劇場
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MUM&GYPSY『あっこのはなし』『ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと──────』@AI・HALL
三沢市寺山修司記念館











































青森に行ってきました!!
酷暑の東京からの涼しさは天国そのものでした。。。夏だけ移住したい。。。
巡った順番は逆になりますが、まずは最後に行った寺山修司記念館からご紹介します。
そもそも僕は寺山の作品自体は正直言って苦手な部類です。
あのデカダンスな感じがちょっと食傷気味になってしまいます。
なのになぜだかどうしても気になる人物ではあるのです。
例えば徹子の部屋にゲスト出てた時の映像を見ると圧倒的なカリスマに惚れます。
1967年にはうちの店の近くの末廣亭で「大山デブ子の犯罪」を上演したり、店の階段に貼ってあるポスターに寺山修司記念館のがあったり、なぜか店のオープニングに友人が「身毒丸」の初演レコードを持ってきてくれたりと、やたらご縁があるなと勝手に感じている次第で、やっぱり気になる。
なので寺山修司記念館、一度は行ってみたい場所でした。
で、地図で見ると、車じゃないとどうしても行けない場所、、、。
と思ってたら、土日祝日に無料のバスがあることが判明!こちら。
三沢駅や三沢空港から行けます。
この青森旅行で行かない手はないということで行ってきました。
で、写真の通りなんですが、とんでもない場所でした。。。
記念館すぐそばには牛たちが放牧されてるwww
裏の記念碑へ森をかき分け行くと小川原湖と小田内沼が眺められる絶景スポットだったり。。。
えらいとこきたな、という印象ですが、中も素晴らしかった。
正直企画展示はしょぼしょぼだったんですが、常設展示の力の入れようがすごい。
机が並んでて、その抽斗の中が展示になってるという凝りよう。
どれも感心するぐらい作り込まれてるので、開けていくのが楽しみになります。
他にもキモい展示物だらけでいい感じw
それにしても寺山修司って、三沢には戦後すぐに父方の叔父の住んでた食堂に間借りで住んでた4年間しかいないんですよね。
なぜに三沢にこんな記念館が建ってるのか謎。
まあ、この頃の思い出が「田園に死す」なんかで出てきたりと、寺山にとっては大事な期間だったのかもしれません。
少しでもきになる人はいつか是非行ってみてください。こちら。
そして青森と言えばもう1人、忘れてはならないのが太宰治です。
彼の記念館は五所川原市というところにあるらしいのですが、さすがにそこまで行けず。
青森という土地は、内省して発酵して作品になっていくイメージがありますね。
こうした文豪の故郷のイメージから面白い試みをしているのが八戸市。
八戸市の中心の六日町というところに八戸ブックセンターという施設があります。こちら。
ここはなんと市が運営する本屋さん。
市の施設なのに本を販売したり、ギャラリーがあったり、本の区分も独特だったり、立ち読み上等な感じといい攻め攻めな施設なんです。
中でもすごいのがカンヅメブースという場所で、「八戸市民作家」登録すればそこで執筆ができるというスペース!
他にも「私の本棚」という選書を募集して並べるというのもやってたり。
八戸は三沢にも近いのでぜひ。
特にブックセンターの周りは素晴らしい飲食店が多すぎて沼でした。。。







「東京2020オリンピック SIDE:A/SIDE:B」by 河瀬直美
オリンピック公式記録映画の監督が河瀬直美だと発表された時、オリンピック協会も思い切ったことをしたなぁと思ったものでした。
とはいえその時点では開閉会式も野村萬斎、MIKIKO、椎名林檎という布陣で、クリエイティヴ面からいっても彼らをセレクトした側のセンスに僕的には期待してたので、記録映画も1964年大会の市川崑の監督したものに匹敵するものになるだろうと想像していました。
が、その後のパンデミック最中での強行にまさかのクリエイティブチームの解任、そしてその後のゴタゴタなどがあり、僕の中でオリンピックは不信に満ちたものに一転しました。
思い返せばエンブレム問題に始まり、スタジアム問題等問題だらけの東京大会でした。
僕はこういう国際的なスポーツの祭典大好きなんですが、今回のことですっかり冷めてしまいました。
ここまで日本国民をないがしろにされるなんて、というショックが大きかったのです。
実際昨年のオリンピックは一切観てません。
コロナがなければ実際チケットも当たってたのでバリバリに観てたかもなんですが。。。。
そんな中唯一残っていたのが河瀬直美。
そこだけが希望だったのですが、公開直前になってNHK捏造問題やパワハラ疑惑等で大バッシングを受け始め、彼女の発言も?というものが多くなってきて、映画への期待も冷め始めてました。
個人的に河瀬さんとは2010年の個展の審査員で選んで頂いてからご縁があり、これらの騒動はやや胸も痛くて、距離を取りながら静観していました。
とはいえ彼女の映画は封切られる度に観に行ってましたし、やっぱり観るべきだよなぁと思いつつ、実際近年の河瀬映画は「萌の朱雀」の頃から比べると劣化してると言わざるを得ず、河瀬映画と言うのと同時に今回の場合は「公式記録」という側面もあるのであんまりかもなぁという危惧もあり、観るべきかどうかかなり迷っていたのです。
が、一旦封切られるとTwitterで流れてくる感想が中々なものだったのです。
そんな中最も僕を映画館に足を運ばせるきっかけになってくれたのが以下のぼのぼのさんの連投でした。
『東京2020オリンピック SIDE:A』見る気は無かったのだが、いざ公開されると「予想と全く違う映画だ」という評判が次々と飛び込んできたため急遽見ることに。確かに直前までに予想されたような体制ベッタリ国威発揚映画とは対極にある作り。極めて純度の高い「河瀬直美の作家映画」になっている。 pic.twitter.com/Gl6h2CyhDC
— ぼのぼの (@masato009) June 5, 2022
というわけで前置きが長くなりましたが、観に行ってきました。
まずはアスリート側の視点で描いたSIDE A。
まず冒頭から真っ黒な画面に藤井風(?)が口ずさむ「君が代」に始まり、雪と桜の映像。
え、めちゃくちゃ河瀬直美やん。。。!!
と驚かざるを得ませんでした。
だって公式記録ですよ?
こんなに個人の作家性押し出しちゃっていいの??
そこからもう驚きの連続。
これは紛れもなく「河瀬直美の作品」です。
さらにいうと、これはオリンピックの記録にすらなってません。
この映画で描かれるのは、アスリートを通して見る、難民、BLM、コロナと今の世界が収められています。
そしてもっと大きな「人生」という主題。
映画を観た後「C'est la vie.(これが人生)」という言葉が浮かびました。
イランから亡命してモンゴル代表として出場する柔道家。
「母国には戻れない」と彼は言います。
その直後にはウズベキスタン代表の体操選手が現れます。
彼女はウズベキスタンに生まれれながら、ソ連、ドイツと国を変え、また改めて母国の代表として今大会に出場しました。
黒人差別と戦うアメリカの砲丸投げ女子代表。
オリンピック初となった空手で優勝した沖縄の選手。
故郷沖縄の人たちへのインタビューで垣間見える差別問題。
スポーツを通してこうした差別問題をエンパワーするアスリートたち。
母として赤子を日本まで連れてきたカナダのバスケットボールの選手。
彼女は「母」と「アスリート」どちらも選ぶために戦いました。
片や「母」となることを選び引退した日本の選手の姿も。
二人の交流は今回の映画の中でも象徴的でした。
「アスリートであることだけが人生ではない」
もう一人母として子供を連れてきたランナーの女性。
足の痛みにより途中で棄権してしまいますが、彼女が我が子に「諦めてもいいのよ!」と言うのは本当に凄いセリフだった。
これと対照的だったのが日本の柔道協会。
上層部の人たちがとにかく勝利に固執し、「切腹する覚悟」とまで言います。
それらのインタビュー映像が、多分わざとなんだろうけど、めちゃくちゃなクローズアップ。。。
鼻毛出てなくて良かったね。。。
しかも団体戦で日本が負けまくる映像を流すあたり、めちゃくちゃおちょくってますやん。。。
家父長的なものへの嫌悪が読み取れますね。
この映画に出てくる選手のほとんどが「敗者」です。
わかりやすく優勝して涙する、みたいなシーンがほとんど出てきません。
サーフィンの日本の選手が波打ち際で悔し泣きしてる姿が目に焼き付きました。
それとは対照的にスケートボードの女子の優勝した13歳の少女が軽やかに「やばいやばい!」と言って金メダル掲げてる姿は、勝ち負けというより純粋なスポーツの楽しみを象徴してるようでした。
こんな具合に、観ていて一体何の映画だっけ?と思う瞬間が多々ありました。
全編通してナレーションも皆無で、テロップも最小限なので、これがいつの試合で予選なのか決勝戦なのかすらもよくわからないというのが多々あります。
あの感動をもう一度!と思ってる方には不向きかと。。。
スペクタクルを徹底的に排除した仕上がりになっていて華々しさもほぼありません。。。
いやはや河瀬さん、恐ろしすぎる。。。
これ、一応関係者一通り観てるんだろうけどどういう感想抱いたんだろうか。。。
お次はその関係者に焦点を当てたSIDE B。
Aがあれだけ攻めた内容だったのでBになったらどんだけ。。。と思って観始めたのですが正直やや肩透かし。
というか、もはやゴダールやんってぐらいのカットに次ぐカットで、A以上に何の映画なのか混乱w
確かに今回のオリンピック、ただただ時系列に並べるだけでもドラマ過ぎたので、それは避けたかったのでしょうね。
実際あのオリンピックはトラウマレベルに失敗の連続でした。
この映画は確かにその失敗を克明に映してますが、それでもカバーしきれてません。
例えばエンブレム問題や競技場問題、開会式のゴタゴタ。
他所でも言われてますが、なぜか安倍元首相が出てこないのも不気味。
ただでも発狂するぐらい失敗の連続なのに、この映画にはリレーの失敗まで映されます。
いやいや、日本もっといいところあったでしょ。。。見てないから知らないけど。
とまあ、公式記録としては攻めに攻めた内容で、これはこれで未来へのレガシーになりますね。
冒頭は延期にするかどうかの会議から始まりいきなり閉会式、そこから時間は遡って最後が開会式という流れ。
最も印象的だったのが、皆さん仰られてますがやはり野村萬斎。
「文化の只中に生きているということを皆さんお分かりになってない」
という苦しい言葉は、思いっきり国と電通に向けられていると考えていいでしょう。
実際チームが解散され、電通の佐々木氏に受け継がれた際のスピーチ中の野村萬斎の目が怒りに満ちていて、その目のクローズアップがものすごく印象に残りました。
それにしても佐々木氏、本当に悪そうなお顔をされてますね笑
人は見かけじゃないと言いますが、ある程度人は見かけだと思います。
ここでマザー・テレサの言葉を思い出しました。
思考に気をつけなさい、それは、いつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それは、いつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それは、いつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それは、いつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それは、いつか運命になるから。
人の生き様は表に反映されるものです。
それは森元首相の退任劇にも物凄く表れていますね。。。
ところで野村さんの退任は描いてるけど佐々木さんの退任は全く描かれてませんね。
描くに値なしといったところでしょうか。
挙げればキリがないぐらい救いのないイベントでしたが、唯一希望として子供たちの表情やインタビュー(?)を挟むことで、あんなでも彼らの思い出の1つになれたのだな、ということが表現されてました。
今回結構河瀬さんが声や映像に出てくるのもAとの大きな違いでした。
そして、なんと最後の最後、主題歌が藤井風ではなく、作詞作曲河瀬直美とある謎の曲に差し替えられていました。。。
歌も河瀬さんなのかな??
僕は全然知らず、劇場でえ?となったのですが、調べたら公開の一週間前に差し替えになったそうで、これはどういうことなのか。。。
最後の最後までこのオリンピックのドタバタが反映されちゃってますね。。。
このBに関してはCDBさんのnoteが詳しいので是非。こちら。
それにしても記録映像、オリンピックだけでなくパラリンピックも作るべきだと思うんだけどな。。。
「ベイビー・ブローカー」by 是枝裕和
もういっちょカンヌの常連是枝監督の最新作です。
実際主演のソン・ガンホが韓国人俳優初となる最優秀男優賞を受賞、「ドライブ・マイ・カー」同様エキュメニカル審査員賞も受賞してます。
是枝作品で言えば、主演男優賞は「誰も知らない」の柳楽優弥以来の受賞ですね。
ソン・ガンホといえば言うまでもなくポン・ジュノ監督とのタッグで有名な超大御所俳優ですが、初受賞は意外でした。
実際冒頭の坂道の雨の中子供をベイビー・ボックスに捨てに来る場面はめっちゃ「パラサイト」やん!と突っ込んでしまいましたw
是枝さんは、前回もフランスで「真実」をカトリーヌ・ドヌーヴにジュリエット・ピノシュというフランスを代表する大女優と組んでますが、正直あの映画は失敗だったと思います。ほとんど印象に残ってない。。。
なので今回もどうかと思いましたが、正直劇中めっちゃ泣きましたw
これぞ是枝作品と言わんばかりの歪で不器用な疑似家族が描かれます。
疑似家族、本当に弱いんですよ。。。
僕のこの個人的な家族観は田中功起さんの作品の時に語ってるので良かったら。こちら。
子を捨てることに関しては、河瀬さんの「朝が来る」にも通じるものがありますね。
綺麗に描き過ぎてるきらいはもちろんあります。
赤ちゃんを捨てること、そして赤ちゃんを横流しするなんて、というのは倫理的にない方がいいに決まってますよ。
ただ、その背景はニュースだけでは伝わらないもっと複雑なのかもしれない、というのを映画というフィクションを通して描いているので、まあこれはこれでありよりのありなのかと。
泣ける映画=いい映画ではないとは思うのだけど、僕は好きでした。
「家族」に対して疑問のある人は是非観てみてもいいと思います。
最後に映画でもないし全く毛色違うけど映像ってことでマシュー・バーニーの新作「Catasterism」。
6月26日までネットで無料公開されてました。太っ腹!こちら。
シャウラガー美術館での観客を入れてのパフォーマンスをそのまま映像作品に仕上げてて凄い。
演奏されてるジョナサン・ペプラーによる音楽も良い。
彼の作品は、実際面白いのか毎回よくわからないんだけど、全ての食材を使い切って料理する感覚は毎度爽快。
この夏「クレマスター」シリーズが上映されるそうなので良い加減観なくては。。。
北京で観た「リダウト」もこの機会に劇場でまたしっかり観ようかな。。。
「見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界」by ハリナ・ディルシュカ
ヒルマ・アフ・クリント。
この名前を最初に知ったのは岡崎乾二郎の「抽象の力」。
p27から30まで4ページに渡って書かれた注釈にヒルマが紹介されていて、さらりと「世界最初の抽象表現」と書かれていて面食らいました。
え、こんな女性がいたなんて美術史で習ったことないよ!!
今改めてこの文章を読むとこの映画の内容がそっくりそのまま書かれていて改めてすごいテキストなので未読の方はぜひ読んで欲しいです。
話題になったグッゲンハイムでの個展より前に書かれてるのが凄い。。。
この文章を読んでからずっと喉に刺さった小骨のように気になっていたものの国内で作品が観られる機会もないまま時は過ぎて、この映画が上映されると知って絶対観に行かねば!!と。
結果、本当に素晴らしい映画だったし、美術に関わってる人は絶対観た方がいい映画でした。
東京ユーロスペースしか上映ないの勿体なさすぎ。。。DVDになったら絶対買う。
最初から最後まで目が見開きっぱなしでした。。。
本当に丁寧に彼女の人生と作品が描かれています。
ヒルマは1862年にスウェーデンの貴族の家に生まれます。
海軍士官学校の教師だった彼女の父親は、女だからといって特別扱いせずに子供の頃から数学や天文学、航海術を学ばせます。
この幼少期に受けた科学的な教育は後々彼女の絵画に大きく影響するようになります。
この頃スウェーデンでは女性に対しても学問への門戸を開いており、1864年には既に王立美術学院が女性の入学を許可しており、ヒルマもこの恩恵に肖り、1882年同校への入学を果たします。
フランスが1897年、ドイツが1919年、日本が1946年まで女性の入学を拒んでいたことを思うと相当進んでいます。
1887年に卒業後、肖像画や風景画でかなりの報酬を得ていて、街の中心にアトリエも与えられています。
このアカデミックな背景が、彼女をアウトサイダーではなく「正当な画家」たらしめていて、今美術史が彼女を無視するのは不可能な理由の一つなのです。
この頃旧ロシアのヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキーやドイツのルドルフ・シュタイナーを中心として、神智学という学問が流行っていて、彼女もその流れに乗ります。
1896年には友人ら5人の女性メンバーによる「ザ・ファイブ」を結成して交霊術や自動筆記を行なっています。
この辺りがアート界が彼女を無視してきた理由の一つなのかもしれません。
19世紀には女性特有の病として「ヒステリー」という言葉が精神医学界にしばしば登場します。
そもそもヒステリーという言葉の語源は「子宮」を意味する古典ギリシア語の ὑστέρα が由来。
詳しくはジョルジュ・ディディ=ユベルマンの著書「ヒステリーの発明」にも載っているかと。
時代が時代だったら「魔女」という言葉にも置き換えられたのかも。
1970年代にストックホルム近代美術館の館長がヒルマの作品の所蔵を一瞥もなく断ったとありますが、僕は勝手にこの「ヒステリー」と彼女を結びつけて正当な評価を下さなかったのかな、と想像しました。
ただ、この神智学というのは当時相当流行っていたようで、ヒルマだけではなくかなり多くの芸術家が信奉していた思想だったようです。
なので、交霊術と聞くとオカルトな響きですが、当時はそこまで奇怪なものではなかったのかも。
そんな中1906年にヒルマはついに「天啓」を得ます。
そこで生まれたのが彼女の代表作とも言える「The Ten Largest」。
10点組の高さ3mを超える、「世界最初の抽象表現」の誕生です。
植物やカタツムリを思わせる有機的な形態と色彩豊かな画面構成。
幼年期、青年期、成人期、老年期の四つの構成からなる作品群。
1908年にストックホルムを訪れたルドルフ・シュタイナーはこの絵を見て衝撃を受けます。
但し、彼の反応は芳しいものではなく、「この絵は発表すべきではない」という助言を与えてしまいます。
これが彼女が生前作品をほとんど発表しなかった最大の理由なのかもしれません。
それでも1915年までに「神殿のための絵画」と題したシリーズを193点も制作しています。
映画の中では、シュタイナーはこの絵の写真を撮っていて、もしかしたらその写真をドイツに帰った後にカンディンスキーやモンドリアンらに見せたのかも、という話まで出てきます。
カンディンスキーの1937年のインタビューでは、自身の抽象画が生まれたのは1910年と言っているので、それに完全に先行しているわけです。
1936年にMoMAでアルフレッド・バーJrがキュレーションした「キュビズムと抽象芸術」展に彼女の姿はありません。
1944年、ヒルマはこの世を去ります。奇しくもカンディンスキーとモンドリアンも同じ年に亡くなってます。
映画の中で、科学史家の「本当にありのままを描こうと思ったら目に見えるように描いてはいけない。創造が必要」とコメントしていますが、彼女の絵画は本当に世界を「ありのまま」描いた結果だったのだと思います。
1906年の彼女の日記に「私が行った実験は、人類を驚嘆させるだろう。」と綴っています。
それはその100年後の現在現実のものになっています。
2013年のストックホルム近代美術館から始まった彼女の展覧会は、欧州を回って100万人以上の動員を記録します。
2018年のグッゲンハイム美術館での回顧展には、同館市場最高動員数の60万人を記録するのです。
特にグッゲンハイムの螺旋状の建物は、彼女の思い描いていた「神殿」の姿にとても似ていて、そこで彼女の回顧展が開かれた意義は大いにあったことだと思います。
それにしてもなぜ死後「20年」発表しないと遺言に残したのか。
そして、誰がどのようにして彼女を「発見」するに至ったのか。
その辺りがあまり詳しく描かれていなくて謎が残りました。
こうした画家は歴史上数多くいるだろうし、ヒルマは氷山の一角なのだと思います。
ただ、甥が彼女の全作品とメモを残していたのは本当に奇跡だし、あんな紙に描かれていたものが、お世辞にも最適とは言えない保存環境でしっかり残っていたのは凄いとしか言いようがないです。
日本でも彼女の展覧会、是非実現して欲しいものです。ハマスホイ以来のヒットになる予感。
他に、イメフォのアピチャッポン特集の「アピチャッポン本人が選ぶ短編集」を鑑賞。
短編10作品が一気に観られるとてもお得な内容だったと思います。
短編になると、より監督の嗜好が凝縮されているようで、しかもこれだけまとめて観るととても濃度の濃い内容でした。
彼は映画を「単なるフィクション」と位置付けていると同時に、「起きている時に見る夢」と捉えているんだろうなぁと思いました。
しばしば出てくる映画を作るメタ構造 (「国家」、「Footprints」、「Worldly Desires」)
夢の中にいるような神秘的な映像 (「La Punta」、「M Hotel」、「エメラルド(Morakot )」「Cactus River」、「燃えている(Ablaze)」)
中々短編は観られる機会がないのでとても貴重な上映だと思います。4/22まで。
あと、ウェス・アンダーソンの「フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊」と、レオス・カラックスの「アネット」を鑑賞。
どちらもクセの強い監督なのでよっぽど好きじゃないと入れないかも。僕はやや無理でした。。。
「MEMORIA メモリア」by アピチャッポン・ウィーラセタクン
アピチャッポンの新作がいよいよ日本公開。
彼の長編映画は全て観てるけど、正直「トロピカル・マラディ」以外は個人的にハマってない。。。けどやっぱりあの世界観は唯一無二。
で、その「トロピカル・マラディ」をカンヌの審査員賞に激推ししたのが当時審査員に名を連ねていて、今回主演も務めたティルダ・スウィントン。
映画観終わって知ったんだけど、彼女還暦超えてるんですね。。。40代くらいだと思ってた。。。魔女過ぎる。。。
そんな魔女、もとい、ティルダを迎えて、初めてタイから離れてコロンビアで撮影した本作。
出演陣もプロの俳優のみでタイ人は皆無。製作陣はほぼいつもの布陣。
大体こういうアート系映画で本国以外で撮影してプロの俳優雇ってってなるとこれまでの世界観が崩壊してしまうケースが多々あるんだけど、結果としてアピチャッポンはアピチャッポンのまま過ぎてめちゃくちゃびっくりした。
というかむしろ、それまでの外殻が外れて、より中身が剥き出しになった感覚すら覚えました。
コロンビアで撮ってるけど、言われなければコロンビアってわからないぐらいのさりげなさ。
まず、この映画の最大の肝は音です。
アピチャッポン本人もどこかでこの映画のことを「ミュージカル」と呼んでるらしいんだけど言い得て妙。
音、といっても音楽とかではなく深い深い静寂。
ここまで音を聴かせる映画ってそうそうない。
冒頭から、観客の衣摺れすら気になるレベルの静寂が続いて、ものすごい緊張感。
そして爆音。
そこで主人公のジェシカ(ティルダ)が飛び起きますが、観客もわ!ってびっくりする同じ体験をします。
これはアピチャッポン本人が患った「頭内爆発音症候群」に端を発するらしい。
この後ジェシカはその爆音にさいなまれつつ、それに導かれるような旅をしていきます。
で、その旅というのも相当変わってるんですよね。。。
普通のロードムービーとは全く違って、脈略がないというか、え?なんでこの人ここにいるんだっけ?っていう展開がほとんど読めません。
その間に出会いもあるんですが、エルナンという人物が2人出てきて、どちらも得体が知れない。。。
ハリウッドだったら200%恋愛沙汰になるところも華麗にスルーしちゃう。
1人目のエルナンなんてめっちゃイケメンだったのに。。。
アピチャッポン映画にあるあるな前半後半を分けるとしたらこのエルナンがいなくなるところからでしょうか。
段々ジェシカの記憶と現実の整合性が取れなくなっていきます。
「光りの墓」の兵士よろしく病院で眠りまくっていた姉も普通に生活していて、死んだと思っていた友人も生きていて。。。
本当に同じ映画なのか?ってぐらい2時間20分の中でまるでコラージュのような映像群。
最後の方のジェシカが泣くシーンの長回しとか本当にすごい。。。どうやってこんな演出できるんだ。。。
あとやっぱり2人目のエルナンの眠り(死)のシーンは凄過ぎてどうなってんの??
川の近くで眠っているというのは「ブリスフリー・ユアーズ」でも出てきたけど、全く異質なシーンになってる。
最後の最後に謎の物体が出てくるけど、「プンミおじさんの森」でも出てきたし、まあアピチャッポンだもんね、っていう不思議な説得力があったり。そこは賛否分かれるところだと思うけど。
全体通して、不気味な映画で、そういう「魔」みたいなものを描くのが本当に上手いなぁと思いました。
そして終始主人公が受身で物語のハンドリングができないまま終わります。
こういう映画って大体最後に主体性を取り戻していったりするんですが、二人目のエルナン曰く「アンテナ」のまま。
そもそも最後までこの主人公が一体何者なのかすらわかりません。
そして彼女の中に聞こえる音は、終始他の登場人物と共有できることなく。。。
この音を共有しているのは実際の観客のみという点で、観客もジェシカと共犯関係に終始立たされる体験型の映画とも言えるでしょう。絶対映画館で観るべき。
普段エンドロール見ないで映画館出ちゃうんだけど、これまた音のせいで最後の最後まで見てしまった。
森、病院、夢、眠り、記憶とこれまでのアピチャッポンの要素は踏まえつつ確実に深化した作品。
僕の中で「トロピカル・マラディ」に次ぐアピチャッポン映画になりました。
またタイで撮るのか他の場所で撮るのかはわかりませんが次回作も楽しみ。
また、都写美で「A.W.アピチャッポンの素顔」というドキュメンタリーが上映されてたので行ってきました。
「「MEMORIA メモリア」の製作準備に勤しむ姿に密着したドキュメンタリー。」
とのことだったんだけど、まだ撮影にも入ってない段階で、アピチャッポンが俳優で今作監督のコナー・ジェサップと
映画の構想やタイのこと、死生観など、プライベートな語りは貴重かも。
そして来月からイメフォで「アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ2022」と題して「真昼の不思議な物体」、「プンミおじさんの森」、「光りの墓」、「アピチャッポン本人が選ぶ短編集」が上映されます。こちら。
特に短編集は嬉しい!こちら。
当初「世紀の光」が上映されるはずだったんだけど適切な劇場用上映素材が提供されていなかったことがわかったために中止となり、急遽差し込まれたらしい。
「ブリスフリー・ユアーズ」と「トロピカル・マラデイ」がないのが残念だけど、こちらは4Kリマスター中らしくて近々なんらかの発表があるとか。DVD化希望!!
「うたうひと」by 濱口竜介・酒井耕
濱口監督、米アカデミー賞国際長編映画賞受賞おめでとうございます!!
作品賞はもちろん他にノミネートされていた監督賞や脚色賞も獲って欲しかったけど。。。
それにしても今や飛ぶ鳥を落とす勢いの濱口監督。
日本アカデミー賞はどうでもいいんだけど、各国の賞を総なめにしていて本当にすごい。
そんな中「言葉と乗り物」と題して濱口竜介特集上映が全国巡回中。こちら。
東京だと今も「偶然と想像」がロングラン上映中のル・シネマにて開催中。
僕も2018年の濱口竜介特集の時に見逃した「うたうひと」をようやく観ることができました!
「うたうひと」は「なみのおと」「なみのこえ」と並んで東北三部作と言われています。
震災の年に濱口さんと酒井さんが津波被害を受けた三陸沿岸部に赴き撮った作品。
「なみのおと」と「なみのこえ」は被災者の方々の対話を撮ったもの。
その際に「被災者」と一言では片付けられない問題に直面したと濱口さんは語ります。
『なみのおと』『なみのこえ』撮影において、震災後、カメラの前で被災体験を語ってくれる人を探すことはそもそも、簡単ではなかった。2011年5月に東京を発って仙台入りした当初、僕が「被災者」だと思っていた仙台市に暮らす人たちから聞いたのは以下のような言葉だった。「市街の被害はたいしたことない。一ヶ月くらいライフラインが止まったりはしたけど、沿岸部の人たちのことを思えば全然たいしたことない」。
彼らは話を聞くなら沿岸部の人たちに、と言った。そして沿岸部で、浸水を受けた人の話を聞けば「家を流された人を思えば、うちは随分マシだ」と言う。果たして家を流された人のに話を聞けば「うちは皆無事だからね。親しい人や家族を亡くした人のことを思えば、落ち込んでられない」と言う。そして親しい人を亡くした人は「海に呑まれたあの人はどれだけ苦しかったろう」と言った。誰しもが「(想像上の)自分より強く被災した他者」への配慮があった。当初は聴きながら、段々波に呑まれた人たちの死がまさに「被災の中心」として提示されるに至って、聞くべき対象が消失してしまったような印象を受けた。この「より苦しい思いをしたであろう」他者を想像することが、人の口をつぐませているように思えた。
(「カメラの前で演じること」より)
「被災者」と言う言葉では到底収まりきれないレイヤーがあります。
この当事者問題は当時各所で勃発していたことを僕も思い出します。
そこで彼らは「被災者」としてではなく、一個人として撮影に応じてもらうことにして、対話という形で撮影に臨みました。
その時濱口さんと酒井さんの間で使われるようになった言葉が「いい声」でした。
この「いい声」の発生源は何だろうと自問して出た答えは、対話者間の「聞く」「聞かれる」の関係にあるということでした。
そこから導かれるように撮った作品が「うたうひと」なのです。
「うたうひと」は他の東北三部作とは趣が違います。
そもそもこの映画は東北で撮ったということには変わりないものの、直接的に震災を扱っていません。
この映画の主題は民話語りです。
しかも主人公は民話を語るおじいちゃんやおばあちゃんではなくそれを聞く小野和子さんという一人の女性。
彼女は岐阜の高山から仙台に移り住み、山間部や沿岸部の村々に伝わる口承の民話に魅せられて、埋もれている民話を探して訪ね歩き、今では「みやぎ民話の会」の顧問。
子供の頃に聞かされた些細な話に価値を見出して聞きに来る小野さんを最初は訝しがってた人々もやがて彼女を受け入れ、忘れかけていた記憶を呼び覚まして、人によっては100も200も語るようになりました。
映画の中で出てくるのは伊藤正子さん、佐々木健さん、佐藤玲子さん。
この三方が小野さんの前で民話を語るわけですが、その際の小野さんの「聞き方」が独特。
普通こういう話聞く時って静かに聞き入るようにして聞くと思うんですが、小野さんは常に相槌を打ったり大いに笑ったり補足したりするんです。
そして「あの話聞きたい」と、まるで子供のように彼らに乞います。
そのリクエストに応じるように語りが始まります。
そしてこの語りも凄い。
小野さんが見出した中上健次のテキストがあります。
語りとは個人ではなく、背後に一種共同体のような、いや、人と人が集まった複声のようなものが、語る<私>を差し出しているのである。語りとは単声ではない。
(中上健次「短編小説の力」より)
語るということは、沢山の人の思いを背負った物語を、背中に背負っているんだと。自分で話して、自分の声で、自分の言葉だと思い込んで語っているけれども、実はそうではなくて、沢山の人の声が自分がして、そして、そういう風に出している自分をそこに差し出していることなんだ、と中上健次が書いてるんですよ。びっくりしました。
(小野和子講演「民話のおもしろさ、つよさ、ふかさ」より)
確かに彼ら自身の声で語っているのですが、民話を語る時、その直前まで話していた声とは明らかに違うんです。
特に当時86歳の佐藤玲子さんは凄い。
彼女が語る話の中に、物語好きな殿様が出てきますが、まさにその話が話の「聞き方」をテーマにしていて、語りとは語る側だけでなく聞く側との相互の関係で成立することが示されます。
また、話の内容が奇想天外だったり時には残酷だったりするわけですが、それらを子供達に聞かせることが一つの教育でもあったことがわかります。
民話の中には明らかにそれまでの学びが入っているのです。
特に東北地方のような自然の厳しい地域にはそう言う伝承が多いのかもしれません。
佐々木健さんは岩手の遠野出身と言っていましたが、遠野と言えば柳田國男がそれこそ民間伝承を集めた「遠野物語」。
そして僕が「聞く」「聞かれる」で思い出すのが水木しげるとのんのんばあの関係。
のんのんばあこと景山ふささんは水木家にお手伝いに来ていた老婆でしたが、彼女が幼い水木しげるに聞かせていたのが妖怪物語でした。
その水木しげるは「遠野物語」も漫画化しています。
村上春樹も言っていますが、「いい物語」は人の骨格を作ります。
「いい物語」の力が弱くなると「わるい物語」が蔓るわけで、その一つの結果がオウム真理教に至ったと村上春樹は考えています。
「1Q84」の中でも物語の生成が一つの肝になっていますが、改めて「うたうひと」を観ながら、物語がいかに人を育てるかを目の当たりにした気がしました。
これらの経験により、濱口監督の演出の中では語ることより聞くことの方に重点を置くようになりました。
俳優同士がいかに相手の言葉を聞き取るか。
それが今回の「ドライブ・マイ・カー」の結果に繋がったのは言うまでもないと思います。
今後もご活躍楽しみにしています!!
ところで、「ドライブ・マイ・カー」の三浦透子が素晴らしすぎたので、彼女観たさに普段は絶対観に行くことのない類の舞台を観に行きました。
東野圭吾原作の「手紙」をミュージカル化したもので、映画は観たけどあんな暗い話をミュージカルに?と思いつつ行ったんだけど案の定無理すぎて前半で出てきちゃった。。。
そもそも客の9割9分9厘女性。。。主演の村田良大とSPI狙いかな?
三浦透子はさすがでした。歌うますぎてびっくり。
今の朝ドラにも出てるみたいだしどんどん活躍して欲しいですね。
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「偶然と想像」by 濱口竜介
「ドライブ・マイ・カー」by 濱口竜介
「ハッピーアワー」by 濱口竜介
藤田貴大「Light house」@ 東京芸術劇場シアターイースト

久々のマーム!
新作で言ったらコロナ前の「蜷の綿/まなざし」以来。。。
コロナで観に行く筈だった「cocoon」も「路上」も中止になってしまって泣きました。
なので今回もどうかと思って祈るように上演日を待って無事観劇できました。
舞台は沖縄。
本来だったら2020年に再演する筈だった沖縄を舞台にしたマームの代表作と言える「cocoon」がとりあえず今年上演される予定になってはいるけど、また別の沖縄を描くということでどんなものになるのかと期待。
舞台上には砂浜を思わせる漂流物らしきものがたくさん散りばめられていました。
そこに演者が続々と現れ、黙々と静かに開演。
そこからしばらく食卓の場面になるんですが、このダラダラと続く感じが心地よくて、始まらない始まり方というのか、こういう始まり方結構好きです。
食卓はマームの初期作「待ってた食卓、」を想起するような原点感もあり、藤田さんにとって食卓の場面というのはとても大事なんだろうなぁと思いました。
そこから溜めに溜めて唐突に繰り出されるマームの真骨頂のリフレイン!
これめっちゃ気持ちよかった。
この食卓の場面はこの演目を通じて何度もいろんな感情で台詞が吐かれます。
そこから時の変遷があるんだけど、正直途中から全然ついていけず、え、今何が起こってるの??って大混乱汗
市場の場面は、特設サイトの藤田さんと沖縄の人の対談「沖縄での営みをめぐる」から来てるんだろうな、ってのはわかるんだけど、肝心のストーリーの根幹が全く飲み込めず。。。
最後の方は本当にカオスで、平和だった前半とは全く違う不穏な雰囲気。
マームの場合ストーリーはそこまで重要ではないのかもしれないけれど、ちょっと置いてかれてしまってポカーンとしてる間に終わってしまった。。。
んーーー、ちょっと消化不良でした。。。
3月6日までシアターイーストで上演中です。気になる方はこちら。
最後の方でずっと音楽だか映像だかをいじってる人が灯台守役としてまさかの登場してきたんだけど、この人美術作家の小金沢健人さんだった笑
まさか台詞まで言わされるとは本人もびっくりだったでしょうね。。。
この演目の環境演出も手がけてたみたいです。
今年は沖縄の本土復帰50年に当たります。
それがめでたいことなのかどうなのかは正直わかりません。
延期になったマームの「cocoon」もそうだけど、個人的には劇団チョコレートケーキの新作「ガマ」が物凄く覚悟いるけれど楽しみ。
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藤田貴大「蜷の綿(になのわた)- Nina's Cotton - / まなざし」 @ 彩の国さいたま芸術劇場
藤田貴大「書を捨てよ町へ出よう」 @ 東京芸術劇場
藤田貴大「BOAT」@ 東京芸術劇場
川上未映子×マームとジプシー「みえるわ」 @ 味園ユニバース
MUM&GYPSY『あっこのはなし』『ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと──────』@AI・HALL
タル・ベーラ伝説前夜
今年になって映画を観まくってるのでご紹介。
特にイメフォ通いが酷い。。。
タル・ベーラ伝説前夜
一昨年固唾を呑んで臨んだ7時間18分の「サタンタンゴ」。
今回それ以前にタル・ベーラ監督が撮った作品3本上映ということで、3本一気に観てきました。流石に疲れた。。。
まずはタル・ベーラが22歳の若さで撮った処女作「ファミリー・ネスト」(1977)。
この映画は才能ある若手に実験精神に富んだ映画を作らせるために創設された「バラージュ・ベーラ・スタジオ」の製作。
その牧歌的なタイトルからは想像できなかった悲惨な内容。
当時(1970年代)のハンガリーでは都市部の住宅問題が深刻化していて、特に若い人々は住む場所がなくあふれていて、空き家を不法占拠する労働者が後を立たたず、実際16歳のタル・ベーラはそんな人々に寄り添い警官が人々を追い立てる様を8ミリで撮影しようとして逮捕されるという事件があったんだとか。
それを元に作り上げたこの作品はまるでケン・ローチの作品かと思わせる社会派ドラマ。
16ミリの手持ちで撮った不安定な画面も相まって、ドキュメンタリーじゃないの?という生々しさ。
最後インタビューに答えるように独白する夫役の俳優の涙が美しすぎた。
そして2作目の「アウトサイダー」(1981)は、「ファミリー・ネスト」を撮った後に入った映画芸術アカデミーの在学中の作品。
ちなみに当時社会主義だったハンガリーでは、個人が勝手に映画監督になることはできず、アカデミーを経て国家公務員にならなければならなかったんだとか。
「アウトサイダー」は、タル・ベーラには珍しくカラー作品。
これもまた貧困に苦しむ男女の物語で、「ファミリー・ネスト」よりもドラマ性はあるものの、相変わらずカメラが不安定でたまたま撮ってて編集したらこうなったって感じが凄い。
そしてこの後「プレハブ・ピープル」(1982)、「秋の暦」(1985)と続くんだけど、どうせだったらこの2本もリマスターで是非上映して欲しい。。。
「秋の暦」はロカルノ国際映画祭で銅賞に輝き、1986年には日本のぴあフィルムフェスティバルで上映されて来日も果たしたとのこと。
今回の上映で特に目玉となったのがこの後に撮った「ダムネーション/天罰」(1988)の初日本上映。
何と言ってもクラスナホルカイ・ラースロー脚本、メドヴィジ・ガーボル撮影、ヴィーグ・ミハーイの音楽、セーケイ・B・ミクローシュ主演と、既に次回作「サタンタンゴ」の布陣が結成されている!!!
それもそのはず。そもそもラースローの「サタンタンゴ」を読んだタル・ベーラがこれを映画化したいと思いつつ、予算がないのでその前に一本撮ってしまおうという意気込みで挑んだのが今作。
正に「サタンタンゴ」の前身的作品。
なので、もう冒頭から「サタンタンゴ」を彷彿とさせるこれぞタル・ベーラ!っていう作品。
「ファミリー・ネスト」「アウトサイダー」と観てきていきなり変貌したのでビビりました。
それまでブレてた映像も、あの独特の舐めるように横滑りしていく撮影方法になってます。
「サタンタンゴ」の冒頭牛のシーンも相当インパクトあったけど、今作の火力発電所に石炭を運ぶリフトの風景も相当終末観が漂ってて、最後の作品となった「ニーチェの馬」にも通ずる世界観が既に出来上がってました。
タル・ベーラもこのロケーションについて語っています。
風景は主役のひとりです。風景には顔がある。音楽を探すように、正しい場所を見つけなければならない。ロケーション場所を見つけるのに通常一年はかけます。「ダムネーション/天罰」のロケハンでは、ケーブルカーを何度も見かけました。ひどい天候で、私たちは予算もなく、ただ何かを成し遂げようとしていたのですが、ひとつだけ確かなことは、ケーブルカーは動き続けているということでした。
あと印象的なのはやたらに降りしきる雨と野良犬。
特に最後のシーンの野良犬と主人公のシーンは凄い。
「サタンタンゴ」の少女と猫のシーンや「ニーチェの馬」の馬のシーンにも通じます。
どうやったらこんな動物のシーン撮れるんだ。。。
正直最後30分くらい中だるみ感があって、雨の中踊り狂う男のシーンで終わればよかったのに、って思いつつダラダラ観てたんだけど、その犬と主人公のシーン観せられてすいませんでした、ってなった笑
こうやってデビュー作から通してみると、当初の社会派から観念的な世界観に至るまでの系譜が見えてとても興味深かったです。
以下タル・ベーラの言葉です。
映画を撮り始めた当初は、社会的な怒りに満ちていました。社会がいかに酷いかを伝えたかったのです。その後、問題は社会的なものだけでなく、もっと深いところにあるのだと理解するようになりました。存在論的な問題だと理解したのです。そして、もっともっと人々に近づいていくと、問題が存在論的なものだけではないことが理解できるようになりました。宇宙論的な問題なのです。それが私が理解しなければならなかったことであり、映画のスタイルが変化した大きな理由です。
さらにパンフレット中の佐々木敦さんの解説もめちゃくちゃ納得。ちょっと長いけど引用。
初期作品では、(中略)リアリズムの原理で動いていた。だが作品を追うにつれて、そこに変容が生じてくる。登場人物は次第に寡黙になり、静謐なシーンが増え、画面はより暗く、黒く、重々しくなっていく。カメラの動きも誰かのアクションや表情を逐一捉えるアクティヴなスタイルから、厳密な映像設計に基づく絵画的なものに変わってゆく。(中略) タル・ベーラには何が起こったのか?
それは「リアリズムの内破」である。実のところタルの視線は、その視線の先にあるものは、何も変わってなどいない。それは相変わらず、ハンガリーの現実であり、世界の現実であり、人間どもの現実である。タル・ベーラは最初から現在まで、徹底してリアリズムの映画作家なのだ。だが、それゆえにこそ、彼はいわば「現実=リアル」を抉り出すために「リアリズム」から離陸し、芸術至上主義的と思われかねないような、極度に美学的な方向へと向かった、向かわざるを得なかったのだ。
リアルを描くために、リアリズム自体がーリアルの圧力に耐えられなくなった結果としてー内側から崩壊し、ほとんど幻想的と言ってもいいアンリアルなものに変容してしまうこと。それがタル・ベーラの「伝説前夜」に刻印された道程である。だがそれは断じてファンタジーではない。タルは「今、ここ」しか相手にしていない。
これ、タル・ベーラ作品だけじゃなく、あらゆることに通じると思います。
「リアリズムの内破」。金言過ぎる。
リアルを追求するとどんどんアンリアルになっていくのは必然だと思っています。
シュールレアリスムが最近とても重要な運動だったんだと再認識してきました。
イメージフォーラムでの上映は2月25日まで。その他全国でも続々上映とのこと。
ヴェルクマイスター・ハーモニーも是非4Kデジタルで上映してほしい。。。
「三度目の、正直」by 野原位
イメフォ行った時に何気なく見かけたチラシに衝撃が走りました。
え、これ純じゃない??
純というのは僕の人生ナンバーワン映画「ハッピーアワー」に出てた主人公の1人川村りらさん。
その彼女が主演と脚本を務め、ハッピーアワーで濱口さんと共同監督を務めた野原位さんの初監督作品とのこと。
しかも舞台が神戸で出てるキャストもスタッフもほとんどハッピーアワー!!
これは観ないわけには行かないと馳せ参じました。
ハッピーアワーの7年後というのがなんとなく意識されてて、まるでパラレルワールドを観ているかのようで大混乱。。。
りらさんの元夫がハッピーアワーで夫役だった謝花喜天さんで、まさかのチャラ男になってるし!
そして桜子の息子役だった川村知君はりらさんの本当の息子なんだけど、映画の中で擬似母子になってるのも凄い。
出村さんは7年前と髪型まで一緒だし、田辺泰信さんは元維新派だったことを今回初めて知った。
とまあ、ハッピーアワーを引きずりながら終始観てたんだけど、ハッピーアワーを観ている時に終始分泌されていたオキシトシンがこの映画では全く分泌されなかった。。。
というか、途中からハッピーアワーを利用してるように見えてきて少しずつイライラ。。。
場面がコロコロ変わるのもよくわからないし、映画としての粗も凄いし、なんか改めて濱口監督って凄いんだなぁと思わされてしまいました。。。
最後は僕の大事なハッピーアワーを汚されたようで悲しくなって映画館を出ました。。。
今回ハッピーアワーにはいなかった小林勝行が素晴らしかったのが唯一の救い。
「お伽話の続きなんて誰も聞きたくない」by 宇多田ヒカル
ところで野原さんって僕と同い年なんですね。。。見た目が。。。ヒッキーも同い年です。
「裁かるゝジャンヌ」by カール・テオドア・ドライヤー
なんと1928年の無声映画。
この映画は映画ファンならみんな知ってるはず。
でもちゃんと観たことなくていつか映画館でちゃんと襟正して観たいなと思っておりました。
ジャンヌ・ダルクはこれまで数々の監督が挑んできた主題でした。
僕の世代でいうと、ジャンヌ・ダルクの映画と言えばリュック・ベッソン。
最近もまた新たにフランスの監督ブリュノ・デュモンがミュージカル映画としてジャンヌを取り上げます。こちら。
でもやっぱり始祖の始祖はこのドライヤー版ジャンヌ。
もう、主演のルネ・ファルコネッティが素晴らしすぎた。。。
「聖女」をあそこまで表現するなんて。。。
映像だけでこの人には神が宿っているという説得力を持たせるのは凄すぎる。
この映像も90年以上前の映画とは思えないぐらい斬新で前衛的。
特に拷問器具を回すシーンはめちゃくちゃコンテンポラリー。
思えばこの頃バウハウスやノイエ・ザッハリカイトのような構成的な写真がドイツで流行し始めていたけれど、その映像版ともいうべき作品かも。
さらにフリッツ・ラングの「メトロポリス」もこの前年1927年の作品だし、この頃の映画って本当に前衛的で今観ても素晴らしいですね。
あと、何気にアントナン・アルトーが出ていてめっちゃびっくり。俳優もやってたんだ!!
息を飲む美しい映像体験させていただきました。
「ダ・ヴィンチは誰に微笑む」by アントワーヌ・ヴィトキーヌ
すっかりこの映画の公開忘れててギリギリ滑り込みで観ました。
丸の内TOEI初めて行ったけどめっちゃレトロで哀愁漂ってました。。。
それはそうとこの映画。そこまで期待してなかったけど案外面白かった。
一般家庭で発見された1175ドル(約13万円)の絵画が後に4億ドル(約510億円)という世界最高額で落札されるまでの過程を丁寧に追ってます。
映像も美しくて何年がかりで撮ってたんだろうという。
話の発端はこの絵の持ち主の甥がクリスティーズに連絡したものの、一蹴された結果地元のオークションハウスに回ったものらしい。
その後世界最高額を叩き出すのがまたクリスティーズってのが闇。。。
しかもクリスティーズは戦略的に古典部門ではなく現代美術部門として出品してるのがミソ。
現代美術部門だとそこまで専門的に作品の帰属を問われないとの判断。恐ろしい。。。
話は戻って、この絵画をNYの画商が発見してあっさり1175ドルで落札の後専門家による修復。
修復後、これはレオナルド・ダ・ヴィンチの作品に間違いないとなった画廊主がロンドンのナショナル・ギャラリーに連絡し、ちょうどダ・ヴィンチ展を準備中だったこともあり世界中の研究家の分析によりダ・ヴィンチの真作かもしれないとなって、2011年の展覧会に出品されるに至ったという。。。
このダ・ヴィンチ展すごい行列できてたの覚えてるけど、この時すでにこの作品出てたんだとびっくり。
こんな怪しい作品をナショナル・ギャラリーが出品するなんて。。。
最近のNFTもそうだけど、こういう軽薄なところがあるんですよね。。。
その後色んな怪しい人たちの手に渡り、フリーポートまで登場し、最終的にはサウジアラビアの王子が4億ドルで落札するも、ルーブルの鑑定によりやっぱりダ・ヴィンチの真作ではないという疑惑もあり、2017年のオークション以来この作品は一度も世に出ていません。
最近プラド美術館もこの絵を工房作との判断を下しましたね。
一枚の絵画が国家を揺るがすほどのインパクトを与えてるのが見ていて本当にスリリング。
まあ、真作じゃなくてももはや普通に観てみたいですけどね。
「名付けようのない踊り」by 犬童一心
田中泯の踊りも犬童一心の映画も好きでも嫌いでもないけど気になって観に行きました。
犬童さんがドキュメンタリー撮ってるイメージなかったけど、フィルムメイキングがうまいんだなぁと思いました。
2時間を90分くらいにできてたらもっと良かったんだろうけど、それでも場面転換や随所にアニメーションを入れ込んだりして、だからといって忙しない印象もなく見せてるのは凄い。
田中泯の踊りも好きではないとはいえ、自分を表現するのではなく、他人との関係を表現してる態度は素晴らしいなと。
最後の福島の桜も美しい場面でした。
タイトルは田中泯がカイヨワからもらった言葉だったんですね。
「ハウス・オブ・グッチ」by リドリー・スコット
1995年に起きたマウリッツォ・グッチの暗殺事件を元に、リドリー・スコットが監督、主演をレディー・ガガ、その他アダム・ドライバーにアル・パチーノと超豪華な布陣。
全員イタリア訛り英語で、だったらもうイタリア語にしちゃえよ、と思っちゃいました。
最初のアダム・ドライバーの登場シーンが既に凄かった。
彼の昭和顔がめっちゃこの映画に合いますね。
ガガも歌のシーンとか一切なく女優やりきってて凄かった。
そして皆言ってるけどジャレッド・レト演じるパウロ・グッチが凄すぎ。
最後の方に出てくるトム・フォードは本物と違いすぎて不満。。。むしろドメニコを演じてたジャック・ヒューストンの方がトム様っぽかったのに。。。
この事件のこと知らなかったし、今やグッチ家の人が1人もいないってのも知らなかった。
衣装提供してるけど、よくこんな映画をグッチが許したなという内容でした。。。
2時間半超と少し長いけど普通に娯楽映画として楽しめました。
第14回恵比寿映像祭「スペクタクル後」@ 東京都写真美術館
最後に映画じゃないけど映像ってことで恵比寿映像祭。
2009年に始まりもう14回目だけど初めて観た。映像ばかりって興味持てなくって。。。
今回は三田村光土里さんのインスタレーション目当てで行ったんだけど、正直ピンと来ず。。。
他の作家さんの作品もビビッと来るものがありませんでした。。。
やっぱり映像は難しいですね。。。
それでも来た甲斐があった!と思わせてくれたのが3階の展示室。
今回の「スペクタクル後」というテーマを示す資料展示なんですがこれは凄い!!!
これだけでカタログ作って欲しい。。。
やはり「スペクタクル」と言えばギー・ドゥボール。
近代的生産条件が支配的な社会では、生の全体がスペクタクルの膨大な蓄積として現れる。かつて直接に生きられていたものはすべて、表彰のうちに遠ざかってしまった。
という彼の代表作「スペクタクルの社会」を引用しつつ、近代に始まった博覧会から見世物小屋に到るまでのスペクタクルを通覧しつつ、そこにあった差別的な人間の残酷さを露呈させます。
ピグミー族や奇形の人々はおろか、福沢諭吉の顔まで細長い顔の一例として紹介されてたのは驚き。。。
戦後復興、東京オリンピック(1964)や大阪万博(1970)までスペクタクルは続きます。
資料の他にもダイアン・アーバスやアーヴィング・ペン、マーティン・パーなど有名海外写真家たちの写真や木村伊兵衛に東松照明、中平卓馬、そして杉本博司と本当に豪華な布陣が展示されてます。。。
これ観るだけでも本当に価値あると思います。2月20日まで。
特にイメフォ通いが酷い。。。
タル・ベーラ伝説前夜
一昨年固唾を呑んで臨んだ7時間18分の「サタンタンゴ」。
今回それ以前にタル・ベーラ監督が撮った作品3本上映ということで、3本一気に観てきました。流石に疲れた。。。
まずはタル・ベーラが22歳の若さで撮った処女作「ファミリー・ネスト」(1977)。
この映画は才能ある若手に実験精神に富んだ映画を作らせるために創設された「バラージュ・ベーラ・スタジオ」の製作。
その牧歌的なタイトルからは想像できなかった悲惨な内容。
当時(1970年代)のハンガリーでは都市部の住宅問題が深刻化していて、特に若い人々は住む場所がなくあふれていて、空き家を不法占拠する労働者が後を立たたず、実際16歳のタル・ベーラはそんな人々に寄り添い警官が人々を追い立てる様を8ミリで撮影しようとして逮捕されるという事件があったんだとか。
それを元に作り上げたこの作品はまるでケン・ローチの作品かと思わせる社会派ドラマ。
16ミリの手持ちで撮った不安定な画面も相まって、ドキュメンタリーじゃないの?という生々しさ。
最後インタビューに答えるように独白する夫役の俳優の涙が美しすぎた。
そして2作目の「アウトサイダー」(1981)は、「ファミリー・ネスト」を撮った後に入った映画芸術アカデミーの在学中の作品。
ちなみに当時社会主義だったハンガリーでは、個人が勝手に映画監督になることはできず、アカデミーを経て国家公務員にならなければならなかったんだとか。
「アウトサイダー」は、タル・ベーラには珍しくカラー作品。
これもまた貧困に苦しむ男女の物語で、「ファミリー・ネスト」よりもドラマ性はあるものの、相変わらずカメラが不安定でたまたま撮ってて編集したらこうなったって感じが凄い。
そしてこの後「プレハブ・ピープル」(1982)、「秋の暦」(1985)と続くんだけど、どうせだったらこの2本もリマスターで是非上映して欲しい。。。
「秋の暦」はロカルノ国際映画祭で銅賞に輝き、1986年には日本のぴあフィルムフェスティバルで上映されて来日も果たしたとのこと。
今回の上映で特に目玉となったのがこの後に撮った「ダムネーション/天罰」(1988)の初日本上映。
何と言ってもクラスナホルカイ・ラースロー脚本、メドヴィジ・ガーボル撮影、ヴィーグ・ミハーイの音楽、セーケイ・B・ミクローシュ主演と、既に次回作「サタンタンゴ」の布陣が結成されている!!!
それもそのはず。そもそもラースローの「サタンタンゴ」を読んだタル・ベーラがこれを映画化したいと思いつつ、予算がないのでその前に一本撮ってしまおうという意気込みで挑んだのが今作。
正に「サタンタンゴ」の前身的作品。
なので、もう冒頭から「サタンタンゴ」を彷彿とさせるこれぞタル・ベーラ!っていう作品。
「ファミリー・ネスト」「アウトサイダー」と観てきていきなり変貌したのでビビりました。
それまでブレてた映像も、あの独特の舐めるように横滑りしていく撮影方法になってます。
「サタンタンゴ」の冒頭牛のシーンも相当インパクトあったけど、今作の火力発電所に石炭を運ぶリフトの風景も相当終末観が漂ってて、最後の作品となった「ニーチェの馬」にも通ずる世界観が既に出来上がってました。
タル・ベーラもこのロケーションについて語っています。
風景は主役のひとりです。風景には顔がある。音楽を探すように、正しい場所を見つけなければならない。ロケーション場所を見つけるのに通常一年はかけます。「ダムネーション/天罰」のロケハンでは、ケーブルカーを何度も見かけました。ひどい天候で、私たちは予算もなく、ただ何かを成し遂げようとしていたのですが、ひとつだけ確かなことは、ケーブルカーは動き続けているということでした。
あと印象的なのはやたらに降りしきる雨と野良犬。
特に最後のシーンの野良犬と主人公のシーンは凄い。
「サタンタンゴ」の少女と猫のシーンや「ニーチェの馬」の馬のシーンにも通じます。
どうやったらこんな動物のシーン撮れるんだ。。。
正直最後30分くらい中だるみ感があって、雨の中踊り狂う男のシーンで終わればよかったのに、って思いつつダラダラ観てたんだけど、その犬と主人公のシーン観せられてすいませんでした、ってなった笑
こうやってデビュー作から通してみると、当初の社会派から観念的な世界観に至るまでの系譜が見えてとても興味深かったです。
以下タル・ベーラの言葉です。
映画を撮り始めた当初は、社会的な怒りに満ちていました。社会がいかに酷いかを伝えたかったのです。その後、問題は社会的なものだけでなく、もっと深いところにあるのだと理解するようになりました。存在論的な問題だと理解したのです。そして、もっともっと人々に近づいていくと、問題が存在論的なものだけではないことが理解できるようになりました。宇宙論的な問題なのです。それが私が理解しなければならなかったことであり、映画のスタイルが変化した大きな理由です。
さらにパンフレット中の佐々木敦さんの解説もめちゃくちゃ納得。ちょっと長いけど引用。
初期作品では、(中略)リアリズムの原理で動いていた。だが作品を追うにつれて、そこに変容が生じてくる。登場人物は次第に寡黙になり、静謐なシーンが増え、画面はより暗く、黒く、重々しくなっていく。カメラの動きも誰かのアクションや表情を逐一捉えるアクティヴなスタイルから、厳密な映像設計に基づく絵画的なものに変わってゆく。(中略) タル・ベーラには何が起こったのか?
それは「リアリズムの内破」である。実のところタルの視線は、その視線の先にあるものは、何も変わってなどいない。それは相変わらず、ハンガリーの現実であり、世界の現実であり、人間どもの現実である。タル・ベーラは最初から現在まで、徹底してリアリズムの映画作家なのだ。だが、それゆえにこそ、彼はいわば「現実=リアル」を抉り出すために「リアリズム」から離陸し、芸術至上主義的と思われかねないような、極度に美学的な方向へと向かった、向かわざるを得なかったのだ。
リアルを描くために、リアリズム自体がーリアルの圧力に耐えられなくなった結果としてー内側から崩壊し、ほとんど幻想的と言ってもいいアンリアルなものに変容してしまうこと。それがタル・ベーラの「伝説前夜」に刻印された道程である。だがそれは断じてファンタジーではない。タルは「今、ここ」しか相手にしていない。
これ、タル・ベーラ作品だけじゃなく、あらゆることに通じると思います。
「リアリズムの内破」。金言過ぎる。
リアルを追求するとどんどんアンリアルになっていくのは必然だと思っています。
シュールレアリスムが最近とても重要な運動だったんだと再認識してきました。
イメージフォーラムでの上映は2月25日まで。その他全国でも続々上映とのこと。
ヴェルクマイスター・ハーモニーも是非4Kデジタルで上映してほしい。。。
「三度目の、正直」by 野原位
イメフォ行った時に何気なく見かけたチラシに衝撃が走りました。
え、これ純じゃない??
純というのは僕の人生ナンバーワン映画「ハッピーアワー」に出てた主人公の1人川村りらさん。
その彼女が主演と脚本を務め、ハッピーアワーで濱口さんと共同監督を務めた野原位さんの初監督作品とのこと。
しかも舞台が神戸で出てるキャストもスタッフもほとんどハッピーアワー!!
これは観ないわけには行かないと馳せ参じました。
ハッピーアワーの7年後というのがなんとなく意識されてて、まるでパラレルワールドを観ているかのようで大混乱。。。
りらさんの元夫がハッピーアワーで夫役だった謝花喜天さんで、まさかのチャラ男になってるし!
そして桜子の息子役だった川村知君はりらさんの本当の息子なんだけど、映画の中で擬似母子になってるのも凄い。
出村さんは7年前と髪型まで一緒だし、田辺泰信さんは元維新派だったことを今回初めて知った。
とまあ、ハッピーアワーを引きずりながら終始観てたんだけど、ハッピーアワーを観ている時に終始分泌されていたオキシトシンがこの映画では全く分泌されなかった。。。
というか、途中からハッピーアワーを利用してるように見えてきて少しずつイライラ。。。
場面がコロコロ変わるのもよくわからないし、映画としての粗も凄いし、なんか改めて濱口監督って凄いんだなぁと思わされてしまいました。。。
最後は僕の大事なハッピーアワーを汚されたようで悲しくなって映画館を出ました。。。
今回ハッピーアワーにはいなかった小林勝行が素晴らしかったのが唯一の救い。
「お伽話の続きなんて誰も聞きたくない」by 宇多田ヒカル
ところで野原さんって僕と同い年なんですね。。。見た目が。。。ヒッキーも同い年です。
「裁かるゝジャンヌ」by カール・テオドア・ドライヤー
なんと1928年の無声映画。
この映画は映画ファンならみんな知ってるはず。
でもちゃんと観たことなくていつか映画館でちゃんと襟正して観たいなと思っておりました。
ジャンヌ・ダルクはこれまで数々の監督が挑んできた主題でした。
僕の世代でいうと、ジャンヌ・ダルクの映画と言えばリュック・ベッソン。
最近もまた新たにフランスの監督ブリュノ・デュモンがミュージカル映画としてジャンヌを取り上げます。こちら。
でもやっぱり始祖の始祖はこのドライヤー版ジャンヌ。
もう、主演のルネ・ファルコネッティが素晴らしすぎた。。。
「聖女」をあそこまで表現するなんて。。。
映像だけでこの人には神が宿っているという説得力を持たせるのは凄すぎる。
この映像も90年以上前の映画とは思えないぐらい斬新で前衛的。
特に拷問器具を回すシーンはめちゃくちゃコンテンポラリー。
思えばこの頃バウハウスやノイエ・ザッハリカイトのような構成的な写真がドイツで流行し始めていたけれど、その映像版ともいうべき作品かも。
さらにフリッツ・ラングの「メトロポリス」もこの前年1927年の作品だし、この頃の映画って本当に前衛的で今観ても素晴らしいですね。
あと、何気にアントナン・アルトーが出ていてめっちゃびっくり。俳優もやってたんだ!!
息を飲む美しい映像体験させていただきました。
「ダ・ヴィンチは誰に微笑む」by アントワーヌ・ヴィトキーヌ
すっかりこの映画の公開忘れててギリギリ滑り込みで観ました。
丸の内TOEI初めて行ったけどめっちゃレトロで哀愁漂ってました。。。
それはそうとこの映画。そこまで期待してなかったけど案外面白かった。
一般家庭で発見された1175ドル(約13万円)の絵画が後に4億ドル(約510億円)という世界最高額で落札されるまでの過程を丁寧に追ってます。
映像も美しくて何年がかりで撮ってたんだろうという。
話の発端はこの絵の持ち主の甥がクリスティーズに連絡したものの、一蹴された結果地元のオークションハウスに回ったものらしい。
その後世界最高額を叩き出すのがまたクリスティーズってのが闇。。。
しかもクリスティーズは戦略的に古典部門ではなく現代美術部門として出品してるのがミソ。
現代美術部門だとそこまで専門的に作品の帰属を問われないとの判断。恐ろしい。。。
話は戻って、この絵画をNYの画商が発見してあっさり1175ドルで落札の後専門家による修復。
修復後、これはレオナルド・ダ・ヴィンチの作品に間違いないとなった画廊主がロンドンのナショナル・ギャラリーに連絡し、ちょうどダ・ヴィンチ展を準備中だったこともあり世界中の研究家の分析によりダ・ヴィンチの真作かもしれないとなって、2011年の展覧会に出品されるに至ったという。。。
このダ・ヴィンチ展すごい行列できてたの覚えてるけど、この時すでにこの作品出てたんだとびっくり。
こんな怪しい作品をナショナル・ギャラリーが出品するなんて。。。
最近のNFTもそうだけど、こういう軽薄なところがあるんですよね。。。
その後色んな怪しい人たちの手に渡り、フリーポートまで登場し、最終的にはサウジアラビアの王子が4億ドルで落札するも、ルーブルの鑑定によりやっぱりダ・ヴィンチの真作ではないという疑惑もあり、2017年のオークション以来この作品は一度も世に出ていません。
最近プラド美術館もこの絵を工房作との判断を下しましたね。
一枚の絵画が国家を揺るがすほどのインパクトを与えてるのが見ていて本当にスリリング。
まあ、真作じゃなくてももはや普通に観てみたいですけどね。
「名付けようのない踊り」by 犬童一心
田中泯の踊りも犬童一心の映画も好きでも嫌いでもないけど気になって観に行きました。
犬童さんがドキュメンタリー撮ってるイメージなかったけど、フィルムメイキングがうまいんだなぁと思いました。
2時間を90分くらいにできてたらもっと良かったんだろうけど、それでも場面転換や随所にアニメーションを入れ込んだりして、だからといって忙しない印象もなく見せてるのは凄い。
田中泯の踊りも好きではないとはいえ、自分を表現するのではなく、他人との関係を表現してる態度は素晴らしいなと。
最後の福島の桜も美しい場面でした。
タイトルは田中泯がカイヨワからもらった言葉だったんですね。
「ハウス・オブ・グッチ」by リドリー・スコット
1995年に起きたマウリッツォ・グッチの暗殺事件を元に、リドリー・スコットが監督、主演をレディー・ガガ、その他アダム・ドライバーにアル・パチーノと超豪華な布陣。
全員イタリア訛り英語で、だったらもうイタリア語にしちゃえよ、と思っちゃいました。
最初のアダム・ドライバーの登場シーンが既に凄かった。
彼の昭和顔がめっちゃこの映画に合いますね。
ガガも歌のシーンとか一切なく女優やりきってて凄かった。
そして皆言ってるけどジャレッド・レト演じるパウロ・グッチが凄すぎ。
最後の方に出てくるトム・フォードは本物と違いすぎて不満。。。むしろドメニコを演じてたジャック・ヒューストンの方がトム様っぽかったのに。。。
この事件のこと知らなかったし、今やグッチ家の人が1人もいないってのも知らなかった。
衣装提供してるけど、よくこんな映画をグッチが許したなという内容でした。。。
2時間半超と少し長いけど普通に娯楽映画として楽しめました。
第14回恵比寿映像祭「スペクタクル後」@ 東京都写真美術館
最後に映画じゃないけど映像ってことで恵比寿映像祭。
2009年に始まりもう14回目だけど初めて観た。映像ばかりって興味持てなくって。。。
今回は三田村光土里さんのインスタレーション目当てで行ったんだけど、正直ピンと来ず。。。
他の作家さんの作品もビビッと来るものがありませんでした。。。
やっぱり映像は難しいですね。。。
それでも来た甲斐があった!と思わせてくれたのが3階の展示室。
今回の「スペクタクル後」というテーマを示す資料展示なんですがこれは凄い!!!
これだけでカタログ作って欲しい。。。
やはり「スペクタクル」と言えばギー・ドゥボール。
近代的生産条件が支配的な社会では、生の全体がスペクタクルの膨大な蓄積として現れる。かつて直接に生きられていたものはすべて、表彰のうちに遠ざかってしまった。
という彼の代表作「スペクタクルの社会」を引用しつつ、近代に始まった博覧会から見世物小屋に到るまでのスペクタクルを通覧しつつ、そこにあった差別的な人間の残酷さを露呈させます。
ピグミー族や奇形の人々はおろか、福沢諭吉の顔まで細長い顔の一例として紹介されてたのは驚き。。。
戦後復興、東京オリンピック(1964)や大阪万博(1970)までスペクタクルは続きます。
資料の他にもダイアン・アーバスやアーヴィング・ペン、マーティン・パーなど有名海外写真家たちの写真や木村伊兵衛に東松照明、中平卓馬、そして杉本博司と本当に豪華な布陣が展示されてます。。。
これ観るだけでも本当に価値あると思います。2月20日まで。
地点「ギャンブラー」@ KAAT
恒例の地点xKAATです。
前回の「地下室の手記」に続きドストエフスキーです。
KAATでは以前「悪霊」をやってて、初ドストエフスキーでもありました。
次回は「未成年」と終演後のトークでちらっと三浦さんが仰ってましたがそれも楽しみ。
それはともかく「ギャンブラー」。
ステージは、床にルーレットの模様が施されていて、その上に長机。天井からはLEDのライトが円になって垂れ下がってます。このライトは「だれか、来る」でも使われてました。
さらに空間現代のステージ3つ+スタンドマイクと鞄の置かれたステージ1つが4角に。
空間現代が登場して、その後演者が次々に登場し、長机を囲んでルーレットスタート。
ルーレットが始まる度に上のライトもぐるぐる光ります。
そしてなんとこの長机も回るのです。
主演のアレクセイを務める田中祐気さんが1人で回すんだけど、7人も座ってる長机を車輪がついてるとは言え表情も変えず、しかも台詞言いながら息を切らさずに足で動かしてるの凄すぎ。。。明らかに田中さんだけ運動量が違う笑
いつもルールを設定しながら演じる地点ですが、今回のルールはとても分かりやすかった。
各々が持ってるサイコロを机に打ち付けると音楽が連動して、それぞれ自分の台詞を言う時に決まり文句があり、台詞が終わったら次の人の名前を指名する仕組み。
アレクセイ(田中祐気) 「ぼくです」
ボリーナ(相生翠) 「でもね」
アストリー(小林洋平) 「結構です」
将軍(小河原康二) 「だから」
おばあさん(安倍聡子)「やっぱりね」
デ・クリュー(石田大)「どちらかと言えば」
ブランシュ(窪田史恵) 「ハッハッハ」
という具合。
今回客演の相生さんがとてもよかった。
「罪と罰」や「どん底」にも出てたけど、今回一番うまかった。
地点のこの癖の強い演出を見事にやってのけてて素晴らしい。
空間現代の生演奏も相変わらず最高でした。
三浦さんが会場に来て突然思いついたというチャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」とのコラボも素晴らし過ぎた。
そんな無茶ぶりにこんな素敵な音を奏でられるなんてやっぱり空間現代すごい。
そして最後の安倍さんの狂ったように鞄からコインを投げるシーンは圧巻。。。
とまあ、さすが地点なんですが、三浦さん自身も「まだ核心まで行きついてない気がしている」と仰ってるように、ドストエフスキーやっぱり曲者だなぁという印象。
観ながらまだまだ地点と噛み合ってない感じが拭えなかったです。
今後長編がまだ3つ残ってるので、今後にめちゃくちゃ期待です。
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地点「君の庭」@ KAAT
地点「罪と罰」@ 神奈川県立青少年センター
地点「三人姉妹」「シベリアへ!シベリアへ!シベリアへ!」 @ KAAT
「やっぱり悲劇だった」by 三浦基
地点「だれか、来る」@ アンダースロー
地点「グッド・バイ」@吉祥寺シアター
地点「正面に気をつけろ」@ アンダースロー
地点「汝、気にすることなかれ」@アンダースロー
地点「ロミオとジュリエット」@ 早稲田大学大隈講堂
地点「みちゆき」 @愛知県芸術劇場
地点「スポーツ劇」@ロームシアター京都
地点「光のない。」
地点「悪霊」@ KAAT
地点「CHITENの近未来語」@アンダースロー
地点「かもめ」@ Cafe Montage
地点「コリオレイナス」@京都府立府民ホールアルティ
地点「――ところでアルトーさん、」@京都芸術センター
The Dante Project by Wayne McGregor
ダンテの死から700年を記念して作られた「ダンテ・プロジェクト」。
英国ロイヤルバレエ団を率いるウェイン・マクレガーと英国の作曲家トマス・アデス、そして美術をタシタ・ディーンが担当と、超豪華な布陣で昨年秋に初演を迎えました。
その「ダンテ・プロジェクト」がストリーミングで観られるというので購入。2400円ほどですが、現地に行って観られない極東の民としてはこんな素晴らしいものがこの値段でお家で観られるのは至福。
マクレガー作品は2018年の香港で観に行った「tree of cordes」以来。。。
コロナ以降ワールドツアーもぼちぼち再開はしてきたものの、アジア公演は中々遠い道のり。。。
生で観られるに越したことはないですが、それまではまだ少しの辛抱。
こうして公開してくれるだけありがたいと思いましょう。
1月19日までの限定公開なので観たい人はお早めに!こちら。
さて、内容は「神曲」を元に、「地獄篇(Inferno:Pilgrim)」、「煉獄篇(Purgatorio:Love)」、「天国篇(Paradiso: Poema Sacro)」の3部からなります。
それぞれ黒→カラー→白で衣装も変異していきます。
最初の「地獄篇」ではめちゃくちゃデカイチョークで描かれた上下反転した雪山の絵を背景に繰り広げられます。20mはあるんじゃないかしら。。。
衣装も黒をベースにしながら、白いチョークをまぶしたような(実際まぶしてるのかも)印象的な衣装です。
ライティングも特徴的で、背景の絵が途中で白黒反転するんだけどどうやってるんだろう??
続く「煉獄篇」では、一転明るくなって、街中に生えた大きな木の絵が登場します。
衣装もカラフルで観ていて楽しい。
ここから登場する日本人のプリンシパル平野亮一さんの存在感がすごい。
そういえば「Woolf Works」も真ん中の2部が一番盛り上がってたなぁ。
最後の「天国篇」では光のプリズムのような映像が登場します。
この演出が最もタシタ・ディーンって感じがします。
音楽も最もドラマチックで、白い衣装で踊るダンサーたちがただただ美しい。。。
本当同じ人間とは思えないんですけど。。。
そんなこんなであっという間の2時間弱。新年早々最高の時間でした。
今年こそ生のパフォーマンスを観たい!
2月にフォーサイスあるけどどうか無事開催されてほしい。。。
ちなみに昨年ピナ・バウシュのアーカイブサイトができてここでもいくつか観られます。無料!
https://www.pinabausch.org
「偶然と想像」by 濱口竜介
前作「ドライブ・マイ・カー」が今も上映中ですが、濱口竜介監督の新作が公開されました。
と言っても、制作されたのは多分こっちが先。
7月に「ドライブ・マイ・カー」がカンヌで4冠に輝きましたが、その前にこの映画はベルリンで銀熊賞を受賞しています。
昨年脚本で関わった黒沢清監督の「スパイの妻」もヴェネツィアで受賞しているし、濱口監督今ノリにノッてます。
この映画は短編3本を集めたオムニバスという少し変わった形式です。
初期濱口監督作品に出ていた河井青葉さん、占部房子さん、渋川清彦さん、そして「天国はまだ遠い」に出演していた玄理さんが出ていて、少し原点回帰を図っているのかな、とも想像します。
何れにせよ公開がものすごく楽しみだった映画でした。
「ドライブ・マイ・カー」と違って所謂商業映画ではないし、上述のお馴染みな面子も揃ってるので、どうせいいだろうと見はじめて、結果やっぱりものすごく良かったとなりました。
ここからはネタバレも含むので読みたい人だけ。
と言ってもそんなに含まないかも。
三作通して「偶然」がテーマになってるんだけど、それをフィクションに取り込むのって物凄くリスキーだと思います。
フィクションに取り込んでる時点でそれは「偶然」じゃないので。
そこを見事に3作ともわざとらしくない形で描いていて流石だなぁと舌を巻きました。
ありそうでない、いや、やっぱりありそう、っていう綱渡りみたいなラインを繊細に描き出してます。
ちなみに僕のことを知ってる人はわかると思うんだけど、人より明らかに偶然が多く起きます笑
話し出したらキリがないぐらい偶然のオンパレードな人生なんです。
さらに、今バーという仕事をしていたら「そんなことある!?」みたいな話をお客さんからもよく聞きます。
偶然って意外と溢れていて、それでも毎回驚いてしまう素敵なファンタジーですよね。
そういう意味で、この映画は僕にとってとても親しみやすかったし、3作とも愛おしくてたまらなかった。
なんか「ハッピーアワー」の時の感覚を思い出しました。ピアノ曲を使ってるのもあるかも。
そして3作とも1対1の場面が物凄い緊張感で痺れました。
1作目の「魔法(よりもっと不確か)」の芽衣子とカズ、2作目の「扉は開けたままで」の奈緒と瀬川、3作目の「もう一度」の夏子とあや。
それぞれ2人の対峙するシーンはどれも息を飲んだし、途中で小津安二郎みたいな正面ショットもニヤッとさせられるし素晴らしかった。渋川さんも指摘してたけど、やっぱり濱口監督にとって小津は大事な存在なんでしょうね。
「魔法(よりもっと不確か)」の芽衣子とつぐみがタクシーの中で話す恋バナも会話のテンポがすごいリアリティあって、車中のシーンが「ドライブ・マイ・カー」とかぶってとても良かった。
あと渋谷でこの映画観てたので、映画の中のシーンとかぶってエモかった。
「扉は開けたままで」の奈緒と瀬川のシーンは、まるで濱口組がリハーサルでやってる棒読みみたいな台詞回しだったのも興味深かった。
渋川さん久々に見たけどこんな演技ができるんだ!ってびっくりしました。
「もう一度」の2人がエスカレーターの上りと下りで出くわすシーンは僕もやったことあります笑
この2人が映画の中でさらに別人に演じてるメタ的なシーンはとても感動的ですね。
そういえば3作とも映画の中で「演じる」という行為をしてることに気づきました。
芽衣子はつぐみに何も知らないフリをしてるし、奈緒も瀬川を陥れようと演じている。
この映画は何度見ても発見がありそうです。
実はこの短編7作あるそうなので、今後また映画化が楽しみすぎる。
7作揃ったら是非小説でも読んでみたい。
改めて濱口監督素晴らしかったです!
以下最近観た映画。
「皮膚を売った男」
「東京画」
「逆光」
「夜空に星があるように」
「世界で一番美しい少年」
「皮膚を売った男」はそんな期待してなかったんだけど案外良かったです。
こういうアートを絡めた映画ってアート知ってる人間からしたらありえん!ってことが多いんだけど、この映画には現代アートにおける倫理観とか、昨今のバイオアート的な話とか、結構リアルな作りになってて楽しめました。
シリアの難民問題の描き方がサラッとしすぎてどうかとは思ったけどまあまあ良かった。
「東京画」はヴィム・ヴェンダースの中でも昔から観たかった映画で、今回の特集上映で観られるのが嬉しかった。
小津の「東京物語」を起点に、ヴェンダースが来日して日本を撮ったドキュメンタリー。
「東京物語」のオープニングで始まりエンディングで終わるのは素晴らしい構成。
そして東京のシーンが僕の生まれた年(1983年)に撮影されたもので、同じ東京とは思えないぐらい異国感なんだけど、ここに映ってる子供達は僕より少し年上の今やおじさんたちで、映ってるおじさんたちは自分の父親ぐらいなんだろうなぁと思って観るとエモすぎて泣けてきました。
笠智衆のインタビューと小津のお墓参りするシーンは泣きそうになりました。年一つしか変わらないのびっくりした。
撮影監督のインタビューでも、あの「小津ショット」の秘密を垣間見れて最高でした。
本当に素晴らしい映画でした。思わずDVDボックス買っちゃった。。。
「逆光」は友達が「久々にこんな酷いゲイを描いた映画を観た」と聞いて逆に興味があって観たけど本当に酷かったw
マジョリティ側がマイノリティ撮るとこうなるよなぁの典型。お洒落なだけの映画でした。
「夜空に星があるように」はケン・ローチのデビュー作。ちょっと荒すぎて無理だった。。。
「世界で一番美しい少年」は、ルキノ・ビスコンティ監督の「ベニスに死す」で少年タジオ役を演じたビョルン・アンドレセンの50年間に迫ったドキュメンタリー、ということで観始めたんだけど、思ってたより壮絶でびっくりしました。
そして何と言っても冒頭で、ビスコンティの前にビョルンが初めて現れる瞬間を収めた映像があってゾクッとしました。
ビスコンティがこの子だ!!!って全身で反応してるのとかすごい。
何と言っても当時のビョルンが美しすぎて。。。
あの影のある美しさには、その過去にも未来にも悲劇が付きまとい過ぎて辛い。。。
「美人薄命」と言いますが、ビョルンの場合は今もまた違った美しさを纏いながら生き続けてるのが凄いですね。
映画としても、ドキュメンタリーなんだけど映像が美し過ぎて酔いしれました。
「ミッド・サマー」も未見なので観たくなりました。
地点「地下室の手記」@ 吉祥寺シアター

昨年の「君の庭」以来、約1年ぶりの地点!待ってました!しかもドストエフスキー!
地点はこれまで「悪霊」と「罪と罰」を作品化しています。
この流れで五大長編の「未成年」「白痴」「カラマーゾフの兄弟」とやっていくのかと思いきやまさかの「地下室の手記」。。。さすがです。
しかも来年の1月には「ギャンブラー(賭博者)」もやるとのこと。楽しみ!
この作品はまず、今年の1月に青森のACACにてワーク・イン・プログレス公演「地下室の人々」として上演されました。こちら。
1月の青森、結構行くかどうか本気で悩みましたが、大雪必至なので断念しました。。。
その後この7月に京都のアンダースローにて原題の「地下室の手記」として発表され、ついに東京にやってきたというわけです。
このほとんど独白状態の中編小説をどう舞台化するのかが見所です。
劇場に入ると、舞台にはまず半透明のシートが立ち上がっていて、そのシートの向こうの机や椅子が影として投影されています。
久々に地点の皆さんに会える!と思いきや、なんとこのシートは最後の最後まで取り除かれることはなく、演者達は終始シートの向こうで影のまま演じるという演出!!(安倍さんだけ一瞬出てくる)
この影の演出は以前「みちゆき」でもありましたが、今回は徹底して最後まで影のみ!
いやぁ、さすがです。。。
せっかくの演者達の生の身体を一切見せることなく、シートの向こうであくせく演じる影達。
しかも今回主人公のぼくを4人が、リーザを2人が演じるという分裂症的なこの独白テキストを見事にやってのけてる。
このキャラクターを分裂させるのも「だれか、来る」でやってましたが、この時は1人を2人でやってたので、さらに分裂しちゃってるんですね。
過去の演出をさらに尖らせた演出ですごすぎる。。。
そして「ぼく」の4人は全員がネズミのマスクをしている。。。
もう世界観が独特すぎて最高です笑
最初はその「チューチュー」なテンションについていくのに必至でしたが、段々とその「チューチュー」も悲壮感を帯びてきて悲しい響きになっていくのです。
そこにACACで撮影された雪の映像や、空間現代の美しい音楽(途中でピアノが入ってくるのはやられた)が加わり、シートによって演者が観られなくっても全く飽きさせません。
光源は舞台後ろのプロジェクターからの投影で、演者が後方に下がると影は大きく、手前に来ると小さくなって、実際の遠近と観客側から見た影の遠近が逆になるのも面白かった。
最後にシートがようやく降りてきて、いつもの6人と三浦さんの姿を観られた時なんだかすごく嬉しかった。
ちなみにこのシートやネズミのマスクは、コロナの飛沫防止シートやマスクにもなぞらえてるのかと思いきや、公演後のトークでほとんど関係ないとのことでした。
この「地下室の手記」は終わってしまいましたが、なんとこの作品を含むアンダースローでのレパートリー作品を4作提げて東京で公演を行なっています。
まだ「ファッツァー」と「グッド・バイ」はこれからですので地点未体験の方はぜひ!こちら。
そして今回会場で、これまで地点と数々のコラボレーションをしてきた空間現代のCD「Soundtracks for CHITEN」が発売されてます!
2013年の「ファッツァー」から、来年の「ギャンブラー」まで!
こちらも是非!!

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地点「正面に気をつけろ」@ アンダースロー
地点「汝、気にすることなかれ」@アンダースロー
地点「ロミオとジュリエット」@ 早稲田大学大隈講堂
地点「みちゆき」 @愛知県芸術劇場
地点「スポーツ劇」@ロームシアター京都
地点「光のない。」
地点「悪霊」@ KAAT
地点「CHITENの近未来語」@アンダースロー
地点「かもめ」@ Cafe Montage
地点「コリオレイナス」@京都府立府民ホールアルティ
地点「――ところでアルトーさん、」@京都芸術センター
「ドライブ・マイ・カー」by 濱口竜介
先週から公開された濱口竜介監督の最新作「ドライブ・マイ・カー」。
公開一週間もしない間に既に2回も観てしまった。。。
想いが詰まりすぎてまだまだ整理できてないんだけど一先ず書きます。
まず、
・僕の人生で最も大切な映画が濱口監督の「ハッピーアワー」であること。こちら。
・その次の初商業映画となった「寝ても覚めても」が僕の中で駄作中の駄作だったこと。
この2点がまず前提としてあります。
特に「寝ても覚めても」のショックは相当なものでした。
これは語りだしたらキリがないのでやめます。
そのショックを引きずりながらの商業映画第二弾。
西島秀俊や岡田将生といった人気俳優を起用してる時点で僕の中の期待値は相当低いものでした。
「ハッピーアワー」の奇跡は演者たちのほとんどが演技経験がないという部分に大分大きな比重があったように思います。
彼らの演技ははっきり言って素人そのものだったのですが、それ故にテクニックには依らない人間の芯の部分を見せられているような生々しさがあって、もう涙が止まらなかったのです。
あと、5時間超というイレギュラーな長さもその奇跡の一端なのかもしれません。
今回も3時間と、商業映画としては長めですが、まあギリギリ範囲内。
そう言った「飛び道具」なしで、どこまでのものができるのか。
こういうアート系映画(ざっくり)撮ってる人って大体商業映画撮るとコケます。
好きだった監督さんがそうなっていくのを幾度として見てきました。誰とは言いませんが。
そんなこんなで濱口さんも。。。と思いながら恐る恐る鑑賞。
カンヌで4冠受賞したのもあってか上映館はなんとTOHOシネマズで新宿は前日には夜の回まで完売でびっくり。
仕方なく日本橋のTOHOシネマズで鑑賞しました。
以下ネタバレを含むので読みたい人だけどうぞ。
劇団チョコレートケーキ「一九一一年」@ シアタートラム
コロナ禍で多くの芸術活動、特に生身の人間による演劇は、最も犠牲を強いられた活動だったように思います。
そんな中で、この劇団チョコレートケーキは、3作品も発表しています。
もう本当にすごいというか、観客として感謝しかありません。
さて、今回の舞台は2011年初演を迎えた「一九一一年」の再演。
内容は、1911年に起きた大逆事件を基にしています。安定の重さw
歴史の授業でも1、2行でさらっと流されてしまうこの事件を、人の体を使ってしっかりと紡ぎ直します。
しかも、大逆事件といえば幸徳秋水のところ、彼はこの演目にほとんど出てきません。
出てくるのはそのパートナーだった菅野須賀子。
彼女の存在は、最初に出てきた瞬間にこの演目の成功が決まってしまう程の凄みがありました。
堀奈津美さん。彼女の演技というか存在感は素晴らしかった。
そして、彼らを裁く側の人間たちの葛藤がメインとなります。
この頃の刑法には、73条に大逆罪というのがありました。
皇室に危害を加えるのは勿論、企てた時点で起訴され、普段の過程は経ず、いきなり大審院(現在の最高裁判所に相当) にて死刑が言い渡されるという恐ろしい罪。
国家はこの大逆罪を使って、社会主義や無政府主義の人間を捕らえて次々と死刑に送り込みました。
この大逆事件で犠牲になったのは26名。
その内幸徳秋水をはじめ、菅野須賀子を含む計12名が実際に死罪に処されます。
そんな中、自由を希求する須賀子の凛とした姿はやはり凄まじい。
最後、判事役の西尾さんが、須賀子の墓前でつぶやく言葉は今の日本にも繋がります。
私は、私の顔を持っていますか?
私の名前を持っていますか?
私の足で立っていますか?
私の頭で考え、私の言葉で話せていますか?
私は、自由ですか?
自由とは何なのか、考えさせる一節でした。
僕が見た回では、本編終演後、西尾さんによる独演がありました。
あの最後のオチはあれでよかったのかしら笑
それにしても劇チョコすごいです。
何と来年、再演4本と新作1本を発表するそうです。
再演の内二本は近作の「無畏」と「帰還不能点」。
個人的には「追憶のアリラン」と「〇六〇〇猶二人生存ス」は生で観たことないので楽しみ。
後者は短編だけど、どう再演するんだろう。
そして新作は沖縄戦を描く「ガマ」。絶対泣く。。。。
これからもついていきます!!
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劇団チョコレートケーキ「帰還不能点」@ 東京芸術劇場 シアターイースト
劇団チョコレートケーキ「無畏」 @ 下北沢・駅前劇場
劇団チョコレートケーキ「治天ノ君」 @ 東京芸術劇場 シアターイースト
劇団チョコレートケーキ「遺産」@ すみだパークスタジオ倉
ところで先日チェルフィッチュの「三月の5日間」の制作に密着したドキュメンタリー「想像」を観ました。
映画としては相当終わってた。。。これ元々映画にするつもりで撮ってないでしょ?
映像も音も悪いし、編集もひどい。。。これは一体。。。
それはともかく、この舞台以前観たことあると思い込んでたらなくて、コロナの影響なのか文化庁が丸々YouTubeにアップしてくれてたので観たけど素晴らしいですね。
演者の役がどんどん入れ替わり立ち替わりしてて、誰が誰を演じてるのかわからなくなる。
イラク戦争とかの背景は必要なのかな?とは思うけど中々好きな舞台でした。
あと、早稲田大学の演劇博物館でやってる「Lost in Pandemic ――失われた演劇と新たな表現の地平」。
昨年オンラインで開催されてたけど、やっぱりフィジカルな展示はいいですね。
コロナによって中止になってしまった演目や、各劇場やカンパニーの取り組み等網羅。
パンデミックの年表も興味深いし、スペイン風邪やコレラの頃の歴史も含んでいて、とても意義深い展覧会でした。
さらに「COVID-19影響下の舞台芸術と文化政策ー欧米圏の場合」と題された報告冊子が無料で会場で配られていて、とても濃い内容だった。
まだまだ終息とはいかないし、今後も更新されていくオンゴーイングな展覧会。8月6日まで。こちら。

「東京自転車節」by 青柳拓
最近観た社会派ドキュメンタリー2本をご紹介。
まずは青柳拓監督の「東京自転車節」。監督はまだ28歳!若い!
以前店に来られたお客様が関わってらっしゃると聞いていた映画。
ちょうど、美術手帖の今年の2月号のニューカマー特集にも載っていて気になっていました。
とはいえ、そこまで期待はせず、緊急事態宣言でまた店閉めちゃったし、ポレポレ東中野近いし観に行ってみるか、と行ってみたら今年最高の映画に出遭ってしまった、という感じです。
まず何が素晴らしいって、この映画のワイドすぎるレンジです。
これは、監督の青柳拓自身がiPhoneとGoProを使って、ほとんどの撮影を自身で行い自分自身を撮るというセルフドキュメンタリーと呼ばれるものです。
こういう映画にありがちなのが、独白とか内省とか、金払わさせられてオ○ニー見せられてしっまた感。
それがこの映画には一切ないんです。
この映画に映っているのは監督の生活そのものなんですが、そこからさらに広い社会というものを見事に映し切ってる。
それはこの映画が、未曾有のパンデミック下に撮影されてるのは大きいでしょう。
監督の青柳は、故郷山梨で職を失い、学校の奨学金と言う名の借金を背負った、どこにでもいる20代の若者。
そんな彼が一大決心をして、東京という焼け野原にウーバー配達員になるべく自転車を漕いで上京します。
その際におばあちゃんが孫のためにマスクを縫うんですが、もう世界観がお伽話。。。
そこからテーマ曲の「東京自転車節」が流れるわけですが、この冒頭から心を鷲掴みにされました。
僕もおばあちゃん子なんで、途中でおばあちゃん心配させないために「大金持ちになった」と電話で嘘をついて、路上で寝転がりながら涙を流すシーンなんて辛すぎた。。。
大雨の中ずぶ濡れになりながら配達したり、やる気が起きずひたすら眠り続けてお金なくなっちゃったり、誕生日に呼んだデリヘルがお金足りずにキャンセル料だけ払わされたりと、青柳はこれでもかというぐらい自身のかっこ悪さをスクリーンに映し続けます。
最後にはヒゲを蓄え、明らかに最初の頃とは違う目をしていて、この映画は青柳拓という一人の人間の成長劇、という面がまずあります。
映画が終わる頃にはすっかり彼のファンになっていました。
しかしそれだけだとやはりセルフドキュメンタリーの域を出ないのです。
この映画のすごいのは、それと同時に、スクリーンの青柳拓は、誰でもあるということ。
彼が鏡となって、このパンデミックで生き抜く全ての人々を代弁していたのが素晴らしかった。
途中でケン・ローチによる労働問題が出てきたり、コロナ禍での人々の分断、戦争、貧困等々、あらゆる問題がこの映画を通して噴出していました。
これだけレンジの広さを、わずか半径2m(奇しくもソーシャルディスタンス)ほどの世界を執拗に撮り続けることで映し出したのは見事としか言いようがない。
彼を通して見える最も深刻な問題は、この時代の若者の生きづらさだったと思います。
「僕たちは1993年生まれで、ゆとり世代と呼ばれる時代のど真ん中に当たる世代だと思います。実感はないのですが、よく言われるのが「ナンバーワンよりオンリーワン」。つまり上の世代よりも個性や主体性を尊重されて育ったのだと、上の世代の人と話をすると気付かされます。それは素直にいいことだなぁと思いますが、社会の土台は上の世代が作ってきたものなので、ナンバーワンになれなくてもナンバーワンを目指す志がなければ生きていけない状況は変わっていないのだと思います。個性を大事にと教育されてきたのに、社会では個性なんて大事にされない時代を目の当たりにして、その矛盾にもがいてる人は少なからずいると思っています。」
パンフレット内のインタビューで語る青柳の言葉はまさに、教育と社会の齟齬を言い当てています。
特に彼が選んだ配達員の仕事は、あくまで個人事業主と突き放されて、なんの保証のないまま、個性どころかただの歯車としてしか人間を見ていない社会の最も顕著な例だと思います。
僕の周りには案外ウーバー配達員がいなくて、僕自身も一回しか利用したことがないのでよくわからなかった実態がこの映画を通して見えました。
3日で70回配達を達成すると「クエスト」と呼ばれる追加報酬が貰えるのも知らなかったです。
その報酬のため、後半青柳はハイエナとなり、雨の中坂道を掛けあげるシーンは本当に息を飲みました。
「システムを掌握する」と宣言した彼の凄みがスクリーンを通して伝わってきた「ジョーカー」のようなシーンでした。
そして、緊急事態宣言を解除した時の安倍元首相の虚しいスピーチ。
「日本ならではのやり方で、わずか1ヶ月半で今回の流行を、ほぼ終息させることができました。まさにニッポンモデルの力を示したと思います。」
こんなこと言ってたんですね。今の状況見せてやりたい。。。
そう、この1年以上後の今、何度目かも忘れた緊急事態宣言下でこの映画を観られたことはとても意義深かったように思います。
映画としても、純粋に面白かった。
自転車の疾走感がそのまま映画になってるのと、特に舞台のほとんどが新宿で、僕も毎日のようにチャリで移動してるので、見慣れた風景がたくさん出てきて楽しかったです。
終わった時は、え、もうおわっちゃったの?と思ったほどでした。
映されてる内容は悲惨なのに、それだけではない前向きな力のある映画でした。
青柳監督は、今もウーバー配達員を続けているようですが、彼はその経験を見事に映画に昇華しました。
まさに「ピンチをチャンスに変えた人」です。
しかし、多くの、特に若い人たちは、ピンチがピンチになったままの人だと思います。
この映画を観れば、何か、肩を押す風になる気がする。
僕は正直「ピンチがチャンスになっちゃった人」だと思うけれど、それでも思うところは多かったです。
本当にいい映画に出会えました。
DVDになったら買おう。
青柳監督の今後も期待してます。
最後に私の敬愛する中島みゆき様の歌詞の一節を。
走り続けていなけりゃ倒れちまう
自転車みたいなこの命転がして
息はきれぎれ それでも走れ
走りやめたら ガラクタと呼ぶだけだ、この世では
(中島みゆき「断崖~親愛なる者へ~」より)
続いて「東京クルド」。
恐くて観に行くのが憚れてたんだけど、日本人としてやっぱり観ておくべきと勇気を持って観に行きました。
これはオザンとラマザンという日本に住むクルド人の二人の若者を中心に、日本の難民問題を捉えたドキュメンタリーです。
映画はこの二人がボーリングを楽しんでるシーンから始まるのですが、早速驚いたのが、二人とも日本語がペラペラなんです。
それもそのはず、彼らは生まれこそトルコだけど、トルコ政府によるクルド人弾圧から、彼らが小さい頃に両親が日本に亡命し、彼らはそのまま日本で高校まで卒業したということでした。
映画が進むにつれ、そんな彼らには日本での滞在許可がないことがわかります。仮放免という状態らしい。
入国管理局で難民申請をしても、そのほとんどがはねられます。
日本の難民認定率は、他国と比べて圧倒的に低いのです。
といわけで彼らには国籍がありません。
よって、高校を出ても働くことが叶わず、オザンは絶望し、解体の仕事でなんとか金を稼ぐもそれも入管に止められ八方塞がり。
ラマザンは、通訳になるべく専門学校を探すも、滞在許可を理由に断られますが、へこたれず第三の道を模索します。
そんな中、入国管理局に収容されていたラマザンの叔父が体調不良を訴え救急車を呼ぶも、入管によって阻止され、救急車は無人のまま入管を後にします。
その後なんとか一命をとりとめた叔父が言います。
「入管の中で死にたくないです」
今年の3月にスリランカ人のウィシュマ・サンダマリさんが33歳の若さで名古屋の入国管理局内の収容所で亡くなりました。
半年前に、パートナーによるDVから助けを求めてきた彼女を、ビザが切れてることからむしろ彼女を犯罪者扱いにし、身柄を拘束した上、体調不良も聞き入れず、最終的に20キロも痩せて死んでしまいました。
この国の入国管理局の酷さは噂には聞いていましたが、いよいよここまで落ちてるのかと驚かずに入られない出来事でした。
その後、5月には入管法改正の名の下に、政府は不法滞在者の排除に躍起になるも、なんとか裁決が見送られました。
不法滞在者と一言で言っても色んな人たちがいて、犯罪がらみの人たちももちろんいるでしょうが、この映画に出てくる人たちのように、事情があって国に帰れない人、日本で家族を持ってしまった人等、一括りにできないのです。
なのに入管は、彼らを全て犯罪者扱いにして、不当な扱いをしているわけです。
そもそもラマザンの叔父も収容されてる理由すら明らかにされてません。
とまあ、ひどい現実なんですが、映画としては質は決して高くなくて残念でした。
もう少し彼らの生活を丁寧に描いて欲しかった。
例えば、彼らには就労の権利がないのにどうして暮らせてるのか?
映画の中では、中流の家に住んで、子供達もスマホ持ってたけど、そのお金はどこから?
途中でオザンは家を出て別の家に住んでるけど、それはどうやって借りたのか?
支援団体の存在とかもそんなに出てこないし、色々疑問でした。
そして、入管についても、入口しか映してないけど、もう少し実態に切り込めなかったのかな?
酷いシーンがあるのかと怯えていたので、そういうシーンはほとんどなく杞憂だったのはいいのだけど。
まあ、改めてこの問題を考えるきっかけにはなりました。
帰りも、周りにいる外国の方のことが気になったりしました。色々知りたいです。
ちなみに現在オペラシティで開催中の加藤翼さん(後日アップ予定)の作品にも、在日クルド人と協働で作った作品があります。
今コロナで移動の制限をかけられた状態が彼らの常態だと思うと本当に苦しいですね。
まずは青柳拓監督の「東京自転車節」。監督はまだ28歳!若い!
以前店に来られたお客様が関わってらっしゃると聞いていた映画。
ちょうど、美術手帖の今年の2月号のニューカマー特集にも載っていて気になっていました。
とはいえ、そこまで期待はせず、緊急事態宣言でまた店閉めちゃったし、ポレポレ東中野近いし観に行ってみるか、と行ってみたら今年最高の映画に出遭ってしまった、という感じです。
まず何が素晴らしいって、この映画のワイドすぎるレンジです。
これは、監督の青柳拓自身がiPhoneとGoProを使って、ほとんどの撮影を自身で行い自分自身を撮るというセルフドキュメンタリーと呼ばれるものです。
こういう映画にありがちなのが、独白とか内省とか、金払わさせられてオ○ニー見せられてしっまた感。
それがこの映画には一切ないんです。
この映画に映っているのは監督の生活そのものなんですが、そこからさらに広い社会というものを見事に映し切ってる。
それはこの映画が、未曾有のパンデミック下に撮影されてるのは大きいでしょう。
監督の青柳は、故郷山梨で職を失い、学校の奨学金と言う名の借金を背負った、どこにでもいる20代の若者。
そんな彼が一大決心をして、東京という焼け野原にウーバー配達員になるべく自転車を漕いで上京します。
その際におばあちゃんが孫のためにマスクを縫うんですが、もう世界観がお伽話。。。
そこからテーマ曲の「東京自転車節」が流れるわけですが、この冒頭から心を鷲掴みにされました。
僕もおばあちゃん子なんで、途中でおばあちゃん心配させないために「大金持ちになった」と電話で嘘をついて、路上で寝転がりながら涙を流すシーンなんて辛すぎた。。。
大雨の中ずぶ濡れになりながら配達したり、やる気が起きずひたすら眠り続けてお金なくなっちゃったり、誕生日に呼んだデリヘルがお金足りずにキャンセル料だけ払わされたりと、青柳はこれでもかというぐらい自身のかっこ悪さをスクリーンに映し続けます。
最後にはヒゲを蓄え、明らかに最初の頃とは違う目をしていて、この映画は青柳拓という一人の人間の成長劇、という面がまずあります。
映画が終わる頃にはすっかり彼のファンになっていました。
しかしそれだけだとやはりセルフドキュメンタリーの域を出ないのです。
この映画のすごいのは、それと同時に、スクリーンの青柳拓は、誰でもあるということ。
彼が鏡となって、このパンデミックで生き抜く全ての人々を代弁していたのが素晴らしかった。
途中でケン・ローチによる労働問題が出てきたり、コロナ禍での人々の分断、戦争、貧困等々、あらゆる問題がこの映画を通して噴出していました。
これだけレンジの広さを、わずか半径2m(奇しくもソーシャルディスタンス)ほどの世界を執拗に撮り続けることで映し出したのは見事としか言いようがない。
彼を通して見える最も深刻な問題は、この時代の若者の生きづらさだったと思います。
「僕たちは1993年生まれで、ゆとり世代と呼ばれる時代のど真ん中に当たる世代だと思います。実感はないのですが、よく言われるのが「ナンバーワンよりオンリーワン」。つまり上の世代よりも個性や主体性を尊重されて育ったのだと、上の世代の人と話をすると気付かされます。それは素直にいいことだなぁと思いますが、社会の土台は上の世代が作ってきたものなので、ナンバーワンになれなくてもナンバーワンを目指す志がなければ生きていけない状況は変わっていないのだと思います。個性を大事にと教育されてきたのに、社会では個性なんて大事にされない時代を目の当たりにして、その矛盾にもがいてる人は少なからずいると思っています。」
パンフレット内のインタビューで語る青柳の言葉はまさに、教育と社会の齟齬を言い当てています。
特に彼が選んだ配達員の仕事は、あくまで個人事業主と突き放されて、なんの保証のないまま、個性どころかただの歯車としてしか人間を見ていない社会の最も顕著な例だと思います。
僕の周りには案外ウーバー配達員がいなくて、僕自身も一回しか利用したことがないのでよくわからなかった実態がこの映画を通して見えました。
3日で70回配達を達成すると「クエスト」と呼ばれる追加報酬が貰えるのも知らなかったです。
その報酬のため、後半青柳はハイエナとなり、雨の中坂道を掛けあげるシーンは本当に息を飲みました。
「システムを掌握する」と宣言した彼の凄みがスクリーンを通して伝わってきた「ジョーカー」のようなシーンでした。
そして、緊急事態宣言を解除した時の安倍元首相の虚しいスピーチ。
「日本ならではのやり方で、わずか1ヶ月半で今回の流行を、ほぼ終息させることができました。まさにニッポンモデルの力を示したと思います。」
こんなこと言ってたんですね。今の状況見せてやりたい。。。
そう、この1年以上後の今、何度目かも忘れた緊急事態宣言下でこの映画を観られたことはとても意義深かったように思います。
映画としても、純粋に面白かった。
自転車の疾走感がそのまま映画になってるのと、特に舞台のほとんどが新宿で、僕も毎日のようにチャリで移動してるので、見慣れた風景がたくさん出てきて楽しかったです。
終わった時は、え、もうおわっちゃったの?と思ったほどでした。
映されてる内容は悲惨なのに、それだけではない前向きな力のある映画でした。
青柳監督は、今もウーバー配達員を続けているようですが、彼はその経験を見事に映画に昇華しました。
まさに「ピンチをチャンスに変えた人」です。
しかし、多くの、特に若い人たちは、ピンチがピンチになったままの人だと思います。
この映画を観れば、何か、肩を押す風になる気がする。
僕は正直「ピンチがチャンスになっちゃった人」だと思うけれど、それでも思うところは多かったです。
本当にいい映画に出会えました。
DVDになったら買おう。
青柳監督の今後も期待してます。
最後に私の敬愛する中島みゆき様の歌詞の一節を。
走り続けていなけりゃ倒れちまう
自転車みたいなこの命転がして
息はきれぎれ それでも走れ
走りやめたら ガラクタと呼ぶだけだ、この世では
(中島みゆき「断崖~親愛なる者へ~」より)
続いて「東京クルド」。
恐くて観に行くのが憚れてたんだけど、日本人としてやっぱり観ておくべきと勇気を持って観に行きました。
これはオザンとラマザンという日本に住むクルド人の二人の若者を中心に、日本の難民問題を捉えたドキュメンタリーです。
映画はこの二人がボーリングを楽しんでるシーンから始まるのですが、早速驚いたのが、二人とも日本語がペラペラなんです。
それもそのはず、彼らは生まれこそトルコだけど、トルコ政府によるクルド人弾圧から、彼らが小さい頃に両親が日本に亡命し、彼らはそのまま日本で高校まで卒業したということでした。
映画が進むにつれ、そんな彼らには日本での滞在許可がないことがわかります。仮放免という状態らしい。
入国管理局で難民申請をしても、そのほとんどがはねられます。
日本の難民認定率は、他国と比べて圧倒的に低いのです。
といわけで彼らには国籍がありません。
よって、高校を出ても働くことが叶わず、オザンは絶望し、解体の仕事でなんとか金を稼ぐもそれも入管に止められ八方塞がり。
ラマザンは、通訳になるべく専門学校を探すも、滞在許可を理由に断られますが、へこたれず第三の道を模索します。
そんな中、入国管理局に収容されていたラマザンの叔父が体調不良を訴え救急車を呼ぶも、入管によって阻止され、救急車は無人のまま入管を後にします。
その後なんとか一命をとりとめた叔父が言います。
「入管の中で死にたくないです」
今年の3月にスリランカ人のウィシュマ・サンダマリさんが33歳の若さで名古屋の入国管理局内の収容所で亡くなりました。
半年前に、パートナーによるDVから助けを求めてきた彼女を、ビザが切れてることからむしろ彼女を犯罪者扱いにし、身柄を拘束した上、体調不良も聞き入れず、最終的に20キロも痩せて死んでしまいました。
この国の入国管理局の酷さは噂には聞いていましたが、いよいよここまで落ちてるのかと驚かずに入られない出来事でした。
その後、5月には入管法改正の名の下に、政府は不法滞在者の排除に躍起になるも、なんとか裁決が見送られました。
不法滞在者と一言で言っても色んな人たちがいて、犯罪がらみの人たちももちろんいるでしょうが、この映画に出てくる人たちのように、事情があって国に帰れない人、日本で家族を持ってしまった人等、一括りにできないのです。
なのに入管は、彼らを全て犯罪者扱いにして、不当な扱いをしているわけです。
そもそもラマザンの叔父も収容されてる理由すら明らかにされてません。
とまあ、ひどい現実なんですが、映画としては質は決して高くなくて残念でした。
もう少し彼らの生活を丁寧に描いて欲しかった。
例えば、彼らには就労の権利がないのにどうして暮らせてるのか?
映画の中では、中流の家に住んで、子供達もスマホ持ってたけど、そのお金はどこから?
途中でオザンは家を出て別の家に住んでるけど、それはどうやって借りたのか?
支援団体の存在とかもそんなに出てこないし、色々疑問でした。
そして、入管についても、入口しか映してないけど、もう少し実態に切り込めなかったのかな?
酷いシーンがあるのかと怯えていたので、そういうシーンはほとんどなく杞憂だったのはいいのだけど。
まあ、改めてこの問題を考えるきっかけにはなりました。
帰りも、周りにいる外国の方のことが気になったりしました。色々知りたいです。
ちなみに現在オペラシティで開催中の加藤翼さん(後日アップ予定)の作品にも、在日クルド人と協働で作った作品があります。
今コロナで移動の制限をかけられた状態が彼らの常態だと思うと本当に苦しいですね。
「片袖の魚」by 東海林毅
文月悠光の同題の詩を元に、トランスジェンダーの女性を描いた34分の短編映画。
東海林監督とは僕が上京してすぐに知り合って、そこから作品を拝見させてもらってます。
特に僕が初めて観た東海林監督の「老ナルキソス」は大好きな作品でして、主演の田村泰二郎さんがこの「片袖の魚」でもチラッと出てて観ながらニヤッとなりました。
そんなことより、この映画の1番の注目は、やはりトランスジェンダー女性を当事者である、モデルのイシヅカユウさんが演じてらっしゃる点でしょうね。
インタビューでも、日本でトランスジェンダーを描くと喜劇か悲劇に偏ったり、マジョリティの人たちの為の娯楽の一環にしかなってない現状と、当事者が演じることの重要さを語ってらっしゃいます。
「なぜ日本ではまだ早いと思うのだろうと考えていたら、やらないから『早い』ままなのだと気が付きました。自分はそれを実現できる立場にある」という監督の言葉は重いですね。
なぜ「トランスジェンダー役は当事者俳優に」なのか?実現した日本映画『片袖の魚』が変えていくこと
(ThinkGender)トランスジェンダー役を当事者に 世界中で動き、日本でも短編映画公開
「片袖の魚」主演イシヅカユウに聞く映画界のトランスジェンダー描写
実際観てみると、周囲からの偏見が生々しくて途中苦しくもあるんですが、最後はハッピーエンドでもないのに爽快な気分になれました。
僕自身ゲイなので、ストレートの無神経さに辟易させられてきたこととか色々思い出しちゃいましたw
特にあの居酒屋のシーン。。。気まづくて何度もグラスに口つけるのとかリアル過ぎる。。。
先日も店に来たお客さんで、飲み仲間にトランス女性がいらっしゃるらしく、聞くともなしに聞いてたら、そのうちの一人の男が「彼女がカミングアウトしてないのはおかしい。そういう生き方を選んだんだからはっきり言えばいいのに」って言い出したところでプチンときてしまって「テメェは女を好きなヘテロのシスジェンダーという生き方選んだんか?選んでないだろ?彼女も選んだんじゃなくてただそうだっただけなの!知らんけど!」と説教してしまいましたww
未だに性的嗜好と趣味を勘違いしてしまってる人も多いし、本当に辟易しますが、こうやって映画や文化が先を見せることで少しでも進めばいいんだけど、やっぱこういう映画も意識のある人しか来ないんだよなぁ。。。
いくら「ホモソーシャルがー」みたいな本が出たって、当事者はまず読まないしね。
難しいですが、やっぱり発信することは大事だな、と改めて思います。
昨年のアカデミー賞取っちゃったなんとかスワンも対比として観たくなりましたw
私の敬愛するCocco様の歌詞の一節をこの映画に捧げます。
Sleeping in the water
また明日
上手く笑えるから
わがままも知らない
深い海の底
(Cocco「コスモロジー」より)
僕が観た日は監督とイシヅカさんのトークもあり満員御礼。
イシヅカさん、大分天然っぽくて面白かった笑
彼女が直前になって切って欲しいとカットしてもらったセリフが気になりました。
ちなみにこの映画はスマホで撮られたそう。すごい時代だ。。。

SLEEP マックス・リヒターからの招待状
「SLEEP」が映画になる!
半年ほど前に噂で聞いてびっくりしたのを覚えてます。
「SLEEP」とは、イギリスの作曲家マックス・リヒターが創り出した8時間にも及ぶ音楽。
眠りに着目し、眠りながら聴くという前代未聞の作品。
初めてスティーブ・ライヒの「Music for 18 musicians」を聴いた時もびっくりしましたがあれで1時間ですもんね。
まあ、ジョン・ケージの「As Slow As Possible」は639年ですがw こちら。
さて、マックス・リヒターですが、「ポスト・クラシカル」と呼ばれてるそうです。
僕が初めて彼の音楽を聴いたのは、映画館でウェイン・マクレガー演出のロイヤル・バレエを観た時。
ヴァージニア・ウルフの生涯をテーマにしたその演目の音楽を担当していたのが彼でした。
ダンスももちろん素晴らしかったのだけど、もう音楽が凄すぎて泣きました。
クラシックっぽいのから電子音楽まで幅広い楽曲で、この音楽作ったの誰!?となりました。
そこから調べ始めると、「SLEEP」という音楽があることを知りました。
想像を遥かに超えた音楽家なんだとその時に知り、そこからウルフの「Three Worlds」、「Infra」「The Blue Notebooks」を買い集め、ついに「SLEEP」も買いました。
その日から眠る時にその音楽を流しながら寝ました。
もう心地よすぎて最高でした。
さて、その映画。
公開が楽しみすぎて初日に映画館へ。
初日にも関わらずガラガラ。。。まあ、マニアックすぎるよね。。。
映画が始まる前から劇場ではすでに「SLEEP」が流れていて、客席も暖かいし始まる前に寝てしまいそう。。。
8時間もある音楽をどうやって映画の尺に収めるんだ!?と思いながら観始めてびっくり。
「SLEEP」のライブ映像はもちろん、観客の声、マックスの半生とその妻ユリア・マールとの絆。
たった99分の中に、余すことなく情報が入っているんだけど、全く過多になってない!すごい!
監督はナタリー・ジョンズ。
恥ずかしながら存じ上げなかったのだけど、素晴らしいドキュメンタリーだった!!
楽しみにはしてたけど、ここまでいい映画だとは!DVDになったら絶対買う!
映画の中で、この曲が睡眠科学に則って緻密に作られてることを知りました。
低周波から覚醒に近づいていくにつれて高周波へ。
そんな構成知らずとも、この曲、本当に美しい曲なんですよ。
科学と美しさを両立させるなんて、やはり只者ではありません。
映画の白眉はなんといってもライブの映像。美しすぎて泣いた。
会場に各々が枕や寝袋を持って集まってくるのとか尋常じゃない。
会場にはそれぞれ席ではなくベッドが用意されてて、そこで各々が「8時間の子守唄」を聴きながら、寝るもよし歩き回るもよしの完全な自由を与えられる。
やがてステージにリヒターが現れ演奏がスタート。
観客は次々と眠りに落ちていく。
片や音楽家たちは1度始まると演奏を止めることができないので気が全く抜けない。
どういう集中力を持ち合わせてるんだろう。。。休憩があるとしても凄すぎる。。。
そして、この「SLEEP」は、音楽という概念を遥かに超えて、人々の連帯を創造しているのが、映像からありありと伝えられる。
見知らぬ同士がすぐそばにいるのに、この音楽によって無防備にその眠りを晒している。
これは本当にすごいこと。
特にメインとなってるLAのグランドパークで開催されてるライブ映像はすごい。
周囲はビルに囲まれて、夜風に吹かれながらの鑑賞。気持ち良さそうだなーーー!!
あとはシドニーのオペラハウスも外はすぐ海でしかも豪雨が降ってる!とか、アントワープの聖母大聖堂とか会場がいちいち素晴らしい。
ちなみにオペラハウスのライブはテレビで生中継されてて、その動画がアップされてます。消されるかもしれませんが一応リンク貼っておきます。こちら。
実は日本でも一昨年のライブは当初「SLEEP」を演奏する予定だったらしい。。。!!!!
なのに主催者側が直前になってキャンセルしてしまったとか。。。
まあ、そのライブはライブで良かったのだけど、「SLEEP」やってほしかった。。。(その時の記事はこちら)
パンフレットのインタビューで、リヒターが直島でやりたいと言っててマジで実現してほしい!!
コロナで実現は遠いけれどいつか。。。
映画を通して素晴らしい体験をお裾分けしてもらいました。
また「SLEEP」聴きながら眠ります。
劇団チョコレートケーキ「帰還不能点」@ 東京芸術劇場 シアターイースト
再びの緊急事態宣言により窮地に立たされてる舞台関係ですが、2月は2本観ました。
どちらも手指消毒、検温、マスク着用、1席空けての鑑賞です。
まずは劇団チョコレートケーキの新作「帰還不能点」。
前回「無畏」に続き太平洋戦争に突入する直前のお話。
メインとなるのは時の内閣総理大臣・近衛文麿と外務大臣・松岡洋右。
面白いのが、今回はメタ演劇という形でそのストーリーが繰り広げられるということ。
冒頭は1941年8月。
その前年に結成された「総力戦研究所」が、対米戦争になった場合のシミュレーションを話し合う場面。
この「総力戦研究所」というのは、内閣総理大臣直轄の研究所で、各官庁・陸海軍・民間などから選抜された若手エリートが、具体的な各種データを基にして戦争の展開を研究予測していたそう。
しかもこの1941年の8月の段階では、満場一致で日本必敗という結果だったという。。。
それなのにどうして日本はその必敗の戦争に突き進むことになったのか。。。
敗戦後、総力戦研究所のメンバーが、故人となった仲間を偲ぶために集まり、そのプロセスをそれぞれが近衛文麿になったり、松岡洋右になったり、東條英機になったりして演じるんだけど、演じる人が場面場面でバラバラで、それがメタ演劇をさらに複雑にしていく。
この演劇自体はどこまでが史実でどこまでが創作なのかはわからないけれど、どうやら誰もが対米戦争になった場合、確実に負けるという認識が一致していたのは意外だった。
僕はてっきり軍部が暴走してあの太平洋戦争に突っ走ってしまったという風に思っていたけれど、この演劇を見ている限り、むしろ最初は軍部の方が冷静で、近衛と松岡が暴走してしまったというシナリオになっている。
やはり当時のドイツの存在感は大きくて、欧州において連戦連勝していたし、しかもあのヒットラーがいるとなっては、信じてついて行きたくなる気持ちもわからなくはないかも。。。
その後アメリカが経済制裁を加えてきて、すでに「ポイント・オブ・ノー・リターン=帰還不能点」に達し、戦争に突入したというのが今回の演劇の流れ。
結果あれだけの犠牲を強いたと思うとやりきれない思いでいっぱいになった。
最後の戦後の責任問題が個人個人で違う感じとかすごくリアルだった。
毎度これだけのクオリティで目を開かせてくれる劇チョコはやっぱりすごい。
次回公演も7月シアタートラムにて大逆事件を描く「一九一一年」が決まっていて既に楽しみ。
舞台後の岡本さんの一人芝居も最高だった!
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チェルフィッチュ×金氏徹平『消しゴム山』 @ あうるすぽっと
前から気になってたチェルフィッチュと金氏徹平の協働作。
んーーーー、イマイチだった・・・。
舞台上にはいろんな物体が置かれていて、演者はむしろサブで、その物たちが主役という実験的な内容なのだけど、やっぱり僕は人間が見たいなぁというのが正直なところ。
この後劇チョコ見て本当にそう思った。
冒頭の何分かは寝てしまったし、その後も全く入れないまま2時間半。。。
途中近年取り組んでる「映像演劇」の一端が見られたのは良かったけれど。
チェルフィッチュの当たり外れがエグい。。。
「クーラー」や「スーパープレミアムソフトWバニラリッチソリッド」みたいな日常のくだらないネタを拡大したみたいなやつが観たい。。。
<関連記事>
チェルフィッチュ「スーパープレミアムソフトWバニラリッチソリッド」 @ シアタートラム
チェルフィッチュ「地面と床」@ 京都府立府民ホール アルティ
チェルフィッチュ「クーラー」@AI・HALL
ダムタイプ 新作パフォーマンス「2020」映像配信
前回で展覧記事今年ラストのつもりだったんだけど。。。
まさかダムタイプの新作が無料配信されるなんて!(2020年12月25日10時〜27日23時59分)
プラチナチケットとなったチケットを必死の思いでとったのが今年初め。
なんせ18年ぶりの新作、2日間で3公演のみ、京都。
そりゃ争奪戦になるだろうよ。。。
楽しみにしていた3月の公演は新型コロナウイルスによって中止に。。。ガッデム!
そして10月、ロームシアターで上映会という形で公開。
京都まで観に行くか悩んだ挙句やめて、そしたら無料配信!勝ち組!
で、ありがたく拝見させて頂いたのですが、正直がっかり感が否めない。。。
何が「2020」なの?
むしろダムタイプのこれまでを集めた懐古趣味的で全く「今」がなかった。。。
もちろん舞台芸術を映像という二次メディアで判断するのはフェアじゃないんだけど、それにしても。。。
舞台の真ん中に開いた象徴的な穴も最後の場面以外有効的に機能してるとは思えない。
どの場面も既視感しかなくて、時間が進むにつれて絶望感がすごかった。
そして何より、現実の「2020」があまりにもドラマチックすぎて、ダムタイプというメディアは完全に現実の「2020」に敗北している。
まさか2020年、オリンピックが延期することもパンデミックが起こるなんてのも誰も想像していなかっただろうけれど、アートは時に「炭鉱のカナリヤ」となり、未来を予言することがしばしば起こる。
ダムタイプの新作が「2020」と聞いた時に、何かそういう示唆に富んだものが観られるものと思い込んでいたのだけれど、圧倒的に彼らの作品は過去を向いていた。
やっぱりダムタイプは「S/N」を超えられない。
かつて古橋悌二は「アートは可能か」と問うたけれど、これを見る限り首を縦にふることはできない。
勝手に期待しすぎたのはあるけれど、どうしてもポジティブな反応ができませんでした。。。
とはいえ現実に再演となったら観に行く所存ではあるけれど。
無料配信は明日(27日)まで!
「Cockroach」by Ai Weiwei
もう一つ映像配信。
アイ・ウェイウェイの新作「Cockroach」です。
彼は近年ドキュメンタリーフィルムの制作に力を入れていて、昨年のシリア難民を追った「ヒューマンフロー」に、パンデミックのロックダウン下の武漢を記録した「Coronation」と立て続けに発表をしています。
特に「Coronation」なんて、物凄く最近の出来事だし、よくぞこんな映像残したなという、アーティストを超えて歴史の証言者という存在になってきてます。
新作「Cockroach」は昨年の香港デモを追ったドキュメンタリー。
人間が「ゴキブリ」のように扱われる様をまざまざと見せつけられて涙が止まりませんでした。。。
政府側の武器と違って、民衆側の武器は石であり煉瓦でありゴム銃であり火炎瓶でありあまりにも稚拙。
そんな稚拙な武器を持って、彼らは自分たちの自由を守るため文字通り必死に戦います。
それでもやはり大きな力には勝てなくて、この後の結果を知っている身としては引き裂かれる思いで観ました。
彼らの抵抗むなしく、コロナ禍の中、この6月30日に北京で香港の「国家安全維持法」が可決、7月1日より施行に至りました。
これは日本における60年70年の安保闘争に似ているし、やはり大きな力には勝てないのかと絶望的な気持ちになりました。
その後の日本は人々の意識から「政治」が薄れて、政治家が暴走する今へと至っています。
香港の場合はさらに厳しい現状で、今月初めに無許可集会扇動の罪でアグネス・チョウら3名が有罪判決を受けてしまいました。
今後香港は完全に中国の統治下に置かれ、「自由」は剥奪されたわけですが、アートシーンにおいても香港は重要な場所だったのにどうなってしまうんでしょうか。。。
来年こそ開館する予定のM+も、表現の自由のなくなった香港ではちゃんと機能できるのかどうか。。。
アジアのアートシーンの中心は今後香港から韓国ソウルへと転移しつつあります。
実際ロンドンのアートフェアFriezeも2022年に初のアジア進出の地をソウルに決めたとの報道もありました。
メガギャラリーもこれから香港から撤退していくような気がします。
僕は2回しか行ったことがないけれど、行く度に好きになる街だったので無念でなりません。
ちなみに、台湾に移住していたリー・キットはこのコロナ禍の中で香港に戻ったそうです。こちら。
自由に表現をするなら香港から出るほかないとは思うのですが、彼のことも心配です。
内海聖史「あたらしい水」@ 虎ノ門ヒルズ 森タワー 1F




虎ノ門とかまじでご縁ないのですが、野暮用で用事があったので、いつか行くことあれば観てみたかった虎ノ門ヒルズにある内海さんの作品についに対面できました!
大きな絵画が全部で5点並んでるのですが、柱があるので全て一気に正面から観ることはできません。引きもないし。
最初それが少しストレスだったんだけど、柱の鏡に映って、隣の絵画と合体するという現象に気づいてすげー!となりました。
そしていつもに増して色彩が激しくて、細部の処理も興味深かったです。
虎ノ門ヒルズにご用の方はぜひ立ち寄ってください。
内海さんの絵画は街中のいろんな場所に展示されてて、且つ場所との関係性も考えられているので色々探訪していくのも楽しいのです。
この記事が詳しいのでご参考までに>>パブリックアートの旗手、内海聖史
ついでに森万里子も。他にも虎ノ門ヒルズには作品が点在してます。

松下まり⼦「愛の飾らぬことばにおいて」@ 銀座蔦屋書店

本当はプレビューご招待頂いてたので行くはずが、前述の虎ノ門ヒルズで平日昼間から呑みすぎてしまい銀座まで辿り着けず後日リベンジ。。。
ちなみにプレビューではコレクターの方々が瞬く間に作品をお買い上げになられ、1時間もしない間に完売したとかで僕なんてお呼びではなかったとは思いますが。。。
で、楽しみに日曜日に行ったわけですが、この日は完全に失敗だった。。。
本に囲まれた空間で、真ん中に置かれているというベンチに座って松下まり子ワールドにどっぷり浸かるはずが、そのベンチは影も形もなく、会場の真ん中で謎のイベントが。。。

あまりに松下まり子ワールドとはかけ離れた世界観のライブペインティング。。。泣いた。
おかげで全く集中できずに、散漫なまま作品を鑑賞する羽目に。。。
商業施設での展示は難しいね。。。外のホコ天でやれや。
とはいえ青を大胆に使った作品など、いくつか好きな作品もあったので良しとしますか。。。

久々に訪れたGINZA SIX。
めぼしい本を探したり、三島x篠山x横尾の50万円(税別)の写真集をチラ見したり、倉俣史朗の可愛いドローイングを眺めたりとまあまあ楽しめたんだけど、それにしてもこのコロナでレストラン街が壊滅状態だったのが一番の衝撃でした。。。銀座どうなっちゃうんだろう。。。



"Twin Peaks The Return" by David Lynch and Mark Frost
最近お客様に貸していただいた新たな「ツイン・ピークス」。
言わずと知れた90年代に一世を風靡したあのドラマシリーズが、最終回のローラの予告通り「25年後」の2017年に帰ってきました。
2014年に、リンチとフロストが同時に流したツイートで再来を告げたのでも話題になりました。
「君たちの好きなあのガムがまた流行るよ!」
Dear Twitter Friends: That gum you like is going to come back in style! #damngoodcoffee
— David Lynch (@DAVID_LYNCH) October 3, 2014
Dear Twitter Friends: That gum you like is going to come back in style.#damngoodcoffee
— Mark Frost (@mfrost11) October 3, 2014
初代はアメリカのドラマという枠を超えて、世界中に旋風を巻き起こしたそう。
なんせ映画界の鬼才がドラマを手がけるなんてのは当時考えられなかったことですからね。
僕も大人になってから観ましたが、面白かったけど、やや古いな、というのが正直なところ。
そこまで没頭せずに、2017年の再来も、へぇ!くらいで終わってて、いつか機会があれば、くらいに思ってました。
そしてその機会がやってきたわけです。
18話もあって、時間かかるなぁ、と思いながら観始めたんですが、え、何これ、面白い、となり、何と言っても8話です、8話。
これ観た人にはわかると思うんだけど、8話を観て完全にノックアウトされました。
というわけで、購入決定。手に入れずにはいられなくなりました。
内容は言いませんが、え、これテレビに流したの?放送事故やん!という内容w
リンチワールドが炸裂しまくってます。
というのも、90年代の初代ツイン・ピークスは、テレビ局側の意向が強すぎて、途中でリンチは半分降りてるんですよね。
なので、正直中途半端感が否めません。
しかし今回の新しいツイン・ピークスは、25年待ち続けたファンが既にいるのもあって、完全リンチが監督した作品。
そこに至るまで紆余曲折あって、途中でリンチがキレて降板するって宣言したこともあったんですが、なんとかリンチの思う通りのシナリオで通って実現に至ったようです。もうやりたい放題。奇跡!
フランスのカイエ・デュ・シネマが発表した「2010年代ベスト10」では、この新ツイン・ピークスがなんと1位に!
発表観たときは映画ちゃうやん!ってつっこみましたが、実際観てみると映画でした。18時間の映画。
(まあ、カイエは90年代ベストにもツイン・ピークス入れてるし、2000年代も1位をマルホランド・ドライブにしてるぐらいリンチ推しなのですが。。。)

いやぁ、本当たくさんの人に観て欲しい!僕がいうまでもないけど。
初代観てなくても十分楽しめます。
もちろん25年ぶりに同じキャストが出てたりその感動はあるんですが、僕自身ストーリー結構忘れちゃってても十分楽しめました。
何と言っても主人公(?)クーパーの2人の人格のうちダギーが最高。本当に愛すべきキャラ。
リンチ自身が演じるコール捜査官も最高でした。ダイアンもかっこよくて好き。
他にも新旧合わせてキャストがなんと217人もいて、ドラマの枠を完全に超えちゃってます。。。
毎回リンチの推しバンドが一曲丸々歌うのも中々の狂気でしたw
初代はツイン・ピークスという一つの町で完結していたのが、今回はアメリカ全土に舞台が広がってるし、これどうやって終わらせるんやろ?とハラハラしながら最後まで観て、納得な終わり方でした。
ちなみに最終話で出てくる家は、本当にある家で、出てくる人は本当にそこの住人らしいです。
また時間ができたら初代も映画も観てからこの新版も見返したいですね。
僕の中ではリンチ作品の中で最高傑作となりました。奇跡の作品。
で、個人的に最高なタイミングでリンチの人生を綴ったエッセイ「夢みる部屋」の日本語版が出ました。
何気に頼んだら700ページ近くあって、太さにビビりましたが完読しました。
幼少期から現在ツイン・ピークス後までを、関係者の証言とそれを受けて本人の回想という構成。
以前「デヴィッド・リンチ:アートライフ」という映画がありましたが、これはこのエッセイの中のほんの一部だったんですね。
「イレイザー・ヘッド」取り始める直前に終わるという。。。ここからが観たいところなのに!って感じでした。。。
それにしても、幼少期も、引越しが多い家庭ってくらいで、別段変わった環境でもないのに、どんどん鬼才になっていく様は読んでて不思議で仕方なかったです。
この世界観はどこで培われてきたのか。。。
ツイン・ピークスに纏わるゴタゴタも載ってるし、これまで関係してきた女性陣からのインタビューが取れてるのもすごい。。。
リンチファンは必読書ですね。

あと、僕はそこまでリンチフォロワーではないので知らなかったんですが、一時期家具を発表していて、その家具がめちゃくちゃかっこいいんですよね!
彼の描く絵は全然興味ないけど、こういう立体的な仕事はセンスありすぎ。欲しい。。。




ちなみに、
「夢みる部屋」にも出てくるリンチの元恋人イザベラ・ロッセリーニ。
ロベルト・ロッセリーニとイングリッド・バーグマンという黄金の親を持ち、リンチの後もマーティン・スコセッシと結婚し離婚、ゲイリー・オールドマンとも婚約したが破棄という、凄まじい経歴な彼女。
そんな彼女、「GREEN PORNO」というシリーズで、自然界の情事を演じてらっしゃいます。
これがシュールすぎて、さすがリンチの元カノという感じw
1回1回短いのでぜひ見てみてください。
シンディ・シャーマンといい美人はこういうのやりがちですね笑
地点「君の庭」@ KAAT
地点の新作「君の庭」。
松原俊太郎戯曲では4作目。
「ファッツァー」を下敷きにした「正面に気をつけろ」はともかく、KAATで発表した「忘れる日本人」、「山山」は僕的にイマイチだったので、正直不安だったのですが、今回は松原戯曲で最高傑作だったと思います。
ずっと「日本人」を根底に描いてきた松原さんですが、ここにきて「天皇」。
地点も「近未来語」等で、このテーマにかすることはありましたが、ここまで真正面に、しかもこのコロナ禍も含めて現在の日本に向き合うとは。
実際ひやっとする部分も多くて、中々スリリングな内容でした。
個人的には今回、何と言っても彼らの新しい挑戦に感動しました。
「発語すること」にここまで重きを置いた劇団を僕は知りません。
言葉を発することがここまで重いことなんだと地点の舞台を観る度に思い知らされます。
ですが、今回は内容も含めて、特に「発語」の重さがすごいです。
まず、「天皇」の「発語」は全て「御言葉」になってしまうという重さ。
そしてさらに何と言ってもセリフの半分ぐらいが録音ということ。
このコロナ禍の中で、演劇に置いて最も難しいのが、台詞を発する際の飛沫です。
ここを封じられてしまっては、これまでの地点が重きを置いてきた「発語」が成立しません。
そこで出たのが録音放送というアイディアだと勝手に想像。
これがめちゃくちゃ面白い効果を産んでました。
考えたら「玉音放送」も究極の録音放送ですしね。
当初、全部録音で所々口パクとかにしちゃうってアイディアもあったそうです。
しかしそこからが地点の本領発揮。
この録音放送、口パクに加えて同調、ズラし等々、どんどん声の複雑さが増していきます。
同調は録音と同じ台詞を演者が生で発すること。
ズラしは録音から微妙にずれて発語すること。
さらに、別人の声に被らせるとか、エフェクトかけるとか、とにかく声のポリフォニーが特に後半やばい。
いつも出演している窪田さんも声しか出演してなかったり、声がここまで響くのは流石の演出。
そして、同心円上にただただ回る雛壇。
一応石田さんが押してるんだけど、あんな綺麗に円状に回らないと思うので多分機械操作。多分。
最後の最後に日の丸が出てくるのもかっこいいし、衣装についた丸いライトも、天井から上下するライトもかっこよすぎる。。。
前半はえ、これだけ?ってぐらいシンプルなセットなので心配になったけど、延々と見続けてたらどんどんハマっていく感じがすごかった。
今回はオンライン版も用意されてて、こちらには台詞が字幕でついてるので、実際の戯曲に書かれたテキストと今回方言やら英語やら織り交ぜて相当複雑なテキストになってるのが本当によくわかって、改めて俳優陣の台詞覚えのすごさに驚嘆してしまう。。。
こちらは10/18まで見られるので是非ご覧くださいませ。こちら。
次の地点の新作が1月の青森なんだけど、行こうか結構本気で悩み中。。。
ドストエフスキーなんだよなぁ。。。観たい。。。悩む。。。
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地点「罪と罰」@ 神奈川県立青少年センター
地点「三人姉妹」「シベリアへ!シベリアへ!シベリアへ!」 @ KAAT
「やっぱり悲劇だった」by 三浦基
地点「だれか、来る」@ アンダースロー
地点「グッド・バイ」@吉祥寺シアター
地点「正面に気をつけろ」@ アンダースロー
地点「汝、気にすることなかれ」@アンダースロー
地点「ロミオとジュリエット」@ 早稲田大学大隈講堂
地点「みちゆき」 @愛知県芸術劇場
地点「スポーツ劇」@ロームシアター京都
地点「光のない。」
地点「悪霊」@ KAAT
地点「CHITENの近未来語」@アンダースロー
地点「かもめ」@ Cafe Montage
地点「コリオレイナス」@京都府立府民ホールアルティ
地点「――ところでアルトーさん、」@京都芸術センター
ところでここに来て演劇を立て続けに見ました。
一つは同じKAATでやってた市原佐都子の「バッコスの信女 − ホルスタインの雌」。
もう一つはマームとジプシーの「てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。」(長)。
前者は昨年のあいちトリエンナーレで発表されて、第64回岸田國士戯曲賞を受賞した作品で、友人が絶賛していたので気になってたのですが、今回政府からの規制緩和があり、売り切れていたチケットの追加分を買えたので急遽観ることができました。
内容は「一見ふつうの主婦、人工授精によって生まれた獣人、去勢された犬、雌ホルスタインの霊魂たちによる合唱隊(コロス)が歌い上げる音楽劇」という結構ぶっ飛んだ内容でした笑
生殖や受精とは何なのかを問う内容でしたが、僕の好みではなかったかなぁ。。。
刺激的な内容に演出が付いていけてない感がありましたね、正直。
演劇としての新しさもさほどなかったし。。。
後者のマームも過去作ってのはあったけれど、特に真新しさもなかった。
9.11とかも唐突すぎるし、色々荒さが見えてしまいました。
本当は夏に再演するはずだった「coccon」が観たかった。。。泣
ちなみにKAATでは今ヨコトリでも出てる飯川雄大の映像が流されてます。
完全に窃視感でヤバすぎ笑

そしてヨコトリといえば、会期終了間際になって映像作品を一部オンライン解禁しました。
これは素晴らしい試みだけど、もっと早くやってくれ。。。
例えばチケット購入者のみ観られる仕組みとかにすればとか。。。
とはいえ、もう15分越す映像作品は展覧会会場で観るのは無茶。
こうやってどんどんオンラインにしちゃうべきだと思う。
もちろん現地ではインスタレーションとしての楽しみ方もあるんだし、損なわれることもないかと。
あと、90分超えるのは家でも無茶なので劇場でやってほしい。。。
今回のオンラインでもレヌ・サヴァントの「ミリャでの数ヶ月」なんて231分ですよ。。。無理。
とはいえ、会場で気になりつつスルーせざるを得なかった作品がちゃんと観られたのは本当にありがたい。
新井卓の映像も長くはないけど、最後まで見てなかったので、最後の終わり方びっくり。
パク・チャンキョンの「遅れてきた菩薩」やアントン・ヴィトクルの「宇宙市民」も面白い。
ナイーム・モハイエメンの「溺れぬ者たちへ」は映像美にため息。
等々、ほぼ1日仕事になったけど、楽しく観られました。
ヨコトリも11日に無事閉幕して本当に良かった。
カタログ、歴史の記録として期待して待ってます!
関連記事>>ヨコハマトリエンナーレ2020 @ 横浜美術館、プロット48

ついでに、ヨコトリ関連でBankARTの川俣正と黄金町バザールも見ました。
川俣正は模型相変わらずかっこいいものの実際のインスタレーションは時代を感じて残念。。。
黄金町バザールはちょっと学生のノリみたいでついていけませんでした。。。




あとは映画ですね。観たい映画が多すぎて追いついてません汗
中でもアート好きが注目してたのはゲルハルト・リヒターの半生を描いた「ある画家の数奇な運命」。
邦題が死ぬほどダサいのが辛い。。。
英題は「Never Look Away (目をそらさないで)」。映画中にリヒターの叔母が言う台詞ですね。
原題は「WERK OHNE AUTOR (作者なき作品)」。映画の最後、リヒターの作品の特徴を言い表す語。
とにかくリヒターの半生です。
23区内だと日比谷シャンテしかやってなくて、しかも3時間。。。ハードル高し。
何とか見終えたけど、やはり何となく物足りなさが。。。
そもそもどこまでが本当の話なんでしょうか?
前半の叔母がナチスに殺されて、その死のきっかけを作ったのが養父ってのは?
あと、ベルリンの壁が建設される直前に東から西に移るの結構あっさりだったけど?
後半のデュッセルドルフの光景はアートファンならニヤッとするかも。
ボイスが出てきたり、ポルケやユッカーも。ポテトの作品作ってたのは誰だろう?
あと、監督のインタビューでめちゃびっくりしたのが、今回リヒターのフォトペインティングを実際に描いてもらったのがアンドレアス・シェーンと言う人で、この人当時実際にリヒターの絵を描いてた人らしく、映画で使われた絵はある意味「オリジナル」と言うこと。
どう言うことかと言うと、一時期リヒターはウォーホルの「ファクトリー」に憧れてて(意外すぎる)、アンドレアス・シェーンを安い時給で雇ってフォトペインティングをひたすら描かせてたとか。。。
その時期のリヒター作品には有名なロウソクの絵(確か川村記念美術館での個展のポスターにもなってた)とかはアンドレアス・シェーンの作だとか。。。ヒエェ。。。
映画の中には冒頭の「退廃芸術展」等、色んな絵が登場するのも見どころ。
リヒター好きは観ておいてもいいとは思いますね。
劇団チョコレートケーキ「無畏」 @ 下北沢・駅前劇場
コロナ禍の中5ヶ月ぶりの舞台。泣ける。。。
検温・消毒・マスクは勿論席数も大幅に減らし、最前列は舞台から2mの距離+フェイスマスク。
これがニューノーマルかと思うと眩暈がするけど再び一歩を踏み出した劇団に喝采を送りたい。
場所は下北沢の駅前劇場。
ちょうど前日に映画「劇場」を観ていて、そこで出てくる劇場も駅前劇場。
そこでは満員の観客が映し出されていて、その差異がより鮮明に映る。
(映画自体は微妙。。。)
僕は最前列で、フェイスマスクをつけての鑑賞。特に気にならず。
内容は松井石根、大アジア主義、南京大虐殺、東京裁判…。
またまた重いテーマだが、終始目を見張る舞台で素晴らしかった。
松井石根という人物は、名前こそなんとなく聞いたことのあるものの、どういう人物か舞台を観るまでよくわからなかった。
観ていくうちに彼の思想が沁み入っていくような感覚を覚える。
孫文を敬い、彼の大アジア主義の理想を信じ、蒋介石の協力を仰ぐも無下にされ、結果その牙城である南京を攻め入り、あの南京大虐殺が起こる。
アジアを一つに欧米列強からの自由を掲げたのに、むしろ中国人を苦しめる結果となった。
結果的に東京裁判ではその責を問われB級戦犯として1948年に死刑となる。
西のアウシュビッツとは規模が違うが、それでも日本人があの日中戦争で犯した罪は一生消えない。
劇中では彼はそういった志高い人徳者のように描かれるが、全くと言っていいほど同情できなかった。
戦争は人を狂わせるし、不合理な感情が優先されてしまう。
あの暴走は、例え部下達が勝手にやったことだとしてもそこに火をつけたのは間違いなく松井本人。
日本の敗戦を決定付けたあの長崎の原爆投下の日にこの舞台を観られたのは意義深かった。
色々問題はあるものの、彼の「アジア人」としての精神は学ぶに値する。
終戦から75年経った今でも、彼の大アジア主義の理想なんて程遠い。
むしろ溝は益々深まるばかりで、日本は没落の一途をたどっている。
コロナが収束した後、世界はどうなってしまうのだろう。
会場のチラシの束の中に、劇団の次回公演のチラシが入っていて、来年2月に新作を発表予定とのこと。
新作は、今回の南京大虐殺が起こる最大のきっかけ、日中戦争を長期化させてしまった時の内閣近衛文麿を描くそうで楽しみすぎる。。。
この先どうなるかわからない中、それでもボールを投げ続けるこの劇団の姿勢にただただ感服。
今回の舞台も、劇場の他に、オンラインでも配信していて、スタンダード版 (客席からの視点で作品を視聴できる、一般的な映像)と、俳優1人にボディカメラを装着して撮影したアクターカメラ版 (登場人物の目線で作品を楽しむ、カスタム映像)を用意している。
僕はやはり舞台の生の臨場感が好きで、今回もそれをたっぷり堪能できたのだけれど、このオンライン、特に後者のアクターカメラ版は非常に気になる。
劇場の劣化版にするのではなく、別のオプションをつけることで劇場でも味わえないスペシャルな体験を用意するという発想は素晴らしい。
今後の演劇のあり方の一つの指標となるかもしれない。
秋に始まる地点の新作もオンライン版があって、僕は劇場もオンラインもどっちも申し込む予定。
さらに劇団チョコレートケーキは、自粛期間中に過去作の映像を期間限定で無料配信してくれた。
これもファンを増やす大きなきっかけを掴んだかもしれない。
実際予告をアップしているYouTubeチャンネルは今回の配信で登録者数がめっちゃ増えたそう。
僕は実際に劇団チョコレートケーキを観たのは2018年の「遺産」からなので、今回で3作目。
過去作は再演されるのを待つしかないと思ってたら、なんと「ドキュメンタリー」、「60’sエレジー」、「追憶のアリラン」、「サラエヴォの黒い手」、「〇六〇〇猶二人生存ス」、「起て、飢えたる者よ」とBSで放送された「熱狂」、「あの記憶の記録」と、なんと8作もこの数カ月で観ることができて最高。
おかげでさらにこの劇団のファンになれた。
今回の舞台も感染拡大に気を払いながら演者スタッフ相当なストレスだったと思う。
それでも千秋楽まで届け切って下さった皆様本当に感謝しかない。
これからも応援させていただきます!
最後に、「あの記憶の記録」から印象的なセリフを。
「死んだ人間は喜びも悲しみもしない。
望むだと?
あんな風にみじめに死んでいった人間が何を望めるっていうんだ?
気安く彼らの気持ちを代弁してくれるな」
この演目はイスラエルを舞台にして、ショアー(ホロコースト)を生き残った世代とその後の世代の分断を描いています。
ショアーの記憶を語り継ぎ、イスラエルを守ることこそが犠牲となったユダヤ人の望みでもあると訴える戦争を知らない若い女教師にショアーを生き残った人物が言い放ったのが上記のセリフです。
第二次世界大戦から75年が経ち、日本も戦争を知る世代はいよいよ減るばかり。
戦争の醜さは、戦争を知らない者にとっては想像するしかなく、その想像が暴走する様と今まさに我々は対峙しています。
死者を代弁することは誰にもできないし、そんな権利誰にもありません。
むやみに過去の憎しみを増幅させず、その醜さを刻むことは容易ではないでしょう。
それでも我々はやっていかないとまたあの歴史を繰り返すことになる。
改めてこの演目は問うているようでした。
劇団チョコレートケーキ:http://www.geki-choco.com
地点「罪と罰」@ 神奈川県立青少年センター
各種イベントが中止・延期になる中、奇跡的に上演された地点の新作!
なんとサンクト・ペテルブルグにある国立ボリショイ・ドラマ劇場からの依頼で制作されたという本作。
しかも題材はあのドストエフスキーの「罪と罰」!
もう期待するしかありません。如何しようも無い。
しかし本場のロシアから依頼を受けるなんてすごいとしか言いようがない。
この演目は、日本で地点メンバーによる公演後、国立ボリショイ・ドラマ劇場のレパートリーとして現地の俳優たちによって演じられていくようです。それはそれで観てみたい。
さて、今回何と言っても嬉しかったのが、河野早紀さんが復活してること!
一体いつ以来なんだろうか。。。
やはりあの独特の存在感は唯一無二。
いつ以来なんだろう。。。産休かなんかだったのかな?今回だけ特別?
個人的にはまた今後も河野さんを観たいです。
今回やっぱり素晴らしかった。泣けた。
ただこの時期に咳の演出はどうかとw
そして今回はなんと11人も俳優が出てます。
河野さん入れていつもの7人に加えて4人の客演。
スヴィドリガイロフ役の岸本昌也さんは前回の「三人姉妹」でも出ていて、この人は本当に素晴らしいと思います。
声が少し高くて地声でめちゃくちゃ通るし、所作がとても美しい。
今回、まさにその両方が遺憾無く発揮されてました。
それにしても、これだけ演者が多いと地点のポリフォニーが増大していてもう大変笑
あらゆるセリフが他の演者のセリフに干渉して、誰が誰かごっちゃになる様は圧巻。
役柄は皆それぞれあるけれど、それが溶け合う瞬間が多々あって、それがたまらない。
そして、その溶け合いとは裏腹に、役者同士が指を指しあったり、石田さん演じるルージンが誰か(自分も)を名指す時にいちいちする一連の動作など、アイデンティファイする場面もあったりで、いつもながらかなり複雑な構造になってます。
僕はドストエフスキーが大好きだし、特に「罪と罰」は初めて読んだドストエフスキー作品で、あまりの面白さに衝撃だったのもあって、個人的に好きなラスコーリニコフとポルフィーリイの鬼気迫るやり取りをもっと観たかったな、というのはありました。
今回はそこよりもむしろ、ラスコーリニコフの歪んだ倫理観が強調されてる気がしました。
舞台装置や衣装も素晴らしかったけれど、なんだかもう一捻り欲しかったかな。
同じくドストエフスキーの「悪霊」をやった時のような、演者を苦しめる雪や走り、柔道のような衣装による一本背負いなど、そういう捻りが今回少なくて、結構シンプルだったので。
とはいえ、地点とドストエフスキーが再び観られて感無量。
こうなったら「白痴」、「未成年」、「カラマーゾフの兄弟」と、ドストエフスキー5大長編を極めてほしいところ。。。
代表の三浦さんも京都のロームシアターの芸術監督に就任されたことだし、ますます活躍が楽しみすぎます。
例の問題も心配だけれど、次回作(10月のKAAT?)も期待しております。ついていきます!
ちなみにこの演目はこのあと京都へ。3/20-22の3回公演。関西の方はぜひ!こちら。
「ねじまき鳥クロニクル」@ 東京芸術劇場プレイハウス
マームの藤田さんが関わってるってことで行きました。
そもそも大好きな村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」だし。
しかし蓋を開けたら、藤田さんはあくまでサポートで、メインはイスラエルのインパル・ピント。
やはり藤田貴大の「ねじまき鳥」観たかった。。。
とはいえ、あの長大な物語をほとんど余すことなく取り入れてたのは感心しました。
内容も、歌にダンスに演劇に、インタージャンルな内容でそれはそれで楽しめました。
興味深かったのは、主演が二人いて、二人とも全然似てないところ。
主人公の岡田トオルは誰でもあり得るという隠喩なのかな。
確かに彼って主人公なんだけど没個性的ですもんね。
村上春樹作品の主人公って大体ヒロイックな人いないけれど、この人は特に。
二人のくんずもつれつのパフォーマンスはすごかった。
そして僕的白眉は吹越満演じる間宮少尉。
あのノモンハンの語りどうするんだろう、とこの演目で一番気にかかってたパートで、見事にあの超長ゼリフを動きも含めて演じられててすごすぎた。読むだけでも大変なのに!しかも途中逆さになってたりしてたし笑
あと音楽も大友良英で、3人のみで演奏されててただただすごい。
オケピが舞台に向かって右にあって、そこもちゃんと観たかったな。
ちなみにこの舞台は新型コロナの影響で途中で中止になってしまいました。。。
前半で観ておいてよかったけど、後半の人は御愁傷様です。
本当に何があるかわからないですね。。。
藤田さんはこの夏マームで伝説の「COCOON」を再演とのことで大期待してます!楽しみ!
劇団チョコレートケーキ「治天ノ君」 @ 東京芸術劇場 シアターイースト/藤田貴大「蜷の綿(になのわた)- Nina's Cotton - / まなざし」 @ 彩の国さいたま芸術劇場
こんなに泣いた舞台人生で初めてでした。
劇団チョコレートケーキは前回の「遺産」以来2回目。
前回の731部隊に続く今作のテーマは大正天皇。
劇団名とは裏腹に相変わらず重い。
といっても今回の演目は2013年、2016年に続く再再演らしい。
それほど評価された演目なだけあって、本当に素晴らしかった。
まず舞台にはレッドカーペットとそれに続く玉座のみというシンプルな作り。
時代が交錯しながら大正天皇のお妃節子皇后が語り部となり舞台は進む。
大正天皇。はっきり言って全くもってイメージがなかった。
そもそも大正は15年しか歴史がなかったし、人々の忘却の彼方に消えてしまっても仕方ないといえばそうなのだけど、この物語の中ではむしろ積極的に「消された天皇」として描かれている。
というのも、この天皇はお世辞にも優秀なお人ではなかったようで、実際彼は側室の子として生まれ、病弱ゆえ学業も留年し、ついには学習院を中退してしまう。
その後この舞台でも重要な登場人物となる有栖川宮威仁が個人教師となり、彼に大きな影響を与えることになる。
しかしその有栖川も病のために個人教師を退くことになるが、妻節子と仲睦まじく暮らし、彼は一夫一妻を貫いた最初の天皇となる。
彼の元には4人の男の子が生まれ、その長男が後の昭和天皇裕仁。
物語の中で大正天皇嘉仁は父である明治天皇にも息子にも冷たくあしらわれる。
何と言っても肝になるのがこの大正天皇のお人柄。
主演を演じた西尾友樹の演技が素晴らしすぎて、一瞬で虜になってしまった。
先の明治天皇と打って変わって朗らかで友好的。
最後、脳を患いながらも懸命に天皇であろうとする姿には心打たれまくった。
宮内庁はそんな彼を「恥」として、彼の死後、すっかり葬り去ったというのが結末。悲しい。
その姿を見ていて思わず明仁上皇とダブらせてしまった。
この物語がどこまで事実に基づいているのかはわからないけれど、国民のことを慈しむ態度や妻を愛する様子が、ものすごくダブってしまって途中途中で涙が本当に止まらなくて困った。
賛否両論あるだろうけど、僕は明仁上皇と美智子皇太后が本当に好きなんですよね。
あの人達のことを思うだけで涙が溢れてくる。
愛国とか右だとかそういうの関係なく、僕は純粋に天皇というこれまで千年以上も培われてきた制度が好き。
物語の中で、明治天皇と昭和天皇の類似性が垣間見られて、隔世遺伝的に大正と平成がまたリンクしている気がする。
奇しくも明治天皇の誕生日11月3日が文化の日、昭和天皇の誕生日4月29日が昭和の日として祝日なのに対して、大正天皇の誕生日である8月31日は祝日ではなく、平成天皇の誕生日12月23日は今年から祝日ではなくなったこともなんだか色んな思惑があるんじゃないかとすらこの舞台を見ながら思ってしまった。
そもそも「令和」が発表された時にその名に昭和の「和」が入ってることが発表当初から気になっている。
是非令和には大正平成の精神を受け継いで欲しい。
なんだか物凄く考えさせられる内容だし、純粋に悲劇として美しい。
物凄く優れた演目でした。あー泣いた泣いた。
来年は孫文や蒋介石とも親交のあった日本人松井石根がテーマらしい。また重そう笑
藤田貴大「蜷の綿(になのわた)- Nina's Cotton - / まなざし」 @ 彩の国さいたま芸術劇場

藤田貴之が蜷川幸雄の半生を戯曲化した「蜷の綿」。
蜷川の生前本人が藤田に脚本を依頼し、蜷川本人が演出するはずだった舞台。
しかしその上演は叶わぬまま蜷川は帰らぬ人に。
あれから三年半の後、なんとついに実現することに。
正直僕は蜷川幸雄という人物にほとんど関心がない。
昔ロンドンで彼の演出したシェイクスピアの「コリオレイナス」を観て、もう観なくていいなと思った。
しかし今回はあの藤田貴大。
蜷川本人から依頼されるという大役にどう挑んだのか興味があり、行ってみることに。
ところで公演内容に「リーディング公演」と書かれていて、何のこと?と思いながら、蓋を開けたら皆が台本持ちながら演じていてとても新鮮。
舞台には蜷川幸雄が創設したさいたまゴールド・シアターという55歳以上の俳優のみからなる演劇集団と、さいたまネクスト・シアターという若手演劇集団が登場して、総勢40名ほど。中には車椅子のメンバーも。
まず青年期の蜷川の独白から始まり、舞台の奥の奥からぞろぞろとその集団が歩いてくるシーンは圧巻。(最後は同じく去っていく)
そして階段が現れて、ギリシャ劇のコロスよろしくコーラス隊のようにメンバーが並び、ポリフォニーとなって舞台が形成されていく。
この声の重なりが素晴らしくて、ひたすら酔いしれた。
今回演出は蜷川幸雄の演出助手を務めていた井上尊品なんだけど、藤田演劇お馴染みのチャプターごとに話が進んでいくし、同じシーンの繰り返しリフレインも登場する。
前述の通り僕は蜷川幸雄自身にはほとんど興味ないので、内容はそこまで興味ないんだけど、この演出とメンバーたちの熱気に2時間50分もある舞台もあっという間に感じられた。
何より、蜷川幸雄という一人の人物を愛した人々が繰り広げるのだから、もう舞台には愛しかなかった。
そして客席もほとんどが蜷川のファンであろう人たちで埋め尽くされているのでそこにも愛しかない。
こんなに愛に包まれた舞台は初めての経験。
最後は全員スタンディングオーベーションで、メンバーは堪えきれず泣いてる人もいた。
この日は蜷川幸雄の誕生日。
最後はみんなでバースデーソングを歌っておしまい。泣ける。
その後トークがあったんだけど、もう一つの舞台「まなざし」が別会場であるので、ギリギリまで聞いて会場である第稽古場へ。
こちらはマームのメンバーが繰り広げる藤田の舞台。
蜷川の「まなざし」をテーマに作られた新作。
まあ、いつもの通りで正直なんの新鮮味もなくて蛇足だったように思う。
直前の「蜷の綿」が凄すぎただけに少しがっかり。
それにしても悩んだ末来てよかった。
今回3日間のみの舞台だったので、ぜひ再演して欲しいと思う。
蜷川幸雄に興味ない僕でも感動できる凄まじい舞台でした。
次回の藤田貴大演出の舞台はなんと「ねじまき鳥クロニクル」!
僕の大好きな小説をどう料理するのか楽しみしかない!!!