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ローザス 「ファーズ―FASE/時の渦―Vortex Temporum」 @ 東京芸術劇場



ローザスの演目を二つも観てきました。
一つはローザス初期の代表作「FASE」。
スティーブ・ライヒの4つの音楽を元に、アンヌが卒業制作に作ったという初期も初期のダンス。
まさかとは思ったけど、やはり今回もアンヌ本人が踊ってくれました。
この作品が1982年だから御歳50歳半ば。素晴らしいダンスでした。
ローザスのメンバーである池田扶美代さんもツイートしてましたが、本当にこの作品は彼女の一部。



それにしてもローザスの初期のダンスって、女性しか踊れないダンスのくせに全くセクシーじゃない。
その次の「Rosas danst Rosas」なんかは男性を寄せ付けないぐらい強いダンスやし。
フェミニズムでもないんだけど、性差を超えていながら女性の女性のための女性によるダンス。
普通生身の女性が身体使って表現するんだから、少しはエロスを発するものだけど、本当に皆無だった。
男性に対する媚が全くないんですよね。
この相反するエレメントを両立させているバランス感覚がすごい。
今回はライヒの音楽に合わせている分しなやかさがあってとても素晴らしかった。
特に冒頭Piano Phaseの二人のダンサーが回りながら少しずつズレてって最後合うやつスリリングですごすぎる。(わかる人にはわかる笑)
2年前の「Drumming」は観に行きたかったなぁ。。。死ぬ前に観たい。

そしてもう一つは「Vortex Temporum」。
2013年の作品で、以前ベルギーでこれを断片的に「展示」として見せた「Work/Travail/Arbeid」という作品は観たけれど、ようやく本編が観られるというのでとても期待していました。
こちらもFASE同様、ベルギーのイクトゥスの演奏に合わせて踊ります。
舞台には演奏者7人とダンサー7人。
んー、しかし最初から最後までこの作品の構造が掴みきれないまま終わってしまった。。。
すんごい緊張感の中、何のことかわからないまま観るのはちょっとキツかった。
多分もうひと押し解説があれば楽しめたと思うんだけど、残念でした。

しかしローザスのダンスが日本で2つも一気に観られるなんて最高ですね。次はいつだろう。
この2公演はこの後愛知でもやるみたい。是非。

<関連記事>
Rosas 'Golden Hours (As you like it)' @ Les Théâtres de la Ville de Luxembourg
Anne Teresa De Keermaeker 'Work/Travail/Arbeid' @ WIELS
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ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踏団「NELKEN -カーネーション」 @ 彩の国さいたま芸術劇場



ピナの「カーネーション」を観に埼玉へ。
会場やその道中の会話でちらほら前週の香港公演を話題にしてる人をちらほら。僕だけじゃなかった!
次週のソウルも行く人多いのかもしれませんね。さすが。。。

さて、「カーネーション」。1982年初演のピナの代表作の一つ。前からずっと見たかった!
ステージには無数のカーネーションが咲き誇っていて、開演前からテンションが上がります。
舞台がスタートすると、椅子を持った演者たちが登場。案外カーネーションは倒れません。
何人かの演者が客席に降りてきて、お客さんを拉致!早速シュールすぎる笑
その後すぐにお客さんは元の席に帰されるんだけどその間何があったのか気になる。。。
そして有名な「The Man I Love」の手話。
この舞台は音楽の選択が本当に素晴らしい。
ところどころで流れる音楽とカーネーション、ダンス。夢の中にいるみたいです。
机の上で踊るダンスや椅子の上で踊るダンス。ダンスの概念が大きく広がっていきます。
最後の「春夏秋冬」ダンスは、お客さんをも巻き込んでみんなでダンス。楽しかった!
これだけ笑えて笑顔になれて最高にかっこいいダンスピースってやっぱりピナぐらい。本当に唯一無二です。
また、伝統的なバレーの動きを一つ一つ見せるシーンや、ダンサーがダンサーになったきっかけを語るシーン、高い足場から急ごしらえのダンボールに飛び込む場面など、もう印象的な場面だらけ。
あと驚いたのが、演者たちのセリフがほとんど日本語なところ。
多分上演する各国に合わせて毎回言葉を変えてるんだろうけどすごい。
結構複雑な日本語を喋っているのでただただ感心するばかり。
こないだ香港で観た「カフェ・ミュラー」と「春の祭典」はセリフがないので存分に楽しめたけど、これが逆に「カーネーション」を香港で観てたら、セリフが全くわからずここまで楽しめなかったかも。。。日本で観れてよかった!
こんなてんこ盛りな2時間とても幸せな時間でした。
とはいえ舞台中は容赦なくカーネーションたちは踏みつけられ薙ぎ倒され、とても甘い悪夢を見ているよう。
最後にはほとんどのカーネーションが倒れたステージが出来上がっていました。
次は「パレルモパレルモ」が観たい!(最終的には全部観たい)

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Tanztheater Wuppertal Pina Bausch "Café Müller & The Rite of Spring" @ 香港文化中心





今週末埼玉でやるピナ・バウシュの演目「カーネーション」を観に行くんですが、その前に、昔からどうしても観たかった「カフェ・ミュラー」と「春の祭典」が香港でやるってんで飛んで行ってしまいました・・・我ながらフットワークが鬼軽い。。。
今回ピーチで大阪-香港間がなんと往復14000円!大阪ー東京間の新幹線片道とちょっとの値段で行けちゃう。
初香港。前から行ってみたかったけど実際素晴らしい街でした。ソウルより台北より好き。カオスな喧騒とオシャレなセントラルが共存していて、「ブレードランナー」のような映画の世界観。
元イギリス領なだけあって英語もかなり通じるし、治安も良好。親日ってのもびっくり。店にあるお菓子とか日本のものがたくさん普通に置いてあるし、日本語も結構見かけました。
気温も暖かくて日本の寒さから逃避できました。かなりの霧で百万ドルの夜景は拝めませんでしたが。。。
それはさておき演目です。

まず「カフェ・ミュラー」に関しては、やはりピナの不在を痛感しました。
実際僕は、ピナが在命中に見たのは遺作となった「フルムーン」だけで、それ以降いくつか観てますが、特に違和感を覚えたことはありませんでした。それだけヴッパタール舞踏団がピナの意思を忠実に受け継いでて、ピナ亡き今も精力的に動けてるのは一重に彼らの努力に他ならないし、そのことに感動します。
ただ、「カフェ・ミュラー」はどうしてもピナ自身がダンサーとして踊ってる印象が強すぎて、彼女が舞台の上にいないという不在感が、観ていてとても重くのしかかってしまいました。。。
確かに当時と同じようなダンサーたちを選んではいるものの、もはやコスプレにしか見えない。
どうせだったら全く違う体型や髪型のダンサーでもいいのかもしれませんが、バランスが難しいですね。
「カフェ・ミュラー」に関しては、その再現性の難しさを強く感じてしまいました。

しかし次の「春の祭典」は前半のがっかりを軽く吹き飛ばしてしまう力がありました。
こんなものを知らずに生きてきてたなんて。。。と思うぐらいすごかった。
ダンサーたちが文字通り泥まみれになりながら踊り狂う様は、観ていて息がつまるほどのインパクト。
ダンサーたちの荒ぶる息遣いも聞こえてくるし、ステージに敷かれた土が舞う様も鼻につく。
ここまで五感をフルに覚醒させるようなステージを今まで見たことなかったです。
これは生で観ないと本当に意味のない作品だと思いました。言葉になりません。
最後、赤いキャミソールを着た小柄なダンサーが踊り狂うんですが、もう片方の胸が出ちゃってて、すごいなぁと思ってたら、これ演出的に片乳はみんな出してるんですね笑
最後はもちろんスタンディングオーベーション。
泥にまみれたダンサーたちの姿が本当に輝かしかった。
香港まで観に来て本当に良かったーーー!!!
にしてもYouTubeで両作品共全編通して観れちゃうなんてすごい時代ですね・・・。


香港のアートシーンは、まだまだって感じでした。
確かにガゴーシアンを始めとする大きなギャラリーもあるし、今月末にはアートバーゼルもあるけど、何といってもこれといった美術館がないのが痛い。
やはり数年後に開館するであろうM+を待たないとですね。開館したらまた行こう。
てことで、ギャラリーや美術館はイマイチですが、NPOやインディペンデントが熱いです。
特に今回行った中で、Asia Art Archive(AAA)Things that can happenは面白かった!
特にAAAは凄かった。
アジアアートに関する資料が揃った会員登録すれば誰でも入れるライブラリーがあって、そこの蔵書の豊富さはすごいです。リサーチャーにはたまらない施設ですね。日本にも欲しい。
それこそ日本の本たちもたくさんあったし、ウェブに載ってる情報までプリントアウトしてストックしてある。
Things that can happenは、九龍側の深水埗っていう超ディープな電気街にあって、知り合いに聞いたらそんなとこ観光客は行かないって言われました笑
インディペンデントならではの自由さがあって、行った時にやってた楊季涓の個展が良かった。
スタッフもフレンドリーで英語が達者で説明も丁寧にしてくれました。
近くにもう一つ百呎公園ってとこもありましたが、こちらは今ひとつでした。
ちなみに香港アート情報はartscapeのこの記事を参考にしました。


香港、また行きたいです!

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地点「ロミオとジュリエット」@ 早稲田大学大隈講堂



なんだか上京の理由がほぼ地点の新作公演のためになってる。。。
9月には「みちゆき」と「ブレヒト売り」、11月には「ヘッダ・ガブラー」、そしてこの「ロミオとジュリエット」。
ほぼ毎月と言っていいほど新作を発表し、さらにその間も休むことなく過去作品を上演。
一体この人たちはどうなってるのか。。。理解が追いつかないほどの過酷すぎるスケジュール。
それでも毎回作品の質は落ちるどころか、確実にスマッシュヒットを決めてくる。
僕はただただフォローするだけで必死であります。

そんな彼らの「ロミオとジュリエット」。
過去にシェイクスピアは「コリオレイナス」を上演しているけれど、あれもすごかった。一生忘れられない舞台。
にしても「ロミオとジュリエット」。
知らない人はいないんじゃないかというぐらいこの有名な演目をどう地点が演じるのか。
さらに今回は「ファッツァー」「ミステリヤ・ブッフ」に続く空間現代とのコラボ。期待しかありません。
僕は戯曲に関してはほとんど知らないし、正直ブレヒトもチェーホフもイプセンもほぼ無知。
そんな知識のない僕でも地点の舞台にはぐんぐん吸い寄せられてしまう。
僕でも知ってる「ロミオとジュリエット」がどんな風に見えるのか楽しみすぎました。

会場は早稲田大学の大隈講堂。
1927年竣工後、重要文化財にも登録されてるスーパー建築。
早稲田といえばこの大隈講堂を連想する人も多いはず。
かくいう僕は早稲田大学初潜入でしたが広いのなんの。規模が僕の大学と桁違い。。。
いざ大隈講堂は本当に素晴らしい建物で、中はリニューアルされて新しくなってるものの、外観やところどころのディテールはそのままで入った途端にシュッとした気持ちになりました。
こんな立派な舞台で地点が観られるなんて感動。

さて、「ロミオとジュリエット」地点ver.はやはりすごかった。
これが「ロミオとジュリエット」!?っていうぶっ壊しっぷりと、相変わらずわけがわかんないのに話の悲劇性が頭じゃなくて体に沁みてくる感覚はすごい。
今回も地点の団員さん(小林さんと小河原さん)が上演前にお客さんを席に誘導という演出w
「かもめ」でも上演前に安部さんがお茶をいれてくれたりするけど、素敵な演出ですね。
舞台上にはいかにも滑りそうなスロープの舞台。
「光のない。」や「スポーツ劇」でも坂は登場しますが、演者さんには身体的にかなりキツそう。。。
実際ジュリエット役の河野さんとロミオ役の田中さんは、手をついて三伏横飛びしながらセリフ言うっていうかなり無茶なことやってて、あれで息切れせず、台詞も飛ばずにやってのけるのは凄すぎる。。。
ところで田中祐気さん、地点の大きな舞台によく助っ人で参加するけど、もう地点に入っちゃえばいいのにと思っちゃうのは僕だけ?出たら主役クラスの役を与えられてるし。
それはさておき「ロミジュリ」。
構成はさっきのロミジュリの二人の他に、4人(石田さん、小河原さん、窪田さん、小林さん)が神父(?)、で安部さんがストーリーテラー(?)なのかな。相変わらず構成はわかりにくいですが、少なくとも恋的のパリスは登場しなかったように思います。
安部さんのアジテーションにも近い叫びは相変わらず圧倒されます。
それに空間現代の演奏が加わり、その度にセリフは強引に中断されます。
上演中は、結構笑いが起きたりして、途中まで喜劇色が強いんですが、いつの間にか後半悲劇になっていて、ロミオとジュリエットが代わる代わる死んだり蘇ったりする展開はかなり狂気です。
死んだロミオの手を掴んで三伏横飛びしながら引っ張るジュリエットの姿は本当に悲劇的。
変な喩えですが、子供が死んだことに気づかないまま抱き続ける猿を見ているような感覚。
動きはコミカルなのに、目の前で起こっていることは残酷。
このギャップに心が締め付けられるような感覚に襲われます。
最後は二人が息絶えて、上演前から照らしていた二つの丸い照明が一つになり月のように空に浮かぶという演出。
舞台演出は本当にシンプルで、ひたすら地点と空間現代の身体が舞台上に放り出されてる印象。
これだけ有名な演目も、すっかり地点色に染めてしまいました。素晴らしい。
こんなすごい舞台2日間だけしかやらないなんて。。。
その後はさらに早稲田小劇場ドラマ館で「CHITENの近現代語」を上演らしい。凄すぎる。
4月には恒例のKAATとの新作舞台「忘れる日本人」が。
なんと昨年地点の三浦さんも審査員として参加した戯曲賞で大賞を受賞し、地点が演じた「みちゆき」のあの松本俊太郎さんの原作。この「忘れる日本人」は地点の発行している雑誌「地下室」にも連載されていて、すごいコラボレーション。
そもそも松本さんが戯曲を書き始めたのは、地点のカルチベートプログラムという、レパートリー作品を見てエッセイを書くというプログラムに参加したのがきっかけ。
地点から始まった松本さんと地点が、KAATという大舞台で花開きます。これも楽しみ。
4月、また横浜まで参ります。。。
3月は埼玉でピナバウシュ、5月は東京でローザス。。。
最近東京方面に来るときはほぼ舞台関係。観たい美術展もそんなになくなっちゃった。
今回も1つも観てません。
妹島さんの葛飾北斎美術館は気になったのでやっと行けた。
その日の両国は、ちょうど稀勢の里が優勝した日で盛り上がってました。
普通にお相撲さんが歩いてて不思議な光景でした。。。

維新派「アマハラ」@平城宮跡維新派「アマハラ」@平城宮跡



維新派最後の舞台へ。。。
(ネタバレになるので続きは以下)

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地点「みちゆき」 @愛知県芸術劇場



昨年の「茨姫」に続き、愛知県芸術劇場が主催する戯曲賞の優秀作品を実際に舞台化する企画の第二弾。
今回はなんと、以前地点のアンダースローでレパートリー作品を観てエッセイを書くというカルチベートプログラムに参加した松原俊太郎さんが受賞しました。
自分の書いた戯曲が実際に舞台化されるなんて。しかも演じるのは地点。贅沢な賞です。

たった4日間のみの舞台にはもったいないぐらい素晴らしい内容でした。
今回は映像作家の伊藤高志氏とコラボレート。
舞台上の2つの幕に映される映像。そしてその幕越しに現れる演者の「影」。
そう、実際の演者の姿は舞台中盤まで現れることはありません。すごい。
唯一石田さんだけが「実像」として現れます。
彼が「あっち」と「こっち」を行き来し、「あっち」から「こっち」に出てこようとする「影」を無理やり引き戻します。
しかしいつの間にやらミイラ取りがミイラになるように、影達はいつの間にか「こっち」に出てきて、石田さんは影になってしまいます。
唯一河野さんだけが最初から最後まで影のままでいます。
河野さん以外が全員「こっち」に出てきた場面で、「あっち」では全員分の影が投影されていて(実際は河野さんだけが本物の影)、映像の世界と現実の世界がごっちゃになる様は圧巻。
さらに最後は暗転して全てが影の世界になってしまうという構造があまりに見事で鳥肌が立ちました。
映像が「影像」だった頃の起源にまで抵触しているようで、本当に興味深かった。
プラトン洞窟のように、我々は影を見てそれを真実だと思っているかもしれないけれど、たとえそうで何が悪い。
この虚実が極めて混ぜこぜになっちゃう感覚は凄まじい体験でした。
僕の最近の興味の「光」と「影」があまりにも見事な形で演劇になっていたのでかなり刺激を受けてしまった。
最近見た地点の中でダントツでよかった。もう一回ぐらい見たいけど、これは愛知の戯曲賞作品なので再演はなさそう。

ちなみに相変わらず舞台の内容はほとんど入ってこないんだけど(笑)、それでも見せ切っちゃうのはやっぱりすごい。(いいのか悪いのかわからんけど・・・)
こっからまた地点は新作を立て続けに発表します。
10月に「ブレヒト売り」、11月に「ヘッダ・ガブラー」、そして1月はなんと「ロミオとジュリエット」!
さらにレパートリーも上演したり、毎度ながらその人間離れしたバイタリティに舌を巻いてしまう。
これからもついていきます。

「垂乳女」 by 河瀬直美



Lumen Galleryで開催された河瀬直美映像個展に行ってきました。
Lumenは昨年に知人が始めた映像のギャラリーで、行きたいと思いつつ、めぼしい展覧会がないか待ってたらなんと河瀬直美のドキュメンタリー作品が一気に見られるというまたとない機会がやってきました。
会期二週間で今ある25作品全てを上映するという凄まじいプログラムです。
さすがに全ては観られませんでしたが会期中4回(1回は機材トラブルで観られず。。。)京都まで通いました。

まず最初に観たのは、学生時代からの初期作品を流すAプログラム。
彼女が映像という媒体に出会って、カメラを回すことが楽しくて仕方ないという新鮮なフィルムたち。
もちろん内容は「河瀬さんにもこんな時期があったのか」と思うほど荒いですがみずみずしいです。
というかここまで初期のものは今後観られる機会はほぼないかもしれません。貴重でした。

次に観たのが「影」と「垂乳女」を含むHプログラム。
特に後者の「垂乳女」はDVDにもなっておらず、いつか必ず観たいと熱望していたので嬉しかった。
「影」は自分と父親の理想の関係をなぞるような仮想劇で、Aプログラムにあった「パパのアイスクリーム」同様、気持ち悪いぐらい甘い父との関係に観ていて居心地が悪かったです。
そして念願の「垂乳女」は期待を遥かに上回るパンチのある映画。これは河瀬作品の中でも河瀬節が最も炸裂していると言っても言い過ぎではないでしょう。
冒頭から養母である宇多宇乃ばあちゃんの入浴シーンからで、老婆の裸を執拗に収めています。
そこには養母の刻んできた様々な年輪が映像に焼き付いていて、彼女の人生を見事に映し出しています。
石内都の大野一雄を撮った写真を思い出しました。
そして、河瀬さんの狂気を感じるまでの、宇乃さんに浴びせる罵倒も印象的。顔をしかめてしまうほど生々しい会話に胸がえぐられます。
次のシーンでは養母との仲直りがあってほっと心を撫で下ろすほんわかなシーンが。
「直美ちゃんはおばあちゃんのこと好いてくれてる?」
「直美が可愛くて仕方ない」
といった宇乃さんの台詞から、河瀬さんに対する深い愛情がこれでもかというほど映像から溢れ出ます。
それから、河瀬さんが心から欲しがっていた新しい家族、息子の出産シーン。
このシーンはこの映画の中で最も有名なシーンで、出産直後にいきなり「カメラ貸して!」と叫んで、自分でカメラを回し始める河瀬さんは本当に壮絶。
出産という営みが、生々しく映し出されていて、最後には息子と自分を結んでいた胎盤の一部を食べるという狂気的なシーンもあります。
映画の最初に赤い血に包まれた肉塊が映されてますが、これは胎盤だったんですね。
宇乃さんと赤ん坊が一緒に寝ているシーンは、河瀬さんがこの世界で最も大事なものが一つの画面に収まっているようで、本当に美しかった。
この映画はこの後「沙羅双樹」、「玄牝」へと繋がっていきます。

最後に「垂乳女」の続編と言える「塵」と韓国で上映され、日本初公開となる「AMAMI」を含むJプログラム。
「塵」はついに彼女を育ててくれた宇乃さんとの別れを綴る作品。
老衰が始まり、老人ホームに移され、日に日に弱っていく養母の日々が描かれます。
ここの老人ホームの感覚は、カンヌでグランプリをとった「殯の森」に繋がっていきます。
僕自身も、両親が共働きだったために幼い頃はほぼ祖母といる時間が長かったので、未だに両親より祖母の方が身近に感じてる大のおばあちゃん子なので、この映画は身を切られるほど観ているのが辛かった。
体の水分が全部出てしまいそうなほど泣きました。
が、作品としてはやはり「垂乳女」の方が圧倒的に強いです。
色んなことが整理できてない印象を受けました。もちろん彼女の本当に大事なものが永遠に失われる内容なので、整理なんてできるはずがないのだけれど、その混乱が作品にそのまま反映されてたように思えます。
そして、ずっと撮り続けていた養母亡き後に取られた「AMAMI」。
彼女のルーツである奄美大島に息子を連れてそのルーツを探るという内容。
この映画がショックを受けるぐらい弱かった。これまで観客を鷲掴みにして、半ば無理矢理自身の物語に道連れにしてきたあの強さがこの映画からは全くと言っていいほど感じられず、観ながらどうして自分はこの人の個人的事情に付き合わされてるんだろうという冷めた気分にまでなってしまいました。。。

今回いくつか彼女の原点でもあるドキュメンタリーを観て感じたのは、彼女の圧倒的な力を発揮できるゾーンが、彼女の半径1m以内だということです。
彼女にとって、カメラが肉化していて、「垂乳女」の出産のシーンに顕著なように、どんな時もカメラが彼女の目になっています。
そのため、彼女の目の届く半径にあるものを彼女に撮らせた時に、それがどんなに些細なものであっても、どんなに個人的なものであっても、圧倒的な力を持って観客の心を掴み、深く爪痕を刻むことができます。
彼女ほどカメラが自身の肉の一部になってる人は世界を探してもそういないと思います。
この力こそ、彼女を世界のトップに押し上げた原点だと強く思います。
しかし、そのゾーンを一歩でも出た時に彼女の力は驚くほど弱まります。
「AMAMI」を観ていて思ったのがそれです。
彼女の育った地元でもなく、会ったこともない祖先にカメラを向けた時、そこには何も映っていませんでした。
奄美大島で撮った「二つ目の窓」を観た時、正直河瀬さんがこの映画を撮る意味ってあるのかな?とさえ思いました。
「二つ目の窓」では、島を襲う嵐や、雄大な自然が映し出されます。
しかし、奈良で撮った蝶々の舞う姿や木がサラサラと揺れる様、太陽がキラキラ水面に映る映像に、この雄大な自然の映像は勝つことができません。
この感じはジャンルは違いますが宇多田ヒカルに似ているなと思います。
彼女がここまで人々の心を掴む歌が歌えるのは、彼女が自身の身を歌に刻み込んでるからだと思います。
ここまでボロボロになりながら歌う必要があるのかと思うぐらい痛々しい歌たち。
特に人間活動を経てかえってきて発表した「花束を君に」と「真夏の通り雨」は、自死という悲しすぎる結末を選んだ母親に対するレクイエムで、痛々しいほどの世界観で聴き手の心を震わせます。
話は逸れましたが、それゆえに宇多田ヒカルの「桜流し」を河瀬さんが撮った時には、あまりの共鳴に驚きました。
河瀬さんには彼女のゾーンをさらに研ぎ澄ませた先の世界を見せて欲しいなと個人的には思います。
今後どんな作品で世界をノックアウトするのか、楽しみにしています。
そして「垂乳女」と「玄牝」を是非DVDにして欲しい。。。

あと、今回の河瀬さんの映画や、前回の田中さんの展覧会を観て考えたのは、直接的な表現の持つ強さと弱さのことでした。
河瀬さんの「垂乳女」はこれでもかというぐらい直接的で、それは観客の心をまっすぐに突き刺す鋭さがあるのだけれど、その突き刺す角度が少しでもずれた時に簡単に折れてしまう諸刃の剣なんだなと思いました。
それは田中さんも同じで、彼の場合はそれまで隠喩的な方法論で作っていたものを、直接的な表現に変換してしまったことでズレてしまった感があって、水戸の展覧会に出ていた複数の人達がピアノを弾いたりする過去の作品はやはり何度観ても力があると思います。
この隠喩力っていうのが改めて鍵で、この力を最大に発揮してるのがフェリックス・ゴンザレス=トレスだと個人的に思います。
彼の場合、本当にどうしようもないぐらい個人的な問題を、圧倒的なセンスで隠喩的に表現して、誰にでも共感できる普遍的なものへと還元する力があります。
彼の作品は一見何でもないんだけど、時間をかけて確実に染み渡る感覚があります。
そういうものが作れたら本当に幸せだろうなぁと改めて考えさせられました。

<関連記事>
「につつまれて」by 河瀬直美
「朱花の月」 by 河瀬直美
「玄牝」 by 河瀬直美
「火垂」 by 河瀬直美
「確かなこと」:河瀬直美

マレビトの会「長崎を上演する」 @愛知県芸術劇場



マレビトの会を観に名古屋まで。
安い宿が取れなかったからって18きっぷで2回往復するという暴挙をやってしまった。さすがに2日目は頭痛。

それはともかくマレビトの会。
彼らは以前は京都を本拠地として活動していた劇団で、現在は東京(栃木?)が本拠地。
まだ彼らが京都にいた頃に知って、2010年に始まったKYOTO EXPERIMENTでもやってたんだけど、なぜか見逃したまま、気になりつつも一度も観たことがないまま今に至っていて、今回愛知でやると知って観に行った次第です。

彼らはその京都にいた頃から、都市をテーマに作品を作っていて、特に被爆した都市広島と長崎をテーマにして作品を作ってきました。
さらに2011年の原発事故を受けてそのテーマに福島も加わり、2013年にはF/Tで「アンティゴネーへの旅の記録とその上演」という舞台を上演します。
そしてさらに3年が経ち、昨夏「長崎を上演する」を初上演。
この舞台の面白いところは、幾つもの断章があって、それぞれに脚本を書いてる人が違うという点。
普通ひとつの劇団には代表するコレオグラファーがいて(地点だったら三浦さん)、彼を軸に回っていくんだけど、その軸をあえてブラして、それを一つにまとめていくというのがマレビトの会の特徴なのかも。もちろん代表に松田さんという方はいらっしゃるんだけど、彼が全ての軸ではないというのがなんとも不思議。
そして、舞台が何日にも及ぶというのもまた面白いです。
今年の初めに「ハッピーアワー」という映画について書きましたが、あれも何日かに分けて、一旦家に持ち帰ることで、映画館だけでは完結しない何かがあったんだけど、今回もそうでした。
しかも今回は遠方だし、電車の往復の中でも色々考えられました。

舞台はタイトルにもある通り長崎。
しかし、いわゆる被爆都市としての「ナガサキ」ではなく、現実の長崎。
もちろん原爆のことや戦争のことに触れるものもあるけれど、ほとんど関係ない物語が大半。
その物語が19にも分かれていて、しかもその物語の間と間はシームレスにつながってるので、前の物語が終わらないうちに次の物語が始まってるような展開は新鮮でした。
そして何と言っても舞台にセットらしきセットがないのが本当に異様。
あるのはパイプ椅子4つとあとはたまに出てくる箱ぐらい。
演者はパントマイムのように、ドアを開けたりコップを拭いたり物を避けたりする。
さらには、衣装まで物語内の設定とは違ったりするので、Tシャツの設定なのに目の前の演者はワンピース着てたり、観てる側も想像力をフルに働かしてみる必要がある。

この能動的な観客というのは、もちろん面白い主題だと思うけれど、これも前回の記事のMOTアニュアルのような、演劇内のドメスティックさに僕らまで付き合わさせられてるような感覚もあって、うーんと思うところもあった。
とはいえ、今回だけではなんとも言えず、やはり気になるので11月に東京でやるらしい「福島を上演する」を観てみることにしようと思います。

地点「スポーツ劇」@ロームシアター京都

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地点の新作の舞台を観に京都へ。
地点は昨年の8月の「茨姫」以降、11月の「ミステリヤ・ブッフ」に1月の「フィデリオ」と次々と新作を発表し続けていて、一応全て拝見しているけれど、よくもまあこれだけのものを短期間で作られるなと、ちょっと想像を絶しすぎる仕事量に呆然とする。
しかも同時並行でアンダースローでのレパートリーの演目もある。彼らは一体人間なんだろうかとすら思えてくる。
その新作群の中でも、この「スポーツ劇」はひときわ力が入っている。
何と言っても「光のない。」のメンバーが再び顔を揃える豪華絢爛な内容。
イェリネクのテキストに三輪眞弘の音楽、木津潤平の舞台美術、コレット・ウシャールの衣装、そして地点。
この3月は毎年横浜のKAATと新作を発表しているけれど、その時期とKYOTO EXPERIMENTがかぶさり、京都が初演という関西に住む人間としては喜ばしい出来事となった。
ちなみに昨年のKAATとのコラボレーション「三人姉妹」は観られず涙を飲んだので今回は楽しみで仕方なかった。
ということで以下ネタバレなので読みたい人だけどうぞ。

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テーマ : 演劇
ジャンル : 学問・文化・芸術

「ハッピーアワー」by 濱口竜介



2ヶ月ぶりの更新です。すっかり明けちゃいましたがおめでとうございます。
久々に何か言葉に残しておきたい作品に出会えたのでご紹介。
濱口竜介監督の「ハッピーアワー」です。

主演の4人が全員素人なことや、そんな彼女たちがロカルノ映画祭で主演女優賞を受賞したことを映画館の予告を観て知っていて気になってはいたのですが、なんせ上映時間が5時間17分という恐ろしい長さだったのでどうしようかと思いつつ、人に勧められて映画館に足を運びました。
結果的にそんな時間の長さなど全く気にならない、どころかもっと観ていたい、映画のタイトルの通りその時間は自分にとって確実に「ハッピーアワー」となりました。映画の内容は純粋に「ハッピーアワー」と言えるものではないのですが、、、。

映画は3部構成になっていて、映画館ではそれぞれ入替性になっています。
僕はさすがに5時間17分も一気に観られる自信がなかったので、まず1部だけ観て、別の日に2部3部を観ました。
結果的にこの分けて観るというのが、新鮮な映画体験になってよかったと思います。
というのも、1部を観て映画館を出た直後から、映画の続きの存在を感じながら日々の生活を過ごすことができたからです。
映画というのは映画館で一本見終わったら、そのまま余韻としてしか残りませんが、この映画は確実に僕の現実の生活に介入してきました。
せっかくだったら2部と3部も日を空けて観ればよかったと思っています。

映画の内容は、30代になって仲良くなった女4人の物語です。
彼女たちはどこにでもいる普通の女性たちです。
でもこの映画を観ていて思うのは、その「普通」って一体何なの?ということです。
当然のことですが、あらゆる人たち一人一人に物語があって、浅さも深さも軽さも重さも何もない彼ら自身の物語を嫌が応にも抱えて日々生きている。
その当たり前のことをこの映画は改めて突きつけてきます。
彼女たちは各々日々の問題を抱えながら生きています。
純のように離婚裁判に挑んでボロボロになっている人もいるし、何の波風もなさそうな専業主婦の桜子さえ子供や夫のことで相当なストレスを抱えていて、それらの問題はどれもこれも等価であるということ。
そんな人々を演技経験のない4人が演じていることにとても意義があると思います。
演技自体は本当にぎこちないんだけど、そのぎこちなさがこの4人が本当に存在しているかのようなリアリティがありありと伝わってくる。しかも舞台は神戸で、実際神戸はよく行く街だし、ロケに使われてるカフェも行ったことがあるところだったし、アートセンターも知ってるし、神戸のあの風景は子供の頃から知ってる。
今も神戸を歩いているとあの4人に会えるんじゃないかとすら思えてきます。
ちなみに昨年末に観た橋口監督の「恋人たち」も素人が主人公になっていますが、あの映画の場合「妻を通り魔に殺された男」という、そう多くないケースを演じているので、演技自体は確かに真に迫っているものがありましたが、あまりリアリティを感じられずに入り込みきれなくて残念でした。

僕の友人で映画はハッピーエンドじゃないと嫌という人がいます。
彼曰く現実はとても悲しいから映画の中ぐらいはハッピーエンドであってほしいとのこと笑
僕はハッピーエンドは嫌というわけではないけれど、やはり映画には現実以上に現実が反映さえていてほしいと思います。
映画には現実を映す鏡になってほしい。
映画だからこそ俯瞰して観られるし、そのことを現実にフィードバックできるような気をさせてくれる映画にこそ僕は魅力を感じます。
フィクションだからってフィクションであることに甘えた映画があまりに多い。
CGを駆使して幻想ばかり見せるハリウッドの映画が嫌いです。
そんな意味でこの「ハッピーアワー」はほぼ100点満点に近い映画でした。こんな感覚久々です。
この映画には、普通だったらカットするシーンがたくさん出てきます。
特に1部に出てくるワークショップのシーンは顕著でしょう。
ワークショップを最初から最後までほぼノーカットで映画の中で見せるなんてただ事ではありません。
しかしそれを最初から最後まで目の前のスクリーンで観ていると、まるで自分も参加してるような感覚になってきて、どんどん映画と客席の垣根が曖昧になってきました。 映画の中の彼女たちの1分が映画を観ている自分と同じ1分なんだと思うとなんだかとても幸せな時間だったように思えます。
さらに2部3部と進むにつれて、あのワークショップがこの物語にとってどれだけ大事なものであったのかが染み渡るようにわかってきて、そりゃ5時間17分にもなるわと納得せざるをえません。

あと観ていて痛感するのは男って駄目だなぁということ。
特に芙美の夫婦関係を見ていると身をつまされます。
波風を立てないために表面的な会話を重ね続けた結果、大転覆を起こしてしまう。
「いくつもチャンスはあった。あなたはすべて見逃した。」という芙美の台詞はとても重かった。
男は女の機微を絶望的に読み取れません。
桜子夫婦のケースも然り。男として見ていてつらいものがあります。逆に男は絶対見ておくべき映画かも笑
女性がこの映画見たらわかるわかるってなるのかな。
そういう意味で脚本が絶妙でしたね。5時間17分見ていて飽きさせないのはこの女性の微妙な気持ちをくどすぎるぐらい丁寧に描いたこの脚本の力は大きかったでしょうね。
あと音楽も素晴らしかった。音楽が邪魔になる映画は多いけど、本当に絶妙なバランスで鳴っていて気持ちよかった。
全体的にとても品のある映画だったと思います。

最後に気になった点は、カメラの撮り方が安定してなかったことかな。
有馬温泉の温泉のシーンではいきなり小津映画のように、全員がカメラ目線で台詞をしゃべらせたり、急にドラマチックな撮り方になったり、もっと安定した撮り方にした方がこの映画にはよかったのではないかと思います。
この長い映画に緩急をつけて観客を引き込もうという魂胆ならちょっと失敗かも。
それだけこの映画にはそれそのものだけで見せる力があったと思います。

ということで、色々書きましたが、これ書いてる今でもこの映画のことが頭に離れないし、時間がたてばまた見方が変わってきそうな、玉虫色の映画だと思います。
こんな映画なかなか出会えないので意を決して観に行って本当によかったです。
東京ではもう終わっちゃいましたが、大阪と名古屋では今週いっぱいやってるので時間ある方は是非。
DVD出たら買っちゃうと思うけど、やっぱ映画館で観るのが没頭できていいなと思います。
以上久々更新でした。

ピーター・ブルック「BATTLEFIELD」@新国立劇場



帰国以来初の東京に行ってきました。
色々目的はありましたが、現地で見つけて思わず駆けつけたのがこのピーター・ブルックの新作です。
ブルックは以前「魔笛」を見て以来ですが、また観てみたいと思ってたのでタイミングが合ってラッキーでした。
今回の舞台は、1985年に発表した伝説の「マハーバーラタ」の続編とも言えるもの。
ただし、「マハーバーラタ」が9時間を超える超大作なのに対して今回はたった70分の舞台。
今回もそぎ落とし方が半端なかった。
舞台装置は布と棒のみ。
この布が川になったり炎になったりミミズになったりと大忙し。
「魔笛」でも竹の使い方が印象的でしたが、観客も想像力を試されているかのような挑発的な演出。
内容も、演劇というか、ストーリーテリングという感じで、演者の演技もこれが演技なのか?と考えさせられる。
棒読みとまでいかないけれど、感情が篭ってるような篭ってないような微妙なテンションが終始続く。
そもそも演技の定義とは?という根源的な問いが湧いてくる。
あとは土取利行さんのジャンベという西アフリカの太鼓の音が印象的。
最後、演者も観客のように座り込み、土取さんの太鼓を聞き入るシーンは、観客と舞台の垣根が超える瞬間を見た気がした。
ひたすら単調だし、特に起伏も感じられないし、終わった後も感動がこみ上げてくるということもないんだけれど、見ながらいろんな思考が巡っていって、この演目の隙間を自分で埋めていかざるをえない演出はやっぱり巧みだと思う。まあ、それがあざといと云う印象もなくはないんだけれど、退屈さは感じずに70分過ごせました。
今年で90歳のブルック。本当にその活発さには感服ですが、彼が生で演出している舞台はできるだけこれから見続けたいなと思いますね。
会場ではこの舞台に合わせたカタログも販売されてて、これまでの軌跡をたくさんのレビュアーがテキストを寄せてるとても充実した内容で思わず買ってしまった。これが2000円なんて安い!
なんとか観られて良かったです。


以下今回の上京で観てきたリスト。

地点×空間現代「ミステリヤ・ブッフ」@にしすがも創造舎
今回の上京のメインの目的がこれ。
「ファッツァー」以来の地点×空間現代。
今回はマヤコフスキーの革命劇です。
これまで何本も地点の舞台を観てきていますが、円形舞台は初めて。
今回もまた大に叫び、大に走り、大いなるエネルギーに満ちた舞台で大満足。

日産アートアワード2015@BankART
ミヤギフトシが圧倒的だった。
あのスペクタクルな空間を諸共しない静謐な世界。
普段なら5分以上ある映像ってほぼ見ないけれど、22分釘付けだった。
ファイナリストになった毛利悠子の作品は、リサーチの方が面白かった。

鴻池朋子個展「根源的暴力」@神奈川県民ホールギャラリー
オペラシティでやってた展覧会が素晴らしかったので期待してたけど、かなり期待はずれだった。。。

鏡―Reflected Images@川崎市民ミュージアム
出てる作家とテーマが気になったのでわざわざ行ったけど、ただただ作品が陳列されてるって感じの展示でがっかり。

Re: play 1972/2015―「映像表現 '72」展、再演 @東京国立近代美術館
なんで今1972年に開催された幻の展覧会を再演するのかと思って観に行ったけど、むしろこの美術館が最近続けている「美術館の裏側」的な展覧会だった。映像作品を保存や修復するのがいかに大変か的な。
確かにそういう美術館の裏側って興味深くはあるんだけど、ひたすら続けられると食傷気味かも。
山中信夫のあの作品が見られたのは良かった。
上でやってる「藤田嗣治、全所蔵作品展示」はすごかった。
ちなみに最近オダジョーがやってる「Foujita」を映画館で見たけれど、B級を通り過ぎてC級な映画だった。

村上隆の五百羅漢図@森美術館
せっかくなのでと思ってみたけど、何を観たらいいのかさっぱりわからなくて15分ぐらいで出てしまった。。。
「観るべきものは何もない」ことを徹底しているとすればすごい。

LABYRINTH OF UNDERCOVER @ 東京オペラシティアートギャラリー
ブルック観たついでに行ったけど相変わらずこのブランドの魅力がわからないまま。
次のサイモン・フジワラ展は非常に楽しみ。

以上。

維新派「トワイライト」@奈良県曽爾村健民運動場

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一昨年、去年に続き、維新派の舞台を観に行ってきました。
只今絶賛公演中なのでネタバレOKな方のみどうぞ


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Rosas 'Golden Hours (As you like it)' @ Les Théâtres de la Ville de Luxembourg



スイス滞在も残すところあと少し。最後の欧州行脚に行ってまいりました。
まずは二つの舞台を鑑賞。
ひとつはRosasの新作「Golden Hours (As you like it)」。
今年1月にブリュッセルで初披露され、パリでも既に発表されてます。
今回はルクセンブルク。初訪問でしたが、列車トラブルに巻き込まれ、あわやルクセンブルク自体にたどり着けないのではと泣きそうでしたが、なんとか到着。これで西ヨーロッパはほとんどの国行ったことになります。
とはいえ、時間もギリギリで観光のかの時も見当たらないままルクセンブルク滞在は終了。
なにはともあれ舞台です。

舞台上にはセットと言われるものは何もなく、特徴的な大きな照明が天井にあるぐらい。
開演時間になると、タイトルでもあるBrian Enoの「Golden Hours」が流れ、奥から役者たちがゆっくりした速度と独特のステップで歩いてくる。この曲が5回ほどリピートされた後に、もう一つのタイトル、シェイクスピアの「As you like it」を元にした舞台がスタートする。
とはいえ、これ以降ほぼ音楽も皆無で、台詞もない無言劇。
台詞は奥の壁に投影され、役者たちはひたすら身体のみで「語る」。
Rosasの舞台は2月に初めて「Rosas danst Rosas」を観て以来2回目。(WIELS含めたら3回目)
舞台がスタートしてから終わるまでの緊張感は相変わらず凄まじいものがあります。
2月に初めて彼らの舞台を観た時には、あまりに言葉にならなくてここには書けませんでした。
今もほとんど言葉にならないのだけど、確実に新しい扉を発見したような歓びを見出せています。
このブログをご覧になったらわかるように、大概いろんなものを観てきた僕ですが、まだまだ扉はあるもんだなぁと思う次第で、逆にこれだけ観てると、叩かないでいい扉と叩くべき扉の見分け方みたいなのがわかってきて、このRosasは確実に後者だなと思います。うまく言い表せませんが。
その要素のひとつに、彼らの表現が自己表現に収まってないことが挙げられると思います。
オリジナルであるというのと、自己表現であるというのは僕の中で別格。
特にダンスは自身の身体を使って表現するものなので、自己表現に陥りやすいメディアだと思う。
いくつかのパフォーマンスを観てきたけど、自己表現で終わっているものの方が圧倒的に多い印象。
しかし彼らのそれは、明らかにその閾値を逸脱している。
地点もそうですが、その自己表現に陥らないひとつの手段として、他人の作品を使うというのがあります。
今回もBrian Enoとシェイクスピアを使いながら、しかしそこに決してはまらない。
身体で「語る」と言っても決して手話などのジェスチャーではなくあくまでダンス。
RosasはこれまでもSteve Reichの「Drumming」(東京公演観たかった)や、前回の作品「Vortex Temporum」など、音楽を使っています。
音楽とダンスの相性がいいのはもちろんですが、彼らのダンスは、そこと確実にズレてる。
そのズレが彼らのオリジナルなんだろうなぁと思います。
もっともっと観ていけば、きっといろんなものが見えて来るんだろうなぁと思いつつこの辺で。

そしてもうひとつはPina Bauschです。2010年にびわ湖ホールで観た「私と踊って」以来。
今回は夢であった彼女の本拠地ドイツはウッパタールで観てきました。
しかも演目は彼女の代表作とも言える「Kontakthof」!
実は3月にも観に行こうとしてたんですが、アムステルダムからの電車が謎の停電で止まってしまい、チケットまで取ってたのに行けなくなってしまったのです。この時の演目は「炎のマジョルカ(MASURCA FOGO)」でしたが、神様が「Kontakthof」を僕に観せるために仕組んだ出来事という痛い妄想に浸りながら今回は無事到着。
ウッパタールって、なんとなく地の果てみたいなイメージでしたが、デュッセルドルフからも近いし、特に田舎でもなかった。ヴェンダースの映画にも出てた街の風景が観られて感動。
そしていよいよ開演。
もう、今までドキュメンタリーとかで観てきた名場面の数々に涙しました。
全編通して笑いの絶えない舞台ですが、徹底したアイロニーがこの舞台にはあります。
舞台セットは、どこかの舞台で、舞台の上の舞台があり、しかもその舞台は最初から最後まで開くことはない。
「人はわかりあえない。」という絶望的な感覚と、それでもコンタクトせずにはいられない人間の愛おしさが伝わってきました。人間の条理と不条理をここまで見事に見せきるのはさすがです。
改めて偉大な人を僕たちは失ったんだなぁと感慨深かったです。

Rosasとピナは真反対とも言える舞台ですが、どちらも本当に素晴らしかった。
Rosasの舞台に立つ人間は、とてつもなく研ぎ澄まされたダンサーたち。
逆にピナの舞台に立ってる人間たちは、どうしようもなく人間らしくて、実際この「Kontakthof」はかつて、高校生から65歳以上のお年寄りまで、ダンス経験のない人たちにまで演じられています。
ピナの舞台の普遍性があるからこその芸ですよね。
この勢いで「CAFÉ MÜLLER」や「春の祭典」、「NELKEN」とか観てみたい!
またいつか必ず観に来たいと思います。
ちなみに今回僕が取った席はたったの10ユーロ。こんなん近くに住んでたら通いつめそう。

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「マルメロの陽光」by ビクトル・エリセ



午前は読書、午後は制作、夜は映画鑑賞という老後のような生活をしています。
映画は、探せば色々落ちてて、デヴィッド・リンチやアッバス・キアロスタミの作品を観ました。
中でもキアロスタミの「クローズアップ」は衝撃。
実際に起きた事件を改めて映画というフィクションに収め直して、現実と映画の境を曖昧にしてしまうという手法でかなり面白かった。
で、今回紹介する「マルメロの陽光」の場合は、方法論としてはその逆というか、現実を映画のように撮ってしまうことで、映画と現実の境をぼかすという手法です。
この映画は、一昨年東京でも展覧会が開催されたアントニオ・ロペスを追ったドキュメンタリー映画なんですが、この撮り方が本当にすごい。
あまりの映画っぽさに最初ドキュメンタリーって気づかなくて、ロペスも誰かが演じてるのだと思い込んでたんですが、途中から、それにしても絵うますぎやろ!ってなって気づきました笑
この映画っぽいって一体何なんだろうと。
単純に映像が美しいってのはやはりあります。
ドキュメンタリー映画って独特のラフさがあるんだけれど、この映画はとことん固定カメラで撮られているし、画面の中でのものの収まり方が完璧なんですよね。
ロペスの制作と彼のアトリエの入ってるビルの改装工事が同時に撮られていて、その構成もあまりに出来すぎてるし、なんといっても人々のカメラの意識のしなささがすごい。ここまでカメラを無視して毎日の営みを続行できるもんなのかというぐらい自然。
エリセがどこまで演出してるのかがすごく気になります。

内容も非常に興味深くて、緻密画で知られるロペスがどんな風に作品を制作しているかが丸裸にされていて、水平線と垂直線を現実のモチーフにも描いてるのはやはりこの画家ならでは。
マルメロが成長すると木がたわんで、たわむ度に線を描きなおす。
見えない時間と重力が画家によって可視化されていきます。
最後は結局描き終えられませんが、彼のモチーフに対する執念は見事。
彼のひとつひとつの所作がすごく美しいです。
そして、マルメロに落ちる光を描き出そうとする画家の姿がとても印象的。
今自分の作っている作品のテーマが「画家が見ていた光」なので、個人的にこの映画はとても大きな示唆を与えてもらえました。
特に野外で何かを集中していると、風の動きや光の移動にとても敏感になります。
あの感覚って写真では写し取れないし、彫刻では彫れない。
やはり画家が時間をかけて描くことで見いだせる感覚だと思います。
その感覚がこの映画に溢れていてとても新鮮でした。

エリセは本当に寡作な作家で、この作品を最後に長編は制作していません。
というか、長編といったら、デビュー作の「ミツバチのささやき」(1973)と「エル・スーレ」(1982)とこの「マルメロの陽光」(1992)の3作だけ。どれも10年スパンです。
「ミツバチのささやき」は、本当に素晴らしい映画で、「フランケンシュタイン」という別の映画に、さらにかぶせるようにして撮ってる構成がすごい。
そして何と言ってもこちらは闇の描写が素晴らしい。
闇すぎて、昔テレビで見た時、画面に部屋が反射しすぎて全然集中して見れなかった記憶があります。
いつか映画館で観てみたい作品の一つです。

またエリセの作品で、「Lifeline」という短編があって、こちらは白黒で撮られているので、彼の撮る光の美しさがよりわかります。
長編でまた新たな作品観てみたいです。
というか、これらの監督の映画が日本のDVDで生産中止になってるのはいかがなものかと。
「マルメロの陽光」なんて今amazonで見たら25000円って。。。
Blue-rayも出てないし、なんとかしてほしいです。。。

地点「光のない。」|維新派「透視図」

2日連続で舞台鑑賞。
まずは横浜、お次は大阪。狂ってる。
ということで二つの舞台について。
まだ公演があるしネタバレ嫌な人は読まないでください。


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まずは地点の「光のない。」。
もはや、自分の中で、日本のあらゆるクリエーターの中でずば抜けてトップを走ってる集団。
何がどう凄いか語ろうとすれば、砂のようにさらさらこぼれ落ちてしまう。
でも頑張って語ります。

今回の「光のない。」は2012年に演じられた演目の再演。
その時はここまで熱狂的にハマってなかったので、観たことがなかった。
だからこの再演が決まった時は狂喜乱舞。
京都でも公演があるがその時にはこの国にいないので、横浜へ。

原作はノーベル賞作家、エルフリーデ・イェリネク。
東日本大震災と原発事故を受けて書いた彼女の作品が元になっている。
地点の舞台は基本チェーホフや太宰などの物故作家を扱ってるし、現在進行形の社会的主題を扱っているのはほとんどない。(敢えて挙げるとすれば「CHITENの近未来語」ぐらい)
地点の中でも異例のレパートリー。

まず舞台のせり出し方がすごい。
自分の席は4列目ということだったのだけど、行ったら最前列。
前3列をつぶしているんだけど、これは後の演出に大きく関わってくる。
安部さんの「席変わってもいいよ」というアナウンスが流れたので、移動してみた。
最前列はやはり観にくい。。。

演者が客席や舞台袖からせり出した舞台に次々と出てくる。
皆「わたしたち」や「あなたたち」などの人称代名詞を口々に喋る。
それが数分続いて、いよいよ緞帳が上がる。
緞帳の向こうには、タレル作品のような舞台装置が。これはマジですごい。
前回観た「悪霊」と同じく木津潤平さんによるもの。
この舞台装置がこの舞台のすべてを征服している。
そして、コーラス隊が足だけ覗かしている。傾斜に向かって足が延びてるんだけど、最後までこれで頭に血がのぼらないのか勝手に心配してしまう。
彼らの奏でる三輪眞弘による声楽がこれまた美しい。
もうどれをとっても素晴らしい舞台。

演者も相変わらずすごいけど、なんといっても安部さん。
あの台詞量はいつも以上に異常。脳の中どうなってるんだろう。。。
特に後半の他の4人が電気流されながら鈴を鳴らしてる間のマイクアジテーション。
今回の舞台はやはりどこをとっても地点の中では異例の舞台だった。
「ガイガカウンター」や「放射能」のような具体的ワードが出てくるあたりもそうだけれど、全体として怒りに満ちた舞台。
それは原発への怒りとかそういうものを越えて、人間の持つ普遍的な「怒り」という感情。
これが舞台全体を貫いて、観ているこっちにまで飛び散ってくる。
ここまで感情が伝わる、というかぶつかってくる舞台があるのかと驚いた。
いつも観ている地点とはひと味違う。それでも地点でしか味わえない舞台。
もう改めてハマってしまった。
最後のレインコートを着た小河原さんが、台詞もなく上まで登っていって、そのレインコートが光り輝きながら緞帳の降りていくラストシーンが目に焼き付いて離れない。
元々5人の舞台だったので、今回小河原さんの登場は本当に少ないのだけれど、あの最後の登っていくシーンだけで充分な破壊力。
緞帳が降りて、コーラスの声楽が鳴り止むまで、本当に完璧なエンディングだった。
やっぱり僕の中の日本のトップクリエーターの座はしばらく彼らが占めちゃいそう。
来年の3月KAATでやるチェーホフの「三人姉妹」もめっちゃ観たいけど、その時は海外。
チェーホフ4代戯曲のうちこれだけ観れてないのですごく観たい。
海外行くのにこれだけが心残り。一時帰国したいぐらい。
とりあえず皆さん、次いつ「光のない。」がやられるかわからないので、観ましょう。
とても規模の大きいものなのでそうそうはやらないはず。
13日まで横浜KAATでその後。10月18、19と京都です。是非。

地点website : http://chiten.org
演劇のリアリティとアクチュアリティ~三浦基が今語るイェリネク『光のない。』~



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続いて維新派の「透視図」。
昨年初めて犬島での舞台「MAREBITO」を観てすっかりハマってしまった。
そして今年は彼らの本拠地大阪で10年ぶりの舞台ってことでこれは観ないわけにはいかない。
横浜から夜行バスで帰ったその日の晩って我ながらどんなスケジュール。
それでも、この日は台風前夜であぶなかったけど、無事に最後まで雨も降らず助かった。

それにしても今回の舞台はすごい。
梅田のビル群を借景に組まれた舞台装置は、本当に泣きそうになった。
昨年の「MAREBITO」も島を巡るお話だったけど、今回の「透視図」も同じく島の話。
大阪と島?って思う人も多いかもしれないけれど、これは中沢新一氏の「大阪アースダイバー」を読めば理解できるはず。
実は大阪の土地というのはほとんどがこの数百年に、淀川が運んできた砂によってできた土地。
昔はほとんどが水に囲まれた群島で、水都と言われるのはこれが所以。
実際大阪には「島」や「橋」といった、水を思わせる地名が異常に多い。
大阪をテーマにしながら、ステレオタイプの大阪を無視して、深層深く切り込んでいく内容は、大阪で生まれ育った自分としてはとても心に沁み入るようなお話だった。

演者は40人近くいて、今回はとにかく走る、走る。
「止まれば腐る」
まさに、大阪人の気質を表したような演出で最初から最後まで飽きない疾走感。
特に最後の草原を飛び回る草食獣のようなジャンピングランは爽快でした。
ロケーションといいストーリー、演出、どれをとっても大阪で40年もの間活動を続けてきた維新派ならではのものだったと思う。
大阪でしかありえない、サイトスペシフィックな舞台だった。

写真は舞台前の屋台村。相変わらずすごい熱気。
ライブや綱渡りパフォーマンス等、会場前にも充分楽しめました。


それにしても一日ズレてたら台風で中止だったのでギリギリセーフ。。。
13日楽しみにしていた方々御愁傷様です。
9月28日までやってるので、これは是非観に行ってください。

維新派website : http://www.ishinha.com

地点「悪霊」@ KAAT

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休止中ですが書きたいものは構わず書きます。
ということで、横浜で観た地点のレビューです。
まだ公演中ということもありネタバレ抑制の為読みたい人だけどうぞ。

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テーマ : 演劇
ジャンル : 学問・文化・芸術

維新派「MAREBITO」@ 犬島海水浴場

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岡山に行く用事ができたので、瀬戸内国際芸術祭に寄ってきました。
今回寄ったのは粟島、高見島、犬島の三島。
直島や豊島などは前回かなり回ったので割愛。芸術祭中に行くべきではないと思います。実際この日も地中美術館の入場は75分待ちとかだったそうですし。。。

神戸からフェリーで高松まで。
深夜1時乗船で、そんな時間に人おらんやろーと思ってたのが大間違いで、フェリーの中は大混雑。カオスでした。。。二度と乗らない。
朝5時半頃着。2時間ぐらいは寝れたのかしら。ふらふらで高松駅へ。
駅前のうどん屋はどこも閉まってて結局うどん県のうどんは食えずじまい。
高松から詫間駅へ。そこからシャトルバスで須田港へ。さらにそこから船で粟島。
やはり人は多く、船も臨時便が出てました。恐るべし。
粟島では、同級生の麻生祥子が出してたのでそれだけを見にきました。

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目的はこの作品だけなので、次の船まで隣のカフェでほっこりさせてもらいました。
時間が来て続いて高見島へ。
ここでは恩師の小松敏宏と後輩の中島伽耶子の作品。

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それぞれ力作でしたが、なんだか芸術祭色が強過ぎてそこまでの感動はなく。むずかしいすね。
もっと色々無視してぶっとんだ作品が見たかったです。
ちなみに高見島は、友人に食べるとこないかもと言われてたので弁当を買って行ってたのですが、ありましたよ。作品のひとつでもある海のテラスという所では瀬戸内海を見ながらパスタを食えます。が、11時なのに行列ができててやめました。代わりに漁協がやってた食堂がすばらしくて、オリーブハマチや漁師カレー等の必殺メニュー達。。。僕はしらす丼をいただきました。うまかったー。

高見島から船で多度津、電車で多度津から高松、高松から船で犬島へ。遠い。。。
精錬所や家プロジェクトは前回ほとんど見てたのでさらっと。
名和さんの作品とかも外から眺めるのみ。
新たにできた妹島さんによるA邸とS邸の荒神明香さんの作品は見事でしたね。

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家プロジェクト全体的には長谷川裕子色が強過ぎてどうよって感じでした。


さて、今回のメインはなんといっても維新派の舞台。
前回の芸術祭の時にも気になってたんやけど行けず。リベンジです。

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場所は犬島の南にある海水浴場。こんな場所があったなんて。
そこに特設会場が設けられてて、さらに屋台村まで。
この場作りも含めて維新派の世界観が漂ってます。
それにしてもなんて美しい景色。泣きそうになります。

そんな景色を借景にして繰り広げられた2時間の舞台。
背景に負けちゃうんじゃないのか、と始まる前まで少し疑いましたが、僕が間違いでした。
自然と演劇の出来過ぎな程の美しい世界。やられた。。。
太陽が沈み行く瀬戸内の空と海。刻々と移り行く自然の照明と人口の照明が見事でした。
おまけに月まで頭上に輝いちゃっててもう完璧な風景でしたね。
音楽もすばらしかったし、演出もどれも引き込まれてしまいました。
白塗りの演者たちは、すっかり子供と化してて、最初本当に子供なんかな?と思ってしまうほど自然。
物語も美しくて、遠い遥かな海の向こうの生活まで思いを馳せられるような内容。
言葉では尽くせないほどに素晴らしい舞台でした。見にきてよかった。。。
今回hyslomというパフォーマンスユニットともコラボしていて、彼らの身体の動きや遊びがかなり演出上きいてましたね。
彼らと演出の松本雄吉のインタビューがパンフレットに載っててこれも大分おもしろいです。

「今ダンスやってる人って、自分のフィールドがないことに悩んでると思うねん。ダンスって、ある種の風景を記憶する装置としての身体なわけだから。それをつねったり叩いたりすることで、ダンスを身体で動かしてるねん。でも今のダンサーは、身体の記憶ってダンススタジオか、せいぜい都市の記憶ぐらい。しかもそれは、自分の風景じゃない・・・そこにおりながらも、自分とはなじみが遠いという意識がある。こう言ったら何やけど、ちょっと根無し草的な、現代マンション族ダンサーのさびしさというかね。」

この松本さんの言葉は、ダンサーだけに当てはまるものじゃないと思います。
自分も一時期そのことで考えたこともあったけれど、自身が依って立つ風景って言うのを中々見つけられないというのは、都会に住む表現者には特に深刻だと思います。
以前ダンサーの田中泯さんがテレビで、畑仕事がかなりダンスに役立ってるということを仰ってけれど、そういうフィールドって、自分でも作れるものだと思います。
今回の舞台は、そのフィールドの作り方が本当にうまいなぁと思いました。
見てる間は、実際もの凄く寒くて、海風とかで鼻水すすりながら必死で見てて、見てる方も結構辛かったんですが、なんかそれも含めて刻み込まれた感じです。
また是非維新派の舞台は観に行きたいですね。前回観に行けなかったのやっぱり悔しい。。。

そんなこんなで最終便に乗って岡山へ。ヘトヘトで充実した一日でした。

テーマ : 演劇
ジャンル : 学問・文化・芸術

チェルフィッチュ「地面と床」@ 京都府立府民ホール アルティ

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KYOTO EXPERIMENTのオープニングを飾るチェルフィッチュの舞台を観てきました。
チェルフィッチュはもうずっと前に横浜美術館でやってた「わたしたちは無傷な別人である」を観て、かなり幻滅してしまったのだけれど、久々に観たら印象違うかもと思って観てきましたがやはり変わらなかった。。。
なんでしょうか、彼らの舞台は骨組みはしっかりしているのに外側が希薄というか。
というか骨組みだけで勝負してるようなところがある気がする。
それが彼らの評価にもつながってるのかもしれないけれど、僕はちょっと無理かも。
以前観た「クーラー」は外側も楽しめたんだけれど。
今回の舞台で骨となるのは、まずは音楽。
チェルフィッチュ初の音楽劇というだけあって、音楽がかなり効いてました。
サンガツが手がける音楽は、キャラクターそれぞれに曲があてがわれていて、次第に音楽であ、この人出てくる、とかわかるのがおもしろかった。
あとはやはり言葉。
舞台の真ん中の十字のセットに英語と中国語(たまに日本語)の翻訳が出るのだけれど、この翻訳にも劇中で言及されるのが興味深かったです。
とはいえ、日本語が失われつつある世界という設定を日本語を解する観客の前でやることにさほど説得力がないのが残念。
この舞台の初演は海外でやってたので、その時には翻訳の問題等アクチュアルに作用していたと想像できるけど、なんだか観ていて歯がゆかったです。
そういうSF的な設定の説得力の持たせ方がもう少し考えられてもよかったと思いますね。
村上龍なんかの小説読んでると、ほとんどが無茶なSFワールドやけど、膨大な研究結果によって不思議と説得力があって、もしかしてそうなるかもという恐怖が襲って来るんやけど、この舞台観てもさほど恐怖心は抱けなかったですね。
それとは対照的に、今回描かれている死者と生者の問題は、かなり考えさせられました。
タイトルにもあるように、地面と床が生と死の彼岸になっているのをすごく意識させられたし、死者である母が言う台詞とそれを否定する義娘のやりとりは重々しかった。
「忘却に抗う資格がある」
「そんなのないに決まってる。」
もっとこの辺に焦点絞って欲しかったな、と個人的には思いました。
特に震災以降の表現としては、この死者と生者の問題は大きいと思います。
また数年後機会があれば観てみようかな。

テーマ : 演劇
ジャンル : 学問・文化・芸術

地点「CHITENの近未来語」@アンダースロー

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この夏オープンしたばかりの地点の稽古場、及び発表の場「アンダースロー」に行ってきました!
京都は北白川にあるビルの地下にそれはあります。
演劇は門外漢なんですが、発表の場を自前で持つカンパニーって結構あるんでしょうか。
地点は演出家の三浦さんと演者5名、スタッフ数名の小さなカンパニーでこれは異例なのでは。
でも確かに毎回毎回稽古場借りて、発表する度に会場アレンジしたりすることを考えれば、もしかしたら自分たちでそういう場を持っちゃう方が時間もお金もかなり効率がいいのかもしれません。
しかし、内装が凄い凝ってて、使われてる材とかもすごく良さそう。
どんなものが飛び出すのか始まる前から期待が高まります。

今回の舞台は新作で、その日の新聞をモチーフにして展開します。
なので毎日内容は変わる、この場所ならではの実験的な舞台。
選ばれる記事は、ほとんどアドリブなのか、隣に演出家の三浦さんが座ってらしたけど、普通に笑ってたし笑
その日は8月9日で、長崎の記念式典のニュースはもちろんのこと、やくざの裁判の記事や、甲子園の記事、広告までくまなく取り上げられ、新聞の見方が変わりそうなぐらいのインパクトでした。
これまで地点は過去の小説や戯曲をテーマに展開していたけれど、こうして所謂詩的ではないものを題材に選ぶことで、より地点らしさが出てる気がしてとても興味深かったです。
テキストというものがこれほどまでに展開されるものなのかと本当に驚きました。
また、タイトルにもあるように地点が現在(今日の新聞)を通して未来にまで馳せてるのは新しかった。
小松左京のSF小説を新聞と絡ませて、果ては宇宙まで展開するんですが、椅子と新聞の小道具のみでここまでダイナミックに見せられるのは本当にすごい。
新聞はまた、どんどん過去になっていくメタファーとしてもおもしろいモチーフですね。
それから、やはり自身のホーム公演ということもあり、これまで以上に演者と観客の距離が近く、見ていてとても心地よい空気ができてました。舞台と観客席に敷居がないのもすごいですよね。
これまで見てきた彼らの舞台の中で最も地点の哲学が凝縮されたものだったように感じました。
この舞台は17、18と21から24日まで上演されます。
アンダースローもとてもおもしろい場所ですし、この演目は相当素晴らしいので是非。
予約は地点公式HPから。こちら

あと、昨日で終わってしまいましたが、丸太町にあるCafe Montageでも、お盆に併せて、前述の「近未来語」の姉妹版「近現代語」にも行ってきました。
こちらは、日本が明示以降近代に向けて邁進する様を描いたもので、大日本帝国憲法から玉音放送までがモチーフとなり、これも今までとは違い詩的ではないものが選ばれている点で興味深かったですが、これは今まで見た地点の中ではかなり「重い」舞台でした。観ていて恐怖すら感じる程の舞台でしたね。
昨日の8月15日に観たんですが、終戦記念日ということもあって、色々考えさせられました。
最後に「近未来語」の宣伝も兼ねて冒頭だけ演じられたのはおもしろかった。一気に和みました。
観客席の中にやなぎみわさんもいらっしゃいましたが、彼女も近年近代をテーマにした演劇を手がけているだけに何か思うところがあったかもしれませんね。

それにしても今年既に4回も地点の作品を観ていますが全く飽きない!ドはまりしてます。
この3月のKAATの舞台は観ていませんが、この「近未来語」が終わった次の日25日には、三浦さん演出で演者の安部聡子さんと朗読劇がCafe Montageであったり、来月もビューヒナーの「レンツ」を朗読劇にしたり、10月に再びアンダースローで新作「ファッツァー」も発表されるし、と、本当に息つく暇もないスケジュール。三浦さんの凄まじい創作意欲もさることながら、演者の方々はあの台詞量を一体どうやって覚えているのか。。。。
観ていて刺激をもらえるカンパニーです。これからもついて行きます!

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地点「かもめ」@ Cafe Montage
地点「コリオレイナス」@京都府立府民ホールアルティ
地点「――ところでアルトーさん、」@京都芸術センター

テーマ : 演劇
ジャンル : 学問・文化・芸術

「嘆きのピエタ」by キム・ギドク



ご無沙汰しております。6月はついに一回も更新せずに終わってしまった。。。
気を取り直して、7月は怒濤の更新劇が待ってるとか待ってないとか。

さて、久々の更新はキム・ギドクの新作です。
前作、カンヌである視点賞を受賞した「アリラン」以来。
長編物語ものとしては2008年の「悲夢」以来です。
その沈黙を破った今作は、韓国初のヴェネツィア映画祭金獅子賞に輝き、本国であまり人気のなかった監督の作品の中でも異例の大ヒットを記録しました。(しかし監督の意向でたった4週で上映打ち切り)
そりゃ期待も増すってもんです。
以下ネタばれ含むんで、見たい人だけどうぞ。

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テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

地点「かもめ」@ Cafe Montage

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地点の「かもめ」を観てきました。
チェーホフの同題の短編を元にして作られたこの舞台は、以前から何度も演じられていて、場所によって様々なアプローチで挑んでいます。
自分は以前京都芸術センターの茶室でやった時にチケットまで取ったのに都合が合わず観に行けなくてくやしい思いをしたので、今回またやると聞いて駆けつけました。
会場となったCafe Montageは京都の丸太町近くに昨年オープンしたばかりの、その名の通りカフェなんですが、クラシックの演奏を中心に、こういった演劇なんかも催していて、僕が行った5月7日はちょうど、その一年前に地点がここのこけら落としをした日で、公演後にワインやシャンパンも振る舞われてラッキーでした。
カフェなんで40席ぐらいしかないんですが、とてもいい雰囲気でどの席からもよく観れました。
内装もすごくおしゃれでカフェであることを公演中は忘れてしまうほど。
またカフェとしても利用してみたいですね。

さて、本題の「かもめ」ですが、やはり今回も圧倒されました。
地点は、ホールからこういったカフェまで含めて大小様々な会場でやってるけれど、どの会場で観ても圧倒されてしまう。
それは、あの圧倒的な、まるで言葉が本来の意味からはがれ落ちて脱構築されていく程の台詞まわしだけではなく、演出もすごく美しくて、今回みたいな会場では決して大掛かりなことはできないけれど、いくつか印象的な演出がなされていて、1時間まったく飽きさせません。羽が舞うシーンとかすごく美しかった。
地点の魅力は、国も時代もあっさりと凌駕してしまう所にあります。
例えば今回の場合、舞台は19世紀末から20世紀初頭のロシアですが、それがいい意味で関係なくなっちゃうんですよね。なんか純粋にそういうコンテキストとかも抜きにして観れてしまう。
やはり普通の舞台だったらそのコンテキストが重要になってきたりするところですが、僕は実際チェーホフを読まずにこの舞台を観ましたし、それでも十二分におもしろい。
終演後に実際のチェーホフの「かもめ」の本を買ったのですが、結構台詞がそのままで驚きでした。そのままなのにすっかり地点味になってる。
地点はチェーホフの作品を他にもいくつかやってるのでそれらも観てみたいですね。
ただ、今回は1時間と短い分、演者の個性が前回の「コリオレイナス」程出てなかった印象はありました。
前回は石田大さんが凄まじい勢いで台詞を吐いてましたが、今回はその鳴りを潜めてすっかりおとなしい役回りで、小林洋平さんのほぼ独壇場でした。そして小林さんがすごすぎましたね。
あと、阿部聡子さんは、台詞は決して多くないんだけれど、あの存在感はすごい。いるだけで演技している。
こうやって何度も観てくると演者の個性とかわかってきてより楽しくなります。
5月11日まで毎日20時から当日券もあるみたいなので、関西の方は是非!
Cafe Montage http://www.cafe-montage.com/


そしてこの7月には、京都の北白川に地点の拠点となるアトリエがオープンするそう!
名前は「アンダースロー」。
ここでも作品を発表して行くみたいなので滅茶苦茶楽しみです。
どうしても舞台系は東京に持って行かれちゃうので、こうして関西を拠点に世界的なカンパニーが活動してくれるのは嬉しいですね。
これからも楽しみです。

地点 http://chiten.org/

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地点「コリオレイナス」@京都府立府民ホールアルティ
地点「――ところでアルトーさん、」@京都芸術センター


テーマ : 演劇
ジャンル : 学問・文化・芸術

「ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの」by 佐々木芽生



前作の続編「ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの」を観てきました。
前作からもう2年以上も経つんですね。
ハーブとドロシーに関しては前回書いてるので、割愛。
今回は、彼らの4000点を越えるコレクションが、アメリカの全50州に50点ずつ渡り、そのコレクション展を追ったドキュメンタリーです。アラスカからハワイまで。中には聞いたことのない州もあって、やっぱりアメリカは広いです。
そんな広大な範囲に散らばったコレクションたち。
この拡散は賛否両論で、最初ハーブも反対したそうですが、やはりワシントン国立美術館だけでは収まりきらないので、館長が提案し、やむなくゴーサインを出したとのこと。
でも、この拡散は、地方の美術館にとってまさに棚ぼたで、ほとんどの美術館が購入予算はない状態で、そんな中アメリカを代表するような作家たちの作品が無償で提供されるなんて。
そしてそれは、現代美術をあまり観る機会のない観客にも善くも悪くも影響を与えています。
それにしてもハワイの美術館はすごい。従業員がアロハ姿ですよ。さすが。
この映画を通して、美術館の現状や、それぞれの特色なんかも観れて楽しかったです。

また、彼らに関連する作家たちも登場しますが、ヴォーゲル夫妻に捧げる感謝が泣けます。
「ハーブとドロシーに認められたおかげで”人生に失敗した”と思わずに済んでる」とか、
「作品が方々の美術館に贈られたおかげでまた再認識されてる。2人の僕の恩人だ。ありがとう」とか。
クリストは自分の作品の話しかしてませんでしたがw
浮き沈みの激しい業界なので、作家は時に完全に忘れられたりします。
こうして改めてスポットを当てられることで再認識されるのは素晴らしいですね。
そして、これを機会に、これまでニューヨークから出ることのなかった夫妻が、車椅子のハーブを引いてドロシーがバーゼルマイアミビーチの会場を歩く姿なんて思わず微笑んでしまいます。
しかし、夫のハーブは昨年7月息を引き取ります。89歳。
一人残されたドロシーを見てると涙がこぼれます。
これだけの「歴史の1頁」を紡いだ伴侶がいなくなるなんてどんなにつらいことでしょう。
ジャンヌを亡くしたクリストと被ります。
しかし最後に美術館に運ばれていってすっきりした彼らのアパートの壁に、昔画家を志したハーブの絵が架けられていたのはなんだか救いでした。
彼の絵は美術館に収蔵されることはないけれど、ドロシーにとって誰にも渡すことのないマスターピースなんですね。

今回もまた素晴らしかったです。
こうしたドキュメンタリーは中々資金繰りが大変だろうと思います。
佐々木さんは前作でも相当苦労したそうですが、今回はクラウドファンディングを使って資金を調達したそうです。日本からは1400万円も集まったとか!それだけ前作が素晴らしかったからですね。
こうやって、草の根な活動が、ネットを通して幅広くサポートされる時代になったんですね。
ドロシーは「アートの収集はやめることにした。夫との共同作業だったから、敬意を表して私の手で薄めたり変えたりしたくないの。コレクションは終わり」と語りました。終結宣言です。
これでこの映画の続編はもうないわけだけれど、こうした人がいたことを知らせてくれた佐々木監督に感謝です。

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ジャンル : 映画

「愛、アムール」by ミヒャエル・ハネケ



ハネケの新作「愛、アムール」を観てきました。
前作「白いリボン」に続き2作連続でカンヌの最高賞パルムドールに輝くという恐ろしい快挙。
僕はハネケ作品はその「白いリボン」と「ピアニスト」しか観てませんが、正直あまり好きなタイプの作品ではありませんでした。でもなんか気になる。
ということで今回も特に期待して行ったわけではありませんでしたが、もう見事としか言いようのない作品で、見終わった後しばらく言葉が出てきませんでした。
(先日浜村淳がラジオでこの映画の宣伝をしていましたが、あの人映画のオチとか全部言っちゃうので途中で出かけて正解でしたw)

少なくともこの3作を通じて僕が感じるハネケ作品の特徴は、いつも観客の感情のトリガーが寸止めで止められてしまうというところにあるのではと思います。
話の筋としては、老いた妻を自宅で介護する同じく老いた夫の物語。しかもタイトルは「愛」。
(それにしても最近の邦題は酷いですね。なんで愛を二回言うねん!っていう。アムールだけでよかったのではと思うんだけど。チケット買う時言うの嫌でしたw)
これだけ聞くとお涙頂戴の感動物語やし、介護問題も扱った社会的映画になりそうなところを、ハネケの映画はそうはならない。
実際最後まで涙も流れないし、感動と言えるほどの感動もない。
なのに終わった後のあの静かに沸き上がってくるえも言われぬ感覚はすごかったです。
この感情の寸止めは「白いリボン」でもすごく感じていて、でも前作ではあまりいい感じはしなかったんですが、今回すごく気持ちがよかったです。ようやくハネケ作品が腑に落ちた感じ。
また、この映画は、冒頭のコンサートのシーン以外すべて老夫婦のアパートしか映していないところにも特徴があります。この完全なる室内劇は2人だけの世界として聖域化され、淡々と日々の営みが描かれていく様はとても美しかった。ちなみに冒頭のコンサートのシーンも室内と言えば室内で、外の風景はこの映画に一度も出てきません。あとコンサート自体も映されず、ステージから観た観客の姿だけ映されるのも印象的でした。映像としてもいくつか記憶に焼き付くシーンが多かったですね。
しかしこの映画の一番すごいところは個人的にラストです。
いつも映画観ていてここで終わってほしいな、という場面で終わらなかったりするんですが、今回はまさにここ!ってところで終わって逆にびっくりしました。
そしてエンドロールは無音。あのエンディング体験は中々なかった。
ハネケ作品、他のも観てみたいと思います。

それにしても春先にかけて毎年観たい映画が連発する。毎週のように映画館通いです。
来週はムンジウの「汚れなき祈り」。若松さんの「千年の愉楽」はどうなんやろ。

テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

地点「コリオレイナス」@京都府立府民ホールアルティ

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地点の舞台を観てきました。
久々の舞台鑑賞。去年の4月のブルック以来。
地点の舞台に至っては2年ぶりです。
地点はその時初めて観て、思いっきりはまってしまいました。
何度か観に行こうと1回なんてチケットまで取ってたのに用事が重なり行けなくて悔しい思いをしました。
なので今回のこの舞台は絶対観に行きたいと思ってました。
というか、このシェイクスピアの「コリオレイナス」を地点がやるって時点で熱くて、去年ロンドンのグローブ座でお披露目されたって時点で興味津々でした。なので今回京都でやると知って、是が非でも行かなくては!と思って馳せ参じた次第です。

地点の舞台の醍醐味はなんといってもあの猛烈な台詞まわし。
今回もそれは活きてて、言葉の洪水に酔いしれました。
以前、ロンドンで蜷川幸雄が演出した「コリオレイナス」を観ましたが、それも膨大な台詞に舌を巻いたもんですが、その比ではありません笑
人間のメモリーの限界を試すように次々と言葉があふれます。
役者の皆さんはあの台詞をどうやって覚えるんでしょうか。。。
どこまでが演出でどこまでがアドリブなのか。もしやすべて演出通りなのか。
ところどころ普通に笑えるところもあってめちゃくちゃ楽しかったです。
(前回のアルトーさんはどこで笑えばいいのかわからなかったけど。。。)
今回のこの演目自体知ってたのも大きかったかもしれません。
変にストーリーを把握しようとしないでも知ってるのでそこは安心して観れました。
今回は純粋に言葉の調子や独特の動きを楽しめました。
あと衣装や舞台美術も和を意識しつつ、変にオリエンタルになってなくてよかった。
役者の皆さんは足袋を履いてらっしゃったんですが普通にかっこよかったです。
そして音楽家のお二人がそれに対してあまりに普通の格好でびっくりした笑
最初出てきてたとき小道具さんかと思ってたら本気で音楽家だったので。。。
でもなんといっても今回はグローブ座にならって組まれた客席が特徴的でしたね。
ヤード席、ギャラリー席、ロイヤル席、とあって、ヤード席は立ち見。
でもヤード席が一番前になるんですよね。しかも1000円という破格のお値段!
なかなか前で立って舞台を観る機会ってないし、ここはヤード席でしょ!
ってことで、チケット買って早々に並んでなんと舞台最前列のど真ん中、ていうか舞台にしがみつく形で観れました。おかげで役者の唾とかかかったけど笑
あの臨場感は中々味わえないですね。2時間の舞台でしたがおもしろかったので苦ではなかったです。
また是非地点の舞台観に行きたいですね。今度は横浜みたいですが。
一度観たら病み付きになります。おすすめです。
というかやっぱり舞台はおもしろいです。もっと色々観たいなー。

地点オフィシャルサイト http://chiten.org/

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それにしてもあの台詞、全部もちろん日本語ですが、ロンドンではどういう風に受け止められたんだろう。。。まああそこまでの量になると何語だろうが関係ないかもやけど笑

テーマ : 演劇
ジャンル : 学問・文化・芸術

「につつまれて」by 河瀬直美

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ずっと欲しかった河瀬さんのドキュメンタリーBOXを手に入れました。
自分へのクリスマスプレゼントですが何か?
ということでここ数日は河瀬直美特集。

改めて河瀬さんはドキュメントの人なんだな、と思いました。
このBOXに収められた作品たちへの怨念とも言えるほどの強い意志がすごい。
ものを作ることはこれほどまでに残酷で覚悟が要ることなのだと身の引き締まる思いでした。
特に彼女の原点とも言える「につつまれて(1992)」をついに見れたことがうれしかった。
幼い頃にいなくなった父親を求めて彷徨う姿、そして最後の電話越しの再会。
さらに続編となる「きゃからばぁ(2001)」では、この世にいなくなった父親の断片を自らに刻み込むような気概がすごいです。
彼女の原点はやはり家族の不在から来てるんでしょうね。
でも彼女の育ての親でもあるおばあちゃんを撮った三部作「かたつもり(1994)」、「天、観たけ(1995)」、「陽は傾ぶき(1996)」を観ていると、やはりこの人は全力で愛されて育ったんだと思えますね。
僕も両親共働きで子供の頃は圧倒的にばあちゃんと過ごす時間が長かったせいで、すっかりおばあちゃん子。この世で一番大事なのは親ではなくばあちゃんです。
それでも、このフィルムは実際そのおばあちゃんとのディスコミュニケーションを埋めるべく撮られたもので、途中で言い争うシーンも出てきたりして葛藤が伺えます。
そのおばあちゃんも2012年に97歳という長寿を全うされました。
この人はもうこの世にいないんだと思いながら見てるとやっぱり涙があふれます。
こうして河瀬フィルムの原点は、圧倒的な「ないものねだり」がその制作意欲につながってるんじゃないかと思って、ここまでねだるとないものもやがて見えてくるようになるんだな、と思いました。
この人は全身全霊でないものねだりをしている。
それは自分自身を深く傷つける行為でもあるけれど、得るものも大きかったんじゃないかな。
ものを作るってそれがプラスであろうがマイナスであろうが、極端に振れる力に人は動かされるんだと思う。
河瀬さんの家族を主題とした作品にはその力強さがあります。

一方他人を撮った作品、「杣人物語(1997)」、「万華鏡(1999)」、「追臆のダンス(2002)」では、カメラから滲み出る対象への愛が感じられます。
「杣人物語」では、「萌の朱雀」の舞台ともなった西吉野の山奥で暮らす人々の営みが映し出されて、それぞれの物語を丁寧に綴ります。何の変哲もない田舎の人たちが生きて行く中で紡いできた言葉は、世界のどんな偉人や哲学者よりも深く響きます。人生ってすごい。
「万華鏡」では元教え子のカメラマンが、尾野真千子と三船美佳という2人の全く別の女の子を撮る様を撮るというメタ構造で進みますが、河瀬さんのカメラマンに対する当たりが半端ないです(笑) こんなこと言われたら男でも泣いてまうわっていうぐらい容赦ない。。。表現に中途半端が許せないんですね。さらに三船美佳にも容赦なく言葉をぶつけます。「自分を作るな」。それに対して尾野真千子の自然さはすごいなぁ。「何が足りひんかわかってん。風や、風」と、本当に自然。「カーネーション」での彼女も素晴らしかったけど、やっぱ河瀬さんの前ではここまで自然になれるんですね。またタッグ組んで何か撮ってほしいな。今度ははつらつな彼女がみたいです。
最後の「追臆のダンス」はすごかった。写真評論家の西井一夫からの「あと長くて二ヵ月しか生きられないんだ。俺の最期を撮ってくれないか?頼んだぞ、河瀬」という突然の電話でこのドキュメンタリーの企画はスタートします。冒頭からいきなりお葬式の場面で衝撃でした。これは黒澤明が「 悪い奴ほどよく眠る」で冒頭に結婚式からスタートするのを思い起こさせましたが、こっちはノンフィクションでお葬式ですからね。。。そして西井氏との時間が懇々と流れて行って、最期目を見開いたまま荒い息づかいでカメラを見つめる(あるいはどこも見ていない)眼差しが焼き付けられました。最初からこのドキュメンタリーを彼が見れることはないけど、見れたらどんな辛口を飛ばすのでしょうね。

そんな感じで、本当に勉強になりました。これ、自分の制作に行き詰まった時にまた見たいです。
そして、どんどん彼女のものづくりが「ないものねだり」から「あるものさがし」に変化していってるのもわかります。
それは彼女がずっと欠落感を感じていた「家族」というものを手に入れたのがやっぱり大きいのでしょうね。
後に続く「垂乳女」と「玄牝」ではストレートに誕生を映しとっています。
この2つも是非DVDになってほしいですね。

そしてタイムリーなことに見終えてすぐに宇多田ヒカルのミュージッククリップ「桜流し」も到着。
これもすごい映像ですよね。。。初めて見た時は泣いてしまいましたよ。
宇多田さんの歌も内面をえぐり出すような傷みを伴う表現なので河瀬さんとの相性はいいんでしょうね。
また作品楽しみにしてます!自分もがんばらねば。

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テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

「ピーター・ブルックの魔笛」@びわ湖ホール

ピーター・ブルック演出による「魔笛」を観てきました。
舞台系久々。見返してみたら1年前のdots以来ご無沙汰でした。

彼の名前を知ったのは昨年、友人のすすめで「なにもない空間」を読んでから。
そしたらちょうど彼の来日公演を見つけて行ってみました。
関西での来日公演は2001年の「ハムレットの悲劇」以来だったようで、ラッキーでした。

「魔笛」は元々18世紀末にモーツァルトが完成させたオペラ。
曲を聴けばわかる方がほとんどだと思います。
元々は3時間を超えるものなんですが、ブルックが手がけたこの「魔笛」は極限まで要素を削り落とし、90分の作品に仕上げました。
2010年にパリで初演され、フランス最高の演劇賞モリエール賞を受賞。
その後、24カ国のワールドツアーを経て今回日本にたどり着きました。

それにしてもその削ぎ落とし方がエグイ。
舞台には、竹が何本か配され、ピアノが一台のみ。オーケストラピットはもちろんなし。
最初から最後までこの舞台で繰り広げられます。
まずピアノ一台というのがすごい。
普通はフルオーケストラですが、一人のピアニストが終止音を奏で続けて、このピアニストも演者の一人のようです。というかむしろ彼がいるのといないのとでは、かなり違うのではないのかというぐらい強い印象を与えていました。
そして舞台美術の唯一の要素である竹が見事で、時に森になり、薮になり、壁になり、扉になり、と様々な表情を見せてくれました。
舞台美術について、「なにもない空間」の中で語られています。

「美術の好きな人々には、舞台美術をなぜ<偉大>な画家や彫刻家が手がけないのか、いくら考えても理解できない。しかし、本当に必要なのは不完全な装置図なのである。つまり、厳格ではなくて明確な装置図ー<閉じた>装置ではなくて<開いた>装置と呼びうるものーなのである。ここに演劇的思考の本質がある。真の舞台美術家は自分の作品をたえず動き行動するものとしてーある場面が進むにつれて俳優がその場面にもたらしてくるものとの関係においてー考えるはずだ。言いかえれば、二次元的な画家や三次元的な彫刻家と違って、舞台美術家は時間の経過という第四次元において思考するのである。」

そして好感を持って観られたのがその配役です。
以前オペラを日本で観た時、個人的に最も違和感を覚えたのが配役。
森公美子とかを思い浮かべればわかるように、オペラ歌手の人たちの貫禄が半端ない笑
そりゃ確かにあれだけの声量で歌うのだから当然なんですが、やはりかよわい役とかやるのにあんな人たちが出てきてもらっても説得力に欠けるわけです。
オペラはそうやって観るもんじゃない、と言われればそれまでですが、やっぱビジュアルって大事。
その点今回のオペラは、ちゃんとビジュアルも考えられてるみたいで、ああいうでかい人たちは一切いませんでした。
その分声量には劣るかもしれませんが、夜の女王の歌う「魔笛」は圧巻でした。
どうしたらあんな声が出るのか。。。やっぱすごいです。
あと、登場人物も少ないのがよかった。
オペラって物語も結構無理矢理展開して行くから、誰が誰なのかわけわからなくなることがあるんですが、今回は人数がピアニスト入れて10人。
あらゆる要素を極限まで削ることで、新しい「魔笛」が誕生し、素晴らしく観やすかったです。
以前観たオペラがあまりにむずかしすぎて、もはやトラウマに近い体験だったので、今回少し苦手が克服できたというか、こういうオペラだったら何回でも観に行きたいと思いました。安いし。

御年今年で87歳のブルック。
現在新たにパリにて「The Suit」という舞台が上演中だそうで、まだまだ現役。
また来日公演とかあれば是非観に行きたいですね。
中には8時間以上の舞台とかあるみたいですが、受けて立ちましょう!



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「朱花の月」 by 河瀬直美

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河瀬さんの最新作「朱花の月」を観てきました。
朱花と書いて「はねづ」と読みます。
いつもどこからこんな日本語を持ってくるのか不思議です。
この「朱花」という言葉は、万葉集でよく詠まれた言葉。
朱花の色は、炎や太陽、血を連想させると共に移ろいやすさも表すそうです。

舞台は藤原京の栄えた飛鳥地方。
映画はその藤原京発掘のシーンから始まります。
河瀬さんの映画はいつも静かに始まる印象があるのですが、今回は、土を運ぶベルトコンベアーの轟音からいきなりスタートしてびっくりしました。
以下ネタバレもあるので読みたい人だけどうぞ。


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「EXIT THROUGH THE GIFT SHOP」by BANKSY

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話題のバンクシー初監督作品観に行ってきました!
なんせ「あの」バンクシーですからね。期待も高まります。
更に観た人のほとんどからの絶賛の声!

なんですが、個人的に「え、こんなもん?」って感じでした。。。
ちょっと期待しすぎたかも。
当初「クソのような作品をバカに売りつける方法」というタイトルがついてたそうで、そのままアートマーケットを皮肉った内容なんですが、アートマーケットが腐ってるのはバンクシーがわざわざ知らせなくても周知の事実だしなぁ、、、。
ストーリーとしては、何もかもビデオに収めなければ気が済まない、ちょっと変わった趣味の持つティエリー・グエッタという男が、従兄弟のグラフィティの様子を撮影したのを境にそのスリルにのめり込んで、様々なグラフィティライターと交わっていく中で、自分はそのドキュメンタリーを撮るんだと宣言。
最終的にコンタクト不可能と言われていたバンクシーにまで撮影を許可させ、撮り続け、やがて編集したものを観たバンクシーが見るに耐えない代物と、ティエリーをただの変態扱いし、お前もグラフィティをやってみろとふっかける。
尊敬するバンクシーにそう言われたティエリーは、すっかりやる気になって、ミスター・ブレインウォッシュ(MBW) と名乗り、いきなり最初にして回顧展規模の展覧会を企画し、バンクシーからのお墨付きもあって、ショーは大成功。作品は売れに売れ、しまいにはマドンナのCDジャケットまで手がけてしまう、という嘘みたいな本当の話。
この、ミイラ取りがミイラになる、という構図自体はおもしろいし、単純に色んなグラフィティライターの描いてるところや、バンクシーの貴重な映像など、見どころも多いんだけど、なんか痛快感がない。
最初にバンクシーが、この映画は感動作ではないが、何かの教訓になるかもしれない、みたいなことを言ってたけど、「アートは結局戦略次第」という教訓なら阿呆らしすぎる。
売れること自体は、MBWのようにすれば比較的簡単かもしれないけれど(もちろん手放しで容易いことではない)、作家の欲求がそれだけならあまりに悲しすぎると思う。
バンクシーは、このままいけば確実にアート史に名を刻む人物になると思う。
多くの作家は売れはすれど、その歴史にどれだけ大きな足跡を残せるかは別問題。
売れることと歴史に名が刻まれることは違う。
MBWの場合は、最初から作品の値段をどれだけ上げられるかが彼のモチベーションになっていて、作品をどう発展させるかなんて、ハナから念頭にない。
バンクシーのすごいところは、やはり作品の強度が桁外れということ。
ロンドンにいた時に、バンクシーのグラフィティに何度か出会ったけど、それはもう一目でわかる。
他のと圧倒的に違うのは、クオリティも去る事ながら、作品がその場所に拠っているところ。
つまり、現代美術用語でいうサイトスペシフィックであるということ。
この壁にはこの絵を描くんだという明確な意図があり、事前にリサーチも入念。
彼の作品に偶然出遭った時のあの悦びや興奮はたまらない。
美術館とかだと、自分の「観客」スイッチを予めオンにして臨むけど、彼の作品は本当にいきなり遭遇するので、いきなりスイッチがオンになってアドレナリンが止まらなくなる。
こういう構図もストリートでやってることの凄さだと思う。
あくまで「偶然」出遭うのがミソ。
バンクシーマップなんてのも売ってるけどそんなの邪道です!
そして、これほど社会性に富んだ現代作家を他に知らない。
ストリートで作品を発表するということの意味にすごく自覚的。
中でもイスラエルで行ったグラフィティはやはり伝説だと思う。
銃を向けられながらも、それでも描くんだという強い意志に感動した人は多いと思う。
特に9.11以降、日本ではサリン事件以降、公共で何かをやるには物凄く辛い時代だと思う。
日本でのかつてのハプニング等の活動は、今はほとんど出来る状態にない。
バンクシーが活動の拠点にしてるロンドンも2005年のテロ以降非常に厳しい状態が続いている。
それでも彼はストリートで発表することをやめない。
作品が数千万で取引されるようになった今でも保身に走らない。
かつてのベーコンやフロイドが、売れても売れても挑戦し続けたように、彼はその系譜をしっかりと継承しているように思う。自覚的かはわからないけど。
ちょっと映画は残念だったけど、でもやっぱり僕はバンクシーが好きです。

映画公式ウェブサイト>>http://www.uplink.co.jp/exitthrough/
Banksy公式ウェブサイト>>http://www.banksy.co.uk/

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<関連書籍>



テーマ : アート・デザイン
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dots「手紙/断章/往復させる、折りたたむ」@GURA

dotsの新作公演に行ってきました。
舞台はなんと、知人の宮永亮くんらが制作をしている伏見にあるGURAというアトリエ。
元々酒蔵だったのを自分たちで改装してアトリエにしています。
空間としても横長で広くて、梁とかとてもおもしろいです。
それにしても舞台までやっちゃうとは。すごいなー。
うちら90とはまた違う方向性で棲み分けできてるようで嬉しいです。
こういう色んな種類の場所がもっと増えたら京都はもっとおもしろくなるでしょうね。
今のところ白川にあるmuzzと三条にあるRADとGURAと我々90ぐらいでしょうか。
そんなわけもあってとても楽しみにしていました。
スタッフの本郷さんからメールを頂き、予約フォームがあったので、念のため予約しておいたらすぐさま予約は埋まってしまい、dotsの人気が伺えました。
舞台は、GURAの団欒の場所となってる大きな丸いちゃぶ台のあるところ。
その前に椅子が並んでて、客席と舞台の距離が半端無く近い。
ちょっと早めに行ったので真ん前の席をゲットできました。

舞台は実際に演出家の桑折さんが行っている往復書簡を軸に展開します。
今回異例なのが、その桑折さん自身が舞台に上がること。
そして、文章を「読む」という行為が今回メインとなるのですが、dotsの舞台って基本喋らないことが多いので、これはdotsとしては新たな展開と言えるでしょう。
そしてdotsの十八番とも言える壮大な舞台装置や照明も今回はありません。
今回の舞台は、そういった点でも異例中の異例で、これまで築いてきた「dotsらしさ」をリセットするようなとても危うい舞台だったと思います。
中々その「らしさ」を脱ぐことってできることじゃないと思うんだけれど、このGURAとの出会いがdotsをしてそういう決断に踏み切らせたのかなと思うととても美しい関係ですね。
実際に観終わってみて、これまでのdotsを求めてしまうと物足りなさもあったのは事実だけれど、それでも要素が色々剥がれることで見えてくるdotsの芯のようなものが見れたような気がしました。
そういう芯の部分が垣間見れたのはこれからdotsの舞台を観ていく中で観客にとっても貴重な体験だったのではないでしょうか。
初めてdotsの舞台を観た人はどんな感想だったのかも知りたいですね。
って、僕もまだこれ入れて3回しか見てないので、まだまだ勉強させていただきたいと思ってます。
それにしてもあの近さはすごかったなーー。
もうパフォーマーに触れんばかりの勢いでした。
それに、大きな舞台では中々見れないパフォーマーの細かい動きや表情まで観れたのはよかった。
あと舞台装置でもある封筒が、入場の時にもらえるやつと一緒なのがなんだか嬉しい。
公演は明日も続きます!こちら


ちなみにGURAと90は、緯度がほぼ一緒。
GURAからまっすぐ東に向かうと90です。よかったらどうぞ!

テーマ : 演劇
ジャンル : 学問・文化・芸術

「ハーブ&ドロシー」by佐々木芽生

IMG_1818.jpg

ついに先日関西で封切られた「ハーブ&ドロシー」を観てきました。
うーん、期待通り、素晴らしい映画。
というより、やはりこのモチーフとなるハーブとドロシーが素敵過ぎる。
彼らはNYを代表するコレクター。
コレクターというと大金持ちのイメージですが、彼らは違います。
夫のハーブは郵便局員、妻のドロシーは図書館司書という平均的な所得の中から膨大なアートを集めている。
生活費はドロシーの所得で賄い、ハーブの所得はすべてアートへつぎ込む。
40年間同じ1LDKのアパートに住み、細々としかし実に贅沢に暮らしています。
彼らの家は蒐集してきた作品で溢れていて、通り抜けるのも一苦労な状態。
そんな彼らにワシントン国立美術館から作品寄贈の依頼を受ける。
これまで他の美術館からも同様のオファーがあったが、様々な理由で断り続けてきた夫妻。
しかし「所蔵作品は永遠に売らない」「常設展は無料」というこの美術館になら、とオファーを快諾。
と、ここまではいいものの、実際家から出したらなんとトラック5台分にも及ぶ量!!
作品総数実に5000点近く・・・!!!
どうやってこんな1LDKのアパートに収まっていたんだ・・・。
さすがの美術館も容量オーバーで1000点のみワシントンが所蔵し、あとはアメリカ50州の50の美術館に50点ずつ分配するということに。(それでも3500点ですが・・・。)
その美術館たちが5年以内に50x50プロジェクトと題して「ヴォーゲルコレクション展」を開催。
佐々木監督はこの続編として50x50プロジェクトを追っているそうです。楽しみ。
というか、この映画を日本人が撮ってたのがびっくり。
佐々木さんは元々日本のテレビ局で番組制作に携わってた方で2002年に渡米し、この作品が初監督作品。
映画作りも初めてで、現代美術もよくわからない、さらに外国。
よくもこれだけのものを撮れたと思います。
資金繰りの苦労などたくさんあったようですが、全米でのヒット、さらに日本での公開まで漕ぎ着けたそのエネルギーに脱帽。
それもやはりこの夫妻の魅力があってのことなんでしょうね。

彼らのコレクションはこの何十年のアメリカ美術史を網羅している。
ソル・ルウィットやチャック・クロース、クリスト&ジャンヌ=クロードまで!
家に入ることと、無理なく買えることという条件さえ整えばガンガン買っていきます。
時には作家のアトリエまで訪ねていって、直に買ってたりして。
作家の作品の変遷をちゃんと追った上でどの作品が重要かを的確に判断します。
彼らのすごいのは、作品だけで事足らず、床に落ちてるスケッチとかまで買ってっちゃうこと。
現金で支払、そのままそれを持って地下鉄やタクシーで帰っていく。
中にはルウィットの指示書で風呂場にドロシーが描いたドローイングなんてものもあります。
見た目に乏しいコンセプチュアル・アートやミニマル・アートを蒐集していたのがすごい。
家に飾るだけの目的なら、もっと華やかな物が欲しくなるような気がするけど。
実際リチャード・タトルの紐の切れ端みたいなものまでコレクションしてる・・・。
「コレクション」のテーマをしっかりと決めているところが素晴らしい。
好きなものだけ買っていたら、ここまでのコレクションになってなかったと思います。
実際ハーブも「理解出来ないけど買ってしまうんだ」と言ってましたね。
「美人は3日で飽きる」というやつでしょうか・・・。
小山登美夫さんの本だったかで、作品を買うなら少し嫌だなとか理解出来ないと思うものを買った方がいいとか書いてあった気がする。
確かに日常にそれがあることで、少しずつ分かりあえてくるのかもしれません。
ドロシー曰く「一緒に暮らせば分かります。初めは好きになれなくても次第に愛着がわくんです」とのこと。
しかし、嫌いと思ってるものにお金を出すことって中々できることじゃありません・・・。
それもこれも彼らの審美眼なしには難しいでしょう。
いいと思ったら即購入。驚くほど迷いがありません。
映画の中で、彼らのペット好きな一面も見えて、誰かが「コレクターには動物好きが多い」というホンマかいな的発言がありましたが、実際ペットを見る目と作品を見る目が似ている。
慈愛というべき愛情に満ちた目。
というかネコとか作品引っ掻かないんかしら・・・。

とまあ、彼らのすごい点を挙げていくと本当にキリがありません。
作品への愛が映画からほとばしってました。
5000点近くもあるのに、一点一点ちゃんと覚えていて説明してくれる。
今や数点売ればもっと豪華な生活ができるのに、生涯で一作も売ったことがない。
こんな人達が本当に存在するのか、と夢物語でも見ている気分。
コレクターには色んなタイプの人がいますが、志を持ったコレクターに作品を買ってもらうことほど作家にとって幸せなことはありません。
こういうコレクターが世界にたくさんいてくれたらいいな、と思います。
彼らとすごく被るなぁと思うのが田中恒子さん。
関西のアート関係者で知らない人はもはやいないでしょう。
彼女も熱狂的なコレクターで、様々なオープニングでおみかけします。
そして昨年和歌山の美術館に作品を寄贈されました。
まさに日本の「ハーブ&ドロシー」!
田中恒子コレクション展@和歌山県立近代美術館

あとこの映画を見ていて、2人がNYにこだわって住んでるのも印象的でした。
こんな生活なので、旅行に行くこともない2人。
ほとんどNYを出ることはありません。
それでもやはりそこは世界の中心で、自分たちが行かなくても世界から集まってくる街。
アートもここに住んでいれば、世界の動向がすぐわかるというわけ。
その意味でもクリストとジャンヌのThe Gateは2人への最高のプレゼントになったのかも。
映画の中でまだ生きてるジャンヌの証言も印象的でしたね。

明日のとくダネではこの映画の特集が組まれてるそうです。
是非チェックしましょう。

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