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Wayne McGregor x Olafur Eliasson x Jamie xx "tree of codes" @ 香港文化中心



香港に行ってきました!
2017年3月にピナ・バウシュ観に行って以来一年半ぶりの香港。そして海外もそれ以来。
目的はオラファーが美術を手がけた舞台「tree of codes」です。

この舞台の存在を知ったのは確か1年前ぐらい。
知人がこの舞台をパリのオペラ座で見てめちゃ良かったと自慢されたのです。。。
そもそもその前にその知人が教えてくれた、ウェイン・マクレガーなる人物。この人がすごい。
英国ロイヤル・バレエ団やパリ・オペラ座バレエ団など超がつく一流カンパニーも振付るコレオグラファー。
自身のカンパニーStudio Wayne McGregorもあります。こちら
彼のすごいところは、そんな「超」がつくカンパニーに対しても、平気でコンテンポラリーな演出を仕掛けてくるところ。
彼らの技術を最大限に活かしながら、伝統に囚われない動きを並行して振付る。
そんな彼が英国ロイヤル・バレエ団を演出した「Woolf Works」が日本の映画館で観られるというので観たのが昨年の4月。
衝撃でした。
この作品はヴァージニア・ウルフの作品を元に構成されていて、3章からなる作品。
音楽がMax Richterという人で、この人の音楽がまたものすごく良くて音源買ってしまったほど。
そしてダンスが本当にすごかった。特に第2章のコンテンポラリーっぷりがすごかった。
まあ、見てください。バレエの動きも技術も備わってるのに完全に新しい動きになってる。。。
美しすぎて泣けます。



そんな彼の作品にオラファーの美術!最強やないか!
観たい。。。どうしても観たい。。。でもヨーロッパまでは行けない。。。
と思っていたらまたその知人がその舞台が香港でやるらしいとの情報をくれたのです。
香港。。。と思ったけどもはやアジアに来てくれるなら観に行かない手はない!
ということでチケットも飛行機も勢いでとりましたとも!

で、ようやく本題です。(あいかわらずの前置きの長さ)
会場は九龍の南端にある香港文化中心。ピナ以来2回目!
当日早朝に起きて飛行機に乗ってやって来たので体調的には万全ではなく、正直始まる手前まで眠気が襲ってきてて、途中寝ちゃうかも。。。と思ってたのですが杞憂でした。
75分間目見開きっぱなし。すごかった。思い出しても鳥肌が立つ。観にきた甲斐がありすぎ。

冒頭のっけからやられました。
暗闇の中で体にいくつかのライトをつけたダンサーが踊るんですが、ダンサー自体の身体が見えない!
まるで蛍が舞ってるようで本当に美しかった。。。すごい演出。。。
そこからオラファーの万華鏡のような作品を持ったダンサーたちがそこに手を差し入れたりして複雑な像を作り出して、その後天井から鏡面の壁が登場し、さらに半鏡面の壁が降りてきて、最後にはさらにカラープラスティックの壁が降りてきます。
このレイヤー構造に、さらに最奥には色の変わる壁があったりで色彩もそこに加わる。
真ん中の半鏡面の壁は途中で傾いて、反射像が動く様もすごい。
そして途中客席にライトが当たる瞬間が何度かあって、客席が舞台の鏡面壁に写ってメタ構造にもなる。
その前や間や後ろでダンサーたちは踊って、鏡面で幾重にも増殖する像でもう何がなんやら。。。
最後はカラープラスティックの真ん中の丸い二つの円が回転して、今まで青い照明で踊ってると思っていたのに、円が開いた奥側は実は真っ赤なライトで照らされてたことがわかった瞬間は本当に鳥肌がたった。
さらにその円にライトが当たって客席を揺らいだ反射光が照らし出す。。。
と、書いても書いても伝わらない感すごい笑
このレイヤー構造は、今作の元になったJonathan Safran Foerの「tree of codes」という本から来てる見たいで、これは本というより彫刻。原作の本を切り抜いて新しい作品に仕上げるという脱構築的な作品。下のインタビュー映像にも出てきます。
そしてなんといってもダンサーの美しさが本当に素晴らしかった。
今回はマクレガーのカンパニーにプラスオペラ座バレエ団という豪華な布陣。
彼らの筋肉が本当にすごいし、技術に裏付けられた動きが見事すぎて素人目でもわかるぐらい。
これまたバレエの技術を使いながらの動きで、最後の全員で踊り狂う様は圧巻。
そして、先日見たフォーサイスの演出バレエ・ロレーヌのように、男女だけじゃなくて、男男、女女の組み合わせのデュオのダンスもあって、それがまた本当に美しいんですよ!
こういうジェンダーを超えた演出って涙が出るぐらい美しい。人間愛を感じる。
正直こないだの横浜はフォーサイス以外消化不良だったので、今回で完全に払拭しました。
そこにJamie xxの音楽がこれまた半端なくかっこいいのです。
言葉では本当に尽くせないのが残念ですが、これはぜひ生で観るべき舞台。
マクレガー演出の舞台全部観たい。。。ほとんどヨーロッパなんだけど。。。
日本でもし万が一やったら絶対観るべき舞台です。



ところでこの日はアフタートークがあったのですが、その中で現在オラファーはベルリン・オペラとのコラボレーションを制作中との情報が!これはこれで観たいけどヨーロッパは遠いぜよ!泣

藤田貴大「書を捨てよ町へ出よう」 @ 東京芸術劇場



マームとジプシー代表の藤田貴大による「書を捨てよ町へ出よう」を観に行きました。
まだ始まったばかりなのでネタバレ防止で以下は見たい人だけどうぞ。




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藤田貴大「BOAT」@ 東京芸術劇場



マームとジプシーの藤田さんの新作を観に行きました。
僕が観てきた中では一番大きな会場です。
年齢は関係ないとはいえ、この若さでこれだけの規模と会場でやれるのは純粋にすごい。
そして、相変わらず発表のペースが異常。
昨年の秋に初めて観て以来既に5つ目の作品。しかも一つ見逃してる。
さらに8月10月12月とすでに発表の予定があるという。。。

以降ネタバレになるかもしれないので読みたい人だけどうぞ。







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「想田和弘と世界」 @ イメージフォーラム

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東京に住んで最も大きな恩恵は映画と舞台だと思います。
展覧会と違って映画や舞台は日時がしっかり決まってるのでそんなピンポイントで足を運ぶのは地方に住んでると困難。
ということで、今回は引っ越してきていきなり映画三昧な日々の話。

映画なんてどこでも観れるやんって思う人もいるかと思いますが、僕が観たいマニアックな映画は東京でしかやってないことが多いのです。あと封切りも日本一早いし。
以前のアピチャッポン特集なんかもそうで、映画観るために高い交通費と時間かけるなんて、と思いつつ観に行ったもんです。。。泣
実際その時に観た「トロピカル・マラデー」は日本でDVD化もしていなければ、いまだに東京以外での上映はされてないと思います。
特に渋谷には今回のイメージフォーラムをはじめ、アップリンクやユーロスペースなど、マニアックな映画館が多いのです。
で、今回は想田和弘特集
合計6本、3日間イメージフォーラムに通いました。。。

想田さんの映画を初めて観たのは2015年の「牡蠣工場」という映画。
それまでも作品はなんとなく聞いてたけど実際観たのはその映画が初。
そもそも彼の名前を強く意識したのはTwitterの彼の発言がとても興味深かったから。
当時スイスでTwitterをしていた頃にフォローし始めて、右傾化していく日本を冷静に見つめてらっしゃって、とても参考になる意見が多く、ぜひ作品を観てみたいと思ったものです。
帰国後「牡蠣工場」という映画が封切りされるということで舞台挨拶に合わせて十三の第七藝術劇場まで観に行きました。
彼自身が「観察映画」と称する通り、そこにはナレーションもなければ、特定の人物を追うわけでもない、淡々と尾道の牡蠣工場の日常を「観察」するフィルムでした。
しかしそこにはいろんな問題が孕んでいるのがあぶり出しのように見えてきて、とても興味深かったのです。
それまで僕の中でドキュメンタリー映画というのは、何かしら強い主義主張があって、多少一方的であってもそれを実証するために映像をつなげていくものだという意識がありました。マイケル・ムーアなんかが顕著。
その方が観客も観やすいし、メッセージが明確なのでなるほど、と腑に落ちる。
逆にメッセージが曖昧なドキュメンタリーほど観ていてつまらないものはないのです。
しかし想田作品の場合、それが全く苦にならない。
多分想田さん自身、撮りながらその場その場で事実を発見して驚いたりしながら撮ってるのではと思うんだけど、観客とその時点を撮ってる想田さんの感情が一致してる感じがあって、とても新鮮。
その時のトークで印象的だったのが、彼がそういう映画を撮り始めたきっかけの話。
想田さんは元々テレビ局のドキュメンタリーを撮っていた人なのですが、9.11が起こった時に実際WTCで観た光景ってのが、あのツインタワーの模型がばか売れしてるって場面だったそうで、でもそういう場面は「怒りと悲しみ」というテーマの元製作されてるテレビのドキュメンタリーでは使えないもの。でもそれも現実だよなぁと、フツフツと思い始めて今の「観察映画」というものを作ろうと思われたのだとか。
(なんで「牡蠣工場」の記事を書いてなかったのか自分で謎。。。)

そして2007年、初の「観察映画」が「選挙」。
大学時代の同級生山内和彦さんが小泉政権の自民党推薦で地方議員選挙に出るというのでその模様を映し出した一本。
これがまあ、世界にはとてもお見せしたくないほど幼稚な日本の、というか自民党の選挙活動が残酷なほど露わに映し出されています。
そこに翻弄される山内さんが不憫で不憫でなりません。
その後山内さんは自民党を辞め(辞めさせられ?)、再び無所属で選挙に出ることになります。
それを改めて追ったのが2013年の「選挙2」。
これはぜひセットで観るべきものだと思いました。
1でただただ不憫だった山内さんが2で豹変してます。
というより、元々2の奔放なのが山内さん自身で、いかに1で歪められてたかがはっきりわかる構造。
政局から離れていた山内さんが、再び無所属で選挙に帰ってきたのは東日本大震災後の原発問題がきっかけ。
それを推し進めてきた自民党に一時期でも所属していた自分の責任に立ち上がったのです。
結果としては残念ながら通りませんでしたが、この映画に2があるのはとても素晴らしいと思いました。
2では1で応援していた自民党員がそこを離れた途端に態度を翻してる姿も映し出されます。
いやぁ、マジで自民党。。。
これが日本の政治かと思うと憂鬱になりますが、これが現実。
その後に想田監督と山内さん自身のトークもめっちゃ面白かった。

他に面白かったのは「演劇」と「演劇2」。どちらも2012年の作品でそれぞれ3時間近くある。。。
最後のトークも合わせたらイメフォに7時間近くいた気がする。。。
それでもやっぱり見飽きることなく面白いんだよなぁ。
これは平田オリザを追ったドキュメンタリーなんだけど、改めて平田オリザの怪物性が浮き彫りになる。
僕は彼の演劇自体は全然好きじゃないんだけど、彼自身は本当に興味深い人間だと思う。
発言もまともで理路整然としていて誰でも理解できるし、冷静に物事を見ている。
一度映画の中で俳優を怒鳴ってるシーンがあるけど、そこ以外はどんな場面でも冷静沈着。
びっくりするのが稽古中でも15分休憩の間に熟睡する技。
2の最後はそのいびきで終わるのも秀逸。
ただただ平田オリザという人間の巨大さを思い知る映画だけど、そこにしっかり想田さんの観察眼が生きてる。
本当にどこまで映すねんってぐらい執拗にカメラが入って行くんだけど、まるで透明人間みたいに全然気にしない人々。
普通カメラがあると、人って意識しちゃうもんだろうけど、それが全くない。どうやってるのか謎。
多分想田さんが空気になるのが上手い人間なんだろう。
その透明性が、平田オリザを何のノイズもなく6時間近く見ても飽きさせないマジックなんだと思う。

後の2本、「精神」と「Peace」はちょっとイマイチだったので割愛。
なんか普通にインタビューとかしちゃったりしてて、「観察」から離れる場面が多かったので。
上の「選挙」と「演劇」はほとんど想田さん自身が話しかける場面ってないんですよね。
特に「演劇」は、インタビューしてる姿をとったりして、インタビュアーやりにくいだろうな、って笑


で、さらに2本立て続けに新作が上映されました。
一本は「港町」。
「牡蠣工場」を撮ってる時に「たまたま」撮れたおこぼれみたいな映画なんだけど、僕は想田監督作品の中で、これが一番すごい映画だと思います。
というのも、これまでの映画は「観察」と言いながら、まずターゲットを絞らないと撮れない映画。
しかしこれは本当にたまたま撮れちゃったギフトのような奇跡。
はじめ、どこにでもある港町で、その辺のおじいちゃんやおばあちゃんを撮ってるだけかと思って、何を見せられてるんだろう感がすごいんだけど、おばあちゃんがいきなり話し始めた内容がすごすぎて、いきなり時空が歪んじゃう。
どこにでもある風景なんて実はないし、ありふれた人生なんてのもどこにもない。
何の作為もなく撮り始めて結果的にここまで大きなものを撮れたのは、これまで監督が「観察」を続けてきたご褒美なのかもしれない。
こんな作品これから一生撮れないかもしれないけど、積み重ねるって大事だなと思いました。
あと白黒ってのもいい。この現実をしっかり撮ってるのに非現実感のある感じが素晴らしい。

もう一本、「THE BIG HOUSE」は「港町」と真逆の大スペクタクル作品。
アメリカンのミシガン大学にある超巨大スタジアムを「観察」したもので、想田作品初の海外舞台。
とはいえ彼はもうずっとNYに住んでるし、ようやく本場で撮り始めたなっていう感覚。
しかしこれはちょっと非現実すぎて中々気持ちが入っていけなかった。
確かにその舞台裏に色んなレイヤーが見え隠れするんだけど、話が大きすぎた。
次回作はアメリカの冤罪で釈放された人々を追うドキュメンタリーらしいけど、そっちに期待。


とまあ、私の東京映画ライフは想田監督特集で始まりました。
他にも見事パルムドールをとった是枝監督の「万引き家族」や河瀬監督の「Vision」も観ました。
まさか是枝監督が河瀬さんより先にパルムドールとはと思いましたね。
なんか苦手なんですよね、彼の映画。今回もいいんだけど深部にまで刺さらないというか。
むしろ賞は取れなかったけど、同じくカンヌにノミネートしてた濱口監督の「寝ても覚めても」を早く観たい!
河瀬さんの新作は、正直ひどかった。。。ついにファンタジーになってしまったか、という残念感。。。

という感じです。しばらく映画はいいや笑
次回は舞台三昧な日々をお送りします。(予定)






追記

こんな番組を見つけてしまった!



是枝監督と想田監督、なんとも夢の対談。
二人のドキュメンタリー論が面白すぎて何度見ても濃いです。
そんな中是枝さんのこの発言は非常に鋭い。

「現場の方法論的に言うと、フィクションとドキュメンタリーってそんなに違うつもりはなく立ち会ってるけど、作品世界に私がどう立ち会うかってことを考えたら、多分、三人称と相手の気持ちに入っていく一人称が許されるのはフィクションで、神の目線て多分、すごく傲慢な作り手がフィクションをやるんだと僕は思うけど、神の目線を手に入れるのがフィクションだとするとさ、ドキュメンタリーの作り手ってそこからいかに離れているかっていう、私とあなたの関係に留まる、二の関係に留まる、二人称に留まるっていう倫理観をどのくらい保てるかっていう人が多分僕はドキュメンタリーをやるんだと思うんですけど。そこが多分誤解されてるんだよね。三人称がドキュメンタリーだっていう風に。」

想田作品に漂うあの感じはここに根っこがありそう。
あと、「精神」や「港町」で突如として繰り広げられる告白についてもコメントしてて面白い。
やっぱり観客と同じ瞬間を共有してる感ってのはこの観察映画ならでは。
ドキュメンタリーとお金の話もとても興味深いです。NHKの批判合戦みたいになってるけど笑
これはぜひ何度も繰り返し見てみてほしい動画です。どうか消えないで。

ビガイルド by ソフィア・コッポラ



この時期はカンヌ系の映画の日本上映が続々と始まるので足繁く映画館に通うことになります。

そんな中でも監督賞を受賞したソフィア・コッポラの「ビガイルド」はさすがといった感じでした。
元々好きな監督ですが、前作の「ブリングリング」は正直つまらなかった。
ミュージックビデオの長い版といった感じで映画の醍醐味はほとんど感じられなかったのです。
そこから一転今作にはほとんど音楽が出てきません。
ソフィアといったら音楽が映画の中で要になることが多い印象があります。
出世作の「ロスト・イン・トランスレーション」も「サムウェア」も音楽が常に鳴ってる印象。
今作の音楽と言えば実際に映画の中で少女が口ずさむ鼻歌と、音楽室で奏でられる演奏。
BGMではなく、演者が奏でる音たち。でもこの音がやはり映画に大きな印象を残してるのは確か。
冒頭から鼻歌で始まり、森の美しい映像でスタートし、エンディングも鼻歌から。
この冒頭のシーンはなんとなく頭に焼き付いてしまいます。
そこから負傷兵のコリン・ファレルが登場するのですが、女学校の女たちを魅惑するだけのセクシーさ。
さらに学園長のニコール・キッドマンに「サムウェア」で大人と少女の間を見事に演じたエル・ファニングがファレルを誘惑するという成長を遂げるシーンも。
キャストだけでも見どころ満載なわけだけど、そこに飲まれないソフィアワールド。
これまで煌びやかな映像を撮ってきた彼女だけに、こういうダークトーンのミステリーとの相性はどうかと案じていたけど、ソフィアの柔らかな映像美はそのままに、いや、むしろその爽やかさが余計にダークさを演出していました。
ストーリー展開はネタバレになるので書きませんが、新たなソフィアの魅力が引き出された映画だったと思います。
それにしても邦題の副タイトル「欲望の目覚め」ってなんとかならんのか。。。AVかよ






お次は脚本賞を受賞した「聖なる鹿殺し」。
こちらもなんとニコール・キッドマンとコリン・ファレルの共演。
同じ映画祭で共演したものが二本もノミネートされるのはすごい。
こちらは正直内容は大したことないです。(きっぱり)
でも、見せる力がすごい。
音楽と演出と演者の演技。特にファレルの早口の感じは不気味だった。
そして要となるバリー・コーガンの不気味さがすごい。
もう顔立ちから不気味なんだけど、他の役できるのかってぐらい印象的。
同監督の前作「ロブスター」は最高だった。
独身者は動物になるという謎すぎる設定だけど、そんなの気にならないぐらい展開がうまい。
設定が突飛すぎていちいちなんで?ってならなくて済むのもいいです。
「鹿殺し」は設定が現実的なのに青年の呪いが突飛すぎてなんで?ってなっちゃうのが辛い。
「ロブスター」はその設定だけでなく、「人が人を好きになること」と「人が人を好きじゃなくなっていくこと」の普遍的なテーマもじわじわと沁みてきて飽きさせません。
前半と後半でルールが逆転するのも面白かった。
森の中にひっそりと独身者たちが住んでるのは「華氏451」を彷彿とさせました。
こちらもファレルなんだけど、役作りのためかめっちゃ太っててびっくり。でもセクシーです。
次回作に期待ですね。




あとベルリン映画祭で銀熊賞を受賞したカウリスマキの「希望のかなた」もよかった。
カウリスマキ映画の独特なゆるさをそのままに、難民問題を取り扱った意欲作。
難民問題の映画は近年何本も見てるけど、感動の押し付けみたいなのが多いんですよね。
泣ける映画=いい映画ってのは絶対違う。
その点この映画にはそういう押し付けがましさみたいなのはありません。
ただただ目の前に起きてる寛容と不寛容を目撃する。
え、なんで?ってくらい不自然に寛容なんだけど、そこに理由を詮索するのは野暮。
さらに笑えるところもたくさんだし、音楽もなんだかノスタルジック、映像もシュール。映画として素晴らしい。
皆言ってるけど、主人公が山田孝之に見えて仕方ないのはご愛嬌。
正直「ル・アーブルの靴磨き」の焼き直し感もあるけどいい映画はそれでもやっぱりいい。


あと「デイヴィッド・リンチのアートライフ」も観たけどこれはかなりの期待はずれ。
リンチのドキュメンタリーなんだけど、あくまで彼の「アートライフ」に絞ったもの。
タイトルはまんまなんだけど、やっぱり監督としてのリンチが観たかった。
最後に「イレイザー・ヘッド」の撮影秘話に移る直前で終わるっていう・・・。
「フィルムライフ」を是非観たいです。

今月はいよいよパルムドールを取った「スクエア」も始まるので期待してます。

地点「正面に気をつけろ」@ アンダースロー

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とにかくよかった。とにかく最高だった。言葉にならない。
これまで散々観てきた地点でしたが、最高傑作だったかも。

と、思わせてくれたのがアンダースローでは初となる新作「正面に気をつけろ」です。
本作はこのアンダースローで開花した才能、松原俊太郎によるもの。
松原さんは地点のレパートリーを見続けて感想文を提出するというカルチベートプログラムに参加して、その後三浦さんも審査員として参加する愛知県芸術劇場でのコンペ初めて書いた戯曲が優秀作品に選ばれそれを地点が演ずるというできすぎたシンデレラストーリーがあるのです。
その後地点は毎年神奈川芸術劇場(KAAT)との共同作品の新作に松原さんを指名。
そこで発表された「忘れる日本人」は個人的にはイマイチでした。
なので、今回はどうかなぁと不安だったのですが、素晴らしいの一言。あー最高。

今回の「正面に気をつけろ」は、ブレヒトの「ファッツァー」が元にあります。
「ファッツァー」の舞台をドイツから日本に移し、日本の戦争から3.11の事にも言及が及びます。
「ファッツァー」は地点のレパートリーとしてもかなり重要な作品で、「ファッツァー」同様空間現代とのコラボ。
前回の「どん底」は音源のみでしたが、今回は生演奏。
そしてこの空間現代の音楽が最高によかった。最高すぎた。
これまで何度も地点とコラボしてる空間現代ですが、今回が一番空間現代のまま参加していたというか、やはりこれまでは地点の演目に合わせていた部分ってのが多少あった気もするのですが、今回に関しては、空間現代の音楽がそのまま劇中に流れていて、それが全くノイズにならず、美しく一つの演目として成立していたのです。
思わず帰りにCD2枚買ってしまった。これからどんどん聞いていこう。
そこに被せるように叫び続ける演者さんたちのエネルギーは相変わらず。
音楽でかき消されてるのにセリフを発し続けるんです。並大抵じゃない。
特に「支配」について語る場面は物凄かった。
最後にランダムに番号を言うんだけど、それがめっちゃかっこいいんです。
演出も相変わらずかっこいい。
「ファッツァー」同様、この世とあの世を分けるように、真ん中に川のような鏡面の溝があり、基本は演者さんたちは溝の「彼岸」で演じてるんだけど、たまに観客席側の「此岸」に移ってくるんだけど、その時にコンビニに入る時の音が鳴るんですよね。「彼岸」に戻ると鳴り止む。最初それがコミカルなんだけど、段々とシリアスに響いてくる。その音が空間現代の音楽と合わさった日にゃ、もう痺れます。
今回の決め台詞「参ったな」もよかった。
「汝、気にすることなかれ」の「まいっか」ぐらいの力があった。
「忘れる日本人」の「わっしょい」はないなぁと思ってたので、ここ繊細に決めて欲しいなぁ。
なんせ「決め」台詞なので、決まると決まらないとで作品全体の印象がガラリと変わってしまう。
中に「ファッツァー」の決め台詞「こんちくしょー」も混じったりしてて楽しかった。
難点としては、最近の地点は、特に小林さんの独壇の場で言葉の後にタイトルつけるのが恒例になってるんだけど、前回の「どん底」にせよ、今回の「気をつけろ」にせよやはり無理やり感しかない。「ファッツァー」は語尾につけると不思議な響きがあってよかったんだけど、日本語は無茶かも。
それと、これは仕方ないんだけど、やはり新人さんの麻上さんの空気がまだ馴染んでなかった。
これが河野さんだったらなぁと思う場面がいくつもありました。頑張って馴染んで欲しい。

今回は動きもなんとなくダンスっぽくて、空間現代もメロディアスだったので、初めて見る人にも入りやすいかも。
3月11日までやってるので、まだの人は是々非々!!


次回はKAATでまたまた松原さんと共作の「山山」!楽しみにしてます!

<関連記事>
地点「汝、気にすることなかれ」@アンダースロー
地点「ロミオとジュリエット」@ 早稲田大学大隈講堂
地点「みちゆき」 @愛知県芸術劇場
地点「スポーツ劇」@ロームシアター京都
地点「光のない。」
地点「悪霊」@ KAAT
地点「CHITENの近未来語」@アンダースロー
地点「かもめ」@ Cafe Montage
地点「コリオレイナス」@京都府立府民ホールアルティ
地点「――ところでアルトーさん、」@京都芸術センター

川上未映子×マームとジプシー「みえるわ」 @ 味園ユニバース

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マームとジプシー、段々とハマり始めています。。。
昨秋二作連続で見てからというもの、あの感覚が頭から離れません。こちら
そこから十周年企画の続きとしてコラボもの2作を発表しています。
マームは以前から「マームとだれかさん」という企画で何作かコラボ作品があるみたい。
にしても地点もそうだが発表のペースがすごい。。。
ということで時系列ではないけどまずは先日大阪の味園ユニバースで観た「みえるわ」から。

味園ユニバース、初潜入でめっちゃ興奮。
前から千日前にやたらバブリーな建物があるなとは思ってたけど中はお初。
もうね、めちゃくちゃバブリー!
元キャバレーをそのままライブ会場にしたところで、ソファー席とかあってすごく豪華。
天井や装飾もやたら派手でテンションが上がる上がる。
で、演目は川上未映子のテキストを使ったもの。
川上さんって読んだことないけど、芥川賞とって話題になって、タイトルが独特やなという印象。
「先端で、さすわ さされるわ そらええわ」とか「そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります」とか。「わたくし率 イン 歯ー、または世界」もすごい。
そんな独特なテキストをどう料理するのかと思ってました。
そしたら青柳いづみの独壇場でほぼほぼライブ状態。
滝のようにテキストが吐き出される様はまるでアジテーション。
味園ユニバースのド派手な演出も加わり狂気そのもの。(背景の蛍光灯すごかった)
これ他の会場だとどんな感じやったんやろ。。。
正直味園ユニバースという場の力がすごすぎて、内容自体はほとんど入ってこなかった。
音楽との融合も楽しかったんやけど、何を見させられているんだろう感が結構あったのです。
次々とテキストを吐き出す青柳さんのパワーはすごいけど、マームのあの独特な繊細さはなかったなぁ。
ということでマームというより味園ユニバースに酔いしれた夜となりました。
あと会場も豪華だったけど、衣装もANREALAGEやsuzuki takayukiで、フライヤーもヒグチユウコと超豪華でした。


そしてもう一つ、歌人の穂村弘とブックデザイナーの名久井直子とのコラボ「ぬいぐるみたちがなんだか変だよと囁いている引っ越しの夜」。
去年の12月に原宿VACANTにて。
これがものすごくよかったです。
VACANTという会場が服屋の上にあるんだけど、屋根裏部屋みたいな雰囲気でとてもよかった。
内容は穂村弘さんの個人史みたいな感じなんだけど、またも青柳いづみの独壇場。
穂村さん自身は出てこないのに、青柳さんが穂村さんの歴史を生まれる前から辿っていく。
あー、俳優って何にでもなれるんやなぁとしみじみ思えた。
中には穂村さんのお父さんも出てくるんだけど、この人の歴史が興味深い。
北海道で生まれ育ってから炭鉱の仕事でドイツに渡り、帰国後結婚し穂村弘を生むんだけど、実はその前にドイツで帰国の際に離れ離れになってしまったドイツ人の恋人の話とかリアルロマンス。穂村さん自身は父親のロマンス聞かされてもって感じかもしれないけど笑
その後仕事の関係で転々と引越しが続くんだけど、実はそれは仕事のせいではなく、お母さんが風水にハマって気のいい方角にどんどん引っ越していたという話はすごかった。
そして、穂村さんがそれまで住んできた家の間取りを記憶を辿りながら書いていくのも面白い。
こういうホーム感覚はマームの根幹をなすものだと思う。
彼らの名前「マームとジプシー」は、マーム=故郷でそれを求めて彷徨う流浪の旅人のよう。
中島みゆきの「時代」の歌詞を思い出します。

旅を続ける人々は いつか故郷に出会う日を
たとえ今夜は倒れても きっと信じてドアを出る


この「故郷に出会う」という表現が彼女独特なんだけど、マームにも通じる気がします。
故郷は、すでにあるものではなくて、自分で見つけ出すものなんですよね。
そのためには動き続けなくてはならない。
(そういえばマームの藤田さんも中島みゆきも北海道出身だったなぁ)
なんだか話はそれそうですが、なんしかこの穂村さんの物語にマームの故郷感が表れていて新鮮でした。
名久井さんの仕上げた今回の本も素晴らしいです。


地点に続き、また追いかけていきたい人たちに出会えました。

細川俊夫&サシャ・ヴァルツ「松風」@新国立劇場



塩田千春が美術を担当したオペラ「松風」を観てきました。
2011年の初演以来各国で上演の後にいよいよ初来日です。

ちなみに僕のオペラ経験はビル・ヴィオラが美術を担当した「トリスタンとイゾルデ」ピーター・ブルックの「魔笛」のみです。
前者は今でもトラウマ。。。後者はまだいい思い出。
今回は最安Z席のチケットが手に入ったので行くことにしました。S席なら辞めてた。
案の定4階の最後尾でしたがそこまでストレスはなく観られましたね。

さて、内容はオペラといえども元は能の演目。
旅の僧が須磨の浦を訪ねると、松に詩が吊るされているのを見る。
これは以前そこに住んでいた松風と村雨の姉妹に当てて在原行平が詠んだ詩。
行平を想いながらあの世に旅立った姉妹が僧の夢に出てきて魂の浄化を乞うというもの。

正直ビル・ヴィオラの時のようにちんぷんかんぷんになるのではないかとかなり案じていたのだけど、サシャ・ヴァルツの演出が素晴らしくて1時間半飽きることなく観られました。
オペラはオペラなんだけど、かなりダンス要素の強い作品で、ピナとか好きなら楽しめます。
彼女のことは知りませんでしたが、同じドイツ出身でポスト・ピナとも言われてるみたいですね。
以前映画館ですが、ウェイン・マクレガー演出のローヤル・バレエ「WOOLF WORKS」を観ましたが、それと似た感覚。ともに伝統の技を用いながらも全く新しい演出。(マクレガー演出・オラファー美術の「TREE OF CODES」日本でやらないかな。。。)
そこに塩田千春とピア・マイヤ=シリーヴァーの美術が加わります。
最初から舞台上は塩田さんの糸で張り巡らされてるの思いきや幕が開くと何もないのでびっくりしました。
え、どうやってあの蜘蛛の巣が登場するのかと思いきや、途中で一人の演者が大きな空間を紐を引っ張って持ってきます。
言葉ではうまく表現できないんだけど、めちゃくちゃ巨大な躯体に糸が巻きついたやつが登場したわけです。
彼女の彫刻知ってたらわかると思うんだけど、それが巨大化したみたいな。
それが見事に空間になってて、空間をモバイルしてる感じが新鮮でした。
にしても演者さん、糸にもたれたりよじ登ったり伸びないんだろうか?
いつもの毛糸ではないのかな?
以前一度お手伝いしただけに、普通の毛糸だとあんな重かけちゃうと巣が崩れちゃうと思います。
なんしかものすごくダークで幻想的。
その後その空間が上に消えて、今度は躯体だけのセットが降りてくる。(シリーヴァーの美術)
最後は松の枝を表す木の細い棒が落ちてくる様は圧巻。
どうかなと思ったけど観れてよかったです。
あと能をバックにしてるけど、変に日本的な演出がなかったのもよかった。
むしろたまに入る雅楽っぽい音もすごく自然でオーケストラに馴染んでたし、風鈴や水の音もよかった。
なかなか楽しい体験となりました。
サシャ・ヴァルツ演出の作品が来日したらまた観に行きたいです。

ところで近くのケンジタキギャラリーでは塩田さんの個展がやってます。
毛のない櫛というモチーフは面白かった。
京都でやってた白い糸のベッドの作品はイマイチだっただけに。。。
個展は3月10日まで。


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地点「汝、気にすることなかれ」@アンダースロー

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相変わらず地点を追いかけております。
とはいえ、正直最近の新作は僕の中でイマイチ腑に落ちないものばかりでした。
素直に面白かったのは去年の夏の「みちゆき」ぐらい。
それ以降「ブレヒト売り」、「ヘッダ・ガブラー」、「ロミオとジュリエット」、「忘れる日本人」と、怒涛の新作ラッシュだったのですが、どれも自分の中でヒットに至らず。
最近の新作は特にあの独特の「地点語」とも呼ばれる発語が抑えられていたせいもあるかも。

しかし、この夏に発表された「汝、気にすることなかれ」は最高に面白かった!
これぞ地点!という感じ。
面白すぎて2回も観に行ってしまいました。。。
やっぱり地点とイェリネクの相性は抜群ですね。
「光のない。」「スポーツ劇」に続くイェリネク3作目ですが、前2作が大劇場で大掛かりな舞台セットなのに対して、今回は小劇場。しかも河野早紀さんのいない5人の少人数。
劇場に入ると舞台には鏡が敷き詰められて、真ん中には蓄音機。手前は人工芝とお花畑と謎だらけ。
舞台が始まると、白い全身タイツみたいな衣装に包まれた演者登場!謎すぎ!笑
今回も前2作同様衣装はコレット・ウシャール。
そして音楽も同じく三輪眞弘。
前2作は合唱団を結成していたのに対し、今回は舞台中央に置かれた蓄音機が音楽担当。
これが素晴らしかった!
元々この作品には「シューベルトの歌曲にちなむ死の小三部作」という副題がつけられいて、章ごとにシューベルトの「魔王」「死と乙女」「さすらい人」が音楽として指定されてる。
にも関わらず三輪さんに改めて音楽を依頼するあたり三浦さんはひねくれ者笑
そして改めて三輪さんが導き出したのが、シューベルトの音楽を破壊すること。
舞台中、蓄音機は音楽を奏でては止まり奏でては止まるを繰り返します。
実際蓄音機は機械で動かしているだけで音楽は別でなってるそうですが、レコード盤に今回のDMのイラストが描かれているので、音楽がレコード盤の回転として視覚化されているのはうまいなぁと唸りました。
この音楽が容赦なく演者のセリフを遮断します。
そして演者のセリフで印象的だったのが、全力で発話した後に捨て台詞のように吐かれる「ま、いっか」という言葉。
これ、実際「汝、気にすることなかれ」と仰々しい邦題になってるものの、実際のタイトルはドイツ語で「Macht nichts」。英語で「Don't mind」。そう、「ま、いっか」なのです。
この言葉が、これまでの台詞を全て無効化するぐらいの破壊力。
このセンスはやはり地点の真骨頂。
にしても、どうして日本語タイトルがこんなに仰々しいのか。
それは、「Macht nichts」というドイツ語にあります。
実は「Macht」には権力という名詞でもあり、「nicht」が否定。
つまり「権力を否定する」という仰々しい裏テーマがあるのです。
実際演劇の至る所にナチスを思わせる台詞もあり、その辺はやはりイェリネク。
あと、西洋演劇にはどうしてもキリスト教がつきまといます。
ブレヒトもベゲットもどこかにキリスト教を忍ばせる。イェリネクも同様。
アートもそうですが、そこらへんがどうしても日本に素直に輸入困難な代物。
でも地点にかかればそこを笑い飛ばすかのように、陳腐な演出のオンパレード。
この演目では「死」が大きなテーマですが、それを敢えてチープにするために客側の人工芝とお花畑。これは葬儀場の「セレマ」をイメージしたそうです笑
そもそも全身白タイツもふざけてるとしか思えない笑
そんなこんなであっという間に繰り広げられる3章の物語。
最後の最後、蓄音機のノイズだけがなり続けてレコードが終わって暗転は完璧なエンディング。
素晴らしかった。。。
2回目の終演後に、Contact Gonzoの塚原さんとのトークがあったのだけど、そこでどうしてこんな謎の舞台セットなのかという説明に、イェリネクは抽象的に表現しないと大怪我するという話が面白かった。
確かに前2作の舞台セットも抽象的なセットでした。
中身はあまりに社会的で具体的なんだけど、難解なテキストで煙に巻くイェリネクと対峙するには正攻法ではやってられないという話。
あと、今回の舞台は所々笑うしかない場面が多いのだけど、「笑い」はどこまで重要なのかと質問したら、「全てです」と即答する三浦さん笑
確かに地点の作品でよかったなぁと思えるのは笑える舞台。「ワーニャ伯父さん」とかも最高に笑える。
チェーホフが「人と人がわかりあえないのは喜劇だ」と言ってますが、地点はまさにそれを体現している。
発音が変だったり、ストーリーもバラバラにされたり、わからないんだけど妙に笑える。
それが地点の大きな魅力だと思う。
この「汝、気にすることなかれ」はそれが見事に結実していました。


しかし、その次の新作「どん底」は微妙だったなぁ。。。
黒澤明も映画化したゴーリキーの「どん底」で、ある程度ストーリーも理解してるし、音楽も空間現代だし、演者も客演も含めて8人と多いし(なぜかまた河野さんがいない・・・)、もう期待するしかない!って感じだったのですが。。。
何と言っても台詞の途中で挟まれる「どん」「ぞこ」がダサかった。。。
「汝」の「まいっか」と違って、あまりにまんますぎた。
「忘れる日本人」の「わっしょい」もダサかったけど、「どんぞこ」はないよなぁ。。。
あと、客演の何人かは完全に地点のカラーではなかった。
田中祐気さんはさすがでしたが。。。てかなんで河野さんいないの?
そして空間現代がまさかの録音。。。
イマイチピンとこない作品で残念でした。
ちなみに「どん底」は元旦から再演がスタートらしい。元旦から「どん底」って笑


ところでやっと空間現代のライブハウス「外」、に行きました。
アンダースローのすぐ近くという、どんだけ仲ええねん笑
にしても、こんなアングラなバンドが自身のライブハウス持てるってすごいことですよね。
自前でライブハウス持ってるバンドってそんなにいるんだろうか?
そしてそこで聞いた彼らの「オルガン」は最高だった。
1曲1時間というすごい曲なんだけど、全然飽きない。
それがギターとベースとドラムというシンプルな楽器のみで奏でられてるのがすごい。
「オルガン」ってタイトルだけどオルガンは登場しません。
こないだ名村造船所跡地で演奏された「擦過」も聴きたかった。。。
にしてもDMの感じといい地点の影響受けすぎ!
舞台装置が変なLEDってのはもう少し学んだ方がいい。というか演出なんてなくてもいいのに。。。
「どん底」でもLED使われてますがセンスが全然違う!

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MUM&GYPSY『あっこのはなし』『ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと──────』@AI・HALL

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マームとジプシーの十周年ツアーを観劇して来ました。
彼らのことは以前から知人に噂は聞いてて、機会があればと思てったら巡って来ました。
それにしても代表の藤田さん若いですね。僕より年下。それで十周年とはすごい。
これまでの彼らの活動に関しては10周年記念サイトのインタビュー記念書籍に詳しいですが、とりあえず前知識なく伊丹のAIホールへ。
(公演後に読みましたが前半はやはり相当苦労していて読むのも辛いですね。。。)

今回のツアーは全国6都市を回るツアーで、この伊丹が最終地点です。
全部で4つの過去の演目をやるんだけど、伊丹では2演目のみ。とりあえずどっちも観ました。
感想としては、4つ全部みたかった!はい、おもしろかったです。

まずは「あっこのはなし」。
これは5年くらい前にやった演目みたいなんだけど、その時はメンバーも20代で、その30代バージョンが去年改めて再演されて、今回はさらに再再演。
前のやつ見てないからわからないんだけど、自分も30代で、中で出てくる会話がいちいちわかりすぎた。
30代のガールズトークとかもめちゃくちゃ楽しいし、未来への不安とか葛藤とかわかるわかる。
実際演者の本名がそのまま役名になってたり、台詞も彼らの実際の体験だったりでとてもリアル。
でもこの「わかる」ってのが案外ネックで、この演目を純粋に観るのにノイズになっちゃってたかも。
舞台としては、時系列がバラバラだったり、同じシーンが繰り返されたり、色々面白い演出がたくさんあったんだけど、なんせその30代の共感覚が強すぎちゃって、客観的に舞台を観るのを邪魔しちゃってた。

その点もう一作の「ΛΛΛ」は、逆に共感できないことが多くて、舞台自体を楽しめたと思う。
何が共感できないって、この作品の根幹の「郷愁」とか「故郷」とかの感覚。あと「海」。
正直都会で生まれ育った僕には全くわからない。
生まれ育った家なんてただのマンションだし、そっから何回も引っ越してるし、なくなっててもへっちゃら。
今もまあ故郷で住んじゃってるし、海も馴染みがない。
このわからないづくしって、いつも見てる地点にも言えることでだから地点が好きなんだな、と再認識。
この作品も、演出が本当に楽しい。
演者が全員で、裏方までやっちゃってるというか、舞台転換から小道具を渡すのも全部演者。
そして、この作品から藤田さんの映像的なフェティッシュが伺えるのも楽しい。
例えば映画とかって、ワンシーンを何ショットかに分けて撮ったりするけど、まさに舞台上でそれをやっちゃってる。
同じシーンを繰り返し演者の配置を変えて言わせるとか、舞台自体を動かしちゃうとか。
まるで観客が固定カメラで、舞台や演者そのものが動くことで映像のように映る。もちろん不自然極まりないんだけど。
時系列がバラバラなのも、映画の撮影時は実際の時系列で撮らない感覚。
観客が能動的に編集作業を経ることで作品として完成するというか。
そういうのがもう楽しくて楽しくてすっかりハマってしまいました。
今後他の作品もぜひ色々追いかけていきたいです。
来年また2回目のツアーがあるみたいなのでチケット取ります!
MUM & GYPSY Official Website: http://mum-gypsy.com


あと、最近ようやくべゲットの「ゴドーを待ちながら」を観ました。
近代演劇を語る上でどうしても外せない一作。
京都造形大学内の春秋座で行われたアイルランドのマウス・オン・ファイアによる舞台。
もうべゲットもこの世にいないし、完全な「オリジナル」は見れないものの、限りなく忠実だそう。
正直、中身も演出も特に面白くもなかったんだけど、まあ、一度もは観られてよかったな程度。
なぜか後ろで大爆笑してる人が前半いたんだけど何がそこまで彼を抱腹絶倒に追い込んだのかが謎。後半いなくて演出だったんじゃないか説を友達としてました。。。
「世界の涙の総量はあらかじめ決められている」みたいな台詞は残りました。
ちなみに今回の企画はReal Kyotoの小崎さんも噛んでて、舞台前にべゲットに影響受けた現代美術作家たちの画集とかも置いてました。
べゲットと現代アートとの関係はこちらに詳しいです。

舞台関係、最近特によく観てますが、やはり歴史を知らないといけないなぁと最近よく思います。
アートもそうですが、やはり文化は一朝一夕で楽しめるほど甘くない。だから面白い。
アルトーやブレヒトなんかの舞台も機会があれば観てみたいなぁ。


さて、今日でブログ開始からなんと12年。私も12年歳をとりました。。。
13年目を迎えるにあたり、改めてタイトル変えました。前のに近くなった。
今後ともダラダラと更新していきますのでゆるりとよろしくお願いします。

「パターソン」 by ジム・ジャームッシュ



近年稀に見る更新頻度ですが、またまたいい出会い。
なんとなく観に行ったジム・ジャームッシュ監督の「パターソン」。
今年観た映画で間違いなくベストフィルム。
とはいえ涙は出ません。泣かせる映画=いい映画ではないんです。
以下ネタバレ含む、かも?

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ローザス 「ファーズ―FASE/時の渦―Vortex Temporum」 @ 東京芸術劇場



ローザスの演目を二つも観てきました。
一つはローザス初期の代表作「FASE」。
スティーブ・ライヒの4つの音楽を元に、アンヌが卒業制作に作ったという初期も初期のダンス。
まさかとは思ったけど、やはり今回もアンヌ本人が踊ってくれました。
この作品が1982年だから御歳50歳半ば。素晴らしいダンスでした。
ローザスのメンバーである池田扶美代さんもツイートしてましたが、本当にこの作品は彼女の一部。



それにしてもローザスの初期のダンスって、女性しか踊れないダンスのくせに全くセクシーじゃない。
その次の「Rosas danst Rosas」なんかは男性を寄せ付けないぐらい強いダンスやし。
フェミニズムでもないんだけど、性差を超えていながら女性の女性のための女性によるダンス。
普通生身の女性が身体使って表現するんだから、少しはエロスを発するものだけど、本当に皆無だった。
男性に対する媚が全くないんですよね。
この相反するエレメントを両立させているバランス感覚がすごい。
今回はライヒの音楽に合わせている分しなやかさがあってとても素晴らしかった。
特に冒頭Piano Phaseの二人のダンサーが回りながら少しずつズレてって最後合うやつスリリングですごすぎる。(わかる人にはわかる笑)
2年前の「Drumming」は観に行きたかったなぁ。。。死ぬ前に観たい。

そしてもう一つは「Vortex Temporum」。
2013年の作品で、以前ベルギーでこれを断片的に「展示」として見せた「Work/Travail/Arbeid」という作品は観たけれど、ようやく本編が観られるというのでとても期待していました。
こちらもFASE同様、ベルギーのイクトゥスの演奏に合わせて踊ります。
舞台には演奏者7人とダンサー7人。
んー、しかし最初から最後までこの作品の構造が掴みきれないまま終わってしまった。。。
すんごい緊張感の中、何のことかわからないまま観るのはちょっとキツかった。
多分もうひと押し解説があれば楽しめたと思うんだけど、残念でした。

しかしローザスのダンスが日本で2つも一気に観られるなんて最高ですね。次はいつだろう。
この2公演はこの後愛知でもやるみたい。是非。

<関連記事>
Rosas 'Golden Hours (As you like it)' @ Les Théâtres de la Ville de Luxembourg
Anne Teresa De Keermaeker 'Work/Travail/Arbeid' @ WIELS

ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踏団「NELKEN -カーネーション」 @ 彩の国さいたま芸術劇場



ピナの「カーネーション」を観に埼玉へ。
会場やその道中の会話でちらほら前週の香港公演を話題にしてる人をちらほら。僕だけじゃなかった!
次週のソウルも行く人多いのかもしれませんね。さすが。。。

さて、「カーネーション」。1982年初演のピナの代表作の一つ。前からずっと見たかった!
ステージには無数のカーネーションが咲き誇っていて、開演前からテンションが上がります。
舞台がスタートすると、椅子を持った演者たちが登場。案外カーネーションは倒れません。
何人かの演者が客席に降りてきて、お客さんを拉致!早速シュールすぎる笑
その後すぐにお客さんは元の席に帰されるんだけどその間何があったのか気になる。。。
そして有名な「The Man I Love」の手話。
この舞台は音楽の選択が本当に素晴らしい。
ところどころで流れる音楽とカーネーション、ダンス。夢の中にいるみたいです。
机の上で踊るダンスや椅子の上で踊るダンス。ダンスの概念が大きく広がっていきます。
最後の「春夏秋冬」ダンスは、お客さんをも巻き込んでみんなでダンス。楽しかった!
これだけ笑えて笑顔になれて最高にかっこいいダンスピースってやっぱりピナぐらい。本当に唯一無二です。
また、伝統的なバレーの動きを一つ一つ見せるシーンや、ダンサーがダンサーになったきっかけを語るシーン、高い足場から急ごしらえのダンボールに飛び込む場面など、もう印象的な場面だらけ。
あと驚いたのが、演者たちのセリフがほとんど日本語なところ。
多分上演する各国に合わせて毎回言葉を変えてるんだろうけどすごい。
結構複雑な日本語を喋っているのでただただ感心するばかり。
こないだ香港で観た「カフェ・ミュラー」と「春の祭典」はセリフがないので存分に楽しめたけど、これが逆に「カーネーション」を香港で観てたら、セリフが全くわからずここまで楽しめなかったかも。。。日本で観れてよかった!
こんなてんこ盛りな2時間とても幸せな時間でした。
とはいえ舞台中は容赦なくカーネーションたちは踏みつけられ薙ぎ倒され、とても甘い悪夢を見ているよう。
最後にはほとんどのカーネーションが倒れたステージが出来上がっていました。
次は「パレルモパレルモ」が観たい!(最終的には全部観たい)

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Tanztheater Wuppertal Pina Bausch "Café Müller & The Rite of Spring" @ 香港文化中心





今週末埼玉でやるピナ・バウシュの演目「カーネーション」を観に行くんですが、その前に、昔からどうしても観たかった「カフェ・ミュラー」と「春の祭典」が香港でやるってんで飛んで行ってしまいました・・・我ながらフットワークが鬼軽い。。。
今回ピーチで大阪-香港間がなんと往復14000円!大阪ー東京間の新幹線片道とちょっとの値段で行けちゃう。
初香港。前から行ってみたかったけど実際素晴らしい街でした。ソウルより台北より好き。カオスな喧騒とオシャレなセントラルが共存していて、「ブレードランナー」のような映画の世界観。
元イギリス領なだけあって英語もかなり通じるし、治安も良好。親日ってのもびっくり。店にあるお菓子とか日本のものがたくさん普通に置いてあるし、日本語も結構見かけました。
気温も暖かくて日本の寒さから逃避できました。かなりの霧で百万ドルの夜景は拝めませんでしたが。。。
それはさておき演目です。

まず「カフェ・ミュラー」に関しては、やはりピナの不在を痛感しました。
実際僕は、ピナが在命中に見たのは遺作となった「フルムーン」だけで、それ以降いくつか観てますが、特に違和感を覚えたことはありませんでした。それだけヴッパタール舞踏団がピナの意思を忠実に受け継いでて、ピナ亡き今も精力的に動けてるのは一重に彼らの努力に他ならないし、そのことに感動します。
ただ、「カフェ・ミュラー」はどうしてもピナ自身がダンサーとして踊ってる印象が強すぎて、彼女が舞台の上にいないという不在感が、観ていてとても重くのしかかってしまいました。。。
確かに当時と同じようなダンサーたちを選んではいるものの、もはやコスプレにしか見えない。
どうせだったら全く違う体型や髪型のダンサーでもいいのかもしれませんが、バランスが難しいですね。
「カフェ・ミュラー」に関しては、その再現性の難しさを強く感じてしまいました。

しかし次の「春の祭典」は前半のがっかりを軽く吹き飛ばしてしまう力がありました。
こんなものを知らずに生きてきてたなんて。。。と思うぐらいすごかった。
ダンサーたちが文字通り泥まみれになりながら踊り狂う様は、観ていて息がつまるほどのインパクト。
ダンサーたちの荒ぶる息遣いも聞こえてくるし、ステージに敷かれた土が舞う様も鼻につく。
ここまで五感をフルに覚醒させるようなステージを今まで見たことなかったです。
これは生で観ないと本当に意味のない作品だと思いました。言葉になりません。
最後、赤いキャミソールを着た小柄なダンサーが踊り狂うんですが、もう片方の胸が出ちゃってて、すごいなぁと思ってたら、これ演出的に片乳はみんな出してるんですね笑
最後はもちろんスタンディングオーベーション。
泥にまみれたダンサーたちの姿が本当に輝かしかった。
香港まで観に来て本当に良かったーーー!!!
にしてもYouTubeで両作品共全編通して観れちゃうなんてすごい時代ですね・・・。


香港のアートシーンは、まだまだって感じでした。
確かにガゴーシアンを始めとする大きなギャラリーもあるし、今月末にはアートバーゼルもあるけど、何といってもこれといった美術館がないのが痛い。
やはり数年後に開館するであろうM+を待たないとですね。開館したらまた行こう。
てことで、ギャラリーや美術館はイマイチですが、NPOやインディペンデントが熱いです。
特に今回行った中で、Asia Art Archive(AAA)Things that can happenは面白かった!
特にAAAは凄かった。
アジアアートに関する資料が揃った会員登録すれば誰でも入れるライブラリーがあって、そこの蔵書の豊富さはすごいです。リサーチャーにはたまらない施設ですね。日本にも欲しい。
それこそ日本の本たちもたくさんあったし、ウェブに載ってる情報までプリントアウトしてストックしてある。
Things that can happenは、九龍側の深水埗っていう超ディープな電気街にあって、知り合いに聞いたらそんなとこ観光客は行かないって言われました笑
インディペンデントならではの自由さがあって、行った時にやってた楊季涓の個展が良かった。
スタッフもフレンドリーで英語が達者で説明も丁寧にしてくれました。
近くにもう一つ百呎公園ってとこもありましたが、こちらは今ひとつでした。
ちなみに香港アート情報はartscapeのこの記事を参考にしました。


香港、また行きたいです!

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地点「ロミオとジュリエット」@ 早稲田大学大隈講堂



なんだか上京の理由がほぼ地点の新作公演のためになってる。。。
9月には「みちゆき」と「ブレヒト売り」、11月には「ヘッダ・ガブラー」、そしてこの「ロミオとジュリエット」。
ほぼ毎月と言っていいほど新作を発表し、さらにその間も休むことなく過去作品を上演。
一体この人たちはどうなってるのか。。。理解が追いつかないほどの過酷すぎるスケジュール。
それでも毎回作品の質は落ちるどころか、確実にスマッシュヒットを決めてくる。
僕はただただフォローするだけで必死であります。

そんな彼らの「ロミオとジュリエット」。
過去にシェイクスピアは「コリオレイナス」を上演しているけれど、あれもすごかった。一生忘れられない舞台。
にしても「ロミオとジュリエット」。
知らない人はいないんじゃないかというぐらいこの有名な演目をどう地点が演じるのか。
さらに今回は「ファッツァー」「ミステリヤ・ブッフ」に続く空間現代とのコラボ。期待しかありません。
僕は戯曲に関してはほとんど知らないし、正直ブレヒトもチェーホフもイプセンもほぼ無知。
そんな知識のない僕でも地点の舞台にはぐんぐん吸い寄せられてしまう。
僕でも知ってる「ロミオとジュリエット」がどんな風に見えるのか楽しみすぎました。

会場は早稲田大学の大隈講堂。
1927年竣工後、重要文化財にも登録されてるスーパー建築。
早稲田といえばこの大隈講堂を連想する人も多いはず。
かくいう僕は早稲田大学初潜入でしたが広いのなんの。規模が僕の大学と桁違い。。。
いざ大隈講堂は本当に素晴らしい建物で、中はリニューアルされて新しくなってるものの、外観やところどころのディテールはそのままで入った途端にシュッとした気持ちになりました。
こんな立派な舞台で地点が観られるなんて感動。

さて、「ロミオとジュリエット」地点ver.はやはりすごかった。
これが「ロミオとジュリエット」!?っていうぶっ壊しっぷりと、相変わらずわけがわかんないのに話の悲劇性が頭じゃなくて体に沁みてくる感覚はすごい。
今回も地点の団員さん(小林さんと小河原さん)が上演前にお客さんを席に誘導という演出w
「かもめ」でも上演前に安部さんがお茶をいれてくれたりするけど、素敵な演出ですね。
舞台上にはいかにも滑りそうなスロープの舞台。
「光のない。」や「スポーツ劇」でも坂は登場しますが、演者さんには身体的にかなりキツそう。。。
実際ジュリエット役の河野さんとロミオ役の田中さんは、手をついて三伏横飛びしながらセリフ言うっていうかなり無茶なことやってて、あれで息切れせず、台詞も飛ばずにやってのけるのは凄すぎる。。。
ところで田中祐気さん、地点の大きな舞台によく助っ人で参加するけど、もう地点に入っちゃえばいいのにと思っちゃうのは僕だけ?出たら主役クラスの役を与えられてるし。
それはさておき「ロミジュリ」。
構成はさっきのロミジュリの二人の他に、4人(石田さん、小河原さん、窪田さん、小林さん)が神父(?)、で安部さんがストーリーテラー(?)なのかな。相変わらず構成はわかりにくいですが、少なくとも恋的のパリスは登場しなかったように思います。
安部さんのアジテーションにも近い叫びは相変わらず圧倒されます。
それに空間現代の演奏が加わり、その度にセリフは強引に中断されます。
上演中は、結構笑いが起きたりして、途中まで喜劇色が強いんですが、いつの間にか後半悲劇になっていて、ロミオとジュリエットが代わる代わる死んだり蘇ったりする展開はかなり狂気です。
死んだロミオの手を掴んで三伏横飛びしながら引っ張るジュリエットの姿は本当に悲劇的。
変な喩えですが、子供が死んだことに気づかないまま抱き続ける猿を見ているような感覚。
動きはコミカルなのに、目の前で起こっていることは残酷。
このギャップに心が締め付けられるような感覚に襲われます。
最後は二人が息絶えて、上演前から照らしていた二つの丸い照明が一つになり月のように空に浮かぶという演出。
舞台演出は本当にシンプルで、ひたすら地点と空間現代の身体が舞台上に放り出されてる印象。
これだけ有名な演目も、すっかり地点色に染めてしまいました。素晴らしい。
こんなすごい舞台2日間だけしかやらないなんて。。。
その後はさらに早稲田小劇場ドラマ館で「CHITENの近現代語」を上演らしい。凄すぎる。
4月には恒例のKAATとの新作舞台「忘れる日本人」が。
なんと昨年地点の三浦さんも審査員として参加した戯曲賞で大賞を受賞し、地点が演じた「みちゆき」のあの松本俊太郎さんの原作。この「忘れる日本人」は地点の発行している雑誌「地下室」にも連載されていて、すごいコラボレーション。
そもそも松本さんが戯曲を書き始めたのは、地点のカルチベートプログラムという、レパートリー作品を見てエッセイを書くというプログラムに参加したのがきっかけ。
地点から始まった松本さんと地点が、KAATという大舞台で花開きます。これも楽しみ。
4月、また横浜まで参ります。。。
3月は埼玉でピナバウシュ、5月は東京でローザス。。。
最近東京方面に来るときはほぼ舞台関係。観たい美術展もそんなになくなっちゃった。
今回も1つも観てません。
妹島さんの葛飾北斎美術館は気になったのでやっと行けた。
その日の両国は、ちょうど稀勢の里が優勝した日で盛り上がってました。
普通にお相撲さんが歩いてて不思議な光景でした。。。

維新派「アマハラ」@平城宮跡維新派「アマハラ」@平城宮跡



維新派最後の舞台へ。。。
(ネタバレになるので続きは以下)

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地点「みちゆき」 @愛知県芸術劇場



昨年の「茨姫」に続き、愛知県芸術劇場が主催する戯曲賞の優秀作品を実際に舞台化する企画の第二弾。
今回はなんと、以前地点のアンダースローでレパートリー作品を観てエッセイを書くというカルチベートプログラムに参加した松原俊太郎さんが受賞しました。
自分の書いた戯曲が実際に舞台化されるなんて。しかも演じるのは地点。贅沢な賞です。

たった4日間のみの舞台にはもったいないぐらい素晴らしい内容でした。
今回は映像作家の伊藤高志氏とコラボレート。
舞台上の2つの幕に映される映像。そしてその幕越しに現れる演者の「影」。
そう、実際の演者の姿は舞台中盤まで現れることはありません。すごい。
唯一石田さんだけが「実像」として現れます。
彼が「あっち」と「こっち」を行き来し、「あっち」から「こっち」に出てこようとする「影」を無理やり引き戻します。
しかしいつの間にやらミイラ取りがミイラになるように、影達はいつの間にか「こっち」に出てきて、石田さんは影になってしまいます。
唯一河野さんだけが最初から最後まで影のままでいます。
河野さん以外が全員「こっち」に出てきた場面で、「あっち」では全員分の影が投影されていて(実際は河野さんだけが本物の影)、映像の世界と現実の世界がごっちゃになる様は圧巻。
さらに最後は暗転して全てが影の世界になってしまうという構造があまりに見事で鳥肌が立ちました。
映像が「影像」だった頃の起源にまで抵触しているようで、本当に興味深かった。
プラトン洞窟のように、我々は影を見てそれを真実だと思っているかもしれないけれど、たとえそうで何が悪い。
この虚実が極めて混ぜこぜになっちゃう感覚は凄まじい体験でした。
僕の最近の興味の「光」と「影」があまりにも見事な形で演劇になっていたのでかなり刺激を受けてしまった。
最近見た地点の中でダントツでよかった。もう一回ぐらい見たいけど、これは愛知の戯曲賞作品なので再演はなさそう。

ちなみに相変わらず舞台の内容はほとんど入ってこないんだけど(笑)、それでも見せ切っちゃうのはやっぱりすごい。(いいのか悪いのかわからんけど・・・)
こっからまた地点は新作を立て続けに発表します。
10月に「ブレヒト売り」、11月に「ヘッダ・ガブラー」、そして1月はなんと「ロミオとジュリエット」!
さらにレパートリーも上演したり、毎度ながらその人間離れしたバイタリティに舌を巻いてしまう。
これからもついていきます。

「垂乳女」 by 河瀬直美



Lumen Galleryで開催された河瀬直美映像個展に行ってきました。
Lumenは昨年に知人が始めた映像のギャラリーで、行きたいと思いつつ、めぼしい展覧会がないか待ってたらなんと河瀬直美のドキュメンタリー作品が一気に見られるというまたとない機会がやってきました。
会期二週間で今ある25作品全てを上映するという凄まじいプログラムです。
さすがに全ては観られませんでしたが会期中4回(1回は機材トラブルで観られず。。。)京都まで通いました。

まず最初に観たのは、学生時代からの初期作品を流すAプログラム。
彼女が映像という媒体に出会って、カメラを回すことが楽しくて仕方ないという新鮮なフィルムたち。
もちろん内容は「河瀬さんにもこんな時期があったのか」と思うほど荒いですがみずみずしいです。
というかここまで初期のものは今後観られる機会はほぼないかもしれません。貴重でした。

次に観たのが「影」と「垂乳女」を含むHプログラム。
特に後者の「垂乳女」はDVDにもなっておらず、いつか必ず観たいと熱望していたので嬉しかった。
「影」は自分と父親の理想の関係をなぞるような仮想劇で、Aプログラムにあった「パパのアイスクリーム」同様、気持ち悪いぐらい甘い父との関係に観ていて居心地が悪かったです。
そして念願の「垂乳女」は期待を遥かに上回るパンチのある映画。これは河瀬作品の中でも河瀬節が最も炸裂していると言っても言い過ぎではないでしょう。
冒頭から養母である宇多宇乃ばあちゃんの入浴シーンからで、老婆の裸を執拗に収めています。
そこには養母の刻んできた様々な年輪が映像に焼き付いていて、彼女の人生を見事に映し出しています。
石内都の大野一雄を撮った写真を思い出しました。
そして、河瀬さんの狂気を感じるまでの、宇乃さんに浴びせる罵倒も印象的。顔をしかめてしまうほど生々しい会話に胸がえぐられます。
次のシーンでは養母との仲直りがあってほっと心を撫で下ろすほんわかなシーンが。
「直美ちゃんはおばあちゃんのこと好いてくれてる?」
「直美が可愛くて仕方ない」
といった宇乃さんの台詞から、河瀬さんに対する深い愛情がこれでもかというほど映像から溢れ出ます。
それから、河瀬さんが心から欲しがっていた新しい家族、息子の出産シーン。
このシーンはこの映画の中で最も有名なシーンで、出産直後にいきなり「カメラ貸して!」と叫んで、自分でカメラを回し始める河瀬さんは本当に壮絶。
出産という営みが、生々しく映し出されていて、最後には息子と自分を結んでいた胎盤の一部を食べるという狂気的なシーンもあります。
映画の最初に赤い血に包まれた肉塊が映されてますが、これは胎盤だったんですね。
宇乃さんと赤ん坊が一緒に寝ているシーンは、河瀬さんがこの世界で最も大事なものが一つの画面に収まっているようで、本当に美しかった。
この映画はこの後「沙羅双樹」、「玄牝」へと繋がっていきます。

最後に「垂乳女」の続編と言える「塵」と韓国で上映され、日本初公開となる「AMAMI」を含むJプログラム。
「塵」はついに彼女を育ててくれた宇乃さんとの別れを綴る作品。
老衰が始まり、老人ホームに移され、日に日に弱っていく養母の日々が描かれます。
ここの老人ホームの感覚は、カンヌでグランプリをとった「殯の森」に繋がっていきます。
僕自身も、両親が共働きだったために幼い頃はほぼ祖母といる時間が長かったので、未だに両親より祖母の方が身近に感じてる大のおばあちゃん子なので、この映画は身を切られるほど観ているのが辛かった。
体の水分が全部出てしまいそうなほど泣きました。
が、作品としてはやはり「垂乳女」の方が圧倒的に強いです。
色んなことが整理できてない印象を受けました。もちろん彼女の本当に大事なものが永遠に失われる内容なので、整理なんてできるはずがないのだけれど、その混乱が作品にそのまま反映されてたように思えます。
そして、ずっと撮り続けていた養母亡き後に取られた「AMAMI」。
彼女のルーツである奄美大島に息子を連れてそのルーツを探るという内容。
この映画がショックを受けるぐらい弱かった。これまで観客を鷲掴みにして、半ば無理矢理自身の物語に道連れにしてきたあの強さがこの映画からは全くと言っていいほど感じられず、観ながらどうして自分はこの人の個人的事情に付き合わされてるんだろうという冷めた気分にまでなってしまいました。。。

今回いくつか彼女の原点でもあるドキュメンタリーを観て感じたのは、彼女の圧倒的な力を発揮できるゾーンが、彼女の半径1m以内だということです。
彼女にとって、カメラが肉化していて、「垂乳女」の出産のシーンに顕著なように、どんな時もカメラが彼女の目になっています。
そのため、彼女の目の届く半径にあるものを彼女に撮らせた時に、それがどんなに些細なものであっても、どんなに個人的なものであっても、圧倒的な力を持って観客の心を掴み、深く爪痕を刻むことができます。
彼女ほどカメラが自身の肉の一部になってる人は世界を探してもそういないと思います。
この力こそ、彼女を世界のトップに押し上げた原点だと強く思います。
しかし、そのゾーンを一歩でも出た時に彼女の力は驚くほど弱まります。
「AMAMI」を観ていて思ったのがそれです。
彼女の育った地元でもなく、会ったこともない祖先にカメラを向けた時、そこには何も映っていませんでした。
奄美大島で撮った「二つ目の窓」を観た時、正直河瀬さんがこの映画を撮る意味ってあるのかな?とさえ思いました。
「二つ目の窓」では、島を襲う嵐や、雄大な自然が映し出されます。
しかし、奈良で撮った蝶々の舞う姿や木がサラサラと揺れる様、太陽がキラキラ水面に映る映像に、この雄大な自然の映像は勝つことができません。
この感じはジャンルは違いますが宇多田ヒカルに似ているなと思います。
彼女がここまで人々の心を掴む歌が歌えるのは、彼女が自身の身を歌に刻み込んでるからだと思います。
ここまでボロボロになりながら歌う必要があるのかと思うぐらい痛々しい歌たち。
特に人間活動を経てかえってきて発表した「花束を君に」と「真夏の通り雨」は、自死という悲しすぎる結末を選んだ母親に対するレクイエムで、痛々しいほどの世界観で聴き手の心を震わせます。
話は逸れましたが、それゆえに宇多田ヒカルの「桜流し」を河瀬さんが撮った時には、あまりの共鳴に驚きました。
河瀬さんには彼女のゾーンをさらに研ぎ澄ませた先の世界を見せて欲しいなと個人的には思います。
今後どんな作品で世界をノックアウトするのか、楽しみにしています。
そして「垂乳女」と「玄牝」を是非DVDにして欲しい。。。

あと、今回の河瀬さんの映画や、前回の田中さんの展覧会を観て考えたのは、直接的な表現の持つ強さと弱さのことでした。
河瀬さんの「垂乳女」はこれでもかというぐらい直接的で、それは観客の心をまっすぐに突き刺す鋭さがあるのだけれど、その突き刺す角度が少しでもずれた時に簡単に折れてしまう諸刃の剣なんだなと思いました。
それは田中さんも同じで、彼の場合はそれまで隠喩的な方法論で作っていたものを、直接的な表現に変換してしまったことでズレてしまった感があって、水戸の展覧会に出ていた複数の人達がピアノを弾いたりする過去の作品はやはり何度観ても力があると思います。
この隠喩力っていうのが改めて鍵で、この力を最大に発揮してるのがフェリックス・ゴンザレス=トレスだと個人的に思います。
彼の場合、本当にどうしようもないぐらい個人的な問題を、圧倒的なセンスで隠喩的に表現して、誰にでも共感できる普遍的なものへと還元する力があります。
彼の作品は一見何でもないんだけど、時間をかけて確実に染み渡る感覚があります。
そういうものが作れたら本当に幸せだろうなぁと改めて考えさせられました。

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「朱花の月」 by 河瀬直美
「玄牝」 by 河瀬直美
「火垂」 by 河瀬直美
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マレビトの会「長崎を上演する」 @愛知県芸術劇場



マレビトの会を観に名古屋まで。
安い宿が取れなかったからって18きっぷで2回往復するという暴挙をやってしまった。さすがに2日目は頭痛。

それはともかくマレビトの会。
彼らは以前は京都を本拠地として活動していた劇団で、現在は東京(栃木?)が本拠地。
まだ彼らが京都にいた頃に知って、2010年に始まったKYOTO EXPERIMENTでもやってたんだけど、なぜか見逃したまま、気になりつつも一度も観たことがないまま今に至っていて、今回愛知でやると知って観に行った次第です。

彼らはその京都にいた頃から、都市をテーマに作品を作っていて、特に被爆した都市広島と長崎をテーマにして作品を作ってきました。
さらに2011年の原発事故を受けてそのテーマに福島も加わり、2013年にはF/Tで「アンティゴネーへの旅の記録とその上演」という舞台を上演します。
そしてさらに3年が経ち、昨夏「長崎を上演する」を初上演。
この舞台の面白いところは、幾つもの断章があって、それぞれに脚本を書いてる人が違うという点。
普通ひとつの劇団には代表するコレオグラファーがいて(地点だったら三浦さん)、彼を軸に回っていくんだけど、その軸をあえてブラして、それを一つにまとめていくというのがマレビトの会の特徴なのかも。もちろん代表に松田さんという方はいらっしゃるんだけど、彼が全ての軸ではないというのがなんとも不思議。
そして、舞台が何日にも及ぶというのもまた面白いです。
今年の初めに「ハッピーアワー」という映画について書きましたが、あれも何日かに分けて、一旦家に持ち帰ることで、映画館だけでは完結しない何かがあったんだけど、今回もそうでした。
しかも今回は遠方だし、電車の往復の中でも色々考えられました。

舞台はタイトルにもある通り長崎。
しかし、いわゆる被爆都市としての「ナガサキ」ではなく、現実の長崎。
もちろん原爆のことや戦争のことに触れるものもあるけれど、ほとんど関係ない物語が大半。
その物語が19にも分かれていて、しかもその物語の間と間はシームレスにつながってるので、前の物語が終わらないうちに次の物語が始まってるような展開は新鮮でした。
そして何と言っても舞台にセットらしきセットがないのが本当に異様。
あるのはパイプ椅子4つとあとはたまに出てくる箱ぐらい。
演者はパントマイムのように、ドアを開けたりコップを拭いたり物を避けたりする。
さらには、衣装まで物語内の設定とは違ったりするので、Tシャツの設定なのに目の前の演者はワンピース着てたり、観てる側も想像力をフルに働かしてみる必要がある。

この能動的な観客というのは、もちろん面白い主題だと思うけれど、これも前回の記事のMOTアニュアルのような、演劇内のドメスティックさに僕らまで付き合わさせられてるような感覚もあって、うーんと思うところもあった。
とはいえ、今回だけではなんとも言えず、やはり気になるので11月に東京でやるらしい「福島を上演する」を観てみることにしようと思います。

地点「スポーツ劇」@ロームシアター京都

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地点の新作の舞台を観に京都へ。
地点は昨年の8月の「茨姫」以降、11月の「ミステリヤ・ブッフ」に1月の「フィデリオ」と次々と新作を発表し続けていて、一応全て拝見しているけれど、よくもまあこれだけのものを短期間で作られるなと、ちょっと想像を絶しすぎる仕事量に呆然とする。
しかも同時並行でアンダースローでのレパートリーの演目もある。彼らは一体人間なんだろうかとすら思えてくる。
その新作群の中でも、この「スポーツ劇」はひときわ力が入っている。
何と言っても「光のない。」のメンバーが再び顔を揃える豪華絢爛な内容。
イェリネクのテキストに三輪眞弘の音楽、木津潤平の舞台美術、コレット・ウシャールの衣装、そして地点。
この3月は毎年横浜のKAATと新作を発表しているけれど、その時期とKYOTO EXPERIMENTがかぶさり、京都が初演という関西に住む人間としては喜ばしい出来事となった。
ちなみに昨年のKAATとのコラボレーション「三人姉妹」は観られず涙を飲んだので今回は楽しみで仕方なかった。
ということで以下ネタバレなので読みたい人だけどうぞ。

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テーマ : 演劇
ジャンル : 学問・文化・芸術

「ハッピーアワー」by 濱口竜介



2ヶ月ぶりの更新です。すっかり明けちゃいましたがおめでとうございます。
久々に何か言葉に残しておきたい作品に出会えたのでご紹介。
濱口竜介監督の「ハッピーアワー」です。

主演の4人が全員素人なことや、そんな彼女たちがロカルノ映画祭で主演女優賞を受賞したことを映画館の予告を観て知っていて気になってはいたのですが、なんせ上映時間が5時間17分という恐ろしい長さだったのでどうしようかと思いつつ、人に勧められて映画館に足を運びました。
結果的にそんな時間の長さなど全く気にならない、どころかもっと観ていたい、映画のタイトルの通りその時間は自分にとって確実に「ハッピーアワー」となりました。映画の内容は純粋に「ハッピーアワー」と言えるものではないのですが、、、。

映画は3部構成になっていて、映画館ではそれぞれ入替性になっています。
僕はさすがに5時間17分も一気に観られる自信がなかったので、まず1部だけ観て、別の日に2部3部を観ました。
結果的にこの分けて観るというのが、新鮮な映画体験になってよかったと思います。
というのも、1部を観て映画館を出た直後から、映画の続きの存在を感じながら日々の生活を過ごすことができたからです。
映画というのは映画館で一本見終わったら、そのまま余韻としてしか残りませんが、この映画は確実に僕の現実の生活に介入してきました。
せっかくだったら2部と3部も日を空けて観ればよかったと思っています。

映画の内容は、30代になって仲良くなった女4人の物語です。
彼女たちはどこにでもいる普通の女性たちです。
でもこの映画を観ていて思うのは、その「普通」って一体何なの?ということです。
当然のことですが、あらゆる人たち一人一人に物語があって、浅さも深さも軽さも重さも何もない彼ら自身の物語を嫌が応にも抱えて日々生きている。
その当たり前のことをこの映画は改めて突きつけてきます。
彼女たちは各々日々の問題を抱えながら生きています。
純のように離婚裁判に挑んでボロボロになっている人もいるし、何の波風もなさそうな専業主婦の桜子さえ子供や夫のことで相当なストレスを抱えていて、それらの問題はどれもこれも等価であるということ。
そんな人々を演技経験のない4人が演じていることにとても意義があると思います。
演技自体は本当にぎこちないんだけど、そのぎこちなさがこの4人が本当に存在しているかのようなリアリティがありありと伝わってくる。しかも舞台は神戸で、実際神戸はよく行く街だし、ロケに使われてるカフェも行ったことがあるところだったし、アートセンターも知ってるし、神戸のあの風景は子供の頃から知ってる。
今も神戸を歩いているとあの4人に会えるんじゃないかとすら思えてきます。
ちなみに昨年末に観た橋口監督の「恋人たち」も素人が主人公になっていますが、あの映画の場合「妻を通り魔に殺された男」という、そう多くないケースを演じているので、演技自体は確かに真に迫っているものがありましたが、あまりリアリティを感じられずに入り込みきれなくて残念でした。

僕の友人で映画はハッピーエンドじゃないと嫌という人がいます。
彼曰く現実はとても悲しいから映画の中ぐらいはハッピーエンドであってほしいとのこと笑
僕はハッピーエンドは嫌というわけではないけれど、やはり映画には現実以上に現実が反映さえていてほしいと思います。
映画には現実を映す鏡になってほしい。
映画だからこそ俯瞰して観られるし、そのことを現実にフィードバックできるような気をさせてくれる映画にこそ僕は魅力を感じます。
フィクションだからってフィクションであることに甘えた映画があまりに多い。
CGを駆使して幻想ばかり見せるハリウッドの映画が嫌いです。
そんな意味でこの「ハッピーアワー」はほぼ100点満点に近い映画でした。こんな感覚久々です。
この映画には、普通だったらカットするシーンがたくさん出てきます。
特に1部に出てくるワークショップのシーンは顕著でしょう。
ワークショップを最初から最後までほぼノーカットで映画の中で見せるなんてただ事ではありません。
しかしそれを最初から最後まで目の前のスクリーンで観ていると、まるで自分も参加してるような感覚になってきて、どんどん映画と客席の垣根が曖昧になってきました。 映画の中の彼女たちの1分が映画を観ている自分と同じ1分なんだと思うとなんだかとても幸せな時間だったように思えます。
さらに2部3部と進むにつれて、あのワークショップがこの物語にとってどれだけ大事なものであったのかが染み渡るようにわかってきて、そりゃ5時間17分にもなるわと納得せざるをえません。

あと観ていて痛感するのは男って駄目だなぁということ。
特に芙美の夫婦関係を見ていると身をつまされます。
波風を立てないために表面的な会話を重ね続けた結果、大転覆を起こしてしまう。
「いくつもチャンスはあった。あなたはすべて見逃した。」という芙美の台詞はとても重かった。
男は女の機微を絶望的に読み取れません。
桜子夫婦のケースも然り。男として見ていてつらいものがあります。逆に男は絶対見ておくべき映画かも笑
女性がこの映画見たらわかるわかるってなるのかな。
そういう意味で脚本が絶妙でしたね。5時間17分見ていて飽きさせないのはこの女性の微妙な気持ちをくどすぎるぐらい丁寧に描いたこの脚本の力は大きかったでしょうね。
あと音楽も素晴らしかった。音楽が邪魔になる映画は多いけど、本当に絶妙なバランスで鳴っていて気持ちよかった。
全体的にとても品のある映画だったと思います。

最後に気になった点は、カメラの撮り方が安定してなかったことかな。
有馬温泉の温泉のシーンではいきなり小津映画のように、全員がカメラ目線で台詞をしゃべらせたり、急にドラマチックな撮り方になったり、もっと安定した撮り方にした方がこの映画にはよかったのではないかと思います。
この長い映画に緩急をつけて観客を引き込もうという魂胆ならちょっと失敗かも。
それだけこの映画にはそれそのものだけで見せる力があったと思います。

ということで、色々書きましたが、これ書いてる今でもこの映画のことが頭に離れないし、時間がたてばまた見方が変わってきそうな、玉虫色の映画だと思います。
こんな映画なかなか出会えないので意を決して観に行って本当によかったです。
東京ではもう終わっちゃいましたが、大阪と名古屋では今週いっぱいやってるので時間ある方は是非。
DVD出たら買っちゃうと思うけど、やっぱ映画館で観るのが没頭できていいなと思います。
以上久々更新でした。

ピーター・ブルック「BATTLEFIELD」@新国立劇場



帰国以来初の東京に行ってきました。
色々目的はありましたが、現地で見つけて思わず駆けつけたのがこのピーター・ブルックの新作です。
ブルックは以前「魔笛」を見て以来ですが、また観てみたいと思ってたのでタイミングが合ってラッキーでした。
今回の舞台は、1985年に発表した伝説の「マハーバーラタ」の続編とも言えるもの。
ただし、「マハーバーラタ」が9時間を超える超大作なのに対して今回はたった70分の舞台。
今回もそぎ落とし方が半端なかった。
舞台装置は布と棒のみ。
この布が川になったり炎になったりミミズになったりと大忙し。
「魔笛」でも竹の使い方が印象的でしたが、観客も想像力を試されているかのような挑発的な演出。
内容も、演劇というか、ストーリーテリングという感じで、演者の演技もこれが演技なのか?と考えさせられる。
棒読みとまでいかないけれど、感情が篭ってるような篭ってないような微妙なテンションが終始続く。
そもそも演技の定義とは?という根源的な問いが湧いてくる。
あとは土取利行さんのジャンベという西アフリカの太鼓の音が印象的。
最後、演者も観客のように座り込み、土取さんの太鼓を聞き入るシーンは、観客と舞台の垣根が超える瞬間を見た気がした。
ひたすら単調だし、特に起伏も感じられないし、終わった後も感動がこみ上げてくるということもないんだけれど、見ながらいろんな思考が巡っていって、この演目の隙間を自分で埋めていかざるをえない演出はやっぱり巧みだと思う。まあ、それがあざといと云う印象もなくはないんだけれど、退屈さは感じずに70分過ごせました。
今年で90歳のブルック。本当にその活発さには感服ですが、彼が生で演出している舞台はできるだけこれから見続けたいなと思いますね。
会場ではこの舞台に合わせたカタログも販売されてて、これまでの軌跡をたくさんのレビュアーがテキストを寄せてるとても充実した内容で思わず買ってしまった。これが2000円なんて安い!
なんとか観られて良かったです。


以下今回の上京で観てきたリスト。

地点×空間現代「ミステリヤ・ブッフ」@にしすがも創造舎
今回の上京のメインの目的がこれ。
「ファッツァー」以来の地点×空間現代。
今回はマヤコフスキーの革命劇です。
これまで何本も地点の舞台を観てきていますが、円形舞台は初めて。
今回もまた大に叫び、大に走り、大いなるエネルギーに満ちた舞台で大満足。

日産アートアワード2015@BankART
ミヤギフトシが圧倒的だった。
あのスペクタクルな空間を諸共しない静謐な世界。
普段なら5分以上ある映像ってほぼ見ないけれど、22分釘付けだった。
ファイナリストになった毛利悠子の作品は、リサーチの方が面白かった。

鴻池朋子個展「根源的暴力」@神奈川県民ホールギャラリー
オペラシティでやってた展覧会が素晴らしかったので期待してたけど、かなり期待はずれだった。。。

鏡―Reflected Images@川崎市民ミュージアム
出てる作家とテーマが気になったのでわざわざ行ったけど、ただただ作品が陳列されてるって感じの展示でがっかり。

Re: play 1972/2015―「映像表現 '72」展、再演 @東京国立近代美術館
なんで今1972年に開催された幻の展覧会を再演するのかと思って観に行ったけど、むしろこの美術館が最近続けている「美術館の裏側」的な展覧会だった。映像作品を保存や修復するのがいかに大変か的な。
確かにそういう美術館の裏側って興味深くはあるんだけど、ひたすら続けられると食傷気味かも。
山中信夫のあの作品が見られたのは良かった。
上でやってる「藤田嗣治、全所蔵作品展示」はすごかった。
ちなみに最近オダジョーがやってる「Foujita」を映画館で見たけれど、B級を通り過ぎてC級な映画だった。

村上隆の五百羅漢図@森美術館
せっかくなのでと思ってみたけど、何を観たらいいのかさっぱりわからなくて15分ぐらいで出てしまった。。。
「観るべきものは何もない」ことを徹底しているとすればすごい。

LABYRINTH OF UNDERCOVER @ 東京オペラシティアートギャラリー
ブルック観たついでに行ったけど相変わらずこのブランドの魅力がわからないまま。
次のサイモン・フジワラ展は非常に楽しみ。

以上。

維新派「トワイライト」@奈良県曽爾村健民運動場

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一昨年、去年に続き、維新派の舞台を観に行ってきました。
只今絶賛公演中なのでネタバレOKな方のみどうぞ


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Rosas 'Golden Hours (As you like it)' @ Les Théâtres de la Ville de Luxembourg



スイス滞在も残すところあと少し。最後の欧州行脚に行ってまいりました。
まずは二つの舞台を鑑賞。
ひとつはRosasの新作「Golden Hours (As you like it)」。
今年1月にブリュッセルで初披露され、パリでも既に発表されてます。
今回はルクセンブルク。初訪問でしたが、列車トラブルに巻き込まれ、あわやルクセンブルク自体にたどり着けないのではと泣きそうでしたが、なんとか到着。これで西ヨーロッパはほとんどの国行ったことになります。
とはいえ、時間もギリギリで観光のかの時も見当たらないままルクセンブルク滞在は終了。
なにはともあれ舞台です。

舞台上にはセットと言われるものは何もなく、特徴的な大きな照明が天井にあるぐらい。
開演時間になると、タイトルでもあるBrian Enoの「Golden Hours」が流れ、奥から役者たちがゆっくりした速度と独特のステップで歩いてくる。この曲が5回ほどリピートされた後に、もう一つのタイトル、シェイクスピアの「As you like it」を元にした舞台がスタートする。
とはいえ、これ以降ほぼ音楽も皆無で、台詞もない無言劇。
台詞は奥の壁に投影され、役者たちはひたすら身体のみで「語る」。
Rosasの舞台は2月に初めて「Rosas danst Rosas」を観て以来2回目。(WIELS含めたら3回目)
舞台がスタートしてから終わるまでの緊張感は相変わらず凄まじいものがあります。
2月に初めて彼らの舞台を観た時には、あまりに言葉にならなくてここには書けませんでした。
今もほとんど言葉にならないのだけど、確実に新しい扉を発見したような歓びを見出せています。
このブログをご覧になったらわかるように、大概いろんなものを観てきた僕ですが、まだまだ扉はあるもんだなぁと思う次第で、逆にこれだけ観てると、叩かないでいい扉と叩くべき扉の見分け方みたいなのがわかってきて、このRosasは確実に後者だなと思います。うまく言い表せませんが。
その要素のひとつに、彼らの表現が自己表現に収まってないことが挙げられると思います。
オリジナルであるというのと、自己表現であるというのは僕の中で別格。
特にダンスは自身の身体を使って表現するものなので、自己表現に陥りやすいメディアだと思う。
いくつかのパフォーマンスを観てきたけど、自己表現で終わっているものの方が圧倒的に多い印象。
しかし彼らのそれは、明らかにその閾値を逸脱している。
地点もそうですが、その自己表現に陥らないひとつの手段として、他人の作品を使うというのがあります。
今回もBrian Enoとシェイクスピアを使いながら、しかしそこに決してはまらない。
身体で「語る」と言っても決して手話などのジェスチャーではなくあくまでダンス。
RosasはこれまでもSteve Reichの「Drumming」(東京公演観たかった)や、前回の作品「Vortex Temporum」など、音楽を使っています。
音楽とダンスの相性がいいのはもちろんですが、彼らのダンスは、そこと確実にズレてる。
そのズレが彼らのオリジナルなんだろうなぁと思います。
もっともっと観ていけば、きっといろんなものが見えて来るんだろうなぁと思いつつこの辺で。

そしてもうひとつはPina Bauschです。2010年にびわ湖ホールで観た「私と踊って」以来。
今回は夢であった彼女の本拠地ドイツはウッパタールで観てきました。
しかも演目は彼女の代表作とも言える「Kontakthof」!
実は3月にも観に行こうとしてたんですが、アムステルダムからの電車が謎の停電で止まってしまい、チケットまで取ってたのに行けなくなってしまったのです。この時の演目は「炎のマジョルカ(MASURCA FOGO)」でしたが、神様が「Kontakthof」を僕に観せるために仕組んだ出来事という痛い妄想に浸りながら今回は無事到着。
ウッパタールって、なんとなく地の果てみたいなイメージでしたが、デュッセルドルフからも近いし、特に田舎でもなかった。ヴェンダースの映画にも出てた街の風景が観られて感動。
そしていよいよ開演。
もう、今までドキュメンタリーとかで観てきた名場面の数々に涙しました。
全編通して笑いの絶えない舞台ですが、徹底したアイロニーがこの舞台にはあります。
舞台セットは、どこかの舞台で、舞台の上の舞台があり、しかもその舞台は最初から最後まで開くことはない。
「人はわかりあえない。」という絶望的な感覚と、それでもコンタクトせずにはいられない人間の愛おしさが伝わってきました。人間の条理と不条理をここまで見事に見せきるのはさすがです。
改めて偉大な人を僕たちは失ったんだなぁと感慨深かったです。

Rosasとピナは真反対とも言える舞台ですが、どちらも本当に素晴らしかった。
Rosasの舞台に立つ人間は、とてつもなく研ぎ澄まされたダンサーたち。
逆にピナの舞台に立ってる人間たちは、どうしようもなく人間らしくて、実際この「Kontakthof」はかつて、高校生から65歳以上のお年寄りまで、ダンス経験のない人たちにまで演じられています。
ピナの舞台の普遍性があるからこその芸ですよね。
この勢いで「CAFÉ MÜLLER」や「春の祭典」、「NELKEN」とか観てみたい!
またいつか必ず観に来たいと思います。
ちなみに今回僕が取った席はたったの10ユーロ。こんなん近くに住んでたら通いつめそう。

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「マルメロの陽光」by ビクトル・エリセ



午前は読書、午後は制作、夜は映画鑑賞という老後のような生活をしています。
映画は、探せば色々落ちてて、デヴィッド・リンチやアッバス・キアロスタミの作品を観ました。
中でもキアロスタミの「クローズアップ」は衝撃。
実際に起きた事件を改めて映画というフィクションに収め直して、現実と映画の境を曖昧にしてしまうという手法でかなり面白かった。
で、今回紹介する「マルメロの陽光」の場合は、方法論としてはその逆というか、現実を映画のように撮ってしまうことで、映画と現実の境をぼかすという手法です。
この映画は、一昨年東京でも展覧会が開催されたアントニオ・ロペスを追ったドキュメンタリー映画なんですが、この撮り方が本当にすごい。
あまりの映画っぽさに最初ドキュメンタリーって気づかなくて、ロペスも誰かが演じてるのだと思い込んでたんですが、途中から、それにしても絵うますぎやろ!ってなって気づきました笑
この映画っぽいって一体何なんだろうと。
単純に映像が美しいってのはやはりあります。
ドキュメンタリー映画って独特のラフさがあるんだけれど、この映画はとことん固定カメラで撮られているし、画面の中でのものの収まり方が完璧なんですよね。
ロペスの制作と彼のアトリエの入ってるビルの改装工事が同時に撮られていて、その構成もあまりに出来すぎてるし、なんといっても人々のカメラの意識のしなささがすごい。ここまでカメラを無視して毎日の営みを続行できるもんなのかというぐらい自然。
エリセがどこまで演出してるのかがすごく気になります。

内容も非常に興味深くて、緻密画で知られるロペスがどんな風に作品を制作しているかが丸裸にされていて、水平線と垂直線を現実のモチーフにも描いてるのはやはりこの画家ならでは。
マルメロが成長すると木がたわんで、たわむ度に線を描きなおす。
見えない時間と重力が画家によって可視化されていきます。
最後は結局描き終えられませんが、彼のモチーフに対する執念は見事。
彼のひとつひとつの所作がすごく美しいです。
そして、マルメロに落ちる光を描き出そうとする画家の姿がとても印象的。
今自分の作っている作品のテーマが「画家が見ていた光」なので、個人的にこの映画はとても大きな示唆を与えてもらえました。
特に野外で何かを集中していると、風の動きや光の移動にとても敏感になります。
あの感覚って写真では写し取れないし、彫刻では彫れない。
やはり画家が時間をかけて描くことで見いだせる感覚だと思います。
その感覚がこの映画に溢れていてとても新鮮でした。

エリセは本当に寡作な作家で、この作品を最後に長編は制作していません。
というか、長編といったら、デビュー作の「ミツバチのささやき」(1973)と「エル・スーレ」(1982)とこの「マルメロの陽光」(1992)の3作だけ。どれも10年スパンです。
「ミツバチのささやき」は、本当に素晴らしい映画で、「フランケンシュタイン」という別の映画に、さらにかぶせるようにして撮ってる構成がすごい。
そして何と言ってもこちらは闇の描写が素晴らしい。
闇すぎて、昔テレビで見た時、画面に部屋が反射しすぎて全然集中して見れなかった記憶があります。
いつか映画館で観てみたい作品の一つです。

またエリセの作品で、「Lifeline」という短編があって、こちらは白黒で撮られているので、彼の撮る光の美しさがよりわかります。
長編でまた新たな作品観てみたいです。
というか、これらの監督の映画が日本のDVDで生産中止になってるのはいかがなものかと。
「マルメロの陽光」なんて今amazonで見たら25000円って。。。
Blue-rayも出てないし、なんとかしてほしいです。。。

地点「光のない。」|維新派「透視図」

2日連続で舞台鑑賞。
まずは横浜、お次は大阪。狂ってる。
ということで二つの舞台について。
まだ公演があるしネタバレ嫌な人は読まないでください。


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まずは地点の「光のない。」。
もはや、自分の中で、日本のあらゆるクリエーターの中でずば抜けてトップを走ってる集団。
何がどう凄いか語ろうとすれば、砂のようにさらさらこぼれ落ちてしまう。
でも頑張って語ります。

今回の「光のない。」は2012年に演じられた演目の再演。
その時はここまで熱狂的にハマってなかったので、観たことがなかった。
だからこの再演が決まった時は狂喜乱舞。
京都でも公演があるがその時にはこの国にいないので、横浜へ。

原作はノーベル賞作家、エルフリーデ・イェリネク。
東日本大震災と原発事故を受けて書いた彼女の作品が元になっている。
地点の舞台は基本チェーホフや太宰などの物故作家を扱ってるし、現在進行形の社会的主題を扱っているのはほとんどない。(敢えて挙げるとすれば「CHITENの近未来語」ぐらい)
地点の中でも異例のレパートリー。

まず舞台のせり出し方がすごい。
自分の席は4列目ということだったのだけど、行ったら最前列。
前3列をつぶしているんだけど、これは後の演出に大きく関わってくる。
安部さんの「席変わってもいいよ」というアナウンスが流れたので、移動してみた。
最前列はやはり観にくい。。。

演者が客席や舞台袖からせり出した舞台に次々と出てくる。
皆「わたしたち」や「あなたたち」などの人称代名詞を口々に喋る。
それが数分続いて、いよいよ緞帳が上がる。
緞帳の向こうには、タレル作品のような舞台装置が。これはマジですごい。
前回観た「悪霊」と同じく木津潤平さんによるもの。
この舞台装置がこの舞台のすべてを征服している。
そして、コーラス隊が足だけ覗かしている。傾斜に向かって足が延びてるんだけど、最後までこれで頭に血がのぼらないのか勝手に心配してしまう。
彼らの奏でる三輪眞弘による声楽がこれまた美しい。
もうどれをとっても素晴らしい舞台。

演者も相変わらずすごいけど、なんといっても安部さん。
あの台詞量はいつも以上に異常。脳の中どうなってるんだろう。。。
特に後半の他の4人が電気流されながら鈴を鳴らしてる間のマイクアジテーション。
今回の舞台はやはりどこをとっても地点の中では異例の舞台だった。
「ガイガカウンター」や「放射能」のような具体的ワードが出てくるあたりもそうだけれど、全体として怒りに満ちた舞台。
それは原発への怒りとかそういうものを越えて、人間の持つ普遍的な「怒り」という感情。
これが舞台全体を貫いて、観ているこっちにまで飛び散ってくる。
ここまで感情が伝わる、というかぶつかってくる舞台があるのかと驚いた。
いつも観ている地点とはひと味違う。それでも地点でしか味わえない舞台。
もう改めてハマってしまった。
最後のレインコートを着た小河原さんが、台詞もなく上まで登っていって、そのレインコートが光り輝きながら緞帳の降りていくラストシーンが目に焼き付いて離れない。
元々5人の舞台だったので、今回小河原さんの登場は本当に少ないのだけれど、あの最後の登っていくシーンだけで充分な破壊力。
緞帳が降りて、コーラスの声楽が鳴り止むまで、本当に完璧なエンディングだった。
やっぱり僕の中の日本のトップクリエーターの座はしばらく彼らが占めちゃいそう。
来年の3月KAATでやるチェーホフの「三人姉妹」もめっちゃ観たいけど、その時は海外。
チェーホフ4代戯曲のうちこれだけ観れてないのですごく観たい。
海外行くのにこれだけが心残り。一時帰国したいぐらい。
とりあえず皆さん、次いつ「光のない。」がやられるかわからないので、観ましょう。
とても規模の大きいものなのでそうそうはやらないはず。
13日まで横浜KAATでその後。10月18、19と京都です。是非。

地点website : http://chiten.org
演劇のリアリティとアクチュアリティ~三浦基が今語るイェリネク『光のない。』~



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続いて維新派の「透視図」。
昨年初めて犬島での舞台「MAREBITO」を観てすっかりハマってしまった。
そして今年は彼らの本拠地大阪で10年ぶりの舞台ってことでこれは観ないわけにはいかない。
横浜から夜行バスで帰ったその日の晩って我ながらどんなスケジュール。
それでも、この日は台風前夜であぶなかったけど、無事に最後まで雨も降らず助かった。

それにしても今回の舞台はすごい。
梅田のビル群を借景に組まれた舞台装置は、本当に泣きそうになった。
昨年の「MAREBITO」も島を巡るお話だったけど、今回の「透視図」も同じく島の話。
大阪と島?って思う人も多いかもしれないけれど、これは中沢新一氏の「大阪アースダイバー」を読めば理解できるはず。
実は大阪の土地というのはほとんどがこの数百年に、淀川が運んできた砂によってできた土地。
昔はほとんどが水に囲まれた群島で、水都と言われるのはこれが所以。
実際大阪には「島」や「橋」といった、水を思わせる地名が異常に多い。
大阪をテーマにしながら、ステレオタイプの大阪を無視して、深層深く切り込んでいく内容は、大阪で生まれ育った自分としてはとても心に沁み入るようなお話だった。

演者は40人近くいて、今回はとにかく走る、走る。
「止まれば腐る」
まさに、大阪人の気質を表したような演出で最初から最後まで飽きない疾走感。
特に最後の草原を飛び回る草食獣のようなジャンピングランは爽快でした。
ロケーションといいストーリー、演出、どれをとっても大阪で40年もの間活動を続けてきた維新派ならではのものだったと思う。
大阪でしかありえない、サイトスペシフィックな舞台だった。

写真は舞台前の屋台村。相変わらずすごい熱気。
ライブや綱渡りパフォーマンス等、会場前にも充分楽しめました。


それにしても一日ズレてたら台風で中止だったのでギリギリセーフ。。。
13日楽しみにしていた方々御愁傷様です。
9月28日までやってるので、これは是非観に行ってください。

維新派website : http://www.ishinha.com

地点「悪霊」@ KAAT

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休止中ですが書きたいものは構わず書きます。
ということで、横浜で観た地点のレビューです。
まだ公演中ということもありネタバレ抑制の為読みたい人だけどうぞ。

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ジャンル : 学問・文化・芸術

維新派「MAREBITO」@ 犬島海水浴場

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岡山に行く用事ができたので、瀬戸内国際芸術祭に寄ってきました。
今回寄ったのは粟島、高見島、犬島の三島。
直島や豊島などは前回かなり回ったので割愛。芸術祭中に行くべきではないと思います。実際この日も地中美術館の入場は75分待ちとかだったそうですし。。。

神戸からフェリーで高松まで。
深夜1時乗船で、そんな時間に人おらんやろーと思ってたのが大間違いで、フェリーの中は大混雑。カオスでした。。。二度と乗らない。
朝5時半頃着。2時間ぐらいは寝れたのかしら。ふらふらで高松駅へ。
駅前のうどん屋はどこも閉まってて結局うどん県のうどんは食えずじまい。
高松から詫間駅へ。そこからシャトルバスで須田港へ。さらにそこから船で粟島。
やはり人は多く、船も臨時便が出てました。恐るべし。
粟島では、同級生の麻生祥子が出してたのでそれだけを見にきました。

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目的はこの作品だけなので、次の船まで隣のカフェでほっこりさせてもらいました。
時間が来て続いて高見島へ。
ここでは恩師の小松敏宏と後輩の中島伽耶子の作品。

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それぞれ力作でしたが、なんだか芸術祭色が強過ぎてそこまでの感動はなく。むずかしいすね。
もっと色々無視してぶっとんだ作品が見たかったです。
ちなみに高見島は、友人に食べるとこないかもと言われてたので弁当を買って行ってたのですが、ありましたよ。作品のひとつでもある海のテラスという所では瀬戸内海を見ながらパスタを食えます。が、11時なのに行列ができててやめました。代わりに漁協がやってた食堂がすばらしくて、オリーブハマチや漁師カレー等の必殺メニュー達。。。僕はしらす丼をいただきました。うまかったー。

高見島から船で多度津、電車で多度津から高松、高松から船で犬島へ。遠い。。。
精錬所や家プロジェクトは前回ほとんど見てたのでさらっと。
名和さんの作品とかも外から眺めるのみ。
新たにできた妹島さんによるA邸とS邸の荒神明香さんの作品は見事でしたね。

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家プロジェクト全体的には長谷川裕子色が強過ぎてどうよって感じでした。


さて、今回のメインはなんといっても維新派の舞台。
前回の芸術祭の時にも気になってたんやけど行けず。リベンジです。

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場所は犬島の南にある海水浴場。こんな場所があったなんて。
そこに特設会場が設けられてて、さらに屋台村まで。
この場作りも含めて維新派の世界観が漂ってます。
それにしてもなんて美しい景色。泣きそうになります。

そんな景色を借景にして繰り広げられた2時間の舞台。
背景に負けちゃうんじゃないのか、と始まる前まで少し疑いましたが、僕が間違いでした。
自然と演劇の出来過ぎな程の美しい世界。やられた。。。
太陽が沈み行く瀬戸内の空と海。刻々と移り行く自然の照明と人口の照明が見事でした。
おまけに月まで頭上に輝いちゃっててもう完璧な風景でしたね。
音楽もすばらしかったし、演出もどれも引き込まれてしまいました。
白塗りの演者たちは、すっかり子供と化してて、最初本当に子供なんかな?と思ってしまうほど自然。
物語も美しくて、遠い遥かな海の向こうの生活まで思いを馳せられるような内容。
言葉では尽くせないほどに素晴らしい舞台でした。見にきてよかった。。。
今回hyslomというパフォーマンスユニットともコラボしていて、彼らの身体の動きや遊びがかなり演出上きいてましたね。
彼らと演出の松本雄吉のインタビューがパンフレットに載っててこれも大分おもしろいです。

「今ダンスやってる人って、自分のフィールドがないことに悩んでると思うねん。ダンスって、ある種の風景を記憶する装置としての身体なわけだから。それをつねったり叩いたりすることで、ダンスを身体で動かしてるねん。でも今のダンサーは、身体の記憶ってダンススタジオか、せいぜい都市の記憶ぐらい。しかもそれは、自分の風景じゃない・・・そこにおりながらも、自分とはなじみが遠いという意識がある。こう言ったら何やけど、ちょっと根無し草的な、現代マンション族ダンサーのさびしさというかね。」

この松本さんの言葉は、ダンサーだけに当てはまるものじゃないと思います。
自分も一時期そのことで考えたこともあったけれど、自身が依って立つ風景って言うのを中々見つけられないというのは、都会に住む表現者には特に深刻だと思います。
以前ダンサーの田中泯さんがテレビで、畑仕事がかなりダンスに役立ってるということを仰ってけれど、そういうフィールドって、自分でも作れるものだと思います。
今回の舞台は、そのフィールドの作り方が本当にうまいなぁと思いました。
見てる間は、実際もの凄く寒くて、海風とかで鼻水すすりながら必死で見てて、見てる方も結構辛かったんですが、なんかそれも含めて刻み込まれた感じです。
また是非維新派の舞台は観に行きたいですね。前回観に行けなかったのやっぱり悔しい。。。

そんなこんなで最終便に乗って岡山へ。ヘトヘトで充実した一日でした。

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チェルフィッチュ「地面と床」@ 京都府立府民ホール アルティ

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KYOTO EXPERIMENTのオープニングを飾るチェルフィッチュの舞台を観てきました。
チェルフィッチュはもうずっと前に横浜美術館でやってた「わたしたちは無傷な別人である」を観て、かなり幻滅してしまったのだけれど、久々に観たら印象違うかもと思って観てきましたがやはり変わらなかった。。。
なんでしょうか、彼らの舞台は骨組みはしっかりしているのに外側が希薄というか。
というか骨組みだけで勝負してるようなところがある気がする。
それが彼らの評価にもつながってるのかもしれないけれど、僕はちょっと無理かも。
以前観た「クーラー」は外側も楽しめたんだけれど。
今回の舞台で骨となるのは、まずは音楽。
チェルフィッチュ初の音楽劇というだけあって、音楽がかなり効いてました。
サンガツが手がける音楽は、キャラクターそれぞれに曲があてがわれていて、次第に音楽であ、この人出てくる、とかわかるのがおもしろかった。
あとはやはり言葉。
舞台の真ん中の十字のセットに英語と中国語(たまに日本語)の翻訳が出るのだけれど、この翻訳にも劇中で言及されるのが興味深かったです。
とはいえ、日本語が失われつつある世界という設定を日本語を解する観客の前でやることにさほど説得力がないのが残念。
この舞台の初演は海外でやってたので、その時には翻訳の問題等アクチュアルに作用していたと想像できるけど、なんだか観ていて歯がゆかったです。
そういうSF的な設定の説得力の持たせ方がもう少し考えられてもよかったと思いますね。
村上龍なんかの小説読んでると、ほとんどが無茶なSFワールドやけど、膨大な研究結果によって不思議と説得力があって、もしかしてそうなるかもという恐怖が襲って来るんやけど、この舞台観てもさほど恐怖心は抱けなかったですね。
それとは対照的に、今回描かれている死者と生者の問題は、かなり考えさせられました。
タイトルにもあるように、地面と床が生と死の彼岸になっているのをすごく意識させられたし、死者である母が言う台詞とそれを否定する義娘のやりとりは重々しかった。
「忘却に抗う資格がある」
「そんなのないに決まってる。」
もっとこの辺に焦点絞って欲しかったな、と個人的には思いました。
特に震災以降の表現としては、この死者と生者の問題は大きいと思います。
また数年後機会があれば観てみようかな。

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地点「CHITENの近未来語」@アンダースロー

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この夏オープンしたばかりの地点の稽古場、及び発表の場「アンダースロー」に行ってきました!
京都は北白川にあるビルの地下にそれはあります。
演劇は門外漢なんですが、発表の場を自前で持つカンパニーって結構あるんでしょうか。
地点は演出家の三浦さんと演者5名、スタッフ数名の小さなカンパニーでこれは異例なのでは。
でも確かに毎回毎回稽古場借りて、発表する度に会場アレンジしたりすることを考えれば、もしかしたら自分たちでそういう場を持っちゃう方が時間もお金もかなり効率がいいのかもしれません。
しかし、内装が凄い凝ってて、使われてる材とかもすごく良さそう。
どんなものが飛び出すのか始まる前から期待が高まります。

今回の舞台は新作で、その日の新聞をモチーフにして展開します。
なので毎日内容は変わる、この場所ならではの実験的な舞台。
選ばれる記事は、ほとんどアドリブなのか、隣に演出家の三浦さんが座ってらしたけど、普通に笑ってたし笑
その日は8月9日で、長崎の記念式典のニュースはもちろんのこと、やくざの裁判の記事や、甲子園の記事、広告までくまなく取り上げられ、新聞の見方が変わりそうなぐらいのインパクトでした。
これまで地点は過去の小説や戯曲をテーマに展開していたけれど、こうして所謂詩的ではないものを題材に選ぶことで、より地点らしさが出てる気がしてとても興味深かったです。
テキストというものがこれほどまでに展開されるものなのかと本当に驚きました。
また、タイトルにもあるように地点が現在(今日の新聞)を通して未来にまで馳せてるのは新しかった。
小松左京のSF小説を新聞と絡ませて、果ては宇宙まで展開するんですが、椅子と新聞の小道具のみでここまでダイナミックに見せられるのは本当にすごい。
新聞はまた、どんどん過去になっていくメタファーとしてもおもしろいモチーフですね。
それから、やはり自身のホーム公演ということもあり、これまで以上に演者と観客の距離が近く、見ていてとても心地よい空気ができてました。舞台と観客席に敷居がないのもすごいですよね。
これまで見てきた彼らの舞台の中で最も地点の哲学が凝縮されたものだったように感じました。
この舞台は17、18と21から24日まで上演されます。
アンダースローもとてもおもしろい場所ですし、この演目は相当素晴らしいので是非。
予約は地点公式HPから。こちら

あと、昨日で終わってしまいましたが、丸太町にあるCafe Montageでも、お盆に併せて、前述の「近未来語」の姉妹版「近現代語」にも行ってきました。
こちらは、日本が明示以降近代に向けて邁進する様を描いたもので、大日本帝国憲法から玉音放送までがモチーフとなり、これも今までとは違い詩的ではないものが選ばれている点で興味深かったですが、これは今まで見た地点の中ではかなり「重い」舞台でした。観ていて恐怖すら感じる程の舞台でしたね。
昨日の8月15日に観たんですが、終戦記念日ということもあって、色々考えさせられました。
最後に「近未来語」の宣伝も兼ねて冒頭だけ演じられたのはおもしろかった。一気に和みました。
観客席の中にやなぎみわさんもいらっしゃいましたが、彼女も近年近代をテーマにした演劇を手がけているだけに何か思うところがあったかもしれませんね。

それにしても今年既に4回も地点の作品を観ていますが全く飽きない!ドはまりしてます。
この3月のKAATの舞台は観ていませんが、この「近未来語」が終わった次の日25日には、三浦さん演出で演者の安部聡子さんと朗読劇がCafe Montageであったり、来月もビューヒナーの「レンツ」を朗読劇にしたり、10月に再びアンダースローで新作「ファッツァー」も発表されるし、と、本当に息つく暇もないスケジュール。三浦さんの凄まじい創作意欲もさることながら、演者の方々はあの台詞量を一体どうやって覚えているのか。。。。
観ていて刺激をもらえるカンパニーです。これからもついて行きます!

<関連記事>
地点「かもめ」@ Cafe Montage
地点「コリオレイナス」@京都府立府民ホールアルティ
地点「――ところでアルトーさん、」@京都芸術センター

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