Mona Hatoum @ Tate Modern

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今回の欧州記事ラストです。
ラストはやはりテートモダン。
6月に新館がオープンし、ただでも広かったのにさらに広く。
おかげで全部回る頃にはぐったりしました。。。
元の建物をBoiler House、新館をSwitch Houseという名前で呼ばれていました。
H&deMによる新館は、正直期待はずれでした。なんか建築としてのワクワクがない。
発表から二転三転して今の形に落ち着きましたが、まあ色々あったんでしょう。
建物としての機能もこれからといった感じで半分くらいのフロアが公開されてませんでした。
新館に先立って公開されたTankなる地下空間はやはりめちゃくちゃカッコよかったです。
この建物のキャパシティの深さを感じられる空間で、ここでは主にパフォーマンスがメイン。

Boiler Houseの方ではモナ・ハトゥムの個展が開催されてました。
オキーフもやってたけど時間もなかったのでパス。。。
近年改めて大きな個展が連発している彼女。昨年もポンピドゥーでやってました。
来年はヒロシマ賞受賞記念の展覧会が広島市現代美術館で開催されますね。
なんとなくYBAのイメージがあったんだけど、彼女は彼らより一回りぐらい上の世代だったんですね。
彼女はレバノンで生まれ、イギリスに移り住んで今も拠点はイギリスです。
彼女の作品からは、暴力と普段の生活は薄皮一枚でしか隔てられていないことを教えられます。
家庭用のチーズおろし器を大きくして彫刻にした作品なんかは、何かの処刑器具にしか見えません。
また、僕が好きだったのは「Twelve Windows」という作品で、洗濯物のように12枚の布が洗濯バサミで止められていて、それぞれ刺繍が施されていますが、それはパレスチナの難民女性が施したもの。
こういう家庭的なものと、そこに潜む社会的な背景の組み合わせがとても上手いと思います。
また、最後にひっそりとテラスに展示されてた土嚢から植物が生えてる作品も僕のお気に入りの一つ。
ただ、改めて彼女のこれまでの全体の仕事を見ていると、あまりに美しく、それこそ美術作品然としすぎているというか、その感じが個人的にはそこまで入り込めなかったです。
来年の広島の展示は機会があったら観たいけど、今回で十分かなって感じもしますね。
テートの展示は8月21日まで。


さて、テートモダンですが、前回2年前に訪れた際、コレクションが僕の学生時代とそこまで変わってなくて結構ショックだったんですが、今回ガラッと様変わりしていて、さすがテートという感じ。
ブラック+カロ、ロスコ+モネなど、お家芸とも言えるテーマ別の組み合わせも絶妙。
カプーアとケリーの部屋では、ティノ・セーガルの「作品」が歌ってたりして楽しかった。
Switch Houseの展示は大空間にいくつかの作品という感じで、NYの新ホイットニーみたいな感じであまり新鮮味なかった。それでもジャッドとホワイトリード、ビュレンが一緒にあったりするのはいいなぁと。

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Artist Roomというくくりでいくつか一人の作家にフィーチャーした部屋は素晴らしかった。
Boiler Houseではリヒターやベッヒャーなどが贅沢に展示されてた。
日本からは高梨豊さんの展示も。
アヴァカノヴィッチの展示室も崇高な空気が流れてて素晴らしかった。
Switch Houseではブルジョワやレベッカ・ホルンがほぼ個展かと思われるぐらい充実してた。

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しかし何よりも驚いたのが1970年に東京で開催された「人間と物質」展の展示室があったこと!
これを常設に置くなんて、やはりテートはすごい。。。
高松二郎とペノーネが隣り合って並んでるのはかなりの感涙モノ。

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とまあ、やっぱテートはすごいなぁという感じでした。これからまたどうなるのか楽しみ。
テート以外に今回はギャラリーもいくつか。
その多くが僕の学生時代よりはるかにでかくなってた。
Hauser&Wirthなんてどっからどこまでが敷地なのかよくわからなかった。
WhiteCubeは移転後欧州一でかい空間になったそうだけど、空間としては全く面白くなかった。
それなら相変わらず普遍なガゴーシアンは今回久々に行ったけど、やっぱり空間が素晴らしい。
初めてロンドンに来て訪れた時の感動が再び蘇りました。
まあ、でかさで言ったらどこもNYに敵わないわけだから、もっと空間の質を極めてほしいですね。
さらに新しくできたハーストが始めたNewport Street Galleryにも行ってきました。
行ったらジェフ・クーンズがやっててまんまやんけと思った。空間もこれまた普通。
レストランは完全にハースト全開って感じで楽しかったです。

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EU離脱で揺れるロンドンですが、やっぱりこの街には世界中の人々を惹きつける力があるし、モナ・ハトゥムのように他国からやってきてイギリスで活躍する作家もたくさん。これを排除する方向にだけは向かわないでほしいです。
今回移転後のセントマーチン大学にも初めて訪問しましたが、以前のボロボロの建物とは打って変わって、古い建物を改装した超オシャレな場所で、学生も相変わらず多国籍。この多様性が刺激を生んで、いい作家を育ててるのは間違いないし、離脱後、学費やビザの影響でこれまでのようにロンドンに留学することも難しくなる他国の学生もたくさん出てくると思う。その影響がイギリスのアートシンーンにどう表れるか全くわからないけれど、ずっとずっと刺激的な街であってほしいなと思います。

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僕が初めてヨーロッパの地を踏んでから足掛け約10年。
今回フランスでマティスの礼拝堂に行けたことで、ヨーロッパの行きたい場所はほぼ制覇してしまいました。
個人的には、そろそろもうヨーロッパではなく他の地域にも行きたいし、いよいよ自分の国に根を下ろして自身のやりたいことを着実にやっていきたいなぁという気持ちもあります。
10年という歳月はほとんど実感がないですが、それまでに築いてきた様々な国に住む友人知人のことを思うと、自分なりに歩んできたんやなぁと感慨深いです。
この経験を生かして、しばらくまた日本で頑張ります。(と言いながらまたどっか行ったりして)
来年のテート・ブリテンのホワイトリードとかめっちゃ観たいけど、我慢我慢。

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Tate Modern Switch House by Herzog & de Meuron

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Serpentine Pavilion 2016 by BIG

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Serpentine Sackler Gallery by Zaha Hadid

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Makoto Ofune "Particules en Symphonie" @ Saint-Merry

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Makoto Ofune "Particules en Symphonie"
Saint-Merry (76 Rue de la Verrerie, 75004 Paris, France)
2016.07.12-09.03 月-土 9:00-18:00

Chapelle du Rosaire & Atelier Cézanne

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Chapelle du Rosaire
466 Avenue Henri Matisse, 06141 Vence, France
開館時間: 月・水・土 14h00~17h30 火・木 10h00~11h30と14h00~17h30
入場料: 3ユーロ。内部撮影不可。
ニースから400番のバスで約1時間。バス終点より徒歩約10分。バス時刻表


Atelier Cézanne
9, avenue Paul Cézanne- 13090 Aix-en-Provence, France
開館時間: 時期により異なる
入場料: 6ユーロ。内部撮影可。

Olafur Eliassonau @ Château de Versailles

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2016.06.07-10.30
Olafur Eliassonau @ Château de Versailles

帰国しました。

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約一ヶ月の滞在を終え無事帰国しました。
レジデンス期間中は特に決められたノルマもなかったので、将来のプロジェクトを進めたり、地元の作家のアトリエを訪ねたり、あとはフランス各地やスイス、ロンドンに行きました。
スタジオでは、広いスペースでほぼデスクワークだったのでもったいなかったですが。。。
いくつか将来に繋がる種もまけたような気もするので有意義な滞在でした。

期間中フランスはサッカーのEURO2016の開催国でしかも決勝戦まで駒を進めるという大盛り上がり。
仲良くなった作家たちとバーに観に行って僕もはしゃぎました。10年前のW杯をロンドンで観ていたのを思い出します。
残念ながらフランスはポルトガルに負けてしまいましたが、貴重な体験でした。
そして7月14日のフランス革命記念日ではパリで花火中継を観ていたらニースのテロの緊急速報が。
実はその朝までニースにいたので、一報を聞いて震撼しました。
各地でテロや殺戮が起こっていて、本当に物騒です。明日は我が身。こればかりは避けようがありません。
それでも犠牲になった人たち、その多くが子供だったと聞いて、本当に悲しい想いでいっぱいです。
思えば、フランス到着初日から英国のEU離脱、ダッカのテロ、トルコのクーデター未遂など世界が大混乱した激動の一ヶ月となりました。


さて、滞在中はバタバタしていたので、全くアップできなかった展覧会等の記事をまたアップしていきたいと思います。
といっても昔ほど狂ったようには見てないので、案外少ないかも。
とりあえずまずはボルドーの友達を訪ねて行った時に買ったカタログを紹介。
1996年にボルドー現代美術館(CAPC)で開催されたTraffic展のカタログ。
この展覧会は何と言っても当時この館のキュレーターだったニコラ・ブリオーが書いた、のちに日本語で「関係性の美学」と言われる「L'esthétique relationnelle」があまりにも有名。
展覧会を超えて、90年代のアートシーンで最も影響のあった文章と言っても過言ではありません。
所謂「参加型アート」を最初に象った文章で、リクリット・ティラヴァーニャやリアム・ギリックを大きく評価しました。
これは、90年代を席巻した、イギリスのYBAへのカウンターとも言われ、絵画や彫刻といった、言ってしまえば売りやすいマーケット型の作品とは一線を画す大陸型のアートとして当時は紹介されました。
しかし皮肉にも、今ではそういったフォームレスな作品を作る作家のほとんどがイギリスから輩出されています。
サイモン・フジワラ、ライアン・ガンダー、ティノ・セーガル等がそうですね。
これだけ有名な文章なのに、未だに邦訳が出ていないという問題があります。
実際邦訳は辻憲行氏によって進められているのだけれど、なぜか一向に出版されないというミステリー・・・。
昨年の「年内に出ます」という辻さんのツイッター宣言は何だったのか・・・。
それどころか、これを批判したクレア・ビショップの文章の方が先に翻訳されてたりして本当におかしい。
それはそうと、この展覧会、カタログを見ていると、この序章の文章だけが一人歩きしちゃった感がすごいです。
カタログ読むまで知らなかったんだけど、この展覧会ヤノベケンジとか参加してるんですね。
「関係性の美学」関係あるのか。。。
とはいえ、ポンピドゥーのコレクションでも「Traffic以降」というテーマコーナーがあったり、今回行ったジュネーブのmamcoでも展示のタイトルに「関係性の美学」が打ち出されてたり、20年経った今でも伝説となった展覧会であるのは事実です。
これがパリではなくボルドーで開催されてたってのがまた面白いですよね。
それにしても20年前のカタログが手に入るとは思ってなかったので嬉しいです。
最近では2013年にヴェネツィアで開催されたハロルド・ゼーマンによる「態度が形になる時」(1969)の再現や、2014年にポンピドゥーで開催されたジャン=ユベール・マルタンによる「大地の魔術師たち」(1989)の再考展など、こういった伝説的な展覧会を回顧する動きが活発ですね。
今年はこの「Traffic」から20年だけでなく、ベルギーはゲントで開催されたヤン・フートによる「シャンブル・ダミ」(1986)から30年の年であったりもします。
さて、この10年だと将来「伝説」として語り継がれる展覧会は何になるんでしょう。
個人的には2013年のマッシミリアーノ・ジオーニによるヴェネツィア・ビエンナーレ「百科事典宮殿」かなぁ。
見てないけどその前年2012年のキャロライン・クリストフ=バガルギエフによる「ドクメンタ14」もあるかもしれませんね。
ドクメンタといえば来年はミュンスター彫刻プロジェクトとヴェネツィア・ビエンナーレが被る10年に1度の美術惑星直列の年ですね。

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Artistes en Residence in Clermont-Ferrand

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2ヶ月ぶりの更新。。。生きてます。
現在フランスはクレルモン=フェランという町にアーティスト・イン・レジデンスできています。
約1ヶ月のみの滞在で、展覧会はないものの、様々な人と出会い、様々な刺激を受けて帰ってきたいと思います。
また観てきたものをここにアップしていく予定です。

Artistes en Residence

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「垂乳女」 by 河瀬直美



Lumen Galleryで開催された河瀬直美映像個展に行ってきました。
Lumenは昨年に知人が始めた映像のギャラリーで、行きたいと思いつつ、めぼしい展覧会がないか待ってたらなんと河瀬直美のドキュメンタリー作品が一気に見られるというまたとない機会がやってきました。
会期二週間で今ある25作品全てを上映するという凄まじいプログラムです。
さすがに全ては観られませんでしたが会期中4回(1回は機材トラブルで観られず。。。)京都まで通いました。

まず最初に観たのは、学生時代からの初期作品を流すAプログラム。
彼女が映像という媒体に出会って、カメラを回すことが楽しくて仕方ないという新鮮なフィルムたち。
もちろん内容は「河瀬さんにもこんな時期があったのか」と思うほど荒いですがみずみずしいです。
というかここまで初期のものは今後観られる機会はほぼないかもしれません。貴重でした。

次に観たのが「影」と「垂乳女」を含むHプログラム。
特に後者の「垂乳女」はDVDにもなっておらず、いつか必ず観たいと熱望していたので嬉しかった。
「影」は自分と父親の理想の関係をなぞるような仮想劇で、Aプログラムにあった「パパのアイスクリーム」同様、気持ち悪いぐらい甘い父との関係に観ていて居心地が悪かったです。
そして念願の「垂乳女」は期待を遥かに上回るパンチのある映画。これは河瀬作品の中でも河瀬節が最も炸裂していると言っても言い過ぎではないでしょう。
冒頭から養母である宇多宇乃ばあちゃんの入浴シーンからで、老婆の裸を執拗に収めています。
そこには養母の刻んできた様々な年輪が映像に焼き付いていて、彼女の人生を見事に映し出しています。
石内都の大野一雄を撮った写真を思い出しました。
そして、河瀬さんの狂気を感じるまでの、宇乃さんに浴びせる罵倒も印象的。顔をしかめてしまうほど生々しい会話に胸がえぐられます。
次のシーンでは養母との仲直りがあってほっと心を撫で下ろすほんわかなシーンが。
「直美ちゃんはおばあちゃんのこと好いてくれてる?」
「直美が可愛くて仕方ない」
といった宇乃さんの台詞から、河瀬さんに対する深い愛情がこれでもかというほど映像から溢れ出ます。
それから、河瀬さんが心から欲しがっていた新しい家族、息子の出産シーン。
このシーンはこの映画の中で最も有名なシーンで、出産直後にいきなり「カメラ貸して!」と叫んで、自分でカメラを回し始める河瀬さんは本当に壮絶。
出産という営みが、生々しく映し出されていて、最後には息子と自分を結んでいた胎盤の一部を食べるという狂気的なシーンもあります。
映画の最初に赤い血に包まれた肉塊が映されてますが、これは胎盤だったんですね。
宇乃さんと赤ん坊が一緒に寝ているシーンは、河瀬さんがこの世界で最も大事なものが一つの画面に収まっているようで、本当に美しかった。
この映画はこの後「沙羅双樹」、「玄牝」へと繋がっていきます。

最後に「垂乳女」の続編と言える「塵」と韓国で上映され、日本初公開となる「AMAMI」を含むJプログラム。
「塵」はついに彼女を育ててくれた宇乃さんとの別れを綴る作品。
老衰が始まり、老人ホームに移され、日に日に弱っていく養母の日々が描かれます。
ここの老人ホームの感覚は、カンヌでグランプリをとった「殯の森」に繋がっていきます。
僕自身も、両親が共働きだったために幼い頃はほぼ祖母といる時間が長かったので、未だに両親より祖母の方が身近に感じてる大のおばあちゃん子なので、この映画は身を切られるほど観ているのが辛かった。
体の水分が全部出てしまいそうなほど泣きました。
が、作品としてはやはり「垂乳女」の方が圧倒的に強いです。
色んなことが整理できてない印象を受けました。もちろん彼女の本当に大事なものが永遠に失われる内容なので、整理なんてできるはずがないのだけれど、その混乱が作品にそのまま反映されてたように思えます。
そして、ずっと撮り続けていた養母亡き後に取られた「AMAMI」。
彼女のルーツである奄美大島に息子を連れてそのルーツを探るという内容。
この映画がショックを受けるぐらい弱かった。これまで観客を鷲掴みにして、半ば無理矢理自身の物語に道連れにしてきたあの強さがこの映画からは全くと言っていいほど感じられず、観ながらどうして自分はこの人の個人的事情に付き合わされてるんだろうという冷めた気分にまでなってしまいました。。。

今回いくつか彼女の原点でもあるドキュメンタリーを観て感じたのは、彼女の圧倒的な力を発揮できるゾーンが、彼女の半径1m以内だということです。
彼女にとって、カメラが肉化していて、「垂乳女」の出産のシーンに顕著なように、どんな時もカメラが彼女の目になっています。
そのため、彼女の目の届く半径にあるものを彼女に撮らせた時に、それがどんなに些細なものであっても、どんなに個人的なものであっても、圧倒的な力を持って観客の心を掴み、深く爪痕を刻むことができます。
彼女ほどカメラが自身の肉の一部になってる人は世界を探してもそういないと思います。
この力こそ、彼女を世界のトップに押し上げた原点だと強く思います。
しかし、そのゾーンを一歩でも出た時に彼女の力は驚くほど弱まります。
「AMAMI」を観ていて思ったのがそれです。
彼女の育った地元でもなく、会ったこともない祖先にカメラを向けた時、そこには何も映っていませんでした。
奄美大島で撮った「二つ目の窓」を観た時、正直河瀬さんがこの映画を撮る意味ってあるのかな?とさえ思いました。
「二つ目の窓」では、島を襲う嵐や、雄大な自然が映し出されます。
しかし、奈良で撮った蝶々の舞う姿や木がサラサラと揺れる様、太陽がキラキラ水面に映る映像に、この雄大な自然の映像は勝つことができません。
この感じはジャンルは違いますが宇多田ヒカルに似ているなと思います。
彼女がここまで人々の心を掴む歌が歌えるのは、彼女が自身の身を歌に刻み込んでるからだと思います。
ここまでボロボロになりながら歌う必要があるのかと思うぐらい痛々しい歌たち。
特に人間活動を経てかえってきて発表した「花束を君に」と「真夏の通り雨」は、自死という悲しすぎる結末を選んだ母親に対するレクイエムで、痛々しいほどの世界観で聴き手の心を震わせます。
話は逸れましたが、それゆえに宇多田ヒカルの「桜流し」を河瀬さんが撮った時には、あまりの共鳴に驚きました。
河瀬さんには彼女のゾーンをさらに研ぎ澄ませた先の世界を見せて欲しいなと個人的には思います。
今後どんな作品で世界をノックアウトするのか、楽しみにしています。
そして「垂乳女」と「玄牝」を是非DVDにして欲しい。。。

あと、今回の河瀬さんの映画や、前回の田中さんの展覧会を観て考えたのは、直接的な表現の持つ強さと弱さのことでした。
河瀬さんの「垂乳女」はこれでもかというぐらい直接的で、それは観客の心をまっすぐに突き刺す鋭さがあるのだけれど、その突き刺す角度が少しでもずれた時に簡単に折れてしまう諸刃の剣なんだなと思いました。
それは田中さんも同じで、彼の場合はそれまで隠喩的な方法論で作っていたものを、直接的な表現に変換してしまったことでズレてしまった感があって、水戸の展覧会に出ていた複数の人達がピアノを弾いたりする過去の作品はやはり何度観ても力があると思います。
この隠喩力っていうのが改めて鍵で、この力を最大に発揮してるのがフェリックス・ゴンザレス=トレスだと個人的に思います。
彼の場合、本当にどうしようもないぐらい個人的な問題を、圧倒的なセンスで隠喩的に表現して、誰にでも共感できる普遍的なものへと還元する力があります。
彼の作品は一見何でもないんだけど、時間をかけて確実に染み渡る感覚があります。
そういうものが作れたら本当に幸せだろうなぁと改めて考えさせられました。

<関連記事>
「につつまれて」by 河瀬直美
「朱花の月」 by 河瀬直美
「玄牝」 by 河瀬直美
「火垂」 by 河瀬直美
「確かなこと」:河瀬直美

マレビトの会「長崎を上演する」 @愛知県芸術劇場



マレビトの会を観に名古屋まで。
安い宿が取れなかったからって18きっぷで2回往復するという暴挙をやってしまった。さすがに2日目は頭痛。

それはともかくマレビトの会。
彼らは以前は京都を本拠地として活動していた劇団で、現在は東京(栃木?)が本拠地。
まだ彼らが京都にいた頃に知って、2010年に始まったKYOTO EXPERIMENTでもやってたんだけど、なぜか見逃したまま、気になりつつも一度も観たことがないまま今に至っていて、今回愛知でやると知って観に行った次第です。

彼らはその京都にいた頃から、都市をテーマに作品を作っていて、特に被爆した都市広島と長崎をテーマにして作品を作ってきました。
さらに2011年の原発事故を受けてそのテーマに福島も加わり、2013年にはF/Tで「アンティゴネーへの旅の記録とその上演」という舞台を上演します。
そしてさらに3年が経ち、昨夏「長崎を上演する」を初上演。
この舞台の面白いところは、幾つもの断章があって、それぞれに脚本を書いてる人が違うという点。
普通ひとつの劇団には代表するコレオグラファーがいて(地点だったら三浦さん)、彼を軸に回っていくんだけど、その軸をあえてブラして、それを一つにまとめていくというのがマレビトの会の特徴なのかも。もちろん代表に松田さんという方はいらっしゃるんだけど、彼が全ての軸ではないというのがなんとも不思議。
そして、舞台が何日にも及ぶというのもまた面白いです。
今年の初めに「ハッピーアワー」という映画について書きましたが、あれも何日かに分けて、一旦家に持ち帰ることで、映画館だけでは完結しない何かがあったんだけど、今回もそうでした。
しかも今回は遠方だし、電車の往復の中でも色々考えられました。

舞台はタイトルにもある通り長崎。
しかし、いわゆる被爆都市としての「ナガサキ」ではなく、現実の長崎。
もちろん原爆のことや戦争のことに触れるものもあるけれど、ほとんど関係ない物語が大半。
その物語が19にも分かれていて、しかもその物語の間と間はシームレスにつながってるので、前の物語が終わらないうちに次の物語が始まってるような展開は新鮮でした。
そして何と言っても舞台にセットらしきセットがないのが本当に異様。
あるのはパイプ椅子4つとあとはたまに出てくる箱ぐらい。
演者はパントマイムのように、ドアを開けたりコップを拭いたり物を避けたりする。
さらには、衣装まで物語内の設定とは違ったりするので、Tシャツの設定なのに目の前の演者はワンピース着てたり、観てる側も想像力をフルに働かしてみる必要がある。

この能動的な観客というのは、もちろん面白い主題だと思うけれど、これも前回の記事のMOTアニュアルのような、演劇内のドメスティックさに僕らまで付き合わさせられてるような感覚もあって、うーんと思うところもあった。
とはいえ、今回だけではなんとも言えず、やはり気になるので11月に東京でやるらしい「福島を上演する」を観てみることにしようと思います。

田中功起 「共にいることの可能性、その試み」 @水戸芸術館

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もう半月以上前になっちゃいましたが東京に行ってきました。
いくつか観てきたのですが、特に「関係性の美学」以降の作家の展示を3つ立て続けに観ました。

まずは水戸芸術館で開催されてる田中功起展。
2013年のヴェニスビエンナーレ日本館の個展で特別表彰を受けて以来初の日本の美術館での大型個展。
それだけにある程度の期待はしていましたが、正直モヤモヤの残る内容でした。
展示空間を、ただの場にしていたインスタレーションとしてみれば相当クオリティが高かったと思います。
しかし内容は、6日間のワークショップの記録を並べたもので、そこで「共同体は可能か」と言った内容が吟味されるのだけれど、あまりに欺瞞的というか、最終的にこの結果は明らかにエラーを起こすことを予期して作られてるように見えて、とても居心地が悪かったです。
あの日本館での美しい調和は完全に失われていました。
今回のテーマは深く震災に根付いています。
これまで裏方だった作家本人も積極的に映像に参加しているしインタビューまで受けてる。
こういう直接的な態度を展覧会で見せることにどういった意味があるんだろうと思ってしまいました。
日本館では、直接関係ないけど、震災にゆるく結びついているという、その関係がとても心に染み渡るようだったんだけど、今回は押し付けがましさすら感じてしまいました。
これから田中さんはこういう方向に作品をシフトしてしまうんだとしたら非常に残念です。
それとも今回直接2011年に被災した水戸芸術館での展示ということでそうしたのでしょうか。
ちょっと腑に落ちない展示でした。
とはいえ貴重な機会なので水戸は遠いけど足を伸ばしてあの場を体験してみるのはいいことだと思います。5月15日まで。こちら


あと、東京都現代美術館でのArtists' Guildを迎えたMOTアニュアル「キセイノセイキ」もまた腑に落ちない展覧会でした。
これも前述の田中さんも出してた2012年のMOTアニュアルが良すぎただけに、どうしても比べてしまう展示ですね。
美術館批判とも取れる内容を美術館でやってるだけに、説得力がないしあまりにドメスティック。
風桶の時は、各作家の作品同士がうまく手を結び合ってる印象があったんだけど、今回のは全然その感覚がなかった。
すんごい大まかな傾向のものを同じフォルダーにとりあえず詰めちゃった感じ。
同時にピクサー展やってたけど、そっちから流れてきたお客さん相当引くんだろうなぁと。。。5月29日まで。


もひとつオペラシティでやってたサイモン・フジワラ展もひどかった。。。
田中さん同様空間の使い方は抜群にうまくて、ひとつの展示空間に様々な物質が置かれてる様は爽快。
ただ、作品として、過去の作品のダイジェストみたいな感じで、ウェブサイトの作品紹介をマウスでクリックしながらスラスラ見ていくような感じで、現実の展覧会としてのダイナミックさは皆無。
彼のルーツの断片でもある日本での初の大きな個展なのに、なんでこうなったのか残念。。。
今度はがっつり新作で大きな個展を観てみたいです。こちらは既に終了済み。


これらの展示があんまりだったのは、僕の興味がここ数年でまた変異したせいもあると思います。
震災以降特に作家自ら、作家であること、作品を作ることという、根源的な問いを改めて突き詰めて、これまで自明と思われてきた制度に改めて真っ向勝負を挑んていくような、田中さんを始めとする作家の姿に心動かされた時期もありましたが、あれから5年が経過して、揺り戻しで純粋に美しいと思えるものを観てみたいという欲求が出てきたように思います。
あの日本館の展示をピークにして、作家たちの自意識的な展示を観ても感想が出てこない自分がいます。
最近発売になった「地域アート」の本も読んでみましたが、これまたドメスティックすぎて、全然内容が入らず。というか、この本の主題である「地域アート」の源流を築いたとも言える北川フラムさんが参加してない時点でこれを本にまでする価値があるのかっていう内容。ただただファミレスかどっかで作家たちが内輪であーだこーだ言ってるだけに思えて辟易しました。


その点で今回最も良かったのは自分でも意外な横浜美術館での村上隆コレクション展
森美での自身の展覧会がひどかったのでどうだろうと思いつつ友人に勧められて横浜へ。
結果的に、この美術館で観た展示の中で一番良かったと言えるぐらい良かった。
やはり作家だけあって展示の仕方が本当にうまくて唸りました。
あのどうしようもない入り口の大空間も、キーファーや李禹煥等のインスタレーションでビシッと決まってたし、何よりあの膨大な作品たちをほとんどストレスもなく観られたのは本当に奇跡。
普段より壁にかかってる平面も多いし、作品と作品の隙間だって本当に狭いのに不思議と干渉していない。
やはり村上さんはディレクション力がすごいんだと改めて思いました。
そしてコレクションの内容も凄すぎた。。。
でも、なんかすごいコレクションに愛情を感じたし、見せびらかされてる感じが全然なかった。
これは杉本博司とは全く違うところですね。
杉本さんのコレクションは、あくまで自分の趣味の良さと、それらを自身の作品の正当化に結びつける口実に見えてしまう部分があるんだけど、村上コレクション展では、自身の作品が一切展示されてないし、え、こんなんも持ってるの?っていう村上隆のイメージとは全く違うものが幾つかあって面白かったですね。
小泉明朗さんやミカ・ロッテンバーグの作品を持ってるのは意外だったなー。キーファーもね。
帰りのショップで思わず展覧会に出ていた尾形アツシさんの飯茶碗を買ってしまった。
とても気持ち良い展覧会でした。こちらも既に終了済み。


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