スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踏団「NELKEN -カーネーション」 @ 彩の国さいたま芸術劇場



ピナの「カーネーション」を観に埼玉へ。
会場やその道中の会話でちらほら前週の香港公演を話題にしてる人をちらほら。僕だけじゃなかった!
次週のソウルも行く人多いのかもしれませんね。さすが。。。

さて、「カーネーション」。1982年初演のピナの代表作の一つ。前からずっと見たかった!
ステージには無数のカーネーションが咲き誇っていて、開演前からテンションが上がります。
舞台がスタートすると、椅子を持った演者たちが登場。案外カーネーションは倒れません。
何人かの演者が客席に降りてきて、お客さんを拉致!早速シュールすぎる笑
その後すぐにお客さんは元の席に帰されるんだけどその間何があったのか気になる。。。
そして有名な「The Man I Love」の手話。
この舞台は音楽の選択が本当に素晴らしい。
ところどころで流れる音楽とカーネーション、ダンス。夢の中にいるみたいです。
机の上で踊るダンスや椅子の上で踊るダンス。ダンスの概念が大きく広がっていきます。
最後の「春夏秋冬」ダンスは、お客さんをも巻き込んでみんなでダンス。楽しかった!
これだけ笑えて笑顔になれて最高にかっこいいダンスピースってやっぱりピナぐらい。本当に唯一無二です。
また、伝統的なバレーの動きを一つ一つ見せるシーンや、ダンサーがダンサーになったきっかけを語るシーン、高い足場から急ごしらえのダンボールに飛び込む場面など、もう印象的な場面だらけ。
あと驚いたのが、演者たちのセリフがほとんど日本語なところ。
多分上演する各国に合わせて毎回言葉を変えてるんだろうけどすごい。
結構複雑な日本語を喋っているのでただただ感心するばかり。
こないだ香港で観た「カフェ・ミュラー」と「春の祭典」はセリフがないので存分に楽しめたけど、これが逆に「カーネーション」を香港で観てたら、セリフが全くわからずここまで楽しめなかったかも。。。日本で観れてよかった!
こんなてんこ盛りな2時間とても幸せな時間でした。
とはいえ舞台中は容赦なくカーネーションたちは踏みつけられ薙ぎ倒され、とても甘い悪夢を見ているよう。
最後にはほとんどのカーネーションが倒れたステージが出来上がっていました。
次は「パレルモパレルモ」が観たい!(最終的には全部観たい)

IMG_2730.jpg

IMG_2731.jpg

IMG_2734.jpg
スポンサーサイト

Tanztheater Wuppertal Pina Bausch "Café Müller & The Rite of Spring" @ 香港文化中心





今週末埼玉でやるピナ・バウシュの演目「カーネーション」を観に行くんですが、その前に、昔からどうしても観たかった「カフェ・ミュラー」と「春の祭典」が香港でやるってんで飛んで行ってしまいました・・・我ながらフットワークが鬼軽い。。。
今回ピーチで大阪-香港間がなんと往復14000円!大阪ー東京間の新幹線片道とちょっとの値段で行けちゃう。
初香港。前から行ってみたかったけど実際素晴らしい街でした。ソウルより台北より好き。カオスな喧騒とオシャレなセントラルが共存していて、「ブレードランナー」のような映画の世界観。
元イギリス領なだけあって英語もかなり通じるし、治安も良好。親日ってのもびっくり。店にあるお菓子とか日本のものがたくさん普通に置いてあるし、日本語も結構見かけました。
気温も暖かくて日本の寒さから逃避できました。かなりの霧で百万ドルの夜景は拝めませんでしたが。。。
それはさておき演目です。

まず「カフェ・ミュラー」に関しては、やはりピナの不在を痛感しました。
実際僕は、ピナが在命中に見たのは遺作となった「フルムーン」だけで、それ以降いくつか観てますが、特に違和感を覚えたことはありませんでした。それだけヴッパタール舞踏団がピナの意思を忠実に受け継いでて、ピナ亡き今も精力的に動けてるのは一重に彼らの努力に他ならないし、そのことに感動します。
ただ、「カフェ・ミュラー」はどうしてもピナ自身がダンサーとして踊ってる印象が強すぎて、彼女が舞台の上にいないという不在感が、観ていてとても重くのしかかってしまいました。。。
確かに当時と同じようなダンサーたちを選んではいるものの、もはやコスプレにしか見えない。
どうせだったら全く違う体型や髪型のダンサーでもいいのかもしれませんが、バランスが難しいですね。
「カフェ・ミュラー」に関しては、その再現性の難しさを強く感じてしまいました。

しかし次の「春の祭典」は前半のがっかりを軽く吹き飛ばしてしまう力がありました。
こんなものを知らずに生きてきてたなんて。。。と思うぐらいすごかった。
ダンサーたちが文字通り泥まみれになりながら踊り狂う様は、観ていて息がつまるほどのインパクト。
ダンサーたちの荒ぶる息遣いも聞こえてくるし、ステージに敷かれた土が舞う様も鼻につく。
ここまで五感をフルに覚醒させるようなステージを今まで見たことなかったです。
これは生で観ないと本当に意味のない作品だと思いました。言葉になりません。
最後、赤いキャミソールを着た小柄なダンサーが踊り狂うんですが、もう片方の胸が出ちゃってて、すごいなぁと思ってたら、これ演出的に片乳はみんな出してるんですね笑
最後はもちろんスタンディングオーベーション。
泥にまみれたダンサーたちの姿が本当に輝かしかった。
香港まで観に来て本当に良かったーーー!!!
にしてもYouTubeで両作品共全編通して観れちゃうなんてすごい時代ですね・・・。


香港のアートシーンは、まだまだって感じでした。
確かにガゴーシアンを始めとする大きなギャラリーもあるし、今月末にはアートバーゼルもあるけど、何といってもこれといった美術館がないのが痛い。
やはり数年後に開館するであろうM+を待たないとですね。開館したらまた行こう。
てことで、ギャラリーや美術館はイマイチですが、NPOやインディペンデントが熱いです。
特に今回行った中で、Asia Art Archive(AAA)Things that can happenは面白かった!
特にAAAは凄かった。
アジアアートに関する資料が揃った会員登録すれば誰でも入れるライブラリーがあって、そこの蔵書の豊富さはすごいです。リサーチャーにはたまらない施設ですね。日本にも欲しい。
それこそ日本の本たちもたくさんあったし、ウェブに載ってる情報までプリントアウトしてストックしてある。
Things that can happenは、九龍側の深水埗っていう超ディープな電気街にあって、知り合いに聞いたらそんなとこ観光客は行かないって言われました笑
インディペンデントならではの自由さがあって、行った時にやってた楊季涓の個展が良かった。
スタッフもフレンドリーで英語が達者で説明も丁寧にしてくれました。
近くにもう一つ百呎公園ってとこもありましたが、こちらは今ひとつでした。
ちなみに香港アート情報はartscapeのこの記事を参考にしました。


香港、また行きたいです!

IMG_2610_201703151227161ca.jpg


「マルセル・デュシャンとアメリカ: 戦後アメリカ美術の進展とデュシャン受容の変遷」 by 平芳幸浩

IMG_2394.jpg

今年2017年は、デュシャンの「泉」が発表されてまる100年になります。
100年前にあんなものを世に発表したデュシャンという人物が空恐ろしいです。
未だにあの作品ほど美術という枠組みを変えてしまった作品はこの100年出ていません。
それほど彼の「レディメイド」という発明は美術の世界を変えてしまいました。
デュシャン以前の美術作品は、ほぼ技術がなせる技でした。
絵画にしろ彫刻にしろ、芸術家の手が重要だったのです。
その根本をあっさりとひっくり返してしまったのがこのデュシャンという人です。
なんせ男性用便器にサイン(それも偽名)をしただけで作品と言ってのけてしまったんだから。
それ以降美術作品において、手仕事であることはさほど重要でなくなりました。
作家が何を作品と名指すか。そこにどういう意味があるのか。
それが今の現代美術と言われるものの根底になりました。

そんなデュシャンが戦後アメリカにどう受け入れられてきたか、を論じているのがこの本です。
この本にはデュシャンの作品の解説もほとんど書かれていません。
あくまで、彼の存在が当時どんなものだったのかの研究です。
しかしそこには彼をいかに戦後のアメリカ美術が取り込んで行こうかという思惑がたくさん絡んでいて、読んでいてかなりスリリングな本でした。
結果的にはデュシャンは、その場その場で、まるでカメレオンのようにその受容のされ方に応じて態度を変えていった様が伺えます。
やはり一筋縄ではいかないようです。
ということで以下本の内容。




続きを読む

キュレータートーク 蔵屋美香 @ 京都芸術センター講堂



本当は別の記事を用意してましたが先にこちらを。
金曜日に京都芸術センターで開催されたHAPS主催のトークがあまりに面白かったので。

このトークは「Can curatorial attitudes become form?」と題された、キュレーターを招いてトークしてもらうイベントの第七回で、過去には長谷川祐子さんや建畠晢さん、南條史生さんなど錚々たるメンバーがゲストとして来ています。(アーカイブはこちら
今回は東京国立近代美術館の蔵屋美香さんをゲストに招いてのトークです。
これまでは一人の作家を挙げて、キュレーターと作家との関係が語られてきましたが、今回は違いました。
タイトルが、「”アーティスト”という縦軸よりも、”一見関係さなそうな作品同士のつながり”という横軸に萌えるんですけど、こういうのってどうなんですかね」という長くてゆるいタイトルがついてました笑
これは、HAPSディレクターの遠藤水城さんとのメールのやり取りの中のテキストそのままタイトルになったそうで、要は一人の作家論では語れないということでした。
蔵屋さんは女子美術大学の油画専攻出身で、元々作り手だったそうです。
その後一度就職し、千葉大学の美術史の大学院を出て、今の東京近美に就職したんだとか。
彼女のキャリアの中で、元々作り手だったというのがすごく大きくて、おかげで作家のことを特別視しなくて済んだと彼女は言います。
今回の話も好きな作家で話すとなると、マンテーニャかセザンヌかマティスになってしまうし、いつも作家単体ではなく美術史的に縦軸横軸で俯瞰しているので、作家論は語れないということでこういうタイトルになってしまったとのこと。
こういう視点って、蔵屋さんが現代美術館じゃなくて、明治から現代まで扱う東京近美で働いてるのも大きいんでしょうね。

ざっくり前半は日本近代美術、後半は日本現代美術と分かれていました。
現代美術の話を聞きに来てくれた人にはつまらないかもしれませんが、と話し始めた前半のお話がとてつもなくスリリングなお話でとても興奮しました。
まずロラン・バルトの「作者の死」というテキストが挙げられます。
これは「物語の構造分析」という本の中に所収されてる文学についての短いエッセイですが、作品は完全に作者のものではなく、読者によっても作られるものだということが書かれています。
これはすべてのクリエーションに当てはまっているものだと思います。
つまり、作家は絶対じゃないということ。
次に、日本近代洋画の小出楢重の「裸女結髪」という作品の画像が挙げられます。
さらに続いてマティスの「髪結い」という作品、、、
あれ、どう見ても構図も画題もほぼ一緒!
他にも青木繁とNicolas Régnierの絵や、熊谷守一と、、、(熊谷さんに関しては今年末に開催される蔵屋さんキュレーションの展覧会のカタログに書かれるそうなのでここでは伏せます。にしてもすごい説だったなー)
つまり、作家のオリジナリティにはどこかに裏があるということ。
こんなこと言っちゃって大丈夫なのか?って思うような内容ですが、実はこうして類似作品と改めて比べ、さらにその中にある差異を探ることで、その作家が何をしたかったかが垣間見えてくるということを蔵屋さんは主張していました。
これまで、研究者は、他の畑のことは全く不介入で、まさか小出とマティスが繋がってるなんて夢にも考えていなかったとのこと。(このことは実際蔵屋さんが2011年に発見されるまで誰も見つけてこなかったそう)
それは作家を神格化することの功罪で、そこから零れ落ちてるものがあまりに多いと蔵屋さんは言います。
この態度にはものすごく共鳴しました。
これは決して粗探しや重箱の隅をつつくみたいなことではなくて、そこから見える世界があまりに広いということです。
実際2014年にポンピドゥーセンターで開催された、デュシャン展はそのことを強く証明した素晴らしい展覧会でしたし、イヴ=アラン・ボアの「ピカソとマチス」も同じ画題を描いてもこれだけ豊かな広がりがあるということを教えてくれています。
蔵屋さんは、こういう類似をいくつもいくつも発見していて、それはインターネットでいくつもの画像を簡単に検索できる時代にいるからこそと言います。
アンドレ・マルローやアビ・ヴァールブルクがやろうとしていた空想の美術館が、今やパソコンやスマホのネット環境によって展開されているのです。

続いて後半は現代美術。
前半は作家や作品同士の繋がり、つまり横軸だったのに関して、後半は時代のつながり、つまり縦軸について。
何と言っても蔵屋さんの最近の大きな仕事といえば、2013年に田中功起さんと組んだヴェニス・ビエンナーレ日本館
この企画の前にも同じタッグで取り組んだ案として、田中功起と高松次郎の作品を一緒に展示するという案があったそうですが、こちらは結果として落選しました。
その後改めて挑んだ時には2011年の震災のあとで、田中さんが以前からやっていた「協働」というテーマで取り組んだのがこのヴェニスのプロジェクトでした。
展示当初は、「協働」することの豊かさのようなものが国内はもとより、世界的にも確かにあったのが、展示期間中のわずか半年かそこらで世界の空気は変わってしまい、結局みんなで協力してたらいつまでたってもどこにもたどり着けず、むしろ一人の強力なリーダーがいた方がもっと潤滑に進むんじゃないの?という風になってしまったそうです。
日本館のメッセージも観客は「協働することの豊かさ」から「協働の限界」を見るようになってしまいました。
しかしこういう空気の流れは全く新しいものではなく、振り返ると1923年の関東大震災後にも起こっていたことに蔵屋さんは気がつきます。
そこで彼女がキュレーションしたのが「何かがおこってるⅡ:1923、1945、そして」という、東京近美のコレクションを使った常設展でした。
関東大震災以降、クリエーターたちも自分たちにもできることをといろんな取り組みを行ったそうですが、その後分裂し、1925年には治安維持法が施行され、1940年には東京オリンピック決定、そして戦争という流れ。
あれ?これってどこかで実際に体験してるような。そう、まさに3.11以降の流れとほぼ被ってるのです。
まあ、戦争になってしまうのかは別として世界の空気は今相当悪いです。
この「歴史は繰り返される」という真理の中から、今の作品の価値ももしかしたら透けて見えるのではないかと蔵屋さんは考えます。
美術館としては、作品をコレクションする時に、その作品が50年後、100年後にも価値を放っているのかということを考えなければなりません。
そこでヒントとなるのが歴史です。
東京近美が開館して60年強。その間に価値がほぼなくなって倉庫で眠ってる作品もあれば、改めて価値を見出される作品もあります。
未来はもちろん読めませんが、過去から類推していくことはかなり大きなヒントなのかもしれません。
また、コレクションに関して、最近赤瀬川原平の作品を収蔵した時の話が面白かったです。
これまで同じハイレッドセンターの中西夏之と高松次郎の作品は1970年代にはコレクションされていたのに、なぜか赤瀬川原平の作品がなかったそう。
しかし改めて彼の作品は日本の戦後美術史にとっては最重要な存在。
そこで彼の作品、例えば彼の印刷されたイラストのガリ版などをコレクションすると、これは一体どこの分類に属するのかを協議していかないといけない。
これは一体版画作品なのか、それともやはり印刷物なのか。
そうすると他のコレクションの位置も改めて再考していかなければならない。
こういう流動性がコレクションにはあるという話を最後にされていました。

あと、椹木野衣さんの「悪い場所」についても少し。
蔵屋さんは、日本は今や決して「悪い場所」じゃないと言います。
むしろ、前述の論考が発表された90年代当時から、「いい場所」なんて、マンハッタンのソーホーの2km圏内でしかなかったし、その時代時代で、ほとんどが「悪い場所」になってしまう。
それが今やアートシーンはそこまで局所化していなくて、世界のあちらこちらで優秀な作家が育っている。
「いい場所」「悪い場所」の二元論で簡単にくぎれる時代ではなくなってきているという話も出ました。

他にも色々お話されていたと思いますが、記憶とメモの限界はここまで。
また何か思い出したら追記するかも。
本当に面白いお話でした。

クリスト&ジャンヌ=クロードの「Over the River」がキャンセル



今週クリストが「Over the River」プロジェクトを断念することを発表しました。
Over The River Statement

「Over the River」プロジェクトとは、クリストとジャンヌ=クロードが1992年から取り組んでいたプロジェクト。
コロラド州を流れるアルカンザス川の上空に銀色の布を走らせるというもので、その総距離は9.5kmという壮大なものでした。
実に25年の間、そこに住む住人を説得し、地主と交渉し、いくつもの法の制限をクリアしてきました。
5千万ドル(50億円超)の個人資産を注いできましたが、ここにきて断念に至りました。

僕はこのプロジェクトが本当に楽しみで楽しみで、これが完成したら何があっても駆けつけようと心に決めていただけに、本当にショックでちょっと受け入れるのに時間がかかりました。
しかしクリストはもう81歳。時間も限られています。
ここで、さらに40年以上かけて進めているアブダビの「The Mastaba」に全力を注ぐとのことです。
こちらは砂漠にドラム缶を積み上げて巨大なピラミッドのようなものを作るというもので、できたら恒久作品になるとか。
残念ですが、本人が決めたことなので仕方ありません。

ところで、Art Forumのニュースサイトには、これはトランプ政権へのプロテストだと書いてます。
Christo Stands Against Trump by Abandoning his More Than $50 Million Colorado River Project
記事にはクリスト自身の言葉も載ってますが、これ本当なのかな・・・だとしたら余計に悲しい。

あぁ、本当に悲しいです。心の拠り所を一つ失った感じ。はぁ。。。


関連記事
CHRISTO: BIG AIR PACKAGE @ GASOMETER OBERHAUSEN
クリストとジャンヌ=クロード展@21_21 DESIGN SIGHT
クリスト&ジャンヌ・クロード講演会 @ 福岡市美術館
クリスト&ジャンヌ・クロード講演会@京都造形大学

地点「ロミオとジュリエット」@ 早稲田大学大隈講堂



なんだか上京の理由がほぼ地点の新作公演のためになってる。。。
9月には「みちゆき」と「ブレヒト売り」、11月には「ヘッダ・ガブラー」、そしてこの「ロミオとジュリエット」。
ほぼ毎月と言っていいほど新作を発表し、さらにその間も休むことなく過去作品を上演。
一体この人たちはどうなってるのか。。。理解が追いつかないほどの過酷すぎるスケジュール。
それでも毎回作品の質は落ちるどころか、確実にスマッシュヒットを決めてくる。
僕はただただフォローするだけで必死であります。

そんな彼らの「ロミオとジュリエット」。
過去にシェイクスピアは「コリオレイナス」を上演しているけれど、あれもすごかった。一生忘れられない舞台。
にしても「ロミオとジュリエット」。
知らない人はいないんじゃないかというぐらいこの有名な演目をどう地点が演じるのか。
さらに今回は「ファッツァー」「ミステリヤ・ブッフ」に続く空間現代とのコラボ。期待しかありません。
僕は戯曲に関してはほとんど知らないし、正直ブレヒトもチェーホフもイプセンもほぼ無知。
そんな知識のない僕でも地点の舞台にはぐんぐん吸い寄せられてしまう。
僕でも知ってる「ロミオとジュリエット」がどんな風に見えるのか楽しみすぎました。

会場は早稲田大学の大隈講堂。
1927年竣工後、重要文化財にも登録されてるスーパー建築。
早稲田といえばこの大隈講堂を連想する人も多いはず。
かくいう僕は早稲田大学初潜入でしたが広いのなんの。規模が僕の大学と桁違い。。。
いざ大隈講堂は本当に素晴らしい建物で、中はリニューアルされて新しくなってるものの、外観やところどころのディテールはそのままで入った途端にシュッとした気持ちになりました。
こんな立派な舞台で地点が観られるなんて感動。

さて、「ロミオとジュリエット」地点ver.はやはりすごかった。
これが「ロミオとジュリエット」!?っていうぶっ壊しっぷりと、相変わらずわけがわかんないのに話の悲劇性が頭じゃなくて体に沁みてくる感覚はすごい。
今回も地点の団員さん(小林さんと小河原さん)が上演前にお客さんを席に誘導という演出w
「かもめ」でも上演前に安部さんがお茶をいれてくれたりするけど、素敵な演出ですね。
舞台上にはいかにも滑りそうなスロープの舞台。
「光のない。」や「スポーツ劇」でも坂は登場しますが、演者さんには身体的にかなりキツそう。。。
実際ジュリエット役の河野さんとロミオ役の田中さんは、手をついて三伏横飛びしながらセリフ言うっていうかなり無茶なことやってて、あれで息切れせず、台詞も飛ばずにやってのけるのは凄すぎる。。。
ところで田中祐気さん、地点の大きな舞台によく助っ人で参加するけど、もう地点に入っちゃえばいいのにと思っちゃうのは僕だけ?出たら主役クラスの役を与えられてるし。
それはさておき「ロミジュリ」。
構成はさっきのロミジュリの二人の他に、4人(石田さん、小河原さん、窪田さん、小林さん)が神父(?)、で安部さんがストーリーテラー(?)なのかな。相変わらず構成はわかりにくいですが、少なくとも恋的のパリスは登場しなかったように思います。
安部さんのアジテーションにも近い叫びは相変わらず圧倒されます。
それに空間現代の演奏が加わり、その度にセリフは強引に中断されます。
上演中は、結構笑いが起きたりして、途中まで喜劇色が強いんですが、いつの間にか後半悲劇になっていて、ロミオとジュリエットが代わる代わる死んだり蘇ったりする展開はかなり狂気です。
死んだロミオの手を掴んで三伏横飛びしながら引っ張るジュリエットの姿は本当に悲劇的。
変な喩えですが、子供が死んだことに気づかないまま抱き続ける猿を見ているような感覚。
動きはコミカルなのに、目の前で起こっていることは残酷。
このギャップに心が締め付けられるような感覚に襲われます。
最後は二人が息絶えて、上演前から照らしていた二つの丸い照明が一つになり月のように空に浮かぶという演出。
舞台演出は本当にシンプルで、ひたすら地点と空間現代の身体が舞台上に放り出されてる印象。
これだけ有名な演目も、すっかり地点色に染めてしまいました。素晴らしい。
こんなすごい舞台2日間だけしかやらないなんて。。。
その後はさらに早稲田小劇場ドラマ館で「CHITENの近現代語」を上演らしい。凄すぎる。
4月には恒例のKAATとの新作舞台「忘れる日本人」が。
なんと昨年地点の三浦さんも審査員として参加した戯曲賞で大賞を受賞し、地点が演じた「みちゆき」のあの松本俊太郎さんの原作。この「忘れる日本人」は地点の発行している雑誌「地下室」にも連載されていて、すごいコラボレーション。
そもそも松本さんが戯曲を書き始めたのは、地点のカルチベートプログラムという、レパートリー作品を見てエッセイを書くというプログラムに参加したのがきっかけ。
地点から始まった松本さんと地点が、KAATという大舞台で花開きます。これも楽しみ。
4月、また横浜まで参ります。。。
3月は埼玉でピナバウシュ、5月は東京でローザス。。。
最近東京方面に来るときはほぼ舞台関係。観たい美術展もそんなになくなっちゃった。
今回も1つも観てません。
妹島さんの葛飾北斎美術館は気になったのでやっと行けた。
その日の両国は、ちょうど稀勢の里が優勝した日で盛り上がってました。
普通にお相撲さんが歩いてて不思議な光景でした。。。

すみだ北斎美術館 by 妹島和世

IMG_2341.jpg

IMG_2373.jpg

IMG_2347.jpg

IMG_2352.jpg

IMG_2370.jpg

IMG_2360.jpg

IMG_2362.jpg

IMG_2363.jpg

IMG_2364.jpg

IMG_2368.jpg

IMG_2371.jpg

アピチャッポン・ウィーラセタクン「亡霊たち」@ 東京都写真美術館

IMG_2177.jpg

写美(TOP MUSEUMとは言いたくない)と、イメージフォーラムでやってるアピチャッポン特集に行ってきました。
後者の「トロピカル・マラディ」がメインでしたが、まずは写美へ。

美術館でのアピチャッポンの展示はグループ展でも@kcuaの個展でも観てるけど、正直ピンときたことはなくて、それはきっと彼の映像はある程度長い時間観ないと沁みてこないからだと思うのです。
展覧会だとどうしても散漫になるし、映像を一個一個丁寧に観られる環境じゃない。
その点映画館は、映像を観るのに特化した場所だから彼の作品は生きてくる。
なので、今回の展覧会もさほど期待はしていなかったのだけど、驚くほどによかったです。

まずタイトルがいい。
英題の"Ghosts in the Darkness"は彼が以前に書いた論考のタイトルらしい。
この「Ghosts」というワードは、彼の作品を表すのにとても適した単語だと思います。
彼の映像にはしばしばこの世のものとあの世のものが曖昧に描かれます。
「プンミおじさんの森」なんかは顕著ですが、新作の「光りの墓」なんかもまさにです。
近年特にあの世とこの世が地続きになってる感覚があります。
さらに以下この展覧会の冒頭で書かれていたテキスト

Ghostには二つの意味が潜んでいます。ひとつは写真や映像などのメディアを媒介することで作用する映像自体が持つ特性です。もうひとつは、現実社会で作用する目に見えない力、すなわち政治屋歴史の中に潜むモンスターのような見えざる力のことです。

ひとつ目の映像の持つGhostというのはすごくわかります。
よく昔の映画なんかを観てると、そこに出てる俳優も監督もこの世にはいないんだよなぁとしみじみ思うことがあります。
しかし作品だけはしっかりとそこに生き続けている。
以前TEDで河瀬直美監督も仰ってましたが、映像にすることで過ぎた時間を立ち返らすことができます。
The value of movies: Naomi Kawase at TEDxTokyo

この展覧会では、アピチャッポンの日常の愛おしさが伝わってくる映像がたくさん出ています。
家族との時間。恋人との時間。ペットとの時間。俳優たちとの時間。
これらの時間たちが、そのまま会場に持ち込まれていました。
特に「灰」という作品には、彼を取り巻く環境が散りばめられていて、20分を越す映像ですが、最後まで目が離せませんでした。

また「花火」という映像では、ガラスにプロジェクションされていて、暗闇の中で光る閃光がとても印象的。
映像的な美しさとともに、そこに孕む第二のGhost、見えざる力の存在もうかがわせます。
爆音と暗闇は、とても不穏な空気を纏っていて、これもまた目が離せない光景でした。

そして、この後アピチャッポン特集に行ったのは正解で、彼の映画制作の元となる映像もいくつか展覧会に出ていて、映画を見ながら場面と展示を行き来できたのはよかったです。

アピチャッポン特集では「ブリスフリー・ユアーズ」と「トロピカル・マラディ」を観ました。
「ブリスフリー・ユアーズ」は、彼がカンヌで「ある視点」賞をとり、彼の名を世界に知らしめた最初の作品です。(名前長すぎですが・・・)
何と言っても開始1時間ほどしてからオープニングが流れるという構造が印象的で、前半と後半で話がガラッと変わります。
特に後半の森をさまよう男女の様は美しかったのですが、最後が個人的にいただけなかった。
僕が思ういい映画って、「あ、終わる」ってとこでカチッと終わる映画なんです。
その点で、この映画は、最後がダラダラとしてしまって、あーあってなった。
観客の忍耐を試すかのような映像で、正直イラっとしてしまって後味悪かった。
その点「トロピカル・マラディ」がほとんど完璧と言っていい映画でした。
以前から観てみたいなと思っていた作品ですが、日本だと東京以外の上映がなくて、なかなか観られず念願叶っての映画鑑賞。
そして期待を遥かに超える作品で、もっといろんなところで上映してほしいしDVDも出してほしい。
この映画も前半と後半でガラッと印象が変化します。
「ブリスフリー・ユアーズ」よりも激変するので、本当に同じ話なのかと疑うほどでした。
何と言っても後半の森の中で虎を追う場面は、息を飲むし、目は冴えっぱなしになりました。
ほとんど暗闇の薄明かりの中で撮影された映像で、観客の想像力がフルに回転します。
最近の彼の作品は、とても直接的な表現が多いので、こういう気配を描いた作品をまた撮ってほしいですね。
「トロピカル・マラディ」は僕の中で彼の最高傑作となりました。

展覧会は来年1月29日まで(こちら)。アピチャッポン特集は1月13日まで(こちら)。
できれば両方セットで行くのがオススメ。
イメフォの特集は上映作品が毎日変わるのでご注意を。
2月のアピチャッポンの舞台「FEVER ROOM」も行こうかすんごく悩んでます・・・。
ちょっと落ち着いてたのにほぼ毎月東京行っちゃってる病再発の気配。


それではよいお年を。

岡山芸術交流

IMG_1726.jpg

岡山芸術交流に行ってきました。
今や各地で開催されまくってる国際展に正直もう辟易してますが、この岡山の芸術祭は他と一線を画すものとして外せませんでした。
というのもアーティストディレクターがリアム・ギリックで、出品作家が「今」を代表する作家ばかり!所謂リレーショナルアートと言われる潮流の渦中の作家をこれだけ集中して観られる機会はそうありません。しかも国内で。
当日は晴れ。さすが「晴れの国」岡山。
以下作品の写真をざっくり。

Pierre Hyughe「Zoodram 4」
IMG_1731.jpg

Pierre Hyughe「Untitled (Human Mask)」
IMG_1729.jpg

Pierre Hyughe「Untitled」
IMG_1733.jpg

Rikrit Tiravanija「untitled 2016 (this is A/this is not A/this is both A and not-A/this is neither A nor not-A)」
IMG_1740.jpg

Ryan Gander「Because Editorial is Costly」
IMG_1746.jpg

IMG_1748.jpg

Simon Fujiwara「Joanne」
IMG_1755.jpg

眞島竜男「281」
IMG_1756.jpg

荒木悠「WRONG REVISION」
IMG_1771.jpg

IMG_1784.jpg

Jose Leon Carrillo「Place occupied by zero (Okayama PANTONE 072,178,3245)
IMG_1782.jpg

Liam Gillick「Development」
IMG_1788.jpg

Peter Fischli David Weiss「Untitled (Mobile)」
IMG_1793.jpg


まずは林原美術館でユイグの「Untitled (Human Mask)」が観れたのはとても嬉しかった。
彼の作品はここで3点展示されてるけれど、どれも人類の文明の醒めた目を感じられる知的な作品群。
特に上記の作品は、無人と化した福島の被曝エリアを撮ったもので、とても鮮烈。
今東京のヴィトンでもユイグの展覧会がやってるから是非観に行きたい。
そして、岡山城下のティラバーニャの茶室。茶会に出てみたかった。
この展覧会唯一と言ってもいいぐらいフォトジェニックだったのがガンダー。
駐車場を破壊して作られたこのインスタレーションのインパクトはすごかった。
よくぞここまでやらせたなぁって感じ。
落下した隕石のようなものは、デ・スティルのジョルジュ・ヴァントンゲルローの作品を元に作られてるらしく、20世紀初頭の作品が時空を超えて岡山に落ちて来たという設定らしい笑
岡山県天神山文化プラザのサイモン・フジワラは、自身の高校時代の女教師を元に制作されたもの。
彼女が新たな自分を築き上げる過程を写真と映像、SNSをも駆使しながら展開。フジワラらしい作品。
そして眞島竜男は今回最も岡山を意識した作品。
駅前にある桃太郎像と1962年に開催された岡山国体時に制作されたというトーテムポールの関係を、粘土の彫刻で現し、その制作過程を映像で見せながら、桃太郎伝説の推移を徹底したリサーチの下で語るという作品。これは結構記憶に残る名作だったと思います。友人曰く「桃太郎が嫌いになった」とのこと笑
今回のメイン会場は旧後楽園天神校舎跡地。会場前にはプルーヴェの学校も。
ここにはディレクターでもあるギリックの作品や、下道さんの「境界」を意識した作品など、印象に残る作品が目白押しですが、その中でも荒木悠の作品は新鮮でした。
荒木さんの作品は横浜美術館で見たけれど、その時はピンとこなかったのが、今回すごく腑に落ちた感じ。
タコにまつわるお話だけれど、それがどこまでが本当でどこからが嘘なのかがわからない。
その曖昧さがとっても美しかった。
タコの干し方がキリストの磔刑に似てるってのは面白かった。
これは中々他の場所で発表しにくいかもしれないけど、とてもいい作品だと思いました。
あとはオリエント美術館のフィシュリヴァイスは相変わらずゆるくてよかった。
ざっくり内容はこんな感じ。

結論を言うと、この芸術祭はとても良かったと言わざるをえません。
大絶賛とまでは言いませんが、いくつかの点で賛辞を送るべき箇所がありました。

まずは規模です。
中には1時間を超える映像作品なんかもありますが、テキトーに端折って観れば1日で十分楽しめます。
実際ジョーン・ジョナスの80分を超える映像や、ドミニク・ゴンザレス=フォースターの映像プログラムなんかは飛ばしちゃいました、すいません。
それでもいつもは端折っちゃうような映像群も僕としては丁寧に観られたし、朝から回って夕方までには観終わることができました。
全てが徒歩圏内にありながら、お城から美術館まで様々な場所を見られるのも良かった。
自分の父が岡山出身なので、岡山は何度も来ていたものの、ここまで丁寧に歩いたことはなかったんですよね。
時間あれば後楽園もと思いましたが、さすがにその余裕はなかった。
今回の国際展には、クロスカンパニーの石原康晴氏の尽力が大きかったでしょう。
彼は現代美術の大コレクターで、今後岡山に私立の現代美術館も建てる計画もあるそうな。
(以前京都で見たケントリッジの巨大インスタレーションも彼の持ち物)
岡山は何気に日本初の美術館を立上げた大原孫三郎氏や、ベネッセの福武總一郎氏など、美術のパトロンとも言える人々の系譜が連綿としてあり、石原氏は次世代にあたります。
今後この岡山芸術交流も存続するのか気になるところですね。

次にキュレーション。
これはギリックの手腕に驚かされました。
「development」という主題は正直よくわからなかったんですが、それでもこれだけ年齢も国籍も様々(25歳から80歳、16カ国)な作家たちを集めて、多様でありながら、一つにうまくまとまっていました。
ほとんどがフォトジェニックな作品ではなく、観客が能動的に考えなければならないので、現代美術初心者には結構難しいかもしれませんが、ファンとしては考えさせられる知的なゲームを本気で楽しむことができました。
そして何と言っても作品のクオリティが高い。
過去の作品ではなく新作が多いというのも見応えがある理由の一つですね。
ギリックはキュレーションはこれで最後と言ってますがもったいないです。
実際キュレーターをやってみて、彼らがどうしてあんなにクレイジーなのかがわかったそうです笑

僕が今回の作家たちに共通して好感を持てたのは、ギリックもインタビューで言ってますが、所謂「自己表現」に終わってない点です。(ギリックの表現で言えば、「一般的な意味での自己というのを作品の前面に押し出すような作家は一切いません」)
みんな自己の向こう側にあるさらに大きな世界に言及した作品が多かったように思えます。
サイモン・フジワラや下道さんのように、自分は入ってるんだけど、決して内向きの自己に向かってない。
その先の新しい地平に向けて、意識を投げてる姿がとてもいいです。
そして、無理をして地域性に焦点を当ててないところ。
ここは微妙なところで、当てなさすぎても「ここでやる意味」が消えちゃうので、そこはバランスよく、例えば眞島さんの桃太郎の作品を入れるなどして、とてもいいバランスでした。
ここ最近の「地域アート」は、どうしても地域に迎合しちゃうところがあるので、そことは違いましたね。
ギリックは実際作家たちに岡山という都市に反応してくれとは一切言わず、普通に来て普通に作品を作ってください、という頼み方をしたそうです。
ギリックはここ数年の作品にまとわりつく「リサーチ」という言葉が免罪符になっているんじゃないかという疑問を持っています。リサーチと言えばちゃんと考えられた作品と見てくれる。でもその「リサーチ」を客観的に精査する人はいない。そういうのって確かにそうだよなぁと思いますね。
ギリックはイギリスのYBA世代ど真ん中にいる作家なのに、そこに回収されず、常に批評的な目を持ってやってきたとてもクレバーな作家なんだなぁと、この展覧会で改めて思い知らされました。

ちなみに冒頭の岡山駅に掲げられた大看板もギリックの作品。
タイトルは「From Yu to You」。
出品作家が羅列されてますが、最初が荒木悠のYuで、最後が観客のYouです。
どうしてメインビジュアルが目なのかという問いにギリックは答えています。

「日本と「目」の関係は深いように思います。私が15年前に初めて来日したとき、他の経験と比べて、日本にはとても独特の視線のかわし方があると感じました。これは今まで体験したことのない風習でした。」

日本人にとってはよくわからないけれど、目配せの仕方は確かにあるかもしれません。
いろんなことに改めて気付かせてくれる、濃密な展覧会でした。11月27日まで。こちら

「自画像の思想史」 by 木下長宏

IMG_1711.jpg

久々の本の紹介です。
木下長宏氏による「自画像の思想史」。
以前から自画像という存在が気になっていて、もう興味ドンピシャな本で一気に読んじゃいました。
木下氏は近年ゴッホ、ミケランジェロ、岡倉覺三と、一人一人の個人史をあくまで彼らの作品を通して丁寧に再発見していくような仕事を立て続けに発表してらっしゃったけど、僕は個人的にこういう全体的な大きな歴史を取り扱った作品が好き。木下氏としては2009年に発表された「美を生きるための26章」以来ですね。
続きは以下。長いです。



続きを読む

カレンダー
03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
プロフィール

もりかわみのる

森川穣
現代美術作家。
森川穣 website

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

管理者用
カウンター
検索フォーム
To See List
RSSリンクの表示
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。