O JUN x 棚田康司「鬩(せめぐ)」展 @ 伊丹市美術館 / ミヤギフトシ「How Many Nights」@ギャラリー小柳

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最近観て素晴らしかった東西の展示を二つご紹介。

まずは兵庫の伊丹市美術館で開催中のO JUN x 棚田康司「鬩(せめぐ)」展。
正直二人展ってとってつけたようなのが多くて苦手やし、そもそもこの二人もそこまで好きじゃない(汗)
ですが、なんとなく行ってみたらものすごく良かった!
ここまで究極な二人展って観たことないです。
二人とも人物をモデルにすることが多いとか、いろんな共通点は見つけようと思えば見つけられるけど、そこを越えて驚くほど個と個を隔てる境界線が融解していました。
展覧会タイトルは鬩ぐ(誰が読めんねん)ですが、そこから連想される反発のようなものはなくて、かと言って調和のような生ぬるいものじゃない。緊張感は担保しながらも、作品たちが勝手に遊んでる感じ。
なんだかうまく表現できないんだけど、どの展示室も物凄く心地よくていつまでも居たい感覚。
こういう感覚って、二人展だと中々生み出せないんですよね。なんだか対峙する感じが出ちゃって。
仲良しこよしというわけでもない、この絶妙な緊張感が本当にたまらなく愛おしかった。
特にO JUNの「遊園」シリーズと棚田康司の「初年少女のトルソ」が一緒に展示されてる部屋はすごい。
だって、絵の上に彫刻乗っちゃってるんですよ?しかも他人同士の。こんな展示見たことない。
それ以外にも壁にかかった絵に寄り添うように彫刻が置かれていたり、もう縦横無尽な展示室。
展覧会中のテキストにも「自己」とか「他者」とかいう言葉が頻出しますが、完全に越えちゃってる。
確かに二人の作品はそれぞれ強烈な個性を持ち合わせています。
しかし、そんなオリジナリティーだの個性だのいう言葉が陳腐になるぐらい、二人の作品は自由。
アートはこれらの言葉にあまりに縛られていると思う。
誰かに似ているとか、模倣だとか、パクリとか、それでも成立する世界の豊かさを僕は見てみたい。
この豊かさは、2月に聞いた蔵谷美香さんのトークや、イヴ=アラン・ボアが企画した「マチスとピカソ」展でも展開されてる通り。
その実証がこの展覧会にはあふれています。
さらに、二人の子供時代をお互いが作品にしあったり、6日間の合宿で同じモデルを使って制作したり、さらに美術館で一緒に公開制作までしちゃってる。(行った時は棚田さんが制作中でした。木っ端一ついただきました。)
この展覧会、本当にすごいです。ここまでのエネルギーを感じられる展覧会は近年稀。
企画されたキュレーターさんとお二方には感服。あと広報のアートディレクションもいい。
こういう展覧会が地方の美術館でやってるのはすごいことだと思います。
8/27までなので是非!こちら
これに加藤泉さんとかが加わっても面白そうとか勝手に妄想しちゃってます。

そしてもう一つが東京の小柳でやってるミヤギフトシ展。
ミヤギさんが小柳かぁという感慨もありますが、そんなことより作品が本当に素晴らしい。
メインは戦前から戦後を生きた女性たちの物語で、38分の映像。
38分かぁと思って見始めたら止まらなかった。
映像作品って5分越えると大体はキツイです。
ただ、5分じっと観られたら大体は最後まで観られる気がする。
ミヤギさんの作品は、ストーリーもそうなんだけど、やはり映像の力が圧倒的に強い。
どこまでが本当でどこまでがフィクションなのか全くわからないんだけど、そんなことは瑣末なこと。
それよりも目に入ってくる映像と耳に入ってくるナレーションが心地よすぎて困った。
映像に付随する展示品も、作品というより資料みたいな趣でとても興味深かった。
8/30まで。こちら
上映スケジュールが載ってるので時間合わせていくのが吉。

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ライアン・ガンダー ―この翼は飛ぶためのものではない @ 国立国際美術館

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2017年も半分過ぎ、気づいたらアートの記事今年に入って一つも書いてないのに気づいた!
観てないわけじゃないんだけど、書きたいっていう情熱が前ほど湧かないのが問題。
実際今年に入って観た展覧会を書き出してみました。何個か抜けてるとは思うけど大体こんな感じ。
以前よりかは減ったけどどうなんでしょう。

2月
「この世界の在り方」@芦屋市立美術博物館
越野潤「Beyond Time」@Galerie Ashiya Schule
写真家片山攝三 肖像写真の軌跡@福岡県立美術館
アート横断V 創造のエコロジー@福岡アジア美術館
3月
PSMG@中津界隈
竹之内祐幸「Things will get better over time」@STUDIO STAFF ONLY
山岡敏明展@Gallery PARC
石田竜一「草に沖に」@アンダースロー
4月
半田真規「トーキョーパレス」@statements
Subjective Photography vol.2 大藤薫@スタジオ35分
新宮晋の宇宙船@兵庫県立美術館
KYOTO GRAPHIE@京都市内各所
堤加奈恵「Forest of gretel」@同時代ギャラリー
キュレトリアル・スタディズ12: 泉/Fountain 1917-2017 Case 1@京都国立近代美術館
5月
草間彌生「わが永遠の魂」@国立新美術館
ライアン・ガンダー ―この翼は飛ぶためのものではない @ 国立国際美術館
6月
キュレトリアル・スタディズ12: 泉/Fountain 1917-2017 Case 2@京都国立近代美術館
田中真吾「Phantom Edge」@Gallery PARC
黒宮菜菜・二藤健人・若木くるみ「のっぴきならない遊動」@京都芸術センター
エレナ・トゥタッチコワ「With My Dinosaurs」@クマグスク

ほとんど知合いの作家とかキュレーターの企画とか気になるスペースってことで回ってます。
そんな中でも白眉はやっぱり表題にもなってる国立国際のライアン・ガンダー展。
今年度で唯一楽しみにしてた企画だったけど、やはり期待は裏切らない。
というか、国立の美術館がガンダーを取り上げる日が来るなんてという感慨がすごい。
そして、いつもならB2でやって、その下でブロックバスターな展覧会を開催するところを今回は全館ガンダーに開放。
B3ではこれまでの作品がズラーーッと並んでて壮観。
とはいえ一つ一つ丁寧に見ていったところでわけわかんないものばっかり笑
とりあえず先にガンダーの似非ドキュメンタリーを見てから展示を観るのがおすすめ。
にしてもこんなわけわかんないもん作ってて、スタッフたくさん雇ってるというのはやっぱりすごい。
将来無償のアートスクールまで作っちゃうそうです。
展示室に行くと、全体のこのわけわからなさに浸る気持ち良さというか、重力からの解放というか。
世界は「わけのわかる」ものとして捉えようと皆躍起になってるけど、あ、わからなくていいんだという解放感。
なんか救いにも似た崇高な気持ちにすらなった展示でした。
そしてその上ではガンダーがキュレーションした国立国際のコレクション展。
似た者同士を合わせるっていうシンプルなコンセプトやったけど、これまで観たことのない組み合わせで楽しかった。
草間彌生と高松次郎が一緒に展示されてるなんてっていう新鮮さとか。
このキュレーションもガンダーの作品になってて、トータルでとても楽しめます。
コアな現代美術ファンは必見の展覧会。7月4日まで。こちら
なんだかんだでこの辺の作家日本の美術館でも取り上げられてきましたね。
マーティン・クリード、サイモン・スターリング、サイモン・フジワラ、リクリット・ティラバーニャ
あとは岡山芸術交流も企画したリアム・ギリックとか。個人的にはピエール・ユイグが一番観たい。

他は初めてちゃんと観た「KYOTO GRAPHIE」が良かった。
と言っても観たのはヤン・カレンとメープルソープとTOILET PAPERの3つだけだけど。
ヤン・カレンの展示されてる無名舎ってのがまたすごくて、有形文化財指定建造物。
そしてそれに負けないくらいヤン・カレンの写真が良かった。
和紙に刷られた黒がものすごく美しくてうっとり。どうやってプリントしてるんやろ。
展示もスマートで建物とともに楽しめました。台所とかすごい。
メープルソープは90点以上展示されててすごかった。なかなかこんな機会ないと思う。
TOILET PAPERはアホらしくてまあ楽しめました笑

あと兵庫県美の新宮晋展も良かった。
あんな野外の作品どう展示するのかしらと思ってたけど、一室一室ものすごく贅沢に使ってて見応えがあった。
僕は彼の講演を聞いて美術の道に進んだので、感慨深い展示でした。

知り合いでは中津のパンタロンでやってた森太三さんとパルクの山岡敏明さんの展示が良かった。
これまでやってきたことが見事に結実してる感じで、通観して観てきた甲斐があったなぁとしみじみ。
こないだ観たパルクの田中真吾もここ最近の展示では一番良かったと思う。
直接知り合いではないけど前から観てた黒宮菜菜さんたちの芸センのグループ展も良かった。

あとは京都近美のデュシャン泉百周年企画ですね。
この美術館、デュシャン作品のレプリカ散々持っておきながら中々展示しないんですよね。
常設の小さなコーナーですが、泉百歳のお祝い事ってことで第5弾まで全部見ていきたいと思ってます。
とはいえ、第一弾でほぼ全てと言っていいぐらいの代表作を展示しちゃってたけど続くのかしら笑
第二弾は藤本由紀夫さんがキュレーションしてて、半分彼の作品でした笑
今後どう展開して行くのか楽しみです。

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今後気になるのは丸亀の志賀理江子展と広島のモナ・ハトゥーム展やけどそこまで行く情熱が・・・。
東京は特にないので、行った時になんかやってたらって感じかなぁ。ジャコメッティは行くかもやけど。

ローザス 「ファーズ―FASE/時の渦―Vortex Temporum」 @ 東京芸術劇場



ローザスの演目を二つも観てきました。
一つはローザス初期の代表作「FASE」。
スティーブ・ライヒの4つの音楽を元に、アンヌが卒業制作に作ったという初期も初期のダンス。
まさかとは思ったけど、やはり今回もアンヌ本人が踊ってくれました。
この作品が1982年だから御歳50歳半ば。素晴らしいダンスでした。
ローザスのメンバーである池田扶美代さんもツイートしてましたが、本当にこの作品は彼女の一部。



それにしてもローザスの初期のダンスって、女性しか踊れないダンスのくせに全くセクシーじゃない。
その次の「Rosas danst Rosas」なんかは男性を寄せ付けないぐらい強いダンスやし。
フェミニズムでもないんだけど、性差を超えていながら女性の女性のための女性によるダンス。
普通生身の女性が身体使って表現するんだから、少しはエロスを発するものだけど、本当に皆無だった。
男性に対する媚が全くないんですよね。
この相反するエレメントを両立させているバランス感覚がすごい。
今回はライヒの音楽に合わせている分しなやかさがあってとても素晴らしかった。
特に冒頭Piano Phaseの二人のダンサーが回りながら少しずつズレてって最後合うやつスリリングですごすぎる。(わかる人にはわかる笑)
2年前の「Drumming」は観に行きたかったなぁ。。。死ぬ前に観たい。

そしてもう一つは「Vortex Temporum」。
2013年の作品で、以前ベルギーでこれを断片的に「展示」として見せた「Work/Travail/Arbeid」という作品は観たけれど、ようやく本編が観られるというのでとても期待していました。
こちらもFASE同様、ベルギーのイクトゥスの演奏に合わせて踊ります。
舞台には演奏者7人とダンサー7人。
んー、しかし最初から最後までこの作品の構造が掴みきれないまま終わってしまった。。。
すんごい緊張感の中、何のことかわからないまま観るのはちょっとキツかった。
多分もうひと押し解説があれば楽しめたと思うんだけど、残念でした。

しかしローザスのダンスが日本で2つも一気に観られるなんて最高ですね。次はいつだろう。
この2公演はこの後愛知でもやるみたい。是非。

<関連記事>
Rosas 'Golden Hours (As you like it)' @ Les Théâtres de la Ville de Luxembourg
Anne Teresa De Keermaeker 'Work/Travail/Arbeid' @ WIELS

ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踏団「NELKEN -カーネーション」 @ 彩の国さいたま芸術劇場



ピナの「カーネーション」を観に埼玉へ。
会場やその道中の会話でちらほら前週の香港公演を話題にしてる人をちらほら。僕だけじゃなかった!
次週のソウルも行く人多いのかもしれませんね。さすが。。。

さて、「カーネーション」。1982年初演のピナの代表作の一つ。前からずっと見たかった!
ステージには無数のカーネーションが咲き誇っていて、開演前からテンションが上がります。
舞台がスタートすると、椅子を持った演者たちが登場。案外カーネーションは倒れません。
何人かの演者が客席に降りてきて、お客さんを拉致!早速シュールすぎる笑
その後すぐにお客さんは元の席に帰されるんだけどその間何があったのか気になる。。。
そして有名な「The Man I Love」の手話。
この舞台は音楽の選択が本当に素晴らしい。
ところどころで流れる音楽とカーネーション、ダンス。夢の中にいるみたいです。
机の上で踊るダンスや椅子の上で踊るダンス。ダンスの概念が大きく広がっていきます。
最後の「春夏秋冬」ダンスは、お客さんをも巻き込んでみんなでダンス。楽しかった!
これだけ笑えて笑顔になれて最高にかっこいいダンスピースってやっぱりピナぐらい。本当に唯一無二です。
また、伝統的なバレーの動きを一つ一つ見せるシーンや、ダンサーがダンサーになったきっかけを語るシーン、高い足場から急ごしらえのダンボールに飛び込む場面など、もう印象的な場面だらけ。
あと驚いたのが、演者たちのセリフがほとんど日本語なところ。
多分上演する各国に合わせて毎回言葉を変えてるんだろうけどすごい。
結構複雑な日本語を喋っているのでただただ感心するばかり。
こないだ香港で観た「カフェ・ミュラー」と「春の祭典」はセリフがないので存分に楽しめたけど、これが逆に「カーネーション」を香港で観てたら、セリフが全くわからずここまで楽しめなかったかも。。。日本で観れてよかった!
こんなてんこ盛りな2時間とても幸せな時間でした。
とはいえ舞台中は容赦なくカーネーションたちは踏みつけられ薙ぎ倒され、とても甘い悪夢を見ているよう。
最後にはほとんどのカーネーションが倒れたステージが出来上がっていました。
次は「パレルモパレルモ」が観たい!(最終的には全部観たい)

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Tanztheater Wuppertal Pina Bausch "Café Müller & The Rite of Spring" @ 香港文化中心





今週末埼玉でやるピナ・バウシュの演目「カーネーション」を観に行くんですが、その前に、昔からどうしても観たかった「カフェ・ミュラー」と「春の祭典」が香港でやるってんで飛んで行ってしまいました・・・我ながらフットワークが鬼軽い。。。
今回ピーチで大阪-香港間がなんと往復14000円!大阪ー東京間の新幹線片道とちょっとの値段で行けちゃう。
初香港。前から行ってみたかったけど実際素晴らしい街でした。ソウルより台北より好き。カオスな喧騒とオシャレなセントラルが共存していて、「ブレードランナー」のような映画の世界観。
元イギリス領なだけあって英語もかなり通じるし、治安も良好。親日ってのもびっくり。店にあるお菓子とか日本のものがたくさん普通に置いてあるし、日本語も結構見かけました。
気温も暖かくて日本の寒さから逃避できました。かなりの霧で百万ドルの夜景は拝めませんでしたが。。。
それはさておき演目です。

まず「カフェ・ミュラー」に関しては、やはりピナの不在を痛感しました。
実際僕は、ピナが在命中に見たのは遺作となった「フルムーン」だけで、それ以降いくつか観てますが、特に違和感を覚えたことはありませんでした。それだけヴッパタール舞踏団がピナの意思を忠実に受け継いでて、ピナ亡き今も精力的に動けてるのは一重に彼らの努力に他ならないし、そのことに感動します。
ただ、「カフェ・ミュラー」はどうしてもピナ自身がダンサーとして踊ってる印象が強すぎて、彼女が舞台の上にいないという不在感が、観ていてとても重くのしかかってしまいました。。。
確かに当時と同じようなダンサーたちを選んではいるものの、もはやコスプレにしか見えない。
どうせだったら全く違う体型や髪型のダンサーでもいいのかもしれませんが、バランスが難しいですね。
「カフェ・ミュラー」に関しては、その再現性の難しさを強く感じてしまいました。

しかし次の「春の祭典」は前半のがっかりを軽く吹き飛ばしてしまう力がありました。
こんなものを知らずに生きてきてたなんて。。。と思うぐらいすごかった。
ダンサーたちが文字通り泥まみれになりながら踊り狂う様は、観ていて息がつまるほどのインパクト。
ダンサーたちの荒ぶる息遣いも聞こえてくるし、ステージに敷かれた土が舞う様も鼻につく。
ここまで五感をフルに覚醒させるようなステージを今まで見たことなかったです。
これは生で観ないと本当に意味のない作品だと思いました。言葉になりません。
最後、赤いキャミソールを着た小柄なダンサーが踊り狂うんですが、もう片方の胸が出ちゃってて、すごいなぁと思ってたら、これ演出的に片乳はみんな出してるんですね笑
最後はもちろんスタンディングオーベーション。
泥にまみれたダンサーたちの姿が本当に輝かしかった。
香港まで観に来て本当に良かったーーー!!!
にしてもYouTubeで両作品共全編通して観れちゃうなんてすごい時代ですね・・・。


香港のアートシーンは、まだまだって感じでした。
確かにガゴーシアンを始めとする大きなギャラリーもあるし、今月末にはアートバーゼルもあるけど、何といってもこれといった美術館がないのが痛い。
やはり数年後に開館するであろうM+を待たないとですね。開館したらまた行こう。
てことで、ギャラリーや美術館はイマイチですが、NPOやインディペンデントが熱いです。
特に今回行った中で、Asia Art Archive(AAA)Things that can happenは面白かった!
特にAAAは凄かった。
アジアアートに関する資料が揃った会員登録すれば誰でも入れるライブラリーがあって、そこの蔵書の豊富さはすごいです。リサーチャーにはたまらない施設ですね。日本にも欲しい。
それこそ日本の本たちもたくさんあったし、ウェブに載ってる情報までプリントアウトしてストックしてある。
Things that can happenは、九龍側の深水埗っていう超ディープな電気街にあって、知り合いに聞いたらそんなとこ観光客は行かないって言われました笑
インディペンデントならではの自由さがあって、行った時にやってた楊季涓の個展が良かった。
スタッフもフレンドリーで英語が達者で説明も丁寧にしてくれました。
近くにもう一つ百呎公園ってとこもありましたが、こちらは今ひとつでした。
ちなみに香港アート情報はartscapeのこの記事を参考にしました。


香港、また行きたいです!

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「マルセル・デュシャンとアメリカ: 戦後アメリカ美術の進展とデュシャン受容の変遷」 by 平芳幸浩

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今年2017年は、デュシャンの「泉」が発表されてまる100年になります。
100年前にあんなものを世に発表したデュシャンという人物が空恐ろしいです。
未だにあの作品ほど美術という枠組みを変えてしまった作品はこの100年出ていません。
それほど彼の「レディメイド」という発明は美術の世界を変えてしまいました。
デュシャン以前の美術作品は、ほぼ技術がなせる技でした。
絵画にしろ彫刻にしろ、芸術家の手が重要だったのです。
その根本をあっさりとひっくり返してしまったのがこのデュシャンという人です。
なんせ男性用便器にサイン(それも偽名)をしただけで作品と言ってのけてしまったんだから。
それ以降美術作品において、手仕事であることはさほど重要でなくなりました。
作家が何を作品と名指すか。そこにどういう意味があるのか。
それが今の現代美術と言われるものの根底になりました。

そんなデュシャンが戦後アメリカにどう受け入れられてきたか、を論じているのがこの本です。
この本にはデュシャンの作品の解説もほとんど書かれていません。
あくまで、彼の存在が当時どんなものだったのかの研究です。
しかしそこには彼をいかに戦後のアメリカ美術が取り込んで行こうかという思惑がたくさん絡んでいて、読んでいてかなりスリリングな本でした。
結果的にはデュシャンは、その場その場で、まるでカメレオンのようにその受容のされ方に応じて態度を変えていった様が伺えます。
やはり一筋縄ではいかないようです。
ということで以下本の内容。




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キュレータートーク 蔵屋美香 @ 京都芸術センター講堂



本当は別の記事を用意してましたが先にこちらを。
金曜日に京都芸術センターで開催されたHAPS主催のトークがあまりに面白かったので。

このトークは「Can curatorial attitudes become form?」と題された、キュレーターを招いてトークしてもらうイベントの第七回で、過去には長谷川祐子さんや建畠晢さん、南條史生さんなど錚々たるメンバーがゲストとして来ています。(アーカイブはこちら
今回は東京国立近代美術館の蔵屋美香さんをゲストに招いてのトークです。
これまでは一人の作家を挙げて、キュレーターと作家との関係が語られてきましたが、今回は違いました。
タイトルが、「”アーティスト”という縦軸よりも、”一見関係さなそうな作品同士のつながり”という横軸に萌えるんですけど、こういうのってどうなんですかね」という長くてゆるいタイトルがついてました笑
これは、HAPSディレクターの遠藤水城さんとのメールのやり取りの中のテキストそのままタイトルになったそうで、要は一人の作家論では語れないということでした。
蔵屋さんは女子美術大学の油画専攻出身で、元々作り手だったそうです。
その後一度就職し、千葉大学の美術史の大学院を出て、今の東京近美に就職したんだとか。
彼女のキャリアの中で、元々作り手だったというのがすごく大きくて、おかげで作家のことを特別視しなくて済んだと彼女は言います。
今回の話も好きな作家で話すとなると、マンテーニャかセザンヌかマティスになってしまうし、いつも作家単体ではなく美術史的に縦軸横軸で俯瞰しているので、作家論は語れないということでこういうタイトルになってしまったとのこと。
こういう視点って、蔵屋さんが現代美術館じゃなくて、明治から現代まで扱う東京近美で働いてるのも大きいんでしょうね。

ざっくり前半は日本近代美術、後半は日本現代美術と分かれていました。
現代美術の話を聞きに来てくれた人にはつまらないかもしれませんが、と話し始めた前半のお話がとてつもなくスリリングなお話でとても興奮しました。
まずロラン・バルトの「作者の死」というテキストが挙げられます。
これは「物語の構造分析」という本の中に所収されてる文学についての短いエッセイですが、作品は完全に作者のものではなく、読者によっても作られるものだということが書かれています。
これはすべてのクリエーションに当てはまっているものだと思います。
つまり、作家は絶対じゃないということ。
次に、日本近代洋画の小出楢重の「裸女結髪」という作品の画像が挙げられます。
さらに続いてマティスの「髪結い」という作品、、、
あれ、どう見ても構図も画題もほぼ一緒!
他にも青木繁とNicolas Régnierの絵や、熊谷守一と、、、(熊谷さんに関しては今年末に開催される蔵屋さんキュレーションの展覧会のカタログに書かれるそうなのでここでは伏せます。にしてもすごい説だったなー)
つまり、作家のオリジナリティにはどこかに裏があるということ。
こんなこと言っちゃって大丈夫なのか?って思うような内容ですが、実はこうして類似作品と改めて比べ、さらにその中にある差異を探ることで、その作家が何をしたかったかが垣間見えてくるということを蔵屋さんは主張していました。
これまで、研究者は、他の畑のことは全く不介入で、まさか小出とマティスが繋がってるなんて夢にも考えていなかったとのこと。(このことは実際蔵屋さんが2011年に発見されるまで誰も見つけてこなかったそう)
それは作家を神格化することの功罪で、そこから零れ落ちてるものがあまりに多いと蔵屋さんは言います。
この態度にはものすごく共鳴しました。
これは決して粗探しや重箱の隅をつつくみたいなことではなくて、そこから見える世界があまりに広いということです。
実際2014年にポンピドゥーセンターで開催された、デュシャン展はそのことを強く証明した素晴らしい展覧会でしたし、イヴ=アラン・ボアの「ピカソとマチス」も同じ画題を描いてもこれだけ豊かな広がりがあるということを教えてくれています。
蔵屋さんは、こういう類似をいくつもいくつも発見していて、それはインターネットでいくつもの画像を簡単に検索できる時代にいるからこそと言います。
アンドレ・マルローやアビ・ヴァールブルクがやろうとしていた空想の美術館が、今やパソコンやスマホのネット環境によって展開されているのです。

続いて後半は現代美術。
前半は作家や作品同士の繋がり、つまり横軸だったのに関して、後半は時代のつながり、つまり縦軸について。
何と言っても蔵屋さんの最近の大きな仕事といえば、2013年に田中功起さんと組んだヴェニス・ビエンナーレ日本館
この企画の前にも同じタッグで取り組んだ案として、田中功起と高松次郎の作品を一緒に展示するという案があったそうですが、こちらは結果として落選しました。
その後改めて挑んだ時には2011年の震災のあとで、田中さんが以前からやっていた「協働」というテーマで取り組んだのがこのヴェニスのプロジェクトでした。
展示当初は、「協働」することの豊かさのようなものが国内はもとより、世界的にも確かにあったのが、展示期間中のわずか半年かそこらで世界の空気は変わってしまい、結局みんなで協力してたらいつまでたってもどこにもたどり着けず、むしろ一人の強力なリーダーがいた方がもっと潤滑に進むんじゃないの?という風になってしまったそうです。
日本館のメッセージも観客は「協働することの豊かさ」から「協働の限界」を見るようになってしまいました。
しかしこういう空気の流れは全く新しいものではなく、振り返ると1923年の関東大震災後にも起こっていたことに蔵屋さんは気がつきます。
そこで彼女がキュレーションしたのが「何かがおこってるⅡ:1923、1945、そして」という、東京近美のコレクションを使った常設展でした。
関東大震災以降、クリエーターたちも自分たちにもできることをといろんな取り組みを行ったそうですが、その後分裂し、1925年には治安維持法が施行され、1940年には東京オリンピック決定、そして戦争という流れ。
あれ?これってどこかで実際に体験してるような。そう、まさに3.11以降の流れとほぼ被ってるのです。
まあ、戦争になってしまうのかは別として世界の空気は今相当悪いです。
この「歴史は繰り返される」という真理の中から、今の作品の価値ももしかしたら透けて見えるのではないかと蔵屋さんは考えます。
美術館としては、作品をコレクションする時に、その作品が50年後、100年後にも価値を放っているのかということを考えなければなりません。
そこでヒントとなるのが歴史です。
東京近美が開館して60年強。その間に価値がほぼなくなって倉庫で眠ってる作品もあれば、改めて価値を見出される作品もあります。
未来はもちろん読めませんが、過去から類推していくことはかなり大きなヒントなのかもしれません。
また、コレクションに関して、最近赤瀬川原平の作品を収蔵した時の話が面白かったです。
これまで同じハイレッドセンターの中西夏之と高松次郎の作品は1970年代にはコレクションされていたのに、なぜか赤瀬川原平の作品がなかったそう。
しかし改めて彼の作品は日本の戦後美術史にとっては最重要な存在。
そこで彼の作品、例えば彼の印刷されたイラストのガリ版などをコレクションすると、これは一体どこの分類に属するのかを協議していかないといけない。
これは一体版画作品なのか、それともやはり印刷物なのか。
そうすると他のコレクションの位置も改めて再考していかなければならない。
こういう流動性がコレクションにはあるという話を最後にされていました。

あと、椹木野衣さんの「悪い場所」についても少し。
蔵屋さんは、日本は今や決して「悪い場所」じゃないと言います。
むしろ、前述の論考が発表された90年代当時から、「いい場所」なんて、マンハッタンのソーホーの2km圏内でしかなかったし、その時代時代で、ほとんどが「悪い場所」になってしまう。
それが今やアートシーンはそこまで局所化していなくて、世界のあちらこちらで優秀な作家が育っている。
「いい場所」「悪い場所」の二元論で簡単にくぎれる時代ではなくなってきているという話も出ました。

他にも色々お話されていたと思いますが、記憶とメモの限界はここまで。
また何か思い出したら追記するかも。
本当に面白いお話でした。

クリスト&ジャンヌ=クロードの「Over the River」がキャンセル



今週クリストが「Over the River」プロジェクトを断念することを発表しました。
Over The River Statement

「Over the River」プロジェクトとは、クリストとジャンヌ=クロードが1992年から取り組んでいたプロジェクト。
コロラド州を流れるアルカンザス川の上空に銀色の布を走らせるというもので、その総距離は9.5kmという壮大なものでした。
実に25年の間、そこに住む住人を説得し、地主と交渉し、いくつもの法の制限をクリアしてきました。
5千万ドル(50億円超)の個人資産を注いできましたが、ここにきて断念に至りました。

僕はこのプロジェクトが本当に楽しみで楽しみで、これが完成したら何があっても駆けつけようと心に決めていただけに、本当にショックでちょっと受け入れるのに時間がかかりました。
しかしクリストはもう81歳。時間も限られています。
ここで、さらに40年以上かけて進めているアブダビの「The Mastaba」に全力を注ぐとのことです。
こちらは砂漠にドラム缶を積み上げて巨大なピラミッドのようなものを作るというもので、できたら恒久作品になるとか。
残念ですが、本人が決めたことなので仕方ありません。

ところで、Art Forumのニュースサイトには、これはトランプ政権へのプロテストだと書いてます。
Christo Stands Against Trump by Abandoning his More Than $50 Million Colorado River Project
記事にはクリスト自身の言葉も載ってますが、これ本当なのかな・・・だとしたら余計に悲しい。

あぁ、本当に悲しいです。心の拠り所を一つ失った感じ。はぁ。。。


関連記事
CHRISTO: BIG AIR PACKAGE @ GASOMETER OBERHAUSEN
クリストとジャンヌ=クロード展@21_21 DESIGN SIGHT
クリスト&ジャンヌ・クロード講演会 @ 福岡市美術館
クリスト&ジャンヌ・クロード講演会@京都造形大学

地点「ロミオとジュリエット」@ 早稲田大学大隈講堂



なんだか上京の理由がほぼ地点の新作公演のためになってる。。。
9月には「みちゆき」と「ブレヒト売り」、11月には「ヘッダ・ガブラー」、そしてこの「ロミオとジュリエット」。
ほぼ毎月と言っていいほど新作を発表し、さらにその間も休むことなく過去作品を上演。
一体この人たちはどうなってるのか。。。理解が追いつかないほどの過酷すぎるスケジュール。
それでも毎回作品の質は落ちるどころか、確実にスマッシュヒットを決めてくる。
僕はただただフォローするだけで必死であります。

そんな彼らの「ロミオとジュリエット」。
過去にシェイクスピアは「コリオレイナス」を上演しているけれど、あれもすごかった。一生忘れられない舞台。
にしても「ロミオとジュリエット」。
知らない人はいないんじゃないかというぐらいこの有名な演目をどう地点が演じるのか。
さらに今回は「ファッツァー」「ミステリヤ・ブッフ」に続く空間現代とのコラボ。期待しかありません。
僕は戯曲に関してはほとんど知らないし、正直ブレヒトもチェーホフもイプセンもほぼ無知。
そんな知識のない僕でも地点の舞台にはぐんぐん吸い寄せられてしまう。
僕でも知ってる「ロミオとジュリエット」がどんな風に見えるのか楽しみすぎました。

会場は早稲田大学の大隈講堂。
1927年竣工後、重要文化財にも登録されてるスーパー建築。
早稲田といえばこの大隈講堂を連想する人も多いはず。
かくいう僕は早稲田大学初潜入でしたが広いのなんの。規模が僕の大学と桁違い。。。
いざ大隈講堂は本当に素晴らしい建物で、中はリニューアルされて新しくなってるものの、外観やところどころのディテールはそのままで入った途端にシュッとした気持ちになりました。
こんな立派な舞台で地点が観られるなんて感動。

さて、「ロミオとジュリエット」地点ver.はやはりすごかった。
これが「ロミオとジュリエット」!?っていうぶっ壊しっぷりと、相変わらずわけがわかんないのに話の悲劇性が頭じゃなくて体に沁みてくる感覚はすごい。
今回も地点の団員さん(小林さんと小河原さん)が上演前にお客さんを席に誘導という演出w
「かもめ」でも上演前に安部さんがお茶をいれてくれたりするけど、素敵な演出ですね。
舞台上にはいかにも滑りそうなスロープの舞台。
「光のない。」や「スポーツ劇」でも坂は登場しますが、演者さんには身体的にかなりキツそう。。。
実際ジュリエット役の河野さんとロミオ役の田中さんは、手をついて三伏横飛びしながらセリフ言うっていうかなり無茶なことやってて、あれで息切れせず、台詞も飛ばずにやってのけるのは凄すぎる。。。
ところで田中祐気さん、地点の大きな舞台によく助っ人で参加するけど、もう地点に入っちゃえばいいのにと思っちゃうのは僕だけ?出たら主役クラスの役を与えられてるし。
それはさておき「ロミジュリ」。
構成はさっきのロミジュリの二人の他に、4人(石田さん、小河原さん、窪田さん、小林さん)が神父(?)、で安部さんがストーリーテラー(?)なのかな。相変わらず構成はわかりにくいですが、少なくとも恋的のパリスは登場しなかったように思います。
安部さんのアジテーションにも近い叫びは相変わらず圧倒されます。
それに空間現代の演奏が加わり、その度にセリフは強引に中断されます。
上演中は、結構笑いが起きたりして、途中まで喜劇色が強いんですが、いつの間にか後半悲劇になっていて、ロミオとジュリエットが代わる代わる死んだり蘇ったりする展開はかなり狂気です。
死んだロミオの手を掴んで三伏横飛びしながら引っ張るジュリエットの姿は本当に悲劇的。
変な喩えですが、子供が死んだことに気づかないまま抱き続ける猿を見ているような感覚。
動きはコミカルなのに、目の前で起こっていることは残酷。
このギャップに心が締め付けられるような感覚に襲われます。
最後は二人が息絶えて、上演前から照らしていた二つの丸い照明が一つになり月のように空に浮かぶという演出。
舞台演出は本当にシンプルで、ひたすら地点と空間現代の身体が舞台上に放り出されてる印象。
これだけ有名な演目も、すっかり地点色に染めてしまいました。素晴らしい。
こんなすごい舞台2日間だけしかやらないなんて。。。
その後はさらに早稲田小劇場ドラマ館で「CHITENの近現代語」を上演らしい。凄すぎる。
4月には恒例のKAATとの新作舞台「忘れる日本人」が。
なんと昨年地点の三浦さんも審査員として参加した戯曲賞で大賞を受賞し、地点が演じた「みちゆき」のあの松本俊太郎さんの原作。この「忘れる日本人」は地点の発行している雑誌「地下室」にも連載されていて、すごいコラボレーション。
そもそも松本さんが戯曲を書き始めたのは、地点のカルチベートプログラムという、レパートリー作品を見てエッセイを書くというプログラムに参加したのがきっかけ。
地点から始まった松本さんと地点が、KAATという大舞台で花開きます。これも楽しみ。
4月、また横浜まで参ります。。。
3月は埼玉でピナバウシュ、5月は東京でローザス。。。
最近東京方面に来るときはほぼ舞台関係。観たい美術展もそんなになくなっちゃった。
今回も1つも観てません。
妹島さんの葛飾北斎美術館は気になったのでやっと行けた。
その日の両国は、ちょうど稀勢の里が優勝した日で盛り上がってました。
普通にお相撲さんが歩いてて不思議な光景でした。。。

すみだ北斎美術館 by 妹島和世

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